海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「失われた知識を追い求める人たち」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年08月30日 | 教育と科学技術
(前略)アレクサンドリアの図書館が焼失したという出来事の混乱の中でどれほどの知識が失われたか、今日ではもはや測ることは出来ない。失われたと思われているのは、ソフォクレスの著作であり、ギリシャ語で書かれた『新約聖書』の写本である。聖書研究にとって啓示となりえたパピルスや羊皮紙である。古代のアインシュタインと言われるキュレネのエラトステネスの著作はすべて失われた。彼は地球の周囲の距離を測った最初の自然科学者だった。アレクサンドリアの図書館の蔵書数は、49万巻だったそうだ。これは、12世紀のビザンチン帝国の学者であったヨハネス・ツェツェスによって確認された。この遺物のうちほとんど何も残っていない。オックスフォード大学の歴史家ナイジェル・ウィルソンの推定では、古代の著作の約1パーセントだけが今日まで生き延びた。
ワルシャワ大学の考古学者グレゴルツ・マイヒェレクがアレクサンドリアの古代の市壁の内部の建築物のない最後の土地を調査した2003年11月に、古代の知識に新しい光が当てられた。近代的な大都市のど真ん中にこんな土地が存在したことは、奇跡である。ナポレオンの軍隊は、古代の地面の上に要塞を建てていたが、それは後にイギリス人やエジプト人たちによって利用され、拡張された。1950年代になって、この要塞は放棄された。それはマイヒェレクが10年間の発掘作業で見出したのは、遺跡の上にある遺跡だった。要塞の壁の下に色モザイクのついたローマ時代の屋敷が現われた。
最初は、マイヒェレクには、一連の四角い部屋しか分からなかった。どの部屋も昔の大通りに出る入り口があり、真中には馬蹄形の石のスタンドがあった。この発見が告知された際には、アレクサンドリアの図書館が発見されたという考えが浮かんだ。2004年5月のカリフォルニアでの記者会見において、「エジプト考古庁」長官ザヒ・ハワースは、この廃墟は図書館の一部、古代世界で水プールと見なされたあの伝説的施設の一部だと断言した。「このようなギリシャ・ローマ時代からの複雑な勉強部屋は、地中海圏では、これまで一度も発見されたことはなかった。」これらの教室には5000名の学生を注要することが出来た。「多分世界最古の大学だ」とハワースは言う。(中略)
 1980年代にオスロ大学のクヌート・クレーヴェとブリンユルフ・フォッセとは、膠状の物質をパピルスの巻物の上に載せる技術を開発した。しばらくすると、物質は固まり、巻物を注意深く広げることが出来た。
真っ黒なパピルス表面の文字を解読する際にも巨大な進歩が目指された。パピルス学者の目を助けるのは、赤外線技術である。ミラノ研究大学の物理学者は、解像力の高いディジタル・カメラを開発した。それは、赤外線照射によって、人間の目には感じられない線や記号を認識する。その際、赤いインクで書かれた文字は、赤外線を吸収するが、パピルスは、それを反射する。こうして、上に書かれた記号や訂正も目に見えるようになる。
この方法のおかげで、ナポリの近郊のヘルクラネウムから見つかった150件の遺物が読むことが可能になった。それで、研究者たちは、ガダラのフィロデモス(110-40 B.C.)という哲学者のこれまでは知られていなかった著作を解読した。それらは、エレアのゼーノーンの比較的古い学派への一瞥を可能にする。フィロデモスは、ヴィルギリウスやキケロやルクレチウスの知人であった。これらの学者の影響が再発見されたテキストの中に辿れるかどうか、古典文献学的な分析が初めて示さネバならない。(後略)
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「金融危機によって、10兆5000億ドルが失われた」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月29日 | 国際経済
経済学者のジョセフ・スティーグリッツが、2008年8月に、金融危機はまだしばらく続くだろう、そして損失は1兆ドル以上に達するだろうと警告したとき、このノーベル経済学賞受賞者は多くの方面から何を言うことやらという反応しか得られなかった。多数の政治家、銀行家、経済人は、それまでに、いくつかの銀行と不動産部門を襲った金融危機は、間もなく、過ぎるだろうと確信していた。「金融市場での諸条件は、次第にまた正常化する」と欧州中央銀行総裁のジャン・クロード・トリシエは、一年前に述べた。
それから何が起こったかは、よく知られている。9月15日に、米国の投資銀行リーマン・ブラザースが破産した。その破産は、金融システムを地獄に引きずり込んだ。世界は、ショックを蒙り、金融機関は相互の不信から、金を貸さなくなった。銀行が次々に困難に陥り、政府の介入と中央銀行の介入にだけが、金融システムを崩壊から救った。
金融危機の次に、グローバルな経済危機が起こった。それは1929年の大恐慌に匹敵するもだった。国々は次々に経済成長の下落を経験した。そういうわけで、ドイツのGDPののびは、今年はマイナス6%に達する。
