海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「西インド諸島の司教、ブレア首相に奴隷貿易の謝罪を要求」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2007年03月25日 | 国際政治
 高位の聖職者は、昨夜、引き起こされた苦しみに対して気の毒だったいうだけでなくて、奴隷貿易における英国の役割に対して十分な謝罪をするように、ブレア首相に要求した。
 昨日、ロンドンで開かれた礼拝で、カンタベリーとヨークの大司教に加わった西インド諸島の大司教は、首相は謝罪を伝える「適切な人物」であるだろうと述べた。その謝罪は、将来における人権侵害を予防するだろうと述べた。キャンペーンを行っている人たちは、謝罪に失敗すれば、奴隷貿易廃止記念日のプログラムに影を投げかけるだろうと言っている。
 ブレアは、今日、「人道に対する犯罪」と彼が表現するものによって引き起こされた非人間性と堕落に対して彼の心からの遺憾を表すために、ガーナで行われた「ブリティッシュ・カウンシル」の記念会に公表されたメッセージを使用するつもりである。上院議員の指導者であって、奴隷の子孫であるエイモス夫人は、奴隷貿易を「英国史の最も恥ずべき不愉快な章の一つだ」と述べた。
 首相は、今月、ガーナ大統領との共同記者会見で、起こったことについては申し訳ないと述べたが、ケン・リビングストン・ロンドン市長が今週行う形式的な謝罪まではしないだろう。西インド諸島の大司教ドレクセル・ゴメスは、「遺憾」と「十分な謝罪」との間には技術的な違いしかないように見えるが、それは重要である。「われわれがわれわれの未来を建設するつもりなら、われわれはわれわれの過去を認めなければならないのだから、謝罪が適切である」と「トウデイ」局のプログラムで述べた。
 首相官邸の立場は、遥か昔の先祖によって何世紀も以前になされた過ちに対して現在の世代が謝罪することは難しく、また、謝罪は賠償責任の問題を引き起こすという懸念を反映している。
 ガーナでの出来事に立ち会ったエイモス夫人は、祝祭が、英国議会の反奴隷運動を指導したウイリアム・ウイルバーフォースのような白人の役割に余りに重きを置いていて、黒人の抵抗運動を十分評価していないという批判と取り組むつもりだ。
 1807年の奴隷貿易を廃止する立法の制定200年記念は、現代の英国における少数民族の虐待との比較に火をつけた。昨日、リバープールの司教ジェームズ・ジョウンズは、アフリカ人の搾取と人種差別団体から逃げようとして斧で殺されたティーンエイジャーのアンソニー・ウオーカー殺人事件との間に並行関係を見出した。ジョウンズは、リバープール大聖堂の集会で、「歴史を研究すればするほど、われわれの人種差別が白人による黒人の非人間的な取り扱いに根があることをますます信じるようになった」と述べた。
 彼は、奴隷船の指揮官から奴隷廃止論者に転向したジョン・ニュートンの、奴隷達を斧で切り刻み、彼らのバラバラの死骸を他の奴隷に投げつけたという記録を朗読した。
 昨日、カンタベリー大司教とヨーク大司教はロンドンの目撃者散歩の先頭に立ち、ウイルバーフォースの生誕地であるハルからロンドンへと英国の役割に対する恥辱のシンボルである鎖を身につけた「廃止論者の行進」と合流した。
 カンターベリー大司教のロウアン・ウイリアムズは、「世の中で最も容易なことは、過去を振り返って、われわれはこのような過ちをしないだろうと言うことだ」と断言した。
「われわれが今日していることは、奴隷貿易に従事した人々、非人道な仕組みを動かし続けた人々が、あなたや私のような人間だったということを認めることである。」
[訳者の感想]西インド諸島というのは、カリブ海にあるキューバ、ハイチ、ドミニカ、プエルトリコ、バージン諸島、アンティグア、グアダルーペ、マルチニック、バルバドス、グレナダ、トリニダッド=トバゴなどの島を指しているようです。この中には、グアダルーペやマルチニックのようなフランス領やプエルトリコのような米領も含まれています。
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「人を恥じ入らせること、--それはドイツ人のコンプレックスだ」と題する『ツァイト』紙の記事。

2007年03月24日 | 差別と格差
 「身綺麗にする前に人を馬鹿にすることを覚える国がドイツ以外にあるか」とゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクは問うた。
 国連の特別顧問ヴェルノール・ムニョスは、ドイツ人の傷である他人を恥じ入らせること、それと結びついてる尊大な態度に触れた。
 この報告書自体われわれを恥じ入らせる。彼はドイツの教育施設の三分法、あるいは、特殊学校を入れる場合には4分法から縁を切るように忠告する。この制度は、社会的下層出身の子供や障害者や移民にとって差別的である。
 恥じ入らせられた者は、傷つき、傷跡が残る。「お前は劣っている。」基幹学校(日本の小学校と中学校を合わせたもの)の生徒は、基幹学校生という呼び名で呼ばれるだけで、侮辱され貶められたと感じる。特殊学校の生徒はますますそう感じる。三分法による学校制度が問題になる場合、彼らは数には入っていない。特殊学校の割合は、ドイツでは非常に高く、5%に達している。
 例えば、フィンランドでは、特殊学校は大抵の校区からは撤去された。確かに、第9学年までみんなが通う共通学校には、特別教員がいる。殆ど子供達の4分の1は、小グループ授業を受ける。生徒は部分的には学級を通過する。平均値が推測させるように、これは低学年でよりしばしば生じる。高学年では特別授業はまれになる。
 私が確信する前には、私はフィンランドの子供達は、この特別学級の授業を差別的だと感じていないとは思わなかった。それは可能ではないと思われた。これらの子供達は、彼らが普通学級から連れてこられたとき、他の子供達から馬鹿だとからかわれないだろうか?実際には、私はジヴェスキリやヘルシンキのいくつかの学校を訪問した際、このような軽蔑を見出さなかった。反対だった。両親や子供達は、学校が費用の理由で提供できる以上のものを個人の特別授業に求めていた。このことが、私にとってフィンランドでは、何か決定的なことがドイツとは違ったやり方で行われているという最も強力な証明だった。
 子供達を決して辱めないこと、これがそこでは最高の教育原則だった。この原則は、1960年代や70年代に実行された学校改革にとって、機会の平等を貫くことや、できるだけ多くの青少年に高等教育を受けさせるという目標よりも、もっと強力な動機だった。それどころか、この原則によって反対のことが起こった。学校における考え方の変化が、フィンランドでは青少年の70&が大学での研究を始めることの原因である。この数字を見ると、多くのドイツ人は、これは誤植であるか、高校卒業生におけるインフレーションの結果にちがいないと思う。各人の中には人が信じる以上のものが隠れているということがドイツでは全く想像されていないかのように思われる。それはまるで他人を貶め、取るに足りないと思わせるかのようである。
 「私は、繰り返し、授業中に子供達が屈辱を感じさせられているのに愕然とした」とマックス・プランク教育研究所の定年になった所長であるヴォルフガング・エーデルシュタインは言う。彼の息子のベンヤミンは、小学生として米国に行った。そこでは、先生は、午後、生徒の科目上や個人的な質問に対していつでも応じる用意があった。ドイツに帰国して、彼の息子は習慣に従って教師のところへ行き、彼に質問した。教師の答えは、「私は個人的相談に答えるために給料を貰っているのではない」だった。「ありえないことだ」と父親は、このドイツ人教師から受けた冷淡さのショックについて声を荒らげる。「ベンヤミンは、米国では本当の教師に出会った。ここでは彼が得たのは、乱暴な返答だけだ。」 
 なぜ、ドイツでは多くの子供が歯医者へ行くような様子で学校へ行くのか?なぜ多くの教師は、相変わらず知識を隠して生徒に探させるような教育をするのか?なぜ教師は生徒の誤りに興味を持ち、そこから学ぶのでなくて、誤りを生徒のせいするのか?
