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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「アクマル・シェイクの軽率なビジネス計画とポップ・スターダムの夢」と題する記事。

2009年12月29日 | 人物
ロンドン北部での小型タクシーの商売から、中国北西部の離れた場所での死刑囚監房に到るアクマル・シェイクの旅は、東欧のギャングの一味から軽率なビジネス計画と国際的ポップ・スターダムの夢を含む迷宮のような物語だ。
それは、シェイクが彼の妻と子供達と一緒に住んでいたロンドン北部のケンティッシュ・タウンで始まった。夫婦はテクシと呼ばれる小型タクシーの会社を経営しており、生活は良いように見えた。
 シェイクの以前の弁護士であるブルース・ハイームは、『オブザーバー』紙に、シェイクは、かっては「魅力的なカリスマ的な男だった」と語ったが、合法的なキャンペーン・グループの「リプリーヴ」は、彼には「非常に奇妙な振る舞いの長い歴史」があると主張している。彼の兄のアクバルは、自分の弟は、彼の最初の結婚が終わった、2001年に精神的病気の兆候を示し、「年を取るにつれて、脱線するように見えた」と言った。2004年には、彼はスタッフの女性メンバーに対する性的嫌がらせの理由で告訴され、雇用裁判で未払いの賃金と損害に対して1万ドルの支払いを命じられたと地方紙は書いている。
 しかし、2005年には、シェイクの生活は、更に崩壊し始めた。彼は突然荷造りをして、ポーランドへ旅行し、そこで、彼はそうする資金がないのに航空機製造会社を設立するのだと言明した。金もビジネス計画もなく、航空産業での経験がないので、ベンチャーは、まもなく失敗したが、彼は懲りなかった。
 家族に背を向けて、彼はルブリンからワルシャワまで引っ越した。ある時点で、彼は女友達を手に入れた。彼女は、「彼の本当に馬鹿げたクレージーな行動を心配した」と『オブザーバー』紙に述べた。たとえば、ある時、彼は自分は100万ポンド(1億8千万円)を手に入れたということを示す偽の手紙を彼女に送った。
 それから、彼はEメールのキャンペーンを始め、彼が一度も会ったことのない有名人や政府の高官についての妄想を語り、72ポイントの大きな字体で書かれた無数の文書を打ち出した。2005年以来、ワルシャワにある英国大使館に送られた数百通の彼の手紙は、彼の精神状態を暴露している。「リプリーヴ」が受け取ったメッセージの中で、彼は天使ガブリエルに話しかけ、新聞記者会見を開くことを許されていたら、自分は2005年の7月7日の爆弾(ロンドンのテロ)を失敗させることもできただろうにと説明した。
 あるメッセージは、トニー・ブレア、ポール・マッカートニー、ジョージ・W・ブッシュとBBC放送の「トップ・ギア」を含む74の組織と個人にコピーが送られた。
 しかし、Eメールに含まれたナンセンスの中には、彼が彼の傷つきやすさを利用した犯罪者達に巻き込まれたことを証明する情報があった。あるEメールは、音楽産業で名をなしたいという彼の夢を達成するのを助けようととした、カルロスと呼ばれる人物に言及している。カルロスは、素晴らしいコンタクトを持ち、キルギスタンのプロデューサーを知っており、この人物は、ポップ・スターになりたいという彼の夢を叶えるのを助けるだろうと書かれている。(中略)
 今日、シェイクの歌を録音した二人の男は、シェイクが精神的に病んでいたということをよく知っていた。
 英国人教師であり音楽家であったガレット・サウンダーズは、「シェイクは自分の歌が世界に非常に肯定的なインパクトを与えるだろうと思っていた」と言った。(中略)
 中国の法律は、被告が重大な犯罪で告訴された場合でも、被告の精神状態は考慮に入れられると書かれている。しかし、中国当局は、シェイクを医師によって鑑定して欲しいという繰り返された要請を却下した。今年の五月に開かれた彼の第一回の審理で、シェイクは、法廷で長いとりとめがなく、筋の通らない声明を読むと言い張った。彼のパーフォーマンスは、非常に奇妙だったので裁判官達は笑った。(後略)
[訳者のコメント]この記事を読む限り、シェイクに必要だったのは、死刑ではなくて、精神病院での治療だったと思います。

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「西欧は、中国に骨のあるところを見せるべきだ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年12月27日 | 中国の政治・経済・社会
この10年ほど前から、ドイツと中国とは法治国家についての対話を行ったきた。中国の権力者達が「法治国家」という言葉で何を理解しているかを、彼らは新たに証明した。「国家権力を転覆する諸活動を行った」という理由で、反体制派の劉暁波は、人目を避けた素早い裁判の後、11年の禁固刑に処せられた。
