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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「狂牛病について、全頭検査するなと農務省」と題する『USA・TODAY』紙の記事。

2007年05月30日 | アメリカの政治・経済・社会
ワシントン発:火曜日、ブッシュ政府は、食肉業者が狂牛病のために全頭検査をすることを思いとどまるように闘うだろうと述べた。
 農務省は、汚染された牛肉を食べた人には致命的になるかもしれないこの病気のために、された牛の1%以下を検査している。しかし、カンサス州に本社がある「クリークストーン・ファーム・プレミアム・ビーフ」会社は、その牛の全頭検査をしたいと言っている。
 より大きな食肉会社がこの動きを恐れている理由は、もし、クリークストーン社がその牛肉を検査し、それを安全だと宣伝すると、彼らもこの高価な試験を実施しなければならないからである。
 連邦裁判所は、今年三月に、このような検査は許可されなければならないという判決を出した。この裁決は、6月1日から発効するが、農務省は、火曜日に、裁判忌避が尽きるまで、検査を有効に引き延ばすように訴えるだろうと述べた。
 狂牛病は、特に英国で150人以上の死者を出した。米国では、狂牛病の症例は三件あった。最初の例は、2003年12月に、ワシントン州でカナダから輸入された牛に見つかった。第二例は、2006年に、テキサス州生まれの牛に見出された。第三の例は、昨年、アラバマ州の牛に見つかっている。
 農務省は、広範な検査は、間違った陽性結果に導き、それは食肉産業に損害を与えるだろうと主張した。地方裁判所判事のジェームズ・ロバートソンは、クリークストーン社は政府が信頼しているのと同じ検査を使用しようとしていると指摘しており、政府がそれを制限する権限はないと述べた。
[訳者の感想]なぜ米国農務省が民間業者がやろうとしていることに反対するのか分かりません。大手の食肉業者の権益を護ろうとしているのだとしか思えませんね。
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「中国の人権問題」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2007年05月27日 | 中国の政治・経済・社会
ケーラー・ドイツ連邦大統領は、最も最近のドイツからの来訪者として、ピリピリした雰囲気の中で中国を旅行している。最近数週間のうちに、ドイツは、人権というテーマを再び鋭くするのに成功した。このテーマについては、それは外交上の型どおりの仕事の中ですっかり姿を消したと思われていた。だが、連邦議会の決議は、中国の労働収容所を批判した。ベルリンでのヨーロッパと中国の人権対話から、中国の外交官達が早々に退去した理由は、国家に敵対的だと分類された香港の非政府系通信社が加わっていたせいである。今回、ケーラーは、彼の言葉を慎重に選んでいる。
 少し前に、抽象的すぎる概念はうまく無害化されているという印象を持つことができた。人権状況について西欧の政治家達が口に出すのと同じ頻度で、中国の政治家達は、内政問題であるという理由で丁寧に反論した。
 だが、クールな外見は、欺いている。外交的に平静な時代でも、中国は、普遍主義的な要求によって挑発されていると感じている。そのことによって、具体的な批判は、直ちに単なる内政干渉であるとして退けられないでいる。多数の研究者や研究施設、例えば、「人権研究のための中国学会」は、何年も前から、「西欧の議論上の覇権」に対して何か独自のものを対置するために、このテーマと取り組んでいる。繰り返し変えられる公式の立場は、中国の伝統文化は、人権についての独自の見方を展開してきたというものである。それは「個人主義と利己主義」からではなくて、共同体の調和を前提にしている。それゆえ、政府の出している人権白書は、「存在と発展に対する人民の権利」を「国家が配慮してきた人権」だと称する。
なぜ政府が権力を譲渡しないかという理由を探している政府が哲学していることは、明白である。真剣に考えられた論拠も、それが適合する国家によって道具化される。けれども、人権の持つ普遍主義的性格を真剣に考える思考は、歴史的文化的経験に立ち入るのが良い。
「中国社会科学院」が発行している雑誌に最近、ある論文が載せられた。それは、通常の文化主義的論証よりももっと過激である。「社会科学院」で仕事をしている哲学者チャオ・ティンヤンは、西欧がいつも人権を支持することを新たな「西欧の事実上の宗教」だと表現した。(別の機会には、彼は、西欧的普遍主義を「隠れた原理主義」と呼んだ。)彼は、公式筋の受け身の反応を哲学的に無意味であり、西欧の見方が正しいということを暗黙の内に認めていることに他ならないと述べた。
 けれども、西欧が人間であるという単に生物学的な事情から権利を引き出す仕方は正当化されないと彼は言う。自然は、まだ一度も権利を基礎付けなかった。それができるのは道徳である。実際には、人間が何で「ある」かではなくて、人間が何を「する」かによって、人間は権利の主体になることができる。ゲーム理論的な考慮に基づいて、チャオは、人間の利害関心は、「調和の取れた正義」を持った制度において最も良く満足され、そこでは、人権は、存在に基づく「自然権」ではなくて、行為に基づく「信用への権利」が保障されると言うのだ。
 「すべての人権は、結局、生命と自由への権利を含めて、払い戻されねばならない何かである。」その権利は、良い振る舞いにおいてのみ、通用する。
