海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「大政党は縮み、小政党は太る」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月29日 | 政治と文化
大政党がどんどん党員を失っているのに、自由民主党(FDP)と「緑の党」と「左翼党」は党員数は増えている。すべての党で、女性の党員が増加している。「キリスト教民主同盟」(CDU)と「キリスト教社会同盟」(CSU)と「社会民主党」(SPD)は、劇的に平均年齢が高くなった。これらの党員の5%だけが30才以下である。このことを明らかにしたのは、雑誌『議会問題』の今月号に掲載された政治学者のオスカー・ニーダーマイヤー(ベルリン自由大学)の研究報告である。彼の数字は、昨年12月31日のものだ。
党員数を最も減らしたのは、SPDで、昨年中に3.5%減少し、昨年末の党員総数は、52万969人だった。党員証が返却されたのは、ブレーメンとヘッセンで、マイナス4.7%に達した。原因として、恐らくアンドレア・イプシランティ議員の約束破りと赤々緑の連立によってヘッセン州政府を形成するのに失敗したことが挙げられる。趨勢に逆らって、ブランデンブルク州とメクレンブルク・フォアポンメルン州の社民党支部は、党員数を増やした。
 全党員の1.4%を失ったCDUは、ベルリン市、ブランデンブルク州、チューリンゲン州で党員を増やした。ドイツ連邦全体では、CDUに属する党員は、男女合わせて、52万89472名である。最大の減少を示したのは、ニーダーザクセン州で、3.3%減少した。バイエルン州の州議会選挙では、CSUは、党員の2.3%を失った。現在、CSUの党員証を持っているのは、16万2533名である。(CDUとCSUは姉妹党で、CSUは、バイエルン州にしかない。党首はゼーホーファー。--訳者注)
 これと反対に、「自由民主党」(FDP)と「緑の党」は、3年間に、再び党員を増やした。FDPは、2.4%増加して、6万5600名となった。FDPは、バイエルン州では、記録的な増加を見せた。バイエルン州では、12.9%も増加したのだ。しかし、FDPは、東部諸州では、減少した。「緑の党」は、党員が2%増え、党員総数は、4万5192名に達した。ブランデンブルク州、メクレンブルク=フォアポンメルン州、シュレスヴィヒ=ホルスタイン州では、州の党支部は最大の増加数を得た。
「左翼党」では、非常に異なるイメージが示された。彼らに所属する党員は、昨年中に、6%増えて、総数7万6031名となり、単独で西部諸州の州議会に参加した。こうして、左派政党の党員数は、ザールラント州では、61%に達した。左翼党党首オスカー・ラフォンテーヌの故郷(ザールラント州)では、「左翼党」の党員数は、1,904名から3,065名に増加した。既に多くの左派政党党員が、「社会統一党」(SED)の党員証を持っている東部ドイツでは、左派政党は、大幅に減少し、たとえば、ザクセン=アンハルト州では、マイナス6.6%に達した。
大政党も「左翼党」も党員の平均年齢が高くなった。「左翼党」では、半分以上の党員が60才以上である。CDUでは、60歳以上の党員は、48%、SPDでは、46.7%、CSUでは、42.7%に達している。これらの政党では、30才以下の党員は、5%しかいない。
アンゲラ・メルケルが首相であるのに、政党の中では、女性は少数派である。CDUでは、女性の党員は、25.5%。CSUでは、18.9%、SPDでは、31.1%,「緑の党」の女性党員は、37.4%、FDPでは、22.8%である。(以下省略)
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「トルコ人の移民は、頑固に統合を拒否している」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年01月25日 | 政治と文化
ドイツ連邦共和国は、移民受け入れ国である。そうこうするうち、他の国の出身である人たちの数は、1500万人に達した。彼らの多くは統合融和されている。だが、ある大きな部分は、平行社会の中で漂っている。特にこの部分に当たっているのが、トルコ系の移民だ。
ここでは、移民は、平均して低い程度の教育しか受けておらず、しばしば、失業しており、土着のドイツ人よりも、公共の生活に参加することが少ない。これは、「人口と開発のためのベルリン研究所」の研究報告「利用されていない潜在能力」の成果だ。この研究報告は、「ドイツにおける統合の現状」を調査し、月曜日にベルリンで公表された。
ドイツには、他の国から来た1500万人の移民が住んでいる。それゆえ、国民の20%がいわゆる移住の背景を持っている。移住民の子供の数は、土着国民の子供の数よりも多いので、彼らの總人口に対する割合は、今後、移住者が来なかったとしても、増加する。統合の議論には、モスクの建設、外国人犯罪の増加、女性の頭巾着用を巡って、火がついた。だが、これらは、もっと大きな問題のためのスローガンに過ぎない。なぜならば、移民の重要な部分が統合融和を拒否しているからである。
元ユーゴスアビアからの移民、アフリカとトルコからの移民において、順応不足が存在している。トルコ人は、300万人いて、元のソビエト連邦からの移住者に次ぐ二番目に大きな集団を形成している。
大抵のトルコ人移民は、長らく、ドイツに生活しており、彼らの半数はドイツ生まれであるけれども、彼れらには、統合の用意はできていない。トルコ系移民のわずか32%がこれまでにドイツ国籍を取得した。
かっての外国人労働者として、彼らはしばしば、学校や職業訓練を受けないでドイツに来た。比較的若い世代もあまり教育を受けようという動機を示さない。
トルコ人およびトルコ系ドイツ人の30%は、中学校修了資格を持っていない。14%しか、大学入学資格を取得していない。これはドイツ国民の平均の半分に及ばず、他の移住民よりも遙かに少ない。それに応じて、彼らは、労働市場でも統合されていない。移住してきた世代の高い失業率は、より若い世代にも残っている。多くのトルコ人は失業者であり、家庭の主婦の割合が異常に高く、多くは生活保護を受けている。
特にこれらのグループは、一定の都市部に住んでいるので、自分たちの仲間とだけつきあっている。このことによって、移住してきた女性がドイツ語を学ぶことは、困難である。
それが原因で、子供達には、良い統合への前提が欠けている。同様に、他のグループでは進んでいる多数派国民との混合は、トルコ人では殆ど見られない。ドイツで生まれた人たちの93%は、同じ由来集団のパートナーと結婚している。生活事情の平均化の妨げとなっている平行社会は、その結果である。
