海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「バルシェル事件では、新しい痕跡はモサドにつながる。」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年11月22日 | 犯罪
バルシェル事件における重要な鑑定人の一人は、新しい鑑定で、イスラエルの情報機関「モサド」にシュレスウイッヒ・ホルシュタイン州元首相バルシェルを殺害した容疑があるとしている。化学的な分析結果は、詳細な点で、モサドの元工作員ヴィクトル・オストロフスキーがある本で描いたバルシェルの死の顛末と一致している。
このこれまで公開されていない結果に至ったのは、スイスの高名な毒物学教授ハンス・ブランデンベルガーが『ヴェルト日曜版』のために書いた独占論文においてである。他の告白宣言や憶測と違って、「オストロフスキーは、分析データと驚くほど一致したシナリオを書いた」とその報告には書かれている。オストロフスキーの報告の中の目につく詳細、つまり、肛門からの鎮静剤の注入や薬物の時間的にずらした投与は、化学的分析結果を反映している」とブランデンベルガー教授は言う。
科学者が犯人について言明したのは初めてである。彼の推定では、バルシェルの死体の毒物学的検査は、このCDU所属の政治家が命を絶ったのは自殺によってでもなく、死亡幇助によってでもないといういうことを裏付けている。「化学的証拠は、殺人を示唆している。その際、殺人の方法の複雑さから見て、ある専門家のチームが仕事をしたのであって、個人がしたのではないということが前提される。」(後略)
[訳者のコメント]バルシェルは、1987年10月11日、ジュネーヴの高級ホテル「ボー・リヴァージュ」の浴槽の中で死んでいるのを発見されました。その数日前、彼は州選挙に破れ、首相の地位を失っていました。バルシェル殺害の理由は、彼がイスラエルとイランとの間の極秘の武器取引について詳細を知っていたからだそうです。
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「米国で10人のロシア人達、スパイ容疑で逮捕」と題する『BBCニュース』の記事。

2010年06月29日 | 犯罪
工作員達が普通の市民になりすまし、夫婦で数年間一緒に暮らしていた。
彼らは外国政府のために非合法の工作員として働くという作戦の一部であった。米国法務省によれば、11番目の容疑者がまだ残っている。
彼らのうち9人は、マネー・ロンダリングの容疑であるが、確定すると、禁固20年の刑に処せられる。裁判記録の中で阻止されたメッセージは、彼らは、核兵器、米軍の軍事的コントロール位置、イラン、ホワイトハウスの噂、CIA長官の更迭、政党などを含むトピックについて情報を見つけるように頼まれた。
米国法務省は、容疑者のうち8名は、長期にわたってスパイ行為の任務を遂行した。
ニューヨーク州裁判所の法廷にファイルされた裁判記録によると、彼らは「ロシア外国情報サービス」(SVR)によって政策立案グループに浸透して、情報を収集するように訓練された。
彼らは米国人官僚と友人になり、にいろいろな方法を使って、ロシア政府の交渉者に情報を送った。
米国の官吏によると、FBIの長期的捜査によって彼らのスパイ行為が発見された。BBC放送のキム・ガッタスによれば、それは21世紀の道具と技術を用いた冷戦時代の物語である。
FBIによると、お金を木の根本に埋めたり、公園ですれ違いざま鞄を交換するというような古いテクニックも使われたそうだ。
「君の教育、銀行口座、車、家など、これらすべてはの目標は一つ。君の主な使命は、米国の政策立案集団と緊密な結びつきを作り出し、情報を送ることだ。」(後略)
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「カラジッチ、自分は犠牲者で平和の天使だと主張する」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2010年03月02日 | 犯罪
月曜午後、ラドヴァン・カラジッチが弁護演説を終えたとき、最前列の右側に座っていた一人の若い女性が、椅子から飛びだした。彼女は防護ガラス越しに彼にウインクをし、勝ったというジェスチャーをした。「私は彼を誇りに思っている」と言った。彼女は明らかに彼の家族の一員だが、名前を言おおうとしなかった。「自分は正義の神聖な戦争を指導したのだ」と彼は裁判官に知らせた。つまり、ボスニアをイスラム原理主義者に対して護ったのだと。
熱狂的な女性の4列後ろに、ムニラ・スバシッチと他の7人の女性が座っている。彼女たちは皆、息子や夫や兄弟の死を悼んでいた。ムニラは、セレブレニカの悲劇から15年経った今も、息子の骨を探している。彼は当時18歳だった。
「カラジッチは、相変わらず嘘つきだわ」と彼女は言う。「あいつはそれを自慢している。あいつは、15年前と同様、今日も私を辱めたのよ。」このセルビア系ボスニア人元指導者がいつか自分の犯罪について真実を述べるだろうとは、この62歳の女性は思っていない。
