ミドリノツヅリ

ベランダで育てている植物たちについての覚書。
と、文鳥のこと。
その他のこともたまに書きます。

ガジュマル

2024年07月18日 | 文鳥
 

少し前の写真ですが、剪定したガジュマルに新しい葉が出てきて、ぐいぐい伸びています。強い。
そして新しく迎えたたコンロンカ。ハンカチの花とも呼ばれているとか。

5月末に文鳥様を亡くして、もう7月後半に入ってしまいました。徐々に落ち着いては来ましたが、まだ時々泣いてしまいます。いろいろと、ああすればよかったこうすればよかったとか考えたりもして。
でも、いつまでも悲しんでいるとペットが成仏できないとか天国に行けないとかの説もあるようですが、私はそんなふうには思わないので、たくさん悲しんでもいいんじゃないのかな(かなりの長期間、重く引きずるような場合は別として)。
だって、あんなにかわいい罪のない者たちが、亡くなってから良くない目にあうわけがない、安らかでないわけがないじゃないですか。漫画『文鳥様と私』にも文鳥たちが雲の上でワイワイやってる描写が出てきますが、うちの文鳥様も必ずや天国へ行ったに違いない、行けないわけがない。
このまえ写真整理をして、写りのいいものを選んでプリントしてもらって、アルバム1冊にまとめました。11年分の写真は年ごとにフォルダにまとめてあって、それはそれはどっさりありました。
以前はデジタルで何も問題ないと思っていたのですが、やはりプリントするとよいですね。
来たばかりのヒナの時の写真が少ないので(さし餌で精一杯だった)、もっと撮っておけばよかったな。
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もうすぐ1ヶ月

2024年06月22日 | 文鳥
   

文鳥様が天に帰ってしまってから、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
写真はその間にベランダで咲いたお花たち、バラの紫燕飛舞、ハイビスカスのミセス・ユミ、インパチェンスの確かフィエスタ。
剪定したガジュマルには小さな葉っぱも出てきました。
気持ちは少しずつ落ち着いてきたとは思うものの、まだ毎日のように涙が出ます。
手元供養にしていて、朝昼晩話しかけていますが、お返事がないのが本当にもうなんという寂しさでしょうか。
ごはんも今のところは毎日供えていますが、そのうちなくなるので、そうしたら日々のお水だけ&ときどき菜っぱ、冬にはみかん、みたいな感じになるのでしょうね。
長い幸福な日々は、それが終わったとき、あまりに多くの悲しみをもたらしますね。
それでもやはり、その悲しみも含めて大切な記憶なのです。
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5月26日前後のこと

2024年06月06日 | 文鳥
文鳥様は、旅立つ2日くらい前から呼吸音がずいぶん気になるようになっていて、それでも26日に通院の予約をしていたので、診察のときにお医者さんに聞こうと私は思っていました。
でも、おそらくはそれがサインだったのでしょう。
もっといえば、5月はじめにツボ巣から出てこなくて餌も食べなかった日、あの日から最後の日々がはじまったのでは、と思います。
ケージの床に下りてじっとしているようになり、でもそれは年をとったせいだと、私は思っていました。
仕事中、紙をかじってしまう文鳥様は絶対に出してもらえなかったのですが、この5月は手の中であまりにおとなしくしているので、仕事しながらしばらく抱っこしていたこともありました。
病院の先生は、お腹になにかしら問題がありそうだと仰っていましたが、それは結局わからずじまいでした。
最後の5月、朝の体重が27gから29gへと増えました。去年の12月は25gほどだったので(昼間の体重)、今年に入ってから何かあったのかもしれません。

