海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「人を殺すのは、アリをひねりつぶすようなものだ」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月31日 | イラク問題
ワシントン発:イラクの民間人に対する強姦と殺人の罪で告訴された元陸軍兵士スティーブン・グリーンは、『ワシントン・ポスト』紙の戦争報道記者との対話で、イラクにおける殺人の無関心さを描写した。「人を殺すのは、アリをひねりつぶすようなものだ」と21才の男は言った。このインタービューは、殺人の約1ヶ月前に行われた。「君は誰かを殺す。その後で『さあ、ピザをもってこい』と言うのだ」とグリーンは言った。「僕は監視所で立ち止まらなかった奴を撃った。何も起こらなかったのと同じさ。」
その際、彼はいつもこのような経験は人生を変えると以前には思っていた。「僕は人を殺した。それは『それで今度は』といったようなものだった。」元軍人は、その際肩をすくめた、と『ワシントン・ポスト』紙は書いている。
 グリーンのせいにされたこの事件は、去る三月、バグダッドの南方30キロにあるマームディアの近くで起こった。起訴状によると、グリーンと三人の仲間は、一軒の家に押し入り、家族の4人を殺した。被告は、先ず父親、母親、5才の娘を殺した。その後で、彼ともう一人のGIは、殺された家族の15才の少女を強姦した後、2,3発撃って殺した。アルコールの入った犯人は、そのイラク人の少女の遺体を焼却しようとした。グリーンは後に「人格障害」のかどで陸軍から除隊させられた。
[訳者の感想]ベトナム戦争当時も「ソンミ村」事件のような虐殺行為がありましたが、イラクでもこのような事件はしばしば起きているようです。もともと素質があったのか、戦争の狂気がこのような人間を生み出すのか分かりませんが、人間らしさは失われやすいようです。
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「石油泥棒は、銃殺」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月29日 | 中国の政治・経済・社会
北京発:中国で初めて石油をパイプラインから盗んだ罪で二人が死刑判決を受け、処刑された。四川省最高人民法院は、「石油窃盗団」の首謀者ディン・ハンチンとルオ・シングオの両名に対して死刑判決を申し渡した。中国中部の河南省出身の農民の死刑は、即刻執行された。「われわれがパイプラインから石油を抜き取った石油泥棒を死刑に処したのは初めてである」と昨日中国の日刊紙『法律日報』は書いた。
 8人からなる窃盗団は、新聞の述べるところによると、2003年12月19日に四川省の広元市の近郊に新たに建設されたパイプラインに穴をあけて石油を盗んだ。1250キロメーターあるこのパイプラインは、中国西北部の「生命線」だと思われており、蘭州から四川省の省都である成都を経由して重慶に達している。泥棒たちは、17トンの重油を流しだした。その際、彼らは高圧のかかっているパイプラインを引き裂いた。深さ10数メートルに及んだ重油の池は、そばを走っている道路を遮断し、河川を汚染した。人命に関わる損害はなかった。広元市の中等人民法院は、2004年年末に第一審で最大でも懲役10年に及ぶ窃盗罪ではなくて、「容易に破壊され、爆発の危険があった施設の破壊」を理由に判決を言い渡した。人民法院は、重油に火がついた場合の周囲に及ぼす危険を主張した。そういうわけで、三人に死刑が言い渡された。四川省の最高人民法院は、三人に極刑を言い渡し、五人の共犯者に5年から8年に及ぶ懲役刑を言い渡した。
 エネルギー危機は、石油の輸入に依存している中国にスーダンのような政権に媚びるようにさせたが、国内でも激烈な処置をするようにさせている。人民共和国は、エネルギーの窃盗に死刑を科している。もっとも法的基礎はないのであるが。これまで、石油泥棒は、死刑が求刑される刑法の68の犯罪には属していなかった。北京の保安部は、今年4月に高等人民法院に量刑を増やすように公然と要求した。警察の突然の訴えの背景は、中国の最近の石油価格高騰後に増えた窃盗的セルフサービスである。「石油とガスとはわれわれの近代的な経済の基礎だ。それが安定して供給されることが、経済的発展と国家の社会的安定にとって不可欠である」と公安部副長官であるリウ・ジングオは言った。
 2002年以来、警察は、泥棒がパイプラインや精製所、あるいはタンク車から盗んだ事例は、1万2千件に及んでいる。中国の総延長3万キロに及ぶパイプライン網は、地方では殆ど監視ができない。2002年以来、警察の統計では、9,404人の泥棒が逮捕されている。問題になっているのは、石油パイプに穴を開けるか、自分自身の掘削機を油井に突き刺した単純なヌ民である。盗んだ燃料で、彼らは7,500の非合法の給油所や小型製油所を経営していた。2005年には、2,800人の石油泥棒が逮捕された。盗まれた石油の価値は、145億円に達している。石油泥棒をやっているのは農民だけでなく、「かなり多くの地方では、組織的な窃盗団が背後にいる。いくつかは、地方の役所に保護されている。彼らは地方経済を活性化するために石油泥棒を隠している。(以下省略)
[訳者の感想]『ヴェルト』紙に中国関係の記事をしばしば書いているジョニー・エルリング記者の記事です。日本でも灯油や石油を盗んだ連中がいるようですが、中国だったら死刑ですね。
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「イスラエルは、レバノンでの地上攻勢をためらう」と題するドイツの『ネット新聞』の記事。

2006年07月28日 | 国際政治
イスラエルの国家安全保障閣議は、木曜日、レバノン南部での作戦の拡大に反対意見が出された。軍事作戦の現在の形態で攻勢は適切であるとオルメルト首相はイスラエルのラジオ放送で述べた。
確かに、レバノンでの部隊を交替させるために、補助的な予備役軍人を召集することが決定された。それに先立って、新聞『ハーレツ』は、大臣達は戦略に関して意見が一致しなかったと述べた。
メディアの報道によれば、数人の閣僚は、ヒズボラの牙城であるビント・ジュベイルを巡る戦闘で9人のイスラエル兵が戦死した後で、地上戦の継続に反対の意見を述べた。
政治的な観察者は、陸軍がイスラエル国境に沿ったヒズボラの陣地を攻撃するこれまでの戦術から距離を置いたことを前提している。レバノン北部の攻撃者を押し戻すために、暫定的に安全地帯を構築するほうが、より適切であると思われている。
攻勢の拡大に反対の意見を述べたのは、イスラエル法務相ハイム・ラモンである。「レバノン南部では誰も彼もがテロリストで、ヒズボラと結びついている」と彼は述べた。「ヒズボラに対するわれわれの長所は、われわれの火力であって、一対一の戦闘ではない。」
 エリ・イシャイ・労働相は、「抵抗している場所は、住民に予告した後で、空中から攻撃すべきだ」と述べた。「われわれが彼らを砂箱に変えてしまう前に、ヒズボラが隠れている村村に、足を踏み入れるべきではない。」
イスラエルの新聞『イディオト・アハロノト』は、陸軍はイスラエル北部へ向けてロケットが発射されるレバノン南部の村村を破壊するつもりだと述べた。「このようなヒズボラ村は、消されるべきだ」と名前を出さないである軍人の言葉を引用している。陸軍はこの新聞記事に対して抗議はしていない。
『ハーレツ』紙によると、政府筋では、シリアが攻勢の拡大を自分の領土への攻撃だと誤解するかもしれないとという心配が表明された。
レバノン南部とレバノン東部のベッカー高原にある目標に対する空襲で、少なくとも3人が殺された。イスラエル機の爆弾がベッカー高原のカルクの近くで何台かの車両に命中した際、レバノン人の警官1名と民間人3名が死んだ。
木曜日、ヒズボラのロケットがイスラエル北部の国境にあるキルヤト・シモナの化学工場に命中した。損害の程度については不明である。
前の晩に、イスラエル空軍は、ベイルートの北40キロにあるアムシットのレバノン軍兵営を攻撃した。過激派のヒズボラ民兵は木曜日午後までにイスラエル北部に30発のロケットを撃ちこんだ。陸軍の報道官は、サフェドの近くで少なくとも10発のカチューシャ・ロケットが着弾した。イスラエルのメディアは、攻撃によって、森林火災が起こったと報道した。
[訳者の感想]レバノン紛争はまだまだ収まりそうにありません。
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「停戦の訴えとローマ会議」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月27日 | 国際政治
ローマ発:コンドリーザ・ライス国務長官は、イェルサレムから直接ローマへ飛んできた。悪いニュースが超音速で夜のうちに彼女に追いついた。レバノンの国境地帯で国連の監視団の4人がイスラエルの爆撃で死んだ。ビント・ジュベルでは、イスラエル兵10人がヒズボラとの撃ち合いで死んだ。これは戦争を新たな段階に推し進めるだろうとナスララ師は隠れ家から約束した。停戦のための良い前兆ではない。ローマ会議で最後の可能性だと思われた国際平和部隊にとっては良い前兆ではない。
それゆえ、ローマでは、水曜日にヘリコプターのローターの音が夏空に鳴り響いた。ロマーノ・プロディ首相の招きで、永遠の都は、一日だけ、レバノンという迷宮の首都になった。朝早くから、世界中のジャーナリストたちがイタリア外務省の廊下を埋め尽くした。10時に会議が始まった。午後一時には記者会見で結果が報告される予定であった。しかし、午後2時半になってもそこまで行かなかった。
ライス国務長官からアナン事務総長にいたる15人の立役者が招きに応じた。それどころか、教皇庁のオブザーバーやロシア人やアラビア人やトルコ人もいた。主役二人だけが欠けていた。イスラエルはライス長官が代理を務めていたし、ヒズボラは、もちろん招かれなかった。シリアとイランもいなかった。したがって会議は「花婿のいない結婚式」に似ている。
結局、最後にレバノン大統領フアド・シニオラ、ライス国務長官、イタリア外相ダレマ、コフィ・アナンが合い並んで記者団の前に立った。彼らはまるで埋葬に立ち会っているかのように真面目だった。参観者がローマを去ったとき、彼らは「平和プロセスの仕事を継続するとアナンは言った。だが、次にはシリアとイランが招かれるだろう。ライス国務長官は彼らを「他の国々」と言い表した。この武装対立の後で、「以前の状態」が再現されてはならない。「新たな中東のために、この紛争からその政府があらゆる箇所でやっと「主権」をもったレバノンが出てこなければならない」とライス国務長官は言った。(以下省略)
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「自分たちを無視するのは、危険だとイランが警告」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2006年07月26日 | 国際政治
 昨日、イランは、今日ローマで開かれるレバノンの平和取引で仲介を引き受ける試みは、失敗に終わる運命にあると警告し、イスラエルの軍事力が直ちに抑制されなければ、アラブ世界全体の激しい反発を招くだろうと予言した。
 イランの政府高官は、サミットからイランとシリア、彼らの同盟者であるヒズボラを排除することは、どんな恒久的な安定も可能でないということを意味していると言った。
テヘランの外務省報道官であるハミド・レザ・アセフィは、「彼らが平和を望むなら、シリアとイランを含むこの地域のあらゆる国を招待すべきだった。彼らは、この地域あらゆる国の代表抜きで、どうやってこの重要な問題と取り組むことができるのか」と言った。
 ローマ会議に出席するのは、アメリカ、カナダ、英国、フランス、スペイン、ドイツ、トルコ、ロシア、レバノン、サウディ・アラビア、エジプト、ヨルダンと国連ならびに世界銀行である。可能な取引の広範な概要を決定する文書を公表することになっている。その中には昨日ヒズボラが拒否した国際平和部隊の派遣も含まれている。だが、ローマでの雰囲気は、昨晩イスラエルの空爆がレバノン南部に駐在した国連の監視所に命中し、オーストリア、カナダ、中国ならびにフィンランドの国連監視団のメンバーが死んだことで気まずくなった。コフィ・アナン・国連事務総長は、直ちに、イスラエルが直撃を調査するように要求した。彼は直撃は熟慮の上なされたと言った。
 「イスラエル国防軍が明らかに熟慮の結果、国連の監視所を標的にしたことにショックを受け、それを深く遺憾とする」と国連を巻き込む致命的な出来事について事務総長は述べた。
 紛争が中東全体に広がることを恐れて、サウディ・アラビアのアブドラ国王は、「平和の選択がイスラエルの傲慢の結果失敗すれば、残る選択は戦争である。誰も避けられない紛争においてこの地域が何を目撃するかは神のみぞ知る」と言った。
 トニー・ブレアの報道官は、首相が即時停戦を呼びかけるのに失敗したという批判に直面して、「彼は一週間以上もローマ会議の細部について検討してきた」と述べた。
 昨日行われた『ガーディアン』紙の世論調査に示されたブレアがブッシュと密接な関係にあることに対して広く感じられている不安に答えて、報道官は、世論調査の結果は矛盾していて、英国がブッシュから距離をおくべきだと言いながら、停戦について米国に対する彼の影響を行使すべきだと言っていると述べた。
 停戦、捕虜の交換、新しい国連平和部隊の派遣などが、ローマ会議の取引に含まれる予定である。米国は、レバノンに1982年以来イスラエルが占領しているシェバ農場地域の返還も申し出る用意がある。
 だが、イランは、西欧のどんな努力も、鍵となる国々が締め出されていては、成功しないと主張している。イランの政府高官は、テヘランからの電話で、「イランとシリアは、ヒズボラのスポンサーだからではなくて、この地域の勢力だから平和会議に含まれるべきだ。サウディ・アラビア、ヨルダン、エジプトが含まれるなら、イランとシリアもふくまれるべきだ」と言った。(以下省略)
[訳者の感想]核開発で西欧諸国から非難されているイランが自分の国際的立場を改善するために、この紛争そのものを企てたと言えるのかもしれません。国際紛争にはいろいろ裏があるようです。日本の外務省はいつまでだんまりを決め込むつもりでしょうか。小泉首相の中東訪問はただの修学旅行だったのでしょうか?日本政府には明確な中東政策はないものと思われます。情けない!