 スティーグリッツ教授の予測が正しかったら良かったのにと思われるかも知れない。なぜならば、危機は、1兆ドルではなくて、遙かに大きな損害をもたらした。それは、「コメルツ・バンク」が『ヴェルト・オンライン』のために仕上げた計算によれば、損失額は、2009年末までに10兆5000億ドルに達するだろう。2007年第三4半期以来、銀行や他の金融機関の倒産総額は、1兆6000億ドルに及ぶ。計算は、ブルームバーグの情報に基づいている。米国と英国の住居不動産の価値喪失額は、2009年末までに、4兆6500億ドルに達する。最後に2008年と2009年の世界経済の落ち込みは、「コメルツバンク」の計算では、4兆2000億ドルに達する。この銀行は、危機がなければ、世界経済は、それ以前の年の平均値を保ったであろうと仮定している。実際、2008年の成長率は、低く、2009年には、60年前から初めて、縮小した。「コメルツバンク」の計算では、全体で、10兆4,730億ドルが失われたことになる。そのうちドイツが貢献した金額は、2,370億ドルである。そのうち1,040億ドルは、ドイツの銀行の帳消し額であり、2008年と2009年の低い経済成長によって、国内総生産は、1,330億ユーロだけ減少した。「われわれがGDPで測っている収入減は、驚くほど大きい」と「コメルツバンク」の主任経済アナリストであるクレーマーは言う。「収入減はまだ長いことわれわれにつきまとうだろう。
それ故、喪失額は将来更に増大するだろう。なぜならば、将来の押さえられた世界経済成長は、計算の中にまだ入れられていないからである。銀行はその財務報告においてまだ旗竿の終わりまでは到達していない。国際通貨基金は、不足額は、2010年の終わりまでに、40億ドルにまで達するだろうと恐れている。このシナリオが的中すると、銀行はこれまでにその不良債権を半分しか償却していない。
にもかかわらず、希望のきっかけが存在するとクレーマーは言う。銀行は既に1兆3000億ドルの資本金を受け入れ、その資本金の不足の80%を補った。米国の不動産市場も安定化しているように見える。住宅価格はもはや下落しない。景気は下降を止めた。「これに成功したということは、すごい結果であって、決して自明ではない」とクレーマー言う。

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「オランウータン、故郷を失う」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年08月24日 | 環境問題
まだ11年ある。その後、5万匹のオランウータンと象はボルネオ島にはいなくなるかもしれない。自然保護団体WWFの最も最近の予測が当るとすると、ボルネオ島の熱帯雨林は2020年までに完全に伐採され尽くされている。「状況は劇的だ。多数の動物たちはひどく危険に瀕している」とWWFのスポークスマンであるクリスチアン・プレープは言う。
自然保護者たちは、2003年から2008年までの衛星写真を評価し、一年につき、100万ヘクタールの森林が消えていることを確認した。これは、メクレンブルク=フォアポンメルン州と同じ面積である。「森林の喪失は、この20年間にこれまでなかった規模に達した」とプレープは言う。1985年以降の平均値は、86万ヘクタールである。
ボルネオ島は、ドイツ連邦共和国の二倍の面積をもっていおり、地球上では、グリーンランドとニューギニアについで三番目に大きな島である。この島の土地は、インドネシアとマレーシアとブルネイ侯国とに分かれている。住民の多くは、非常に貧困であり、森林の木は、最も大事な資源であり、収入源である。ボルネオ島は、19世紀の半ばまでは、ほとんど完全に森林に覆われていた。
特に悪いのは、マレーシア領のサラワクである。ここでは、毎年、27万ヘクタールの森林が伐採されており、所管の役所は、それをごまかそうとし手いる。「サラワクの政府は、数年前から、森の数を公表しているが、それは現実とは全く一致していない」とWWFのスポークスマンは言う。林野庁は、毎年の伐採量を5万ヘクタールだと述べている。
ブルネイ侯国だけが肯定的な報道ができるように努力している。そこでは、森林の60%が、国家の保護下に置かれている。だが、このサルタン王国は、ボルネオ島では一番小さな国である。インドネシア領とマレーシア領では、ブルネイの二倍も広い区域の森林が伐採されている。
「森林伐採がこれいじょう野放しされれば、2020年には、森林は完全に消滅するだろう」と熱帯雨林の専門家であるマーカス・ラデイは言う。「それは種の多様性とっては、非常に危険である。なぜならば、この高度300メートルまでの地域だけで、オランウータンは、餌になる果実を十分に持っている。しかし、これ以上森林が伐採されれば、オランウーウータンの生息域が消えるだけではない。象やテングザルやサイも生息できなくなる。
ボルネオ島の熱帯雨林にとって最大の脅威は、プランテーションへの変貌である。もっとも多くの木は、油椰子の巨大な単一栽培に変えられる。インドネシアとマレーシアだけで、パーム油の85%を供給している。パーム油は、工業国では、チョコレートや石鹸や発電所で使用されている。(後略)
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「中国の警察は、すべての人を監視しようとしている」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2009年08月22日 | 中国の政治・経済・社会
