海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「左翼党政治家、射撃命令に対する疑いで挑発」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年02月27日 | 国際政治
ベルリン発:「左翼党」は、チューリンゲン州では、常に30%の得票率を維持している。それは、社会民主党よりもずっと多い得票だ。来る8月の州首相選挙では、八月の選挙のためのトップ候補者の名前は、ボド・ラメロウ。彼は「左翼党」政治家として、初めて州首相になるという野心を持っている。だが、彼は目下、誤解を招く発言で困った状況に陥っている。
自分も州首相になるだろう社会民主党のトップ候補者である、クリストフ・マッチーは、ラメロウを「DDRの宣伝機関」だと非難した。チューリンゲン州文部大臣のベルンヴァルト・ミュラー(CDU所属)は、「歴史の歪曲」について語り、CDUの会派代表であるマイク・モーリングは、彼を「何とも言えない世迷い言言い」だと称した。何が起こったのか?
批判は、『南チューリンゲン新聞』が木曜日に載せたDDRの歴史についてのラメロウとのインタービューと関係がある。それは大部分は問題のいが、二つの質問に対する彼の答えが問題になった。DDRは「無法国家」だったかという問いに対して、彼は、自分は「DDRを不法国家だと思わない」と答えた。そして、自分なら「無法国家」という政治的な概念を用いないだろうと述べた。また、DDRの「労働法」は、法文としては、その法律論理の点で、西ドイツの全く概観できない規則よりは、ずっとましで筋が通っていたと述べた。
ラメロウ自身は西ドイツの出身だが、彼は国境での射撃命令について尋ねられると、「国境は、DDRから出ようとした人々にとっては、「非常に危険だった。」「国境警備隊に対する武器の使用命令は、まさに同じ武器で国境突破を禁止せよという指図として理解されねばならないということは正しい。」「もっとも、射撃命令は、強制的な死による脅しとして刑法的な意味で評価されるかどうかは、疑われるかもしれない」と彼は述べた。
『シュピーゲル・オンライン』の質問に対して、ラメロウは自分の発言を擁護し、「私はインタービューで言ったすべての言葉に責任を持つ。」自がDDRに関しては「無法国家」という言葉を使わない理由は、それが司法で用いられる概念ではないからだ。射撃命令に関しては、「直接的な殺人への文書による命令は存在しない。」「DDRにおける立法に関しては、自分は、法文と法の適用とは区別されねばならないという意見だ。」
 西への逃亡者を止めるために、DDRの指導層が自分の国境守備兵に本当に射撃命令を出したかどうかについては、「左翼党」の内部で繰り返し激しい議論になった。2007年には、ロタール・ビスキイが一般的な射撃命令を否定したとき、党内の憤激をなだめなければならなかった。事実、これまでに、文書に書かれた証拠は存在しない。もっとも、壁で死んだ1千名の人は、武器の使用が国境では、日常に行われていたことを雄弁に物語っている。(以下省略)
[訳者の感想]「左翼党」(Die Linke)は、2007年6月16日に、かっての東独の社会主義統一党(共産党の正式名称)の後裔である「民主社会主義党」(PDS)と「労働と社会正義のための選挙代案」(WASG)とが合同してできた政党です。前者の党首がビスキイで、後者の党首はもとSPDの党員で大蔵大臣をやったことがあるオスカール・ラフォンテーヌです。2008年9月30日現在で、党員数は、7万6139名、連邦議会に53名の代議士を出しています。ドイツでは、「キリスト教民主同盟」、「社会主民主党」につぐ三番目に大きな政党です。
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「空虚の中の落下」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年02月26日 | 災害と事故
アムステルダム発:喜びから絶望に変わるのに一時間かからなかった。水曜日午前、アムステルダムのスキポール空港に着陸する際に墜落したトルコ航空のボーイング737型機について、トルコ交通省は最初、全員が生存していると言明した。このニュースが空港内に流れると、恐怖のすぐ後に、喜びの涙が流れた。「ハドソン川の奇跡」の6週間後に、「オランダの奇跡」が起こったように思われた。だが、希望はまもなくひどく裏切られることになった。
テレビのモニターには、事故機から袋につつまれた遺体を運び出す救助人が映し出された。
13時30分には、「少なくとも9人がこの事故で命を落とした」とミヒェル・ベズイエン・アムステルダム市長が伝えた。134名の乗客と乗員のうち、50名が負傷した。そのうちの半数は重傷である。9名の犠牲者のなかには、機長と副操縦士と訓練中の操縦士が含まれている。喜びは悲しみに変わった。
トルコ航空とトルコ交通省の早すぎる「救助報道」の理由については、墜落の原因についてと同じぐらいいろいろな憶測がなされている。
トルコのメディアによると、燃料不足が墜落の原因だという。他の報道では、同機は、着陸の際に、片方あるいは両方のエンジンを失ったと言われている。更に他の報道では、着陸の際、訓練中のパイロットが操縦していた。彼は操縦を誤って、畑につっこんだ。
トルコ航空のなかで、最も経験を積んだ機長は、誤操作を元へ戻そうとしたが、時間が十分でなかった。
ハドソン川のエアバスと同様に、鳥がエンジンに吸い込まれたと報道するメディアもある。ボーイング機の燃料が切れたから炎上しなかったのだとする報道もある。
乗客によると、同機は着陸の際、ひどく落ち込んだと言われる。「最初は全く通常の着陸だったが、突然、エアポケットに落ち込んだようだった」と銀行員のツンケル・ムトルーハンはトルコのNTVテレビに語った。「同機は操縦不能になって、墜落した。」
すべては、数秒間の出来事だった。まもなく着陸するというアナウンスがあった後で、乱気流に巻き込まれたように、突然落下し、それから尾翼が地面に接触し、高速道路を横切って、畑で停止した。燃料タンクが格納されている主翼は、全く損傷しなかったことが、機体が炎上しなかった理由であるようだ。(以下省略)
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「海賊の成功率低下」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の記事。

2009年02月19日 | アフリカの政治・経済・社会
「アタランタ」作戦開始から2ヶ月経って、海賊行為についての報道に関するものは本当に静かになった。これを国際的海軍力の成功だとみなすのは早すぎる。国防軍の派遣司令部によると、天候が悪すぎ、波が高いので、ソマリア人の海賊は、彼らの小さな船では活躍できない。先週、ヨーロッパの派遣に対するドイツの貢献として、「カールスルーエ」と交代した護衛艦「ランラント・プファルツ」は、ヘリを投入のために艦から発信させないで済んだ。
だが、天候は考慮に入れないとしても、国際的海軍力の投入は、目立った影響を与えている。一方では、一月には、報告された攻撃の試みは急激に増大した。その前の月には10隻だった被害が20隻に上った。事実、海賊たちは、3隻の船を拿捕することが出来た。1月29日には、ハンブルクの企業と結びついたタンカー「ロンシャン」が拿捕された。海軍の作戦が強化される前には、被害に遭う確率は、2分の一か、3分の一だった。もっとも、神経質になった船長がただの漁船を海賊船と誤認したケースもある。他方では、船長たちは安全規則を守っている。つまり、監視を強化すること、航行速度を速めること、攻撃の際にはコースを何度も変えることという規則である。
海軍は、それ以上の変化を確認した。海賊たちは、しばしば、複数で行動し、商船を1ダースほどのボートを使って攻撃する。彼らは非常に攻撃的で、早い段階で銃撃を加える。「カールスルーエ」の乗り組み員は、12月24日にイェーメンの海岸でエジプトの船を護衛したが、海賊は早い段階で銃撃を加え、護衛艦のヘリが上空に到達する前に、船員が撃たれた。「カールスルーエ」の医者が治療しなかったら、船員は失血で死んでいただろう。
攻撃的になったのは、明らかに、多くの軍艦による圧力に対する反応である。海賊たちは、攻撃の時間が限られていることに気づいた。