[訳者の感想]ドイツでは、ことあるごとに、移民が多数派ドイツ人社会に統合融和しないという問題が大きな社会問題になっているようです。
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「これはおれのことだ。都会人が好きなこと」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年08月05日 | 政治と文化
白人は、ここ数十年来、新聞紙上では批判の的だ。彼は他の民族を抑圧し、いくつもの戦争を始め、パキスタンの棉花取りを搾取し、かなり人種主義的で帝国主義的で人種中心主義的な態度を示した。彼は他人に何を期待したいのか。彼は自分のイメージに手を加えた。世の中の物事がどうならねばならないかについて、白人は、今後も決定したいと思っている。ただ、今日彼はそのことに良心の呵責を感じている。
白人についての研究は、まだ、始まったばかりだ。イスラム社会の陰核切除やパプア・ニューギニアの北西部に住むワンパー族が結婚や性行動と結びつける態度は、知ることができるのに、白人は「未知の領域」である。「白人達は彼らが白いことは目に見えないと思っている。彼らは自分たちの観察する主体の位置を自明だと思っている。」
カナダ人のクリスチャン・ランダーは、この痛ましい研究の空白を埋めた。彼は”stuffwhitepeoplelike.com"(白人が好きなこと)というブログの管理者である。彼は29才の白人で、彼自身がからかっている左翼リベラル派に属している。このブログは非常にはやっているので、彼は昨年も一冊、本を公刊した。『白人が好きな物:数百万人のユニークな趣味への決定的案内』(Stuff White People Like:A Definitve Guide to the Unique Taste of Millions).「ベルテルスマン社」の提携会社ランダム・ハウスは、著者に35万ドル(3,500万円)の原稿料を支払った。彼は教養ある都会に住む数百万の白人の独特の趣味を150ポイント数え上げた。ドイツ語への翻訳はまだ計画されていない。
それによると、白人は、映画祭が好きだが、主流の映画は嫌う。セルビアと北朝鮮あるいはフィンランドのパトロール隊が好き。副題の付いた映画はどれもそれだけでオーケー。なぜならば、それは「ハリウッド・システム」の外で制作されているからだ。白人は土曜日には週末マーケットに出かける。その理由は、そこでは、犬と非常に高価な乳母車に乗せた子供を見せびらかせるからだし、それでもって、地域の市場と小さな商店を支持できるからだ。
 たとえば、彼はテラスの上の日本人の所へ行くこともできただろう。なぜなら、白人はスシを食べるのが一番好きだ。「それは彼らが欲するすべてである」とランダーは書いている。「未知の文化、高価だが、健康によく、無教養な連中には嫌われている。」
ランダーの本は、滑稽で狡猾であるが、特に暴露的である。なぜならば、個人がどれほどグローバル化に批判的で自分の個性を保とうとするにせよ、かれらはそれだけ一層、グローバル化の子供だ。価値や消費の規準は、ハンブルクでもマドリッドでもサン・フランシスコでもシドニーでも同じである。彼らはみんなカフェ・ラッテを手に持ち、耳にアイポッドのイアホーンを差し込んで街頭を歩く。著者・芸術家・建築家を夢見て。彼はホメオパティーによる処置を好むが、学校医学に対しては原則的に批判的だ。(以下省略)
[訳者の感想]左翼リベラル派に属する白人の生活態度とはどういうものか、よく分かります。日本にもこれと似た行動様式をもつある階層がありそうですね。
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「身分証明書に指紋を登録」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年07月23日 | 政治と文化
連邦内閣が水曜日に閣議決定しようとしている新しい電子身分証明書は、2010年11月1から公布される予定である。指紋の読み込みは、パスポートの場合と違って、義務ではないということを社会民主党は貫いた。希望によっては、二つの指紋押捺が記憶され、それを警察と国境警備隊とは、参照できる。
「われわれは頭のいい解決策を見つけた。だが、当然、われわれはまだ確信できる仕事をしなければならない」とヴォルフガング・ショイブレ内務相は言った。中心になる登録所はないが、幾つかの登録所は、国家の「いわゆる収集欲によって不安定になっているそうだ。「市民のためのサービスが問題で、国家の全能幻想は問題ではない」とショイブレは述べた。彼は時間の経過とともに合理的な考察を希望していると述べ、国民が指紋採取するように忠告した。これによって、素早く同定することや証明書をパスポートの代わりに使用することが可能になる。
小切手帳サイズの新しい証明書は、生体認証付きのパスポートより安価であるそうだ。作成料金は59ユーロ(1万1千円)かかる。補足の料金を払えば、ドイツ語のカード上のチップに「電子署名」を書き込むことができる。それ以外に、無料のインターネット確認用のデータを書き込む余地がある。それによって、オンライン取引の際、パスワードが不必要になる。
この点に保険会社・銀行・通販会社・鉄道会社・交通団体などが関心を持っている。利用者は、もちろん、家庭のパソコンでは、暗証番号と読み取り機械を使用する。オンライン・バンキング、あるいはインターネットによる注文の際は、利用者は、身分証明書を読み込み暗証番号についてのデータを提出しなければならない。
さらに、新しい証明書は、16才以上のドイツ国民には作成が義務づけられる。身分証明書は、古い身分証明書と同様、10年間の有効期限をもっている。紛失したり盗難に遭ったりした場合は、電話によるホット・ラインで直ちに有効性を取り消さなければならない。住所変更は、電子的には書き込むことができない。役所は、新しい住所をこれまでと同様貼り付けなければならない。
[訳者の感想]ドイツ人は昔からパスポート以外に身分証明書を持っていたようですが、今度は電子化が進むようです。住所変更だけは貼り付けというのは妙ですね。犯人を特定するのは早くなるでしょうね。
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「エリートに対するドイツ人の不信感」と題する『ヴェルト・オンライン』の評論

2008年07月18日 | 政治と文化
有用な幻想と有害な幻想とが存在する。有害な幻想に属するのは、素人のほうが、まれではあるが致命的な危険から生じるリスクを現実主義的に評価できるという考え方だ。しかし、素人は、食料汚染のようなまれな死因のリスクを過大評価し、高血圧のようなしばしばある死因を過小評価する。その際、問題なのは、小さな等閑視されたミスではなくて、重大な帰結をもたらす誤謬である。