カメラは官庁、空港、駅を超えて広がっている。それらは銀行や病院にもすえつけられた。エレベーターにも取り付けられている。「大きな兄弟が君を監視している」というオーウエルの『1984年』の中の言葉は、中国ではますます当てはまる。この小説が描き出した未来は、人民中国創立60周年の二月前に、現実になった。
警察庁は、これまで、秘密にされてきたデータを成功の証明として公表した。中国の諸都市では、26万8千件の監視警報システムがこの十倍のカメラとともに据え付けられている。275万台のカメラは、すべての潜在的悪漢を監視している。
中国の豊かな省である広東省は一番多くのカメラを持っていると、治安問題に詳しいジャーナリストのディン・ザオウエイは、主張している。2009年には、広東省では、92万台以上のカメラが据え付けられたが、広東省はそれに対して、10億ユーロ(1兆3500億円)を支出した。2010年には、監視カメラの数は、100万台に達するだろう。首都の広州市では、25万台のカメラが監視している。そこでは、1万8千人の要員が三交代でモニターの画像を追跡するのに従事していると治安当局のウエッブサイトには書かれている。
首都北京には27万台以上のカメラが据えられている。もっとも、オーウエルの故郷である英国では、もう少し先を行っており、英国全土では、400万台のカメラが設置されている。しかし、英国では、それに対する賛否も公的に戦われており、カメラの密度が本当に犯罪件数の減少に貢献しているかが論じられている。これに対して、中国では、建設にまだ熱心である。2003年以来、治安当局は、それ以前の20年間よりも、諸都市にもっと多くの政治的監視システムを設置したと自慢げに報告している。(後略)
[訳者のコメント]世界中に監視カメラ網が張り巡らされているような気がしてきました。
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「ドイツの教育システムには、良い点がついた。」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月21日 | 教育と科学技術
長年のピサ(OECDが3年毎に行う15才の生徒の学習到達度調査)の結果によると、やっと、ドイツの教育制度に対する良いニュースが聞かれる。長期研究である『教育モニター2009』は、「新しい社会市場経済」(INSM)の依頼で行われた。ザクセン州を先頭に、チューリンゲン州、バーデン・ヴユルテンベルク州、バイエルン州、ニーダーザクセン州がそれに続いている。ランキングのどん尻は、ベルリンである。
連邦教育相のアネッテ・シャヴァン(CDU)は、この研究報告を来たるべき数年間のための勇気づけられる分析であると評価した。社会民主党の大統領候補者フランク・ヴァルター・シュタインマイヤーは、連邦の教育政策に対して連邦がもっと多くの権限をもつことを要求した。(ドイツでは各州の文部省が州の教育に責任と権限を持っている。--訳者注)肯定的な結果にもかかわらず、雇用者と地方公共団体は、さらなる教育投資をするよう警告した。
「新たな社会的市場経済」の依頼で「ドイツ経済研究所」によって作成された『教育モニター2009』は、102の指標に基づいて教育制度の経済的効率を評価した。特にクラスの大きさ、教育修了者の数、勉強期間などが考慮された。
 過去五年間に、明らかな改善が見られる。どん尻のベルリン市は、現在の2004点で、五年前なら、先頭を占めていただろう。教育の分野ほど多くの改革がなされた分野はないと、INSMの支配人のマックス・ヘーファーは述べた。その際、ある州の経済力は、その州の教育の質を決定していないと言った。
 ランキングのトップを占めているのは、ザクセン州とチューリンゲン州だが、この両州の総生産は、連邦の平均を下回っている。成績が向上した原因は、授業を時間的に引き締めたことにある。しかし、また、学校の質と授業の国際化は、明らかに改善された。
 ザクセン州における教育システムが高く評価された根拠として、INSMの報告書は、自然科学を挙げている。この教科では、ザクセン州の子供達は、「世界級」である。それゆえ、この州は、ドイツの技術者を生み出す母体となっている。
 雇用者と地方公共団体とは、プラスの結果にもかかわらず、さらなる教育への投資をするように警告している。「都市と公共団体連合会」は、相変わらず40万人の長期失業者は、義務教育を修了していない。「教師がたりない。授業の休講は、劇的な結果をもたらしている」と彼らの声明は述べている。アネッテ・シャヴァン連邦教育相は、「来るべき被選期間には、教育は大テーマになるだろう」と述べた。
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「カルザイ、選挙の協力者として軍閥ドスタムにゴマを擂る」と題する『シュピーゲル』の記事。

2009年08月18日 | アフガン問題
ベルリン・カブール発:修理したばかりの首都の空港での出迎えは、将軍の趣味にはかなっていた。ドスタムが、航空会社「カム・エア」のチャーター・ジェット機で、トルコからカブールに着陸したとき、数百人のウズベク人たちが彼を出迎えた。誰もが彼に触ろうとする。彼は55年間の生涯をほとんどポップスターのように秘密にしてきた。数人の人は彼にキスすることが出来た。
ドスタムは、彼の得意の境地にいた。彼は民衆のヒーロー兼軍隊の長である自分を演出するのが好きだ。
