海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「大政党は縮み、小政党は太る」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月29日 | 政治と文化
大政党がどんどん党員を失っているのに、自由民主党(FDP)と「緑の党」と「左翼党」は党員数は増えている。すべての党で、女性の党員が増加している。「キリスト教民主同盟」(CDU)と「キリスト教社会同盟」(CSU)と「社会民主党」(SPD)は、劇的に平均年齢が高くなった。これらの党員の5%だけが30才以下である。このことを明らかにしたのは、雑誌『議会問題』の今月号に掲載された政治学者のオスカー・ニーダーマイヤー(ベルリン自由大学)の研究報告である。彼の数字は、昨年12月31日のものだ。
党員数を最も減らしたのは、SPDで、昨年中に3.5%減少し、昨年末の党員総数は、52万969人だった。党員証が返却されたのは、ブレーメンとヘッセンで、マイナス4.7%に達した。原因として、恐らくアンドレア・イプシランティ議員の約束破りと赤々緑の連立によってヘッセン州政府を形成するのに失敗したことが挙げられる。趨勢に逆らって、ブランデンブルク州とメクレンブルク・フォアポンメルン州の社民党支部は、党員数を増やした。
 全党員の1.4%を失ったCDUは、ベルリン市、ブランデンブルク州、チューリンゲン州で党員を増やした。ドイツ連邦全体では、CDUに属する党員は、男女合わせて、52万89472名である。最大の減少を示したのは、ニーダーザクセン州で、3.3%減少した。バイエルン州の州議会選挙では、CSUは、党員の2.3%を失った。現在、CSUの党員証を持っているのは、16万2533名である。(CDUとCSUは姉妹党で、CSUは、バイエルン州にしかない。党首はゼーホーファー。--訳者注)
 これと反対に、「自由民主党」(FDP)と「緑の党」は、3年間に、再び党員を増やした。FDPは、2.4%増加して、6万5600名となった。FDPは、バイエルン州では、記録的な増加を見せた。バイエルン州では、12.9%も増加したのだ。しかし、FDPは、東部諸州では、減少した。「緑の党」は、党員が2%増え、党員総数は、4万5192名に達した。ブランデンブルク州、メクレンブルク=フォアポンメルン州、シュレスヴィヒ=ホルスタイン州では、州の党支部は最大の増加数を得た。
「左翼党」では、非常に異なるイメージが示された。彼らに所属する党員は、昨年中に、6%増えて、総数7万6031名となり、単独で西部諸州の州議会に参加した。こうして、左派政党の党員数は、ザールラント州では、61%に達した。左翼党党首オスカー・ラフォンテーヌの故郷(ザールラント州)では、「左翼党」の党員数は、1,904名から3,065名に増加した。既に多くの左派政党党員が、「社会統一党」(SED)の党員証を持っている東部ドイツでは、左派政党は、大幅に減少し、たとえば、ザクセン=アンハルト州では、マイナス6.6%に達した。
大政党も「左翼党」も党員の平均年齢が高くなった。「左翼党」では、半分以上の党員が60才以上である。CDUでは、60歳以上の党員は、48%、SPDでは、46.7%、CSUでは、42.7%に達している。これらの政党では、30才以下の党員は、5%しかいない。
アンゲラ・メルケルが首相であるのに、政党の中では、女性は少数派である。CDUでは、女性の党員は、25.5%。CSUでは、18.9%、SPDでは、31.1%,「緑の党」の女性党員は、37.4%、FDPでは、22.8%である。(以下省略)
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「ナイジェリアで、イスラム過激派、武力攻撃」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月28日 | アフリカの政治・経済・社会
ベルリン発:ナイジェリア北部でイスラム過激派が計画的なテロ攻撃を行い、警察との二日間の戦闘で少なくとも150人が死んだ。ヨベ州の都市ポティスカムで、自称タリバンが、月曜日に、「アラーは、偉大なり」と叫んで、警察署を襲い、治安部隊と何時間も交戦した。警察は、イスラム主義者が武器を調達しようとしたと推測している。同時刻、月曜日の午前2時15分に、隣のボルノ州の首都マイヅグリや別の小さな町でも襲撃が行われた。
日曜日に既に、警察隊が、イスラム過激派のグループのメンバーを逮捕しようとバウチという町の集落に侵入した際に、50人が殺された。この町ではそれ以来夜間外出禁止になっている。日曜日と月曜日の攻撃は、明らかに別のグループによって行われた。一方のグループは、アフガニスタンのイスラム過激派をお手本にしており、タリバンと名乗っている。他のグループは、「ボコ・ハラム」と名乗っているが、これは「教育は禁じられている」という意味で、「西欧の教養、文化、科学」と戦うことをモットーにしている。