数ヶ月の遅延の後、ハーグの元ユーゴスラビアに対する国連裁判で、ラドヴァン・カラジッチに対する裁判は行われた。その中心にあるのは、ヨーロッパがあのホロコースト以来経験したもっとも残酷な民族虐殺に他ならない。
それは、1995年7月にボスニアのセレブリニカで起こった8千人と推定されるモスレム人男性と青年の大量虐殺である。
被告は、月曜日、法廷に対して、「真相についての彼の見方」を述べた。
この真相はこう見える。ボスニアのセルビア共和国大統領としてのカラジッチは、ユーゴスラビアの統一を欲し、それによってバルカン半島の平和を救おうとした。だが、当時のボスニア大統領アリア・イゼトベゴヴィッチが所属する政党SDAは、アラブ系イスラム原理主義者達のためにバルカン半島を開放しようと企てた。
1990年以来、セルビア人達は、痛みを感じながら、ボスニアの分割に賛成した。「われわれは戦争を望まなかった。それを望んだのは、他の連中だ」とカラジッチは断言した。「他の連中」とは、彼によれば、ボスニアのイスラム原理主義者と西欧、特にドイツ人と米国と北大西洋同盟諸国である。当時のドイツ外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャーのクロアチア人に対する独立の約束が内戦を引き起こした。
 ドイツ政府は、他の欧州連合の意志に反して、自分たちは独立国だと主張するバルカン半島の国々を承認し、それでもって、第二次世界大戦での敗北に対する遅れた代償を手に入れた。今日、ハーグの戦争犯罪法廷は、間違った証拠と「政治的裁判で」犠牲者を犯人に仕立てようとしているのだと、被告人は主張した。
 カラジッチに対する裁判は、既に、昨年10月に始まったが、自分の弁護を用意することができないという理由で、被告人は出廷を拒否した。彼に寄れば、裁判所は30万ページ以上の裁判記録を読むのに十分な時間を呉れなかった。自分自身が集めた70万ページは別にして。(以下省略)
[訳者のコメント]久しぶりに「カラジッチ」という名前を紙面で見たので訳してみました。確かにアラブ系イスラム教徒が応援しにボスニアにやってきたようですが、ボスニアのイスラム教徒は彼らを追い返してしまったようです。ですから、イスラム教徒のボスニア人をイスラム原理主義者と呼ぶことはできないと思います。その証拠に、いままで欧州連合や英国で逮捕された「イスラム過激派」にボスニア人は一人も見当たりません。
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「欧州議会議員、イスラエルとの対話を停止すると脅す」と題する『シュピーゲル』の記事。

2010年02月23日 | 犯罪
ベルリン発:この出迎えを、イスラエル外相のアヴィグドール・リーバーマンは、違ったふうに想像していたに違いない。月曜日にブリュッセルで、通常の歓迎の決り文句の代わりに、彼を待ち受けていたのは、ヨーロッパ外相達の憤激だった。「あれはわれわれの世紀にふさわしいやり方ではない」とルクセンブルグ外相ジャン・アッセルボルンは、言った。「われわれは非常に憂慮している」とスペイン外相ミグエル・アンヘル・モラティーノが続けた。スエーデン外相カール・ビルトは、「勿論、われわれには欧州諸国が発行したパスポートの偽造は受け入れられない。」
彼らが示唆しているのは、1月末に起こったドバイでのハマスの党員であるマームード・アル・マブフーフの謎めいた暗殺である。イスラエル政府は、これまでいかなる関与も否定しているけれども、この間に、ドバイ警察以外に、ドイツ当局も出動した。11人で編成された殺人部隊が、イスラエルとヨーロッパ国民の身分証明を使用したという容疑が固まった。欧州連合発行の旅券を借りた6人の英国籍を持った偽のパスポートが利用された。六人はアイルランドのパスポートで、一人がフランス、もう一人がドイツの偽造パスポートを使用した。
数日来、ロンドン、ダブリン、パリ、ベルリンの政府は、イスラエル政府に事件を説明するように迫った。月曜日には、彼らは、「欧州連合は、犯行に参加した者たちがヨーロッパ市民の身分証明を盗むことによって可能となったパスポートやクレジット・カードを使用したという事情を厳しく断罪する」という共同宣言を公表した。
声明文の中には、イスラエルという国名は、はっきりとは言及されていないが、ブリュッセルでは、殺人に対する責任がイスラエル政府にあることは疑いがない。英国とアイルランドとは、リーバーマン外相と締め切られた部屋の中で話し合いをすることを望んだ。英国は、回答を期待し、「最高位のイスラエル政府当局者が英国捜査陣と完全に協力すること」を要求した。
リーバーマンは、ブリュッセルに到着後、新たに一切の責任がないと述べた。秘密機関モサドに対する非難は根拠がないと彼は断言した。
