狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

私が彼らに期待していたのは「自然と為すべきを為す」だった

2021-08-09 16:16:55 | Weblog
宗教勢は「私が彼らのメンツを守るもの」と期待してたのだろう。 結果彼らは私を自分たちの中に取り込むものだと信じ、また私に支配しようとする悪を見た。 彼らは勝手にそれを見た。

今の私には二択あると見る。 人類を呪うか呪わないか。 経験上私が何かする事が善になる。 私が関わると結果が良くなる。

青年期くらいのころの私は、私は政治家になるべきだと思っていた。 「私なら良いルールを作れるだろう、人々は自然と善を選ぶだろう」といった、楽観論があった。 今の私は「良いルールの例とその作り方」を説いていて、そこに老人たちに対する楽観論は無い。 昔あったが今は無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何に怒るかだが、大体二つ。

2021-08-09 01:31:04 | Weblog
例えばだ、古代の王たちが金銀財宝と奴隷の数を競い合っていたとする。 それを見た現代人は「なんて邪悪な奴らなのだ」と言うだろう。 それで義しい。 ヨブが誇ったのは孤児を助け続けた事。 彼は義しい人と認められており、現代人もそう見る。
財宝と奴隷とを誇る人間は現代にも多い。 現代のあちこちの分野、多くが経済界の王たちである。 だが多少の状況の違いで、現代人はそうした痴れ者たちを偉人だとする。 親や教師たちは「彼らのようであれ」とする。 現代の王たちに怒る以上に親たち教師たちに怒る。
私は私の両親が義されていなかった事に、神々、天使たちを無能と謗る。

私が私の両親などに、義しさを説く。 そうすると彼らはアベルを殺したカインのように思う。 彼らに怒る。 彼らなんて最初から存在しなければよかったのにと思う。 彼らと話したくない、彼らと居たくないとし、サタンを恨む。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする