現在エロゲーの体験版をやっている。 とある事情でネットから離れていて、それでそういう時用?に溜めてあった資産を眺めていると。 豊かさに呆れた感がある。
近年エロゲー業界に起きたのが市場の縮小である。 世代交代的なものを指摘する人も居るが、私は過去作との競合がその原因と見ている。 似たようなものを所有しているので衝動的に欲しくなることが少なくなる。 新作よりも安く買える過去の名作の方を手に取る。 これと同じことがコンシューマ機のPS2時代に起きていたとも見ている。
現在かつてのエロゲークリエイターたちはソシャゲの方へと異動した。 エロソシャゲはDMMの寡占状態な気がするが。
神様云々の話をする。 アテン神(サタン)は創造性の問題から世界の拡張を続けているとなる。 その一端がこの買い切りソフトの閉塞でありソシャゲ展開であり。
彼がそうあるのは摂理の要請からである。 これに注目するに、歴史の終わりは来ないとなる。
ではどうするか。 文化的な歴史の終わりと戦争とを分ければいい。 文化の終焉は来ず、戦争は無くす。 荒野に植物が広がる拡張はあっても争い、人の苦しみにはならない。 そうなればいい。
当面恒久的なそうしたルールを造るのは無理だろう。 新しい場所での執着、競い合いから争い奪い合いは起こりそうだ。 また、古い場所が捨てられる問題も発生するだろう。 そこにも執着の苦しみが生じる。
人が多くを見ればいい。 一人一人が他者の苦しみを求めなければいい。 俯瞰し新旧を認めればいい。 私はそうした在り方を切り分け形にし伝えればいい。
部分的にはやってるな。 先日チンパン問題を書いた。
ソシャゲの苦しみ。 ここ半年近く、ソシャゲ三昧だった。 余人は「いいご身分(ゴミ分)で」などと言うだろうと妄想するが、生活スタイルとしては寝たきり老人と大差ないと思う。 寝たきり老人は不幸でソシャゲ中年は恵まれている。 そう思うのは何故だろう。
半年のそうした活動の苦しみは、思うに大半がインフラ絡みだったと思う。
7割が通信回線、2割がパソコンスペック、残りの大半がパソコン周りの生活環境で、ソシャゲそのものの苦しみは量的には少なかったかと。 ただしこれは酒飲みが「酒さえ有れば幸せ」と言うのに似ていると思う。 エデンの葡萄だな。
ソシャゲ自体のストレスはと。 時間に追われる事。 何かこう自慢したい感。 作業を続けた際に発生する謎ストレス。
この3つか。 あとゲーム自体の合わない感もあるか、これで4つ。 私個人は合わない感に苦しめられ続ける傾向は、オープンな場で選択肢が多岐に渡る場合は少ないと感じているが、雑談掲示板のような場所を見るにそういう人間も居るようだ。 彼等はクリエイター相手にマウント取りをしようとしているだけかとも思うが。
今朝両親が池上彰の番組を観ていた。 私はあれは悪だとしている。 投機屋の走狗、その大物だと。 相変わらず伝えるべきを伝えず。 馬鹿の耳目を集めて受け入れやすいものを流し都合が悪いを隠している。
私は彼等に「活動を止めろ」とした。 一週間だ、彼等が止まったのならウォーターハンマーが起きていただろう、それが無い。 何も起きていない。 ユダヤ教の開示は正式な停戦命令のようなものだが起きていない。 彼等は唯一神命令の違反となる。 伝える役割のはずの人間たちも機能していない模様。 現時点ではは人間たちのそれは見えていないが。 霊的にも社会的にも変わっていない、それは彼等の不幸だ。
この分だと日本人も間に合わないな。 例えばアメリカで起きる事がどうあれ日本人の多くはそれを、対岸の火事と眺める。 そうではないのだが。 中国で起きることを経済の問題だと思い込む。 どう捉えるかが日本人の倫理の問題なのだが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます