狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

私教育について

2010-07-04 17:28:12 | Weblog
人々が
ただバナナのみ
食べるなら
ただあるだけで
教育いらぬ

私教育。
日本では小中学校教育が義務教育に分類されている。
これに幼稚園教育、高校、大学などを足したものが公教育らしい。
これに属さない教育機関が一般に、私教育と。

人は学ぶ。
学習対象の最たるは友人であるとされる事が多い。
個人の行動は友人の影響が最大であるとする調査結果を目にする。
親、親戚、兄弟、本、テレビ、教師、先輩、上司、動物、経験、
信仰の対象となるなにか特殊なことなどなど、学びの対象は多い。
今回扱うのは公教育でも教育以外の学びでもなく、私教育。

私教育とは具体的に何を指すのか。
一般には基本コースの学校以外の学校らしいが
こことでは家庭教育、塾、家庭教師などを考える。
家庭教師は塾と同じ位置づけにあると見るし、
親が教師となってそれをやるのもまた同じこと。

社会は早熟なほうが有利である。
出世は、と書いたほうが正確だろう。
学校教師の歓心という資産は、早熟な者、未熟な者、声の大きい者、
態度の良い者、はたまた顔の良い者などに配分される。 権威者としての教師。
その結果として、配分が少ない者、果ては配分されない者などが出てくる。
未熟な者を補うため、配分されない者を補うため、より多くの歓心を
周囲から得るためなどの目的で、家庭や塾などで教育の積み増しが行われる。

私教育とはどういったものか。
まずは家庭教育から考えてみる事に。

親が教師となる。 これが家庭教育。
まあ年上の兄弟親族が見る場合も同じ事だが。
分野は広い。 夜眠る前に本を読み聞かせる事からテーブルマナー、
炊事洗濯掃除にお絵かきや音楽、スポーツや格闘技、服の着方、話術、
立ち居振る舞いから周囲に対しどうあるべきかなどの精神訓など。
ここで人生の初期から差が出る。
低マナーな親の下に高マナーな子は育たない、少なくとも早期には。
幼稚園入学時にすでに子供は親の子、兄弟姉妹の一となっている。
正しく箸を持ち靴紐を結び周囲を見てルールに順ずる事が出来る子、
目的合理性を持ち不特定多数に話しかける能力を持った子から
洋服のボタンを通すことさえままならない子まで様々に。
これが、だいたいそのまま小学校に上がる。
そこに学業上の優劣が出てくる。
家庭教師、塾などの出番である。

家庭教師、塾とはどういったものか。
芸術芸能やスポーツなどを教える場所は日本では教室と呼ばれる。
ピアノの教室、水泳の教室など。
塾はもっぱら国語、数学、英語など、進学に必要な教科を教える場所。
親の収入の多い家だと家庭教師が選ばれたりする。
ここではその家の経済力が子供の成績に影響を及ぼす。

教育ママと呼ばれる存在がある。
自己実現を子供に課すことを日常とする親全般。
私はイギョラ型などと呼んだりする。
この衝動が夫に向くのがジョッキー型か。
これが悪質としか言いようがないわけだが滅多な事では無くならない。

子供の初期状態に多様性がある。
馬鹿な子、賢い子、健康な子、病気がちな子。
それらがそれぞれの家庭の文化を受け継ぐ。
マナーのある家、技術のある家、清潔な家、何も無い家。
そのうち適性に応じて進路が決まるが、そこで穴埋めや積み増しが図られる。

社会には生産性がある。
馬鹿と無能が建てた家はすぐに傾く。
服はほつれる、車は動かなくなる。 パソコンはフリーズする。
生産性は金銭で量られ、価値は嗜好で決まる。
稼げる人、人気のある人が有能とされるわけだがその一方で、
犯罪がある。

生まれたばかりの人は無能だ。
自力で生産性を身につけることの出来る人はごくまれで
それゆえ教育が必要になる。
社会人としての有り様を学ぶ場は学校ではなく家庭であり地域であるのだが
これが謎だ。
どうしたものか。

さて問題だ。
毎日餌を与えられ洗われる。
そういう環境で育った子が幼稚園にやってきたら
そこで対処し小学校に送り込むことが出来るだろうか。
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