にもかかわらず、ドバイ事件は、イスラエル政府にとって不愉快な政治的帰結を持つかもしれない。数年前から、イスラエルは、欧州連合との友好関係のアップグレードを求めて努力してきた。欧州連合との一致は、2009年春のガザ地帯におけるイスラエルの攻勢以来、冷却している。
「関係をアップグレードしたいというイスラエル政府の願いは、ドバイの殺人事件で、後退せざるをえない」とヨーロッパ社会民主党の党首マルチン・シュルツは述べた。(以下省略)
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「殺人部隊がドバイでハマスのメンバーを殺す」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年02月17日 | 犯罪
マームード・アル・マブホウチが、1月20日、15時25分にドバイの「アル・ブスタン・ロタナ・ホテル」でチェックインしたとき、彼には生きている時間は5時間しかなかった。殺人者達は、とっくにイスラム原理主義のハマスの影響力のあるメンバーを標的に捉えていたということは、ドバイ警察が公表した沢山の監視カメラのビデオで見ることができる。ドバイは、監視カメラでカバーされているので、殺人の驚くほど完全な映像が生まれた。
10人の男性と1人の女性が、このハマスの指導者の殺すのに参加していたと言われている。彼らのうち2人は、アル・マブホウチが受付から230号室へ案内されたとき、彼のすぐそばに立っている。更に別の2人は、このハマスの指導者と同じエレベーターに乗っている。彼らは、テニス服を着、ラケットを手に持っていた。彼らの目的は、犠牲がどの部屋に入るかを確認することであった。それから、彼らは同じ階の向かい側に部屋を取る。
16時23分、アル・マブホウチが彼の部屋から出て行くのが見られる。偶然のように、ホテルのロビーでは、数人の一見、観光客に見える人たちが彼の後についてホテルから出て行く。18時30分頃、今度は4人の男がホテルに入ってくる。おそらく見張り役は仕事を終えて、実行者が現れたのだ。おそらくこれらの男達は、アル・マブホウチの部屋に侵入して、彼の帰るのを待っている。20時24分に、何がホテルの部屋で起こったかは、再現できない。しかし、20時46分、四人の男達が部屋を出て、エレベーターに乗る。アル・マブホウチは死んでいる。警察は、彼が電気ショックで麻痺させられ、枕で窒息させられたと推測している。
これはまるでスリラー映画の筋のようだ。このビデオ映像についての警察署長ダヒン・ハラフ・タミンの説明から、殺人が注意深く計画され、職業的に実行されたことは、疑う余地がない。犯人達は、別々の航空機に乗って、ドバイに入国した。彼らは同じホテルに投宿せず、すべてを現金で支払い、電話はヨーロッパの電話網を使った。彼らは英国・イスラエル・フランス・ドイツのパスポートを使い、遺体が発見されたときは、すでに、ばらばらに、ドバイを立ち去っていた。
イスラエルの秘密情報機関「モサド」が犯行の背後にいると推測しているのは、ハマスだけではない。イスラエルの情報員達は過去に、テロリストを殺したが、最近、イランで殺された原子物理学者や、2008年に殺されたヒズボラの指導者ムグニジャーのように、イスラエル人がその背後にいるかもしれないというのは、推測に留まっている。国際的な紛争に巻き込まれるのを避けるために、イスラエルは一度もこのような犯行に参加したとは白状しない。しかし、また、参加を否定もしないわけは、犯人だという間違った印象が相手を脅すのに役立つからである。(以下略)
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「インターネット詐欺師は、どのようにして排出ガス取引を利用して金を巻き上げたか」と題する記事。

2010年02月04日 | 犯罪
ベルリン・ハンブルク発:サイバーギャングは彼らの攻撃を計画した。e-mailを使って彼らは排出ガス取引をしている企業にそれを試してみるということを口実にして口座へのアクセスデータを要求したのだ。メールの発信者は、最初は信用できるように見えた。しかし、メ-ルのリンク先を辿ると、「ドイツ排出取引事業所」(DEHSt)のウエッブサイトと、見間違えるほど良く似たサイトに着いた。受信者は信頼できるデータをそこに書き込むように命じられた。
「私もこのメールを貰った」とハンブルクの「クリマ・インヴェスト・グリーン・コンセプト社」の支配人であるカイ・リスタウは言う。「それは非常に上手くできていたが、幾つかのデテールから、それはフィッシング・メールだということが分かった。」コンサルタント会社の「ファースト・クライメイト」の社長のマルクス・ヒューヴナーも同じ印象を受けた。「メールは、役所が普通書くのとは別の文体で書かれていた。」
にもかかわらず、ドイツでは、1月末、7つの企業がずうずうしいデータ攻撃に遭い、こういう仕方で詐欺師どもが口座に入り込むことを許した。彼らはその機会を直ちに利用し、被害者の名前を使って売却取引を開始した。彼らは最初の捜査では、20万から25万の排出権証明書を発行した。損害額は、これまでに3百万ユーロ(3億9千万円)に及んでいる。一つの企業だけで、150万ユーロ(1億9千万円)を失ったそうだ。