 この行為との関係から得られた立場の盲点は、明らかである。この立場は、権利が依存すべき、社会を何か自然発生的なものと見なし、誰がどんなカテゴリーにしたがって、権利を保障したり、奪ったりするのかという問いを中心に置いていない。チャオ自身が、この体制では、正義に対する客観的な判定基準は存在しないということを白状している。まさに人権によって限界が置かれるべき国家の恣意に対してどうぞご自由にと言っているのと同じだ。
 だが、チャオがまさに人権において不都合だとしている点は、それがもともと自然法的、あるいはキリスト教的由来をもっているということである。実際の政治においては、この起源は、括弧に入れられているが、全く違った精神史との対決において、この起源は再び何か異質のものとして現れる。だが、人権のパラドクシカルな点は、この起源には依存していない。人権の要請は、国家に、それ自身の有効性の限界を無条件に認めることを要求している。このような限界の線引きの意味を見抜くのに、一定の形而上学は必要でなく、国家が人権に対する侵害をなし得るという歴史的経験だけが必要なのだ。この経験を中国は十分持っている。
[訳者の感想]人権問題を文化的な違いから違った解釈が可能だと考えているこの中国人哲学者の意見は、日本の保守派の意見とそっくりだとは思いませんか。筆者は、マーク・ジーモンスという記者です。
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「ブッシュは、ドイツの気候変動対策に頑固に反対」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2007年05月26日 | 環境問題
ベルリン発:ワシントンとベルリンの間の感情のこじれは、特にG8の閉会宣言を準備する際の米国の立場の記述についての要約において明らかになったと「ドイツ通信」は報道している。そこでは、「気候変動の取り扱いは、われわれの一般的な立場に反しており、われわれが単純に同意できない諸概念で『危険ライン』を越えている。」
 外交官にとっては、異常なほどはっきりと、確認されている。「われわれは注意深く前進しようと試みたが、ドイツの立場に対するわれわれの基本的な反対に関して、ある点までしか行くことができない。」気候変動と戦うための、二酸化炭素の取引についてのドイツの提案は、環境保護のための大統領の試みとは結びつかない。」
 ドイツ連邦政府は、バルト海沿岸のハイリゲンダムで開かれたG8で、ブッシュ大統領の考えを変えさせうると希望していた。その際、大統領の外交官達は、先週、閉会宣言のための草案に基づく沢山の提案を抹消した。
 その中には、今世紀の終わりまでに、摂氏2度に上昇する地球温暖化を食い止めるための要求や、2050年までに二酸化炭素ガスの排出量を半分にしよという要求、2020年までに20%多く代替エネルギーを増やすことなどが含まれていた。専門家達は、アンゲラ・メルケル連邦首相がブッシュに気候危機を避けることを認めさせるのに成功しない場合は、大騒動になると思っている。
 首相府官房長官のトーマス・ドメジールは、『ベルリン新聞』に次のように述べた。気候に関しては、一度会議を開催するように忠言する。そこではみんながもっと動くだろうと私は思っている。そのことは特にエネルギー効率というテーマについて当てはまる。そこではヨーロッパ人は米国と協調できると思っている。「米国が気候問題に関してイエスというように関わり合いになるか」という質問については、「私はまだ前もって何も言う気はない。G8サミットの義務づけが、ヨーロッパ・サミットほど具体的になるとは思わない。だが、米国を一方的に被告席にすわらせるのには反対だ。」
 これに対して、環境組織の「グリーン・ピース」は、次のように警告している。「環境保護を真剣に考えるならば、ブッシュのようなレーム・ダックをもはや待ってはいられない。ドイツのサミット草案への攻撃的反応で、米国政府は、ザイルを切断したのだ」とエネルギー問題の専門家であるトビアス・ミュンヒマイヤーは、「ドイツ通信社」に述べた。けれども、メルケルは、以下の目標を目指すべきだ。つまり、2020年までに、G8加盟国は、二酸化炭素ガスの排出量を30%減らすこと、その際、ドイツは、40%削減を義務づけられる。
[訳者の感想]気候変動問題についてもブッシュはアメリカ大企業の肩を持って、二酸化炭素ガス削減に熱心でないように見えます。
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「ブルカはペンギンだ。その言い方はナチだという非難」と題する『シュピーゲル』誌の記事・

2007年05月25日 | イスラム問題
ベルリン発:「ホロコーストを生き延びたラルフ・ジョルダーノは、今は右翼だ」と『ターゲス・ツアイトウング』は、書いた。第三帝国でユダヤ人として迫害された作家は、ケルン市エルフリートに建設されるモスクに対する批判で共和党の創設者であるフランツ・シェーンフーバーよりも右翼的だと新聞に書かれた。この新聞は少し前「組織化された職業ユダヤ人」について文句を言った。
 事実、ジョルダーノは、『ケルン市広報』でいくつかの事柄を混同している。特に、彼は市当局は既に決定しているが、住民の多数が反対だという理由で、モスクの建設を停止することを望んでいる。ブルカに身を包んだイスラム女性をペンギンにたとえたのは、いささか繊細さを欠いていた。作家がそれで自分自身の審美的感覚を妨げられると感じたとしても、それはイスラム教との付き合いの基準にはならない。