空港から、ドスタムの装甲ジープの長い車列が兵隊を乗せたピックアップ・トラックを伴ってシェルプールへと轟音を立てて行進した。それはカブールの最も高級な地区であり、ここにドスタムは、沢山の無様式だが目の飛び出すほど高価な別荘の一つを持っている。そこで、ドスタムは、カルザイ大統領とトルコ政府に公式に感謝した。カルザイとトルコ政府が彼を帰国できるようにしたのだ。
 彼の特徴のある口ひげとふさふさした眉毛は灰色になっているが、彼はカルザイとのお茶会へと出かけた。
 両者はいくつかの事柄を話さねばならない。2008年秋にあるライバルに対して彼が行った乱暴な襲撃の後で、カルザイは彼を国外追放にしたのだが、その亡命先からの帰還は、木曜日には、大統領にアフガン北部にいるウズベク人の票を確保するはずだ。彼がこの軍閥をカブールに呼び戻したことによって、大統領は恥知らずにも自分の権力のためにポーカーをやったのだ。カルザイは、不届きな犯罪者たちの一団で内閣を固めている。
 ドスタムの成り行きは、カルザイの権力欲を説明しているが、同時に、西側の困惑も説明している。過去数ヶ月の間に、カルザイは、一連の戦争犯罪者を自分のチーム、特に、副大統領の候補者に取り込んだ。モハメッド・ファヒム将軍は、北部同盟の一番乱暴な将軍の一人であって、一ダースほどの戦争犯罪の理由で非難されている。その上、彼は誘拐団の首領と見なされている。しかし、このタジク人は、カルザイのために、自分の民族集団の票を確保するはずだ。数千の投票用紙を手に入れるためには、カルザイにとっては過去はどうでもいいのだ。(後略)
[訳者のコメント]アフガン政府がどんな人物から構成されているのかが分かります。こんな連中とタリバンのどちらがいいか?ヨーロッパでは、アフガンで戦ったロシア人の影響か、北部同盟を構成していた将軍たちは人気がありません。
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「男たちは最初の刺激に飛びつく」と題する『ヴェルト・オンライン』の対談。

2009年08月17日 | 国際経済
彼女は、ダークグレイの服を着、経営経済学は勉強したことがなく、ヘッジファンドを創設したのでもない。けれども、ハイケ・ファラーは、今季のもっとも成功した株式の本を書いた。『どうやって、私は金持ちになろうとしたか』という本は、六月に出版されて以来、1万2千部売れた。この物語の中で、このジャーナリストは、株式市場で小さな財産を稼ぐために、彼女がどれほど何も知らない初心者として一年間投機家の間にたち交わったかを描写している。冷たい水に飛び込むことによって、熟練の専門家には隠されたままだった視点が開かれた。
普段の生活では、ファラーは、ライフスタイルのための雑誌に女性のオーガズムや自分の美容院と命がけの戦争をしている美容師や、売春で学資の一部を稼いでいる女子学生
に関するテーマで記事を書いている。『ヴェルト日曜版』とのインタビューで、自分自身の成功に驚いているこの38才の女性は、彼女がお金の王国への探検から学んだことを物語った。誰でも株式市場の魅力に取り付かれる可能性があるとファラーは言う。そして、良い株式市場の伝統に従って、熱いヒントも惜しまない。
ヴェルト・オンライン:ファラーさん、あなたは女性の問題について記事を書いてきて、今度は株式市場では男性が優位の領域も知ったのですね。女性は男性とは投資の仕方が違いますか?
ハイケ・ファラー:セックスの場合と似てるわね。男性は、投資の際も、最初の刺激に飛びつくわ。たとえば、彼らは特定のチャートの形態を捜し求めて、カーブが気に入ると衝動的に買うの。女性の場合は、ことはもっと複雑だわ。彼女たちが投資の決断をする際には、沢山のファクターが影響するのよ。男性にとっては、それはしばしば、漠然としているように見えるわ。
WOL:一方は、猪突猛進型で、他方は、家計担当者型というわけですね。
ファラー:男性たちは、しばしば、一枚のカードにすべてを賭けるわね。彼らは株でもマッチョを気取るのよ。女性の場合は、彼女たちは、リスクを無視したりはしない。疑わしい場合には、彼女たちは古い貯金通帳で我慢するの。
WOL:でも、あなたは貯金通帳には背を向けて、投機家の仲間に入リましたね。
ファラー:私の場合は、最初の麻薬は金(キン)だったわ。ある調査の際、私は二人の管財人と知り合いになったの。彼らは、私に貴金属を買うように説得したの。このバイエルン州出身の男たちが私を魅了したわけは、彼らが私の想像していた銀行顧問のタイプとは全く違ったからよ。彼らは崩れやすい銀行のシステムや将来のインフレについて話してくれたわ。それから、金庫に入れておいた私の金の延べ棒と金貨の価値が何倍にもなったわ。そのときから、私は、金の世界を見抜いたと信じたの。(後略)

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「イラク人は、新たなテロに平然と反応している」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の記事。

2009年08月16日 | イラク問題
8月13日発:新たなテロの波がイラクを見舞っている。先週金曜日以来だけで、少なくとも122人のイラク人が殺された。テロの犠牲者数は、再び増加している。彼らの多くはシーア派のイラク人である。五月には、テロの犠牲者数は、155人で、2003年以来最も少なかった。