 ドイツにおける最初のピサ研究の主任であったユルゲン・バウメルトのピサ研究は、ドイツの先生達が彼らの生徒を好きで、およそ生徒をよく知っているかどうかについて疑念を抱かせる。(中略)
 ドイツの先生達は、彼らの生徒のことを殆ど知らない。授業時間は、図式的に流れ去る。
 バウメルトは、スイスのフリブール大学で客員教授だった。あるとき、彼はドイツの数学授業のビデオを持って行った。少し経つと学生達が「自分たちの見ていることは、信じられない」と言った。バウメルトは、彼らが何を意味しているのか最初は分からなかった。学生達は「先生の言葉遣いだ」と言った。「教師が口に出す絶えず傷つけるような評価だ。」例えば、「また間違えた。何度も言っただろう? おい、お前達は知っているはずだ。」このような口調は、余り敬意を払っていない口調だ。「否定的で距離を置いていない」というのがスイスの学生の評価だった。(後略)
[訳者の感想]日本の先生は、もう少しましでしょうか、それとももっと酷いでしょうか?
大学紛争のとき、ドイツで批判されたことの一つは、大学における権威主義だったようですが、それは初等教育や中等教育ではまだ残っているようです。
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「生徒がキリスト教徒の女教師を殴り殺す」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2007年03月23日 | イスラム問題
 ナイジェリアのイスラム教徒の生徒たちは、彼らの女教師がコーランを侮辱したという理由で、彼女を殴り殺した。イスラム教徒が多数を占めるナイジェリア北部のゴンベ州のある学校の生徒たちは、それ以外に、いくつかの教室に放火し学校長を集団で殴ったとナイジェリアの新聞"This Day"は報道している。
 女教師は、「イスラム教」という科目のペーパー・テストを監督していて、一人の生徒がカンニングをしていると疑った。彼女は、彼から本を取り上げ、『コーラン』も取り上げた。このことが生徒達を怒らせた。警察は12人の容疑者を逮捕した。
 ナイジェリアでは、1億3千万人の国民が250の民族集団に分かれている。1億3千万人のうち50%がイスラム教徒で、40%がキリスト教徒である。いくつかの北部の州でイスラム法に基づく判決が刑法においても導入された1999年以来、暴動で何千人もの人が殺された。4月21日に予定されている選挙では、キリスト教的な南部の出身であるオレスグン・オバサンジョ大統領は、イスラム教徒の多い北部出身の州知事ウマル・ヤルアドアに大統領職を譲る予定だ。
 オバサンジョ大統領は、キリスト教的な南部出身の最初の大統領だった。もし、予想通りヤルアドアが後継者になると、大統領職は、再び北部出身のイスラム教徒の手に渡ることになる。最近の人口調査では、激しい議論の後、どの宗教に所属するかという質問条項は断念された。
 両方のグループは、自分たちが多数派だと称している。1999年に北部の12州にイスラム法が導入されて以来、数千人の死者を伴う暴動が起こった。現在、キリスト教徒とイスラム教徒との関係は比較的穏やかである。だが、情報通は、古い紛争が急激に再燃するかもしれないと思っている。
[訳者の感想]ナイジェリアは、南部では、石油利権を巡る反政府活動に悩まされています。これにキリスト教徒とイスラム教徒との対立が加わると内戦が始まる可能性もありそうです。
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「裁判官、コーランに書かれた懲罰権を引用」

2007年03月22日 | イスラム問題
『コーラン』の第四章は、「女」という表題を持っている。その第34節では、「男は女の上に立っている。お前達が女が逆らうことを恐れる場合、彼女に訓戒を与え、寝床では彼女を避け、殴るがいい。」この節を引き合いに出して、フランクフルトの区裁判所内の家庭裁判所裁判官は、一月にモロッコ出身のドイツ女性の早期の離婚の要求を却下した。『コーラン』が懲罰権を予想しているから、女性が夫によって脅かされているということは、予測できない厳しさではなく、したがって、早期の離婚は、必要ではないと言うのが理由だった。今週水曜日に、区裁判所は、裁判官が偏見を持っているという申し立てを行い、この女性裁判官を裁判過程から引っ込めた。「裁判官が『コーラン』を法の根拠としたのは、ドイツの法制史上初めてのことである」と、この女性の弁護人であるバルバラ・ベッカー=ロイチックは述べた。
 彼女は「裁判官の判決文にショックを受けた」と『ヴェルト・オンライン』に述べた。
問題になったのは、ドイツで生まれたモロッコ系のフランクフルト市民である。この若い女性は6年前に夫と結婚した。二人には子供が二人でき、現在幼稚園に通っている。28才の夫は妻を虐待した。2006年6月には、彼はフランクフルト区裁判所から、彼の妻の50メートル以内に近づくことを禁じられた。けれども、夫は妻を脅し続けた。「少なくとも一度は、彼女を殺すと脅した」と弁護士のベッカー=ロイチックは述べた。裁判官の理由付けは、「夫婦は、モロッコ文化圏の出身であり、そこでは、虐待は普通である。なぜなら、懲罰権が存在するからである」ということだった。
 女性組織の「女性の大地」とそのグループは、愕然とした。「ドイツのような民主的な国では、虐待を正当化するのに宗教上の掟が引き合いに出されることはありえない」と事務局長のクリスタ・シュトルは述べた。「『コーラン』を引用したのは、とんでもないことだ。ドイツに暮らしている夫婦は、ドイツの法に従って裁かれねばならない。個人の権利が、宗教上の掟によって制限されてはならない。」
 「ドイツの家庭裁判所の判事は、民法に基づかねばならず、イスラム法に基づいてはならない」と与党CDUの内務問題専門家のクリスチナ・ケーラーは述べた。ドイツでは懲罰権は存在しない。モスレムの男性にとっても。「この手続きは、モスレム女性にとって、とんでもない信号だ」とケーラーは述べた。
 ヘッセン州の「緑の党」の法制委員であるアンドレアス・ユルゲンスは、「コーランや聖書やその他の宗教上の教えが規定していることは、裁判所の判決にとって基準とはなり得ない」法務省は、裁判関係者がある移住の背景を持っている場合でも、ドイツの法を適用するということに疑問の余地はない。「他のすべては文化の統合にとって有害である」とユルゲンスは述べた。
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「中国は、ボーイングとエアバスに対抗する」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年03月20日 | 中国の政治・経済・社会
 専門家の意見聴取には、3年かかった。ある人は、費用が高すぎる、プロジェクトが来るのが遅すぎた、ボーイングとエアバスは、強すぎると言った。他の人たちは、中国の経済力は、エアバスとボーイングを相手にするのに十分強いと言う。その上、中国は、大型旅客機を必要としている。2020年までに中国は、1500機の新しい航空機を入手しなければならない。ボーイングは、2026年までの中国の航空機需要を2900機と見積もっている。この費用は、2千8百億ドル(33兆400億円)に達する。それなら自分で航空機を建造するほうがいいではないか?
