ある集団の全員に、同じ趣味を強要したとする。 その集団員は幸福となるだろうか。
歴史的にそうしたものは多く在った。 今でも「祭り」と呼ばれるものはそうした一面を持つ。 「俺と俺の身内が気分いい雰囲気に浸るため強制参加」と。
こうした「祭りへの強制参加」についての考え方は二通りかと。
1 集団化による幸福度と強制による不幸を天秤にかけ、幸福が勝るなら良しとする
2 強制は不可
古代・中世とは前者の価値観による社会であり、現代は後者。
集団化強要による浸りの消失に対し、現代が出した答えは「移動の自由」、「宣伝」、「民主主義による強要」、「金の天秤」、そして結局は「武装権力による強要」である。 アメリカがやっているリベラリズムは金銭強者と宣伝業者が世界を支配するための制度であり、中国はもっと直截な権力行使をしている。 彼らが連合国である。
さてどうしたものか。
移動の自由と勝手行動を組み合わせると、破壊活動の自由となる。 宣伝の集中・手段の寡占の害は今となっては多くの人間が痛感している事だろう。 コンサートなどは業者による潜在客の締め出しによって形が保たれているが、花火大会、バーベキューなどはごみ問題と一体化していたりする。 ごみ人間問題でもある。
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