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「ヒズボラを巡って、反戦運動分裂」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2006年07月25日 | 国際政治
ベイルート発:彼らは、またやって来た。確かに、ベイルート中心にある殉教者広場に集まったデモ参加者は土曜日にはまだ70人そこそこだった。25人は白い服を着た女性で、40人は黒い服を着た抗議者だ。彼らは黙祷の時間には二週間前のイスラエルの爆撃以来殺された子供達を悼んだ。だが、レバノンに対するイスラエルの継続する空襲によって、ますます多くの人たちが街頭に繰り出すだろう。
 第一次大戦の終わりにオスマン帝国の軍隊によって処刑されたレバノン人の殉教者のための記念碑の周りが、「ベイルートの春」と言われた反シリアの集合場所となったのは、一年半前のことだった。今晩、もっと大きな集会がCNN放送が「レバノン杉革命」と呼んだ抗議運動と結びつくはずである。
 だが、ゼイナ・アル・カリは、参加者の数は2005年の集会の参加者の数に達するとは思わない。「あの当時の大デモを繰り返すというのはすばらしい夢です。でも、多くの人々は家を出るには不安があります」と30才の女性芸術家は言う。「その上、無数のベイルート市民は外国に避難するか市街の背後の山に避難した。」アル・カリは、先週水曜日のイスラエルの空襲に対する最初の抗議デモのオルガナイザーだった。約300人の若いレバノン人男女は、殉教者広場にある国連の司令部から、港に接している欧州連合の代表部まで行進した。
 デモ参加者は、「グッチ革命」とからかわれたシリアの占領軍に対する去年の反乱の参加者よりももっと色とりどりの服装をしていた。殉教者広場からキリスト教徒が居住しているゲマイゼ地区のヨーロッパ風の喫茶店までは、歩いて5分しかかからない。レバノンで「独立闘争」と呼ばれた抗議デモの参加者のかなりの人たちは、演説や歌の間にカプチーノ・コーヒーを煽り、その後で日常の仕事に戻った。
 約50あるNGOは、「命のために」という名称の下に連合した。彼らの最大の目標は、「即時停戦」である。「私達は、国際社会を動かして、できるだけ早く集中して人道の危機に反応してもらいたいの」とアル・カリは言う。
 イスラエル軍とシーア派民兵組織「ヒズボラ」との間の軍事的紛争が始まって以来、彼女は、ベイルートへ避難して来た難民の援助のために努力している。www.beirutupdate.blogpost.comで、彼女は戦争日記をつけている。「私は9.11のテロの際、ニューヨークにいた。テロ攻撃から二ヶ月たったニューヨークは、今日のベイルートと同じ臭いがした。」
 彼女の芸術家生活において、アル・カリは、いつも1975年から1990年までの内戦を題材にした。「将来は、私は花しか描かないだろうと思うわ」と彼女は笑う。流血のレバノン内戦が終わって15年たって普通の安定した社会秩序の中にいるという夢は、終わった。恐らく若いデモ参加者にとって主たる動機の一つは、戦争が早く終わって彼らの願望を街頭に実現することである。
 先週水曜日の最初のデモの際、裂け目は明らかであった。アル・カリは、NGO連合体の「命のために」と一緒に国連司令部から欧州連合代表部まで歩いたが、50人の同調者は、再建された歴史的な中心部の上のほうに置かれている国連司令部の前に留まった。イスラエル領内の砲撃停止を彼らは間違っていると考えた。なせならば、武装抵抗に対するヒズボラの権利は神聖であるからだ。
 彼のレバノン人の妻と同様、「フランス・レバノン技術大学センター」で若い技術者を教えているチエリー・レヴィ・タジネは、この分裂を「典型的にレバノン的」だと見なす。この夫婦は、ヒズボラ同調者のところに留まった。レヴィ・タジネが書いたビラを読むと、その理由がわかる。「最近の出来事は、イスラエル首相オルメルトがファシストであることを明らかにした。彼はそれよりももっと悪い戦争指導者だ。なぜならば、彼は平和には時があり、戦争にも時があることを知らないからだ。」
 ヒズボラによるイスラエル人の砲撃については一言も書かれていない。これでは、ヒズボラに批判的な「命のために」と同盟者になるわけには行かない。
[訳者の感想]フランス人がヒズボラを支持し、レバノン人がヒズボラにもロッケット砲撃をやめろといっているのが面白いと思いました。
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「イスラエル兵、ヒズボラの戦術をほめる」と題する『アルジャジーラ・テレビ』局の記事。

2006年07月24日 | 国際政治