 旅客機製造支持者の意見が通った。2月26日、中国の国務院は、プロジェクトに着手することを決議した。実行可能性についての評価は肯定的だった。野心的な計画への細部が現在初めて明らかになった。中国が軍事的に利用可能な航空機を計画するということを経済週刊誌『チャイジン』が暴露した。
 国家のインノベーション計画は、16の高度技術プロジェクトを数えている。その中には、宇宙旅行計画やトランスラピッドにとって代わる磁力軌道開発が含まれている。体面に関わる企ての上の方に大型旅客機の建造が挙げられている。中国はボーイングやエアバスと競争するつもりである。それには50億から60億ユーロ(9000億円)の開発費が見込まれる。10年間に150座席以上の航空機の原型ができる予定だ。この航空機は旅客だけでなく、部隊輸送としても使われる。
 その後、航空機プロジェクトのためのプロジェクト会社が創設される。この航空機の民間仕様は、上海で製造される。軍用機は西安で作られる。
 航空機プロジェクトが推進される会合で、温家宝首相は、この企てはこれまでの技術計画とは別のやり方で進められることを希望した。グローバル化の時代には、すべての自前では製造することは、非効率である。例えば、推進技術は、今日国際的に提供されるだろうと述べた。
 1970年から1985年まで、上海で、極秘の状態で、Yun10型の旅客機が開発された。三つのバリアントが存在した。1980年にはモデル02が飛行可能だった。130回の離陸が試され、試験的にチベットのラサまで飛んだ。だが、飛行時間は、170時間を超えなかった。 1985年に、中国は、米国のマクダネル・ダグラス社との協力を始めた。だが、12年後、ボーイング社がダグラス社を併合したので協力は終わった。MD82型機とMD90型機が上海で37機、製造された。
 AE100型機を製造するためのエアバス社との協力も、1997年に停止された。その理由は、エアバス社が技術移転に対して法外な価格を要求したからであり、その中心的技術を引き渡すことに不安に思ったからである。(以下省略)
[訳者の感想]中国はとうとう自前の技術で旅客機を開発することに決定しました。その意気を壮とすべきでしょう。
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「日本のインターネットの大物、懲役刑」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2007年03月18日 | 犯罪
彼の「すぐ金持ちになれる」という呪文で日本のビジネス体制で人気を得たインターネットの大物、堀江貴文は、昨日、株式詐欺で2年6ヶ月の懲役を宣告された。
堀江(34)は、東京地方裁判所の裁判長が判決文を読み上げている間、何の感情も示さなかった。これで「日本のエンロン」と呼ばれた事件の最終段階が終わった。法廷は、彼の弁護士が控訴をしている間、堀江の保釈を認めた。
東京大学中退の堀江は、十年間にインターネットのポータル・サイトであった「ライブドア」を7千億円の価値がある帝国に仕立てたが、ライブドアの損失を隠し、株価をつり上げようとして虚偽の財務報告をしたという罪について抗弁していた。
六ヶ月かかった訴訟の間、彼は会社の攻撃的なバイアウトで冨を努力なしに手に入れたのにぞっとした伝統的ビジネスの利害によって目の敵にされたと主張した。
小坂トシユキ裁判長は、堀江が「法を回避する目的で」ダミーの投資組合の設立をたくらんだと述べた。
「この点では、起訴された件は立証された。」検察は、ライブドア社が3億1千万の損失を隠すために50億円の利益を報告することによって、意図的に2004年度に投資家を誤り導いたと述べた。小坂裁判長は、「このようなファンドは、ライブドア社の主要事業とは無関係であり、その目的は、ライブドアの会計を操作することであった」と述べた。
Tシャツの代わりに濃紺の背広姿の堀江は、裁判長が判決を読み上げている間、文書を熱心に読んでいた。
堀江が日本に与えたインパクトの証拠として、小坂裁判長は、彼に励ましの言葉を述べるという普通でないステップを取った。
堀江に示唆されて、仕事を見つけ、彼女の儲けのいくらかでライブドアの株式を購入したある障害者の女性の両親から受け取った手紙を引用することによって、「有罪であることが判明したが、それはあなたについてすべてが断罪されたということを意味しない」と裁判長は述べた。
「私は、あなたがあなたのしたことに対して償いをし、あなたの生活を新たに始めるよう希望する。」
だが、堀江の弁護人である高井ヤスユキは、規制が若い企業家達が日本のビジネスの殻を破ることを止めさせるのではないかと恐れると述べた。「何故懲役刑が宣告されたのか理解できない。日本の刑事裁判制度に対する私の幻滅が悪くなっただけだ。」
検事は、堀江に対して懲役4年を要求していた。彼は間違ったことをしたということを繰り返し否認した。また検事に対する言葉の攻撃が彼に執行猶予を認めないという決定に影響を与えた。
堀江の劇的な失墜は、彼をより精力的でリスキーなビジネス・スタイルに対する開拓者だと見なしていた人たちには打撃だった。ドット・コム時代の可能性に対する心からの信念をもったオタクとして、堀江は、職業野球団とテレビネットワークを手にれようと努力して不成功に終わったことで有名になった。
2005年9月には小泉首相の祝福を受けて無所属で選挙に出馬した。彼に対するメディアの賞賛は、彼の逮捕後、軽蔑に転じた。持ち株の下落を見た何人かの投資家は、寛大な判決を期待していた。
「私は裁定が思っていたより厳しかったので驚いた」と清水一郎は、テレビのインタービューで述べた。「裁判所は、どれほど多くの損害が株主に加えられたかを注意深く公平に判断したと思う。」
ライブドア社の市場価値は、堀江の逮捕後、5千億円下がった。手入れの前に700円だった株価は、昨年4月にライブドア社が東証の上場リストからはずされた時点では、94円になっていた。
[訳者の感想]日本に関する記事としては『ガーディアン』紙の扱いは大きかったと思います。書き手は、東京駐在のジャスティン・マッカリー特派員です。
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「われわれは仲の良い友人だ」と題する”Economist”誌の記事。

2007年03月16日 | 国際政治
日本の安部晋三首相が今週オーストラリアとの間に安全保障共同宣言を発表したとき、彼は一撃で日本の同盟国の数を二倍に増やした。これまで、日本は、第二次大戦以来、米国とのみ形式的な安全保障条約を結ぶことによって、その庇護の下で平和憲法をもちながら暮らしてきた。それは相互防衛条約には達していないとしても、あるオーストラリア人にとっては、ジョン・ハワード首相によって3月13日に署名された共同宣言は、正当性を欠いている。なんと言っても、日本は戦時中オーストラリアに侵入する瀬戸際まで行ったのだ。オーストラリアの捕虜は、日本軍の収容所で酷い扱いを受けた。ほんの数週間前、安部首相は、外国人「慰安婦」が戦時の軍の売春宿に働くように強制されたという事実を否定することによって、自分に不面目を招いた。数人の年取ったオーストラリア女性が証言した人々の中にいた。けれども、世界は動き続け、ハワード首相の見方では、「オーストラリアは、アジア・太平洋地域では日本よりもより良い友人、もっと信頼できるパートナーを持っていない。」安部首相は「共有された運命」について語った。
 そういうわけで、この二つの国が同盟国になることが重要だとすると、自然な問いは、「誰に対する同盟か」ということになる。これを質問することは、全く要点を見損なうことであると一目見たところ両国は主張している。両国の協力は、いくつかのレベルで深められた。去年6月まで、オーストラリアの部隊は、イラク南部で復興事業を遂行している日本軍を護衛した。もっと本国に近いところでは、両国の平和維持部隊は、カンボジアと東チモールで一緒に仕事をした。
 アレクサンダー・ダウナー外相の父は、三年以上も日本軍の捕虜だったが、ダウナー外相は、2004年の年末に起きたインド洋津波の後、災害復旧で日本と協力した。アジアにおける二つの国は、目的を共有している。こうして、両国の外相と防衛相を含む定期的な会合、合同軍事訓練、情報の共有のためのより形式的な合意についての暫定的な取り決めは、人道的使命を促進するだろう。
 安全保障共同宣言は、両国関係の新しい側面を構築するシンボリックなやり方であるとダウアー外相は述べた。両方は、それゆえ、経済的絆を強化する自由貿易協定を交渉するだろう。だが、両国が否定すればするほど、安全保障共同宣言の主たる触媒がますます明白になる。それは中国の台頭である。