文芸評論家の劉の犯罪は、自分の意見を述べたということだけである。彼の『2008年憲章』の中では、「共産党は、10億の人間を人質に取った」と言われている。党の独裁は、嘘っぱちで、腐敗している。それは中国の魂にとって危険であるだけではない。なぜなら、共産党は、世界中の独裁的政権の重要な支えであるからだ。劉の言うことが正しいということは誰でも知っている。にもかかわらず、ギド・ヴェスターヴェレ連邦外務大臣は、「私は自分の國の開放と近代化の道を継続し、人権を維持するように中国政府を励ます」と言う。
何だって?この政府は、人権を護ることはできないのだ。その独裁制は、人権を踏みにじる点にある。自由な意見の発表は処罰され、インターネットは検閲され、精神治療は、政治的反対者を消すために悪用される。チベットでは、文化的なジェノサイドが行われている。ウイグル族のような少数民族は、その文化的な権利を奪われている。世界のどの國でも、これほど多くの死刑は、行われていない。
 世界中の独裁者は、彼らが石油や他の資源を中国の大食らいの産業のために用立てる限り、中国にごまをすっているのに、民主主義的な台湾は毎日脅されている。国連の安保理では、自国民を虐殺している原油供給国のスーダンのような國を正気に戻すことが問題になると、中国は、議事妨害で目立つ。ついでに言うと、スーダンと中国は一緒に、反帝国主義的レトリックで、コペンハーゲンの気候変動会議を妨害したのだ。
 ヴェスターヴェレ外相が実際に言わんとしているのは、中国は非常に強いので、共産党をまじめに批判することはできないということである。欧州と米国とは、毛沢東の言葉を借りると、「張り子のトラ」である。中国は原爆所有国であり、経済超大国である。それは、輸出選手権でドイツ連邦を追い越した。それは、世界中で最も多い外貨保有国であり、ドルの運命を決定する。それは、欧州の二番目に重要な貿易相手である。
パリのオリンピックの松明行進の際、中国共産党のチベット政策に対する抗議があったとき、中国人達は、フランスのスーパーマーケット「カルフール」に対する「自発的」ボイコットで反応した。世界第二の商業会社はその後降伏し、「自分たちは、中国国民の感情を損なうことは二度としないだろう」と断言した。アンゲラ・メルケル・連邦首相がダライ・ラマを歓迎しようとあえてしたとき、ドイツ産業同盟会長ユルゲン・チンメルマンは、直ちに建設的な対話と「相互の尊敬」の基づく政治に戻るように、首相に要求した。
その際、中国の成長する福祉は中産階級を創出し、そのことによって、遅かれ早かれ、この國を自由化されるだろうという大嘘がまかり通った。だが、それは疑わしい。共産党は、重工業と金融部門をコントロールし、国家を党の利害に従属させている。銀行は、中産階級には、その預金に対して、最小の利息しか与えず、金を大企業に貸し、大企業は、安い利息と安い労働力と人為的に安く保たれた人民元で世界市場に中国製商品をあふれさせている。経済危機になると、農村出の権利のない産業予備軍は単純に田舎に追い返される。中国は、国家独占的資本主義を実践しているのだ。(後略)
[訳者のコメント]この記事を書いたのは、アラン・ポーゼナーという記者です。
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「中国がコペンハーゲンの取引を挫折させたと、私はどうして知ったか」と題する『ガーディアン』の記事。

2009年12月23日 | 環境問題
コペンハーゲンは、完全な失敗だった。それだけは同意されている。だが、実際に起こったことの真相が混乱状態と不可避の相互非難の中で失われ危険がある。真相は、次のとおりだ。西欧の指導者たちが責任を回避して立ち去るように、中国は話し合いを挫折させ、故意にバラク・オバマに恥をかかせ、恐るべき「取引」に固執したのだ。どうして私はこのことを知っているのか?私はその部屋にいてそれが起こるのを見たのだ。
中国の戦略は単純だった。二週間公開の話し合いをブロックし、それから、非公開の取引があたかも西欧が世界の貧困者を救うのに失敗したかのように見せたのだ。
確かに、援助組織や市民社会の運動や環境保護グループは、みな、誘いに乗った。失敗は「富裕な国々が自分たちの圧倒的な責任を背負うことを拒否した不可避の結果であった」とキリスト教援助組織は述べた。「富裕な国々は、低開発国をいじめた」と「地球インターナショナルの友」は腹を立てた。
 すべては予測可能であったが、それらは、真実の完全な反対である。昨日の『ガーディアン』に書いているジョージ・モンビオでさえ、単にオバマを非難するという間違いを犯した。だが、私はオバマが取引を救うために絶望的に戦っていたのを見た。そして、中国人代表団が繰り返し、「ノー」と言うのを見た。モンビオは、「コペンハーゲン合意は少数の国の経済的支配を維持するための自殺協定だ、火葬炉協定だ」と非難したスーダンのルムンバ・ディアピングを満足げに引用した。
