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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「農村の暴動に直面して、中国、改革に着手」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2006年01月28日 | 中国の政治・経済・社会
1月27日、北京発:増大する農民の暴動に直面して、中国共産党は、農民の生活全体を改善し、彼らの土地を侵食する急速な経済的発展を停止する広範な変化を宣言した。
共産党は、農業改革を今月始まる新しい五カ年計画の主な目標であると宣言した。政府もまた数千年の歴史を持つ農業税を廃止すると声明した。また農民の子弟のための無料の公立学校や医療を受けられないでいる8億の農民のために医療に助成金を出すと声明した。
決定が矢継ぎ早になされたことは、土地収用と環境汚染によって憤慨した農民が暴力による抗議に立ち上がったことに対する党と政府内部での関心の深さを反映している。それらの抗議は、高官によれば、社会の安定と経済成長に対する脅威となっている。国家公安部は、2005年中に起こった暴動の件数を8万7千件であり、2004年と比べて6%の増加であると述べた。
暴動は、毎年9%の国民総生産の増加を生み出したが、主に都市の住人にしか利益をもたらさない経済成長に対する反動である。
ある中国人の官憲は、強力な抑圧が最善の返答であると示唆した。人民武装警察の司令官であるウー・シュアンチャンと軍の政治コミッサールであるスイ・ミンタイは、今月初め共同の論文を執筆し、訓練を強化し、暴動を鎮圧する準備を要求した。しかし、高位の指導層は、力の行使を否認はしなかったが、農民の問題を長期的に解決することを強調した。
温家宝首相は、先月、農民とその土地を守ることに失敗すれば、もっと多くの暴動につながるという「歴史的な失敗」をすることに対して高位の官僚に警告した。特に彼が注意を促したのは、都市は土地を収用する際に法を犯してはならず、公共のファンドを吊り上げる方法として収用した土地をビジネスに売却してはならないと述べた。
先週、党の機関紙『人民日報』に発表された彼の演説の本文によると、彼は「これが農村と社会の安定に影響する主要な問題であり、それは政府と党委員会のあらゆるレベルで認められなければならない」と述べた。
胡錦涛主席は、金曜日に政治局に宛てたメッセージで、われわれが直面している矛盾と問題の解決を要求した。『新華社』通信によれば、彼は「農民を助けて彼らの生活を著しく向上させ、農業と農村地域を発展させることに失敗するならば、われわれは比較的繁栄した社会を建設するという目標に到達できないだろう」と述べた。
都市の成長と搾取された農村の間の緊張をうまく調整しようとする党の努力は、過去30年間の経済的自由化の中で発展した社会主義と資本主義との雑種の中では挫折してしまった。新しい時代には、共産党の主要なイデオロギーが経済成長になり、それは官吏とビジネスマンの間の腐敗した連合を生み出した。
結果として、何人かの中国人アナリストは次のように指摘した。農民とその農地を保護する本当の決定は、違法の農地収用や売却に首を突っ込んでいる都市と田舎と農村の官吏を断固として処罰することを必要とするだろうと。温家宝と胡錦涛がそういうことを考えている兆候はない。異常に率直な中国の農村問題についての言及であるとして歓迎された彼の演説で、温家宝は、土地収用における腐敗の役割に言及しなかった。農民はそれが彼らの暴力的な抗議の理由であると述べているのだが。
党の連帯が地方の行政を改善したいという欲求を上回ったように見える。例えば、先月、2004年8月にセッコウ省の土地収用における組織的な腐敗を非難した地方の党書記が終身刑を宣告された。火曜日には、彼を助けて告発を書かせたジャーナリストが懲役3年を宣告された。
人民武装警察が発砲して数名が殺された一連の農民暴動の後で、広東省の地方党書記張徳江は、彼が「三つの指令」と呼んだものを発表して、地方官僚を彼らが不適切に農地を収容したならば、首を切るぞと脅した。今月もう一つの暴動の後で、彼は再び警告を繰り返した。だが、首切りは宣告されなかった。
24人の政治局のメンバーである張は、高位の指導者から、香港の北東125マイルにある東州市での暴動者と警察の衝突について激しく責められた。衝突についての彼の公式の報告は退けられ、中央政府のチームが調査のために派遣された。
北京のアナリストの間の予想にもかかわらず、張は広東省の党書記の地位を失わなかった。彼の運命は特に敏感であると考えられている。というわけは、江沢民前主席が彼の出世に責任があるからである。
特権的な「国立行政学校」の校長代理であり、農村問題の専門家である王ユカイは、農民の生活を改善することに焦点に置こうという胡錦涛の決定は、党の思考の変化を代表していると言う。以前には政策は、成長が拡大すれば農民は都市の住民とともに利益に預かるだろうと期待して経済発展を策定することであった。
「それは大目標なのだ。それは一日限りのスローガンではない。それは長いプロセスだ」と彼は言った。
農業税を廃止することは、何千年もの間、収穫あるいは収入の1%を地方官僚に差し出してきた農民の間では歓迎されている。胡錦涛は、テレビを従えた農村視察で、彼の決定について農民に思い出させた。
だが、王は、北京で発表されたこのような決定は、13億の3分2以上の人口が住む都市や農村では完全に適用されない。
例えば、昨年の政府の歳入の4分の1は、あらゆるレベルの600万人の役人の扶養するのに用いられた。それには、宴会や運転手付きの自動車や給与が含まれている。政府の費用で、これらの特権を享受している役人を見ることが、しばしば、農民の怒りに油を注いでいるのだと彼は付け加えた。
胡錦涛の執務室での高官のための報告で、胡錦涛は、農村の生活改善のための14文字からなる原則を提示した。「官吏のための厳正な規律」は、そのリストの先頭に掲げられていた。
[訳者の感想]増える一方の農民暴動を抑えるのに、農民の生活を改善しようと中国政府が乗り出したようです。歳入の4分の1が官吏のために使われているというのは信じられません。中国も行政改革が必要なようです。
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「アリアンツ、中国最大の銀行に資本参加」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月28日 | 国際経済
上海・ミュンヘン発:「アリアンツ」は、中国最大の「中国工商銀行」(Industrial and Commercial Bank of China)に参入する。金曜日にアリアンツの広報担当アンチエ・テラーヘが伝えたところによると、このドイツの金融大企業は、8億2千万ユーロで、資本金の2.5%を所有する。アリアンツと並んで、アメリカの金融会社ゴルドマン・サックスとアメリカン・エクスプレスも「中国工商銀行」に参入した。取引額は、37億8千万ドルである。取引の大部分はゴルドマン・サックスが引き受け、同銀行の資本金の7%にあたる25億8千万ドルを投資する。アメリカン・エキスプレスは、0.5%を出資する。
業務行為は、四月以前には、締結されないだろうとテラーヘは断言した。だが、アリアンツは、ICBCの支店で投資ファンドや生命保険などの商品を販売し始める。アリアンツにとっては、全国的展開が重要であるとテラーヘは言った。アリアンツ社の会長ミヒャエル・ディークマンは、中国市場が生命保険会社にとって大きな戦略的意味を持つということを強調した。最近締結されたパートナー協定は、アリアンツの参加の長期的な性格を裏書している。ゴルドマン・サックスやアメリカン・エキスプレスの代表者もすでに存在する協力の上に更に築かれる将来の協力について楽天的に述べている。