 このことは、ある人には驚きであるかもしれない。オーストラリアは、鉄鉱石やウラン鉱石のような商品に対して貪欲な食欲を示している中国との取引で利益の民主的原則について人権団体からの非難に対してしばしば自己弁護をしなければならなかった。オーストラリアの外交官達は、「中国は良い建設的な商業パートナーだが、考えや価値に関しては、日本ほどはわれわれに近くはならないだろう。明らかなことは、日本がアジアでは最良の友人である」と言っている。
 オーストラリアの安全保障についての姿勢は、長い間、中国側の用心の原因だった。特にオーストラリアと米国との同盟関係と中国の台湾に対する戦争では、オーストラリアは米国を助けるという可能性の故に。新しい共同宣言が東シナ海における日本と中国との領土上の議論で日本を援助することを含まない限りは、中国政府は、その不快感を隠そうとするだろう。経済的結びつきが第一だ。
 安部首相に関して言えば、この協定は、彼の前任者であった小泉純一郎によって始められた日本のためのより強固な外交の一環である。イラクへ部隊を派遣する前に、小泉は、アフガン戦争を援助するために、日本の自衛隊によるインド洋上の給油艦を派遣した。
 昨年九月に安部が首相になって以来、彼は米国との同盟関係に対する小泉の肩入れを引き継いだが、米国の庇護以上のものを望んでいる。彼は北朝鮮の挑発に直面して、ミサイル防衛システムのより速やかな配置を推進した。彼は防衛庁を防衛省に昇格させた。彼はまた憲法の平和主義的な第九条を修正しようとしている。安部首相は、東南アジアとの安全保障関係を構築しながら、インドとの新しいパートナー関係を模索している。
 これらすべては、中国の地政学的台頭とバランスをとる戦略である。言い換えると、日本は、中国をこの地域の先頭にするために、寝転がろうとはしていない。与党の自民党とその連合は、今年7月に参議院議員選挙に直面しているので、安部首相の国内での不手際は、短期の在任を意味するかもしれない。そうだっとしても、日本の明らかになる地域での姿勢は、安部首相よりも長続きしそうだ。
[訳者の感想]オーストラリアとの安全保障協定が日本にとっては何を意味しているのかを解明した評論だと思います。
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「北朝鮮、エルバラダイをいらだたせる」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年03月15日 | 北朝鮮問題
「国際原子力機構」の事務総長モハメド・エルバラダイは、北朝鮮での彼の話し合いから早期に帰ってきた。北京の情報筋がそう語った。その前に、北朝鮮の原子爆弾計画の中止についての六者協議の際、もともと予期された北朝鮮の主要な交渉相手との会談は、つぶれていた。最高位の原子力査察官が北朝鮮に招かれたということは、北朝鮮が今回は核武装放棄について真剣であるということの明白な兆候であると思われた。事務総長も楽観的に金成日の王国へと旅だった。
木曜日に帰って来るという彼の計画に反して、エルバラダイ事務総長は、より早く北京に帰ることになり、そこで記者会見を行った。日本の共同通信社によれば、北朝鮮の金桂寛外務次官は、月曜日に北京で開かれる六者会談に準備するために、エルバラダイと会うには忙しすぎると「国際原子力機構」の報道官は述べた。
その代わりに、エルバラダイは、もう一人の外務次官キム・ヒュンジュンに会った。
一ヶ月前の北朝鮮核兵器計画の段階的解消について合意の後、エルバラダイは、2002年に国外追放された査察官の復帰と、IAEAと北朝鮮との間の関係改善にういて話すつもりだった。
[訳者の感想]北朝鮮が事務総長を招待すると言っておきながら、忙しくて会えないというのは、筋が通らないと思います。一種のブラフでしょうか。
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「2050年にはヨーロッパの人口は6千7百万人減少する」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年03月14日 | 貧困問題と食糧問題
 世界の終わりは、気候の破局、戦争、あるいは彗星の衝突など、いろいろな仕方で予測されてきた。人口過剰が世界の破滅を呼び起こすということは、これまでは、まだそれほど頻繁にはなかった。だが、昨日ベルリンで提示された世界人口の発展についての国連の数字によると、それが一番ありそうな可能性であるかもしれない。地球には、この研究報告によると現在、67億人の人間がいる。2050年には、この数は場所によっては二倍あるいは三倍になるだろう。そうすると、全部で92億人になるだろうと記者会見で述べられた。
 「アメリカ人の教授達は、世界が110億人で限界に達すると仮定している」と人口学者のカール・ハウプは述べた。彼は「ドイツ世界人口財団」とともに国連の人口報告を紹介した。水・農地・森林は、その場合使い尽くされるだろう。100年間でそこまで行くかもしれない。いずれにしても、多くの地域でそうなる。なぜならば、人口の増加はどこでも同じではないからである。
 むしろ、人口の増大は、もっぱら、低開発国で起こっている。アフガニスタン、ウガンダ、ニジェール、あるいはコンゴのような国では、2050年までに人口は三倍になる。これに対して、工業国では、人口は現在と同じであるだろう。特に憂慮すべきは、ヨーロッパでは、人口は少なくなる。ヨーロッパ人は6千7百万人減少するだろう。これは、1970年代後半以来示唆される趨勢である。人口のピラミッドは、既に現在ボトル型に書きかえられなければならない。若い後継者は、少なく、中年世代は、いくらか多く、老人はまた少なくなっている。
国連の報告によれば、次の43年間に、67億3000万人のうち、60才以上の人口が20億人増える。出生率が同じだとしてもである。多くの工業国の対抗措置は、若い血を国民の中にもたらすために移民を受け入れることである。ドイツも毎年15万人の移住民を受け入れているので、このグループに属する。だが、これはこれまでは、一つの解決法ではあるが、そこには、多くの潜在的対立が隠れている。
国連の数字は、低開発国にとっても決して良いことを約束しない。既に今日、それらの国々の保健組織と教育組織は、過大な負担にあえいでいる。人間が増えると言うことは、もっと貧しくなることを意味している。だが、そこでは、人間が単に子供を少なく産むべきだということを示唆するだけでは、実際には、簡単に実行できない。「ドイツ人口財団」の報告によると、すべての新生児が望まれない妊娠の結果ではない。ウガンダでは、新生児7人のうち、5人以上が望まれた子供であったようだ。
けれども、「ドイツ人口財団」は、もっと良い啓蒙を主張している。財団の報道官であるカタリナ・ヒンツは、「避妊方法がもっとうまく手に入るようにしなければならない。なぜならば、多くの女性は、避妊できる場合にしか自分を守らないからだ」と述べた。「このような貧困国に提供されている金額では、一年間に、7個のコンドームしか買えない」とヒンツは言う。これでは、少なすぎる。
確かに第三世界の国々の人口統計上の増加は、出生率の増加にだけ原因があるのではない。むしろ、反対である。近年では、子供の数は減っている。低開発国における人口密度がにもかかわらず、増えているのには、ある積極的な背景がある。幼児の死亡率が医療の改善によってかなり減ったのである。保健の分野でももっと多くのことがなされねばならない。特にHIV(エイズ)は、アフリカでは平均寿命を62才から49才まで下げた。
それゆえ、先週初めて、ドイツ連邦政府は、エイズ・ウイルスを食い止めるための財政的援助を4億ユーロまで引き上げた。メルケル連邦首相は、このテーマをドイツが欧州連合の評議会議長国になった場合の重点にしたのだ。次のステップは、的確な啓蒙活動である。「1年間に7千億ドルの追加投資が、家族計画サービスのために必要だ」とヒンツは述べた。
国連の「世界人口報告」は、1950年以来公刊されている。二年ごとに予想が発表される。
 「われわれの推計も、かなり正確だ」と人口学者のカール・ハウプは言う。「1950年代に出された最初の報告は、紀元2000年の人口を60億人と予測していた。」「残念ながら」、と言いたくなるかもしれない。
[訳者の感想]2050年には勿論私は生きていませんが、子供達にとっては大変なことになりそうだと心配になりました。どうすれば、世界人口の増加を食い止めることができるか、みんなが智恵を出すべきではないでしょうか?