 スーダンは、話し合いでは、中国の操り人形として振舞った。中国代表団を公開の会議で戦闘を戦わなければならないことから救った多くの国々の一つだ。それは完全なわなだった。中国は、舞台裏で取引を骨抜きにした。それから取引を救うために、その代理人を公開の場に残したのだ。
 これが、先週、金曜日の夜遅く、2ダースの国の指導者が閉じたドアの向こうで会合したときに、実際に起こったことである。オバマは、イギリス首相ゴードン・ブラウンとエチオピア首相メレス・ゼナヴィにはさまれて、数時間テーブルについていた。デンマーク首相が議長で、彼の右には国連事務総長潘キムンがいた。おそらく国家元首を含んで50人か60人の人がその部屋にいた。
 私が見たものは、非常にショッキングだった。中国首相温家宝は、会議に個人的に出席しようとしなかった。その代わりに、中国外務大臣の交換タイヤのような人物をオバマの真正面に座らせた。外交上の侮辱は、明白で残酷だった。会議の間、数回、中国代表団が彼の上司に電話をするために席を立つと、世界の最も強力な国家元首は待たなければならなかったのだ。
 オバマと裕福な国々を非難する人たちには、このことは明らかだった。あらかじめ2050年までに80%CO2を削減することに合意していた工業国の目標は、取引からはずされた。「私たちはなぜ私たち自身の目標に言及することができないのか」と怒ったアンゲラ・メルケル・ドイツ連邦首相は言った。ケヴィン・ラッド・オーストラリア首相は、自分のマイクロホンを叩くほどうんざりした。ブラジルの代表者達も、中国の立場の非論理性を指摘した。豊かな国々はなぜ、この一方的な削減さえ公表してはいけないのか。中国代表団は、「駄目だ」と言った。メルケル首相が絶望して両手を開いて論点を譲歩したのを私は確認した。今、われわれには、なぜだか分かる。コペンハーゲン合意に野心がたりないことに対してオバマに責任があるということに中国は賭けたのだ。(後略)
[訳者のコメント}外交交渉とはこういうものだということがよく分かる素晴らしい記事だと思いました。外交交渉にかけては、中国人はすごい腕を持っていますね。低開発国の政治家達は、それが見抜けないようです。
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「カーブに遅れを取る道」と題する『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事。

2009年12月23日 | 環境問題
「米国商工会議所」のウエッブ・サイトは、グループが地球温暖化に対する「包括的な立法的解決」を支持すると言っている。だが、この国のこの組織ほどこのような立法を掘り崩そうとした組織は無い。
最後の議会で、会議所は、どちらかといえば穏健なリーバーマン・ウオーナー法案をハリーとルイーズ風のコマーシャルを使って攻撃した。今年、それは温室効果ガスを制限する下院を通過した法律に反対した。会議所は、上院で今週導入されるであろう類似の措置に反対することはほとんど確実である。
会議所は、今度は、二酸化炭素排出をコントロールすることを意図する「環境保護庁」に計画に対して戦争を宣言した。それは、温室効果ガスの排出が人間の健康を危険に曝すという「保護庁」の発見の背後にある科学を問題にする「サルの観察試験」対する要求から始まっている。
何人かの責任ある会議所構成員は、うんざりして脱会しつつある。最初の脱会したのは、「太平洋ガス・電気」会社という大きなカリフォルニア州の公益事業であり、そのCEを務めるピーター・ダービーは、先週、会議所の「極端な修辞的妨害戦術」を非難した。「PNM資源」と「エクセロン」という二大公益事業も、類似の理由でこの組織を離れるという意図を声明した。
脱会を止めてはいるが、「ジョンソン&ジョンソン」は、会議所の行動を批判した。
ある人たちは、これはマーケッティング戦術以上の問題だと示唆した。
これらの企業は、「米国気候行動パートナーシップ」のメンバーであり、これは今年初めに下院の法案作成を助ける排出制限案を提出した企業と環境保護団体との連合体である。彼らは二酸化炭素ガスを含んだ世界が来つつあるのを見て、上昇カーブを出し抜こうとしており、会議所のように、カーブに遅れを取る気はないのだ。
[訳者のコメント]2009年9月30日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説です。あるグループに教えられてこういう記事を見つけました。日本でも同じような事情があると見て良いのではないでしょうか。環境保護派がんばれ!
