ミドリノツヅリ

ベランダで育てている植物たちについての覚書。
と、文鳥のこと。
その他のこともたまに書きます。

5月26日前後のこと

2024年06月06日 | 文鳥
文鳥様は、旅立つ2日くらい前から呼吸音がずいぶん気になるようになっていて、それでも26日に通院の予約をしていたので、診察のときにお医者さんに聞こうと私は思っていました。
でも、おそらくはそれがサインだったのでしょう。
もっといえば、5月はじめにツボ巣から出てこなくて餌も食べなかった日、あの日から最後の日々がはじまったのでは、と思います。
ケージの床に下りてじっとしているようになり、でもそれは年をとったせいだと、私は思っていました。
仕事中、紙をかじってしまう文鳥様は絶対に出してもらえなかったのですが、この5月は手の中であまりにおとなしくしているので、仕事しながらしばらく抱っこしていたこともありました。
病院の先生は、お腹になにかしら問題がありそうだと仰っていましたが、それは結局わからずじまいでした。
最後の5月、朝の体重が27gから29gへと増えました。去年の12月は25gほどだったので(昼間の体重)、今年に入ってから何かあったのかもしれません。

25日の昼間はふつうに過ごしました。お薬入りの水をのみ、いつものごはんを食べ、バリアフリー化したケージにすんなり入り、夕方に水浴びもして、手の中に入って、いつも通りでした。
ですが真夜中に容体が悪くなり、止まり木から落ちて、手の中に入れて…を二回くりかえして、手の中で看取りました。
ほんとうに、たくさん泣きました。
押入れから探してきた、和ろうそくの入っていた箱に寝かせて、大好きな粟穂も入れて、一晩枕元に置いて寝ました。次の日、お花を買ってきて、箱の中にきれいに敷きました。
ダイエットで粟穂断ちをしていましたが、こんなことなら好きなだけ食べさせてあげたらよかった、とも思いました。
でも、いずれにしても寿命まで生ききったのだと思っています。
火葬しようということは前から決めていたので、ペット移動火葬車にお願いしました。うちのマンションには駐車場がないため、大きな公園の近くの道で火葬し、会社のほうに戻ってお骨を拾う、という流れでした。
お骨は小さい小さい骨壷におさめて、かわいく飾ってもらいました。

次の日くらいまでケージをそのままにしていましたが、つらくて押し入れの中にしまいました。止まり木や餌入れなども洗って乾かし、一緒に片付けました。
ケージ台はもともとプリンター台で、今はプリンターがそこに置かれ、本来の使い方をされています。
その台のとなりに木の椅子を置いて(その椅子の上で、以前よくおやつのきび穂を食べていました)、お骨と写真を置き、お花を飾っています。
しばらくの間は全部の餌を供えようと思っていますが、三日後にボレー粉が切れました。しかたないですね。

それにしても、こんなにつらい思いをするとは。
はじめのうちは、ほんとに夢なんじゃないかと思いました。朝起きたら夢だった、となるのでは…と。
でも毎朝、夢じゃなかったと知り、もう十日ほど経ちました。まだつらいです。とくに朝が一番つらいですね。
毎日涙が出るのですが、生活はなんとか普通にできています。
幸せな11年だったと、なつかしく思い出せるまでは、もうしばらくかかるかもしれません。
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