DEHStにおいては、恥さらしを抑えようと努力している。排出ガス取引の総売上から見ると、損害は軽微であると彼らは言う。世界銀行の見積もりでは、市場は、2008年には1,260億ドル(11兆3400億円)に達した。企業の損害についてはDEHStの会長であるハンス・ユルゲン・ナントケは何も知らないと主張している。「企業は今後も排出権について取引きできる。ただ、所有権が登録されるのに数日かかる。」
欧州連合の排出権取引の起源は、「京都議定書」である。この国際的な気候変動協定では、39の工業国が2012年までに排気ガスの排出を全体で5%削減することを義務付けられた。その際、1990年の排出量が基準とされた。この目標を達成するために、欧州連合内では、2005年1月1日から、排出権取引が始まった。(後略)
(訳者のコメント)排出権取引というのは何を取引するのか私にはよく分かりませんが、それを使って詐欺をするというのはかなり程度が高いように思います。
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「リンゼイ・ホーカー殺害事件の容疑者、日本で逮捕される」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2009年11月11日 | 犯罪
日本の警察は、リンゼイ・ホーカーを殺害したと思われる容疑者・市橋達也を尋問中だと言っている。このイギリス人教師の殴打された遺体は、2007年3月に東京に近いアパートメントで発見された。
テレビ報道によると、市橋達也は、彼が広範な整形手術を受けて人相を変えようとしたことが明らかになった数日後、西日本にある大阪で逮捕された。
展開は、ホーカーの遺体が東京の東の千葉県の市川市にある市橋容疑者のアパートで発見されてから、二年半経って、やってきた。
コヴェントリ近郊のブランドン出身である22才の英国人教師の遺体は、ひどく殴打され、首を絞められ、腕と足とはプラスチック製の紐で縛られていた。
彼女の父親であるビル・ホーカーは、容疑者の逮捕を「ホーカー家の者にとっては良い日だ」と歓迎した。彼は「自分は日本に行って市橋をこの目で見たい。私たちは正義を望んでおり、私たちはようやく正義を得た」と述べた。
「市橋は、過去二年半の間、なんらの後悔も示さなかった」と彼は付け加えた。「これは長い戦いだったが、それは終わった。私たちは一つの家族として疲れることなく働いたし、私たちは、決して諦めなかった」とホーカーは述べた。「日本の社会が、彼に可能な限り最大の刑罰を与えて欲しいと私は望んでいる。」
これに先立つ報道によると、警察は、市橋がフェリーで沖縄に渡航しようとしていたのを食い止めたとのことだ。
市橋の母親は昨日午前中にテレビの番組で彼に諦めるように懇願した。これは彼が行くへを眩ませて以来、最初の彼の両親の公的なコメントであった。両親はどちらも裕福な医者である。
フジ・テレビで流されたメッセージの中で、「達也!お母さんよ」と母親は言った。「お父さんとお母さんは、自分たちの感情を話す決心をしたわ。お前はこれを好まないでしょうけれど。」
彼女は、「お前が仕事熱心で、両親に孝行しようと望んでいたという、彼の建設会社の同僚達のコメントを聞いて、私と父さんとは嬉しかった」と述べた。「もし、そうなら、どうか警察署へ行って、警察に本当のことを言いなさい。」
日本のメディアは、今日、市橋が先月まで1年以上大阪に住み、ある建設会社で日雇いの労働者として働いていたと報道している。彼は整形手術の費用を払うのに十分なお金を約百万円貯めたと考えられている。
市橋の指紋は、漫画本や英語の辞書、パスポート申請書とともに、会社に属する宿舎で見つかった。警察は彼が海外に逃亡しようとしていたと考えている。
リンゼイ・ホーカーの跡を付けて、彼女の家まで後を追った市橋は、尋問されそうになって、9人の警官をはぐらかし、裸足で金を持たないで逃走して以来、捕まらないままだった。
彼女が死ぬ数時間前、近くの喫茶店で、ホーカーが市橋に私的な語学授業をしているのを防犯カメラが捉えていた。一説では、彼は授業料を払うのに十分な金がないと言って、彼女を自分の部屋に連れ込んだとのことである。それ以後の手がかりは、8千件の目撃情報にもかかわらず、犯人に結びつかなかった。6月に警察は、逮捕に結びつく情報に対する懸賞金を100万円から1千万円へと引き上げた。
ホーカーは、2006年にリーズ大学を卒業してから、ノヴァの英会話学校の支店で英語を教えていた。
[訳者の感想]英国の新聞が「リンゼイ・ホーカー殺害事件の容疑者逮捕」についてどのような報道をしているか知りたくて翻訳してみました。極めて客観的な書き方だと私は思います。