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「コペンハーゲン会議の後の連邦首相の無力」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事

2009年12月21日 | 環境問題
コペンハーゲンの気候変動サミットは成功ではなく、小さい成功ですらない。だからと言って、アンゲラ・メルケルが警告しているようにその成果を否定することは出来ない。このサミットの成果は決してはっきりとは示せないと彼女は言う。
コペンハーゲンの挫折は、包括的である。その帰結は、人間によって作り出された地球温暖化に対して世界共同体は何をする用意があるかという問いをはるかに超えている。193の国家や政府指導者の会合は、世界政治の継続に対する中国とインドの影響を見せつけた。それは、米国の本当の援助がなければその目標を貫くことができないというヨーロッパ人の無力を明らかにした。準備不足で拙劣に組織された世界気候会議の結末によって、ドイツでは付随した損害が憂慮されている。
二年間の準備と二週間の集中した交渉にもかかわらず、世界共同体は、具体的な問題ではあまり一致しなかった。「コペンハーゲン合意」と銘打った会議の記録でさえ、総会では結論されず、「承知しておく」に過ぎなかった。国際外交の用語では、決してこれ以上敷居が低かったことはない。
その際、この文書でさえ、内容の乏しさの点で水準が引き下げられた事はない。確かに、地球の気温の上昇を摂氏二度以下に抑えるという目標は掲げられている。だが、どの箇所で、如何にして、いつ、誰によってその目標が到達されるべきかは言明されていない。ヨーロッパ人が決定してほしいと望んでいたあらゆる基準が欠けている。炭酸ガスの世界中での排出を下げるための目標は存在せず、2050年までに排出量を50%下げるという努力ははるか遠くに押しやられた。欧州連合や日本のように、京都議定書に従わない国々にとっては削減基準値は存在しない。せいぜい、検証抜きの自発的告知だけが存在している。
CO2の最大の排出国である中国、米国、インド、ブラジル、南アや他の国々は、国際的な削減目標に関わりあうことを望んでいない。これらの国々は、国際法上の拘束力ある条約の中に書き込まれることを望んでいない。そのことを彼らは、会議の前に宣言していた。小さな島国を保護するという告白や、子供や子供たちの子供の福祉に対する誓約にもかかわらず、彼らは、この線を固持したのだ。(後略)
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「世界気候に対する死亡援助」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2009年12月20日 | 環境問題
成果は、実際は違って見える。コペンハーゲンでの交渉は、妥協ではない妥協で終わった。二酸化炭素ガスの削減に対する拘束力のある基準を決めるという目標は失敗した。
確かに、後進国に対する先進工業国の財政的技術的支援は、あるそうだ。だが、それは、具体的な取り決めではない。そうすると、国際外交に関して、気候研究者たちも冷静な評価に到達するということは不思議ではない。
「コペンハーゲン会議は、世界気候に対する死亡援助に似ている」と「ライプニッツ海洋学研究所」の気候研究者であり気象学者であるモジブ・ラティフは言う。「政治は、それ自身の基準から見ても壮大な仕方で失敗した。」彼の同僚のあるものは、同じような評価にたどり着く。「いわゆるコペンハーゲン合意では、具体的なことは何も含まれていない」と「マックス・プランク気象学研究所」所長のヨッヘン・マロツケは言う。「恐らく、いくつかの国々の全く正しい憂慮は、大きな役割を演じる。その際、われわれがそれではわれわれの気候を破滅させるということは確かだ。これは、本当の問題だ。」
失敗の原因を、気候学者たちは、国際政治において確立された阻止態度にもあると考えている。「そこで演じられたのは、気候ミカドに似ている。動くものはそれだけで、失敗だというモットーによれば、コペンハーゲンでははるかに多くのことがあった」とポツダムの「気候結果研究所」のオットマール・エーデンホーファーは言う。彼は「世界気候顧問委員会」で「気候変動の回避」という研究グループを指揮している。「現在の形での『気候会議』は、根本的に改革されなければならない。」その際、エーデンホーファーは、デンマークの交渉指導と準備とを批判している。来年、メキシコ市で開かれる世界気候会議ではもっとましな成果が招かれなければならない。