その間に、「アフリカの角」には、20隻以上の護衛艦と駆逐艦と補給艦が集まっている。そういうわけで、ドイツの護衛艦「メクレンブルグ・フォアポンメルン」は、「永続する自由」と名づける反テロ作戦の枠内で2002年以来同海域に居座っている「タスク・フォース150」に参加している。もっとも、「メクレンブルグ」は、緊急援助の枠内でしか、海賊防御を行えない。「タスク・フォース150」には、フランス海軍、パキスタン海軍、サウディ・アラビア海軍も参加している。これらの鑑艇については、このような制限は知られていない。国際的な司令部の下で、ロシア・中国・インドの軍艦も加わっている。日本からも一隻加わることになっている。
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「アラブ人たちはバシルに対する逮捕命令を停止しようとしている」と題する記事。

2009年02月15日 | 国際政治
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ニューヨーク発:アフリカとアラブ諸国は、安保理の助けを借りてオマル・アル・バシル・スーダン大統領に対する逮捕命令を停止しようとしている。両方の代表者たちあ、日本からの高須ユキオ安保理議長といっしょにニューヨークへやってきた。スーダンのアブドルマームード・モハママド国連大使は、アフリカ連合とアラブ連盟とは手続きの延期を得ようとしていると述べた。ハーグの国際裁判法廷の法的根拠であるローマ議定書によれば、安保理は法廷が特定の事例において12ヶ月間捜査や逮捕を導入したり、継続したりしないように、決議で作用することができる。『ニューヨーク・タイムズ』によれば、国際裁判所は既にダルフール地方における重大な戦争犯罪のかどでアル・バシルに対する逮捕を執行することを決定した。だが、裁判所はこれを否定し手いる。
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「輸出や輸入が落ち込んでいるので、世界的危機は中国に損害を与える」

2009年02月12日 | 中国の政治・経済・社会
1月に中国の輸出額は一年前の一月より17.5%減少し、輸入は43%落ち込んだ。そのかっては白熱していた経済がどれほど急速に低下し、更なる失業や社会不安の脅威が増大しているかを明白にしている。
エコノミストたちは政府の関税局によって公表された数字は今年の一週間かかった旧正月が一月に始まったという事実によって非常にゆがめられているということを指摘している。にもかかわらず、下落の程度は、多くのエコノミストたちによって予想された12%から14%よりも上回っており、12月の2.8%の落ち込みよりもはるかに増加している。
「基礎にある貿易額は、海外と国内の需要の最悪の状態がまだ終わっていないことを示唆している」とUBS証券の経済研究所所長であるタオ・ワンは昨日の報告書に書いた。
悪化しつつある世界経済は、中国の輸出業者にとっては、壊滅的である。中国南部の工業地帯にある何万もの工場は個々数ヶ月の間に閉鎖され、中国政府の推定によると、2千万人の新たな失業者を生み出した。
昨日公表されたデータによると、世界最大の経済の輸出額は、EU向けが17%、米国向けが10%、日本向けが9%落ち込んだが、中国の隣人への輸出額はもっと大きく落ち込んでいる。東南アジアの諸国連合を構成している国々への輸出は、22%落ち込んだ。
モルガン・スタンレーのデニーズ・ヤムとチン・ワンとは研究報告において、アジアの生産者間の貿易の多くは、部品であるか半製品であるので、「今後数ヶ月間にアジアの輸出国からの取引は、さらに低下するかもしれない」と述べている。
北京の清華大学の経済学教授であるリ・ダオクイは、数週間後に2月の統計が公表され、1月の数字といっしょに分析されれば、状況はひどくは見えないだろうと予測した。「自分は輸入額の落ち込みも、国内需要の後退よりは、むしろ原料価格の下落によるものであるがゆえに、誤解を招くものであると信じている」と述べた。
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「崖っぷち」と題する『ニューヨーク・タイムズ』に書かれたクルーグマンの論説

2009年02月12日 | アメリカの政治・経済・社会
それほどおかしくないことが、経済回復の途中で起こった。過去二週間、絶望的な難局にある経済をどうやって救うかについての非常に真剣な議論であるべきだったものは、陳腐な政治劇になった。共和党は、無駄な政府支出と減税の奇跡という古臭い決り文句を叫んでいた。