 彼らは、その兵士が死を恐れない、知的で良く準備された無慈悲なゲリラと戦っていたと言う。
 「奴らを負かすことは難しい。奴らは何も恐れない」と一人の兵士は言った。
兵士達は、家屋と家屋の間の撃ち合いや村の道での撃ち合いを描写し、ヒズボラの兵士が茂みから飛び出してきてカラシュニコフ銃を発射したり、ロケット推進式の迫撃砲や対戦車砲を撃つ様を描き出した。
 イスラエル軍のコメントは、ヒスボラを無力にしようとする際に、イスラエルが直面する巨大な挑戦を裏書している。
 既に少なくとも380人のレバノン人を殺したイスラエルの巨大な火力にもかかわらず、何人かの軍事アナリストたちは、戦争は特にイスラエルに都合よくは行っていないと言う。
 イスラエルは、ゲリラを十分押し戻したり、彼らのロケットがイスラエル北部に打ち込まれ、死傷者を引き起こすのを止めることができない。
 過去数日の間に、イスラエルは、国境から500メートル入ったレバノン南部の小さな村落であるマルーン・アル・ラスを制圧しようと戦った。
 軍当局は、軍が村を制圧したと言ったが、日曜日にはまだ銃撃や砲撃による爆発が聞かれた。
 現場の将校は、まだ戦闘が続いていると認めた。「彼らはわれわれが予想したような仕方で戦わない。彼らは予想よりもずっと激しく戦った。彼らは自分自身の土地でうまく戦っている。」
 一人の兵士は、「オリーブ・グリーンの服を着たゲリラ兵は、自分たちを混乱させる」と言った。なぜならば、イスラエル兵も同じ色の服を着ているからである。
他の兵士によると、ヒズボラ兵は、地下壕に潜み、安全だと分かるとそこから出てきて戦闘する。
 イスラエル軍は、地下壕からは離れ、誘導ミサイルが破壊するように兵力を調整する。
「彼らを打ち負かすには一夏かかる」とミカエル・シドレンコは言った。
「奴らは正規兵ではなく、ゲリラだ。奴らは頭がいい。」
 シドレンコは、ヒズボラ兵がレバノンの民間人の背後から銃を撃つのを見た。「それがわれわれの兵士が撃たれる理由だ。」
 戦闘が始まってから、殺された19人のイスラエル兵士のうち、5人は、マルーン・アル・ラスを制圧しようとして死んだ。
 兵隊の死を避けるために、イスラエル軍は、その地上での侵入を国境に近いピンポイントの作戦に限定することに決定した。
 だが、軍事アナリストによれば、この戦術は、ヒズボラを押し戻し、イスラエルを攻撃する能力を破壊するというイスラエルの目標を達成するには不十分である。
 ヒズボラをすごいと記述する兵士ばかりではない。一人の兵士は、「イスラエル軍が戦闘車に乗って現れると、ゲリラは、ひよこのように逃げた」と言う。
 他の兵士達は、ヒズボラが、なぜマルーン・アル・ラスのある丘のふもとにいた二ダースあまりの戦闘車両と数百人のイスラエル兵士を攻撃しなかったか不思議がっている。
 大抵の兵士は、ゲリラがむしろ彼らのロケットをハイファのような主要なイスラエルの都市にねらいを定めていたと思っている。
 兵士達は、ヒズボラが、イスラエル兵が戦車や装甲車でマルーン・アル・ラスに近づいたとき、彼らを攻撃するのを控えたと言う。むしろ彼らはイスラエルの部隊が村落に到着するのを待ってから、攻撃を開始した。
 戦闘は、ゲリラがイスラエルが2000年にレバノンから撤退してから、地下壕を掘り、武器を蓄え、戦術を研究するのに6年かかったことを示している。
「彼らはわれわれがどこにいるか、われわれが何をしているか、どのような種類の武器をわれわれが持っているか良く知っている」とシドレンコは言う。「だが今戦うほうが後で彼らがもっと強くなってから戦うのよりましだ。」
[訳者の感想]アルジャジーラ・テレビは、この記事を書くのに、イスラエル側に入り込んで取材しているようです。立派な記者魂と言うよりありません。アルジャジーラ記者の取材を認めたイスラエル軍の態度もたいしたものだと思います。
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「長引く植民地戦争」と題するタリク・アリの論説。

2006年07月23日 | 国際政治
 1967年の6日戦争の後で行われた彼の最後のインタビューで歴史家のアイザック・ドイッチャーは、次のように言った。「アラブ諸国に対するイスラエルの戦争を正当化したり、大目に見ることは、イスラエルに対して非常に悪いサービスをすることであり、その長期的な国益を損なうことだ。」イスラエルとプロシャとを比較しながら、「ドイツ人たちは彼ら自身の苦い経験を『勝ったために死ぬこともある』と表現した。」
