狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

おじろく、おばさ

2016-12-26 15:26:06 | Weblog
順次解除かな。
一括創造説。 神様完全全能説とでもしたものか、からの派生で一神教圏で信じられている、というか教義化されているものだがこれ現実の世界(と認識されているもの)とは異なっているし、聖書に描かれている神様とも異なっている。 では完全に嘘かというとそうでもなく、たとえば「苦しみとは何か」といった原初概念が再定義されるような段階までいくと真実味を帯びてきたりはするが、現時点ではたいした意味を持たない。
じゃあなんでそんな教義が蔓延しているのか、なのだが局所的には天使たちがそう言ったりしたからだ、が解でありもっと大きくは、ほっとくと神様に敵対するような連中に、とりあえず安心させて小学校に通わせる、ような状態に置くための、方便であると。
んで一般に、一神教圏で一括創造説の根拠であるとされる創世記の冒頭、動物たちが創造される場面だがこれ、「神様が動物たちを創造した」と言われても具体的にどうやったのか、とか思い付かないだろう。 そこでだ。 対比として「小さな子供が粘土で動物を造った」というのを挙げる。 この場合、その子供はあらゆる種類の動物を造った、となるだろうか。 否だろう。 この場合は犬か牛か判別がつかない四本足の粘土塊が一つないし少数造られた、となるだろう。 この図を動物創造の場面だとすると、神様は地面に対して「お前たち各々の種でめいめいに、このような形となれ」と命じた、となる。 「それは一解釈でどちらがただしいかなんて判らないじゃないか」と思われるだろう、では直後に答えが書かれているとしたら。 人の創造である。

さて表題の。 「おじろく、おばさ」とは江戸時代の日本にあった、奴隷制度のようなもの、らしい。 なんでも山奥一部の農村で、次男以下あるいは女子が、特に他家から求められない限り結婚の機会もなく、生家の労働者として一生を終える制度、だったとか、ガセネタでなければ。 で、その制度、江戸時代が終わり明治となり、交通、通信、教育機関等が整備されていくことにより自然消滅したとのこと。 明治の終わり頃、消滅開始から三十年くらいだろうか、にはその近辺で数百人だかいたその身分の人間は、数十人だか数人だかになっていたそうなのだが年かさとなった彼らは調査した学者たちに対し「外の世界に合わせる理由なんて無い、家の中が良い」という意見を提示していたのだそうな。 私はこれを、間違っている、とはしない見解なわけだ、また、間違った状態だったのだ、ともしないと。 必ずしも。 住民同士が互いに貶めあうスラムの自由よりも家族共同体の一員として扱われる奴隷身分の方がよい、とするのも一つの価値観なのだと。 同時にだ。 いわゆる「文明開化」も間違いとはしない。 奴隷身分の消滅と家族共同体の一員である事は矛盾しない。
コメント
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