最も厳格な形でイスラム法をナイジェリア全体に導入するという目標が、両者に共通している。目下、イスラム法は、36ある州のうち12の州で多かれ少なかれ施行されている。1億5千万のナイジェリア国民の半分は南部に住むキリスト教徒で、他の半分がイスラム教徒である。北部の諸州にも両方の信者が住んでいる。繰り返し暴力沙汰が起こっており、去年11月には、プラトー州のジョスという町では、二日間の暴動で、700人が死に、教会やモスクが焼かれた。人権組織である「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」の述べるところでは、1999年以来、10年間に、ナイジェリアでは、部族対立と宗教上の対立で、1万2千人が死んだ。
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「中国、フランスで城ごと葡萄園を買う」

2009年07月27日 | 国際経済
フロンサック発:シャトー・リシュリューほどフランスに根をもったものは見つからないだろう。
ルイ13世の大臣だったリシュリュ-枢機卿は、1632年に有名なブドウ畑を購入し、自分の愛妾をこのシャトーに住まわせた。一世代後に、シャトー・リシュリューのワインは、ルイ14世治下のヴェルサイユ宮殿で開かれた宴会の定番になった。それ以来、シャトー・リシュリューとその古い遺産は、ボルドーの北東20マイルのドルドーニュ川に沿っているフロンサック地方の誇りだった。
しかし、フロンサックでも時代は変わった。香港と北京に根拠地をもつ中国の不動産会社は、先月、大金を投じて、この葡萄園を買い取った。ブドウ畑とお城と歴史的由緒込みで。
取引は、この一年間で二度目である。別の中国の会社は、2008年にここからちょっと南にあるシャトー・ラトール・ラグエンスを買い取った。この会社は、数百万ドルを投じて、二流のワインを最高級品に変え、建築後500年経ったシャトーを富裕な中国人の結婚式場に変えた。
両方の事例で、中国人バイヤーは、的確にフランスにふんだんにあるものを求めた。つまり、歴史と優雅さと伝統とノウハウである。金持ちの中国人企業家の新しい世代は、結局、毛沢東の共産主義と文化大革命で自分の国では根こそぎにされた階級と由緒と遺産とを買うためにフランスに来たのだ。
「先祖に対する思い、それが彼らにとってに本当に大事なものだったわ」と、シャトー・ラトール・ラグエンスとその修復を管理するために、青島にあるロンガイ国際貿易会社に雇われているソフィー・ルッソフは言った。「彼らがこのシャトーに関心を持ったとしたら、それはそれが長い歴史を持っているからよ」と彼女は言う。もっとも、それが金をもうける良い方法のように見えるとは言及しなかったが。
ワイン生産者の報告では、両方の事例で、中国人投資家は彼らが新たに手に入れたボルドー・ワインを自国の新しい金持ちに売り込むという計画を立てた。この地方の不動産業者は、不動産の購入価格はどちらも数百万ドルしただろうと推定している。しかし、人生でワインを含めてより上品なものを知り始めた13億人の中国人がいれば、ボルドーで地歩を築いた中国人は、緑色のビンには黄金があると結論したのだ。
ワイン製造業コンサルタントのステファン・ツツジによると、ボルドー地方で、三番目の中国系会社がシャトーを買おうと嗅ぎ回っている。(後略)
[訳者のコメント]中国特派員のエドワード・コディー記者が書いた『ワシントン・ポスト』の7月26日の記事です。
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「東欧でロシアに対する不安が増大」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月25日 | 国際政治
それからほんの六年しか経っていない。第二次イラク戦争が始まる数週間前に、八っのヨーロッパの国家元首や首相は、「八人書簡」を書いた。その中で、彼らはブッシュの率いるアメリカ合衆国に対してサダム・フセインに対する措置で連帯することを保証した。一人のポーランド人と一人のハンガリー人と一人のチェコ人(ヴァツラフ・ハーヴェル大統領)が署名者のなかにいたが、後は西ヨーロッパ人だった。新たに欧州連合に加わった東欧圏の国は、盲目的にアメリカ一辺倒であり、具合の悪いことにブッシュに従順だった。
だが、『八人書簡』は、大急ぎで作成された。ありもしない統一をあるかのように見せかけた。数週間経つと、新たに選挙されたチェコ大統領ヴァツラフ・クラウスは、志願者の連合から脱退した。軍事的伝統を自慢するポーランドと基本的に平和主義的な気持ちのチェコとはあまり結びつかない。ここ数年のロケットによる防衛の傘につなぎとめようとする試みは、うまくいかなかった。ワルシャワでは超党派の合意が得られたが、プラーグでは、果てのない内輪もめと市民の抗議に出会った。
今度は、22名の政治家が一通の書簡を書いた。今度は、それは東欧からの書簡である。確かに今度は、元大統領たちだけだが、転換と欧州連合加盟を達成した世代である。署名者のリストには、エソトニアからブルガリアまで、ハーヴェル、ワレサ、クワシネフスキーが含まれている。今度の書簡は、米国に対する憂慮の書簡だ。オバマのモスクワとの関係の「リセット」は、われわれに何をもたらすか?われわれは世界史の影の部分に落ち込んだのか?