 ジョルダーノがモスク建設をこれまでの統合の努力を怠ったからだという論拠で反対しようとするなら、彼は間違っている。なぜならば、開かれたモスクを建設しようとする人達は、それ自身、統合に反対して行動している訳ではないからだ。うまく行った統合は、さまざまな文化と宗教とが共生することにある。ヴォルフガング・ショイブレ内務相は、最近とっくに期限が切れた次の意見を述べた。「イスラム教はドイツ社会の一部だ。」
 だが、ジョルダーノのイスラム批判と統合批判に対する怒りの反応は、既に以前から存在する図式である。極右だとか極右の人気取りだという批判は、保守的なイスラム観念や頭巾に反対する人々に対して反射的に振り上げられる棍棒である。フェミストのネクラ・ケレクやアリス・シュヴァルツァーやセイラン・フェリドン・ザイモグルーは、いつもそう批判されてきた。ほんの最近、トルコ出身の作家フェリドン・ザイモグルーは、イスラム批判者とフェミニズムと右翼ポピュリズムの間の並行関係を指摘した。
 勿論、イスラム批判者自身も厳しい言葉を見出す。ネクラ・ケレクは、モスレム団体の統合を「モスレム部族長の集まり」と呼んだ。だが、両方のグループには全く決定的な違いがある。ネクラ・ケレクとセイラン・アテスとは女性の権利のために闘っている。彼女たちは、個人的政治的な重みを求めて闘ってもいる。だが、それは全く正しいし、必要なのだ。
 新たに組織された「モスレム調整委員会」(KRM)は、ドイツ在住のイスラム教徒を代表していると言っているが、それにとっては、女性の同権は全く考慮されていない。あるいは、KRMが「イスラム会議」に対してまだ一度もドイツ的な価値秩序への箇所に関して一致しないとしたら、それはどう理解したらよいのか。そのために、人々はKRMに対して、「基本法」の地盤に立っていないと想定するかもしれない。だが、KRMは、女性が同じ権利を持ち、自由に教育されるということに対して明確な言葉を見出そうとしていない。「モスレム中央委員会」の議長であり、新たに組織された「モスレム調整委員会」の広報係であるアユーブ・アクセル・ケーラーは、子供を男女一緒の水泳授業からはずしたい両親を支持するつもりだと述べた。これでもって、「調整委員会」は、保守的モスレムの両親の要求を認めたが、女生徒の利害関心を無視したのだ。
 頭巾は、勿論、宗教的に成人した女性の意識的シンボルであるかもしれない。だが、どれが本当に自由意志で被られているということが確かめられなければならない。
 セイラン・アテスが言ったことが当てはまる。「私にとって、ある女性が頭巾を被っているか、それとも、ある女性が半裸で車のボンネットに寝そべっているかは、違いはない。どちらも、女性の本質を性的対象にし、それに還元するのに役立っているのだから。」
 間違った側から拍手喝采され、他の側から右翼ポピュリストだと言われる経験を、ラルフ・ジョルダーノはした。実際、彼は、特に注意して主張したのではなかった。だが、彼に右翼過激主義者の烙印を押すことは、途方もないことであり、デマゴギー的である。
 ジョルダーノの発言を巡る興奮が示しているのは、統合論議とイスラム論議には、中立的な役者はいないということである。どの発言もイデオロギー化される。古い左翼が『ターゲス・ツァイトウング』の中で、新右翼がケルンでやったように。こんなことが起こらないためには、統合のための基準が定義されなければならない。その基準は、女性の同権と自己決定権をみとめるかどうかである。
[訳者の感想]ケルンにおけるモスク建設を巡って、ユダヤ系作家の発言を右翼が拍手喝采し、左翼が「人種主義的」と批判したようです。筆者は、フェミニズムの立場から、イスラム教徒を代表する委員会が女性の権利について口を閉じているのは、「基本法」違反だと言っているようです。結果的には、右翼的発言ということになるのでしょうか?
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「少女を石打の刑にした犯人逮捕」と題する『アル・ジャジーラ』局の記事。

2007年05月24日 | イスラム問題
 イラク当局は、石打の刑でクルド人のティーンエイジャーの少女が死んだ事件で、四名を逮捕したと報道されている。彼女の死は映像に撮らたのち、インターネットに公開された。
 イラク北部のニネヴェ州で逮捕された四人のうち、二人は、少女の直接の家族のメンバーだと土曜日の報道は伝えている。
 17才のドフア・カリル・アスワドは、4月7日に「名誉殺人」の理由で、彼女の家族のメンバーによって石打の刑を受けた。
彼女は半裸で通りに引きずり出されたが、そこには群衆が集まっており、沢山の人が彼女の死を携帯電話で映した。
 アスワドの死のフィルムは、インターネットに投稿され、そのビデオでは、群衆のなかに、制服を着た治安部隊の隊員だと思われる人物も写っている。
 当局によると、アスワドが殺された理由は、集落のメンバーが彼女がスンニー派のムスリム男性と結婚しようと駆け落ちしたためである。
 アスワドは、ヤジディ派のメンバーで、彼らは、宗派を超えた結婚を認めないという古い信念を持っている。
 「彼らは古くさい部族の儀礼にしたがって、若いヤジディ派の少女を惨殺した」とAFPニュースは、イラクのヤジディ派の首長として知られたターシン・サイード・アリの言葉を引用して伝えた。
 クルド地域政府は、後に、殺人を非難し、アスワドを殺した下手人を法廷に出すように要求した。
 「CNNテレビ」と「マレーシア・サン」新聞は、逮捕を報道し、アスワドの従兄弟を含む四人の犯人を追及しているという地域警察の声明を報道した。