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「シュタヴァンガー号船上での精神的テロ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月09日 | 犯罪
 やっと、しっかりした大地に足を下ろすことが出来たという感情を、クリストフ・コティウクは、恐らく決して忘れないだろう。土曜日の午後、「ハンザ・シュタヴァンガー」号の船長は、18週間の受難の後、彼の23名の乗組員とともに、ケニアのモンバサ港に上陸した。「自動小銃がわれわれの頭を狙って突きつけられていた。それは四六時中の精神的テロだった」とこのドイツ人は、解放後、「ドイツ連邦公共ラジオ放送局連合体」(ARD)の雑誌『パノラマ』に語った。
 先週の初め、「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、誘拐されたものたちとその家族のために我慢できぬほど長い困難な交渉ののち、4月4日以来この船を乗っ取た海賊に250万ドル(3億2500万円)の身代金を支払った。
 コティウク船長によれば、貨物船の船内は、非人間的な衛生状態が支配していた。40人の人間がたった一つの詰まったトイレを使用せねばならなかった。飲料水として使われたのは、空調から滴る水だった。5月末からは、ちゃんとした食事はもはやなかった。
 しかし、船長によると、最悪の事態は、海賊たちが繰り返しおこなった、見せかけ処刑であった。ニ度、彼らは船長を殺すぞと脅迫した。「男たちは、銃を私に向け、私は目隠しされた。私は不安のあまり、冷や汗が出、心臓麻痺で死にそうだった。」高級船員の一人は、このような行為の際、失神した。
 「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、昨日、たった5ノットの速度で、モンバサ港に向けて航行した。長い停泊で、船腹には、貝やサザエがいっぱい着いていたのだ。舟が港に着いたとき、波止場にはジャーナリストの集団が待ち構えていた。拿捕されていたドイツ貨物船の24名の乗組員が上陸した際には、それぞれの故郷に向けた生のテレビ放送がなされた。乗組員のうち、5人はドイツ人、3人はロシア人、2人はウクライナ人、14人はフィリピン人だった。
 しかし、男たちの姿は離れたところからしか映らなかった。彼らはTシャツと青い作業服を着ていた。ケニアに数名の社員を送り込んだ「レオンハルト・ウント・ブルームベルク海運会社」は、波止場に民間の治安要員を行進させ、コンテナーで目隠しをして、人質たちがテレビに映されるのを防いだ。「ハンザ・シュタヴァンガー」号は、なお数時間、爆弾が仕掛けられていないか、調査中である。
 誘拐されて以来、乗組員が曝されたテロを考慮して、24人は、まず、ある秘密の場所に連れて行かれた。彼らは医師による検診を受けている。その後、彼らはまず第一に、あるホテルで睡眠する予定だと言われている。「彼らのうち何人かは、既に日曜日に、フランクフルト空港に到着するものと予想されている」と「ドイツ海運業連盟」のスポークスマンであるマックス・ヨーンは、本紙に述べた。
 しかし、海運会社は、乗組員たちが人目に曝される前に、まず休養することに価値を置いている。なぜならば、数週間の拿捕の間、所有者に対して重大な非難が出された。つまり、所有者が、船への食料補給を妨げたとか、交渉を長引かせて、身代金を値切ろうとしているとか、そのために人質の安全を危険に曝しているとかいう非難である。人質の家族たちは、既に海運会社に対する告訴を行った。
 その上、「国境警備部隊」(GSG9)の介入計画がある。誘拐の3週間後、エリート特殊部隊が介入しようとした。だが、作戦は失敗した。その理由の一つは、米国海兵隊が、ヘリコプターの形で、最初に確約されていたロジスティックが、少し後で引っ込められたせいである。
 しかし、他方では、『ヴェルト日曜版』の報道では、GSG9のメンバーが専門的どころではないやり方をした。誘拐された貨物船を攻撃する前に、司令部のメンバーが、盗聴可能な線を使って家族に襲撃計画について知らせた。ケニア駐留の米軍がそのやり取りを傍受したと述べた。その場で、GSG9の司令官は、安全上の理由で、作戦を取りやめた。(以下省略)
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「2名の日本人が米国債券を密輸」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年06月13日 | 犯罪
キアッソ発:スイスとイタリアの国境で、税官吏は、繰り返し、密輸を見つける。だが、こんな捕り物は、初めてだ。一つのトランクに、日本から来たと推測される二人の男が、額面1340億ドル(12兆円)の米国債をイタリアから運び出そうとしていた。イタリア税関は、二人を逮捕したが、謎解きは終わらない。
このアジア人達の目的地はどこか。債券の出所はどこか?特にそれらは本物なのか?
