狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

家庭経済の腹八分

2011-06-30 09:40:14 | Weblog
ここ三ヶ月ほど、うどんを食べる事が多い。
冷麦、スパゲッティも併て三食に二食は麺類を食べている。
元々は蕎麦派で「うどん? お子様の食べ物だろう」と思っていたのだが
最近は結構美味しいと思うようになって来ていて少ない調味料でどう
工夫して食べるかを探求している。

私の近況はまあどうでもいい話だろう。
家庭の経済状況を三つに分けてみる。
金持ち、普通、貧乏。
金持ちという状況は当面生活に困る事は無いと思っていてより豊かな
人生を送るために余暇の出費をどうするかを考えている状態。
普通の経済状況は生存に困る事は無いだろうとしてはいるが日常生活に
回避可能な程度の困難はあるが方法によっては将来別の困難が発生する、
あるいは困難は無いが日常的に不便に感じる事がある、といった状態。
貧乏とは将来なんて無く、当面の生存が課題という状態。
旅行に対する態度で分けると周期的に旅行をし帰ってきたら次は何処に
行くかを考える人というのはもっぱら金持ち、最近旅行に行っておらず
数年積み立てる前提で行くかどうかを考える人というのが普通、
有料の滞在先なんて論外、というのが貧乏。

貧乏には不安が付きまとい、普通なら普通で不満がたまり、
金持ちになれたらなれたで虚しさを感じるようになると。
つまり貧乏で不安が無い、普通で不満が無い、金持ちだが虚しくない、
というのがそれぞれの良い状態ということになる。

貧乏だが不安が無い、というのはどういう状態か。
まず第一は、それでも食える事だ。 
そして人間医者が居ようと居まいと死ぬときは死ぬものだとして
生きることが出来る事。
生きる事に日常と、当面死なないこと以上を求めない人だろう。
宣伝業で食っているような人たちはこの状態で満足する事を嘲笑し
貶めることを常識とするだろう、そしてその常識を共有するように
なってしまった人はおそらく、不安で居続ける側に進む事になる。

経済が普通、貯蓄なり現金収入なりがあって現状お金に困っておらず、
そしてそれに不満が無いというのはどういう状態か。
欲の皮が突っ張っていない人と言ってしまえばそれまでだが、
日常において賄える範囲での満足が有る、そういう生活をしている人が
そうなのだろう。
満足を知らない人が煽られ流されていく。

金持ちだが虚しくない。
壷を集めている人がいたとする。
当人が壷が好きで好きでたまらない、それさえ眺めていれば毎日幸せ、
そんな人がいたとしたらそれはそれで虚しくは無いかもしれない。
もっと単純に人から感謝されている、それも感謝されるための行動の結果
ではなく困っている人を助けたら結果的に感謝されたような状態にある、
そんな人かもしれない。

では虚しい金持ちとはどんな人だろうか。
壷の例で考えてみる。
壷を買ったが虚しいこれはどういう状態か。
おそらくその人は壷そのものが好きだったのではなく高価な壷を買う
という自分の自分への評価が好きだったのだろう、そして金持ちに
なった結果苦も無く入手できるようになり、高価である事、困難である事
といった旧来の自分への評価が消滅した、だからいくら壷が有っても
虚しくなったと。

金持ちになった結果虚しくなった、という人は自分が無いのだろう、
自分で物も人も見ていない。 だから高価な物に囲まれていても
入手が容易つまり安価になっただけ、人を助けるとされる事業に
首を突っ込んでも困っている人を見、困っていない状態になるのを
見届けるようにはならず単なる便利屋止まりにしかならないと。

お金はそれで何を買うかでは無いな。
それで何を成すかだだろう。
成さない人は虚しくもなる。
それならまだ生活に追われる方がマシというものだ。
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