だが、多分、気候サミットの大きさも先進国の最小の譲歩に対して責任がある。ほとんど200カ国がコペンハーゲンに集まり、1万5千人が互いに議論しあった。「この規模の大きさでは、多分何も去れない」とラティフは言う。にもかかわらず、各人が自分の寄与をせねばならないという事実は国際的に何とか貫かれねばならないと彼は言う。
気候研究者のハンス・フォン・シュトルヒにとっては、結果はあまり驚くべきことではなかった。「交渉の間、その前にも、排出目標に対して幻想的な数字が扱われた」とハースアハトにあるGKSSの学者は言う。コペンハーゲンでの交渉よりも、全く別の問題のほうがずっと不安にするものである。「われわれがどうのように現在の気候危険に適応するのかという問題はあまりに僅かしか議論されなかった。」そのことを示しているのは、ビルマで、2008年に10万人以上の人間を死に追いやったサイクロン・ナルジスの取り扱いである。「このような展開は、今日まで心配されたことは無い。」(後略)
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「オバマの演説は失望させ、コペンハーゲンの不満に火を注いだ」と題する『ガーディアン』紙。

2009年12月19日 | 環境問題
自分は気候変化に対して世界が「大胆に決定的に」行動すると確信していると言うことによって、オバマ大統領はコペンハーゲンの気候サミットの混沌とした最後の時間に踏み込んだ。だが、世界中の指導者たちが二年間の無駄な努力を防ぐための合意についての報告をまとめようと絶望的に働いた後で、彼の演説は、米国が本当に大胆な措置を包括する用意があるという何らの兆候を示さなかった。
 それが外交上の成功だと見なされるなければ、全くコペンハーゲンに来ることについて引っ込み思案だったオバマは、世界の指導者たちの前に現われたとき、目に見えて失望しているように見えた。米国は、後進国を気候変動に適応するのを助けるために、1億ドル(90億円)の基金を援助できるというヒラリー・クリントン国務長官の言明を超えて、CO2の削減や貧しい国々の財政援助するというそれ以上のコミットメントを提案しなかった。彼は環境組織が数ヶ月前から要求していた気候変化のための立法を前進させるように上院に圧力を加えることさえしなかったのだ。
今朝、『ガーディアン』紙が入手した草案は、強力な取引を達成するために世界の指導者たちがコペンハーゲン・サミットの最終段階で必要とした大きな進歩を明らかにしている。草案では、「諸国は、2度の温暖化を制限するべきだが、そうするように各国を拘束はしないと言われている。28カ国の指導者の選ばれたグループによって書かれた草案は、2010年にメキシコ市で開かれる気候変動に関する国連の総会までにもう一年間話し合いを延長するように提案している。
彼の演説で、オバマは、米国が自分の行政府の「クリーン・エネルギー・アジェンダ」に基づいて最後までやりぬくだろうと言った。
「われわれは、われわれのコースを描いき、われわれは約束をした。われわれは自分が言っていることをするだろう」とオバマは、言った。
だが、その約束の証拠がなければ、言葉は空しく聴衆の中には明らかに落胆の色が見られた。
その代わりに、彼は彼らが弱い合意だと見ているものに抵抗してきたアフリカや海抜の低い島国に対して、代替案が遅れることは、もっと悪いだろうと警告した。
「われわれは何十年も断層線によって拘束されてきたゆえに、それを知っている。だが、ここには最低線がある。われわれは合意を受け入れることができ、実質的な第一歩を進め、それを精密化することができる」と彼は言った。
「それとも、数年間も行動の道に立ちふさがっていた同じ分裂に立ち戻ることによってわれわれは遅滞を選ぶこともできる。そうすると、われわれは何ヶ月も何年もかかって、同じ陳腐な主張をすることに戻ってしまう。その間に、気候変動の危険は、後戻りできないものになるだろう。」
彼は、世界で最大の排出国としての中国の地位に注意を引き、温室ガス排出に対する責任問題へと米国の強行路線を固めることによって、中国に対しても当てこすりを言った。(後略)
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「日本は大ショックを目前にしている」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年12月15日 | 日本の政治と経済
