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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「最初の容疑者逮捕。新たなテロ攻撃に対する不安」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の記事。

2010年10月31日 | テロリズム
2010年10月30日発:小包便による未遂に終わったテロ攻撃の後、米国とその同盟国は、航空便に対する安全対策とコントロールを強化した。イエーメンから発送された小包は、金曜日晩、ドバイの空港とイギリスのノッティンガム付近で発見された。それらはシカゴにあるユダヤ人施設に宛てられており、米国に入国する途中であった。中には感光性のプリンター用トナーが入っており、その中にプラスチック爆弾のPETNと点火装置が見いだされた。
デイビッド・キャメロン英国首相は、土曜日夕刻、金曜日にイースト・ミッドランド空港で発見された爆発物は航空機の中ですでに爆発したかもしれないように仕掛けられていたと述べた。イエーメンの警察は、土曜日夕刻、小包を送付した容疑で一人の女性を逮捕したと述べた。ロンドン警察は、英国で発見された小包は、ドイツのケルン・ボン空港でUPSに積み替えられたと述べた。
オバマ大統領は、「信じられるテロリストの脅威」に対して警告した。彼の反テロ顧問ジョン・ブレナンは、未遂に終わったテロ行為には「アラビア半島におけるアルカイダ」というテロ組織のやり方を暴露していると述べた。その首領は、憎悪の説教師アンワル・アル・アウラキだと見なされている。「クリスマス爆弾」として知られているナイジェリア人のウマル・ファルル・アブドルムタラブは彼と結託している。アブドルムタラブは、2009年12月25日に自分の下着に隠した爆発物でデトロイト発の旅客機を墜落させようとした。彼もPETNを使用していた。テロを未遂に終わらせた情報は、サウディ・アラビアの情報機関からきた、とブレナンは述べた。(以下省略)
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「アルカイダの資金枯渇」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2010年07月20日 | テロリズム
オサマ・ビン・ラディンと彼のテロ集団には金がなくなりつつある。アルカイダは「深刻な資金欠如」に悩んでいると米国の財務次官であるスチュアート・レヴィーは、先週、ブリュッセルで述べた。この集団は、確かにまだ寄付金を、比較的小額の寄付金を受け取っている。ワシントン筋からの認識はヨーロッパかの証拠と一致している。それによると、イスラム諸国の政府は、特にサウディ=アラビアと湾岸諸国とは、その寄付金を劇的に抑えた。それゆえ、アルカイダは、明らかに非常に懐が寒いので、駆け出しの聖戦士たちはトレーニング・キャンプでの訓練を自分で賄わなければならない。ベルギーとフランスで捕らえられた初心者達は、自分たちがパキスタンでの住居・武器・過程のために金を出さねばならなかったと報告している。インターネットと通じて、過激派は、その支持者達に対してますます多額の寄付を要求している。「神の戦士達に金がなければ、彼は戦えない」とアルカイダのスローガンは述べている。アルカイダは、世界中にネットワークを持つ他のグループに以前のようには、養うことが出来ないので、これらのグループは、資金調達の新しい道を見出さねばならない。それは、誘拐・麻薬密輸・武器取引である。
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「アルカイダのナンバー・スリー、死ぬ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年06月01日 | テロリズム
テロ組織「アルカイダ」のナンバースリーであるムスタファ・アル・ヤジドがテロ・ネットワークの陳述では死んだ。このことは、米国のテレビ局やイスラム主義者のインターネット・サイトが報じている。米国のNBC放送の述べるところでは、アル・ヤジドは、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯でアメリカの無人戦闘機の攻撃で命を落とした。アル・ヤジドは、アルカイダの共同創立者であり、首領のオサマ・ビン・ラディンの義兄弟である。
イスラム系のウエブサイトに特化したインテル・センターの陳述によれば、アルカイダは、パキスタンとアフガニスタンにあるテロ組織の作戦を指揮した。アルカイダの述べるところによると、アル・ヤジドとともに、彼の妻、彼の三人の子供や他の人たちが死んだ。過去に、アル・ヤジドはイスラム過激派のインターネット・サイトで沢山の宣言を出した。このエジプト人は、テロ組織の財務長官であった。
高位の米国政府官僚は、NBC放送局に対して、「この高位のテロリストは無人攻撃機によるロケット攻撃で殺された」とのべた。他の役人は、「これはテロリズムに対する大きな勝利である」と強調した。
ある役人は、ABCニュースに対して、「米国はシャイヒ・サイード・アル・マスリと名乗っていたアル・ヤジドの死についての情報は本当であり、彼は一週間前、パキスタンの部族地域で殺されたと述べた。
アル・ヤジドは、ビン・ラディンとナンバーツーのアイマン・ザワヒリとの間で結び目であった。彼はアルカイダの中で財政から作戦の立案まですべてを取り仕切っていた。アル・ヤジドは、バラク・オバマ大統領の任期中に殺された最高位のテロリストである。これは、昨年12月に重要な人物を二人失ったアルカイダにとっては、大きな打撃である。しかし、アルカイダは、まだ米国と断固として戦うことに決心している。
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「テロリストは、米国の旅券を所持」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の記事。

2010年05月06日 | テロリズム
パキスタン出身のファイサル・シャーザッドは、アメリカの夢に到達する4車線の高速道路を走っていた。だが何時の時点でか、彼は行き止まりの道に入り込んだ。先週、土曜日、彼は多数の人々が往来するタイムズ・スクウエアで消火器と、ガスボンベと石油缶と肥料を載せた車を爆発させようとしたのだ。テロ攻撃は失敗だった。
明らかに不細工な寄せ集めの爆弾は、信管をはずされ、車は文字通りFBIの捜査官にとっては、宝箱だった。53時間後、テロ容疑者は、ニューヨークのJ.F.ケネディ空港発ドバイ経由イスラマバード行きの「首長国」航空会社の飛行機の中で、逮捕された。
ファイサル・シャーサッドは、テロの試みを認めたそうだ。彼は最初の尋問の前に、彼が選んだ弁護士と事前に相談せずに、黙秘権があることは聞かされていた。その点では、何人かの野党の共和党議員は、腹を立てた。結局、明らかに大量殺人をしようと決心し、イスラム教徒の憎悪に狩りたてられたテロリストが問題なのだから、普通の犯罪者とは違う扱いをするべきだったと彼らは言う。
シャーザッドは、「国内製テロリスト」の典型であり、それはアメリカ社会に対する明らかに増大しつつある危険を意味している。彼は、1979年にパキスタンのカラチで生まれたと書かれているが、彼の家族は明らかにパキスタンが支配しているカシミール地方のパッビの出身である。そこには悪名高いアルカイダの訓練センターがあった。父のベンハルイ・ハクは、パキスタン空軍の退職した地位の高い将校であり、後には航空局の局長代理として勤務した。パキスタンのエリートらしく、彼は息子に良い教育を受けさせた。ファイサルは、カラチの大学に入学する前に、パキスタンとサウディ・アラビアの私立学校を卒業した。カラチの大学は、ワシントンにあるその間に廃校となった「サウスイースタン大学」と連繋していた。1997年にシャーザッドは、ワシントン大学の援助で、米国の奨学金を受け、ワシントンで、情報科学とマーケッティングとを勉強した。(中略)
シャーザド事件は、幾つかの理由でアメリカ社会と専門家を不安にしている・イスラム教徒テロリストの戦略は、アメリカで「9.11」規模のさらなるテロ攻撃を行うことではない。そうではなくて、僅かな費用で、人出の多い広場や買い物場所のような「弱い目標」を当てることである。
その上、かなり以前からアメリカに住んでいるイスラム系移住民や彼らのそこで生まれた子孫が、役所や隣人が気がつかないうちに、過激化しているということは明らかだ。最後に、明らかなことは、容疑者の追跡の際、殆ど信じられない失敗があったということである。シャーザッドが既に5月3日に警察によって飛行機に乗せてはならない容疑者のリストに載せられたのに、
彼は航空会社「首長国」によって、ドバイ経由イスラマバード行きの航空機の乗客として搭乗出来た理由は、そのリストが明らかに航空会社に届いていなかったということである。乗客リストの手交が離陸30分前に初めてFBIに渡されたので、捜査員に警告された。共和党の下院議員であるピート・ヘクストラは、水曜日に、「運が良いということが、われわれの国家安全戦略であってはならない」と述べた。(後略)
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「イェーメン・グループは、新しいテロの脅威の傾向を示している」と題する記事。

2010年01月03日 | テロリズム
テロに対する戦争がイェーメンからのアルカイダに対して向けられるにつれて、米国の情報員は、この国の戦略的位置と無法さと不安定とによって、イェーメンは、パキスタンやアフガニスタンよりも、もっと問題の多い戦場になるかもしれないと言う。
 貧困化した国民は、内戦をやっており、9.11のテロ攻撃以前のアフガニスタンよりも、アルカイダの戦士にとってもっと好都合になったと情報員は言う。
 オバマ大統領が、土曜日に、情報の共有や訓練と「アラビア半島のアルカイダ」として知られるこの地域でのアルカイダの支部に対する協同攻撃を含むイェーメンとのパートナーシップを宣言した際に、彼は脅威の重大性を過小評価している。
 イラクとアフガニスタンにおけるオバマの最高司令官であるデイヴィッド・H・ペトレイアス大将は、土曜日に、到着し、アリ・アブドラ・サレー大統領に会って、米国は、来年その反テロ援助を拡大すると宣言した。
 イェーメン政府も、数百名の部隊をマレブ州の山地と他のアルカイダの牙城に派遣した。
 12月25日に起こったデトロイト行きの航空機爆破未遂事件に関して詳細を述べたオバマは、アルカイダのイェーメン支部がノースウエスト機を爆破しようとした23才のナイジェリア人を訓練し、装備を与えて送り出したと述べた。
 イェーメンでのアルカイダの台頭は、部分的には、この國の地理的位置の産物である。それは、アラブ世界の中心に位置し、アラブ人の作戦行動が目立つ南アジアやアフリカにある他の軍事的拠点よりも遙かに好都合である。
 しかし、更に、代々の米国行政府が腐敗していて怠慢だと非難してきた政府の弱さが加わる。地方の混沌たる情勢だけでなく、首都においても、イェーメン当局は、多数の疑わしい脱獄や、逮捕されたアルカイダの上級メンバーのあからさまな釈放を助けてきた。
 その結果、ワシントンとイェーメン政府との間には相互不信が増大してきた。イェーメン政府高官は、数ヶ月かかるから、新しい軍事援助も急激には状況を変えないだろうと言っている。
 しかし、イェーメン・グループがパキスタンとアフガニスタンとの国境にいるアルカイダの核と同じぐらい危険になるには、それには、まだ、訓練と戦士募集のインフラが欠けている。(後略)
[訳者のコメント]1月3日付の『ロサンジェルス・タイムズ』の記事です。筆者は、ジョッシュ・メイヤーという人です。
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「一人の男と一匹の動物」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年12月05日 | テロリズム
イスラムの犠牲祭りは、丁度終わったところだ。ヒンズークシュ山地のムジャヘディン達もそれを祝った。犠牲動物のを含めて。数日前、トルコの聖戦士のウエッブ・サイトで公開された一連の写真はそのことを報告している。画像には、ドイツ人のエリック・ブライニガーの姿も見られる。このザールラント出身のイスラム過激派は、2008年の半ば以来、アフガニスタンに駐在していると推測されている。彼について生きているという証拠は、2009年8月に合った。
今、ブライニガーは、アフガニスタン風の衣服を着て、羊と牝牛といっしょに写っている。その際、彼は寄贈者の名前を書いた大きな紙を高々と掲げている。その名前は、「アブ・カカ」と「ハッカイ・シハド」と読める。全部で18枚のこのような写真が保存されているが、その多くで、子供か大人が寄贈者の名前を高々と掲げている。
他の写真では、去れた動物が解体される模様を写している。ドイツの公安当局者は、撮影は本物だと見なしている。
ブライニガーは、メーデバッハ=オーバーシュレードルンでのザウアーラント・グループの劇的逮捕の二日前、2007年9月2日に、まず、エジプトへ旅行した。2007年11月に彼はさらに同様にドイツ出身の過激派フッサイン・アル・Mとドバイ経由でイランに入国、そこからアフガニスタンへ入った。2008年3月にブライニンガーは、自分の妹にe-mailで自分がパキスタンの山の中におり、これからアフガニスタンに行くつもりだと伝えた。
もともと、彼はザウアーラント・グループを指揮していた「イスラム・聖戦同盟」(IJU)のメンバーであった。ブライニガーは、IJUのビデオに何度か登場し、ドイツ在住のムスリムたちに自分と同じことをするように呼びかけた。最後は2008年10月だった。
もっとも、実際の公開ビデオでは、IJUとの関係は述べられていないが、ドイツの情報機関のアナリストたちは、だからといって、ブライニガーがもはやIJUに属していないとは考えていない。その可能な理由は知られていない。同様に、彼の現在の滞在地、あるいは彼が現在所属しているグループも知られていない。
[訳者の感想]名前は全くドイツ系で、写真に写っている顔もコーカサス系で、トルコ人かアラブ人のようには見えません。珍しいケースだと思います。
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「見ろ、あれはビン・ラディンだ」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年10月29日 | テロリズム
ベルリン発:オサマ・ビン・ラディンは、ネッシーと共通点がある。確かに、アルカイダの創設者の存在は、基本的に疑われない。だが、このスコットランドの湖の怪物と同様、新たな映像は何人かの人たちには彼が存在することの証明だと評価されるが、他の人たちは、いかさまだと退けられる。