25日の昼間はふつうに過ごしました。お薬入りの水をのみ、いつものごはんを食べ、バリアフリー化したケージにすんなり入り、夕方に水浴びもして、手の中に入って、いつも通りでした。
ですが真夜中に容体が悪くなり、止まり木から落ちて、手の中に入れて…を二回くりかえして、手の中で看取りました。
ほんとうに、たくさん泣きました。
押入れから探してきた、和ろうそくの入っていた箱に寝かせて、大好きな粟穂も入れて、一晩枕元に置いて寝ました。次の日、お花を買ってきて、箱の中にきれいに敷きました。
ダイエットで粟穂断ちをしていましたが、こんなことなら好きなだけ食べさせてあげたらよかった、とも思いました。
でも、いずれにしても寿命まで生ききったのだと思っています。
火葬しようということは前から決めていたので、ペット移動火葬車にお願いしました。うちのマンションには駐車場がないため、大きな公園の近くの道で火葬し、会社のほうに戻ってお骨を拾う、という流れでした。
お骨は小さい小さい骨壷におさめて、かわいく飾ってもらいました。

次の日くらいまでケージをそのままにしていましたが、つらくて押し入れの中にしまいました。止まり木や餌入れなども洗って乾かし、一緒に片付けました。
ケージ台はもともとプリンター台で、今はプリンターがそこに置かれ、本来の使い方をされています。
その台のとなりに木の椅子を置いて(その椅子の上で、以前よくおやつのきび穂を食べていました)、お骨と写真を置き、お花を飾っています。
しばらくの間は全部の餌を供えようと思っていますが、三日後にボレー粉が切れました。しかたないですね。

それにしても、こんなにつらい思いをするとは。
はじめのうちは、ほんとに夢なんじゃないかと思いました。朝起きたら夢だった、となるのでは…と。
でも毎朝、夢じゃなかったと知り、もう十日ほど経ちました。まだつらいです。とくに朝が一番つらいですね。
毎日涙が出るのですが、生活はなんとか普通にできています。
幸せな11年だったと、なつかしく思い出せるまでは、もうしばらくかかるかもしれません。
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旅立ちました

2024年06月01日 | 文鳥
5月26日に、文鳥様、チッチが旅立ちました。
真夜中に容体が急変し、日付が26日に変わってから、手の中で看取りました。
11歳と1ヶ月でした。
最後の日も、いつも通りに暮らしました。

あの子は11年間、私の愛でした。ちいさいふわふわの愛のかたまりでした。
本当に本当にかわいくて大切で大好きだった。宝物でした。
チッチ、ちいちゃん、私のところへ来てくれてありがとう。
11年間、夢のように幸せでした。

母と伯母といとこ、お友達が慰めと励ましをくれました、みんなありがとう。
そしてこのブログを見てくださった方たちにも、ありがとうございます。

(ブログは継続しますので、そのうちにまた記事を書くと思います。
 下書きで保存してあったケージバリアフリーの記事があったので、そのまま載せます。)
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ケージのバリアフリー化

2024年05月25日 | 文鳥
 

文鳥様のケージをいよいよ本格バリアフリー化しました。
といっても、完全床生活ではないので、段ボールを使って底上げをしっかりやっただけです。
大きい段ボールが入手できなかったので買いました。ええ、買いましたとも。
それでまあ文鳥様は普通に入ってくれたのですが、はて、敷紙の交換はどうすれば?と悩みました。
ケージ入口から交換するとすごく大変(今日はそれでやってみた)。
でもやっぱり上部をいちいち外して交換したほうがいいかなと思います。

それと防寒の囲いをまた作りました。
体調がはっきりしないので、ヒーターもまだ片付けていません。
夜もおやすみカバーの上に膝掛けを重ねています。

2枚目は、このまえ購入した丸いステップタイプの止まり木(ケージ底上げ前に撮った写真)。
今まで半月形だったので、慣れてくれるかな?と不安でしたが、すぐ乗りました。ああよかった。
上で休めるといいかなと思って買ったのですが、目的通りの使い方をされています。
もう少し大きくてもよかったかもね。

明日は通院です。
昨日から呼吸音が大きくなる時があってとても気になっているので、聞いてきます。
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