確かに、最近のテロ攻撃は、内戦中と同じくらいよく準備されている。けれども、あの流血の内戦時代の恐怖は戻らない。アルカイダと距離をおいているスンニー派の反政府派も、テロを非難し、シーア派の聖職者は、信者に対して復讐を諦めるように要求している。それゆえ、バグダッドや他の都市では、晩に、以前よりも、もっと多くのイラク人が公園やティグリス河の岸で散策している。最近のテロにはアルカイダの指紋がついていると内務省の報道官は言う。彼らは良くコーディネートされている。暗殺者は、イラクでは手に入らない爆薬を仕掛けている。テロ攻撃の数は月に200回以上に上ったが、殺される人の数は内戦中ほどは増えていない。
そこから、イラクとアメリカの専門家は、暗殺者達が弱体化し、内戦中ほど致命的な攻撃を繰り返すことができないと結論している。その代わり、彼らは特定の機会から暗殺を企てる。一つのきっかけは、6月30日の諸都市からの米軍の撤退であった。もう一つのきっかけは、来年、1月に行われる議会選挙である。そこでテロリストの攻撃目標は、少数民族かキリスト教徒かモスクであって、イラクやアメリカの治安部隊ではない。
先週、月曜日の死者60人のテロは、もっとも流血が多かった。朝、モスルに近いハズナで、トラックに乗った二人が、シャバク族の家族が住んでいる小さな町を破壊した。これはクルド人やシーア派に近いが、独自の宗教を実践している人たちである。シャバク族の族長は、死者を43人、負傷者を150人だと述べた。この宗教共同体は、繰り返し、アルカイダの攻撃目標となった。同様に、月曜日には、バグダッドで9つの爆弾が20人以上を殺した。一つはセメント袋に隠されており、シーア派の日雇い労働者を標的にしていた。(以下略)
[訳者の感想]最近のテロの目的が米軍やイラク政府軍ではなく、宗教上の少数派だというのが、驚きです。
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「ヨーロッパの景気上昇、東京の株式市場を活気づける」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事

2009年08月14日 | 国際経済
東京発:金曜日に、225の株式の平均価格を示す日経平均は、ここ10ヶ月間で最高のポイントを示した。活況に、米国からのがっかりさせるデータも何も変えられない。米国では、失業保険金への申し込み数が増加し、個々の企業の売上高は下がった。
 日経平均は、取引半ばでは、10,627.63円まで上昇した。もっと広範な株式を包括しているTOPIX指数は、同様に、975.43円まで上がった。取引の終わりに、日経は0.8%の増となり、TOPIX指数は、0.5%増えた。
 「みずほ証券」のアナリストによると、この株価の値上がりは、第2四半期に予想以上のよい結果を示したヨーロッパ地域の経済発展によって説明される。「ドイツとフランスからのプラスの数字は、市場にとっては、好都合なファクターである。これらの予想は、グローバルな株式ラリーにおいて既に折込済みだったのであるが」と大和SB投資会社のチーフアナリストである門司ソーイチロウ氏は言った。しかし、彼は市場は買われすぎており、利益を確定するための圧力が増えると予想している。
 機械と貿易と非鉄金属の株が買われている。観察者の予想では、外国投資家の買いは、来週も続くだろう。もっとも、市場が過熱気味であるという認識は、増大しているけれども。
 香港株式指数は、0.8%の増加を見た。他のアジアの株式市場も上昇傾向にある。ニューヨークでは、ダウ・ジョーンズ指数は、0.4増えて、9,398ポイントになった。より広い企業を包括したS&P500は、0.7%上がって、1012ポイントとなった。ナスダック指数は、0.5上がって、2,009ポイントとなった。フランクフルトのダックス指数は、木曜日には、1%上がって、5,401ポイントとなった。
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「アフリカには、10億人以上が生活している」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月13日 | アフリカの政治・経済・社会
世界中のどの他の地域でも、アフリカほど人口が急速に増加しているところはない。現在、アフリカの人口は、10億人を超えた。それは、「ドイツ世界人口財団」(DSW)が米国の「人口関係局」と共同で発表した「データレポート・2009」から明らかになった。
「アフリカの人口増加とともに、ヨーロッパへの移動圧力が今後高まるだろう」とDSWの事務局長レナーテ・ベーアは、『ヴェルト・オンライン』に語った。アフリカの人口は毎月、200万人づつ増加している。アフリカ人の40%は、15才以下である。それゆえ、アフリカは、世界で一番子供の多い大陸であるだけでなく、サハラ以南の国々は、世界で最貧国に属している。
しかし、人口増加とともに、貧困と見込みなさとが増えている。「若い世代は、彼らの状況を単純に甘受しないでしょう」とベーアは言う。テレビやインターネットを通じて、青少年たちは、よその暮らしがどれほどはるかに良いか知るだろう。不満とともにアフリカの危機の可能性も増大する。「ますます多くの人間が、将来、アフリカから脱出しようと試みるでしょう。」
アフリカの人口は、過去25年間に、5億人から10億人に増加した。1990年代の初め以来、人口増加率はたしかに、少し減った。惨憺たるエイズ被害にも関わらず、アフリカ人の人口は、2050年までには、20億人まで増えるだろう。今日、世界の総人口は、68億人である。