確かなことは、イタリアとスイスの国境では、繰り返し莫大な資産が差し押さえられている。大抵は、イタリア人の運び屋が運んでいる。玄人は、銀行券を確実に運ぶために、修理した車を利用する。百万ドルぐらいの闇金は、稀ではない。最近も税官吏は、金塊を差し押さえた。
だが、今度の押収物は、その金額の点で、前例がない。二人の男は、6月3日に、イタリアから鉄道でスイスへ入国する直前だった。彼らが列車から降りたとき、税関所属の警官が、キアッソ国際駅でコンロトールの際に、ある二重底のトランクから債券を見つけた。50才ぐらいの二人の男は、税関で持ち物の申告をしていなかった。
税関警察の陳述では、額面1億ドル(95億円)の米国債券249枚と一枚10億ドルのケネディ・ボンドが10枚、隠されていた。
イタリア税関にとってなんという大成功だったかは、明らかだ。彼らは史上最大の密輸スキンャダルを発見したか、それとも、非常に巨額の偽造事件を暴露したかどちらかである。イタリア税関は、陳述によれば、相変わらず、債券が本物かどうか調査している。逮捕以来、既に9日経過しているのだが。
本物のように見える書類には、税関によると、かなり分厚い銀行の書類が付いている。これに対して、オンラインの「国際ビジネス・ニュース」は、「少なくとも文書のあるものは、偽造されたものだ」と伝えている。額面10億ドルのケネディ・ボンドは、こういう形では存在した試しがないと言われている。
税関によると、過去の発見はいずれも、偽造であることが暴露された。そういうわけで、コモ市の裁判所は、目下、「ミスター・10億ドル」事件を審理中である。ナポリ出身で、リヒテンシュタイン公国ファドッツ在住の58才の男は、二年前に、目立たないVWパッサートでイタリアへ入国しようとした。その際、彼は、額面10億ドルの米国債券を持っていて、それをボローニャの銀行に押しつけようとした。しかし、その債券は偽物だった。(後略)
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「スペイン海軍、ソマリアの海賊を逮捕」と題する『ヴェルト・オンラインン』の記事。

2009年04月29日 | 犯罪
周遊船「メロディ」を攻撃したとされるソマリア海賊達を、スペイン海軍が逮捕した。セイシェル諸島北部のインド洋での作戦で、フリーゲート艦「ヌマンチア」と並んで、インドの軍艦一隻とフランスからの偵察機2機が参加した。
スペイン海軍の水兵は、セイシエル諸島で9人の容疑者を逮捕した。イタリアからの周遊船の攻撃は、セイシェル諸島の海域で起こった。「海賊に対する容疑は、証拠の強さにかかっている」とセイシエルの「反海賊作戦」の指揮をとっているジョエル・モーガン交通大臣は述べた。
海賊の容疑者は、周遊船「メロディ」に対する攻撃が起こった場所の近くで、二隻のボートに乗っていた。彼らは一艘のボートを離れて他のボートとともに、周遊船を攻撃した。
海賊ボートの一隻は、無人状態で、後でインド海軍によって発見された。「ヌマンチア」号は、陳述によると、海賊達の他の船を追跡し、9人を逮捕した。
数日前、ゾディアック型高速船に乗った9人の海賊は、1,500人の乗った周遊船「ヌマンチア」を襲った。彼らはカラシュニコフ機銃で武装していた。治安機関の乗員は、銃で応戦した。周遊船はいくらか損害を受けた。38人のドイツ人を含む991名の乗客のうち、誰も負傷した者はいなかった。
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「ソマリア海賊、更に貨物船を襲う」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年04月15日 | 犯罪
ハンブルク発:海賊達は、ソマリア沿岸の海域で二隻の貨物船を攻撃した。海賊達は、レバノンの貨物船「MVシー・ホース」号を乗っ取った。NATOの報道官ショナ・ロウによると、海賊達は、三艘か四艘のボートで商船を攻撃した。「シー・ホース」号の乗組員の情勢については何も分かっていない。
更に、海賊達は、リベリアの旗を掲げて航行中だった貨物船「サフマリーン・アジア」号を攻撃た。NATO参謀本部の報道官シュテファン・グレスマクによると、三隻のボートに分乗した10人の海賊は、銃と手榴弾で、2万4千トンの貨物船を攻撃したが、負傷者については報告がない。
火曜日の夜、海賊達は、アデン湾で、貨物船「MVアイリーン」号を襲った。フィリピン出身の22名の乗組員達は、負傷はしなかった。この3万5千トンの船は、ギリシャの海運会社のために運航されており、カリブ海にあるセント・ヴィンセントの旗を掲げて航行中だったとロンドンにある「国際海事局」は伝えた。
その上、海賊達は、エジプト人の乗った漁船二隻の乗組員36名を拘束した。襲撃がいつ行われたかは、不明である。