たとえば、2005年には、ドイツの学生にとっては、ドイツの牛が狂牛病に罹るリスクは、実際よりも4千倍も大きかった。似たような間違いは、その数年前に起こった、百万頭にのぼる損害を引き起こした食肉市場の崩壊の原因となった。今日たいていのドイツ人が、再び牛肉を食べているとすると、それは彼らがその間によりよい知識を得たからではなくて、彼らが危険なしに、食べることができるからである。
われわれは、われわれが実際に曝されているリスクを恐れず、メディアが集中的に報道するが故に、われわれの注意を引きつけるリスクを恐れるのだ。「メディア」について語ることは、確かに不正確である。さまざまなメディアがリスクをいろいろに表現する。そしてこのことが、読者や視聴者や見物人の考え方にかなりの影響を与える。こうして、狂牛病についての警告的な記事は、そうでなくても存在する間違った評価を拡大する。
#1.米国人は自分たちの制度を信頼している。
特に有効なのは劇的な画像である。それらはテキストが正しい客観的情報を含んでいる場合でも、過度のリスク観念を強める。たとえば、このことは、非常にまれではあるが過激な犯行についての画像を含んでいる犯罪についてのテレビの報道に当てはまる。それらの報道は、しかし、問題を部分的にしか解決しない。なぜならば、リスクの現実的な表現の信頼度は、資料の信頼度に依存しているからである。資料に数えられるのは、メディアと並んで、メディアが報道する人物や制度である。
ハンス・ぺーたー・ペータースのグループが、バイオテクノロジーを例にとって、示したように、制度に対する信頼度は、ドイツと米国において、それを受け入れる基礎である。
確かに両国の間では、かなりの相違がある。政治的経済的科学的制度が福祉の利害にしたがって動いているという信頼をアメリカ人は、ドイツ人よりも、より多く持っている。上述の制度に対するアメリカ人の信頼度は、食糧生産のために遺伝子技術を投入するという意見に影響している。彼らが制度を信頼すればするほど、それだけ、彼らは遺伝子技術的な方法を是認することが多い。
これに対して、もともと制度に対する信頼は、ドイツ人の判断にほとんど影響しない。アメリカ人の信頼は、ドイツ人には欠けている一つの社会資本を表現している。それがどういう帰結をもたらすかについての実例は、1970年代80年代の情報技術の導入や、70年代の核エネルギーや80年代の遺伝子技術をめぐる典型的にドイツ的な論議である。
2.間違った態度や大げさな批判が疑いを掻き立てる。
制度やエリートに対するドイツ人の信頼は、数十年前からゆっくりとしかし、常に低下している。このことは、連邦議会や行政や企業や労働組合やメディアにも当てはまる。もっと深刻なのは、それらを担う人々、特に政治家やマネージャーに対する信頼喪失である・このような展開の帰結として、今日、彼らの国際的な比較においても注目すべき、政治的自由や経済的諸可能性にもかかわらず、ドイツ人は、フランス人や、イギリス人や、アメリカ人ほど、制度とエリートに対する信頼を持っていない。
 これには幾つかの原因があるが、そのなかで、エリートや役割担当者の間違った行動や彼らの失敗に対するメディアの過度の批判がある。これらの批判は、ナチによる制度やエリートの悪用や、60年代70年代の過度の反動のせいである。(以下省略)
[訳者の感想]日本人もエリートに対する信頼をずいぶん失っている思いますが、ドイツほどではないと思います。

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「社会民主党は、生き残りを巡って戦っている」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年06月08日 | 政治と文化
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安室奈美恵
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 繰り返し握手や肩たたき。「ウイリー・ブラント総合学校」の食堂には、ボトロップのSPDが地域党大会のために集まっていた。たいていのメンバーは、大昔から知り合いだ。ウイリー・クレテックは、30年以上も、候補者選考委員会の委員長をつとめている。30年前から彼は三番目に演壇呼び出される。この晩もそれに対して拍手があった。
クレテックが以前と同じだからだ。彼がSPDの他の多くの人たちのように変わらなかったからだ。彼の立ち居振る舞いは、SPDが自明のように政権を握り、ヘルベルト・ヴェーナーが炭坑地帯で「社会民主主義の中心」について語ったあの時代の想い出と結びついているからだ。あの当時、炭坑夫や溶鉱炉の工員や金属労働者は、一致してSPDを選んだ。たいていの地方行政を、SPDが牛耳っていた。教師もSPDだった。それで現在は?現在、ノルトライン・ヴェストファーレン州を支配しているのは、CDU(キリスト教民主同盟)であり、SPDは、世論調査では、ドイツ中で第二党に転落した。
水曜日に同士がボトロップに集まったとき、夕方のテレビニュースでは、これまで最低の記録が表示された。ドイツ人の20%がSPDを選ぶだろうと、フォルサの世論調査の結果が伝えられた。「第一テレビ放送」の世論調査では、24%だった。SPDの党首クルト・ベックは、左翼政党の議長オスカー・ラフォンテーヌの下だった。
 秋には、SPDが政権政党になってから10年経つ。本来は、SPDはそれを祝わなければならない。それどころか、創立145年目に、SPDは、国民政党としての生き残りを巡って戦わなければならない。
 ボトロップで開かれた地域党大会で議長のハンス・ペーター・グリムは、「CDUとFDP(自由民主党)とが地方選挙を「ヨーロッパの日」にしようというのは汚いやり方だ」と非難した。そうすると、投票参加者数は減るだろう。それはSPDにとっては不利だ。CDUとFDPがその計画を実行すると、社会民主党はひょっとするともっと地方行政を失うかもしれない。そうなると、ノルトライン・ヴェストファーレン州は、リュットガースの天下になるだろう。
[訳者の感想]SPDが政権党になって、10年経ち、最近、党内の意見対立がひどく、国民の支持をだいぶ失っているようです。秋の地方選でSPDは各州で多数党になることができでしょうか。
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「神話とセンセーションの間の宮殿」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年05月09日 | 政治と文化
ゼルダの伝説/時のオカリナ リアレンジ・アルバム