日本政府の官房長官にとっては嬉しくない日だった。先週、水曜日、平野博文官房長官は、経済成長の数字が大きすぎたと告白せねばならなかった。7月から9月までに日本経済は、5%ではなくて、1.3%しか成長しなかった。深い景気悪化の急速な終結に対するあらゆる希望を挫く、根本的な訂正の主要な理由は次の通りだ。期待に反して、企業は、2009年夏に投資を増やさず、経費を節約した。急落後の情けない成長は、世界第二の規模を持つ国民経済にとって唯一の悪い知らせではない。既に11月末に、鳩山由紀夫首相は、デフレがやってきて、物価が下落しているということを認めた。藤井博久財務相は、税収は予想よりも遙かに少ないと白状した。戦後史で初めて日本は、新たな借金によって財政を補わなければならない。そうでなくても世界最高の国家財政の赤字は、ウナギ登りである。モルガン・スタンレー・アジアのアナリストであるスチーブン・ローチは、ブルームバーグに対して日本の「第二の失われた10年」について語っている。その際、最初の失われた10年のショックは、日本人の骨身に沁みている。爆発的な国家財政の赤字は、この危機の間に蓄積された。80年代は、日本はまだ、経済的には傷ついていなかった。しかし、1991年以後、不動産価格と株価の下落が続いた。1997年から98年にかけて、信用危機が襲い、銀行や企業は数百兆円の不良負債を抱えていた。
この危機の中で、以前の長所は、危険な弱点であることが暴露した。特に、官僚・産業界・金融機関の間に結ばれた編み目の中では、競争の排除と同様、系列化も普通だった。その上、中小企業の低い生産性が加わった。
バブルの崩壊と経済の破綻の後で、日本銀行は、8%nの公定歩合を引き下げるのに、一年半の間ためらっていた。負債の山を抱えた企業と密接に結び付いていた自民党は、2002年末に真剣にコンツェルンの帳簿を整理し、銀行を国有化し、他の金融機関を破産させ始めた。1992年から2005年までに、日本の銀行は、概算8千億ユーロ(100兆円)の不良債権を帳簿から落とした。それは、毎年の価値創造の20%に相当する。
景気の落ち込みを和らげるために、政府は、90年代の初めに沢山の景気浮揚策を決議した。日本政府の内閣府によると、その費用は、1991年から2008年9月までに490兆円を要した。だが、この景気浮揚策は、将来性のある企業やプロジェクトに投入されず、道路や余計な橋の建設に投入された。プログラムは、大きな恐慌を防いだが、後に莫大な借金が残った。(以下省略)
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「ヘルクスハイムの人間屠殺者」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年12月08日 | 教育と科学技術
どうやって、牛は解体されるか?まず、骨から肉を切り取る。その上、鋭い刃物で関節の筋肉を切断する。すると、筋張った肉はうまく、上から下へとこそげ取られる。筋肉を取り除いた後で、まだ、多くの良いものが残っている。背骨や長い骨の奥には髄がある。おいしいものにありつくために、骨が粉砕され、髄が取り出されるか、熱湯の中に煮出される。残っているのは、掻き傷や掻き取り傷のついた骨の山と髄を含んだ頭蓋骨のかけらである。
まさに、こういう骨の巨大な山を考古学者たちはラインラント・プファルツ州ヘルクスハイムの中石器時代の住居を発掘した際に見つけた。牛の骨が問題なのではなかった。そうではなくて、研究者たちは、約500人の人間の肉を掻き取られた骨の残骸を見つけた。その際、発掘者たちはまだ、その場所の半分しか発掘していない。「私たちはこの二倍ぐらいの死体が出てくると予想している」とラインラント・プファルツ州文化遺産研究所シュパイアー出張所のプロジェクト指揮者アンドレア・ツェーブ=ランツは言う。
 これは、現在のヘルクスハイムにある石器時代住居のようなちっぽけな田舎にしては、多数の死者である。なぜならば、ここには、紀元前5千年から4950年までの帯状土器文化の最後の時期に、せいぜい10軒の家しか立っていなかった。死者は、土着の人間ではなく、ヨーロッパ全体からやってきた。今日のパリやモーゼル河畔や400キロ離れたエルベ峡谷からやってきた。このことを示しているのは、彼らのあばら骨の間に挟まっていた土器のかけらである。それはある人間集団全体にその名前を与えたいわゆる帯状土器である。それには、まだ湿っている粘土の表面に押し付けらた帯状模様が施されている。
よそ者は、故郷から非常に繊細な土器を持って来た。多くの場合、彼らが死者とともに墓に入れた土器よりももっと綺麗だ。だが、容器はこなごなに壊され、骨の間にばら撒かれている。乳鉢や石ナイフも同様に粉砕されて溝に埋められている。
考古学者のブルーノ・ブーレスティンは、骨を綿密に調べた。その際、彼が遺跡の複合の中で発見したものを、彼は同僚とともに、専門誌「古代」の中に発表した。それによると、10体の骨が1,906個に砕かれている。そのうち二体は、新生児あるいは、死産児であり、一体は、妊娠34週から36週の胎児、二体は、六歳と十五歳の子供、六体は成人である。