「アムネスティ・インターナショナル」と人権グループは、殺人に対するクルド政府の非難を歓迎すると述べた。
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「ケネディの暗殺者は、オズワルドだけではなかった」と題する『シュピーゲル』紙の記事。

2007年05月19日 | 人物
ワシントン発:統計学と化学分析の新しい方法を使って銃弾を研究した結果、リー・ハーヴェイ・オズワルドだけが発砲者ではなかったということを示していると『応用統計学年報』の最近号に書かれている。第二の暗殺者の可能性を排除する証拠は、事実と一致しないと元FBI捜査官のウイリアム・トービンは、テキサスのA&M大学の統計学教授のクリフ・シュピーゲルマンと化学者のウイリアム・ジェイムズとの共同研究を提出した。
新しい分析から明らかになったことは、現場で発見された弾丸の破片は少なくとも三つのの区別できる弾丸のものであったかもしれないということである。もし、これが正しいとすると、ケネディに命中したかもしれない第二の発砲者の可能性は否定できない。それゆえ、5個の弾丸破片を調べることが科学的に望ましい。
 オズワルドが唯一の犯人だということはこれまでに繰り返し疑われた。ケネディの後任者だったリンドン・B・ジョンソン大統領は、1963年11月に、暗殺の経過を解明するために、委員会を招集した。このいわゆる「ウオレン委員会」は、10ヶ月後、850ページの報告書を提出した。そこでは、オズワルドが唯一の暗殺者であったと述べられている。それによると、彼は一丁の銃で三発発射したが、一発の弾丸はそれ、第二の弾丸がケネディの頸部を貫通して、彼の前に座っていたテキサス州知事のジョン・コナリーを負傷させた。第三の弾丸がケネディの頭部に命中した。
この説明は、報告書の公表直後に非常に疑問とされた。特に第二の弾丸は、「ウオレン報告書」によると、非常に変形することなく、ケネディとコナリーに全部で七箇所の傷を負わせた。それゆえ、この弾は「魔法の弾丸」だとからかわれた。
ケネディの頭蓋骨の後ろ右の一部は、命中弾によって、吹き飛ばされており。これは、弾丸が前方から来たことを証明している。
これらの矛盾についてのさまざまの説明の一つは、第二の射撃手が暗殺に加わっていたという説である。事実、1976年に議会の下院の調査委員会は、オズワルドは確かにケネディの暗殺者だが、恐らくただ一人の暗殺者ではなかったという結果に到達した。第二の射撃手は、撃ったけれども、当たらなかった。もっとも、委員会は、オズワルド以外に誰が暗殺に加わったのかについてはいかなる言明もしなかった。オズワルド自身は、自分の無実を主張し、二日後に暗殺によって殺された。
トービンとクリフマンとは、オズワルドの単独犯行についてのウオレン委員会の証拠は、「根本的な間違い」を持っていることの証拠を見つけた。研究者達は、同じ製品から生じた銃弾の化学的法医学的分析を行った。彼らは1960年代にはまだ使えなかった方法を応用した。
その際明らかになったのは、銃弾はウオレン委員会が想定したほど稀ではなかった。当時投入された専門家は、ケネディ暗殺で使用された弾丸の残りは、彼らの化学的合成に基づいて、オズワルドが使用した箱に由来すると調書で述べた。
だが、トービンと彼の同僚は、まだ残っている弾丸の破片五個は、すべて、三挺以上の銃に一致すると信じている。しかし、オズワルドは、三発しか発射していないから、第四の弾丸は、彼が単独ではなかったことを意味している。新たなテストに使用された10発の弾丸のうち、一発は、それどころか、正確に破片と一致している。
評判のいい刑事でFBIの元捜査官であったトービンは、20年以上もFBIの実験室で金属分析を指揮してきた。彼は捜査中に、沢山のスペクタクルな事件に投入された。例えば、1995年のオクラホマ市の爆弾テロや、ニューヨーク発パリ行きのTWA機がロング・アイランド上空で爆破された事件に参加した。
定年退職後、トービンは、沢山の研究報告によって、FBIによって何十年間も実行された、弾丸の化学的分析が高い間違い率を示していることに気付かされた。それゆえ、FBIは、2003年以後この方法を断念している。
[訳者の感想]今頃、オズワルド以外に暗殺者がいたと言われても、どうやって突き止めるのか興味があります。
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「タリバン軍の最高司令官が戦死した。」という『ガーディアン』紙の記事。

2007年05月14日 | アフガン問題
タリバン反政府軍は、彼らのトップの司令官であるムラー・ダドウラーがアフガン南部のヘルマンド州で戦闘中に死んだことによって、重大な損失を蒙った。彼は虐殺と斬首と自殺爆弾を指揮したことで悪名が高かった。
 アフガン内務省は、土曜日にギリシャク地区でアフガンとNATOの連合軍と闘っている最中に死んだと発表した。NATO軍も彼の死を確認した。そして、それは反乱軍にとって重大な打撃であると述べた。
 ロイター通信や他の通信社は、カンダハルにある州知事公邸内に置かれた彼の遺骸の写真を公表した。彼は頭部に傷を受けたように見える。左足はない。
 「アフガンのザルカウイ」と異名をとったダドウラーは、タリバンの十人指導委員会のメンバーで、片目のモハマド・オマール師に近かった。
 彼はまたタリバンの指導的人物で、パキスタン、アフガン、アラブの新聞とのインタビューで、自殺爆弾の志願者を訓練していること、政府協力者を処刑していること、人質の首を刎ねていることを自慢していた。