それは、まるで過去8年間の惨憺たる経済上の失敗が起こらなかったかのようだ。けれども、民主党は信じがたいことだが、守勢に立っている。主要な刺激策が上院を通過したとしても、原案の重要な部分、つまり、国家と地方政府との援助は、骨抜きにされたという現実のリスクが存在する。
いずれにしても、ワシントンは、われわれが経済的深淵に落ちかけているという現実についての感覚を失った。もし、そうなれば、そこから抜け出すことは非常に困難だろう。
どれほど多くの経済的困難の中にわれわれがいるかを誇張しすぎることはない。この危機は、住宅から始まったが、ブッシュ時代の住宅バブルの破裂は、米国だけでなく、世界中に経済的ドミノ倒しを始めた。
その資産が激減し、住宅価格の下落で楽天主義を打ち砕かれ、株式市場が急降下した消費者は、彼らの支出を切りつめ、貯蓄を殖やした。これは長期的には良いことだが、現在の経済に対する大きな打撃だ。家賃が下落し、融資コストが急上昇している商業的不動産のデベロッパーは、投資計画を削減している。ビジネスは、彼らが持っている生産能力を十分に使用するほどは販売することができないので、生産能力を拡大する計画を削減している。過去数年間、米国経済の強い領域であった輸出は、現在、われわれの貿易取引相手が金融危機で打撃を受けているので、急落している。
景気後退に対するわれわれの主要な防御線、--金利を下げて、経済を救うFRBの通常の能力は、既に突破されてしまった。「連邦準備制度理事会」は、それがコントロールしている金利を事実上ゼロにしたけれども、経済はなお自由落下を続けている。
政府の行動がない場合には、われわれは深く長期的な不況に向かって突き進むと大抵の経済予測が警告しているのは不思議ではない。数名の私的なアナリストは、二桁の失業率を予言している。議会の予算局は、もう少し、楽天的だが、その局長は、最近、「財政政策における変化がない場合には、潜在的レベルに相関的な国民支出の減少は、1930年代の大恐慌以来、最大になるだろう」と警告した。(以下省略)
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「NATOは、アフガンへのより多くの派遣を要求」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年02月08日 | 国際政治
NATO(北大西洋同盟)の事務総長であるヤープ・デ・ホープ・シェッファーは、北大西洋
同盟の加盟国により強力な参加を改めて要求した。新しい米国政府は、良い忠言だけでなく、より公正な負担を期待していると彼は土曜日に、ミュンヒェンで開かれている安全保障会議で述べた。そこでは、バラク・オバマが率いる新政府の外交的立場を説明する予定のジョー・バイデン副大統領の出席が待たれている。
バイデンは、既にメルケル連邦首相との会談で、新たな外交政策の急速な決定に対する大きすぎる期待に対して否定的だった。「われわれは根本的な現状認識を望んでいる」とバイデンは、土曜日にミュンヒェンの「安全保障会議」の枠外で述べた。自分が来たのは、しゃべるためであるよりは、むしろ耳を傾けるためであると。
ヨーロッパの安全保障は、土曜日の会議の中心点だった。デ・ホープ・シェッファーは、NATOにおける大西洋両側の協力は、相互性に基づいており、したがって、「片道交通であってはならない」と強調した。
事務総長は、特に、同盟にとって優先事項であるアフガン派兵に言及した。「米国はアフガンへの関与を強めようとしているが、他の国々はこれ以上かかわりになることを否定している。これは、同盟のバランスにとって良いことではなく、ワシントンにおけるヨーロッパの声を弱めるものだ。アフガン特使であるリチャード・ホルブルックは、金曜日のシュタインマイヤー・ドイツ外相との会談で、アフガンへのドイツのこれ以上の参加を要求しなかった。(後略)
{訳者の感想}オバマ大統領は。イラクからは撤退するが、アフガンへの派遣を増やそうとしています。北大西洋同盟諸国は、必ずしも乗り気ではなく、この付けは日本や韓国に回ってくるような気がします。
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「中国の景気後退」と題する『ツァイト』紙の記事。

2009年02月03日 | 中国の政治・経済・社会