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「ドイツ人司教に対する憤激」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事・

2007年03月11日 | 国際政治
 駐独イスラエル大使のシモン・シュタインは、驚愕と憤激をもって、ドイツの司教会議の常任理事が訪問の間にイスラエルとパレスチナ自治区で下したいくつかの声明に対して反応した。「ワルシャワのゲットーとか人種差別という概念をイスラエル、あるいはパレスチナ政策との連関で用いるなら、一切が忘れられているか、何も学んでいないか、道徳的に駄目であるかいずれかだ」と火曜日にシュタインは述べた。イスラエルとパレスチナとの紛争の一面を悪魔化するか、二重の基準を当てはめているのだと彼は言う。
 その際、シュタインは、アイヒシュテットの司教ハンケの発言に立ち入った。ハンケは、「朝、ヤド・ヴァシエムのショアの記念館で、ワルシャワのゲットーの写真を見、午後に鉄条網と壁を通ってラマラーのようなゲットーに入ることは耐え難い」と述べていた。
アウグスブルグのミクサ司教も、「ゲットーのような状況」について語り、これはもう「人種差別」だと述べた。ケルンのマイスナー大司教は、パレスチナ自治区との間の壁を見るとベルリンの壁を思い出し、ベツレヘムにあるイスラエルの分離壁の影の下で、動物はこのように囲い込まれるが、人間は囲い込まれてはならないと述べた。同時にすべての司教達は、安全な生活に対するイスラエルの権利を主張した。レーマン枢機卿は、「われわれは、テロに脅かされ、その国家としての存在権が多くの人たちによってまだ疑われているイスラエル人の不安については知っている。だが、われわれは、この訪問で、パレスチナ人が置かれているまさに破滅的な状況も知るに至った」と述べた。
 ドイツにある「ユダヤ人中央評議会」の議長であるシャルロッテ・クノープロッホは、司教達の発言を「酷くって受け入れられない」と批判した。「ハンケ司教がワルシャワのゲットーとそこに収容されたユダヤ人の運命とをラマラーのパレスチナ人と比べるならば、それは彼の歴史的知識に重大な欠陥があることを示している、あるいは司教はユダヤ人のホロコースト犠牲者とその子供達を今日加害者にしようと試みているのだ」とクノープロッホは火曜日に述べた。「ミクサ司教は、彼の言葉の選択において、反ユダヤ主義ぎりぎりのところまで近づいている」述べた。
 「ユダヤ人中央評議会」の副議長ディーター・グラウマンは、「このような友人をもっている者には敵なんかいなも同然だ。パレスチナ人の状況をナチのゲットーに入れられたユダヤ人の苦しみと同一視する人は、歴史から何も学ばなかったのだ。この発言は反ユダヤ主義的である」と述べた。
 「緑の党」代表のクラウディア・ロートは、司教達の「受け入れがたい脱線」について語った。イスラエル人に対する正当な批判があるとしても、歴史の中で唯一的に存在するナチのユダヤ人に対する犯罪との比較をしてはだめだ」と述べた。
 「ドイツ司教会議」の事務長であるランゲンデルファーは、火曜日の夕方、ドイツ人司教に対する非難を退けた。彼らの訪問は、「両方の紛争当事国の利害に対する高度の敏感さによって規定されていた」とランゲンデルファーは述べた。ベツレヘムの状況については、「一人一人の訪問者の情緒的な印象に基づいて、いくつかの個人的なコメントが述べられた。それらのコメントは、既に自己批判的に正された」と述べた。その際、ランゲンデルファーは、ハンケ司教の文書による態度表明を引き合いに出した。それによると、ホロコーストの出来事とパレスチナの現在の状況との比較は、受け入れがたく、また意図されたものではないと述べられている。
 定年退職したリンブルグのカトリック司教であるフランツ・カンプハウスは、ドイツのキリスト教徒にイスラエルによって不法に占領されたパレスチナの領土における正義に対して強力に尽力するように呼びかけた。ユダヤ人居住区の建設と壁の建設と分離された道路網とは、パレスチナ人の絶望を深め政治的宗教的過激化を促進している。
[訳者の感想]パレスチナとイスラエルの両方を旅行して、コメントをするとどちらからも批判されることになるようです。この新聞は、司教達のコメントと「ユダヤ人評議会」の
非難とを公平に述べているように思います。いずれにしても今のイスラエルのパレスチナ政策がかなり人種差別的であることは否定できないと私は思います。それがナチの反ユダヤ主義と同程度に不合理であるかどうかは、問題のあるところでしょうが。
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「ボードリヤール、最後の予言者」と題する『ツァイト』紙の記事。

2007年03月10日 | 人物
ジャン・ボードリヤールが存在しなかったとしたら、世界には時代感情が一つだけ少なくなっただろう。「ポストモダン」や「時代の終わった後の時代」、「歴史からの別離」についての観念ほど彼の名前に結びついたものはない。ポストモダンについての議論は、1980年代の示唆的な呪文であって、それは他の何ものよりも人々の頭脳を悩ませた。ボードリヤールにとっては、ポストモダンは次のことを意味した。つまり、文明がその沸点を通り過ぎて、これからは、人々を冷やすだろうということを意味した。文明は現場におり、多くのことが起こるだろうが、実際は何も起こらない。出来事はもはや起こらない。起こるとしたら、僅かにディスプレー上のシミュレーションとしてしか起こらない。新しい時代、歴史後の時代には、真理も政治も存在しない。ボドリヤールによれば、ニーチェは、「神の死」という言葉でまだ人々の注意を引きつけることができたが、われわれ最後の近代人は、歴史の消滅と政治の終わりに関わっている。(大学紛争が起こった)1968年の出来事は、事物の歴史的経過の中では最後の痙攣だった。その後では、「現実的なものの苦悶」、「大いなる吸収」、「惨めな消失」が始まった。
ボードリヤールのどの本も、まるで鎮魂曲のように読める。以前には現実と呼ばれたものは、彼にとっては、万能ですべてを支配するメディアの仮象の中に消えた。現実性は、それ自身のシミュレーションと区別できない。商品世界の映像の経済、広告のパンオプティコン的なテロは、世界にその刻印を押している。彼がその主著『シンボル的な交換と死』という主著で書いているように、一切は今や類似性に襲われている。貫徹された近代は、差異や逸脱を認めない。生活のメディア的なルーチンには、もはやいかなる外側も存在せず、一切は僅かにそれ自身のシミュレーションである。「常に同一という地獄」では、まず言葉とそのエネルギーが消え去る。次に主観とその愛が、最後にあらゆる歴史の根源である生きたもの自体が消え去る。