「中国工商銀行」は、中国で、2万の支店を持っている。これに対して、アメリカン・エキスプレスは、消費者クレジットに集中しようとしている。このビジネスは、まだ所轄の役所によって認可されなければならない。中国の金融市場は、観察者の意見では、確かに巨大な潜在能力をもっているが、多くの領域でまだ初歩的な段階に留まっている。最近まで、銀行は、不良債権の波と戦わなければならなかった。中国の官庁は、外国の金融機関にこの領域に投資するように奨励したが、そのわけは、彼らがこのような外国金融機関の参加によって自国の銀行の資本準備金の改善と外部からの技術的ノウハウを約束されたからである。現在、ICBCは、構造変革過程の真っ只中にあり、香港の株式市場への参加を目指している。
アナリストは、ロイター通信に対して、高額の購入価格にも関わらず、肯定的な発言をしている。WestLBのカルステン・ツィールケは、「アリアンツは、2.5%の出資分しか持たない。だが、それはいくつかの可能性を作り出す」と述べた。HVBのアナリストであるルチオ・ジェロニモは、「アリアンツが支払った価格を評価するには、まだデータが少なすぎる。さしあたりの保険料収入わずかなであるにしては、相対的に高価な出資金であるように見える」と言った。「だが、それは中国市場を開拓するための長期的な戦略的な第一歩と見なければならない。」
[訳者の感想]ドイツやアメリカの金融機関が中国市場に参入しようと懸命になっているのが分かります。
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「アメリカの余計なものがくっついた日本の牛肉」と題する『シドニー・ヘラルド・ニュース』

2006年01月27日 | 国際経済
東京を出た新幹線の中で、フラッシュ・ニュースがスクリーンに流れ、旅客にアメリカ産牛肉が再び日本から追放されたということを伝えた。オーストラリア・牛肉・家畜組合の東京駐在員であるサマンサ・ジャミーソンは、細部を捉えようと目を凝らした。東京に戻るとオーストラリア牛肉の最大の輸入者の一つの代表者たちはパーティの最中だった。
伊藤ハム会長の斎藤アキノブによると、数秒間で誰もが同じテキストを読んだ。ジャミーソン女史が急行列車からオーストラリアに向けて危なっかしい連絡を通じて彼女の電話に「アメリカが追放された」と怒鳴った。
オーストラリアの牧畜業者にとっては、一週間前のその声明は、彼らにとって25億ドルの価値がある市場での潜在的な独占を意味している。ジャミーソンや伊藤ハムの重役にとっては、その市場では、大きな機会が残っているのだ。
三月に始まる11の都市を巡る巡回の展示会では、味見やレストランのシェフを招き、スーパーマーケットのプロモーションが行われる予定であるが、それはオーストラリア産牛肉に対する需要を高め、アメリカ産牛肉のいないのを利用することを目指している。おもなメッセージは、安全と風味についてなされるだろう。
水曜日の晩、東京のある中華料理店で、オーストラリア産ビーフと子羊肉が、140名の卸売り業者や巨大食肉購入者に振舞われた。客として招かれたシェフは、種種さまざまな肉切れにナイフを振るい、牛肉の融通が利くこと柔軟さを誉めた。
アメリカ産牛肉の復帰を待っていたそこらじゅうにある牛丼店がいまやターゲットになっている。年間3万トンの牛肉を使用するあるチェーン店は、オーストラリア産牛肉と取り替えることことを真面目に検討中である。
伊藤ハムの営業部長であるカサイ・チカラ氏は改めてアメリカ産牛肉が輸入禁止になれば、オーストラリア産牛肉が優位になるのは当然だと言った。
「私達はアメリカがこの過ちを犯したことにショックを受けている。彼らが消費者の感情を理解しなかったことにもっとショックを受けている」とカサイ氏は述べた。彼の会社は、毎年8万トンのオーストラリア産牛肉を輸入しており、ニューサウスウエールス州の北部で5万3千頭の牛を飼っている。
2年間の禁止の後、わずか1ヶ月で再びBSEの疑いでアメリカ産牛肉の輸入禁止を決めたことは予期されなかった。ニューヨークの小さな牛肉梱包業者からの違法な発送が日本の消費者を恐怖に陥れた。なぜなら、彼らは安全な肉だけが輸出されると約束されていたからである。脊椎を含む子牛肉の入ったダンボール箱は、致命的な帰結をもたらした。手袋をはめた役人が、まるで毒物ででもあるかのように、テレビカメラの前に牛肉を突き出したとき、大騒ぎが起こった。
日本の消費者が科学的検査を要求した際に、日本に対する制裁の脅しに頼ったアメリカ政府の戦略にとってそれは破局であった。ブッシュ大統領は、新たな禁止令に対して日本を貿易に関して罰するぞという脅しで応えた。政治的環境に詳しい人たちは、日本政府が深刻に困っていると言っている。アメリカの破約の一日前、日本の役人達は、カメラの前で行列して、消費者に向かって、自分たちは、場や肉の梱包工場を見学し、それらがすばらしいものであることが分かったと保証した。
伊藤ハムの重役は、アメリカ牛が一年以内に市場に帰ってくることを示唆したが、他の食肉業者は、もっと遅くなるだろうと予想している。日本はアメリカの処理工場に自分自身の食肉検査官を置く必要があるかもしれない。日本の安全マニュアルが英語に訳されるかもしれない。あるいは、アメリカ人の検査官が日本へ送られて、彼らの資格をテストし、証明してもらう必要があるかもしれない。
いずれにしても、惨めな謝罪を伝え、もう一度交渉をやり直すために送られた三人一組のチームは、事態をもっと悪くした。
農務省次官のJ・B・ペンは、「汚染された牛肉を食べて狂牛病で死ぬよりはスーパーマーケットの外で車に引かれる確率のほうが高い」と影響力のある「テレビ朝日」のリポーターを説得した。
この比較は、記者会見の場所では記者団にショックを与え、翌日の新聞やテレビで繰り返された。
「もちろん、狂牛病と事故とを比較するのは間違っている。だって狂牛病は事故ではないのだから」と伊藤ハムのカサイ氏は言った。
[訳者の感想]アメリカ産牛肉が輸入禁止になっている間に日本市場に割り込もうとオーストラリアの食肉製造業者が必死になっているのが分かります。
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「ハリー・ベラフォンテ、アメリカ社会に大きな反響」と題する『ヴェルト』紙の記事

2006年01月26日 | アメリカ社会
ワシントン発:ジョージ・W・ブッシュを「最大の暴君、最大のテロリスト」と呼び、コリン・パウエル元国務長官を「嘘つきで、主人の家でこびへつらうお気に入りの奴隷」と呼び、「本土安全庁」をゲシュタポにたとえ、ヴェネズエラのチャベス大統領の革命におめでとうと言った一人のアメリカ人は、米国の主流の言説からは抜け出している。但し、彼が有名であり、黒人であり、恐れを知らず、金持ちで、マーチン・ルーサー・キング牧師の協力者として非の打ち所がないとしたら話は別である。ハリー・ベラフォンテは、この記述が当てはまる唯一の男である。目下、かってジャマイカ系の移民として貧困を経験し、1950年代の終わりにカリプソの「バナナ・ボート・ソング」で世界的に有名になったた歌手兼市民権活動家は、政府に対して修辞上の戦争を行っている。
 ハリー・ベラフォンテの言ったこと全部がナチとの比較ほど馬鹿げたことであるわけではない。いずれにしても、上院でただ一人の黒人であり、将来の大統領選に対する民主党の希望の星であるバラック・オバマ議員は、そう思っている。ベラフォンテの非難で触れられているように、ブッシュの「国家安全保障庁」と「愛国法」でもってアメリカ人は、逮捕状や告訴や弁護士との接見がなくてもゲシュタポなみの取り扱いを受けるだろうとオバマ議員は答える。「ナチの犯罪は一回限りのもので類比の役には立たない。・・・私もわれわれが基本的人権とテロリズムに対する防衛との間に正しいバランスを見出せるか本当に心配している。」ブッシュをテロリストだと言ったベラフォンテの非難は、オバマ氏適切だと思う言葉ではない。だが、政治的にラディカルな発言をする権利はアメリカでは認められているということを忘れてはならない。