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徳間ジャパンコミュニケーションズ

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ひょっとしたら、すべては、高いところで考慮された監督指示に従っているかもしれない。ハンブルク大学は、その研究者たちが「シバの女王」の宮殿を掘り当てるのに成功したと発表した。これでもって、長い間、十戒の書かれた石板を入れた「聖櫃」が保存されていた場所が見つかったことになる。
同じ日に、ハンブルクの東、250キロにあるベルリンで、「ドイツ考古学研究所」のメンバーが、彼らの会長の年次報告を聞くために、集合した。講演のテーマは、「シバ王国の支配者の宗教的センター」であった。女王については、一言も語られなかった。考古学者インディー・ジョーンズを主役とする四番目の映画が上映される二週間前だ。「聖櫃」の発見で、1981年に封切られた第一作「失われたアーク(聖櫃)」が正しかったことになるのだろうか。
1999年、ハンブルク大学「考古学研究所」のヘルムート・ツィーゲルト教授は、エチオピア北部のアクスムの廃墟で、発掘していた。これは、ある王国の首都であり祭儀の中心だった場所である。その基礎が置かれたのは、キリスト誕生の頃とされている。紀元4世紀に、この国のエリートたちは、キリスト教に改宗した。彼らは東ローマ帝国と同盟して、ペルシャや西ローマ帝国と戦争した。
ツィーゲルトと彼のチームにとっては、この未知の王国とエジプトのコプト教会に近いエチオピア正教教会の始まりが問題だった。
アクスムの後のキリスト教徒支配者の宮殿の下で、彼らは紀元前10世紀と推定される建物にぶつかった。年代と発見された細部によって、それが「シバの女王」の宮殿であることをツフィーゲルトは、確信した。彼女の息子で後継者であったメネレクがその宮殿を壊して、その上に祭壇をもった祭儀のための部屋を作った。そこに長い間、「聖櫃」が保存され、後にアクスムの寺院に移された。
これまで、アクスムでの最も古い考古学的発見は、キリスト誕生頃のものと推定されていた。それは、それよりも千年も古いある国王の住居とどのように関係していたのか。
確かに、紀元前千年前からのいわゆるエチオ・シバの記録が知られていた。これらの記録は、そこに書かれた君主の父や母の名前も記されている点で、イェーメンのシバ王国のものと区別される。しかし、そのことは、母親が女王だったということを意味していない。(以下省略)
[訳者のコメント]イェーメンにある「シバ王国」は、エチオピアにあった「シバ王国」の植民地だったようです。「シバの女王」がソロモン王に会いに来たという旧約聖書の話はどうも一種のおとぎ話だというが歴史学者の意見のようです。
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「ネオナチ、左翼のシンボルを利用」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年05月05日 | 政治と文化
彼らは運動靴を履き、サングラスをかけ、黒いフード付きコートを着ている。彼らの横断幕で、彼らは「資本主義を粉砕せよ」とか、「自律者の抵抗を組織せよ」と要求している。彼らが黒い塊でデモをするとき、左翼の自律者はこんな風をしている。だが、覆面をした自律者達が自動的に左翼の路線に属していた時代はとっくに過ぎた。というわけは、それと比較できるグループは、数年前から、極右のシーンにも存在するのだ。このような「自律的ナショナリスト」は、現在、ドルトムントの5月1日の極右の行進にも現れた。6月初めに開かれるハイリゲンダムでのG8に反対するデモにも参加するかもしれない。
憲法擁護庁は、極右の「自律者」を「戦闘的周辺現象」に格付けしている。彼らは行進の際、チェ・ゲバラの止めピンをつけ、"fight the system"というような非ドイツ的なスローガンを掲げて資本主義と議会制民主主義に反対する戦線を張っている。確かに、国内情報機関は、彼らの数を150人から200人と見積もっている。だが、憲法擁護庁は、「自律的ナショナリスト」という現象を非常に重視している。なぜなら、彼らの背後には、右翼のイデオロギーを新しい仲間に植え付けようとする試みが潜んでいるからである。特にこれまで極右運動に敏感でなかったスキンヘッド・グループの外にいる青少年達に植え付けようとしている。
 その際、右翼の「自律者」達は、彼らを長靴を履いて頭をつるつるに剃ったネオナチや俗物的な極右政党とは明確に区別する現象に賭けている。なぜならば、流行しているヒップ・ホップ風衣装やパレスチナ人風スカーフや英語で書かれたスローガンは、以前には、ネオナチやNPD(ドイツ国家民主党)には似合わなかった。そういうわけで、かなり多くの伝統的なネオナチは、憲法擁護庁によれば、「右翼自律者」について問題を抱えていた。特に彼らが容易に暴力に訴える点に問題を抱えていた。彼らは、2004年以来、警察との衝突を幾度となく繰り返してきた。このような攻撃的な態度は、潜在的なシンパを遠ざけることになったと極右陣営出身のかなり多くの批判者は主張している。
 「自律的ナショナリスト」達は、違った見方をしている。「われわれの右頬を叩く者は、右も左も一発食らうぞ」とヴッパータール出身の自律者グループはインターネット上で言う。「どんな音楽を聴くか、どれほど長い髪をしているか、どんな服を着ているか、は、問題ではない。」あらゆる政党の政治家は、「ドイツ民族を多文化社会と取り替えようとしているのだ。」だから、重要なのは、「青少年と社会の重要な部分に浸透し、われわれの目的のための道具とすること」である。
 ネオナチの光景でのこの争いにおいては、専門家に依れば、イデオロギー上の違いではなくて、もっぱら、行動形式の違いが問題となる。確かに、例外なく西ドイツとベルリンで組織された「右翼自律者」は、これまで、自分を新しい青年の反逆の前衛者にする演出の試みに成功しなかった。だが、ナチの周辺グループが、青年への浸透からは遥かに遠いとしても、彼らを無害化することチャンスはないと治安官庁は考えている。
 警察にとっても、18才から25才までの年齢の「自律的ナショナリスト」達は、扱い難くなっている。デモの際、左翼の自律的黒い集団と並んで、ますます多くのナショナリストの黒い集団と関わらなければならない。「ネオナチは、そり上げた頭で分かるというのは、だいぶ前から通用しなくなった」と対デモ経験を積んだ警官は言う。「右と左の黒い集団出身の連中が、デモと反対デモの途中の列車の中で出会うことがある。そうすると、車内で殴り合いになる。」
[訳者の感想]左翼と右翼の過激派が服装やスローガンが似ているのと言うのは、20世紀の初めにもあったことのようです。