「22名書簡」からは、二つの憂慮が語っている。一つは、プーチン時代の始まり以来、ロシアの新しい政策に結びついている非常に具体的な恐れである。エネルギー確保が語られ、隣人たちの現実的利害と歴史的経験を尊重しないモスクワの意志が語られている。ロシアは、21世紀の手段を使って、19世紀の目標に到達しようとしているという参加者たちの診断は、当っているだけでなく、それはモスクワ政府にはおそらくお世辞だと評価されるだろう。しかし、北大西洋同盟(NATO)がどのように新しい同盟構成員に対して適用されるのかという問いも出されている。条約の第五条は、東の境にあるエストニアにも適用されるのか。ロシアとの国境にある町ナルヴァのために死ぬ覚悟が、西ヨーロッパ人にはあるのか?
 他の心配は大西洋の向こう側との関係に向けられている。米ロ関係において、上位に置かれた利害、つまりイラン問題のために犠牲にされるのではないかという恐れは、重大である。しかし、中欧と東欧の国々においても、大西洋の向こう側との関係を脱色させる展開が遂行されている。ベルリンの壁崩壊以後、東欧には、アメリカとの共感が存在した。しかし、永遠に続くものは何もない。利己的な計算、地域主義、それどころか正真正銘のヨーロッパの孤立主義と「俺だけはゴメンだ」という態度が、東欧にも広がっている。(後略)
[訳者の感想]西欧と東欧の接触点にあるドイツ人は、東欧人の考え方もよく理解しているように見えます。米中関係が変われば日本に大きな影響が及ぶことは避けられないでしょう。さあ、日本はどうするか?
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「インドネシアで、イスラム過激派が捜査の焦点」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2009年07月20日 | イスラム問題
インドネシアの首都ジャカルタの二つの豪華ホテルに対するテロ攻撃の後、捜査はイスラム過激派に集中している。インドネシア警察は、週末に、「マレイシア人のヌルディン・トップが二度の爆発の背後に隠れているという兆候について語った。トップは、過去の追跡の後、弱体化したが、破壊はされなかった東南アジアのテロ組織「ジャマー・イスラミア」(JI)の指導的メンバーであり、財政担当者である。専門家は、彼が分派を創設したと推測している。
「マリオット」と「リッツ・カールトン」の両ホテルの爆発の際、少なくとも9人が命を失った。1人のニュージーランド人ビジネスマンと三人のオーストラリア人の死が確認された。1名のシンガポール人も死者の中にいる。まだ特定されない4体の遺体の中に自殺テロの実行者がいると警察は憶測している。50人以上の宿泊客とホテルの従業員が負傷したが、その中には一部、重傷者がいる。
殺されたオーストリア人の一人は、ジャカルタでのオーストラリア貿易代表部のメンバーであり、ケヴィン・ラッド・オーストラリア首相の言葉によると、義務を遂行するために外国で殺された最初の政府官吏である。シュテファン・スミス・オーストラリア外相は、終末にジャカルカタの中心にある犯行現場を訪問した。5年前に、「ジャマー・イスラミア」は、ジャカルタのオーストラリア大使館にテロ攻撃を仕掛け、数名のインドネシア人が死んだ。2002年には、同じ組織がバリ島の二つのナイトクラブを爆破し、88名のオーストラリア人が命を落とした。2001年9月11日以来、流血のテロ攻撃で、200名以上の人が死んだ。
最初の捜査結果によると、爆弾の一つは、明らかに「マリオット・ホテル」の一部屋で組み立てられた。そえゆえ、捜査員は、少なくとも犯人の一人はホテルの宿泊客だったと想定している。容疑は、チェックインの際にクレジット・カードを出さないで、1千ドルの保証金を払った一人の男性に向けられている。
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「テヘランのデモは、歴史的出来事」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年07月19日 | 国際政治
ハンブルク・テヘラン発:シリン・エバディは、イランの再び強められた反政府運動に感銘を受けた。「イランにとってだけでなく、全イスラム世界にとって歴史的出来事だ」とこのイラン人の女性弁護士でノーベル賞受賞者は、テヘランの金曜礼拝のための改革運動の行進を評価した。
「中国に死を、ロシアに死を」という宣伝文句は、重要だった」とエバディは、『シュピーゲル』に語った。「国民は数十年来誰が政府に味方してきたかを見抜いたのです。人権を大量に傷つけたこの二つの国です。」
エバディは、いくらかの限定つきで、大規模な操作があったと非難された6月12日の大統領選挙以来、一度も公式に発言しなかったラフサンジャニ元大統領の説教を歓迎した。「ラフサンジャニは、批判はしたが、十分断固たるものではなかった。」
最大の大衆抗議を伴って、ラフサンジャニは、ハメネイ師の指導下にある指導層を厳しく攻撃した。彼の金曜日の説教で、選挙の際の明白な違反行為について語り、現職のアフマディネジャドが当選したとする公式の最終結果に疑問を投げかけた。同時に、選挙戦ではホセイン・ムサビ候補を支持したラフサンジャニは、逮捕されたデモ参加者の釈放と新聞雑誌の検閲を緩めることを要求した。
