狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

隣人と束の判断

2013-09-09 14:10:24 | Weblog
例えばガザ地区。 ガザにユダヤ人が住みつかなかった理由は聖書にそう書いて
あったからと。 アラブ人たちがそこに居続け結果エジプトに対する人口爆弾と
化したわけだがたまたまである。 イスラエル人たちは戦略的理由からそうした
わけではないはず。 スエズにしてもそう。 たまたま運河掘削可能な地形が
イスラエルとナイル川との間にあっただけでありもしそうでなかったら、あるいは
ナイル川中流あたりから紅海に抜ける海運ルートがあったとしたら、そこ周辺の
力学関係はどうなっていただろうか。 これからユダヤ人を正と逆とに見る。
明言せずとも「たまたま」「幸運にも」そうあり、その上で防衛努力があり血を
流したとする方を正、「我々の主張し続けてきた政治宣伝が」とする方が逆なのだ
としている。 政治宣伝が守ってきたのはせいぜい金融利権の優先権くらいなもの。

終末である。 終末ではあるが、終末か否かに限らず解は「皆が神様の方を向く」
である。 これを社会科学語に訳すと「うそつきを止めろ」になる。 いやマジで。
説明しよう人は割りと駄目である。 だが「自分が駄目なのだ」とするよりも
隣人が、政府が、あるいは大国が駄目なのだとする方が受け入れやすい。 これが
うそつきの心。 暗に「自分が駄目だ」と知りつつ他者がそうだとするこれ「己を
偽る」で、神様イコール全と置くと周囲を非とする事で自身を善とするこれ背を
向けるになる。 虚偽こそ技巧であり美であるとするこれ売女の正義。

a. うそつきたち
b. うそつきたちに「うそつきのままで良い」とする人たち
c. aやbの集団にあるなんだかわけのわからない雰囲気

abcと置いた。 aもcも問題だがここで特におかしいとするのがbである。
ネットウヨクたちがうそつきたちに事実をねじ込んだ、として喜んでいるのが私で
彼らの在り様を批判しているのがb集団。 cが何なのかは色々と解釈のし様がある
が、これもおかしいっちゃおかしい。 どういうわけだがbに宗教家たちが多く含
まれていると見ているのが現状で、お前ら説得とかしなくていいのかと。
ちなみにぶっとんだ話をすると私は終末の価値の一つが霊の大量人化状態であり
これ説得の機会なだとしているのだが、なんで切り捨て推奨なのだろう。
「少し痛い目を見た方が良い」と「死んで裁かれろ」じゃ大分違うと思うのだが。
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フランス人たちの世界史

2013-09-09 10:29:57 | Weblog
御分かりの方も多いだろう「パチンコの行政区単位ゾーニング」と置いて議論する
だけで二分化が進む。 まずはパチンコを法律上賭博に該当すると規定しなおす事
からだわな。 パチンコをどうゾーニングするかだが、「パチンコは賭博である」と
言って周るのが始める行動、そこから先は法律屋の仕事。 現行上実現しないという
のなら当然憲法改正が必要になる。 再規定が出来たら次は一部地域、十県くらい
かな?を除いて建築、改築不許可にすると。 リニューアル、入れ替え、全部不許可。
やったら営業停止命令。 パチンコの賭博規定へ意思表示する。 個々にはここから。

さてリベラル派に対する私の態度、二通り有り得ると見ている。 部分温存と正面
衝突。 少し考えたが前者は無いとした。
19世紀は世界植民地化の時代であり20世紀中盤から独立の時代に入った。 独立する
と元本国の意向を離れるわけだが交易関係などに伴う各種利権は相変わらず存在して
いるわけで、これの許認可権が独立政府の手元に転がり込む。 これが「リベラル教」
が称えられるようになった理由。 都合の悪い政府を罰するないし取り替える権利を
元本国側、貿易会社の側が持ちたがった。 そうするための口実が必要であり、また
手段を温存する必要が認識された。 ナチスドイツ関係者の逃げ込み先は南米だった。
んでこうなった。

後進国、旧植民地地域の人間を留学生として呼び寄せ、弱い地位を与え本国に住まわ
せる。 そうする事で後進国で起きるはずだった各種トラブルが大学という管理され
た空間で起きる事になる。 国際関係上必要な情報、経験を本国側のみが抱える形と
なり旧植民地側は交易ルール策定上本国側に前面屈服する羽目になる。 この構図を
大学リベラルと言う。

遡ってだ。 何故19世紀は植民地化の時代だったのか。 理由を二通りに見る。
一つは今日誰もが言うそれで、資源獲得、商業利権のため。 もう一つは今日誰もが
知っていて、そして多くが口を噤むそれ。 後進国が泥棒と強姦魔だらけだったから。
これまで何故口を噤んでいたのか。 一つ目がそれだろう。

アメリカ政界が半ば金融ユダヤに乗っ取られ状態となった原因は所謂第二次世界大戦
後も中南米に対する政治支配状況を継続しようとした点にあるのであって、結果は
利用しようとした側が利用される側になったただそれだけの事。 癒着の本体は金融
ユダヤではなく彼らに取り入ろうとする彼ら周辺のアメリカ人の側に有る。 在日
朝鮮人を巡る日本人の状況についても同じ事が言える。 彼ら自身は汚い存在だが
個々の犯罪はともかく集団としては罰するものではなくただ静かにお引取り願えば
いいだけと。 アメリカの金融ユダヤ、アフリカやユーラシアのフランス人たちに
ついても同様。

2013/09/09 タイトル記入漏れにつき修正
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意思束論からのシリア情勢神学観

2013-09-09 10:28:30 | Weblog
単語に封印がかかっている、と書くとなんかもう中二病と言うよりそのまま黒歴史
入りしそうな感じだが、執筆がつっかえる、というのかな?かつ誤字になるような
モノが有ったり無かったりすると。
今日のオタク文化と言うと目立つのが「初音ミク」でその流れを遡ると「ときメモ」
あたりに行き着く。 約20年前の話である。 当時から言われていたのが作り込み
の密度がすごいと。 シューティングブームが去って傾きかけたメーカーが、競争
に負けて消滅寸前のハードで出したニッチなゲームが評価された。 開発陣の状況
を考えるに、かなりおかしい。 「開発者に火が入るとそんな事も起きうるのだ」
と言われてしまえばまあそういうものなのだろうとする所だが。
そこからさらに遡ると「うる星やつら」となる。 女の子がやたらといっぱい出て
くるこれらをアンケートだと置く。 するとフェミニズム運動はカーリー現象だ、
となる。 カーリーとはインドの破壊神の名である。

意思束論からキリスト教などで言われている復活を考える。 信仰を持つ人たちが
信仰を持ち続けて死ぬと復活して清い人となって神様の王国に入る。 意思束論他
最近の各論から清い人ってなんじゃらほいと見るに、それを正とする束の主意思と
従意思だ、となるのだろうでは何故信仰と死なのか。 ピッコロ大魔王だろう。
手術の同意と全身麻酔のようなものなのだと。 私は彼らのやろうとしている
「意思の切捨て」を正としているか。 現状とことん嫌っている。 「反の意思」
も嫌っていて同時に「捨の正当化」もぶち上げて曝して問い続けている。 そして
こうも主張している。 「いっそ天使たちも一緒に捨ててしまえ」と。
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