オバマ大統領は、海賊に対する戦闘を宣言した。「われわれがこの地域での海賊行為の増加を阻止することに決意した」と「マースク・アラバマ」のフィリップス船長が解放された後で、述べた。
オバマ大統領は、さらなる衝突が起こることを覚悟している。(以下省略)
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「人質、拿捕されたヨットを急襲した際に死亡」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年04月11日 | 犯罪
フランス軍は、ソマリア海岸に誘拐されたヨットを解放した。軍事行動の際、大人の人質の一人が殺されたとパリのエリゼー宮にあるフランス大統領府は伝えた。他の4人の「タニット」号のクルーは解放された。
交渉人は、平和的解決のために、海賊に身代金を提供しようとした。しかし、海賊達はこれを拒否したとフランス・国防相のエルヴェ・モランは述べた。死んだ人質は、乗船していた3才の男の子の父親である。彼はフランス特殊部隊と海賊とが交戦している間に弾に当たって死んだ。他の4人の人質は安全である。
人質解放の際、大統領府の陳述では、海賊側も2人死に、3人が逮捕された。海賊達は、4月4日にフランスのヨット船上で夫婦とその子供とを人質に取った。
金曜日にフランス海軍の船が、「タニット」号をブロックし、海賊と連絡を取った。しかし、海賊達は、交渉の際、あらゆる提案を退けた。
大人4人と子供1人を載せたヨットは、2008年7月に旅に出た。長さ12メートルの「タニット」号でもって、乗り手は、フランスの大西洋岸からインド洋のザンジバル島に行こうとしていた。地方紙『フランス西部』は、去年夏に出航前の夫妻にインタービューをしている。その当時、27才の夫と2才年上の妻とは、自分たちが消費社会に背を向けて、「本当の冒険」を体験したいと言っていた。
ソマリアの海賊達は、「タニット」号と同時にドイツの貨物船も拿捕した。環境保護団体「エコテラ」の陳述では、彼らはヨットをソマリア沖、640キロのインド洋でヨットを拿捕し、プントランドの海岸へとコースを取った。
それ以外にも、海賊達は、アメリカ船籍の貨物船「マースク・アラバマ」も拿捕しようとし、船長のリチャード・フリップスを誘拐し、救助艇で逮捕を免れた。
フィリップスは、金曜日に、逃げだそうとしたが、再び、海賊によって捕らえられたとCNNテレビは報道している。船長を誘拐した海賊達は、ソマリア人の仲介者によると、200万ドル(2億円)の身代金を要求している。(後略)
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「ソマリアの海賊、ドイツの軍艦を攻撃」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年03月31日 | 犯罪
ベルリン発:護衛艦「ラインラント・プファルツ」号にアデン湾で初めてドイツの軍艦を攻撃した7人の海賊が逮捕された。防衛省の述べるところによると、高速ボートに乗り火器を携行したソマリア海賊がタンカー「シュペッサールト」を攻撃したが、この攻撃は、EUの海上作戦「アタランタ」の部隊によって成功しなかった。これ以上の成り行きについては、政府筋に報告されたとポツダムにある作戦司令部は、述べた。
ドイツの船舶に対する一ヶ月以内に二度目の攻撃に際して、誰も負傷者はでなかった。三月初めに、9人の海賊が、「アフリカの角」でドイツ船「MVクーリエ」をかすめ取ろうと試みたが成功しなかった。
派遣司令部の陳述によれば、海賊の攻撃に対して、タンカー「シュペッサールト」の防衛チームによって反撃された。その後、海賊達は逃走したが、彼らのボートは、後で停戦命令を受けた。「シュペッサールト」に対して、最初、スペイン軍のヘリが救援に駆けつけ、その後で、ギリシャ海軍の護衛艦「プサラ」が介入した。7人の海賊は、ドイツ軍とギリシャ軍のチームによって武装解除されたが、ボートにとどまった。
3月10日に、ドイツは、一週間前に同じくアデン湾でドイツの貨物船をかすめ取ろうとした7人のソマリア海賊をケニアに引き渡した。ケニア警察は、港町モンバサで、「ラインラント・プファルツ」から海賊を引き取った。
海賊の訴追についての欧州連合とケニアの間の協定によると、海賊達は、ケニアで裁かれる。ドイツでは、キールの検事局が最近の事件に関して責任がある。
9人の海賊の事件においては、ハンブルクの検事局はドイツでの訴追を断念した。ドイツの検事局とっては、ケニアは、その法体系に対する国際的批判にもかかわらず、裁判手続きのための最小限度の必要基準を満たしている。欧州連合がケニアに乗り換えた理由は、多くの海賊の故郷であるソマリアには、内戦のために、国家構造が存在しないからである。
[訳者の感想]私の読み間違えでないとすると、タンカー「シュペッサルト」には、海賊の攻撃に反撃できるような警備員が乗っていたようですね。軍人なのか警官なのかはこの記事では分かりません。