 「これは、タリバンが2001年に抵抗運動を始めてから最大のつまづきだ」とペシャワール在住のジャーナリスト・ラヒムラ・ユスフザイは述べた。
 「彼らはこの殺人に対して復讐をすることが可能だ。もっと多くの報復攻撃があるかもしれない。しかし、目下、彼に代わる人物はいない。彼はインスピレーションを持った勇敢な司令官だった。」
 だが、ドバイにある「湾岸研究センター」のムスタファ・アラニは、彼の死の衝撃は小さい」と述べた。「この種の組織では、人々は置き換え可能である。常に第二、第三の層がいる。
 ダドウラーは、1980年代にソビエト軍との戦闘で左足を失った。1990年代にはタリバン政府が権力を握ると、民族殺人を指揮した。近年は、彼は、南部でヨーロッパ軍とアフガン軍と闘う戦場の司令官として頭角を現した。
 彼は過去6ヶ月間に捉えられるか殺されるかした三番目の司令官である。アクタール・オスマニは、12月に米軍の空襲で死んだし、オバイドラ・アクンドは、3月にパキスタン治安軍に捕らえられた。
 オマール師だけが捕まっていない。アフガンの役人は、彼がパキスタンのクエッタに隠れていると主張しているが、パキスタンのムシャラフ大統領は、オマールは、カンダハルにいると言っている。
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「G8で警察、大量逮捕に備える」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年05月12日 | 国際政治
 警察は、バルト海沿岸の温泉場ハイリゲンダムで開かれるG8で大量逮捕に備えている。そのために、現在、逮捕者を収容するための場所が体育館や兵営に作られる予定だ。このような大規模の施設のために、収容場所に対する法的義務があると、「G8治安対策本部」の報道官アクセル・ファルケンベルクは、断言した。重大な事件に対しては、警察は、ビュッツォウとヴァルデックの刑務所の中に収容所を作る予定である。両刑務所は、G8会議の近くにある。
 G8サミットを護るために、メクレンブルク・フォアポンメルン州と連邦内務相ショイブレは、デモ隊を予防拘束するつもりだ。「諸州の警察法は、阻止拘禁を考慮に入れている」とショイブレは、「ビルト新聞」に言った。犯行が計画的である場合には、逮捕者は、14日間拘留される。ショイブレは、危険な状況が高まっていることを指摘した。メクレンブルク州内務相ローレンツ・カフィアーは、サミットの安全のためには2006年のサッカー世界競技の先例に倣って、あらゆる可能性が考慮されると述べた。メクレンブルク州では、最大10日間の拘禁が合法的に許されている。
 首相官邸のトーマス・ドメジールは、必要な場合、自由な国境交通のための「シェンゲン協定」を一時停止にして、入国条件を厳しくするというショブレ内務相の企てを支持した。これまで、グローバル化反対者は、支持者を動員するのに特に成功した。しかし、このことがかなり多くのデモ参加者に暴力的になることを許した。カフィアー内務相は、彼の警察が、数万人のサミット反対者と暴力的なデモ参加者とを覚悟していると述べた。これに対して、警察は、他の州から1万6千人の警官を借りる予定である。威嚇の効果を狙って、犯罪行為は、加速された手続きで直ちに追跡される。
 更に国防省の報道官は、1万1千人の兵士を投入すると予告した。国防軍は、バルト海の海岸を二隻の掃海艇で護り、宿泊所を提供し、医療看護を行う。カフィアーは、ショイブレが要求したような内部への投入は問題になっていないと断言した。ショイブレとドメジールとは、最近の左翼支持者の手入れを擁護した。「私は連邦検察庁が命令した捜査措置の適切さと重大さとにいささかの疑問も持っていない」とショイブレは述べた。
ドメジールも、手入れは合法的だったと強調した。「何らかの形の威嚇が問題ではなかった。」サミット反対者の動員は、彼の観点からは、がっかりさせる成り行きだった。「この情報を聞いても悲しくはない」と彼は言った。けれども、かなりの人が動員が足りないことに対する欲求不満からより暴力的になる危険が存在する。グローバル化に批判的な  「アタック同盟」の目から見ると、G8期間中の抗議のための動員は、大捜索以後、反って改善された。「この警察活動の一つの効果は、動員がそれによってやりやすくなったことだ」と「アタック」の設立者の一人であるペーター・ヴァールは述べた。総額9,200万ユーロ(147.2億円)かかるサミット開催の費用のうち、2,800万ユーロ(44.8億円)は連邦政府が負担する。2,250万ユーロ(36億円)は、メクレンブルク・フォアポンメルン州が負担する。国防軍の投入だけで5.5百万ユーロ(8億8千万円)が計上されている。
 その間、ノルトライン・ウエストファーレン州の警察は、二つの事件で捜査している。金曜日、早朝のリュベッケでのアメリカのファスト・フード店での火災は、G8反対派の仕業かと思われたが、損害は僅かであった。境界線上の駐車場の路面に容疑者はG8に反対するスローガンが書かれた。警察によると、犯人は、ハンバーガー・チェーン店の鉄格子つき窓に二つの爆発物を置いたが、そのうち一つしか発火しなかった。もう一つの事件は、エッセン市からである。ケトヴィッヒ地区で未知の犯人が金曜日の夜に警察署の入り口扉に「お休み、G8」と「ケーピは残る」とスプレーで書いた。
[訳者の感想]最後に出てくる「ケーピ」というのは、Wikipediaで調べたら、ベルリンのケペニック通り137番地にある建物のことだと分かりました。六階建ての建物で総面積1,904平米あるそうです。1990年に不法に占拠され、1991年には占拠合法化された建物です。現在は60名乃至90名ぐらいが住んでいるそうです。元々ユダヤ人が所有者でナチ時代に亡命したか、殺されたかして、東ドイツ時代は、人民所有になっていたそうです。