 2008年の大統領選挙の候補者と目されているヒラリー・クリントンの最近の発言によれば、「ブッシュ政府は、われわれの国を統治した最悪の政府として歴史に残るだろう。」
クリントンとベラフォンテは、どうやって日常的喧騒のなかでメディアの注意を惹きつけたらいいか知っているのだ。そういうわけで、月曜日には、CNNのベテランであるウオルフ・ブリッツァーは、ハリー・ベラフォンテとの生インタービューでそう判断した。ナチとの比較は、それがホロコーストを過小評価するが故に、不適切ではないかと彼は興奮して尋ねた。それに対して、「いやそんなことはない」とベラフォンテは、落ち着いて答えた。「ドイツ人たちが早い時期に全体主義的で殺人的な政権の始めに自分の身を守っていたら、ユダヤ人の大量殺戮にはならなかっただろう。「それでもって、あなたは、ユダヤ人たちが彼らの殺戮の共犯者だと言いたいのですか」とブリッツァーが突っ込んだ。ベラフォンテは、どの宗教に属していようと、自分と他人の権利を奪われることに反抗しない市民は、彼らの国が没落するのに協力しているのだと答えた。
ジョージ・W・ブッシュに対する怒りの余り、音を出し誤る上層階級の黒人がいることが目立つ。ニュー・オルリーンズ市長のレイ・ネイギンは、まるでブーヅー教の司祭のように、ハリケーン・カトリーナをイラク侵略に対する神のバチだと言ったために、謝罪しなければならなかった。ベラフォンテは、降参する気はない。マーチン・ルーサー・キング牧師は、彼を「戦術兵器」だと呼んだ。デューク大学で開かれた「キング・記念日」の演説で、ベラフォンテは、多くの同時代人がキングを共産主義者だと呼んだことを思い出させた。ベラフォンテも沢山非難されている。だが、彼が墓碑銘を選ぶことができれば、そこには「愛国者ハリー・ベラフォンテ」と書いて欲しいと彼は言った。
[訳者のコメント]この前に訳した記事の続きです。共和党が、次の大統領選挙で勝つ可能性はかなり下がっていると思います。民主党の大統領が出てきたとき日本の首相はどうするのでしょうか。

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「ハリー・ベラフォンテ、アメリカ政府を攻撃」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月23日 | アメリカ社会
ニューヨーク発:歌手のハリー・ベラフォンテ(78)は、アメリカの「国家安全保障庁」をゲシュタポ(ナチの秘密警察)になぞらえた。「私たちは国家安全保障庁」という新しいゲシュタポが待ち伏せしているこの暗い時代に到達したのです。ここでは市民の権利は無視されるのです」とこのエンターテイナーは、ニューヨークでの芸術家達の集会を前にした演説で述べた。「捜査手続きがなくても逮捕が可能です。逮捕されても弁護士を要求する権利もないのです。」
ブッシュは、ちょっと疑わしい仕方で政権を手に入れ、市民を欺き、だましたのだと彼は言う。「それから彼は何十万人もの私たちの若者や娘を、われわれを攻撃したことのない他国に送ったのだ」と第二次大戦中にアメリカ海軍に勤務したこの78才の男は言った。彼の意見表明に対して、ジョージ・ブッシュ大統領の政府に対する批判者達は、ベラフォンテに轟くような拍手を送った。聴衆の中には、歌手のピーター・ヤロウやフォーク・グループのピーター・ポール・マリーや、数十ヶ国からの芸術家がいた。
[訳者のコメント]「バナナボート・ソング」で有名なハリー・ベラフォンテの名前が久しぶりに出ていたので懐かしくてこの記事を訳しました。まだまだ元気なようです。アメリカではテロ防止のために盗聴や信書の検閲を認めようとしているようです。
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「堀江貴文、東京証券市場に恥を掻かせた男」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2006年01月21日 | 国際経済
今日、東京証券市場が暴落した。歴史上初めて取引が早めに終了した。すべては、正体不明の登場で日本のビジネス界を驚かせた日本の33才の企業家のせいである。世界中の投資家を震え上がらせたこの男は一体何者か。
ハンブルク発:結局、堀江貴文は、文字通りロードグリップを失った。彼は2005年に福岡で開かれた第56回宇宙旅行会議で、宇宙旅行を提供するつもりだと宣言した。5年以内に宇宙旅行希望者は、数日間の地球周回旅行に出かけるように配慮したいと彼は言った。それから半年後の今日、堀江は、彼の高く飛ぶ計画の実現からは、太陽が隣の星と離れているぐらい離れている。日本経済の頬のふっくらしたこのアンファン・テリブルは、検察庁の標的になった。堀江の国際的コンツェルンである「ライブドア」の株価操作と粉飾決算が問題になっている。
ライブドア社と堀江の自宅に対する夜間の立ち入り捜査の報道は、この数日間、東京証券市場に地震を引き起こした。日経指標が昨日17日、株価下落を記録した後で、株式市場の指標は、今日も2.9%の下落で終わった。仲買人席の責任者は、それどころか、取引を20分間短縮した。その理由として、異常に多い取引数が挙げられた。
堀江にとっては、状況は厳しい。非難が正しいことが分かれば、新聞報道によれば、彼に懲役5年の可能性を示唆している。日本の青年達は、アイドルを失い、日本株式会社の保守的体制は、もっとも手に負えない対抗者を失った。なぜなら、攻撃的なビジネス姿勢をもつ堀江ほど合意を考慮するこの国に対抗したものは誰もいないからである。
堀江がエリート大学の東大に入学したとき、既に彼は群れからはみ出ていた。文学と宗教の研究を中断して、彼は「リビング・オンザエッジ」というインターネット・サイトを創設した。後に彼は調子の悪いライブドアを買収し、この会社を日本の指導的ITコンツェルンにした。2000年以来、この大学中退者は、20社以上の会社を買収した。今日ライブドア社は、ウエッブ活動、DVDの貸し出し、インターネット・オークション、投資顧問サービスで金を稼いでいる。
その際、堀江は、大もうけをし、スター企業家が必要とするあらゆるステータス・シンボルを手に入れた。例えば、フェラーリや個人ジェット機や贅沢な住まいである。彼の最初の結婚は失敗し、それ以来、彼は、あるモデルと同棲している。それに加えて、堀江は、日本のビジネス世界の硬直した教団規則に楯突いた。義務的なビジネス・スーツの代わりに、彼はTシャツと木綿のズボンを好む。彼が公然と見せつける個人主義でもって、堀江は急速に青年達のアイドルにのし上がった。彼のファン達は、日本で非常に愛好されている漫画の主人公「ポケモン」になぞらえて、彼を「ホリエモン」と呼んでいる。
彼は日本では自明なものの基本を揺すぶった。「金を儲けるものが勝ち組」というような本で、彼は、集団思考を攻撃した。老人に対する尊敬についての彼の発言は、同じぐらい挑発的であった。「一番役に立たないものは、年寄りの説教だ」と彼は断言した。保守的な陣営には、ニューリッチの企業家は、友人がいない。
昨年、堀江が日本の最も重要な私営のテレビ局であるフジテレビを買収しようとしたとき、彼は年上の先輩との公然たる戦争になった。彼の目標は、世界最大のメディア・コンツェルンを作ることであった。電撃戦法で、彼は夜間取引を通じて、フジテレビ株の大部分を所有する日本放送の株の多数を買った。これでもって、堀江は、日本で夜間市場での株購入について大きな議論を巻き起こした。