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「家名に泥を塗ったという理由による殺人--判決が理解できない」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年04月22日 | 政治と文化
イスタンブール/ベルリン発:「更なる犯罪を招く」とトルコ在住の女性政治家は、いわゆる「家名毀損による殺人」についてのベルリン地方裁判所の判決を評価した。「判決はとても間違っている。このような判決は、女性に対する圧力を強める」とガイェ・エルバトールは言った。エルバトールは、いわゆる「家名毀損による殺人」の問題を議論しているトルコ国会の調査委員会の議長である。「トルコは、この違法行為ともっとよくたたかうために法律を厳しくした」と彼女は、昨年施行された刑法改革を考慮して言った。他の国々もこの改革を行うべきである。
 ベルリン地方裁判所は、殺害されたトルコ女性ハトウン・シュリュキュの一番下の弟が彼女を射殺したのを有罪だと判断した。彼は9年3ヶ月間の刑に処せられた。だが、彼の二人の兄は釈放された。彼らには犯行に加わったということが立証されなかった。殺されたトルコ女性の行状は、家族の気に入らなかったのだ。
 このような「家名に泥を塗ったという理由での殺人」は、注意深く計画されたものだとトルコの女性センターのナイム・カルダシュは報告している。「死刑判決」は、決して個々の犯人によって下されたものではなく、家族会議によって決定されたものである。7ヶ月間の裁判の間、最年少の弟が死刑執行者として選ばれただろうという憶測がなされた。ハンブルグ大学の社会学者ネクラ・ケレクの推測によると、伝統的な家族構造においては、しばしば、刑を軽くするために、最年少者が選ばれる。だが、判決によると、家族がハトウン殺人の計画に加わったかどうかは証明されなかった。
 「緑の党」の政治家ヨゼフ・ヴィンクラーとイルムガルト・シェーヴェ・ゲリクの見解では、「家族会議」の沈黙が問題である。ハトウンの家の「家父長的役割図式」は、解明されなかった。そのために、二人の兄が共犯者であったどうかも証明されなかった。
 トルコの新聞は、9年間の懲役刑は軽いと評価された。アイヤン・シュリュキュ(犯人の名前)は、軽い刑で免れたと大衆紙『サバハ』は述べた。他の新聞は、判決が出た後のシュリュキュ一家の振る舞いを批判した。他の新聞は、犠牲者であるハトウン・シュリュキュのほほ笑んでいる写真を掲載した。もう一つの写真では、アヤンの兄の一人が笑ってVサインをしている。『ヴァタン』紙は、「彼らは恥知らずにも笑っている」とコメントをつけた。
 エッセン市にある「トルコ研究センター」のファルーク・センは、いわゆる家の名誉を傷つけたという理由による殺人に対する刑法上の追求は行われなかったと指摘した。「トルコ人社会は、この犯罪の温床をなくすために、もっと多くの圧力をくわえねばならない。」
[訳者の感想]この後日談として、ドイツ政府がシュリュキュ一家に出している生活保護も打ち切りにし、一家をトルコに送還すべきだという意見が出ています。彼らが住んでいるのは、学校内暴力で問題になったベルリンのノイケルン地区のようです。トルコの新聞が地方裁判所の判決が軽すぎると言っているのが面白いと思いました。親が決めたトルコ在住の見ず知らずのトルコ人と結婚させられたのを嫌ってドイツに逃げ帰ったことを男の兄弟達が「家の名誉を傷つけた」と考えたようです。
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「学校暴力を巡る激しい論争」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年04月02日 | 政治と文化
 学校内暴力についてのベルリンの学校教師の危険信号を発する書簡は、外国人生徒の扱いに関して激しい議論を引き起こした。バイエルン州首相のエトムント・シュトイバーのような政治家は、移民受け入れと統合について考え直すことを要求している。「ドイツに統合出来ない者は、我が国を去って故国に帰らなければならない」とシュトイバーは、『ヴェルト日曜版』に語った。
 ベルリンの問題地区ノイケルンのリュトリ基幹学校(Hauptschule)の教師は、市庁宛の書簡で、生徒の暴力がもはや手に負えないという理由で、自分たちの学校を閉鎖することを要求した。この基幹学校の生徒の80%以上は、移民の家族の子弟である。金曜日以来、警官が学校の前にいて休み時間中の秩序を護っている。一月前から空席になっている校長の地位はふさがった。市庁はアラビア語とトルコ語ができるソーシャル・ワーカーを学校に配備した。
 文教担当参事であるクラウス・ベーガーと共に市庁に対する批判が激しくなっている。緑の党の代表レナーテ・キュナストは、『ベルリーナー・モルゲンポスト』紙で「市庁の全面的失敗」について語った。ベーガー自身が間違いを認めている。文教局が彼に知らせるのが遅すぎた。学校内での暴力の問題に手をつけるのは、教師達の書簡以来ではない。
連邦首相のアンゲラ・メルケルは、ベルリン市長で社会民主党所属のクラウス・ヴォヴェライトの下での学校行政が学校の状態に対して責任があると述べた。市庁は、教育政策に間違った強調をおいた。メルケル首相は、移民の子供のドイツ語知識を改善することを要求した。なぜなら、児童は教師の言うことを理解できなければならないからである。
バイエルン州首相のシュトイバーは、激烈な攻撃を加えた。「お人好しの多文化主義は、挫折した。ドイツに子供達と暮らしながら統合を拒否している外国人家族に対しては、生活保護給付は短縮されるべきだ」とシュトイバーは、『ヴェルト日曜版』に述べた。「統合を長期的に拒否する場合には、次のステップとして、ドイツ滞在も終わりにしなければならない。」緑の党党首のラインハルト・ビュティコーファーは、その提案を退けて、「それは該当者に対する悪意のある告発だ」と言った。
 ベルリン市長のヴォーヴェライトは、リュトリ基幹学校は、新しい校長とソーシャル・ワーカーの助けを借りて、妨害のない授業を取り戻さなければならないと述べた。新学期の初めに、新鮮なアイデアを持った新しい教師達が学校に配置される。「そこに長年勤務していた同僚は燃え尽きた」とヴォーヴェライトは言った。これに対して、社会的な焦点にある学校にもっと金を出すべきだというベーガーの要求を彼は退けた。「金が足りないというのは余りに単純すぎる」と市長は述べた。
 社会民主党幹事長フベルトウス・ハイルは、メルケル首相と同様、ドイツ語の知識を入学の前提にすることを要求した。「われわれは州政府と一緒に数年内にドイツ語が話せないでドイツの学校に来る生徒一人もいないようにしなければならない。」だが、ベルリンのリュトリ基幹学校の場合は、統合の問題だけではない。「われわれは社会階層がばらばらになってゆく社会的な崩壊過程を体験しているのだ。われわれの社会では、他の国々よりも、社会的な出自が、教育や生活の機会を決定している」と社会民主党の政治家は批判した。