ヨーロッパの人口は、現在の7億3800万人から、2050年には、7億200万人まで減少するだろう。ヨーロッパ人の15%だけが、15才以下である。これに対して、16%は、65才以上である。アフリカでは、65歳以上の割合は、たった3%しかいない。
「アフリカは、教育と保健のために投資を必要としている」と「持続的発展のためのノヴァルティス財団」のクラウス・ライジンガー教授は言う。幼児の高い死亡率を下げることに成功すれば、女性も男性も家族計画に対して耳を貸すだろう。だが、それに対応する措置に対してアフリカでは財政的資源が不足している。ライジンガー教授は、先進国に対してアフリカの人間たちに展望を与えるように訴えている。移民問題によって欧州連合に生じるであろう帰結ははるかに高くつくのだと彼は言う。
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「エジプトの若者の挫折した夢」と題するBBC NEWSの記事。

2009年08月11日 | 社会問題
 サミーは死んだ人たちと家を共有している。彼らは彼の台所のあたりに60人ほど埋められているが、彼はその誰も知らない。
 ちょっと不気味に聞こえるかもしれないが、この話はエジプト人にショックを与える点は何もない。実際、統計によれば、カイロに住む人の18人に一人は「死者の町」に住んでいる。彼らはなぜかと問うのを止めた。
 「死者の町」は、中世のカイロの端から始まって、マカッタム崖のふもとまで8キロ伸びており、四つの異なる墓地を包括しているのだ。いくつかの丸屋根は、近代エジプトの創始者だった「モハメッド・アリ」の家族廟のようなもっと有名な墓を目立たせている。内部には、彼の三人の息子の精緻な記念碑は、王冠やトルコ帽や忠誠の印で仕上げられている。だが、サミーの家のもっと地上的な囲いの内部では、廟は郊外のバンガローのように見える。中庭は、明るい色の干し物で飾られており、格子のついた窓にはカーテンが懸かっている。墓として作られたサミーの寝台の屋根にには、電線が垂れ下がっており、それで、電力が盗まれている。
「リング路沿いの空いたアパートよりも、この家のほうが大きいんだ」とサミーは自慢する。
 しかし、サミーの15才になる娘のサマーにとっては、この家は自慢にはならない。学校では、彼女は、「墓地不法占拠者」の子供だと烙印を押されている。
 「私たちはここに住んではいけないのよ。私たちは知的な教育ある家族よ。私の姉は工学部の学生だし、兄はアラビア語科の学生だし、私は医学大学へ行って勉強するつもりだわ。私は何時かここを出て、新しい家を買い、一生そこに生活していたかのような振りをするの。」
 どれほど多くの若い人たちが「死者の町」に住んでいるかについての統計はないが、カイロの人口の60%は、25才以下なのだ。
サマーは、典型的なアラブ人の若者であり、何かもっと良いものを求め、一生懸命働くけれども、彼らの過酷な現実の足かせを破ることが出来ない。
 彼らは「待ち状態」として知られている。つまり、これらの若者たちは、彼らの人生の最良の年月を仕事と給与と家を「待って」すごしているのだ。彼らが教室を出ると、70%の卒業生は非公式な分野に入らざるを得ない。彼らの多くは、家族をもてない。この町では、平均の結婚年齢は31才である。
 「これは、これらの人々にとって絶望的な状況です。だが、「死者の町」に住む人だけではありません。何十というスラムがあります。それはエジプトのいたるところにあります」と国家計画研究所のエコノミストであるイブラヒム・アル・イッサウイは言う。
「彼らは良い公的教育、保健サービス、雇用の機会などの基本的な必要を求めていますが、それらはここにはありません。特権的な僅かの人を除いて」と彼は付け加えた。(後略)
[訳者の感想]アラブの大国エジプトでさえ、青年たちに職業と家を与えることができないというのでは、テロに走る若者が後を絶たないのは当然だという気がします。
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「銀行家の道徳」

2009年08月10日 | 国際経済
ソロモン王について次のように言われている。彼には彼に対して物事がうまく行っていようとうまくいってなかろうと、常に「これもすぐ終わります」とささやく役目を持った家来がいたというのだ。
危機は過ぎ去る、最も困難な危機であっても。しかし、現在の世界的な経済危機のあとで、元の状態に戻ることはありえないだろう。市場に対する信念が動揺させられたことは、新たな世界秩序の出発点である。われわれはいつものようにビジネスに戻ると信じている頑固な自信家も何人かいる。だが、世界共同体は、資本主義の操縦者には懺悔を政治家には行動を期待しているのだ。
現在の危機は、1929年以来最も包括的で最も危険な金融危機である。それは近代世界の歴史における大きな転換点になるかもしれない。米国の「国家経済会議」議長ローレンス・サマーズは、自由市場の最大の擁護者だったが、2009年春に、「致命的な衝撃を受けた」と告白した。同時に、銀行家の世間的体面は最低にまで落ちた。彼らの何人かが、彼らが錬金術にふけった結果、納税者にとって莫大な費用を伴う救済行為が必要にあなったのに、普通の労働者の給与の何十倍もの給与と賞与とを受け取ったという事実に関して憤激が広がった。
この新しい世界秩序はどう見えたらよいのか?