その理由は、オサマ・ビン・ラディンは、比較的しばしば登場しているが、彼の副官であるアイマン・アル・ザワヒリがもっぱらビデオによる告知という形で現れるのとは違っている。彼の良く響く声と現実の出来事に対する込み入った注釈とは、彼が生きている証拠だと見なされた。最後に登場したのは、2007年でその前は、2004年である。
動いている映像が不足してることによって、繰り返し、次のような憶測が生まれた。このサウジ・アラビア人は、非常に健康状態が悪いので、ビデオで撮影すると彼の絶望的な印象を残すだろうという憶測である。
今度の憶測は、オサマ・ビン・ラディンは、いわばお忍びで、実際のアルカイダのビデオの中に収められて密輸されたというものだ。
この問題となるビデオは、水曜日の早朝、これまでのやり方でインターネットを通じて放映された。アルカイダの宣伝部である「アル・サハブ」は、ウエッブサイトで、アルカイダのイデオローグであるアブ・ジャジャ・アル・リビの説教を公開した。このビデオの本物性を疑う理由はない。従って、アル・リビの説教の内容は、伝える値打ちがない。
約45分かかるビデオの終わり近く、厳密に言うと、43分29秒から43分40秒までの間に、アル・リビの説教を聞いている聴衆の中にオサマ・ビン・ラディンにそっくりの男が認識されるのだ。
というわけは、馬鹿げたことに、アル・サハブは、この男とすべての他の聴衆とをぼやけさせた。
私もこのビデオを見たが、この箇所の前で画面が切れた。ワシントン近郊にある「インターセンター」のアナリスト達は、別の意見だ。この研究所は、テロ告知の評価に特化されており、全世界の官庁を顧客にしている。
この研究所のアナリストにとって、画面に映る聴衆とビン・ラディンとの類似性は非常に驚くべきものなので、彼らは折り返しこの画面を公開した。(中略)
オサマ・ビン・ラディンがこの説教の際、出席していたということは、十分考えられる。勿論、アルカイダのナンバー3と同じ場所に滞在しているというのは、危険である。だが、オサマ・ビン・ラディンは、常に合理的だとは限らない。
もし、それが本当にオサマだとしたら、そうすることで彼は信奉者達に「見ろ。おれは生きている。だが、おれはいつも最前列にいるわけではない」言いたいのかもしれない。
この聴衆の一人がビン・ラディンであると検証されれば、それは情報機関にとっては、同様に興味深いだろう。どの場合、彼はまだ生きており、動く自由を楽しんでいることが分かるだろう。
世界中のアルカイダのファンが耳をそばだてている、ジハード・インターネットでは、ファンの間で議論され、「問題」が彼らのやり方で推し進められるだろう。だが、いわゆるビン・ラディン登場については、水曜日の午後まで、テーマになっていない。
この事情を、ビデオに出てくる人物がビン・ラディンではないということの証拠であると私は見なしている。
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「宣伝ビデオにドイツ人の聖戦コロニー」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年10月04日 | テロリズム
新たに、アフガニスタンとパキスタン国境から持ち出されたドイツ語を話すインターネットで公開された。その中に見られるのは、数名のドイツ語を話すイスラム主義者とウズベキスタンのイスラム運動の戦士であるが、その中には既に知られているボン出身のムニール・チョウカとヤシン・チョウカの兄弟がいる。
この宣伝ビデオから、初めて、ドイツ出身の聖戦士が浮かび上がった。彼らは自分たちを「アブ・アスカル」とか、「アブ・サフィヤー」と称しており、不信仰者に対するジハードに参加するように呼びかけている。
一時間ほどのビデオに示されているのは、主に、パキスタンとの国境での戦闘シーンと「国際イスラム同盟」(IMU)の訓練キャンプでの日常生活と「アブ・イブラヒム」ことヤシン・チョウカの比較的長い説教である。
このモロッコ系ドイツ人は、「聖戦」の長所を説明し、ドイツ在住のモスレムに対して、ジハードに参加するように要求している。「聖戦は、高い目標をもった奉仕者の神に対する奉仕だ」と彼は説明している。更に、「デモやパンフレットでは不信仰者の暴力を止められない」と言われている。
「アブ・サフィヤー」と名乗るもう一人の聖戦士は、ビデオのある場面で、「ジハードに生きることは、自由に生きることだ」と宣言し、「ジハードとその後に来るものが、私の心を捉えた」と言う。同様にドイツ出身の「神の戦士」である「アブ・アスカル」は、地面に座って、カラシュニコフ銃を抱え、手に黒い剣を持っている。彼と信仰の兄弟達は、宗教を勝利に導くために、ドイツと両親を捨てたと述べている。
宣伝ビデオの別の箇所では、「アブ・アスカル」は、一連のテログループの中には、ロシア、モロッコ、チュニジア、中国、欧州、ウズベキスタン出身の兄弟達がいると言明している。
「ウズベキスタン・イスラム運動」の訓練キャンプも、このビデオに現れる。そこでは、既に聖戦士の跡継ぎたちが訓練されている。明らかに、既に小さな子供も銃の取り扱いに通じており、イスラム主義的教育を受けている。子供達の間に何人かの金髪のヨーロッパ人に見える少年達がいるのが目に付く。