彼らはいずれも解体の専門家によって解体された。しかも切断面が示しているように、骨がまだ新鮮であるときに解体された。ブーレスティンにとっては、推理は明白である。これらの人骨は、された動物と同じ傷を示している。ヘルクスハイムの死者は、専門家によって、食べ物として用意されたのだ。骨に残る痕跡は、死体が鉄串に突き刺して炙られたことを推測させる。この点で彼は、肉は埋葬儀式の枠内で骨から切り取られたのであって食べられたのではないという他の研究者の推測に反対している。(以下略)

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「イスラム教国でのキリスト教徒の運命」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年12月07日 | イスラム問題
イスラム世界は、またもやショックを受けた。モハメッドの戯画、レーゲンスブルクでのローマ教皇の説教、そして、今度はスイスにおけるミナレットの禁止というわけだ。宗教的に動機付けられた憤激のキャンペーンがいつでも発動可能である。トルコの外務省は、先週火曜日に、国民投票で人権と基本的権利とを傷つけたとスイスを非難した。
トルコ大統領アブドラ・ギュルも、ミナレットの反対決定を「スイス人の恥じ」だと鞭打った。この投票は、「どれほど西欧世界のイスラム嫌いが広まっているか」を示したと彼は言う。レセップ・タイイップ・エルドアン・トルコ首相にとっては、国民投票は、「ヨーロッパにおける増大する人種主義的ファシズム的態度」の表現である。
「宗教と意見の自由は、投票にかけられてはならない人類の基本的権利である」とトルコ議会でエルドアンは述べた。
 キリスト教徒のアルメニア人に対する虐殺の否認を国是としている国を支配している政治家のこのような激しい発言をどれほど真面目に取ったらいいのか?しかも、トルコは、宗教的少数派に対して自由な宗教的実践を拒んでいる国なのだ。
 自由なスイスにゆがんだ鏡を突きつけているのは、最も不寛容なアラブ人国家である。サウディ・アラビアの「イスラム会議機構」は、スイスの国民投票の後で、直ちに「人種主義的極右の政治家たち」による「反イスラム的扇動」だと発言した。
 エジプトの最高の法律学者であるアリ・グマは、ミナレットの建設禁止の中に世界中のムスリムに対する侮辱を認識したがっている。イスラム化の大波に洗われているインドネシアでは、国民投票を「ムスリムに対するスイス人の憎悪の表れ」だと見なした。
 このヒステリーは、西欧に対する増大する優越感の表れか、それとも、イスラム原理主義の攻勢が始まっていることの警戒すべき兆候であるのか?
 イスラム世界では、キリスト教徒は、大きく差別されており、死で脅かされている。プロテスタント系の通信社が出版した『殉教者2008』は、イスラム教で形成された6っつの国をもっとも攻撃的な宗教的弾圧をする10の国家のうちに数えている。最悪の例は、イラクで、ここでは6年前のサダム・フセインの没落以来、数千人のキリスト教徒が殺され、何十万人かが急いで国外に脱出しなければならなかった。今年だけで、7つの教会への放火とキリスト教徒に対する襲撃によって、何ダースかの人間が命を落とした。
 このような暴力の行き過ぎから見ると、トルコにおけるキリスト教教区の状況は、あまり脅かされていないように見える。もっとも、過去数年間に、熱狂的なスンニー派による司祭や教団の尼僧や宣教師に対する残虐な殺害が重なっているのだが。
 公式には、トルコでは、宗教の自由が支配している。だが、あいかわらず、多数の差別が存在する。たとえば、牧師や宗教教師の養成は国家によって禁じられている。キリスト教徒の学生は、神学をイスラム神学科で学ばねばならず、牧師は、トルコ国籍を持っているか、外交官であることが証明できなければならない。古い教会の修復は、法的な措置で難しくされており、教会の財産の没収は日常茶飯事である。
 キリスト教徒は、宗教的儀式の自由を享受しているムスリムにたいして、根本的に差別されている。聖書や宗教的論文は、街頭で配布されてはならない。街頭での行列やキリスト教的祭りは禁じられている。役所はキリスト教系のラジオ局に基本的に認可を与えない。(後略)
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「覚醒運動の指導者、イラクで逮捕される」と題する『ロサンジェルス・タイムズ』の記事。

2009年12月06日 | イラク問題
 殺人容疑での逮捕を免れようとしてきたスンニー派の半軍事組織指導者は、イラク国軍によって収監されたと権威筋は月曜日に語った。