エバディ女史は、政権と国民との間の和解は、「指導層が国民の意思を尊重しこれ以上改革運動に暴力で立ち向かわない場合にのみ」可能だと見ている。「イランの体制は、重大な危機に陥っている。政府が理性を持ち、人々に向き合う場合にのみ、対立の解決があるだろう。さもなければ、抗議運動が継続するということを私は疑わない」と彼女は言う。(後略)
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「アフガニスタンは、ISAFの部隊にとって非常に危険」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月17日 | アフガン問題
7月半ばにアフガニスタンで、46名の兵士が戦死した。これは2008年の7-8月と同じ数の戦死者である。戦死者の中に24名の米軍兵士が含まれている。平均して、一日に3名の兵士が死んだことになる。
ワシントンの国防省は、アフガニスタンで憂慮を引き起こすテンポで兵士を失ったことを認めた。現在、5万7千人の米軍兵士がヒンヅークシュ山地に駐屯している。ホワイトハウスは、その数を今年末までに6万8千人まで増強するつもりだ。
米軍の最高司令官であるマイケル・マレン提督にとって、アフガニスタンの外国軍には、「非常に困難な戦闘が控えている。」イスラム過激派のタリバンは、過去数年の間に、残忍になり同時によりよく組織されたとマレン司令官は、BBCテレビのアラブ向け番組で述べた。来るべき12ヶ月から18ヶ月にかけて、外国軍は、情勢を一変させなければならないと提督は言う。「その際、アフガン陸軍と警察官の養成が大きな役割を演じる。なぜなら、結局、アフガン人自身がタリバンを放り出さねばならないからだ」とマレン司令官は言った。
7月初めに米軍と英軍は、タリバンの牙城を制圧するために、ヘルマンド州で大攻勢を始めた。攻略した地域を維持するために、4千名の兵士が提供された。しかし、基本的にヘルマンド州の作戦は今始まったばかりである。
「特に、北部のクンヅス地域や、西部のバグディとファラーは、心配の種となっている」と6月半ばにISAFの指揮を取ることになったスタンリー・マッククリスタル大将は言う。クンヅスには、アフガニスタンに派遣された3千7百名のドイツ軍兵士の大部分が駐留している。彼らは最近特にテロや攻撃の目標となっている。6月末には、3名のドイツ兵が殺された。
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「ドイツにいるアルカイダの手先、投獄」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事

2009年07月15日 | テロリズム
ラピスラズリの原石の鉱山は、アフガニスタンにある。数百年前から、このウルトラ・マリンブルー色の貴石は、ヒンヅークシュ山脈のコクシャ渓谷で採取されてきた。イスラム過激派のタリバンにとっては、それは重要な収入源である。
ラインラント・プファルツ州のゲルマースハイム出身の宝石商であるアレーム・ナシルは、この地域とつながりがあった。彼は規則的にパキスタンに旅行し、ラピスラズリを直接、タリバンから購入した。だが、この37才のドイツ国籍をもった男は、宝石の取引きだけに限定したわけではなかった。彼は、テロ組織「アルカイダ」に防弾チョッキや狙撃用望遠鏡や夜間射撃用の機械、望遠鏡、ラジオ装置などの武器を調達した。ドイツで彼は7万8千ユーロ(1053万円)という額の寄付を集め、それをテロリストたちに渡した。また、彼はアフガンとパキスタンの国境にある訓練所のために候補者を募った。
それゆえ、月曜日に、コブレンツの州上級裁判所は、アレーム・ナシルを懲役8ヶ月の刑に処した。裁判官は、このパキスタン系ドイツ人が2004年から2008年まで、外国のテロ組織のメンバーであって、外国経済法とヨーロッパの輸出禁止法に違反したことが証明されたと主張した。弁護側は、最終弁論で述べたように「彼はテロリストではない」という理由で、無罪放免を要求した。
裁判所は、7ヶ月に及ぶ審理を行い、1000件もの文書を提出し、世界中から59人の証人を召喚した。アンゲリカ・ブレットナー裁判官は、「ナシルは、2003年の11月に初めて、パキスタンにいるアルカイダの高位の代表に会って以来、このテロ組織に、お金と物資と志願者を補給した」と述べた。ゲルマースハイムの彼の家で、彼は多数の宣伝ヴィデオと処刑ビデオを持っていた。それは、武器による戦闘のために若いムスリムをリクルートするためだった。ドイツ人のイスラム改宗者と結婚している被告の義理の息子もアルカイダとの接触を裏書した。
ナシルがリクルートした青年の一人は、ドイツでは良く知られている。2007年初頭に、宝石商は、モロッコ系ドイツ人のベッカイ・ハラハに手書きの推薦状を渡した。それをもって、この男は、イラン経由でアフガンとパキスタンの国境に旅行した。今年の初めに、ハラハは、テロリストの訓練を終了し、ビデオの告知で故郷にお目見えした。あらゆる報道機関が流した30分間の長広舌は、治安機関にとっては、危険な兆候だった。なぜならば、アルカイダは、ハラハを通じて、ドイツ国家に脅迫を向けたからである。ハラハは、「われわれの原爆は、自動車爆弾だ」と自慢し、ドイツはこの武器から逃れられないだろうと述べた。
 この脅迫は、アレーム・ナシルの趣味に合っている。「被告は、ジハードを不信者に対する戦争だと理解している」とブレットナー裁判官は述べた。イスラム法に従う生活が可能になるために、不信者を殺すことは許されるというのが彼の考え方だ。2007年春、パキスタン滞在中に、ナシルは、パキスタンの秘密情報機関(ISI)によって逮捕され、その後、捜査のために、ドイツに移送された。
 裁判所は、判決理由においては、ISIから渡された尋問調書は、審理においては評価されなかったという確認に価値を置いた。裁判は、国連人権員会の陳述に従って行われたとブレットナー裁判官は述べた。国連人権委員会によると、ISIの尋問では、拷問が行われた可能性は否定されないと言う。
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「ウイグル人が天国的な平和を乱している」と題する『ヴェルト・オンライン』の解説記事。

2009年07月12日 | 中国の政治・経済・社会
天安門における学生たちの抗議が巨大な国の中心を揺るがせた20年前とは異なり、現在、中国は周辺から崩れかけている。だが、1989年の時と同様、政権は今日剥き出しの暴力で答えている。昨年のチベットや現在の新疆自治区での蜂起の鎮圧が示しているように、少数派に対する繊細な扱いは、問題にならない。
ここで、平行性は見事に終わる。なぜならば、ウルムチはラサではなく、米国に住んでいるウイグル人世界会議のレビヤ・カデール女史にはダライ・ラマとの共通点はない。中国政府の目から見ると、分離主義者とテロリズムとは、建前では諸民族の間に支配している天国的な平和(「天安門」をドイツ語訳すると「天国的な平和」という意味になる。)の主要な敵である。毛沢東風のイデオロギーは、今日、過度のナショナリズムにとって変わられる。それは、中国がしばしば貪欲な先進国の犠牲であったがゆえに、共鳴を見出す。特に日本や英国やロシアやドイツでは。
§1.ナショナリズムが毛沢東に取って代わる
政府の主張では、ウイグル人もチベット人も中国の不安な国境の省を入り口にして、中国を不安定にし、分割しようとしている帝国主義的な国々の依頼で、行動していることになる。キューバのグアンタナモ収容所にウイグル人もいたということは、イスラム教徒の抗議デモをテロリストだと主張する口実になっている。確かに、ウルムチのデモには暴力行為がなくはなかった。それは平和な告知から街頭での衝突へとエスカレートした。警察の車に火がつけられ、通行人は血が出るほど殴られた。けれども、その前に、広州では、中国人の少女を強姦したという濡れ衣を着せられたウイグル人の季節労働者がリンチされたのだ。
棍棒を振り回す中国人がウイグル人を駆り立てる様子は、人種主義者のユダヤ人迫害を思い出させるが、それは中国の西部を今日まで形成してきた数世紀間の文化の葛藤の表現である。数百年前に定住するようになりイスラム教に改宗した草原の民族を軽蔑する漢族の儒教文化がある。ウイグル族は、唐王朝以来、中国の朝貢国であり、中央政権が崩壊した場合には、独立を宣言した。最後は、第二次大戦中、「東トルキスタン」という国名で独立を宣言した。このモスレム共和国の指導者は、毛沢東によって招集された協議会に出席する途中、飛行機の墜落で命を落とした。
§2.雑婚は好ましくない
チベットに似て、新彊も自治区であるが、自治は紙の上に書かれただけである。言語は中国語だし、ウルムチは5千キロも西に寄っているのに、時間は北京時間である。雑婚は望ましくない。官吏や警官は、金曜日のモスクでの礼拝に出席できない。メッカへの巡礼は、まれにしか許可されない。カシュガルの古いムスリムの町並みの取り壊しは、経済や行政で音頭を取る中国人の列が続き、ウイグル人を少数派に追いやる限りは、人々の平和に貢献しない。ウイグル人は二級市民であり、言語・文化・宗教は許されているが、促進はされていない。
[訳者の感想]この記事のあとに、読者の意見がブログの形で載っています。それらを書いた人たちの中には、反イスラム主義者がいて、イスラム教徒を批判して、むしろ中国のやり方を支持しているように見えます。
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「胡錦涛主席、G8サミットを欠席」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月08日 | 中国の政治・経済・社会
イタリアの通信社「アンサ」が、水曜日早朝報道したところでは、胡錦涛主席はイタリア旅行を中止し、中国に帰国した。主要な産業国にロシアを加えた今年のサミットは、水曜日、イタリアの都市ラキラで始まる。
「新彊ウイグル自治区の騒擾の悪化のために、胡錦涛主席は、中国への帰還を優先し、G8に出席しないことに決めた」とローマ駐在の中国大使館のタン・ヘン顧問は「アンサ」に述べた。
トスカナ地方のピサに滞在中の胡錦涛主席は、直ちに北京へ帰った。アンサ通信社が中国外交筋から聞いたところでは、中国代表団は、サミットの仕事に参加する予定だ。
公式の発表では、日曜日の暴動で、156名が死亡、数千人が負傷した。国営の新華社通信によると、警察は1,400人以上を逮捕した。アンゲラ・メルケル連邦首相は、サミットの間に胡錦涛主席と暴動について話す予定だった。
日曜日の流血の衝突の際、150名以上が殺され、約800名が負傷した。亡命ウイグル人組織は、800人が死んだと述べている。警察はこれまでに、1,400人の容疑者を逮捕した。国営の新華社通信によると、日曜日以来、騒擾を防ぐために、数万人の警察官と兵士が自治区に投入された。
欧州連合は、中国政府と暴動の参加者に自制と平和的な紛争解決をするように警告した。ストックホルムで出されたスエーデンの議会議長の声明では、欧州連合は、「深刻に憂慮している」と述べ、殺された人々に対して哀悼の念を捧げると述べた。
中国外務省の秦剛報道官は、ウルムチの暴動を「たちの悪い殺人・放火・略奪である」と述べた。「暴力行為は、外国から唆されたものであり、国内の犯罪者によって実行された」と記者会見で述べた。
日曜日の最初の抗議では、6月に二人のウイグル人工場労働者の死因の解明が要求された。イスラム教徒の家族が二人の中国人少女を強姦したという噂が広まった後、ウイグル人達は中国南部のシャオガンにある玩具工場で中国人に攻撃された。
チベット人やウイグル人のような少数民族は、人口の90%を占める漢族系中国人によって差別されていると感じている。特に、彼らは北京の中央政府による政治的文化的抑圧について不満を述べている。
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「ウイグル人の抗議デモで、100以上の死者」と題する『ツァイト』紙の記事。

2009年07月06日 | 中国の政治・経済・社会
国営の新華社通信によると、デモ隊は、省都のウルムチで車に火をつけ、交通を妨害した。治安警察との衝突で少なくとも140人が死に、800人が負傷した。省政府は、ウイグル分離主義者に暴動の責任があるとした。
警察は、公共の秩序を回復するために、現場にいたと言われている。目撃者によると、デモ隊は、ナイフや棍棒や石で武装して、省都の街路を行進した。彼らはバスを
襲っ他。デモに参加していなかった通行人も両方に分かれた。初めは、死者は4人だと言われた。
日曜日は、平和なデモが過ぎた。抗議のデモ隊が集会を中止するのを拒んだとき、デモは暴動に変わった。
「初めは数百人規模だったが、後では千人を超えた」と目撃者は言う。デモ隊はバスを停めた。
多くのウイグル人たちは、漢族と共産党の国家的なコントロールの存在を拒否している。8百万以上のイスラム教徒ウイグル人が新疆ウイグル自治区には住んでおり、ここは、民族対立の中心である。北京政府が、1955年に中国北西部を新疆自治区として併合して以来、漢族の中国人が多数移住してきた。それ以来、ウイグル人はかっての東トルキスタンの独立のために戦ってきた。中国は、1990年以来、300件の攻撃と160人の死者を出した責任がこれらの分離主義者にあると主張している。
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「乳白色の顔をしたテロリストの底知れぬ憎悪」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月05日 | テロリズム
この連中を顔を見たいと思う。連邦検察庁が告訴状に書いているように、、彼らが生まれ、育ったドイツにおいて、9.11規模の爆弾攻撃で何百人もの人間を殺そうとしたこの若者たちは、どんな外見を見せているか。
容疑者から犯人になり、最後に被告となった彼らの名前は、よく知られている。フリッツ・ゲロヴィッツ、ダニエル・シュナイダー、アデム・イルマズは、テロ細胞の核となるはずだった。それは、彼らが大量殺人を計画した場所にちなんで、「ザウアーラント・グループ」と名づけられた。この一団の第4の男、アッチラ・セレクは、トルコから支援を行った。彼らは狂信的な信念によって、イスラム教だと称する宗教に追いやられた。
彼らの写真は少ない。大抵は、若いときの撮影か、手配写真である。最後のスナップ写真は、2007年9月の逮捕後、つまり、一年半前に撮られたものだ。シュナイダーを除いてみなマスクをかぶっている。
水曜日以来、誰でも治安当局には「最初の自家製テロリスト」と見なされている若者たちの外見と振る舞いの写真を見ることが出来る。告訴状の朗読とともに、デュッセルドルフの上級地方裁判所の法廷で、厳しい治安保全の措置の下で、「ザウアーラント・グループ」に対する裁判が始まった。
連邦検察庁は、40ページにのぼる告訴状で、参加の程度は異なるが、いくつかの犯行について告発した。国内と国外でテロリスト集団のメンバーに参加したこと、爆発物攻撃を準備したこと、殺人の申し合わせなどである。シュナイダーは、逮捕時、警官に発砲したので、殺人未遂に対しても責任がある。
三名の検事は、「ザウアーラント・グループ」のメンバーが「イスラム教の敵としての
米国に対する底知れぬ憎悪」に満たされていたと述べた。だが、ドイツ人の犠牲も、彼らには歓迎されていた。被告はメディアに有効なテロの印を置こうとしていた。彼らの目標は、テロ攻撃の際、「出来るだけ多くの人間を殺すこと」だった。
最初の法廷手続きの際、西欧社会とすべての不信仰者に対する憎悪が一度だけ垣間見えた。アデム・イルマズが、弁護人の宣誓のために起立する拒んだときである。オットマール・ブライドリング裁判長の警告に対して、彼は「私はアラーのためにのみ起立する」と言った。連邦検事は、三日間の拘禁を請求した。
他の被告たちは、落ち着いているように見え、法廷の進行を黙って追っている。多かれ少なかれ長いヒゲを取り去って考えると、ジーンズをはき、シャツを着た若者のミルク色の肌が見えただろう。全く普通の若者に見える。フリッツ・ゲロヴィッツは、市民階層の出で、サッカーをし、できる生徒だった。後に「ノイ・ウルム経済大学」の学生となった。ダニエル・シュナイダーは、ザールラント州のノイキルヒェンの出身で、数学の良くできる高校生であり、ガールフレンドがいて、バスケット・ボールをやっていた。だが、彼らの性格は明らかに、不安定であり、両親の離婚を経験しており、あらゆる外部から影響されやすかった。治安当局が「イスラムへの三段跳び」と呼ぶものだ。新しい知人を通じて、彼らはイスラム教と接触を持ち、モスクを訪れ、その共同体が居心地が良かった。
それから、彼らは過激派や憎悪を振りまく説教師に接触した。彼らは外国語学校でアラビア語クラスに出席し、そこでジハード主義者に話し掛けられた。最後に、パキスタンのテロリストのキャンプに旅行し、テロ攻撃を計画し始めた。
これらは、まだ、検察側の主張である。これに対して、弁護団は、告訴状を「汚いでっち上げ」だと見ている。国家は、彼らの依頼人に秘密情報機関の監視行為から得られた「非合法的な認識」を通じて、テロの容疑に到った。論証の信憑性は、これから二年かかって、明らかにされる予定だ。最初の手続きでは、被告の顔だけがわかった。彼らの人柄のイメージや彼らの衝動のイメージは、不明確なままである。
[訳者の感想]ゲロヴィッツとシュナイダーは、名前から見て純粋のドイツ人ですが、アデム・イルマズはトルコ系のドイツ人だと思われます。
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「米軍は、アフガニスタンの拠点を占拠するつもり」と題する『ニューヨーク・タイムズ』の記事。

2009年07月04日 | 国際政治
ワシントン発:オバマ大統領によって命令された追加の部隊でもって始まった最初の大規模な作戦は、南部のヘルマンド州にあるタリバンの根拠地を掃討するように工夫されている。村民に近い小さな基地に海兵隊の一群を残すことを目的にしている。
部隊の兵員数と火力にもかかわらず、この戦略にはリスクがなくはない。実際、木曜日、最初の海兵隊員が戦死した。
米軍と連合軍とは、以前にヘルマンド州を討伐し、しばしば、空中からの攻撃で、出来る限り多くのゲリラを殺したり、捕虜にした。米軍は、以前には作戦で反乱軍を殲滅した大きな地域を維持するだけ十分な地上部隊を持っていなかった。
今回は、数週間前に到着した4千名の海兵隊員に650名のアフガン政府軍兵士が加わった。
「本質的に、彼らはがやろうとしていることは、ヘルマンド州に生産的プレゼンスを作り出し維持することである。単にタリバンの影響を取り除くのではなくて、その影響を治安作戦と再建と置き換えることである」と将校は言う。「単に敵を殺すのではなくて、住民を保護し、彼らの生活を改善すれば、反政府軍的要素の復帰を阻止するのを助けるだろう。」司令官は、海兵隊は、かなりの数が残留し、多くの小さな作戦と補給基地を住民の中に作り出すことを約束した。この戦術は、イラクにおけるいわゆる部隊の高まりの成功にとって中心的であった。
海兵隊は、木曜日、ラシュカル・ガーの南方の75マイルに及ぶヘルマンド渓谷に沿った重要な三つの町に突入した。散発的な抵抗に出会った。ヘルマンド州中央のナワとアルムシル、および、ヘルマンド州南部のカーン・ネスリンにプレゼンスを持っていると海兵隊報道官のビル・ペレチエは言った。
この特別任務は、住民たちに部隊が彼らを保護し、NATO軍や米軍やタリバンによる民間人の死傷を防ぐために、そこにいるのだということを見せる意図をもっている。
作戦が敵を殺傷するよりも、住民の保護に焦点を当てていることを示すために、海兵隊は砲兵隊も航空機からの爆撃も利用しなかったとペレチエ大尉は述べた。(中略)
国務省の報道官であるイアン・C・ケリーは、ワシントンで、この作戦に二人の民間人が参加していると述べた。一人は国務省の職員でもう一人は、「国際開発局」の職員である。来る数週間にもう数名加わる予定だ。
5月、国防省のゲイツ長官は、オバマの命令を受けた2万名の追加兵士の先遣隊として、キャンプ・レザーネックに到着した数百人の海兵隊を訪問した。その当時、海兵隊の多くは、まだ、武器を受け取っていなかった。「われわれがこの戦闘のために資源を追加していなかったら、われわれはこの規模の作戦をこれほどすばやく行うことは出来なかっただろう」とこの特別任務に参観した高位の将校は述べた。
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「米軍、アフガニスタンで攻勢」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年07月03日 | アフガン問題
4千名の米国海兵隊員と650名のアフガン治安部隊の兵士は、細い三日月の青白い光が照らす真夜中に出撃した。チヌーク型とスーパースタリオン型のヘリコプターは、ヘルマンド川渓谷に着陸、装甲車の列が人気のない地域に向かった。北大西洋同盟軍の空軍が投入を空から援護した。アフガン戦争では、これほど大量で急速な軍隊の投入は初めてである。それは、アフガニスタンにおける新しい米国の戦略の最初のテストである。
米軍指揮の部隊は7年以上、タリバンの隠れ家を破壊し、中央政府の権威を南部と東部に拡大しようと試みた。アフガニスタン東部のヘルマンド州では、過激派イスラム主義者が数年前から勢力を保っていた。彼らは警察官を脅し、中央政府の代表者を殺したり、追放し、再び事実上この地域を支配していた。ヘルマンド州の荒涼たる風景の中に彼らは隠れ、ヘルマンド渓谷に沿った狭いが豊かな帯状の土地にはケシの花が咲いている。地球上の阿片の總生産量の半分が、ここで生産され手入る。
彼らの中心地に対する攻勢は、タリバンにかなりの痛みを与えるだろう。ヒンヅークシュ山地の治安は、数ヶ月らい悪化し、タリバンの攻撃がこれまで平穏だったドイツ連邦軍の駐留地にまで及んだので、反対攻勢は時期を失した。その上、アフガニスタンは、8月20日に、新しい大統領を選挙する。脆弱な民主主義をタリバンは、できる限り多くのテロと混乱で壊そうとしている。この攻勢によって、米軍は、大統領選挙前に、この地域を安定にしたいと思っている。
「カーンジャル」(堰月刀)と名付けられたこの作戦は、最近、アフガニスタンに派遣された米海兵隊の大攻勢であって、オバマ大統領が責任を負う最初の軍事作戦である。彼はこの作戦を準備していた。6月15日に、オバマは、余り成功していない米軍の最高司令官デイビッド・マッキアナンを解任しスタンリー・マッククリスタル大将にアフガン駐留軍の指揮を任せた。彼は五年間、秘密の統合特別作戦命令(JSOC)の長だった。
新たしい戦略の特徴は、部隊をこれまでよりも空中攻撃させない点である。彼らは、地上で敵と戦い、タリバンの隠れている地域を急襲して、占領し、陣地を構築する。この戦術は兵士にとってはより危険であるが、目標を戦場に絞り、民間人を巻き込まれないようにできる。不正確な空中からの攻撃で民間人が殺されたために、住民達はますます外国兵に反対するようにし向けられた。この戦術をマッククリスタル大将は、二週間前にワシントンで、「戦略的な決断」と呼んだ。彼は、死の犠牲や破壊を最小にする仕方で作戦を行うつもりだと述べた。(後略)
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「ドイツ人の多数は、兵士を呼び戻したいと思っている」と題する『ヴェルト・オンライン』

2009年07月02日 | アフガン問題
アフガニスタンにおける最近の連邦軍兵士の戦死以後、ますます多くのドイツ人は、派遣の終わりを望んでいる。雑誌『シュテルン』のために「フォルサ世論調査所」が行った世論調査によると、61%のドイツ人は、連邦軍がこの国から撤退すべきだという意見である。千人の調査対象者のうち33%だけが、ドイツ軍部隊は、そこに留まるべきだという意見である。
これでもって、派遣に賛成する意見は、はっきり減少した。2002年3月に行われた「フォルサ」の世論調査では、まだ62%がアフガンニスタンに介入することに賛成し、三分の一そこそこが兵士の撤収に賛成だった。2007年9月には、52%の多数派が撤収に賛成し、2008年9月には、59%が賛成した。撤収賛成派が61%というのは、これまでになかったほどの増加であると雑誌『シュテルン』は、述べている。
国民の支持が低下しているにもかかわらず、フランツ・ヨーゼフ・ユング国防相(CDU)は、なお数年間、アフガニスタンにドイツ軍を駐留させたいと思っている。彼は、連邦軍の派遣は、あと5年から10年は続くと思っている。ドイツ兵は2020年までにはアフガニスタンから撤収しているかという問いに対して、ユングは、火曜日の晩、テレビのN24に対して、「私はそれを前提している。あと5年か10年かかると思う」と述べた。
同時に国防相は、連邦軍のアフガン派遣は、成功裏に終わるだろうという意見を表明した。アフガニスタンの治安軍の養成が早く進めば進むほど、そうなる可能性が大きいと彼は言う。
派遣の成功するチャンスに関する彼の楽観論の根拠として、ユングは、アフガン国民の大多数の支持を挙げた。
「部族の長老との会話で、彼らがどれほど感謝しているか、どのような仕方で、彼らがわれわれを支持しているかをはっきりと知った。90%のアフガン人がわれわれの味方だ。」
目標は、アフガン人自身が、自分たちの治安に配慮できるようにすることでなければならない。そのためには、この国は13万4千人の訓練された軍隊とそれと同数の警察官とを必要としている。
[訳者の感想]2020年まで派遣が必要だとは、ずいぶん気の長い話だなと思いました。そのうちアメリカから日本の自衛隊を派遣するように要請されたら日本政府はどうするのでしょうか。
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