ボードリヤールは、確かに自分の理論に長くは我慢できなかった。ベルリンの壁の崩壊後、「歴史の復活」後、彼は新しくて古い実体の出現を、彼自身の理論の修正の出現を見張っていた。シミュレーションと人工性の彼方にある「真理」と「生」の出現を見張っていた。それと同時に、恐らく彼の知的経歴の中で最も神経をいらだたせる時代が始まった。ボードリヤールは、「神のごとき左翼」に弔鐘を鳴らし、新右翼にこびを売った。フランスの平等主義に対する彼の憎悪は、前例がない。西欧の消費社会が死ねばよいと彼は願った。ボードリヤールは、反啓蒙主義の黙示録記者に変身した。9.11のテロを、彼は、西欧の仮象まっただ中の歴史の合図、現実的なもの復帰だと理解した。反動的な予言者は、自分自身の予言を祝って、イスラム原理主義を抑圧された者達の再帰であり、空虚な自由への回答であると解釈した。ボードリヤールにとっては、原理主義は、「抗体の反逆」であって、アメリカとその生活形式に屈服し、自分の自己憎悪と傲慢と「知」を地の果てまで広めたグローバル化した西欧の一現象だった。
原理主義は、その初めから無垢な世界に復讐し、それを一様性という砂漠に変えた神なき西欧の暗黒面であると彼は主張し続けた。一言で言えば、原理主義的宗教は、そのもっとも神聖な価値を犠牲にし、暇つぶしと、消費の精神性と成長と商品の物神崇拝的な崇拝以外に何もなしえないある文明の情けない空虚の中で破裂したのだ。それは、挑発としての反ヒューマニズムであり、彼の初期の時代のいかがわしい残響である。だが、ボードリヤールの途方もなさは、「不正である」という以外の夢を夢見たことのない武装したメランコリーの一形式でもあった。彼の最も美しい著作の一つである『クール・メモリー』の中で、彼は「反駁されるという気違いじみた希望」と書き留めている。
ジャン・ボードリヤールは、自分は社会学者でもあると言い張った。社会学者の共同体のタブーを破り、歴史哲学的な考察や形而上学的思弁を恐れない社会学者だった。根拠のないアフォリズムと大きな自己意識でもって、彼は己の系列においても自分を道化にし、自分の同僚達を社会についてはいささか理解しているが、人生については何も知らず、結局なんにも理解していないと非難して激怒させた。一切が解体するように定められている近代について何も理解せず、究極の実存的現実つまり死について何も理解しないと非難した。
今週、火曜日、ジャン・ボードリヤールは、77才でパリで死去した。
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「イエスと特殊部隊」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年03月09日 | イラク問題
あなたは、アメリカの戦争映画を見たことがあるか?例えば『ブラック・ホーク・ダウン』や『ジャーヘッド』のような映画だ。もし見たことがなければ、それも悪くはない。
戦争映画では、時に大胆に見える男達が、ひげ面で、日焼けした顔をして、軍服は着ていないが、重武装をしている。それが特殊部隊だ。彼らは敵の陣地の背後に回り、馬に乗って砂漠を行ったり、鞍にはドル札の入ったトランクを積んでいる。そういう風に、戦士達は気分を転換させられたそうだ。ドイツでは、特殊部隊は、KSK(特殊兵のコマンド)と呼ばれる。誰も彼らが何をしているか知らない。一切は高度に秘密である。彼らは質問する前に撃つと言われている。そうなら、質問はもはや必要ではないだろう。人々は彼らをバイソンのように扱う。つまり、彼らの目をじっと見たりしない。彼らの一人の写真を撮ろうとしてみるがいい。うまく行ってもあなたはカメラを失うだろう。
最近、私はバグダッドの空港に座って、ヘリコプターを待っていた。太陽は照りつけ、素晴らしいイラクの冬の日だった。私も髭を生やしている。私も日焼けしている。私はドイツの家で二三回日光浴をしたからだ。目的は、灰色の冬の日に私の脳の中のエンドルフィンの量の均衡を保つためだ。だが、それ以外は私は、特殊部隊のメンバーとは、共通点はない。そういうわけで、私は私の防弾チョッキの上に戦闘用のズボンを履いて横になり、キャメルを吸っていた。
しばらくして、一人の兵士が私のほうへやってきて、私と並んで砂利の中に腰を下ろした。「神の祝福がありますように」と彼は言った。私はうなずき、彼は質問もしないのに自分のライフヒストリーを話し出した。
彼が意気阻喪して第一次湾岸戦争から帰ってきたこと。二度と戦争に関わりたくないと思ったこと。だから、彼は軍隊を辞めた。彼がアルコールにおぼれたのは馬鹿だったと彼は続けた。それが理由で、妻は彼の許を去った。米国がイラクに侵入した後で、ある夜、夢でイエス・キリストが現れた。「もう一度陸軍に入れ」とイエスは言った。「イラクへ行って不信仰者を真の信仰に改宗させよ。それがお前の使命だ。」彼はその命令に従った。「イエスは、私の救いだった。」だが、イエスはモスレムがなかなか改宗されないということは言わなかった。「だから、こいつらの多くを殺さなければならないのだ」とその兵士は言った。「それは腹立たしい。だが、それ以外に道はない。」一体私が陸軍で何をしているかって?私的な保安サービスの特殊部隊か?」
「何だって、いや、私はジャーナリストだ」と私は言った。
「やれやれ。」
彼は立ち去りはしなかったが、それ以上は何も言わずに、立て続けにタバコを吸った。ちっと後で、もう一人の男がわれわれに加わった。ひげ面で、カーキ色のズボン、M4自動小銃を持っていた。彼は私を「バディ」と呼んだ。「仲間」という意味だ。彼もすぐに自分の身の上話を始めた。私が本を読もうとしていることは、彼らのどちらにも
興味はなかった。「あのころ、俺は特殊部隊にいた。何という時代だったか。」
イエスが夢に現れたという男が「ねー、君」ともう一人に呼びかけた。何の反応もない。
「自分がこのような出動をするには歳を取りすぎているのは残念だ」とひげ面の男は言った。「腰にはまだ砲弾の破片が入っている。アフガン土産だ。」だから、彼は現在、私営の保安会社で車列を警備している。「沢山の金が手に入る」と彼は言った。
「ねー、君」と私の隣の男が呼びかけた。だが、それには何の反応もない。
それから彼はまたもや敵の前線の背後でのテロリスト狩りの滑稽で秘密の細部について物語った。
「それで、君のイラクでの仕事は何かね。特殊部隊か、それとも、海兵隊か?」と彼は尋ねた。
「おい、今度は俺の言うことを聞けよ。そいつはジャーナリストなんだ。」
ジャーナリストは、特殊部隊の天敵のようなものだ。それとも逆か。
私を「仲間」と呼んだ男は、今度は「あぶくだ」と言った。そして二人は消えた。