「ウズベキスタン・イスラム運動」の首領であるタヒル・ユルダシェフは、画面の中で、チョウカ兄弟の間に座っている。アメリカとパキスタンの秘密情報機関によると、ユルダシェフは、よく知られたアルカイダの同調者であって、8月末に米軍の空からの攻撃で殺されたそうだ。しかし、この推定の証拠はまだない。
プラーグのラジオ放送局「ラジオ・リバティ」には、最近、イスラム過激派のボディ・ガードが連絡してきて、ユルダシェフは、ワジリスタンでのロケット攻撃の後、負傷していると伝えた。ドイツ人イスラム主義者がその時間にユルダシェフのそばに滞在したいたかどうかは知られていない。
週刊誌『シュピーゲル』の報道によると、五月以来、ドイツ系イスラム主義者のグループがパキスタンで逮捕されているが、その中には、4才の女児がいた。彼女は逮捕されたとき、訓練キャンプ地へ行く途中だった。
ボン地域出身の聖戦士の募集者のなかには、チョウカ兄弟のリビア人義兄弟がいるそうだ。逮捕された男性のうち二人は、「聖戦に」赴こうとしていたと認めた。
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「アルカイダ、連邦議会選挙後にテロ攻撃をすると脅す」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年09月19日 | テロリズム
ベルリン発:金曜日午後に公表された脅迫ビデオの発信者が、高い確率で実際にアルカイダなかったとすると、それを真剣に受け取ることは難しいだろう。話し手は、このような場合には考えられる限り典型的でない服装をしている。つまり、彼は、黒い背広を着て、青いネクタイを締めている。赤いカーテンを背景にして、ボン出身のイスラム過激派ベッカイ・ハラハの脅迫ビデオは、この種の公開ビデオのどのスタイルとも違っている。
だが、彼の告知は、はっきりしている。ドイツの治安当局は、それを真剣に受け止めた。アルカイダの名前を使って、このボン出身者は、連邦議会選挙が、連邦軍のアフガニスタンから撤退するという意志を反映しない場合には、ドイツ国内でテロを行うと脅した。
言葉どおりに引用すると、ハラハは、「ドイツ国民が戦争に踏み切れば、それは自分自身の判決を下したことになる」と言った。「その場合、聖戦は、ドイツに及ぶだろう。ドイツ在住のムスリムに対して、14日の間に、あらゆる生活に必要でない場所に立ち入らないように、また、子供たちを手放さないように、警告した。キール市は、どんな場合にも安全であるだろうという箇所は、説明できない。ハラハは、2004年のマドリッドと2005年のロンドンでのテロに言及した。
他方では、今年、「ドイツ人アブ・タイハ」という名前で本物だと思われるビデオを公開したハラハは、「ドイツには現在置かれている運命を免れる機会がある」と述べた。連邦軍の最後の兵士がアフガニスタンから撤退するならば、最後の聖戦士もドイツから呼び返されるだろうと述べた。
このビデオは、金曜日午後に、アルカイダや他のテロリスト集団が利用するいくつかのウエッブ・サイトで放映された。
ドイツの治安当局は、現在、このビデオを検討中である。公開場所や公開の仕方は、話し手の声や音調と同様、本物であることを窺わせる。数ヶ月前から、アルカイダがドイツ国内の目標に対するテロ攻撃を行う兆候が濃厚になっていた。アルカイダのシンパは、インターネットの中で、「ドイツの9.11」について公然と語った。アメリカ政府の陳述では、パキスタン在住のアルカイダ指導部は、北アフリカにいる「マグレブのアルカイダ」に対して、「ドイツ人に標的を絞って攻撃するように」指令を出した。(以下略)
[訳者の感想]「ベッカイ・ハラハ」は、モロッコ系ドイツ人だそうです。トルコ系ではないようです。
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「パキスタンのタリバン指揮官が殺されたとタリバンが報告」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年08月07日 | テロリズム
 お尋ね者となっていたパキスタン人のタリバン指揮官バイトラー・メスードが死んだ。タリバン筋によると、メスードは、先週、水曜日、米軍の空襲で命を失った。彼はすでに埋葬されたそうだ。
 それに先立って、名前を出されることを望まないある米国の代表は、「メスードが死んだかもしれないと信じる根拠がある」と述べた。「われわれは捜査している」とパキスタン治安機関の高位の協力者は述べた。
 水曜日、ワジリスタン州南部にあるメスードの義父の家に対する米軍の攻撃の際、情報機関の陳述によると、二人の人間が殺された。一人は、タリバン指揮官の第二夫人であった。初めは、攻撃の時点にメスードが家に滞在していたか、負傷したかどうかは証拠がなかった。殺された妻の親族は、メスードは「安全なところにいる」と断言した。
 メスードは、「テへレーク・エ・タリバン」というグループを率いていたが、このグループは、2007年12月のベナジル・ブット元大統領の暗殺に加わった容疑があった。彼はまた、パキスタンにおける1ダースほどの自殺爆弾事件に責任があり、アルカイダと接触している容疑があった。
パキスタンでは、メスードは、国内の安定に対する強力な脅威であると見なされていた。米国は、アフガンへの米兵増強に際して彼を危険と見なし、彼の首に500万ドル(4千500万円)の懸賞金を懸けた。「テヘレーク・エ・タリバン」の牙城であるワジリスタン州南部は、アフガニスタンとの国境にある。この地方は、タリバンとアルカイダにとっての避難場所だと見なされている。
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「無人偵察機、パキスタン・タリバンの指導者の妻を殺害」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年08月06日 | テロリズム
ペシャワール発:いくつかの情報源によると、アフガニスタンとの国境地帯で、米軍の無人偵察機がロケット攻撃を行い、パキスタン・タリバンの指導者バイトラ・メースドの妻が命を落とした。複数の情報機関の協力者が、過激派指導者の妻の死を裏書している。
ロイター通信社は、メースドの妻が殺されたと断言した親類の者の言葉を引用している。アフガニスタン国境にあるワジリスタン州南部での攻撃では、それ以外に二人の人間が死亡した。米軍の無人偵察機が発射したロケットは、メースドの義父の家を直撃し、その際、4人の子供も死んだ。
バイトラ・メースドが攻撃の時点で彼の義父の家に居たかどうかは、不明である。
メースドは、パキスタンでは、国家の敵ナンバーワンと見なされている。米国は、彼の首に500万ドルの懸賞金を掛けた。メースドは、2007年に自分自身をパキスタン・タリバンの指導者に任命した。彼の信奉者は、パキスタンで無数の自爆テロを実行した。また、彼は、アフガニスタンとの国境での西欧軍に対する攻撃に責任がある。メースドは、アフガニスタンのタリバンやアルカイダと密接な関係があると言われている。
更にこの過激派指導者は、ムシャラフ元大統領に対する反対者であったベナジル・ブット候補の殺害に責任があるとされている。
米軍とパキスタン政府軍とは、過去に、ワジリスタン南部での攻撃を強化した。この地方は、過激派の退避場所だと見なされている。
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「ドイツにいるアルカイダの手先、投獄」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2009年07月15日 | テロリズム
ラピスラズリの原石の鉱山は、アフガニスタンにある。数百年前から、このウルトラ・マリンブルー色の貴石は、ヒンヅークシュ山脈のコクシャ渓谷で採取されてきた。イスラム過激派のタリバンにとっては、それは重要な収入源である。
ラインラント・プファルツ州のゲルマースハイム出身の宝石商であるアレーム・ナシルは、この地域とつながりがあった。彼は規則的にパキスタンに旅行し、ラピスラズリを直接、タリバンから購入した。だが、この37才のドイツ国籍をもった男は、宝石の取引きだけに限定したわけではなかった。彼は、テロ組織「アルカイダ」に防弾チョッキや狙撃用望遠鏡や夜間射撃用の機械、望遠鏡、ラジオ装置などの武器を調達した。ドイツで彼は7万8千ユーロ(1053万円)という額の寄付を集め、それをテロリストたちに渡した。また、彼はアフガンとパキスタンの国境にある訓練所のために候補者を募った。
それゆえ、月曜日に、コブレンツの州上級裁判所は、アレーム・ナシルを懲役8ヶ月の刑に処した。裁判官は、このパキスタン系ドイツ人が2004年から2008年まで、外国のテロ組織のメンバーであって、外国経済法とヨーロッパの輸出禁止法に違反したことが証明されたと主張した。弁護側は、最終弁論で述べたように「彼はテロリストではない」という理由で、無罪放免を要求した。
裁判所は、7ヶ月に及ぶ審理を行い、1000件もの文書を提出し、世界中から59人の証人を召喚した。アンゲリカ・ブレットナー裁判官は、「ナシルは、2003年の11月に初めて、パキスタンにいるアルカイダの高位の代表に会って以来、このテロ組織に、お金と物資と志願者を補給した」と述べた。ゲルマースハイムの彼の家で、彼は多数の宣伝ヴィデオと処刑ビデオを持っていた。それは、武器による戦闘のために若いムスリムをリクルートするためだった。ドイツ人のイスラム改宗者と結婚している被告の義理の息子もアルカイダとの接触を裏書した。
ナシルがリクルートした青年の一人は、ドイツでは良く知られている。2007年初頭に、宝石商は、モロッコ系ドイツ人のベッカイ・ハラハに手書きの推薦状を渡した。それをもって、この男は、イラン経由でアフガンとパキスタンの国境に旅行した。今年の初めに、ハラハは、テロリストの訓練を終了し、ビデオの告知で故郷にお目見えした。あらゆる報道機関が流した30分間の長広舌は、治安機関にとっては、危険な兆候だった。なぜならば、アルカイダは、ハラハを通じて、ドイツ国家に脅迫を向けたからである。ハラハは、「われわれの原爆は、自動車爆弾だ」と自慢し、ドイツはこの武器から逃れられないだろうと述べた。
 この脅迫は、アレーム・ナシルの趣味に合っている。「被告は、ジハードを不信者に対する戦争だと理解している」とブレットナー裁判官は述べた。イスラム法に従う生活が可能になるために、不信者を殺すことは許されるというのが彼の考え方だ。2007年春、パキスタン滞在中に、ナシルは、パキスタンの秘密情報機関(ISI)によって逮捕され、その後、捜査のために、ドイツに移送された。
 裁判所は、判決理由においては、ISIから渡された尋問調書は、審理においては評価されなかったという確認に価値を置いた。裁判は、国連人権員会の陳述に従って行われたとブレットナー裁判官は述べた。国連人権委員会によると、ISIの尋問では、拷問が行われた可能性は否定されないと言う。
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「乳白色の顔をしたテロリストの底知れぬ憎悪」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月05日 | テロリズム
この連中を顔を見たいと思う。連邦検察庁が告訴状に書いているように、、彼らが生まれ、育ったドイツにおいて、9.11規模の爆弾攻撃で何百人もの人間を殺そうとしたこの若者たちは、どんな外見を見せているか。
容疑者から犯人になり、最後に被告となった彼らの名前は、よく知られている。フリッツ・ゲロヴィッツ、ダニエル・シュナイダー、アデム・イルマズは、テロ細胞の核となるはずだった。それは、彼らが大量殺人を計画した場所にちなんで、「ザウアーラント・グループ」と名づけられた。この一団の第4の男、アッチラ・セレクは、トルコから支援を行った。彼らは狂信的な信念によって、イスラム教だと称する宗教に追いやられた。
彼らの写真は少ない。大抵は、若いときの撮影か、手配写真である。最後のスナップ写真は、2007年9月の逮捕後、つまり、一年半前に撮られたものだ。シュナイダーを除いてみなマスクをかぶっている。
水曜日以来、誰でも治安当局には「最初の自家製テロリスト」と見なされている若者たちの外見と振る舞いの写真を見ることが出来る。告訴状の朗読とともに、デュッセルドルフの上級地方裁判所の法廷で、厳しい治安保全の措置の下で、「ザウアーラント・グループ」に対する裁判が始まった。
連邦検察庁は、40ページにのぼる告訴状で、参加の程度は異なるが、いくつかの犯行について告発した。国内と国外でテロリスト集団のメンバーに参加したこと、爆発物攻撃を準備したこと、殺人の申し合わせなどである。シュナイダーは、逮捕時、警官に発砲したので、殺人未遂に対しても責任がある。
三名の検事は、「ザウアーラント・グループ」のメンバーが「イスラム教の敵としての
米国に対する底知れぬ憎悪」に満たされていたと述べた。だが、ドイツ人の犠牲も、彼らには歓迎されていた。被告はメディアに有効なテロの印を置こうとしていた。彼らの目標は、テロ攻撃の際、「出来るだけ多くの人間を殺すこと」だった。
最初の法廷手続きの際、西欧社会とすべての不信仰者に対する憎悪が一度だけ垣間見えた。アデム・イルマズが、弁護人の宣誓のために起立する拒んだときである。オットマール・ブライドリング裁判長の警告に対して、彼は「私はアラーのためにのみ起立する」と言った。連邦検事は、三日間の拘禁を請求した。
他の被告たちは、落ち着いているように見え、法廷の進行を黙って追っている。多かれ少なかれ長いヒゲを取り去って考えると、ジーンズをはき、シャツを着た若者のミルク色の肌が見えただろう。全く普通の若者に見える。フリッツ・ゲロヴィッツは、市民階層の出で、サッカーをし、できる生徒だった。後に「ノイ・ウルム経済大学」の学生となった。ダニエル・シュナイダーは、ザールラント州のノイキルヒェンの出身で、数学の良くできる高校生であり、ガールフレンドがいて、バスケット・ボールをやっていた。だが、彼らの性格は明らかに、不安定であり、両親の離婚を経験しており、あらゆる外部から影響されやすかった。治安当局が「イスラムへの三段跳び」と呼ぶものだ。新しい知人を通じて、彼らはイスラム教と接触を持ち、モスクを訪れ、その共同体が居心地が良かった。
それから、彼らは過激派や憎悪を振りまく説教師に接触した。彼らは外国語学校でアラビア語クラスに出席し、そこでジハード主義者に話し掛けられた。最後に、パキスタンのテロリストのキャンプに旅行し、テロ攻撃を計画し始めた。
これらは、まだ、検察側の主張である。これに対して、弁護団は、告訴状を「汚いでっち上げ」だと見ている。国家は、彼らの依頼人に秘密情報機関の監視行為から得られた「非合法的な認識」を通じて、テロの容疑に到った。論証の信憑性は、これから二年かかって、明らかにされる予定だ。最初の手続きでは、被告の顔だけがわかった。彼らの人柄のイメージや彼らの衝動のイメージは、不明確なままである。