 今日、イスラエルの行為において、われわれは傲慢のいくつかの要素を探知する。つまり、帝国の傲慢、現実の歪曲、その軍事的優位を意識していること、弱い国の社会基盤を破壊する際の自己正当化、人種的に自分たちが優れているという信念などである。「ガザやレバノンにおける民間人の生命の喪失は、たった一人のイスラエル兵士の死ほどは問題にならないのだ。この点で、イスラエルの行動は、アメリカによって、正当だと認められている。
 ガザに対する攻勢は、選挙に勝ったという理由でハマスを破壊するように計画されている。ガザにいた「国際社会」は、集団的な処罰を蒙った。無辜の人々が死につづけている。このことはG8のメンバーにとっては、なんでもない。何もなされなかったのだ。
 イスラエルの無謀さは、アメリカ政府によって承認されている。この場合、彼らの利害は一致している。彼らはヨルダンを手本にしてレバノンをイスラエルとアメリカの保護国にすることで、シリアを孤立化し、転覆したいと思っている。彼らは、これがレバノンのもともとのデザインだと主張している。現在のレバノンは、大部分フランス殖民地主義の人工的な産物だ。少数派のマロン派キリスト教徒によって支配された地域を形成するために、それはシリアから切り取られた。
 この国の信者の分布は、一度も正確に人口統計に記載されたことがない。そのわけは、多数派モスレムが政治的システムにおいて正当に代表されることを恐れたためである。パレスチナ人難民の苦境によって高まった宗派的緊張は、1970年代に内戦に発展し、アメリカの暗黙の承認のもとで、シリア軍の介入を招いた。
 レバノン首相ラフィック・ハリリの暗殺は、シリア軍の撤退を要求する中産階級による巨大なデモを引き起こし、西欧の援助組織は、「レバノン杉革命」の進行を助けにやってきた。ワシントンとパリに後援されて、シリアは撤退し、ベイルートに弱い政府ができた。だが、レバノンの諸派は、羽を広げたままだった。(シリア寄りの)ヒスボラは、武装解除されなかった。
 私が5月にベイルートにいたとき、イスラエル軍がレバノンに侵入して、パレスチナ人の集団出身の二人の「テロリスト」を殺した。パレスチナ人のグループは、ロケット砲で応戦した。イスラエルは、国境近くの村と司令部に50発の爆弾を投下した。
 最近のイスラエルの攻勢は、敵の城を取るように計画されている。それは成功するだろうか?長引く植民地戦争が控えている。なぜならば、ヒズボラは、ハマスと同様、大衆の支持を得ている。アラブ世界は、その力を植民地占領軍に抵抗する「自由の戦士」だと見なしている。
イスラエルの収容所には、9千人のパレスチナ人政治犯が収容されている。それがイスラエル軍兵士がつかまる理由なのだ。結果として囚人の交換が行われる。イスラエルの最近の攻勢を根拠にしてシリアとイランを非難することは、軽薄である。パレスチナ問題が解決され、イラクの占領が終わるまで、この地域には平和はないだろう。「国連」がヒズボラを抑え、イスラエルを抑えないというのは、馬鹿げた考え方だ。
[訳者の感想]レバノン紛争についてアラブ側の意見を聞いてみたいと思って訳しました。
タリク・アリは、小説家、歴史家、評論家、映画製作者で、『ガーディアン』紙以外にもよく寄稿しているようです。
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「シリアは、火遊びをしている」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年07月22日 | 国際政治
フアド・シニオラ・レバノン首相は、新たな中東紛争の即時停戦を要求し、板ばさみの国のために「包括的な解決」を助けるように国際社会に呼びかけた。
一見すると、パラドックスである。レバノン南部とベイルートの住民が苦しんでいるイスラエルの軍事攻撃は、包括的解決の前提を作り出すかもしれない。なぜならば、ヒズボラが国家の中の国家として、その主たる目標がイスラエルを消すことである独自の外交政策を押し進めることができたので、レバノンは意思に反して戦争に巻き込まれたからである。
シニオラ自身は、はっきりとヒズボラとそのテロリズムとは距離を置いていた。イスラエルがヒズボラ民兵を一時的にでもイスラエル国境の近くから追放し、現時的に決定的に弱体化させるのに成功すれば、レバノン政府軍も国連平和部隊も到達できない目標に到達しただろう。目下の国民の苦しみに関しては無情に響くかもしれないが。
それゆえ、停戦への国際的な呼びかけが比較的湿り勝ちなのは偶然ではない。過去の経験が示しているのは、中東における一時的解決は遅かれ早かれ新たな紛争あるいは戦争に導くということである。
この確信は、イスラエルの強硬な軍事力投入の背景にあるだけでなく、アラブ穏健派の政権もそう思っている。エジプト、ヨルダン、サウディ・アラビアがヒズボラの攻撃とイスラエル兵士の誘拐とを非難したということは、その事実を物語っている。
というわけは、テヘランにそそのかされたハマスとヒズボラのようなイスラム過激派は、アラブ世界ではあまり民主的ではない穏健派の政権を脅した。その際、レバノンに対して影響力をもつシリアは、火遊びをしている。そのエリートが若いアサド大統領を先頭にアラウイ派の少数派から選ばれているシリアの政権は、ヒズボラとハマスの戦士を自分の目的のためにひきつけることができると思っている。だが、中東におけるイスラム主義者の勝利は、シリアのバース党のシステムをも非常な困難にもたらすだろう。
[訳者の感想]最後の箇所は、シリア・バース党が世俗主義を取っているから、「困難に陥る」と言っているのだろうと思います。この記事は昨日の『ガーディアン』紙の記事に比べるとヒズボラやハマスに対して批判的な記事です。その根拠は、ヒズボラもハマスもイスラエルに対してテロを行ってきたという事実にあるようです。ドイツの新聞は大体イスラエル批判については非常に慎重です。『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は中道保守だと思っていたのですが、アラブ諸国に対してはかなり批判的だと言えると思います。
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「ヒズボラは、どのアラブの政府よりもより多くのことをわれわれにしてくれる」

2006年07月21日 | 国際政治
 彼の顔は、ベイルートにある1万2千人のパレスチナ難民を収容するサブラとシャティア難民収容所に貼られたポスターから微笑みかけている。レバノンのシーア派民兵の指導者ハサン・ナスララーを批判する人を見出すことは、絶望的な試みである。
 先週、イスラエル領内に侵入し、二人のイスラエル兵を誘拐する攻撃を仕掛けたこの男は、イスラエルの報復がどれほどの損害を引き起こそうと、英雄である。
「ヒズボラは、どのアラブの政府がしたよりも多くのことをパレスチナ人にしている。彼がイスラエルに抵抗すると言ったら、彼はそれを実行するのだ」と小さな理髪店を経営しているムハマド・ハッサンは言う。「彼がこんな技術を持っているとは、私たちは知らなかった。特にイスラエルの軍艦を砲撃する能力があるなんて、素晴らしい驚きだ。」
 ヒズボラの指導者に対する彼の熱狂は、盲目的でもないし、無条件でもない。一人の客が、ハサンの意見に賛成して頷いた。「それは注意をガザからレバノンにそらせた。いまや誰もがレバノンに焦点を当てている。」ちょっと間をおいて、彼は付け加えた。「
ヒズボラが待つべきだったかどうかは分からないが、それはイスラエルのガザに対する圧力を少なくした。ヒズボラは、ガザに息つく暇を与えようとしたのかもしれない。」客が割り込んだ。「今や戦線が二つあるのだ。」
 サブラとシャティアは、1982年にニュースの見出しになった。当時、イスラエル軍は、レバノン侵攻の間、キャンプを包囲し、キリスト教徒の民兵が非武装のパレスチナ人を虐殺するのを許した。少なくとも700人が、ひょっとしたら3500人が虐殺された。それはあるイスラエルの調査によると、当時国防相だったアリエル・シャロンが個人的に責任がある残虐行為である。
 約40万人のパレスチナ人がレバノンに住んでいる。それは人口の10分の1を占めている。イスラエルの現在の猛攻撃が国連の救援機関に登録された12のキャンプのどれをも特に標的としなかったけれども、パレスチナ人はレバノン人と同じぐらい被害を蒙っている。
 キャンプの多くは、レバノン南部にあり、三つはチュロスの港にくっついており、二つはシドンに近く、四つはベイルート南郊にある。シーア派住民の居住区にイスラエルは、先週、何トンという爆弾を投下した。
 シャティリアの狭い街路で大抵の住民は、貧困のため、どこへも避難することができない。700人以上の人たちは、毎晩、爆弾を避けるために、未完成の学校の建物のほこりっぽい地下室に入った。僅かな明かりが闇を照らし、コンクリートの床に敷かれたマットレスとカーペットを浮かび上がらせている。
 パレスチナ人キャンプで働いている女性の権利のためのNGOである「ナジデー」のボランティアであるノハドは、言う。「現在の危機の前には、ヒズボラに対する多くの批判があったが、人々がヒズボラのことをイデオロギー的にどう考えようと、それが敵を弱めているのは確かです。ヒズボラは、敵が主張するほどは強くはないということを証明しています。ヒズボラは、パレスチナ人のために何かをしている唯一のグループなのです。」