結局、彼は自分の意志を貫くことはできなかった。フジテレビがライブドアの株を買うことを前提にある妥協が図られた。けれども、堀江はこの件で脚光を浴び、買収攻勢はPR効果を発揮した。
彼の行程は政治にも及んだ。小泉純一郎首相の要請で、彼は無党派の候補になり、去年の衆議院選挙では、「刺客」として、長老の亀井静香と選挙区で争った。亀井は、その前まで自民党内の郵政改革に反対を組織していた。堀江は、確かに69才の亀井に選挙では負けた。だが、選挙に登場したことで彼の反逆者の名声は高まった。
堀江の敵対者は、絶望の果てに近かったに違いない。それだけ現実のスキャンダルについての喜びは、大きい。古い陣営は、サクセス・ストーリーの終わりを感じ取っている。「体制派が今度は反撃した」と東京に駐在しているある西欧の外交官は述べた。
堀江に対する疑惑が正しいことが分かった場合には、彼の宇宙旅行と並んでもう一つの計画が頓挫しかけている。そういうわけで、この百万長者は、さしあたり、自分の経歴にについて自分が歌った歌の入ったCDを市場に出すつもりだった。記録媒体の上で、彼は特に「ヒーロー」という歌を披露した。日本の新聞報道を信じると、このCDの発売は、現在進行中の捜査のために危うくなっている。
[訳者の感想]かなり多くの外国のメディアは、ホリエモンの功績を評価しているようですが、ライブドアという会社が次々と買収をしながら、実際は本当に株価に見合ったような事業をしていたのかどうか、私は疑わしいと思っています。最近アジア人で国際的な話題になった人としてはES細胞のクローンねつ造の黄教授や中国訪問の金正日総書記と並んでホリエモンが登場したという感じです。
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「食糧倉庫は、トウモロコシで一杯なのに饑餓」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月18日 | アフリカの政治・経済・社会
ケープタウン発:まるで計画に責任があるのは馬鹿者であるかのように見える。ケニアの旱魃に見舞われた北部地方では2百万人が飢えているのに、豊かな西部地方では、倉庫に百万袋のトウモロコシがあって、一部はすでに腐り始めていると首都ナイロビで発行されている『スタンダード』紙は伝えている。穀物倉庫は昨年の収穫でまだあふれているとのことである。だから、担当の役所は、これ以上のトウモロコシを買い入れることができない。ケニアの農民は、彼らの収穫物の上に座って買い取りを待っているか、それをただ同然の価格で投げ売りしなければならないので怒っている。農民達は、彼らのトウモロコシを隣のウガンダに売却するぞと脅している。もっともウガンダには飢饉はない。
先週、国連の「世界食糧計画」(WFP)は、「アフリカの角」にある四つの国では、1100万人が食糧の寄付に頼っていると警告した。彼らの半数は危機的な状況にある。ケニア以外では「アフリカの角」にあるソマリアで200万人、エチオピアで100万人、ジブチでは15万人が飢えている。
3年前から大統領職にあるムワイ・キバキは、彼の前任者ダニエル・モイ前大統領の20年間の放漫財政と腐敗と貧困に対して宣戦布告したのだが、最近、飢饉が国家的な災害であると宣言し、外国に援助を求めた。だが、最初の援助物資が到着するかしないかに、ジャーナリスト達は、北東部の一ダースほどの商店に「非売品」(Not for Sale)と書かれた豆やトウモロコシや粉ミルクで一杯の袋を発見した。スキャンダルが知れ渡った後で、警察は先週、24人の商人を逮捕した。けれども「世界食糧計画」のスポークスマンは、配分が不規則になったということを否定した。むしろ、数人の便宜を図って貰った人たちが無料の食糧を売却し、「その金で彼らが必要とするものを買ったのだ」と「世界食糧計画」の代表ゴロ・ラホは断言した。しかし、ブラ・ムズリにある配給倉庫では、村人達は、彼らがこれまで何の援助物資も貰ったことはないと主張した。
国会議員のルート・オニアンゴは、またもや飢饉で利益を得たと閣僚を非難した。「食糧を過剰にもっているのに、外国からお金がもらえるように、飢饉を災害だと宣言することは、アイロニー以上のものである。寄贈されたトウモロコシを運送している会社が閣僚の所有だと言うことが分かっても、私は驚かない」と野党の女性国会議員は言った。まさに同じことが2004年の飢饉の際にも起こった。調査の結果明らかになったのは、当時、穀物を飢饉地帯に運んだ運送会社は、閣僚かその親族の所有だった。
人口3100万人のケニアは、人口350万人のリトアニアと同じ国民総生産を作り出している。この国は、「国際透明度」によって最も腐敗した国の一つに挙げられている。24年間続いたモイ大統領時代の後で新しいケニアが誕生したという希望は、裏切られた。74才で病気がちなキバキ大統領は、「国民虹連盟」を率いている。彼は種族的な対立を部分的に克服し、改革を導入した。しかし、新しい憲法草案は、昨年九月に国民によって拒否された。キバキがどれほど長く大統領職にあるかは分からない。なぜなら、たいていのケニア国民は、彼を盗癖のある政治家であったモイの跡継ぎだと見なしているからである。
2004年の夏、当時の駐ケニア英国大使エドワード・クレイは、新しい政府と決着をつけた。「問題になっているのは、『大食い団』であって、彼らは沢山食べすぎて、ついでにわれわれの靴にへどを吐いた。」1億5千万ユーロは、たった、一年半で消えたとロンドンの外務省から来たこの人物は罵った。清潔な閣僚の名前なんか「一枚の切手の裏に」問題なく書けるだろうと。ノーベル平和賞受賞者であり、キバキの内閣の環境相代理であるワンガリ・マータイだけがヨーロッパの外交官の憤激に理解を示した。「クレイ氏は、ヨーロッパでどれほど簡単に税金を手に入れることが出来ても、すぐにアフリカで盗まれてしまうといことをはっきりさせたのだ。」
[訳者の感想]アフリカ諸国のなかではケニアは、まだましかと思っていましたが、政府の無能ぶり、腐敗ぶりはかなりのもののようです。
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「台湾、北京の嘘、狡猾、策略に対して警告」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月17日 | 中国の政治・経済・社会
ベルリン発:北京の大きな声に対して対抗するには、外国に聞く耳を見出そうとすれば、台湾の政府代表は、本当に声を大にせねばならない。台湾の大陸関係相であるジョセフ・ウエンも、まさに終了した彼のヨーロッパ旅行の途中で、台湾のせっぱ詰まった状態に目を向けさせるために、全く外交的でない調子をだした。「増大する脅威は、中国であり、ずうずうしい嘘さえ辞さない共産党指導部は、狡猾だ」とアメリカで政治学博士号を取ったウエンは言った。台湾社会の分裂を北京は巧みに作り出した。一方には、独立とより多くの台湾的意識を得ようとしている「緑の」陣営があり、それが現在政府を運営している。他方では、国民党周辺の「青い」陣営がある。彼らはかって中国全土を支配しており、再び大陸に接近したいと思っている。月曜日に、政権与党の民進党が新しい大統領を選んだ後で、裂け目は、一層深まった。ユウ・シークンは、政治的に疲れ果てた陳水篇大統領の信頼する人物である。陳の党は、結局、2005年の終わりの地方選挙で敗北を喫した。陳とユウは、北京政府が中国の省と見なしている台湾の独立路線を支持している。
彼の新年の呼びかけで、陳は、中国の「戦争戦略」に対して警告し、台湾の民主的経済的業績に対する誇りを呼びかけた。
ウーも急速に増大する中国の国防費に対して警告した。「784発の短距離弾道弾が台湾を脅かしている。もし、台湾が自分自身の防衛能力を増やさないならば、国家の安全は深刻に脅かされている。議会の多数派を握っている野党は、国防予算を削減することによって、まさにそれを妨げた。同様に、野党は、ブッシュ大統領が既に2001年に承認した駆逐艦と潜水艦などのロケット防御システムの購入をも妨げた。
ウー自身の所管事項も、出血しなければならなかった。「お前が二匹のパンダさえも入国させないのなら、われわれは何のためにお前が必要なのか」と野党は、北京の贈り物であるパンダのつがいを輸入することに対する政府の留保を批判した。「われわれはあの動物たちが貿易に関する国際協定にしたがって輸入されることを要求する。」ウーは、北京がパンダを政治的に利用していると非難する。
争いの際いつもシンボルが問題になる。パンダのように民族的同一性のシンボルと台湾の承認のようなシンボルが問題になる。少なくとも世界保健機構におけるオブザーバーの地位を保持したいという台湾の努力は、少なくとも北京にとってはシンボルである。台北は、台湾を世界地図上の白い空白として扱う危険を指摘する。「われわれの隣国では鳥インフルエンザが広がっている」とウーは言う。「台湾は、地域の安全に対する責任を引き受けたいのだ。」だが北京は、これをうまく妨げてきた。
台湾の野党は北京政府の追従の負け、交渉の代表を北京へ送ることによって、台湾の法律を犯したとウーは慨嘆する。「どんな正常な民主主義においても、野党が安全保障問題を扱うことはあり得ない。それができるのは台湾だけだ。」北京の目標は、民主的に選挙された政府を孤立させることである。最後に元の交渉役ワン・ダオハンを埋葬するために台湾の代表を上海に派遣することを、中国は無愛想に拒否した。「これにはがっかりさせられた」とウーは言う。その際、予め台湾は自分の交渉役コー・チェンフを埋葬するために中国の代表を招待したのだ。コーとウーは、両者が口頭で「中国は一つという原理」を堅持した後、1992年の歴史的合意を目指したのだった。それが具体的に何を意味するかは、後で明らかにされるはずであった。そういうことにはならなかった。いずれにせよ、それ以来両者は、接触を緊密にした。少なくともすべての台湾の直接投資の半分は人民中国になされた。2千3百万人の台湾国民のうち、百万人が大陸に住んでいる。もう一度、ウーは、警告する。「われわれは中国に依存してはならない。」
[訳者の感想]キルスティン・ヴェンク記者の記事です。中国が台湾を引き込むためにどれほど努力しているかが分かります。パンダのつがいといえども政治的シンボルなのです。
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「国連は、ダルフール地方で失敗した」と題する『新チューリッヒ新聞』の記事。

2006年01月15日 | 国連
小見出し:殺戮と暴行は続く。国連は、スーダンのダルフール地方での平和努力に失敗した。そういったのは、スーダン問題担当の国連大使ヤン・プロンクである。彼はこの地域への強力な平和部隊の派遣を要求した。そこでの殺戮と暴行を止めさせるためには、1万2千人から2万人の国連軍兵士が必要であると述べた。
 プロンクは、国連の安全保障委員会に彼の悲観的な状況判断を提出した。ダルフール地方における「殺人と粛正」の三年間を振り返って、確認されなければならないのは、これまでの平和戦略は失敗したということである。国連は、余りに僅かしか、余りに遅くしか行動しなかった。
略奪行為を働くアラブ系の騎馬軍団(ジャンジャ・ウイード)は、村々を一つ一つ消したとプロンクは付け加えた。少なくとも、一月に一回500人から1000人で構成された民兵は、ラクダや馬に乗って村落を攻撃し、何十人も殺し、逃亡者から持ち物を奪う。
国連の推定によれば、2003年までにこの紛争で、30万人が死んだ。全部で260万人が難民となった。2003年の初めに、アフリカ系の種族が武器を取ったとき、紛争はエスカレートした。彼らは首都ハルツームのスーダン政府が、騎馬私兵を武装させたと非難した。政府はこのことをいつも否定してきた。
[訳者の感想]ダルフール紛争は、まだ全く解決されていないようです。イスラム教徒のアラブ人が同じイスラム教徒のアフリカ人を殺戮するという人種対立に基づく紛争です。
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「ビッグ・スリーに覆い被さる黒い影」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月14日 | アメリカ社会
ワシントン発:プリンストン大学の卒業生で、ブッシュ大統領によって最高裁の裁判官に指名されたサミュエル・アリトはが、まもなく上院議員による儀式的な質問を済ませると、ハーバード大学とイェール大学とプリンストン大学の法学部ではシャンパンが流れるだろう。サミュエル・アリトの指名に対する500名の法律家の抗議の手紙を巡る政治的喧嘩の果てに、最高裁判所における「ビッグ・スリー」の殆ど完全な優勢が祝われるだろう。彼らは9人の終身裁判官のうち8人を生み出した。そのうちの6人は、ハーバード大学の卒業生である。
 裁判官は、アイルランド人とイタリア人とユダヤ人と黒人に対する敬意を表明することでアメリカのエリート大学における業績主義と人種的解放を証明するものである。ここ数十年の間、歴代のアメリカ大統領はそうしてきた。ここ108年間のうち47年間は、ホワイト・ハウスは、「ビッグ・スリー」の卒業生によって占領されてきた。2004年の大統領選を争ったのは、イェール大学の卒業生であるブッシュとケリーだった。ハーバードとイェールとプリンストンはいつもそう望んできたのだと思われるかもしれない。つまり、才能と知的な輝きが階級や社会経済的特権に勝って来たのだと。それを信じることは、アメリカの自己創造の神話とアメリカの体面のために多くの業績を残したアイビー・リーグの同窓会のネットワークに生命を吹き込む。結局、これを信じることによって、巨大な影響とハーバード、イェール、プリンストンの何十億ドルもの寄付金は維持されてきた。この信念に抵触する者は、強力な反対に直面する。昨年12月にジェローム・カラベルが書いた『選ばれし者達』(The Chosen.)が出版されたとき、「ビッグ・スリー」の事務室での反応は、面白がっているようではなかった。ハーバード、イェール、プリンストンにおける入学許可と不合格との隠れた歴史についてのカリフォルニア大学バークレー校の社会学者であるカラベルの研究は、このテーマについての他の書物よりももっと包括的に、これらの大学が、60年代の終わりまで、学生の選抜に当ってどれほど人種主義的反ユダヤ主義的に振舞ったかを証明した。大学の前衛は、残りのアメリカよりも悪くはなかったが、公正ではなかった。「ビッグ・スリー」が彼らの過去に追いつかれるなら、事態は教訓的で苦痛に満ちている。詳細に研究された711ページ(そのうち150ページは注である)の中で、カラベルが証明したことは、ジェントルマンの仲間であるために、1920年代以降、東欧系のユダヤ人の子弟を退けようとした「白人でアングロサクソン系でプロテスタント」(WASP)に属する人たちの試みである。大学での成績は、要求されず、「性格」、「指導力」、「円満な人物」が要求された。由緒ある家族の出であること、良いスポーツマンであること、学生クラブの冗談が分かること、これが大事であった。勉強することは、何か女々しいこと、人の楽しみをぶち壊す人であった。1907年に出た『イェール年鑑』は、歴史のどの時代よりもより多くのジェントルマンを生み出し、学者は余り生み出さなかったことを自慢している。
 アイビー・リーグの大学が採用の際優れたスポーツマンと卒業生達の子弟を優先するということはアメリカ人にとっては、今日まであたりまえのことであった。残りの座席の間では、女性やアジア系の学生で成績が同等であれば入試で差別されないように細かく注意されている。フランス、日本、ドイツあるいは中国から来た学生にとって、なぜボールを持って走ることや両親がどこの大学で学んだかが最高の声望のある大学への合格にとって決定的であるのかを理解するのは難しい。だが、それは、外国人として腹を立てることを必ずしも意味しない。現行の「反差別法」の枠内で、アメリカの私立大学は、彼らが取りたい人を優先することを許されている。マーカム・グラッドウエルは、『ニューヨーカー』に寄稿した『選ばれた者達』の書評で、「エリート大学は、贅沢なトレードマークと同様、審美的な経験であり、彼らはこの経験を維持するために何がなされなければならないかを恒に心にとめている」と述べている。1900年から1930年までにイェール大学に入学したユダヤ系の学生のうち、ただの一人も有名な学生団には選ばれなかった。「ビッグ・スリー」の学長や入試課は、進歩的であって反動的ではなかった。彼らはユダヤ人やカトリック教徒や、黒人の業績に敬意を表した。だが、彼らは、そういう人々の数が増えることを恐れた。ユダヤ人の割合は、ハーバードでは、15%に、イェールでは、10%に抑えられた。ユダヤ系学生の割合を制限しなかったニューヨークのコロンビア大学は、ユダヤ系学生が増加するとともに声望を失った。
 「ビッグ・スリー」は、ユダヤ人問題を解決しなかった。WASP達の腹の立つことに、ユダヤ系学生を思いとどまらせることはできなかった。ハーバード大学の入試課のウイルバー・ベンダーは、「ユダヤ人は、女性的で柔弱で情緒的で情緒不安定である。私が欲しいのは、男性的な熱血漢だ」と述べた。合格者の条件を変えることに最も粘り強く反対してきたのは同窓会である。それは、1960年代に、女性に対する入学許可や、少数派の割合を決定することに反対した。
[訳者の感想]アイビー・リーグの大学では、どのような学生を合格させるかが入試の点数だけで決まる日本の大学とは大分事情が違うことがわかりました。ここでも人種や宗教の差別が影を落としているようです。アリト氏の任命に法律家達が反対した理由の一つは、彼が学生時代に「大学に女性とユダヤ人を増やすな」をモットーとする極右の学生団体に所属していた疑いがあるためのようです。
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「イラクにおける米軍の仕事をイギリス将校が激しく批判」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2006年01月12日 | イラク問題
英国の高級将校がアメリカ陸軍とイラクにおけるその成果について痛烈な批判を書き、その文化的無知、自己を道徳的に正しとする態度、非生産的なミクロ・マネージメント、不当な楽天主義を非難した。
この記事を公表したのは誰あろうアメリカ陸軍自身である。
今週、アメリカ陸軍が発行している雑誌『軍事評論』の中に発表された論文において、イラク軍訓練計画の司令官代理であった英陸軍准将ナイジェル・エイルウイン・フォスターは、イラク駐留のアメリカ軍将校は非常な「文化的無理解」をさらけ出すので、「制度的な人種主義」にまでなっていると述べた。アメリカ陸軍はその戦術を適用するのが遅かったし、占領の初期段階でそのアプローチは、「イラク住民の重要な部分を疎外することによって現在直面している課題を悪化させた。」
この論文を公表しようしたアメリカ陸軍の雑誌の決断は、アメリカ軍将校の間に激しい反応を引き起こしたが、それはイラクでの戦闘の3年目の終わりに近づいた陸軍の多くの部分に起こっている広範な自己吟味の一部である。
陸軍の教育制度の多くと結びついている『軍事評論』は、ウイリアム・M・ダーリー大佐の編集のもとでますます影響力をもち、辛らつになった吟味の一部である。過去2年間、彼の雑誌は、イラクにおけるアメリカの軍事作戦を厳しく批判した記事を掲載してきた。昨年夏当時のピーター・W・キアレリ陸軍少将によって書かれた、どうしたら反乱軍にもっとうまく反撃できるかについて論文は、イラクで配置についている将校にとって必読の論文となった。特にキアレリ少将が最近イラクにおけるアメリカ軍将校のナンバー2に選ばれて以来、特に必読の論文になった。
だが、これらの以前の論文のどれも、エイルウイン・フォスターの論文ほどは、アメリカ陸軍に対してぶっきらぼうに批判的ではない。彼の評価が普通でない理由は、それがアメリカ政府がイラクで持っているもっとも親密な同盟軍の上位の司令官が書いたものだからである。
アメリカ陸軍には、愛国心や義務や情熱や才能を示す兵隊はいっぱいいるとエイルウイン・フォスターは書いている。「けれどもそれは官僚主義、息が詰まるほど階級的な外観と攻撃的作戦への傾向、正面から対決されるためには、義務があらゆる問題を必要としているという感覚によって押しつぶされている。
これらの特徴は通常の国家対国家の間の戦争に対する陸軍の伝統的な焦点を反映しており、何人かの専門家によって、武装勢力に対する戦闘では余り適当でないと見られてきた。武装勢力に対する戦闘は、忍耐と文化の理解と革新的で直感に反するアプローチを用いるという覚悟が必要である。たとえば、最小限度の必要な火力しか使用しないというアプローチが必要である。
反対勢力に対する戦闘においては、「すばやい解決はしばしば間違ったものである」とエイルウイン・フォスターは主張する。
過度に集中した意思決定は、イラクにおける陸軍の作戦を遅らせ、敵に米軍の動きを理解し、対応する時間を与えてしまった。そして、陸軍の何でもできるという精神が「破壊的な楽天主義」を募らせ、それがイラクにおける状況のリアリスティックな評価を妨げたと彼は述べている。
「このようなエートスは、それが若い指揮官に好ましくないニュースを命令系統に報告することをためらわせる」とエイルウイン・フォスターは言う。自分の正しさや道徳的な侮辱の広く行き渡った感覚は、軍事的判断を歪めた。特にファルージャでの戦いの扱いにおいて、軍事的判断を歪めたとフォスターは、付け加えている。
陸軍の教育制度や海外の『軍事評論』を運営しているデイヴィッド・ペトレアス陸軍中将は、エイルウイン・フォスターの主張の多くに同意しないと言った。だが、イラクでエイルウイン・フォスターを指揮したペトレアスは、「彼は非常に優れた将校だから、彼の観点にはいくらか重要性がある」と言った。
この対立を反映して、この論文には、二つの反対意見をつけて公刊された。一つは紹介の形で、もう一つは脚注の形で。それらは、論文の中に表現された見解が、英国政府や英国陸軍やアメリカ陸軍や合同武器センターや『軍事評論』の見解を反映していないことを明らかにしている。
「彼は度し難い英国のスノッブだと思うね」と軍事研究大学院の司令官であるケヴィン・ベンソン大佐は言った。彼は現在、反論を準備している。
「彼は事例を大げさに述べている」と1995年にボスニアでアメリカ軍を指揮したグレゴリー・フォントノット退役大佐は述べた。「彼が正しいにせよ間違っているにせよ、大事なことは陸軍が問題のあることを理解することだ。」
現在、ボスニアに勤務しているアレウイン・フォスター准将は、自分の記事に対する好意的な反応を聞いたと言った。
『軍事評論』の編集長であるダーリー大佐は、彼の根拠を堅持している。「われわれは『軍事評論』がこれを公刊することを考えた理由について非常に強い反応があった」と述べ、自分がこの論文の公刊に踏み切った理由は、自分がイラク戦争に勝ちたいからだと述べた。
[訳者の感想]アメリカ軍のすごいところはこういう批判記事を自分の発行する雑誌に公刊できるところだと思います。旧日本軍では考えられないことです。自衛隊もこの自己批判の精神を見習うべきでしょう。
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「ペルーの選管、フジモリの立候補を拒否」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2006年01月11日 | 国際政治
1月10日、ブエノス・アイレス発:ペルーの前大統領アルベルト・フジモリが公式に4月の大統領選挙に候補者として登録しようと試みた数日後、火曜日に選挙管理委員会は、彼の立候補を拒否した。
フジモリは、昨年11月以来ペルー政府の要請によってチリに拘束されているが、先週金曜日、フジモリの娘は自分の父の名前を候補者として登録した。彼が自分で選んだ日本亡命から秘密裏に帰国しようとした際、彼はチリーで国際的逮捕礼状によって逮捕された。彼は1990年から2000年まで大統領職にあったときの腐敗と人権侵害のかどで告発された。
フジモリは、彼に亡命を認めた日本に5年間滞在した。彼は帰国して、大統領に立候補するという意図をしばしば表明し、彼に対するあらゆる告発を否定した。
フジモリの立候補を拒否する際、選管は彼が最低10年間公職につくことを禁止した議会の命令を引用した。フジモリ(67)は、追放令が憲法違反であると主張した。彼の娘であるケイコ・フジモリが父を候補者名簿に登録しようとした際、数百人の支持者が一緒についてきた。
フジモリ支持者は、立候補の決断をアッピールするのに2日しかなかった。フジモリの復帰を援助した元議員のマルタ・チャベスは、「彼のスタッフは期限に間に合うだろうと」述べた。
「私達は、断固それと戦おうとしている。」チャベスは、リマの事務所からの電話インタビューの際、こう言った。「われわれが選管に提出する主張には自信がある。これで彼の立候補がだめになったわけではない。」
先週、ペルー政府は、チリ政府に対してとフジモリの送還を提起した。その際ペルー政府は、政府基金の濫用と二つの事件で25人を殺した殺人チームに対する責任を含む告発でフジモリを裁判にかけようとしている。
これらの告発にも関わらず、フジモリの支持者達は、彼が暴力的な「センデロ・ルミノソ」運動を撃破し、超インフレを緊縮財政政策でコントロールすると信じている。世論調査によると、フジモリは、第三位で、回答者の15%の支持を得ている。前国会議員ルールド・フローレス・ノノと退役将校のオランタ・フマラが、それぞれ20%の支持を得て初期投票をリードしている。
[訳者の感想]フジモリさんは、逮捕覚悟で出国したようですが、成算はあるのでしょうね。
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「アメリカは、反乱軍の兆候を見誤った」と題する英国『オブザーバー』紙の記事

2006年01月08日 | イラク問題
2003年春のイラク侵攻後、イラク統治機構を指揮したポール・ブレマー行政官は、アメリカ政府がイラクの反乱分子からの脅威を実際に見ようとしなかったことを認めた。
彼はまたブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官が、イラク軍の質についての自分の憂慮に耳をかさなかったことを批判し、最終的に大統領官邸が現在の暴力に到った決断に対して責任があると批判した。
アメリカのNBCテレビ・ネットワークのインタビューに対して、ブレマー元行政官は、イラクに関する彼の著書が今週刊行されるのを前にして、バグダッド到着後イラク軍を早急に解散させた決定が主要な間違いであったと述べた。
これらのコメントは、英国の外務大臣ジャック・ストローが昨日イラクを訪問し、イラクの将来についてもっとばら色の絵を描いたと同時に公表された。ストローの電撃訪問によって、彼が潜在的にイラクの全リーダーシップとの会談をしているのが分かるだろう。
ストローは、イラク自身の治安部隊の能力について強気であった。「現在、非常に多くの県で毎日、毎時間ごとの連合軍とイラク司令官との合同作戦が行われている」と彼は語った。
だが、ブレマーのコメントは、この楽天的な絵を覆す。イラク戦争についてのタカ派をイラクにおける政治の批判者に変えるだろう。今晩放映されるNBCテレビとのインタビューで、ブレマーは攻撃をしている。彼の批判は、はまた『イラクでの私の年:希望の未来を建設するための戦い』(My Year in Irak.:The Struggle to Build a Future of Hope.)と題するイラクに関する彼の著書が刊行される前夜になされた。
NBCテレビとのインタビューで、ブレマーは、反乱軍は驚きであったことを認めている。「われわれは本当に反乱軍が出てくるのが分からなかった」と彼は言った。2004年にイラク人に頼って兵隊の数を減らし始めるというアメリカの計画について心配していたと付け加えた。彼はその心配をブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官に伝えたが無視された。「イラク軍の能力を過大評価する傾向がペンタゴンにはあった」と彼は言った。
ブレマーを批判する人たちは、彼がイラクでの暴力行為についての責めを自分自身から遠ざけようとしていると言う。多くの専門家は、イラク侵攻後イラク国民軍を解体するという彼の決断が反乱の背後にある主要な要因の一つであると攻撃した。
しかし、ブレマーは、イラクにおける現状の究極の責任は大統領官邸の玄関にあると言った。「私は私にできることは全部やったと思う。結局、決断に対して責任があるのは大統領だ。」
このインタビューは、自殺テロによって一日に100名以上のイラク人と11名のアメリカ兵が殺された血の一週間の後に行われた。アメリカ政府の官憲が反乱軍の指導者と会合して彼らが政治過程にどうしたら参加できるか話し合っているという事実が明らかになった。
[訳者の感想]ブレマーがイラク国民軍を解体したために職を失った国民軍の将軍や将校が反乱軍を指揮し始めたというニュースは、2004年の中ごろには、欧米のニュースでは議論されていました。

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「若くて、反抗的で、爆発しやすい」と題する『ツァイト』紙の解説記事。

2006年01月08日 | テロリズム
彼らは世界を変革したのだろうか?21世紀の最初の惨事を引き起こすのに、核弾頭つきロケットを持ったハイテクの軍隊は必要でなく、絨緞を織るのに必要なナイフを持った19人の若者しか必要でなかった。2001年9月11日にニューヨークとワシントンで引き起こされた破壊の程度にイスラム教テロリスト達が二度と及んでいないことは確かである。だが、モハメド・アタの方法は、成功を収めた。自殺テロは、今日、以前にまして、無力な者達の象徴的な究極的ちからとして歴史の中に残っている。
2005年7月7日に、少なくとも56人を殺傷したリュックサック爆弾を背負っていた4人の若いパキスタン人の場合も自殺による暗殺者だったのについては、ロンドン警察は、これまで疑いを表明した。だが、爆発物が遠隔操作で点火されたとしても、ともかくイギリス育ちの四人の青年は、民間人の真中に爆弾を持ち込む価値があると考えたのだ。ジハード青年がキングス・クロス駅から散開して以来、想像できなかったことが、もはやありえないことではなくなった。戦争も弾圧も国外追放も経験したことのない若いヨーロッパ人が、西欧社会に対して致命的な憎悪を感じたのだ。だが、9月11日の人間ミサイルとは違って、リーズから来た犯人達は、代理人テロリスト、盲目の代弁者のように見える。つまり、彼ら自身のではない狂信主義の代弁者、最小の手段で最大の損害を与えようとする指導チームの代弁者、彼らに抑圧として押し付けられた欲求不満の代弁者のように見える。最後に、脅かされたモスレム共同体の抵抗闘争の代弁者のように見える。
これらすべての動機は、既に自殺により殺人の歴史の中で与えられている。もちろん、これまでは、それらの動機は、ばらばらに分かれていた。最初の自殺による暗殺者と見なされるのは、11世紀と13世紀のアサシン派である。シリアとペルシャでは、この教団のメンバーは、背教的なイスラム教徒に襲い掛かった。公道上で相手に短剣を突き刺した暗殺者は、彼らの行為が自分の死も意味することを覚悟していた。彼らは純粋な宗教的熱狂からこのような行為を行った。これに対して、日本軍は、1944年から45年にかけて、冷静な戦争経済から約2千人の神風特攻隊員をアメリカの軍艦めがけて落下させた。天国への約束を刷り込まれて、イランのホメイニ師は、イラクとの戦線で1980年代に数千人の子供を地雷と砲撃の餌に送り込んだ。
これに対して、自殺テロの変形の動機は、個人的な侮辱と政治的転覆の意志にある。興味のあることに、1980年代の初めから、最も多くの自殺テロを行った集団は、最も宗教的ではないグループの一つだった。スリランカの分離主義的地下軍隊である「タミールの虎」は、2000年までに、168件の自爆テロを行った。中東のイスラム主義のテロ集団は、これまでに合わせて82件しか自爆テロを行わなかった。
1983年10月23日、一握りの「フェダシン」(犠牲覚悟者)は、ベイルートで彼らが超大国に対して何ができるかを証明した。2.5トンのTNT爆薬を積んだトラックに乗った自爆テロリストは、レバノン駐留のアメリカ海兵隊の司令部を破壊し、241名のアメリカ兵が死んだ。二番目の爆発では、58名のフランス軍落下傘部隊の兵士が死んだ。この流血の惨事から数ヶ月後に、アメリカとフランスとイスラエルは、レバノンから撤兵した。(以下13行省略)
だが、静かなリーズに住むティーンエイジャーを虐殺へと駆り立てた原因は何か?イギリスの事件がわれわれを不安にする理由は、犯人を駆り立てたのは古典的な動機ではなかったという点にある。そこに示されているのは、自殺テロのポストモダンのグローバル化された変形である。犯人のうち3人は、30才のモハメド・カーンの影響を受けた。彼は、カリスマ的な指導者で、地域の青年クラブで若いパキスタン人には余りに分かりやすいある世界観を説いた。最後に彼らは英国の他の民族集団と違って負け犬だと感じた。パキスタン人の五人に一人しか、中学卒にならない。彼らの未来の展望は、他の少数民族と比べて、非常に暗い。よりによって、リーズ大学は、数年前に、ある研究の中で、若いパキスタン人があきらめと白人に対する反感に悩んでいると警告した。この劣等感が流血の攻撃に転化するのは、彼らが、貶められたと感じた人々を貶めようと決心した場合である。更に、パキスタンのマドラサ(宗教学校)や、リーズの青年クラブで、ある権威が、西欧にだけ責任があるというイデオロギーを伝達すると、政治的心気症は完成する。
わが身を吹き飛ばす理由があるかどうかと、あるケースワーカーが先週ロンドンで若いモスレムの集団に質問した。「うん、もちろんあるさ。だって、イラクやアフガニスタンでわれわれの兄弟が殺されているんだから」と答えたと『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は引用している。テロに対する戦争を、少なからぬイマムや誘惑者はイスラム教に対する戦争だと解釈しなおしている。「ブッシュやブレアやシャロンがしたことを見てみろ。奴らはイスラム教徒を瓦礫の中に埋めたんだ。奴らは『コーラン』に小便を引っ掛けた。やつらすることを止められないなんて言うなよ」と人気のあるインターネット・サイト「jihadunspun.net」は、読者に呼びかけている。メカニズムは簡単だ。信仰を同じくする兄弟たちに対する抑圧を自分の抑圧にする者は、自分の世俗的な怒りに宗教上の自由の戦いという輝きを与えているのだ。こうして、国境を越えたイスラム的同体感情が生まれる。それとともに、西欧が与えることのできない帰属意識が生まれる。オランダに住む若いイスラム教徒の世界像と敵のイメージを研究したハーバード大学の女性研究者ジェシカ・スターンは、次のように述べている。「今日、腹を立て反抗的であるということは、腹を立て、反抗的でしかも暴力的であるということを意味する。」
[訳者の感想]『ツァイト』紙にしばしば寄稿しているヨッヘン・ビットナー氏の論説です。社会的な差別が宗教的信念と結びついている点にロンドン・テロの動機を見出している点では目新しい論点はないようです。なぜ多くの若いパキスタン人がイギリス社会で落ちこぼれてしまうのかという理由がよく分かりません。パキスタン人がイスラム原理主義に同感しやすい理由が何かも知りたいと思います。
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「中国、自前の旅客機製造」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年01月07日 | 中国の政治・経済・社会
ベルリン発:中国は、2010年以降、自前の大型旅客機を製造しようとしている。それによって、中国政府は、長期的に、アメリカの航空機製造会社ボーイングとヨーロッパの競争相手エアバスに対する依存を減らそうとしている。「次期五カ年計画ですでに、座席数150から200までの旅客機の製造に対して優先的考慮がなされる予定だ」と中国の科学技術産業委員会(COSTIND)と告知した。この委員会は、民間の航空機産業にも大きな影響力を持っている。
既に昨年、航空機産業部門の代表は、中央政府に大型航空機の製造計画を承認するよう迫った。というわけは、収容能力に対する必要は、ブーム中の中国においては、絶えず増大している。1億2千万人の利用者がある中国は、民間航空にとって、米国、ヨーロッパに次ぐ第三の市場である。事実、世界中で製造された航空機の6分の1は中国が購入している。
計画されている航空機は、中国の三つの最も重要な経済的発展の中心を結ぶ飛行ルートにとって理想的な大きさを持つはずである。これらの都市は、それぞれ互いに1,000キロ離れている広州と香港を含む珠江デルタ地帯と上海付近の長江河口地帯と東北地区の渤海湾沿岸である。
観察者は、新しい一機の航空機のタイプにつき少なくとも50億ドルかかると見ている。世界市場で、このような航空機は、ボーイング社のベストセラーである737型やエアバスのA319,A320,A321と競争しなければならない。
中国はさしあたり、東北地区のハルビンで自前の大型機を製造しようとしているという噂が広まっている。目下、ブラジルの航空機製造会社エンブラエルがハルビンで地域ジェット機の製造について交渉中である。ボーイング社は、北東部のシアンにジョイント・ベンチャーを持っていて、そこからシアトルへ供給している。その上、ボーイングとエアバスは、ますます多くの航空機部品を中国の供給者から購入している。
目下、エアバスは、いくつかの中国の都市と120名から180名の乗客を搭載するA320型機の最終製造工程のための場所について交渉している。ハルビン、上海、シアン、天津などの都市がこのプロジェクトに関心を示している。だが、エアバスのパートナーであるフランスはなお、このコンソーシアムが中国との合弁企業においては多くのノウハウを奪われるかもしれないと恐れている。
「理論上は、中国には、自前の旅客機に対する潜在的可能性がある」と中国の航空機産業についてのある女性専門家は言う。「しかし、そこまで行くには、まだ10年はかかるだろう。」これまで、中国の航空路線は、米国やヨーロッパからの機体を待たねばならないという問題を抱えていた。昨年12月に温家宝首相はパリを訪問した際、A320型エアバスを150機注文した。
キルステフィン・ヴェンク記者とダニエル・ヴェツェル記者が1月7日に書いた記事です。
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