[訳者の感想]ゲロヴィッツとシュナイダーは、名前から見て純粋のドイツ人ですが、アデム・イルマズはトルコ系のドイツ人だと思われます。
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「ペトレイアス、軍事的焦点を向け直すようにパキスタンに要求」と題する記事。

2009年04月26日 | テロリズム
ペトレイアスは、パキスタンの反テロ能力基金に対する米国議会の支持を要請した。より急速な訓練とパキスタン軍へのもっと多くの装備を与えることを可能にするもっと柔軟な資金の使用を要求した。
「パキスタン軍は、部族地域での作戦を増大した。しかしながら、もっと広範な仕事が必要であること、最近の出来事(タリバン軍がパキスタンの首都イスラマバードの100キロに迫ったことを指す。)はそのことを強調していることは誰でも認めている」とペトレイアス大将は、「支出適正委員会」の前で証言した。
特に、パキスタンは、その軍事力を伝統的なライバルであるインドに向けられた焦点を反政府勢力に対する作戦に向け変えねばならない。
ペトレイアスが求めている、2009年度に4億ドル(360億円)の予算をもった基金は、彼が監督している米国の中央員会経由で直接支給される。この取り決めは、中央軍司令官にどれだけの資金が使用されるかをコントロールする権限を与えており、パキスタンが計画の概要にしたがって、必要な訓練を完成するまで、パキスタン軍の装備を留保することができる。
基金は、イラクとアフガンの兵士と警察官を訓練し装備するのに使われたものと似ていおり、反政府軍に対して投入されているパキスタン軍のために調節されるとペトレイアス大将は述べた。
このような米国の軍事訓練は、部族支配地域とパキスタン北西部で作戦遂行中の少数のパキスタン軍のために行われていると、彼は述べた。300人から350人の前線部隊がスワート渓谷からタリバンが移動したブネル地域に投入された。
「タリバンは、前線部隊の到着以前に退却したと思われる。したがって、この能力はわれわれを非常に助けている」とペトレイアス大将は述べた。
議会は、現在の補助的な支出法案で、パキスタン軍のための新しい基金を支持する模様である。しかし、2010年度の計画に関しては、議論があるかもしれない。その理由は、何人かの議員は、この反政府勢力対策基金を米軍経由でなく、国務省経由で支出することが望ましいと考えているからである。
[訳者の感想]これは4月25日の『ロサンジェルス・タイムズ』紙の記事です。
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「オバマと戦うために、アルカイダは侮辱する」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2009年01月26日 | テロリズム
11月の大統領選挙のすぐ後で、アルカイダのナンバー2であるアイマン・ザワヒリは、大統領候補を「家の奴隷」と呼んだ。それ以来、テロリスト集団は、バラク・オバマに対する言葉による非難の嵐を爆発させた。オバマは、「偽善者」、罪のない者の「人殺し」、「ムスリムの敵」と呼ばれた。彼が職務に就く前に始まって終わったガザ地区のイスラエルによる殺戮に責任があると非難された。
「彼はガザにいるあなた方の兄弟姉妹を無慈悲に何の感情もなく殺している」とアルカイダのスポークスマンは、今月インターネットで宣言した。
この憎悪に満ちた言葉の激流は、テロリズムの専門家によると、アルカイダをいらだたせているように見える大統領に対する熟慮の末の絶望的な宣伝活動である。ジョージ・W・ブッシュの退場は、テロリスト集団への志願者と寄付金を後押ししてきた対極的なアメリカ人をアルカイダから奪ったのだ。
オバマとともに、アルカイダは、全く新しい挑戦に直面している。なぜなら、イラク戦争を終結し、キューバのグアンタナモ湾にある軍事刑務所を閉鎖すると宣言した新大統領は、ムスリム世界ではどこでも好意をもって迎えられているからである。
オバマ贔屓の感情がいつまで続くかは、まだ見ておかなければならない。先週、金曜日に
新しい行政府は、それが少なくともブッシュの反テロ政策の一部を継続するつもりだというシグナルを送った。つまり、パキスタンの部族地域にあるテロリストの隠れ家をミサイルで攻撃することをCIAに許した。
しかし、当面、米国政府の政策転換は、アルカイダの指導者を動揺させた。彼らのあるものは、オバマとブッシュは本質的に同じだと信奉者に確信させようと慌てている。
「彼らは自分たちがこの新しい対立で何を手に入れることができるか確信できないでいる」とジョージタウン大学で国家安全保障について講演した元CIAの反テロ職員のポール・ピラーは述べた。「アルカイダにとっては、イメージとトーンの点で、ブッシュは、完全に近い引き立て役だった。」
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