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「逮捕された海賊は、ドイツへは来ない」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年03月10日 | 犯罪
ハンブルク・ベルリン発:ドイツ連邦軍によって「アフリカの角」で逮捕された海賊はやはり、ドイツでは裁判されない。9人のソマリア人は、火曜日に、護衛艦「ラインラント・プファルツ」からケニアの港町モンバサでケニア当局に引き渡される予定だ。その根拠は反海賊作戦「アタランタ」の枠内で逮捕された海賊の刑事訴追について先週金曜日に欧州連合とケニア政府の間に結ばれた協定である。
ケニアでの引き渡しへの道を土曜日に開いたのは、公海での犯罪を管轄しているハンブルク検事局である。検事局はドイツの逮捕状を請求していたが、結局、ドイツにおいてこれ以上海賊の刑事訴追を断念した。「詳しく検討した結果」ケニアでも海賊行為が処罰可能であること記事訴訟手続きを遂行する最低基準が確保されているという結論に達したと、検事局の当局者は、述べた。外務省は、ナイロビにあるドイツ大使館を通じてケニア政府とすでに接触している。海賊引き渡しのための申請が今日、大使館によって公布される。ケニアでは、同国の法に従って、海賊に対する裁判が行われる。
欧州連合が、ケニアに乗り換える理由は、海賊の多数の故郷であるソマリアには、内戦のために、国家の構造が存在しないからである。しかし、人権組織の「アムネスティ・インターナショナル」にとっては、「ケニアにおいて法基準が守られるかどうかは、部分的には疑わしい」とスポークスマンのダーヴィッド・バルテルトは、『ベルリン新聞』に述べた。
欧州連合とケニア政府との取り決めによれば、海賊達は、拷問されたり、死刑になったり、その他の残酷な刑に処せられてはならないことになっている。海賊達は、弁護士を呼ぶ権利があり、より上級の法廷で判決を争うことが認められている。「万一、法治国家の原則が、協定にもかかわらず、守られないようであれば、ドイツ司法だけが海賊の刑事訴追について責任があるかどうか、考慮されねばならない」と防衛省の国務次官であるトーマス:コッセンダイは述べた。他方では、現地には裁判を注意深く観察する欧州連合の大使館が十分存在している。彼は「彼らが故郷の近くで法廷に立たされるなら、そのほうがより意味があると考える」と述べた。(以下省略)
[訳者の感想]ケニアでの裁判が、欧州諸国の法基準に従って行われるかどうかに関心が移っているようです。
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「ドイツ海軍、ソマリア沖で海賊船を拿捕」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年03月05日 | 犯罪
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ベルリン発:ドイツ海軍は、ソマリア海岸への派遣後、初めて、海賊達を逮捕した。アデン湾で、護衛艦「ラインラント・プファルツ」の派遣後、9人の海賊が拘置されたと、ドイツ連邦軍の派遣司令部が、3月4日午後に発表した。海賊が商船を攻撃した際にも、ドイツ水兵が彼らのボートを乗っ取った際にも、負傷者や器物の損害はなかったと、報道官は述べた。海賊達は、護衛艦の船内にいる。
ドイツ連邦政府は、初めて、海賊の拘留で何が起こったかを決定しなければならない。これは法的には高度に複雑であると思われる。なぜならば、ドイツの法的利害がどこまで及ぶか、海賊は他の国に引き渡されねばならないか、それとも、ドイツで法的に裁かれるべきかがまず明らかにされなければならない。内務省、法務省、防衛省、外務省出身の4人の政務次官からなる特別委員会がこの件を吟味する。
連邦軍の報道によると、ドイツの海運会社「ヴィンター兄弟」の商船「MVクーリエ」は、昨年12月7日、対戦車砲と銃で武装した海賊によって攻撃されたというSOSを発信した。米国海軍とドイツ海軍とは、救助のため、ヘリコプターを飛ばした。「ラインラント・プファルツ」号は犯行現場からなお50海里離れていた。ヘリの乗員は、海賊の攻撃を阻止した。そのすぐ後、ドイツ海軍の護衛艦が海賊船に接近し、海賊船に飛び移って、証拠物件を確保し、9人の海賊を護衛艦に留置した。海賊の一部はスーダンから来たと述べている。攻撃された商船の乗組員は一部フィリピン人である。
[訳者の感想]拘留した後、どのように法的に処分するのか、法的に処理するのに時間がかかりそうです。スーダン人がいるとすると、やはりこれは儲かるというので、アフリカの食うに困った人たちが、ソマリア沖で海賊をやっているというのが実情でしょうか。
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