第一に、どんな二者択一もありえない。最悪の場合には、市場は、不公平で、破壊的で、危機に陥りやすいのだ。この側面をわれわれはみんな痛みとともに発見する。最善の場合には、市場は非常に効率的で資本を正しい場所に操作することができる。そのことによって、人類は大きな利益を得た。福祉に対する資本主義の意味は次の点で認識可能である。つまり、市場に基づく改革が導入されたあとで、資本主義は、中国やインドの国民経済を革新した。
 金融危機によって、第二次大戦以後はじめて、世界の国民総生産が下落したとしても、グローバル化した市場資本主義は、この20年の間に、かっては貧しかった国民経済にあった数億人の人間にとって、非常な長所をもたらした。このことはドイツにも当てはまる。経済的回復がなされれば、ドイツの開かれた国民経済とその競争力のある企業は、主たる勝利者になるだろう。危機の間は重荷になった輸出の優位は、再びドイツ経済の強みになるだろう。(中略)
第二に、われわれは時計を逆回しすることは出来ない。われわれはグローバルな資本市場以前の時代に後戻りすることは出来ない。このような考え方は、人口が稠密になっり都市化された世界では全く非現実的である。進歩と改革のためには、われわれは現代の資本市場を必要とする。
第三に、国家の監督・規制・介入は本質的な意味を持っている。市場が安定し自己規制をするだろうと信用してはならない。決定的な問題は、世界の指導者たちが、市場の力の力動性を維持し、同時に行き過ぎを抑える経済秩序についてグローバルなビジョンを見出すかどうかということである。それには、国際的な枠組みが必要になる。
最後に、経済力の重点が西から東へと移ることを受け入れなければならない。新しい現実を考慮するためには、国際的な制度が新たに創設されねばならない。先進国は、新興国に場所を譲らなければならない。反対給付として発言権を認めないで、金融危機の救済においてある役割をひきうけるようにアジアの社会に望むことは不可能である。彼らが、(中国のように、)世界通貨としての米国ドルに背を向けることを考え始めたということは決して驚くべきことではない。(後略)
[訳者の注]この論説の筆者スチーブン・グリーンは、香港上海銀行の頭取で、英国銀行協会の議長で、英国国教会の説教者だそうです。
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「シュタヴァンガー号船上での精神的テロ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月09日 | 犯罪
 やっと、しっかりした大地に足を下ろすことが出来たという感情を、クリストフ・コティウクは、恐らく決して忘れないだろう。土曜日の午後、「ハンザ・シュタヴァンガー」号の船長は、18週間の受難の後、彼の23名の乗組員とともに、ケニアのモンバサ港に上陸した。「自動小銃がわれわれの頭を狙って突きつけられていた。それは四六時中の精神的テロだった」とこのドイツ人は、解放後、「ドイツ連邦公共ラジオ放送局連合体」(ARD)の雑誌『パノラマ』に語った。
 先週の初め、「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、誘拐されたものたちとその家族のために我慢できぬほど長い困難な交渉ののち、4月4日以来この船を乗っ取た海賊に250万ドル(3億2500万円)の身代金を支払った。
 コティウク船長によれば、貨物船の船内は、非人間的な衛生状態が支配していた。40人の人間がたった一つの詰まったトイレを使用せねばならなかった。飲料水として使われたのは、空調から滴る水だった。5月末からは、ちゃんとした食事はもはやなかった。
 しかし、船長によると、最悪の事態は、海賊たちが繰り返しおこなった、見せかけ処刑であった。ニ度、彼らは船長を殺すぞと脅迫した。「男たちは、銃を私に向け、私は目隠しされた。私は不安のあまり、冷や汗が出、心臓麻痺で死にそうだった。」高級船員の一人は、このような行為の際、失神した。
 「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、昨日、たった5ノットの速度で、モンバサ港に向けて航行した。長い停泊で、船腹には、貝やサザエがいっぱい着いていたのだ。舟が港に着いたとき、波止場にはジャーナリストの集団が待ち構えていた。拿捕されていたドイツ貨物船の24名の乗組員が上陸した際には、それぞれの故郷に向けた生のテレビ放送がなされた。乗組員のうち、5人はドイツ人、3人はロシア人、2人はウクライナ人、14人はフィリピン人だった。
 しかし、男たちの姿は離れたところからしか映らなかった。彼らはTシャツと青い作業服を着ていた。ケニアに数名の社員を送り込んだ「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、波止場に民間の治安要員を行進させ、コンテナーで目隠しをして、人質たちがテレビに映されるのを防いだ。「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、なお数時間、爆弾が仕掛けられていないか、調査中である。