これは私にはいささか不愉快だった。だって、私はその間中一言も言わなかったからだ。
[訳者の感想]『ヴェルト』紙のイラク特派員カルステン・シュトルメの書いた「イラク日記」という連載記事です。
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「中国の惰性は、緑の革命を遅らせる」と題するジョナサン・ワッツの解説

2007年03月06日 | 中国の政治・経済・社会
 温家宝首相は全人代における年次報告で環境についての覚醒を口にしたが、中国の政治が改革されるまでは、この問題には留意されそうもない。
 この国の歴史で最も環境に配慮する首相という評判を肯定することによって、温家宝首相は、全人代に集まった代表達に、この国がエネルギー効率と汚染の低減を改善しなければ、中国の成長は持続不可能であると警告した。
 このメッセージは、よく知られているが、それにこのような重要さが与えられたことはこれまでなかった。米国大統領の年頭教書にたとえられる年次報告の冒頭に環境を置くことによって、温家宝首相は、国民の注意をその「経済的奇跡」の持つ最悪の帰結に引きつけた。
 勿論、社会的不平等・農村暴動・腐敗・教育・健康・台湾のような差し迫った争点への言及もあったが、---これらの争点は、初日の全人代に対する開会演説では支配的であったのだが、---最も鋭い自己批判は、環境目標に対応するのに政府が失敗したことに向けられた。
 「われわれはエネルギーを保存し、エネルギー消費を減らし、環境を保護し、土地を集中的に利用することを、経済成長のパターンを変えるための主な支えにしなければならない」と彼は開会演説で述べた。
 「国家は、環境汚染をコントロールし、環境を保護するために、非効率で不潔な動力施設や鋳物工場を閉鎖するだろう」と彼は言った。
 代表団は熱烈にと言うよりは礼儀的に拍手した。温家宝はそれに慣れている。話し手としては、彼のもっとも推奨できる性格は、聴衆に彼らがどちらかと言えば聞きたくないことを言う積極性である。
 首相の警告を裏付ける証拠は十分ある。北京は世界中で最悪の大気汚染問題の一つである。中国の河川の70%は、汚染されている。中国南部では、ヒマラヤの氷河は溶けつつある。北部では、浸食する砂漠が、4億人の生活を脅かしている。
 ある国が切迫した環境の崩壊に直面しているとしたら、それは中国である。けれども、この国は、世界中で最も効率の悪い経済の代表である。それは国内問題ではなく、地球の温暖化にインパクトを与え、ますます少なくなっている資源にインパクトを与えている。中国の環境問題は、その軍隊よりももっと大きな脅威を与えていると言えるかもしれない。昨日、中国はその軍事費を2007年度は17.8%増やすということを明らかにした。
 温家宝首相は、中国の経済をより環境に優しくしようとすることで、「世界野生動物基金」や「グリーンピース」のようなグループからは拍手喝采されるのはもっともだ。だが、変化に影響を与える彼の力は限られている。経済成長をコントロールすることになると、この権威主義的な国家には、権威が欠けている。
 今日、温家宝は、今年の成長目標を8%にすると宣言した。それは、2006年度の10%の成長率に比べるとかなりのスローダウンである。この冷却が達成されるかどうかは、別の問題だ。近年、政府の見積もりは拡大の本当のペースよりも下回っている。
同様に、排出や無駄を減らすための国家の環境目標は楽天的すぎることが証明された。両方の場合に、問題は、環境により焦点をおくという温家宝の誓いにもかかわらず、中央政府と地方政府の優先は、ビジネスと仕事を促進することである。
温家宝の演説には抜けている政治的改革に少なくとも一部は責任がある。民主的な責任負担がないから、共産党幹部と官僚という支配階級は、貧しい生活環境に苦しんでいる人々よりも、汚染する側に遥かに近い。
腐敗ともみ消しとは、まん延しており、普通、それらが大きな汚染排出の主たるファクターであることが分かっている。温家宝首相が本当に中国を綺麗にしようと欲するならば、彼は政治をより汚くしないことから始めるべきだ。
[訳者の感想]『ガーディアン』紙に載ったジョナサン・ワッツ記者の論説です。昨日訳した『ヴェルト』紙のキルスティン・ヴェンク記者の解説よりもずっと辛口だと言えるでしょう。
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「中国の将来についての10の質問」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年03月05日 | 中国の政治・経済・社会
北京で世界最大の議会が招集される春毎に、中国は、国防費の増加を告知する。国家予算と将来のための重要な転換が計画される。
3月5日から16日まで、2,937名の代表委員が集合するならば、国家予算についての賛否と並んで、二つの重要な法案が中心になる。私有財産の保証と改革された企業課税は、中国に市場経済へのさらなる一歩をもたらすはずだ。
1.中国の台頭は、西欧との戦争に繋がるか?
答え:そうはならないだろう。核保有国家中国の台頭は、世界を予測不可能にする。それは一方では、中国指導部が安全保障政策上の目標を貫徹する際に用いている不十分な透明性のせいである。その上、中国が目指している多極的世界秩序は、基本的に不安定だということをヨーロッパの歴史は示している。にもかかわらず、指導部が呪文のように唱えている「平和的発展」というスローガンは、信頼に値する。熱い紛争が起これば、一番多く失うのは中国だ。中国は、一年間に600億ドル(7兆2000億円)もの直接投資の最大の受け入れ国である。戦争が始まれば、投資家は投資を止め、成長は停止する。中国は安定した世界を必要としている。北京は外交的利害を力を使わないで効果的に貫いている。中国は貿易相手国を巧みに互いに競争させ、多極的なフォーラムで経済的側面に全力を注いでいる。
2.1989年のように、大きな政治的反乱はあるか?
答え:殆どない。一党支配を揺るがせうるような大衆のデモや政治的不安はありそうにない。中国の市民社会には、組織的に政治的圧力を行使するための制度がない。都市の市民は、大多数が、基本的な体制の変革に関心がない。彼らは、党が保証した経済のブームから利益を得ている。何千万という不満で貧しい農民や出稼ぎ労働者は、独裁政治にとって潜在的な危険である。公式の数字によると、2005年には、農村で、8万7千件の地方的な暴動が起こった。2006年にはその数は、20%減った。だが、それは非常に疑わしい。厳格な統制のために、1989年の天安門事件のような運動は、起こりえなかった。
3.中国は、民主国家になるか?