 キリスト教民主同盟所属のヴォルフガング・ショイブレ内務相は、学校内暴力に対して断固とした処置を取り、降参しないことを要求した。「リュトリ基幹学校で起こったようなことは、社会全体の問題である。青少年は結局、明確な限界を引き、重要な規範を断固と貫くことを怠っている社会を反映しているすぎない」とショイブレは、『ビルト』紙に語った。
 CDU/CSU会派の代表代理であるカタリーナ・ライヒェは、ドイツではもっと多くの教師ともっと小さな学級が必要だと考えている。「爆弾が爆発するまで待っているわけにはいかない」と彼女は警告した。
 これを支持しているのは、連邦政府の統合問題担当のマリア・ベーマーである。「私たちは、基幹学校を強化し、基幹学校卒業生に職業上の展望を与えなければならない」と彼女は『ヴェルト日曜版』に語った。「私たちは、基幹学校を卒業してくる青少年にもっと多くの訓練場所を与えなければならない。」ベーマーは、ノイケルンの事件を防ぐためには、もっと多くのソーシャル・ワーカーが必要だと述べた。「事実上、学校にだけ任せてきた。」リュトリ基幹学校の教師達は、生徒を混ぜるために、彼らの学校を実科学校(Realschule)と合併するように要求していた。
[訳者の感想]今ドイツで一番大きな国内問題は、アラブ系トルコ系の生徒が80%を越えたベルリンの基幹学校で生徒間だけでなく教師に対する暴力が頻発し、先生の言うことを聞かないため、その学校の先生達がベルリン市庁に学校を閉鎖するよう要求した事件です。基幹学校とというのは小学校4年生終了後に進学できる5年制、あるいは州によっては、6年制の学校で、日本で言うと小学校上級と中学とを合わせたような学校です。小学校の4年が終わると児童の一部はギムナジウムか実科学校か基幹学校に進学し、その後社会に出て就職することになります。ギムナジウムを卒業した生徒だけが原則として大学に進学できます。基幹学校の職業訓練は十分でないようで、基幹学校の卒業生に就職の機会は余りないようです。基幹学校の生徒の12%から23%は、未修了まま退学するので、未熟練労働しか就くことができないようです。これは結局、ドイツの全人口の8.8%に達する外国人、特にアラブ・トルコ系の移民をどう統合できるかというもっと大きな問題の一部だと思います。
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「政治家や経営者や官僚を信用しないドイツ国民」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年03月12日 | 政治と文化
ドイツは、不信の国になった。国民の五人に四人は、政治の指導者達を全く信用していない。政党と政府が社会の福祉のために行為するだろうという希望は消えた。この結論に達したのは、ベルリンにある「フォルザ研究所」の代表的な研究である。連邦首相アンゲラ・メルケルについての世論調査の良い結果もこの冷静な結果を何ら変えない。
確かにドイツ人は、メルケルが有能であり、大連立は安定していると思っている。だが、この判断は、政治に対する彼らの不信に殆ど影響を及ぼさない。たいていの人の目には、新しい政府は前の政府よりはましなイメージを与えている。だが、それは国家の先頭に対して信用を置く理由にはならない。今週、木曜日にベルリンで「信頼喪失」をテーマとする会議を開催する「アルフレート・ヘルハウゼン協会」のために「フォルザ研究」は作成された。「信頼の危機:ドイツ人と彼らの政治家」という題目で、学者、政治家、メディア関係者は、「失われた信頼を取り戻すために何がなされなければならないか」について議論する。
 国民の79%は、この世論調査の中で「政治の成果について不満である」と意見を述べた。特に目立つのは、評価の上位を占める数値である。回答者の43%は、彼らの不信は、大きい」と回答した。更に回答者の36%は、「非常に大きい」と述べた。同様な世論調査は、連邦共和国が成立してから繰り返し行われた。その際、不信の割合は、常に増大した。そうこうするうち、不信の割合は、記録的な数値に達した。国民の60%は、ドイツで政治が行われる仕方について満足しておらず、東ドイツでは、政治に不満な人の割合は、74%に達している。
 回答者は、偶然にこの判断に達したのではない。彼らは彼ら自身のまずい経験によってこういう判断へと押しやられたのだ。全回答者の32%は、自分たちは失望したと述べ、8%は、「憤激」を感じている。それどころか2%は、「軽蔑」を感じている。10%の人たちでは、怒りは、「無関心」に変わった。
 失望した人たちは、その理由として、社会的に不公平な政策を挙げ、政治家達は、無能で、腐敗しており、彼らの約束を守らなかったという印象を持っている。国民は、諸政党に対しても、破滅的な点数を与えている。回答者のうちの16%だけが、政党は選挙民の利害関心を適切に代表していると感じている。これに対して、73%は、政党は、何よりも先ず、支持団体、ロビイスト、あるいは他の利害集団の欲求に応えていると思っている。
 だが、政治家だけでなく、他のエリート達も国民の信頼を失った。このことは、特に、企業の経営者に当てはまる。回答者の76%は、経営者に対して信頼を失ったと述べた。高級官僚も同様である。ドイツ人の38%は、官僚に不信感を持っている。これに対して、ドイツ人が一番信頼している役所は「警察」であり、回答者の76%がそう答えている。
 国民がその代表者達をもはや信用していないとしたら、国家はどのように機能したらよいのか?政治家達が選挙民の利害の代弁者であると理解されないなら、良い政治はどうして行われるだろうか?国民が選択の余地はないと感じるなら、選挙制度は何の価値があるか?これらの問いに対する答えを『ヴェルト日曜版』の今号は与えようと思う。さらに木曜日の会議で答えが追求される予定である。
 状況が改善される見込みは悪くはない。と言うわけは、フラストレーションを感じているにもかかわらず、国民は政治への関心を失ってはいない。46%は、政治に大きな関心を持っている。回答者の38%は、政治に対する関心はここ数年の間に増えたと述べている。国民は、確かに不信感は持っている。だが、自分を非政治的だとは思っていない。
「コントロールがなくなったところで、信頼が始まる」と信頼研究者のマルチン・シュヴェーアは書いている。ある政治的決断がその複雑性ゆえに正しいか間違っているかわれわれが判定できない場合、われわれは他人がわれわれのために正しく決断すると信じなければなるまい。まさにこのコントロールを断念する用意のある国民が少なくなっている。国民は不信が第一の国民の義務だと理解しているとシュヴェーアは言う。ドイツ人は数年前ほどお上に頼らなくなった。自己理解が変わった。政治家は、経営者や高位の官のと同様