G8の開催というのは、警備に馬鹿馬鹿しい費用がかかるようです。


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「ミッキー・マウスを使ってイスラム主義の宣伝」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年05月11日 | イスラム問題
ファルフールは、本当に可愛い子だ。彼は子供達が好きだし、子供達も彼が好きだ。大きな耳をもったネズミは、パレスチナの「アル・アクサテレビ」で、どうしたら、食事の際、衣服にシミを付けないで済むか、教育的に価値のあることを教え込んでいる。ファルフールは、とても美しいお話しもできる。遊びながら、子供達は、人生の厳しさも学ぶ。
私が幼くても、どのようにお祈りを正しくするか、大人になったとき、どうやってユダヤ人やアメリカ人や西欧人を殺すか。
かなり多くの信心深い人は、パレスチナ政府の情報相であるムスタファ・バルグティがこの放映を「新たに吟味する」ことに決めたとき、彼を検閲者だと感じるだろう。彼はイスラエルの占領に反対するこの放映をお門違いだと思っている。「われわれの省は、今後も、報道の意見の自由に賛成するが、法律を破るメディアは、処罰を覚悟すべきだ。」
外国の放送局がパレスチナのテレビ放送に注意した後で、バルグティは介入した。同時に彼はメディアの関心が不釣り合いに活発になったことを遺憾だと言った。パレスチナ情報省が流すイスラエルによる人権侵害についてのニュースなら、遥かに僅かな注目しか浴びなかっただろうと彼は言った。
ミッキーマウスを使った放送は「明日のパイオニア」という名前であって、ミッキー・マウスが「君と僕とはイスラム教の指導の下で世界の基礎とエルサレムの解放を担うのだ。そうアラーは望んでおられる」としゃべる。
このシリーズの立案者は、もともとあからさまな狂信者には属さなかった。そうでなければ、ミッキー・マウスを選ぶなんてことはあり得なかっただろう。『コーラン』は、清浄な動物と不浄な動物を区別しており、ネズミは不浄な動物に属しているのだ。だが、ミッキーにこの役を演じさせたのは、諧謔のつもりではないだろう。
[訳者の感想]子供達のミッキーマウス好きを利用して、イスラム過激主義を宣伝させたのでしょうが、ちょっと滑稽です。ディズニーにキャラクター使用料を払ったのでしょうか。
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「オサマ・ビン・ラディンの先輩」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2007年05月09日 | 人物
彼は聖戦を誓い、テロ攻撃で数千人を殺させた。西欧の兵隊は、彼を毎年、追跡したが、この狂信的な説教者を捕らえることはできなかった。このパシュトウーン族は、巧みに山の中に隠れ、そこから、彼の血なまぐさい攻撃を操った。繰り返し彼は追跡者達の網の目をかいくぐった。
この話は、オサマ・ビン・ラディンについての話でもないし、タリバンの指導者モハメド・オマール師についての話でもない。そうではなくて、それはアリ・カーンまたの名、「イピの説教者」についての話だ。彼はイギリス兵の間では、1930年代から1940年代にかけて、「死刑執行人」として知られていた。この伝説的な戦士は、70年前に今日のアフガニスタンとパキスタンとの間の国境地帯で、悪逆非道を行った。それは、まさに、5年前に連合軍がビン・ラディンを追跡し、タリバン兵が、新たな攻撃を行うために、退却した地域である。
 そこには、明らかな並行性がある。今日のもっとも追求されているテロリスト達と同様、ミルザ・アリ・カーンは、文字通り、険しい峡谷と部族の支配する洞窟のなかに消えたのだ。ワジリスタンは、想像できる限り、最も困難な軍事作戦地域である。「この地域で誰かが見つかりたくないと思ったら、彼は見つけられない」とパキスタンの外交官フセイン・ハッカーニは言う。「近代的な監視テクノロジーを使ってもだめだ。」
このことから、今日、ビン・ラディンやオマール師は、彼らのイスラム主義的先駆者と同様に利益を得ている。
 アリ・カーンの支持者達は、彼に隠れ家を提供し、彼らの熱狂的な信奉者から戦士を募集した。その数は40万人にのぼり、その半分が近代的な銃を持っていた。軍事史の専門家であるアラン・ウオレンは、このパシュトウーン族に「救世主的な次元」を持たせている。
 彼の人物の周りには神話が付きまとっている。彼は、霊的な力で杖を銃に変えた。両手で持てるぐらいのパンで、いつでも多数の人間を手に入れた。いつの間にか、彼の追跡者は興味を失い、別の敵が正面に現れた。ハッカーニは、恐らく1960年頃、自然な死を迎えた。
 1941年にはナチ政府は、ファキルと連絡を取るために、諜報員をカブールに送った。彼は協力者だと見なされた。彼が英国人に対する聖戦を呼びかけたとき、ドイツを引き合いに出したそうである。ドイツの作家であるハンス・ヴァルターは、1941年に『イピの説教者への逃走』という小説の中で、説教者に次のように言わせている。「世界をイギリス人の奴隷支配から救うために、西ヨーロッパで、ある偉大な民族が刀を取った。」
