狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

多方面共依存状態からの離脱

2013-02-14 13:12:42 | Weblog
中国の大人(たいじん)について何回か書いたと。
さて大人社会とはどのようなものか。
最初はみな小人(しょうじん)だとする。
人間の初期状態は小人。
この中から少数が大人になる。
小人たちはどうするか。
社会の基準が富なら金銭を、地位なら縁故を得ようとし、その為に
既存の大人たちをどう利用するかを競うようになる。
これを「国家に密漁の護衛を期待する」と書いた。
大人の側から見るとそうした構図が自身が大人であり続ける事を
支えるものであり社会の秩序を構築しているものだと映る。

こうして書いたが後進国の人間に「なんでそんな当たり前の事を
わざわざ」と笑われるのではないかとも思った。 いや当たり前
じゃあないんだよ、少なくとも先進国の建前(宣伝用表看板)では。
こっち側が常識、まあ建前レベルでしかないのかもしれないが、
になっている社会に生きていると忘れがちだったりするんで。

有る意味イスラム主義が支持される理由がこれなんだな。
「売春の自由」の先にあるのは富豪を通した公の私物化であり
そうした状況を嫌う人たちはそれ以外のもの、それがその国だと
宗教だったりする一方、エリート主義者が「俺たちのアフリカ」
を求めて小人たちの自由行動化を強要しようとすると。

中国は変わる事を選ぶか。
これまで自身が誇ってきたもの、まあ一般には周囲から崇められる
立場だな、が社会悪であるとする状態に移行し、それが少しずつ
消えて無くなっていく、自分の身が焼かれているような喩えだ、を
ただ耐える。 これを中国、まあ中国に限った話ではないのだが、
の大人たちが選ぶかどうかであり、選んだとして維持するかどうか
であると。

多方面共依存。
その逆が一人が一人に対し一人分の敬意を表す社会。
これと地域ごと文化ごとの政治の多様性の維持との両立が国民国家
で国民国家の国民は全員が他人、個々人の責任範囲は立法府の範囲
とするもの。 これを「情が無い」と言うのならそうなのだろう。
コメント
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