、自然発生的ではない。彼らは信頼を勝ち得るようにしなければならぬ。勤勉と勇気と知性と国民の福祉のための仕事によって。大事なのは業績原理である。
「われわれはみなわれわれの民主主義を維持するために参加しなければならない。ワイマール共和国は、その敵のために挫折したのではなく、無関心だった数百万人のために挫折したのだ」とハンス・ヨッヘン・フォーゲルは、この研究の中で書いている。多くの国民はそうする用意がある。だが、彼らは政党は魅力的でないと思っている。民主政治は、その国民をもっと良く束ねなければならない。そうした場合にのみ、民主政治はその信頼の危機を解決するのだ。
[訳者の感想]ドイツでも政治不信が酷いようです。この論説はかなり格調の高いものになっていると私は思います。日本の状況ほうがドイツよりももっと悪いでしょう。なぜなら、政治に関心がないと答える人が多分大多数をしめると思うからです。そういう状況は民主政治にとって致命的だとこの論説は主張しているのです。
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「サルマン・ラシュディー、自分の最新作の小説について語る」と題する『ハーバード大学新聞』の記事。

2005年11月16日 | 政治と文化
サルマン・ラシュディーは、11月7日(月曜日)マサチューセッツ州ケンブリッジのファースト・パリッシュ教会に来て、彼の新しい小説『道化のシャリマール』から朗読し、政治的に混乱し道徳的に困窮している世界で作家が直面する挑戦について議論した。
このイベントは、人文学センターとハーバード・ブック・センターのスポンサーで行われた。それは将来、優れた著者や知識人をケンブリッッジに招く予定である。英米文学教授でヒューマニティー・センターの所長であるホミ・バーバは、ラシュディーを紹介し、それに続く対話の司会をした。
後のインタービューで、バーバは、「これらの議論は本当の会話で、単なる広報活動ではない」と言った。「二人の人が著者の作品にとって中心的な問題について真剣に語る場合には、彼らには知的な核心がある。」このシリーズの次の著述家は、経済学者のアマルティア・センになるだろう。
月曜日のイベントでは、ラシュディーは、彼の小説の中から、いくつかの箇所を朗読した。その小説は、若い綱渡り師シャリマールと美しい踊り子ブーニの間の恋愛から始まる。シャリマールとブーニは、カシミール地方に住んでいる。ラシュディーは、カシミールを自然美とヒンヅー教徒とイスラム教徒が慈悲と寛容の生活を送るように定められている点で楽園であると述べている。だが、「この楽園にはヘビがいる。」
不和の一つの源は、インド軍の存在である。彼らはヒンヅー教徒を保護するためにこの地域に派遣されている。もう一つの不和の源泉は、「鉄の説教者」と呼ばれるミステリアスな宗教者である。彼は最後の戦争で置き去りにされたさびた武器の山から生まれ、イスラム教徒の村人に「不信仰と不道徳と悪」に対する聖戦に参加せよと説教する。
ブーニーは、シャリマールと結婚するが、後に彼を捨てて、金持ちのアメリカ人のインド駐在大使の愛人になり、彼との間に娘を儲ける。彼女の裏切りは、シャリマールを激怒させ、彼は無慈悲なジハディストになり、彼の仇をロサンジェルスまで追いかけて、殺してしまう。
朗読に続いて、バーバは、ラシュディーに対して、彼のフィクションの中で、寓話やたとえ話のような非現実的な形式をどうして用いるのかと尋ねることから議論を始めた。
「あなたや私は、たとえ話がインド病だということを知っています。インドではすべての者がアレゴリカルなのです。昼食だって寓意です。」
ボンベイで生まれて、イギリスで教育を受けたラシュディーは、彼がなぜ写実的なフィクションの実践家のアプローチを採用することが不可能な理由を説明しようとする。
「リアリズムは、著者と読者がこの世界がどうであるかについての記述を共有していることに基づいています。でも、今日、現実が何かについては、非常に議論の的になっています。事実であるものの単純な本性について本当の議論があり、その文脈で、19世紀のリアリズムは、うまく行かないのです。それはフィクションのようです。」
ラシュディーは、ストレートなリアリズムから離れたストーリー・テリングの方法は、自然主義的なフィクションよりも真実にもっと近いと言った。「アレゴリーや寓話のほうがこの奇妙な時代には適しているのです。」(以下省略)
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「集団レイプの犠牲者、米議会に助けを求める」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2005年11月03日 | 政治と文化
ワシントン発:「私の声を沈黙させようとあらゆる手段が使われている」と昨日、33才のパキスタン人女性ムクタラン・マイは、アメリカ議会で述べた。「パキスタン政府は、私を迫害している。私を支持しようとした警官達は、配置転換を余儀なくされた。」
このパキスタン女性の事件は、2002年に世界中でセンセーションを巻き起こした。彼女の12才の弟が裕福な家族の女性と恋愛関係を結んだ後で、集団的レイプは、村落の長老によって決定された。村落の長老達は、裕福な家族の名誉が汚されたと考えた。集団的レイプの後、彼女は見物人の前を裸で家に帰るように強いられた。
「私は、権利と正義のための闘争で支持を必要としているパキスタン女性の声なのです」とマイは、アメリカ議会の議員達の前で述べた。彼女が「抑圧」に対して逆らったために、彼女の家族は自分の命が奪われるのを恐れなければならないと彼女は述べた。いくつかの法廷がマイ事件で13人の容疑者を釈放した後、これらの人たちは、今年7月、最高裁判所の命令で再び逮捕された。
彼女が人権団体の前で話せば、外国でのパキスタンのイメージを落とすという理由で、パキスタンの大統領ペルヴェズ・ムシャラフは、もともと6月に計画されていたマイのアメリカ旅行を禁じた。膨大な国際的な抗議の後で、この決定は再び撤回された。ムシャラフ大統領が数名の女性は、レイプを外国へ出国する手段だと考えていると言ったために、9月にも抗議の嵐を呼び起こした。
[訳者のコメント]この事件、確かに一度、新聞か、雑誌で読んだ記憶がありますが、まだ、問題は続いていたようです。同じ村落の中で、家柄に上下の差別があることがこの問題の根底にあるようです。これも一種の復讐法なのでしょうか。人権を問題にする限り、アメリカ議会は、亡命を認めざるを得ないと思います。多文化主義者は、どう言うのでしょうか?