 誘拐されて以来、乗組員が曝されたテロを考慮して、24人は、まず、ある秘密の場所に連れて行かれた。彼らは医師による検診を受けている。その後、彼らはまず第一に、あるホテルで睡眠する予定だと言われている。「彼らのうち何人かは、既に日曜日に、フランクフルト空港に到着するものと予想されている」と「ドイツ海運業連盟」のスポークスマンであるマックス・ヨーンは、本紙に述べた。
 しかし、海運会社は、乗組員たちが人目に曝される前に、まず休養することに価値を置いている。なぜならば、数週間の拿捕の間、所有者に対して重大な非難が出された。つまり、所有者が、船への食料補給を妨げたとか、交渉を長引かせて、身代金を値切ろうとしているとか、そのために人質の安全を危険に曝しているとかいう非難である。人質の家族たちは、既に海運会社に対する告訴を行った。
 その上、「国境警備部隊」(GSG9)の介入計画がある。誘拐の3週間後、エリート特殊部隊が介入しようとした。だが、作戦は失敗した。その理由の一つは、米国海兵隊が、ヘリコプターの形で、最初に確約されていたロジスティックが、少し後で引っ込められたせいである。
 しかし、他方では、『ヴェルト日曜版』の報道では、GSG9のメンバーが専門的どころではないやり方をした。誘拐された貨物船を攻撃する前に、司令部のメンバーが、盗聴可能な線を使って家族に襲撃計画について知らせた。ケニア駐留の米軍がそのやり取りを傍受したと述べた。その場で、GSG9の司令官は、安全上の理由で、作戦を取りやめた。(以下省略)
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「パキスタンのタリバン指揮官が殺されたとタリバンが報告」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月07日 | テロリズム
 お尋ね者となっていたパキスタン人のタリバン指揮官バイトラー・メスードが死んだ。タリバン筋によると、メスードは、先週、水曜日、米軍の空襲で命を失った。彼はすでに埋葬されたそうだ。
 それに先立って、名前を出されることを望まないある米国の代表は、「メスードが死んだかもしれないと信じる根拠がある」と述べた。「われわれは捜査している」とパキスタン治安機関の高位の協力者は述べた。
 水曜日、ワジリスタン州南部にあるメスードの義父の家に対する米軍の攻撃の際、情報機関の陳述によると、二人の人間が殺された。一人は、タリバン指揮官の第二夫人であった。初めは、攻撃の時点にメスードが家に滞在していたか、負傷したかどうかは証拠がなかった。殺された妻の親族は、メスードは「安全なところにいる」と断言した。
 メスードは、「テへレーク・エ・タリバン」というグループを率いていたが、このグループは、2007年12月のベナジル・ブット元大統領の暗殺に加わった容疑があった。彼はまた、パキスタンにおける1ダースほどの自殺爆弾事件に責任があり、アルカイダと接触している容疑があった。
パキスタンでは、メスードは、国内の安定に対する強力な脅威であると見なされていた。米国は、アフガンへの米兵増強に際して彼を危険と見なし、彼の首に500万ドル(4千500万円)の懸賞金を懸けた。「テヘレーク・エ・タリバン」の牙城であるワジリスタン州南部は、アフガニスタンとの国境にある。この地方は、タリバンとアルカイダにとっての避難場所だと見なされている。
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「無人偵察機、パキスタン・タリバンの指導者の妻を殺害」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年08月06日 | テロリズム
ペシャワール発:いくつかの情報源によると、アフガニスタンとの国境地帯で、米軍の無人偵察機がロケット攻撃を行い、パキスタン・タリバンの指導者バイトラ・メースドの妻が命を落とした。複数の情報機関の協力者が、過激派指導者の妻の死を裏書している。
ロイター通信社は、メースドの妻が殺されたと断言した親類の者の言葉を引用している。アフガニスタン国境にあるワジリスタン州南部での攻撃では、それ以外に二人の人間が死亡した。米軍の無人偵察機が発射したロケットは、メースドの義父の家を直撃し、その際、4人の子供も死んだ。
バイトラ・メースドが攻撃の時点で彼の義父の家に居たかどうかは、不明である。
メースドは、パキスタンでは、国家の敵ナンバーワンと見なされている。米国は、彼の首に500万ドルの懸賞金を掛けた。メースドは、2007年に自分自身をパキスタン・タリバンの指導者に任命した。彼の信奉者は、パキスタンで無数の自爆テロを実行した。また、彼は、アフガニスタンとの国境での西欧軍に対する攻撃に責任がある。メースドは、アフガニスタンのタリバンやアルカイダと密接な関係があると言われている。
更にこの過激派指導者は、ムシャラフ元大統領に対する反対者であったベナジル・ブット候補の殺害に責任があるとされている。
米軍とパキスタン政府軍とは、過去に、ワジリスタン南部での攻撃を強化した。この地方は、過激派の退避場所だと見なされている。
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