 ムスタファ・カマル・シビーブ陸軍准将は、先週、2007年にバグダッドのドラの近隣で殺された「イラク・アルカイダ」グループの5人の死との関連で拘置された。その事件では、シビーブは「覚醒」という呼び名で知られた半軍事組織を指揮していた。
シビーブの軍隊はその年、ドラとジャブールにいたアルカイダを掃討する際に、鍵となる役割を演じた。それまで、テロリストたちは、この集落から、数十台の自爆自動車を繰り出して、首都バグダッドを攻撃していた。
 木曜日に、イラク内務省のエリート集団がこれまで彼の逮捕を妨げてきた駐留米軍や国軍の知らない間に、シビーブを逮捕した。
 米軍は、シビーブに弁護士を雇い、法廷内でこの殺人事件について争うように忠告すると同時に、彼が収監されないように働きかけてきた。彼らはシビーブが逮捕されるか国外に逃亡すると、「イラク・アルカイダ」がその隙間を埋めることを心配している。
 シビーブは、彼のグループが国内に秩序を再建するのを助ける役割を演じたのに、「覚醒運動」の指導者を法廷での追求から守るのに失敗したと軍事筋を非難した。
米国官憲は、「覚醒運動」の兵士を国家治安部隊や他の仕事に組み込むというイラク政府の約束を指摘している。しかし、シビーブと他の人々は、この約束に慰めを見出さなかった。その代わりに、彼らは彼らの仲間の覚醒運動の指導者の継続的な収監を見た。「イラク・アルカイダ」と戦うために反政府勢力を離脱した多くの人たちは、自分たちが免責されていると信じていた。
 『ロサンジェルス・タイムズ』とのインタービューで、シビーブは、自分の無罪を主張し、法廷で殺人容疑と争うと宣言した。その間、彼は議会筋に働きかけた。
 スンニー派の議員であるオマール・アブドル・サッタルや他の議員たちは、シビーブの逮捕を非難した。「『覚醒運動』の指導者を標的にしたこの動きは、イラクにおける政治的治安的状況に非常に否定的な影響を及ぼすだろう」とサッタルは述べた。
[訳者のコメント]スンニー派の武装集団に対する恐怖がシーア派政府の中にあるのでしょうか?第二のサダム・フセインの出現を避けようとしているのでしょうか?
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「一人の男と一匹の動物」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年12月05日 | テロリズム
イスラムの犠牲祭りは、丁度終わったところだ。ヒンズークシュ山地のムジャヘディン達もそれを祝った。犠牲動物のを含めて。数日前、トルコの聖戦士のウエッブ・サイトで公開された一連の写真はそのことを報告している。画像には、ドイツ人のエリック・ブライニガーの姿も見られる。このザールラント出身のイスラム過激派は、2008年の半ば以来、アフガニスタンに駐在していると推測されている。彼について生きているという証拠は、2009年8月に合った。
今、ブライニガーは、アフガニスタン風の衣服を着て、羊と牝牛といっしょに写っている。その際、彼は寄贈者の名前を書いた大きな紙を高々と掲げている。その名前は、「アブ・カカ」と「ハッカイ・シハド」と読める。全部で18枚のこのような写真が保存されているが、その多くで、子供か大人が寄贈者の名前を高々と掲げている。
他の写真では、去れた動物が解体される模様を写している。ドイツの公安当局者は、撮影は本物だと見なしている。
ブライニガーは、メーデバッハ=オーバーシュレードルンでのザウアーラント・グループの劇的逮捕の二日前、2007年9月2日に、まず、エジプトへ旅行した。2007年11月に彼はさらに同様にドイツ出身の過激派フッサイン・アル・Mとドバイ経由でイランに入国、そこからアフガニスタンへ入った。2008年3月にブライニンガーは、自分の妹にe-mailで自分がパキスタンの山の中におり、これからアフガニスタンに行くつもりだと伝えた。
もともと、彼はザウアーラント・グループを指揮していた「イスラム・聖戦同盟」(IJU)のメンバーであった。ブライニガーは、IJUのビデオに何度か登場し、ドイツ在住のムスリムたちに自分と同じことをするように呼びかけた。最後は2008年10月だった。
もっとも、実際の公開ビデオでは、IJUとの関係は述べられていないが、ドイツの情報機関のアナリストたちは、だからといって、ブライニガーがもはやIJUに属していないとは考えていない。その可能な理由は知られていない。同様に、彼の現在の滞在地、あるいは彼が現在所属しているグループも知られていない。
[訳者の感想]名前は全くドイツ系で、写真に写っている顔もコーカサス系で、トルコ人かアラブ人のようには見えません。珍しいケースだと思います。
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