答え:さしあたりは、ならない。温家宝首相によれば、中国は少なくとも100年間、社会主義体制を維持する。だが、専門家達は、別のシナリオが可能だと考える。1)指導部の中の進歩的勢力が意志を貫いて、上からの民主化を導入する。かってのソビエトのように。
2)経済的発展は、政治的決定に参加したいと望む市民層の形成を促進する。このプロセスの終わりに、複数の政党と自由な選挙をもった民主的体制が成立する。これらの可能な展開の萌芽は存在する。それらの発展に対して、にもかかわらず、安定した一党独裁が存続する。
4.国家が崩壊する危険はあるか?
答え:どちらかといえば、ない。中国の巨大な諸問題は、ペシミスト達に国家が間もなく崩壊するだろうと予言させた。事実、金持ちと貧乏人との二分化は、劇的である。都市住民は、平均して、8億人の農民の五倍稼いでいる。2億人の出稼ぎ労働者は、職を求めて豊かな沿岸部へと移動している。一人っ子政策は、彼らが豊かになるよりも早く中国を老化させるだろう。腐敗は、国民経済の15%を食い尽くしていると「国際透明性研究所」は、見積もっている。これらのリスクに対して、党の経済的成功が対立している。それによって、党は、それ自身の支配を正当化し安定にしている。
5.ヨーロッパは、中国の経済奇跡にゆえに、自分の福祉が脅かさされると心配しなければならないか?
答え:心配しなければならない。中国の経済的台頭は、ヨーロッパにとっては、祝福であると同時に脅威である。中国は、確かにわれわれの商品を買うが、もっと沢山売っている。米国についてと同様、ヨーロッパの対中貿易赤字は、増大している。(2005年には、赤字額は、1300億ユーロ(19兆5千億円)だった。これは、何百万もの中国人にとっては仕事があり、貧困からの解放を意味した。だが、ヨーロッパは、不利な状況に陥らないためには、競争力を維持するように急がねばならない。低賃金領域では、西欧は中国と競争できない。だが、サービス部門やインノベーションでも極東は追いつきつつある。欧州委員会によると、中国の国内総生産に対する公的私的研究開発への投資比率は、2010年には、欧州連合よりも大きくなるだろう。(以下省略)
[訳者の感想]『ヴェルト』紙の特派員キルスティン・ヴェンク記者の記事です。
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「シーア派の半月地帯に対するスンニー派支配者の恐れ」

2007年03月04日 | イスラム問題
2004年12月に「シーア派の半月地帯」という言葉を作ったのは、ヨルダン国王アブドラ2世だった。「シーア派半月地帯」をイランの聖職者政府はイラクを越えてシリアからレバノンまで広げようとしているというのだ。こういったために、アブドラ国王は、テヘランとバグダッドからの批判に曝された。だが、彼はアラブ人達が恐れていることを述べたまでである。数百年前からスンニー派の回教徒が支配してきた地帯にシーア派が主導的な地位を占めるという恐怖である。
アブドラ国王は、イラクをこの地域における政治的覇権問題が決定される決戦場にしたのである。
1)イラク
イラクでは、人口2千3百万人の60%をシーア派が占めているのに対して、スンニー派は20%を占めるに過ぎない。そうこうするうち、バグダッドでは、シーア派主導の政府が統治している。シーア派が新たに獲得した権力を再び手放すということは想像できない。特に彼らは、サダム・フセインによって、長年、組織的に迫害され、拷問され、殺されてきたのだから。
2)シリア
シリアの総人口の約4分の3は、スンニー派である。残りの国民は、ドルーズ派か、キリスト教徒か、アラウイー派に属している。アラウイー派は、シーア派の一部で、この国を40年以上支配してきた。アラウイー派は、厳格なモスレムからは、異端者だと見なされている。バシャール・アル・アサド大統領は、2000年6月10日に死去した父のハーフィス・アル・アサドの真似をして、人事政策においては、スンニー派に権力を持たせないように、自分自身の家族の構成員か、他の宗教的少数派に所属する人間に配慮している。シリアはテヘランと同調しており、シリアを経由して、レバノンのシーア派の先兵であるヒズボラとの連絡や武器の供給が行われている。
3)レバノン
ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララー師は、昨年のイスラエルに対する34日戦争の後、イスラム世界における最も人気のある抵抗戦士に昇格し、それ以来、シーア派陣営からだけでなく、他の陣営でも賞賛を受けている。ヨルダンやパレスチナ自治区やエジプトから来たスンニー派の「モスレム兄弟団」は、優勢なイスラエルに抵抗することを敢えてしたこの指導者に拍手喝采した。その際、スンニー派の「モスレム兄弟団」は、実際は、余り連帯的ではなく、むしろ、「イスラエルの敵は、我らの味方」というモットーにしたがって、戦略的イデオロギー的目標を持っていた。レバノン自体では、「モスレム兄弟団」は、民族的宗教的理由から、スンニー派のフアド・シニオラ政権を支持している。
4)イラン
約1400年前のスンニー派とシーア派間に起こった分裂以来、確かに致命的な亀裂がイスラム世界に走っているが、この亀裂はイランの強大化と共に明白になった。13億人のスンニー派と1億3千万人のシーア派との間に、文化闘争が荒れ狂っている。イラクでは、世俗的な権力とイデオロギー上の主導権をめぐるこの戦いは、最も明白であるが、シーア派人口を抱える他の国でもシーア派モスレムは、自分たちがイランという地域勢力に支えられているということを意識して反抗している。
5)サウディ・アラビア
ヨルダンやエジプトや特にサウディ・アラビアは、中近東におけるスンニー派のアイデンティティを防衛しようとする努力において、対抗策を探している。シーア派に改宗するスンニー派モスレムが問題になっている。サウディ・アラビアのアブドラ国王は、公的介入の行為をしてまで、スンニー派モスレムをシーア派に改宗させようとする試みに烙印を押さざるをえなかった。それは、テヘランの宣教的傾向に対する明白な攻撃である。
ますます、サウディ・アラビアは、アラブ人ではないイランに対するスンニー派ワハーブ派の反対極になりつつある。エジプトはアラブ世界では明白に影響力を失った。なぜなら、それはパレスチナとイスラエルの紛争を有効に調停できないからである。他の国々は弱すぎる。サウディ・アラビア国王は、戦闘的なシーア派によって挑戦されていると感じており、聖地メッカとメジナの守護者としての役割を新たに発見した。アル・サウド家から発する外交的攻勢は、過去には稀であったが、意までは日常茶飯事である。互いに敵対しているパレスチナ人集団は、国民統合の政府の形成を目指して、カイロではなくて、サウディのメッカに集まった。
権力に対する確実な本能をもったロシアのプーチン大統領は、サウディ・アラビアを介して、アラブ世界で失われた影響力を取り戻そうと試みている。
それどころか、リアドとテヘランは、宗教的政治的紛争をエスカレートしないために、活発な訪問外交をしている。イスラム内部での兄弟戦争は、どちらの地域にとっても役に立たない。中東地域をイランの指導するシーア派ブロックとサウディ・アラビアの支配するスンニー派ブロックの二つのブロックに分割することは、両方の支持者が望むだけでなく、不可避である。
[訳者の感想]『ヴェルト』紙の3月3日の記事です。カトリックとプロテスタントとの歩み寄りが450年かかったように、シーア派とスンニー派の歩み寄りにはまだまだ何百年もかかるのでしょうか。
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