 大英帝国の敵の中で、ミルザ・アリ・カーンは第二次世界大戦の前には、本当にユニークであった。「彼はインドの藩侯が臣下の中に見出した、もっとも断固たるもっともしぶとい相手だった」とミラン・ハウナーは彼の論文「帝国に立ち向かった男」の中で書いている。「ゲリラの指導者としては、彼は敵対する戦闘法の選択では、妥協を知らず、頑固で、躊躇うことがなかった。」
 更にハウナーは、「これには待ち伏せ、誘拐、脅迫など部族の戦争指導の伝統的な方法が含まれていた。」これもオサマ・ビン・ラディンやオマール師と共通である。ミルザ・アリ・カーンは、お金の武器に関して、アフガンの役所に支持されていた。特に彼が彼によって要求された独パシュトウーン族の独立のシンボルとなった後では。タリバンと彼の同盟者が追求している目標は、パシュトウーン族の指導の元にあるイスラム的カリフである。
 1938年7月25日の『ロンドン・タイムズ』のファキルについての記事では、「インド帝国のもっとも荒れ果てた部分は、貧乏で山ばかりのワジリスタンであって、それはインドの領土の北西部にある広さ1万平方キロの土地である。その部族達は英国の支配に一度も従ったことはない。37才のファキルは、熊のように丈夫な男で、自分の名前を、ワジリスタンのイピから取った。
[訳者の感想]「歴史は繰り返される」ということの証明みたいな話です。
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「ネオナチ、左翼のシンボルを利用」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年05月05日 | 政治と文化
彼らは運動靴を履き、サングラスをかけ、黒いフード付きコートを着ている。彼らの横断幕で、彼らは「資本主義を粉砕せよ」とか、「自律者の抵抗を組織せよ」と要求している。彼らが黒い塊でデモをするとき、左翼の自律者はこんな風をしている。だが、覆面をした自律者達が自動的に左翼の路線に属していた時代はとっくに過ぎた。というわけは、それと比較できるグループは、数年前から、極右のシーンにも存在するのだ。このような「自律的ナショナリスト」は、現在、ドルトムントの5月1日の極右の行進にも現れた。6月初めに開かれるハイリゲンダムでのG8に反対するデモにも参加するかもしれない。
憲法擁護庁は、極右の「自律者」を「戦闘的周辺現象」に格付けしている。彼らは行進の際、チェ・ゲバラの止めピンをつけ、"fight the system"というような非ドイツ的なスローガンを掲げて資本主義と議会制民主主義に反対する戦線を張っている。確かに、国内情報機関は、彼らの数を150人から200人と見積もっている。だが、憲法擁護庁は、「自律的ナショナリスト」という現象を非常に重視している。なぜなら、彼らの背後には、右翼のイデオロギーを新しい仲間に植え付けようとする試みが潜んでいるからである。特にこれまで極右運動に敏感でなかったスキンヘッド・グループの外にいる青少年達に植え付けようとしている。
 その際、右翼の「自律者」達は、彼らを長靴を履いて頭をつるつるに剃ったネオナチや俗物的な極右政党とは明確に区別する現象に賭けている。なぜならば、流行しているヒップ・ホップ風衣装やパレスチナ人風スカーフや英語で書かれたスローガンは、以前には、ネオナチやNPD(ドイツ国家民主党)には似合わなかった。そういうわけで、かなり多くの伝統的なネオナチは、憲法擁護庁によれば、「右翼自律者」について問題を抱えていた。特に彼らが容易に暴力に訴える点に問題を抱えていた。彼らは、2004年以来、警察との衝突を幾度となく繰り返してきた。このような攻撃的な態度は、潜在的なシンパを遠ざけることになったと極右陣営出身のかなり多くの批判者は主張している。
 「自律的ナショナリスト」達は、違った見方をしている。「われわれの右頬を叩く者は、右も左も一発食らうぞ」とヴッパータール出身の自律者グループはインターネット上で言う。「どんな音楽を聴くか、どれほど長い髪をしているか、どんな服を着ているか、は、問題ではない。」あらゆる政党の政治家は、「ドイツ民族を多文化社会と取り替えようとしているのだ。」だから、重要なのは、「青少年と社会の重要な部分に浸透し、われわれの目的のための道具とすること」である。
 ネオナチの光景でのこの争いにおいては、専門家に依れば、イデオロギー上の違いではなくて、もっぱら、行動形式の違いが問題となる。確かに、例外なく西ドイツとベルリンで組織された「右翼自律者」は、これまで、自分を新しい青年の反逆の前衛者にする演出の試みに成功しなかった。だが、ナチの周辺グループが、青年への浸透からは遥かに遠いとしても、彼らを無害化することチャンスはないと治安官庁は考えている。
 警察にとっても、18才から25才までの年齢の「自律的ナショナリスト」達は、扱い難くなっている。デモの際、左翼の自律的黒い集団と並んで、ますます多くのナショナリストの黒い集団と関わらなければならない。「ネオナチは、そり上げた頭で分かるというのは、だいぶ前から通用しなくなった」と対デモ経験を積んだ警官は言う。「右と左の黒い集団出身の連中が、デモと反対デモの途中の列車の中で出会うことがある。そうすると、車内で殴り合いになる。」
[訳者の感想]左翼と右翼の過激派が服装やスローガンが似ているのと言うのは、20世紀の初めにもあったことのようです。
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「国際刑事裁判所、戦争犯罪容疑者に逮捕令状を執行」と題する『アルジャジーラ・ネット』の記事。

2007年05月04日 | アフリカの政治・経済・社会
 国際刑事裁判所(ICC)は、スーダンの大臣とジャンジャ・ウイード民兵の指揮官を戦争犯罪のかどで逮捕状を発行した。
