社会無明と個人無明

2013-07-04 19:42:00 | Weblog
ステップ1
現状が聖書なんかにある終末と似ているとする。

ステップ2
終末と似ているのが偶然かどうかを検証する。

ステップ3
偶然ではないのなら何故似ているのかを検証する。

まずステップ1だがこれはチェルノブイリニガヨモギ説、ニューヨーク大淫婦の都説、
第二次世界大戦主要交戦国ダニエル書の獣説などを挙げた。 他に一致度が高いもの
に海の獣の42ヶ月とその後の陸の獣による支配、なんかがあるわな。 最近のネタ
だと「海の中の毒」とか「お灸」とか。 「人の寿命は120年と定められた」なんて
話もあるし。
ステップ2は獣イコール権力とするのは一番まっとうな解釈なのでそれでそうした
ものが現状に一致する確率を計算する事が可能だが、それ以上に判りやすいのが
チェルノブイリだわな。 元の単語の解釈が複数あるにしても日常で使う単語数が
いくつでそこからそれに一致する可能性がどれだけあるかだがこれほとんど無いと。
ステップ3。 陰謀論でも宇宙人説でもありえるじゃないかと言われるだろうが私は
これを、地政学条件をいじれるくらいじゃないとそうならない、としたと。

ここまでで教会関係者なんかは「わーいやっぱり我々が正しかったのだー」とかと
喜ぶのだろうが私にとってはそうではない。 というのもこれ、中国人には通用
しない。 元々日常生活の中で何らかの形で終末の話を知っている人でないと
ステップ1の段階でなにもしない、聞き流す、馬鹿だと決め付けるといった状態に
なってしまう。 ほっといていいんじゃないというのは一つの答えだがどういうわけ
だか私はそうなっていない。 そんなこんなで模索しているのが聖書によらない検証
方法で、出てきたのが月の特殊性や水の生物発生上の圧倒的な都合の良さ、まるで
人類の文明を育むかのようなここ一万年の気候の安定など。 社会科学方面からの
アプローチが「無明」なんだな。

ではだ。 社会的無明が理解できれば宗教いらなくね?というのは一つの答えで
あったりもする。 ところが次が問題なのだな。 とりあえず一地域の社会全体、
人間関係のあちこちが無明状態だったとして、どうやったらそこから抜け出せるか
というのがまた厄介な話で、間違った地図を持ったまま遭難したとしよう、地図が
間違っていたという事に気づいたとしても遭難状態に変わりはなく。 だったら
一直線に抜けようとするかおとなしく外部からの助けを待つかのいずれかだ、という
話になってくるが、外部ってどこよってのがそのオチになると。 アフリカ人などに
とってはぱっと見、ビッグブラザーUSAがそれになるのかもしらんが私の見立てでは
そこもまた無明社会。
では既存の宗教が解なのか。 私はそうはしていない。 おおざっぱにぼかして書く
と、天使たちもアテにならないとかそんな話。 ちなみに一直線の例として挙げるの
が文革紅衛兵。 ああいった行動、実は筋はある。

社会無明と個人無明。 とある文化圏AにつきA人の敵はA人である、というのを社会
の無明状態とした。 ここから個人の無明状態を出す事も可能つまり自分の敵が自分
という状態がそれなのだと。 アル中やヤク中状態が判りやすいわな。 ここから
騙されたがる人イコール個人無明、騙されたがる人を表面的な親切心から騙す人が
大勢居る状態が社会無明なのだと結論付ける事が可能になると。

無明が理解され対処法が広く知られるようになったら酒や麻薬も解禁になるのか。
そうかもしれないのだがその状態というのは酒で例えるとおそらく、あえて酔い
たがる人のいない社会なんじゃないかと思うところ。
コメント
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