狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

「偉いから罰して良い」という構図

2019-01-23 16:28:03 | Weblog
シツコイなと思いつつも判り易い例だろうとし、書くと。
反抗的な態度のチンピラには直接の加害行動が無くとも殺して良い、とするアメリカの一部地域の警察と(その被害者は黒人が多めなのかな)今回の、反抗的な生徒にはただの暴力で制裁して良い、とする教師及びその支持者たちは同じ精神構造しているんだよ。
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町田都立だかの動画を見てきた

2019-01-23 16:10:31 | Weblog
ネタに挙げて見ないのもなんだかなってんでちょっと見てきた。
言われている事通りで特に新しい情報無し。

生徒は糞ガキっぽく、挑発は少々しつこかった模様。 だが教師の方。 普通に殴ってた。 ある程度暴力行使に慣れている人間かもなと。
普通に警察の介入から放校処分で対処出来ただろうしそうするべきだったのだろう、ただの暴力を選んだのは教師の性向。
教師は犯罪者として処分、生徒は口頭での注意の後放校。

正直、余計な事しやがってってのが本音。 いや、儒教とか。
いま中国経済が崩壊中で韓国が漂流中。 ここからあちこちの人間が何かしらかを学ぶ期間のはずだったんだがね。 「モンゴル人たちがそこから何を学んだだろうか」という話はあっただろうが、下らない偉い人ごっこを私のところに持ってくる事ような真似をしなければ、家族制の良いところを切り分けるくらいの話にはなっただろうに。

傍から益と害とを見て取って説明し、指導する。 これで害を減らし益を増やす人間が大勢から「偉い人」と認識される。
だが後に「偉い人の真似」だけをしようとする人間が増えだす。 この「真似」だけしかない社会の在り様が秩序であるかのように置き換わる。 一つ一つ覚えて学んでいって経験して判別し理解出来なきゃ害にしかならないのになんで「偉い」だけが先行するんだか。
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暴力行使のガイドライン

2019-01-23 14:57:09 | Weblog
一般に、暴力行使条件とされているものを以下と見る。
1 目上の人間による指導の一環
2 危険な状況を作り出している人間を是正させるための手段
3 報復措置

1はマナーで2がモラル。 昨年だったかの横綱とかいう肩書を持った豚二匹の件も「目上の人間に対するマナー」といったものでしかない。 だがそもそもの、「馬鹿をマナーで矯正する」という価値観が狂っている。
2の危険阻止手段だが、これは予測による。 危険を予測した人間が措置を執ろうとする。 危険を作り続けている人間に対し、敢えての手段を用いる。 1のマナーは予測能力を持たない人間がこれを真似たものでしかない。

話をずらそう。 私は仏教などで「仏僧を」「仏典を」尊重しろなどと書かれている教えは偽書だろうとする。 ブッダ氏は仏僧も仏典も想定していなかった、どちらも後世の人間が作り上げたものなのだからこれらを「尊重しなければならない」などといった教えは、クズが大勢の馬鹿を管理しようとするものでしかない。 米国西欧の旧植民地地域に対する態度もまた同様のものであり、旧ソ連はロシア、中国がやろうとする事も同じ。 馬鹿共を好き勝手に管理しようとするクズたちなのだ。

話を戻す。 「あえての暴力」とはどのようなものか。 酔っぱらいが暴走中の車に車をぶつけて止める、などといったものが判り易いか。 こうした行為は必ずしも制裁ではないし、矯正のみを目的としたものでもない。 周囲を巻き込む危険行為が改まらない場合はそのまま殺処分に移行する事もあり得る。 拘束・更生措置と死刑処分は連続した行為である。

前年のブタの話に戻そう。 元々は「自分たちが目上だ」と称するブタたちが八百長を同郷の後輩に八百長を強要しようとした事が発端である。 拒否されたので騙して呼び出し暴力を振るった。 そして「横綱」の肩書の下、相撲協会に庇護され犯罪行為をもみ消してもらう立場となった。 その後の事態は相撲協会筋による「被害者が嫌われ者だったのだ」という話に乗った。
少し前に「(横綱)ブタは毎年勝つために断食をしているから偉いのだ」といった話を持ち込んできたモノが居た。  犯罪行為の申し開きもせず聖人気取りかクズがそのまま死ね。 相撲協会理事どもと消えれば「目障りが居なくなった」と喜びもしよう。

ロシアの話。 私はロシアの過去にあったグルジア侵攻、現在のシリア情勢介入は2に該当すると見ている。 ウクライナ情勢は複合、主に2と3のそれだと。 対する欧米のそれは「シリア政府が目障りだ」「嫌がらせその他にウクライナにクーデターを起こした」といったもの。 ウクライナ情勢は仮に現ウクライナ政府がウクライナ全土を支配出来ていたとしても疑問符が付くもので、出来ていない現状は失敗した火遊びにしかならなかった。 要するに「アメリカ側、ロシア側の後進国介入はいずれも悪行だが、ロシア側が道義的に正しいケースも少しはある」といったもの。

「馬鹿を管理する」「そのための権威」「そうした権威のための暴力」。
東側だと儒教、西側だと「シメオン(第一使途ペテロ)」だな。 これらは破棄。 今後役に立つ事は無い。

さて私も「目障りだ」と言う方だ。 前回更新のテーマとした「ピアスの生徒」だがこれは私が目障りだとする種類の人間だ。 心情的には彼らを叩きたいくらいだが、そういうものではない。 害悪と好き嫌いは別物とするべきだろう。
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都立町田総合高校での、生徒が挑発に教師が暴力応じた件で生徒に批判が集まっているが

2019-01-23 13:50:46 | Weblog
いやこれ教師が元々暴力傾向が強くそれを理由に生徒が挑発・動画化を企画したんだろ。
生徒側(ピアスだかで注意された事を恨んだらしい)が不快な連中だとしても「暴力を振るった教師が悪い」の点を変えたらおかしい。 こうしたケースで教師側に温情措置があるべきなのは「度重なる挑発の末に」といったもののみ。 生徒側が教師いじめじみた行為を継続して行ってた場合。 これに該当しないのに「生徒は教師に感謝するべきだ」といった理屈で不品行生徒の動画作成を非難し罰しようとしている現状の大多数の傾向には同意できない。

書き直す。
1 教師側に過去に暴力指導があった場合
2 生徒側に教師いじめがあった場合

このいずれかで減刑対象が変わる。 「動画化を目的に生徒が挑発したのだから生徒を罰しろ」には反対する。
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