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暇つぶし摂理霊話 パンドラの箱

2015-02-24 13:46:57 | Weblog
さてこの「パンドラの箱」というフレーズ、大学生あたりの卒業論文あたりに頻出
するものなのだそうな? 私はこれを「真理の寝床」なのではないかと推測する。

私が最近何度か使った気がするフレーズに「真理の蓋」というのがあったと思う。
蓋があり、人々が外からそれを眺める。 向こう側が認識の範囲に入らないだから
蓋。
人はもっぱら科学文明をパンドラの箱と呼ぶ。 私が真理の蓋と呼ぶのがそれで
ある。 人を魔法使いにしないために人とそれとを隔てる蓋が作られたそれが
科学文明。 そもそも科学とは何かの答えが一般のそれと私とで違っている。
世間一般に見るそれその答えは技術の応用であり実現する魔法じみた現象の数々。
私にとってのそれは「他人の仮定」に始まる普遍認識の構築つまり、他人もまた
自分と同様に世界に対する認識を持ちそこに共通点が在る、転じていかなる視点
から見ても「それはそういうものである」という、例えば水素原子は大人が観測
しても子供が観測しても、また宇宙人が観測しても水素原子であるといたもの、が
あらゆる事象に付き構築可能であるとするものなのだと。 現実には論文を発表
する行動、科学者として観測結果と解釈を書き世に、他の科学者に問う姿勢が科学
の本体でありそれによって実現したものを政府や企業、あるいは一般の家庭の主婦
らが喜んだり怒ったりするのは全て二次的な、科学とは直接の関係を持たない別の
世界の現象なのだと。 そしてこの、別世界の科学に対する認識これが蓋。 欲の
蓋とも言える。

パンドラの箱の話に戻る。 
おおまかなストーリーはこうだったと思う。
1. 箱の中に災厄が詰まっている
2. パンドラ氏が箱を開ける
3. 箱から災厄が世に出る
4. パンドラ氏が箱を閉める
5. 箱の中に最悪の災厄「希望」が残る

私はこれを「真理の寝床」とする。
大雑把な話はこう。
1. 「真理」が強い霊たちを束ねたまま眠りにつく
2. 頃合を見た「真理」、切欠を作り強い霊たちを世に解き放つ
3. 解き放たれた強い霊たち、それまで強かった霊たちを弱者の地位に落とす
4. 「真理」、人が弱者の地位とは何かを学ぶま時でまた眠りにつく
5. 人は直接「真理」から人の醜悪さを知らされずに済む

見方を変えよう人が科学技術をパンドラの箱と現状は、一解釈では人々が、我々は
「真理」を知りたくありませんと言っているようなものとも取れる。 同時に科学
による災厄は人の醜悪さの一面でもある。 では科学、科学文明はそのために創造
されたのか。 そういう解釈も成り立つだろうが私はそれが真意、中心ではないと
見る。 私は単純にそれを、人を魔法使いにしたないための、人が真理の一端を
知ってなおそうならないための何かだろうとして重宝している。
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