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石油の高騰は何をもたらすか?

2005年02月15日 | 政治と文化
『ニューヨーク・タイムズ』2月13日号に掲載されたトーマス・フリードマンの論説。
『ウオール・ストリート・ジャーナル』の2月10日号のトップ記事によると、イランを支配している保守的なシーア派聖職者達は、今や石油の高騰によって現金の海の中を泳いでいるような状態なので、彼らは外国の投資家を歓迎するどころか、追い出しにかかっているという。トルコの民間の携帯電話会社がイラン初の携帯電話会社を設立する契約を交わしたが、その後、イラン国会によって契約が凍結されたと言う。その理由は携帯電話はトルコや外国のスパイがイランをスパイするかもしれないということであった。スコットランドのセント・アンドリュウ大学のイラン専門家であるアリ・アンサリによると、「イラン政府が海外から投資を必要としなくなった理由は、石油価格の高騰によって、十分な資金を手に入れることできるからである。」
フリードマンによれば、これはまさにブッシュのエネルギー政策のせいである。
アメリカにおけるエネルギー備蓄を改善したり、アメリカのドライバーに1ガロン当たり1ドルのガソリン税を段階的に課したり、再生可能なエネルギー資源を開発したり、デトロイトの自動車メーカーにリットル当たりの走行距離を増やすように要求するようなことをすべて拒否することによって、ブッシュのチームは、テロに対する戦争の矛盾に直面しているのである。われわれは、アメリカ軍に税金を投入しながら、サウディ・アラビアやイランやスーダンのために棚ぼた式の利益を与えているのだ。これらの国々は、石油による収入のお陰で、彼らの経済を開放せねばならず、女性を解放し、学校を近代化するという圧力から免れている。これらの国々は、その代わりに、アメリカが改善しようしている進歩的で多元的な計画に根本的に対立するマドラサ(宗教教育中心の学校)やモスクや過激派に資金援助をしているのだ。
ネオコンの戦略は、イラクやもっと広いアラブ世界における改革の引き金を引くのに必要であったかもしれないが、それはフリードマンが「ジェオ・グリーン戦略」と呼ぶものによってフォローされないならば、十分ではない。「ジェオ・グリーン戦略」とは、「環境保護」と「地政学」とを結びつける戦略で、これが最も「道徳的且つ現実主義的戦略」であると彼は主張している。
もし、ブッシュが彼の威勢の良い説教と政治的資本を使って、国民にエネルギー消費を下げ、ガソリン税を受け入れるように促したらどうなるだろうか。それによって、テヘランからモスクワまでの最悪の政権の中に改革を産み出すだろう。それによって、石油を巡って中国とグローバルな争いになる機会が減るだろう。
「京都議定書」なんかよりももっと気候の変化が減るだろう。われわれを良き地球市民にすることによって、アメリカの立場は劇的に改善される。それによって、財政赤字は縮小するだろう。
しかし、「残念なことにブッシュのチームは、このことを考えようとさえしない」とフリードマンは嘆いている。彼はアメリカの保守派に属する論客だと思われるが、ネオコンなどと違う点は、彼が「環境保護」の問題を極めて重視している点である。そういう人が、ブッシュの間違った政策に対する批判をやっている点に注意したい。
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ロシアから来たユダヤ人

2005年02月06日 | 政治と文化
ドイツの新聞『ヴェルト』の日曜版によると、1980年代の終わりには、ドイツ在住のユダヤ人は、3万人ぐらいに減っていた。1989年にベルリンの壁が崩壊した後、ドイツ政府は、ロシアからドイツへの移住を希望するユダヤ人の移住を認めた。その結果、ドイツに住むユダヤ人の数は、10万人に達している。その90%がロシアからの移住者だと言われている。最近では内務省は、ロシアから移住するユダヤ人の数を制限しようとしている。この傾向に対して、ドイツ在住のユダヤ人の意見は二つに分かれている。ある人たちは、ロシアからのユダヤ人との間に文化的な断絶を感じて、移住制限に賛成している。他方では、この措置によって、ユダヤ人文化のルネサンスを脅かすと言う理由で、移住制限に反対する人たちがいる。ユダヤ系の歴史家ユリウス・シェープスは、移住制限に賛成している。その理由は、新しい移住ユダヤ人には、ドイツのユダヤ人が尊重してきたドイツ文化とのつながりがかけているからである。「このままでは、ドイツのユダヤ人にとっては、ゲーテよりもゴーゴリのほうが大事だということになるだろう」とシェープスは言っている。また、ロシアからの移住者が増えると、シナゴーグではドイツ語よりもロシア語を話す人が多くなり、ロシア語の歌謡のほうが、ドイツ語の歌よりもよりしばしば歌われる傾向にあると言う。あるいは、ロシア系ユダヤ人は、安息日をどのように祝うかということを新たに学ばなければならないそうである。
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