海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「政治家や経営者や官僚を信用しないドイツ国民」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年03月12日 | 政治と文化
ドイツは、不信の国になった。国民の五人に四人は、政治の指導者達を全く信用していない。政党と政府が社会の福祉のために行為するだろうという希望は消えた。この結論に達したのは、ベルリンにある「フォルザ研究所」の代表的な研究である。連邦首相アンゲラ・メルケルについての世論調査の良い結果もこの冷静な結果を何ら変えない。
確かにドイツ人は、メルケルが有能であり、大連立は安定していると思っている。だが、この判断は、政治に対する彼らの不信に殆ど影響を及ぼさない。たいていの人の目には、新しい政府は前の政府よりはましなイメージを与えている。だが、それは国家の先頭に対して信用を置く理由にはならない。今週、木曜日にベルリンで「信頼喪失」をテーマとする会議を開催する「アルフレート・ヘルハウゼン協会」のために「フォルザ研究」は作成された。「信頼の危機:ドイツ人と彼らの政治家」という題目で、学者、政治家、メディア関係者は、「失われた信頼を取り戻すために何がなされなければならないか」について議論する。
 国民の79%は、この世論調査の中で「政治の成果について不満である」と意見を述べた。特に目立つのは、評価の上位を占める数値である。回答者の43%は、彼らの不信は、大きい」と回答した。更に回答者の36%は、「非常に大きい」と述べた。同様な世論調査は、連邦共和国が成立してから繰り返し行われた。その際、不信の割合は、常に増大した。そうこうするうち、不信の割合は、記録的な数値に達した。国民の60%は、ドイツで政治が行われる仕方について満足しておらず、東ドイツでは、政治に不満な人の割合は、74%に達している。
 回答者は、偶然にこの判断に達したのではない。彼らは彼ら自身のまずい経験によってこういう判断へと押しやられたのだ。全回答者の32%は、自分たちは失望したと述べ、8%は、「憤激」を感じている。それどころか2%は、「軽蔑」を感じている。10%の人たちでは、怒りは、「無関心」に変わった。
 失望した人たちは、その理由として、社会的に不公平な政策を挙げ、政治家達は、無能で、腐敗しており、彼らの約束を守らなかったという印象を持っている。国民は、諸政党に対しても、破滅的な点数を与えている。回答者のうちの16%だけが、政党は選挙民の利害関心を適切に代表していると感じている。これに対して、73%は、政党は、何よりも先ず、支持団体、ロビイスト、あるいは他の利害集団の欲求に応えていると思っている。
 だが、政治家だけでなく、他のエリート達も国民の信頼を失った。このことは、特に、企業の経営者に当てはまる。回答者の76%は、経営者に対して信頼を失ったと述べた。高級官僚も同様である。ドイツ人の38%は、官僚に不信感を持っている。これに対して、ドイツ人が一番信頼している役所は「警察」であり、回答者の76%がそう答えている。
 国民がその代表者達をもはや信用していないとしたら、国家はどのように機能したらよいのか?政治家達が選挙民の利害の代弁者であると理解されないなら、良い政治はどうして行われるだろうか?国民が選択の余地はないと感じるなら、選挙制度は何の価値があるか?これらの問いに対する答えを『ヴェルト日曜版』の今号は与えようと思う。さらに木曜日の会議で答えが追求される予定である。
 状況が改善される見込みは悪くはない。と言うわけは、フラストレーションを感じているにもかかわらず、国民は政治への関心を失ってはいない。46%は、政治に大きな関心を持っている。回答者の38%は、政治に対する関心はここ数年の間に増えたと述べている。国民は、確かに不信感は持っている。だが、自分を非政治的だとは思っていない。
「コントロールがなくなったところで、信頼が始まる」と信頼研究者のマルチン・シュヴェーアは書いている。ある政治的決断がその複雑性ゆえに正しいか間違っているかわれわれが判定できない場合、われわれは他人がわれわれのために正しく決断すると信じなければなるまい。まさにこのコントロールを断念する用意のある国民が少なくなっている。国民は不信が第一の国民の義務だと理解しているとシュヴェーアは言う。ドイツ人は数年前ほどお上に頼らなくなった。自己理解が変わった。政治家は、経営者や高位の官のと同様
、自然発生的ではない。彼らは信頼を勝ち得るようにしなければならぬ。勤勉と勇気と知性と国民の福祉のための仕事によって。大事なのは業績原理である。
「われわれはみなわれわれの民主主義を維持するために参加しなければならない。ワイマール共和国は、その敵のために挫折したのではなく、無関心だった数百万人のために挫折したのだ」とハンス・ヨッヘン・フォーゲルは、この研究の中で書いている。多くの国民はそうする用意がある。だが、彼らは政党は魅力的でないと思っている。民主政治は、その国民をもっと良く束ねなければならない。そうした場合にのみ、民主政治はその信頼の危機を解決するのだ。
[訳者の感想]ドイツでも政治不信が酷いようです。この論説はかなり格調の高いものになっていると私は思います。日本の状況ほうがドイツよりももっと悪いでしょう。なぜなら、政治に関心がないと答える人が多分大多数をしめると思うからです。そういう状況は民主政治にとって致命的だとこの論説は主張しているのです。
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