景気後退だって?中国政府の責任者でこの言葉を口にした者は、いない。景気後退は人民中国では考えられなかった。それももっともだ。1978年の開放政策以来、30年間に中国ほど急速な経済成長を遂げた国はない。それだけ、驚きと恐れは大きい。なぜならば、中国の経済は、突然、停止状態になったのだ。
「われわれは幸福者の島にいたのだ」と北京にある「ヨーロッパ商工会議所」の会長であるイェルク・ヴトケは言う。だが、それは終わった。中国の経済は、「自由落下」の最中だ。中国の経済は、2008年の第4半期にも、6.8%の成長を遂げたと、中国政府は相変わらず主張していることは、彼を驚かせた。実際、彼は2008年10月以来、ドラマチックな生産の後退を観察している。「鉄鋼・自動車・化学などあらゆる工業分野で私はマイナス成長を見ている」とヴトケは言う。この国は10月以来、教科書通りの景気後退をしていると彼は思っている。それは中国の経済が少なくとも半年以上縮小していることを意味している。商工会議所の所長の判断の根拠は、ヨーロッパの大きなコンツェルンの広範なマクロ経済分析に基づいている。
政府筋に近い中国人のエコノミストは誰も、この見方に賛成しないけれども、香港や米国の景気観察者は、彼らの肯定的な予想を修正している。香港にあるモルガン・スタンレー投資銀行の中国人アナリストであるワン・チンは、「ハード・ランディング」について語った。中国経済は、2008年の第4四半期に、第3四半期よりも、1.7%と縮小した。だが、彼は、2009年度前半の国家的な景気浮揚策でもって、2009年度には国民総生産は5%増大すると見ている。(以下略)
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「スンニー派アラブ人も投票所へ」と題する『ロサンゼルス・タイムズ』紙の記事。

2009年02月02日 | イラク問題
バグダッド発:アブ・ムジャヒードは、先月、米陸軍のハムヴィーを攻撃し、二人のアメリカ兵を負傷させたことを自慢している。今は彼はスンニー派の候補者を応援し、治安の重要性について当たり前のようにしゃべっている。
「これは休戦協定のようなものだ。選挙は、安全な環境で実行されるだろう」とアブ・ムジャヒードは言う。彼は、スンニー派アラブ人のグループである「1920革命防衛隊」の活動的なメンバーだ。「われわれは人々に投票を許し、彼らに他のグループからの圧力なしに決定させたいのだ。」
片足は政治的プロセスにつっこみ、他方の足は、しっかり、暴力行為に根ざしながら、アブ・ムジャヒードのような戦士は、過去5年間のスンニー派コミュニティの進化をかいま見させてくれる。イラクの増大するシーア派多数派と背景にいる米国に対してゲリラ戦争を遂行していた状態から、選挙による政策を一時的に採用するまで。
アブ・ムジャヒードの曖昧な態度は、イラクの傷つきやすい民主主義に対して賭けようという決断がどれほど殆どひっくり返りやすいかを物語っている。銃は、変化を結果するための、有効な道具だとまだ見られている。
「米軍が撤退し、彼らが選挙を通じては、前進できないと感じ、米国がシーア派指導者達に武器を供与したら、彼らはまた、暴力行為に返るだろう」と「国際危機グループ」のイラク専門家のヨースト・ヒルターマンは言う。「彼らにとっては、イラクのアイデンティティとその中での自分たちの役割が大事なのだ。彼らは閉め出されることは受け入れないだろう。」
住民の態度は、県によって異なっているが、武装したスンニー派アラブ人のグループの概観は、2005年に行われた国民投票とは大きく変化している。あのときは、武装勢力は、投票すれば殺すぞとスンニー派のコミュニティを脅していた。バグダッドでは、以前の武装勢力は、スンニー派と一緒に候補者名簿に登録した。スンニー派の反乱と同義語だったバクバやサマラでは、武装勢力は、候補者を支持した。
スンニー派武装勢力が参加する事態に警告されて、シーア派政治家達は、好戦的な連中が、政府部内の職を取りたがっていることを心配している。なぜなら、彼らはこの国の新しい秩序を壊すかもしれないからだ。(後略)
[訳者の感想]宗派の対立は余り緩和されたように、見えませんね。米軍が撤退した後で内戦が始まる可能性さえあります。サウディ・アラビアなどは、スンニー派を支持するでしょう。
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