日本語の「経済」は英語のeconomyにあたる単語だとされるが、特長としての細かい違いはいくつかあるだろう。 ここで挙げるのは字面のイカメシさ。 これがもし「凡計(ぼんけい)」とか「般円(ぱんえん)」とかだったら日本は大量のエコノミストを排出していただろう。 「これで良いのだろう?おそらく」というのが今回のテーマ。
経済はユダヤ人による学問である。 これはシェイクスピア、さらにレコン・キスタまで遡る。 コロンブスがユダヤ人だったかどうかは不明だが、彼の常識がキリスト教圏の外に向いていたというのはあるだろう。 その後の歴史でスペインから追い出されたユダヤ人は地中海圏、東欧、アメリカ大陸に根を張った。 イギリスは彼らのお陰で勝てたというのがヴェニスの商人であり、スペイン内戦を学んだヒトラーの「バックスタッブ論」である。
ああ。 色々嫌になった。
DuckDuckGoでヒトラーを検索したが、暗黙の言論弾圧が見えて普通に調べごとが出来ない。 私がユダヤ教キリスト教の天使共は一掃されるべきとする理由がここにある。 彼らの愚民化政策、憎悪からのそれで人類は劣化してきた。
・「全員が以前と同じことをする」だけで社会は金銭取引抜きに維持できる。
・その時金融業者は「何もしていない人」となる。
・経済成長とは「家事の商業化」である。
・排泄行為を規制し有料化したならば十年でその社会の経済規模は倍になるだろう。
・投資とは何かしたい人に労働力を集める事である。
・信用取引は不信が前提となる。 信用されていたら知人の貸し借りと共同作業である。
何のために経済などというものがあるのか、だが、騙し合い足を引っ張り合う人間たちに共同作業をさせるものとして、となる。 彼らは嫌われている。
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