 スーダンの「人道省」の長官であり、もとダルフール問題担当大臣だったアーメド・ハルーンとアリ・コシェイブに対する逮捕状は、国際刑事裁判所によって出された。
逮捕状は、51件の戦争犯罪と殺人・拷問・大量レイプを含む人道に反する犯罪に加わったと非難している。
 スーダン政府の法務大臣モハメド・アリ・アルマルディは、スーダン政府は、容疑者引き渡すつもりはないと述べた。「われわれは国際刑事裁判所を認めない。われわれは、政府に対して武器を取った反乱軍からさえいかなるスーダン人も引き渡さない」と述べた。
 「われわれの立場は明白であり、それを変えるようなことは何も起らなかった。」
アルマルディは、「自分たちはハルーンを取り調べたが、彼に不利なほんの僅かな証拠も見出さなかった」と述べた。
 スーダン政府は、コシェイブを逮捕した調査をしたが、証人達は彼が自由にダルフールの一つの町から他の町へと旅行していたと述べた。
スーダン政府は、ICCにはダルフールで行われた犯罪を裁判する権限はないと言う。しかしながら、この件は、国連の安保理決議によって裁判所に付託された。そして、安保理決議は、スーダン政府がICCに協力することを要求している。
 告訴は2003年と2004年にダルフール西部の村々に対して行われた一連の攻撃に焦点を置いている。
 裁判所は、上記の二名が戦争犯罪と人道に対する犯罪に対して「責任」があると結論する十分な根拠があると述べている。
 裁判所の検察官であるルイ・モレノ・オカンポは、「われわれは非常に困難な状況下で、ダルフールの外部から、証人を危険に曝さないで、捜査を行った。」「われわれは彼らの話を証拠に変えた。裁判官達は、この証拠の力を確信した。」
 「裁判官は、逮捕状を発行した。領土をもった国家として、スーダン政府は、アーメド
・ハルーンとアリ・コシェイブを逮捕する義務がある。」
 「これは国際刑事裁判所の決定であり、政府はそれを尊重しなければならない」と彼は言う。
 国連によると、ダルフールの紛争は、20万人の死者を出し、200万人の人間を住まいを失った。
 スーダン政府は、この数字に異議を申し立て、死んだのは9千人だけだと言っている。
[訳者の感想]ダルフール紛争については、スーダン政府は国連平和部隊の派遣にも反対で
中国はスーダンとの石油取引には熱心だが、紛争や人権問題については殆ど何も言わないようです。
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「憲法裁判所は、トルコ大統領選挙に対する反対を認める。」と題する『新チューリヒ新聞』の記事。

2007年05月02日 | イスラム問題
トルコ首相の選択は、新たに開かれねばならない。憲法裁判所は、火曜日議会における第一次投票に対する反対派の異議申し立てを承認し、先週金曜日の投票を無効だと宣言した。
レセップ・タイイップ・エルドガン首相は、裁判所の判決後、六月に前倒しされた国会議員選挙が行われるかもしれないと言明した。更にエルドガンは、憲法改正を呼びかけたが、それによると、大統領は将来は、国民によって選挙され、議会によっては選挙されないはずである。
1.政府と軍部の間の権力闘争
反対党の共和制人民党は、その告訴状で、金曜日の投票の際、十分な代議士が出席していなかったと主張した。第一次投票では、決定はまだ下されていなかった。なぜならば、政府の大統領候補者であるアブドラ・ギュルは、選挙に必要な賛成票を得られなかったからである。投票は、トルコの政治のイスラム化を恐れる沢山の反対党議員のボイコットに見舞われたからである。大統領の選挙は、政府と自分を国家の世俗的方向付けの保証人だと考える軍部との間の権力闘争に発展した。エルドガン首相の与党AKPは、イスラム主義運動から生じた。議会の多数関係のせいで、AKPは、誰がセゼール大統領の後任になるかを有利にすることができる。
エルドガン自身は、何十万人ものトルコ人達が、彼の立候補に反対して街頭デモを行った後で、立候補を断念した。ギュル外相を未来の国家元首にすることに対しても、懸念がある。トルコ軍指導部は、先週金曜日に、選挙についての憂慮を述べ、世俗的な国家体制からの逸脱に対して警告した。セミック・シセック法務大臣は、参謀本部の声明を受け入れられないと退けた。
2.欧州会議の憂慮
 ヨーロッパ会議は、「軍隊は兵営に留まるべきである」と大統領選挙への軍部の介入に懸念を表明した。ヨーロッパ会議の事務局長であるテリー・デイヴィスは、「民主制では、軍は民主的に選ばれた政府に服従するものだ」と強調した。
約70万人の人間が、日曜日、新たに宗教と国家との分離を維持することを求めてデモを行い、この国がイスラム主義に逸脱することについての心配を表現した。影響力のある企業家の団体TUSIADは、政府に直ちに前倒しの国会議員選挙を行うように要求した。それというのも、大統領選挙を巡る紛争は、トルコ経済を危機に導こうと脅かしているからである。株式市場の指導的な指標は、月曜日に、6.3%下落したのに、火曜日には更に、2.5%下落した。「トルコは、金曜日に比べるとより貧しい国になった」と経済相のアリ・ババカンはトルコ・テレビに述べた。「今後、われわれの民主主義が健全に機能することが、経済的発展にとって決定的なファクターである。」
[訳者の感想]軍が叛乱を起こすぞと脅したのが効き目があったのか、エルドガン首相はとうとう、国会議員選挙の前倒しに賛成したようです。 
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