海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「神話とセンセーションの間の宮殿」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年05月09日 | 政治と文化
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ひょっとしたら、すべては、高いところで考慮された監督指示に従っているかもしれない。ハンブルク大学は、その研究者たちが「シバの女王」の宮殿を掘り当てるのに成功したと発表した。これでもって、長い間、十戒の書かれた石板を入れた「聖櫃」が保存されていた場所が見つかったことになる。
同じ日に、ハンブルクの東、250キロにあるベルリンで、「ドイツ考古学研究所」のメンバーが、彼らの会長の年次報告を聞くために、集合した。講演のテーマは、「シバ王国の支配者の宗教的センター」であった。女王については、一言も語られなかった。考古学者インディー・ジョーンズを主役とする四番目の映画が上映される二週間前だ。「聖櫃」の発見で、1981年に封切られた第一作「失われたアーク(聖櫃)」が正しかったことになるのだろうか。
1999年、ハンブルク大学「考古学研究所」のヘルムート・ツィーゲルト教授は、エチオピア北部のアクスムの廃墟で、発掘していた。これは、ある王国の首都であり祭儀の中心だった場所である。その基礎が置かれたのは、キリスト誕生の頃とされている。紀元4世紀に、この国のエリートたちは、キリスト教に改宗した。彼らは東ローマ帝国と同盟して、ペルシャや西ローマ帝国と戦争した。
ツィーゲルトと彼のチームにとっては、この未知の王国とエジプトのコプト教会に近いエチオピア正教教会の始まりが問題だった。
アクスムの後のキリスト教徒支配者の宮殿の下で、彼らは紀元前10世紀と推定される建物にぶつかった。年代と発見された細部によって、それが「シバの女王」の宮殿であることをツフィーゲルトは、確信した。彼女の息子で後継者であったメネレクがその宮殿を壊して、その上に祭壇をもった祭儀のための部屋を作った。そこに長い間、「聖櫃」が保存され、後にアクスムの寺院に移された。
これまで、アクスムでの最も古い考古学的発見は、キリスト誕生頃のものと推定されていた。それは、それよりも千年も古いある国王の住居とどのように関係していたのか。
確かに、紀元前千年前からのいわゆるエチオ・シバの記録が知られていた。これらの記録は、そこに書かれた君主の父や母の名前も記されている点で、イェーメンのシバ王国のものと区別される。しかし、そのことは、母親が女王だったということを意味していない。(以下省略)
[訳者のコメント]イェーメンにある「シバ王国」は、エチオピアにあった「シバ王国」の植民地だったようです。「シバの女王」がソロモン王に会いに来たという旧約聖書の話はどうも一種のおとぎ話だというが歴史学者の意見のようです。
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