狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

力の法理

2020-10-10 20:20:04 | Weblog
力の魔法ではなく、法律の方。
飯塚裁判が注目されているが、その理由が立法、司法の恣意性。
似ていると目されがちだろうが実は逆にあるのが、アメリカの黒人暴動。 アメリカでは黒人運動家らが「自分たちにこそ力がある、法は我々の権力にひれ伏すべし」としたもの。 この状況証拠が中国の工作が指摘されている点。 彼らは殺され続けている香港人を見ながら中国との連帯を選んだ。

立法にも司法にも、恣意性は憑いてまわる。 よって裁判官は常に、「赦しは善意の人間に、厳罰は悪意の人間のみに」と心掛けなければならない。 憲法の条文云々ではなく、裁判官一人一人が法の精神を現さなければならないというもの。 飯塚被告が悪意の人間かだがこれは是で、彼は救護義務よりも保身工作を優先した。 保身工作を優先し連帯する階層を見て「上級国民」「殺しのライセンス」などと言われているが、問われているのが力か公正さか、いずれの精神が現されるかである。
力に下れば力に裁かれるだろうね。
コメント
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