[訳者の感想]ヒスボラの民兵がレバノンにいるパレスチナ人の間に大きな支持者をもっていうことが分かります。ガザ地区とレバノン南部との両面作戦ではイスラエルも大変でしょう。アメリカ政府は、一月ぐらいはイスラエルの好き勝手にさせようと思っているようですが、この紛争そう簡単には収束しないような気がします。ヒズボラの民兵のほうがハマスよりも強力な武器を沢山持っているようです。それにしてもヒズボラの戦略を説明して見せるパレスチナ人の床屋さんの軍事的感覚には驚きます。
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「イスラエルとヒズボラは、攻撃を継続」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2006年07月19日 | 国際政治
国際的な仲介の試みにも関わらず、中東の流血の紛争は続いている。イスラエルとシーア派民兵ヒズボラは、火曜日も攻撃を続けた。レバノン領内の軍事施設や民間の施設に対するイスラエルの空爆の際、22人が死亡した。イスラエル北部の町々にはまたもや一ダースほどのロケット弾が打ち込まれた。
イスラエル空軍は、ヒズボラの拠点だけでなく、レバノン南部のレバノン軍の兵営も攻撃した。少なくとも11名の兵士が死に、数十人が負傷した。イスラエルは、過去数日間に大きく破壊され、閉鎖されたベイルート空港を砲撃した。7日前からのイスラエル軍の攻勢で、これまでに237人のレバノン人が死んだが、そのうちの210人は、民間人である。
コフィ・アナン国連事務総長は、ブリュッセルで安定部隊をレバノン南部に送る計画を立てた。これらの計画は、緩衝装置としては、目下2000名の兵士を抱える国連の視察団よりは、明らかに大きくなるはずである。
一万人を超えるレバノン難民にとって状況はますますドラマティックになっているが、数千人の外国人は、国外に脱出した。その中には数百人のドイツ人がいる。ヘリコプターや軍艦、客船がそれらの人たちを安全な場所に運んだ。
イスラエル北部の港湾都市ハイファと隣接地へのロケット攻撃では、誰も負傷したものはいない。イスラエルのラジオ放送によると、イスラエル北部のナハリアでは、数発のロケット弾が着弾したが、爆発しなかった。
イスラエル軍の発表によると、これまでに、700発のヒズボラ軍のロケット弾がイスラエルに打ち込まれ、12人の民間人が殺された。ヒズボラは、7月12日に二人のイスラエル兵士を誘拐したが、それがイスラエルの大規模の軍事攻勢を引き起こした。
国連の仲介使節団は、イスラエルのジッピ・リブニ外相と可能な戦闘停止について協議した。リブニ外相は、第一回の会談後、イランとシリアがヒズボラに対する武器供給を防ぐように要求した。月曜日、ベイルート駐在の国連仲介団は、レバノン政府の代表と会っていた。リブニ・イスラエル外相は、政府は軍事攻勢と平行して、外交的プロセスを始めたと述べた。(以下省略)
[訳者の感想]ようやくイスラエルとレバノンとの紛争を調停しようという動きが出てきたようです。
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「無力な陰の操り手」と題する『南ドイツ新聞』の記事。

2006年07月18日 | 国際政治
昨年レバノンからシリア軍が撤退するまで、シーア派のヒズボラ運動はシリアとイラクに密接に結びついていた。イデオロギー的にも、世俗的な日常の決定においても。それ以来、ヒズボラの羅針盤はますますテヘランの方に向いていた。なぜなら、シリアは、西欧からの圧力とイスラエルの空爆を恐れて、アメリカ政府によってテロリストだと刻印されたヒズボラとの協力をあからさまにすることに関心がなかった。
それどころか、シリア政府は、最近数ヶ月、密かにシリアの港湾を経由するイラク北部のアメリカ軍の後方支援の輸送を許可していた。それによって、バシャール・アサド大統領の顔に吹き付けていた強風がゆっくりと弱められた。
紛争に巻き込まれないこと、これが、ガザ地区とイスラエル北部の戦火が勃発したとき、シリア人が保持しようとした原則である。彼らがこれを維持できるかどうかは、確かではない。
というのも、この全地域におけるイランの立場にとって、シリアは、前哨となっているからである。まさに現在、シリアは重要である。なぜなら、イランは核開発を巡って西欧の安全保障を取り付けようとしているからである。
シリアとヒズボラとは、テヘランが簡単に手放せないカードである。核問題におけるイランの交渉者であるアリ・ラリジャニは、レバノンでの戦闘の開始の後、急いでダマスカスへ旅行した。
アフマディネジャド・イラン大統領は、イスラエルがシリアを攻撃した場合、手をこまねいていないぞと警告した。だが、緊急時に、以前の紛争に際してアラブ系の元首達がそうだったように、大言壮語に終わらないために、彼に何ができるだろうか?彼の軍隊は、イスラエルを射程距離に入れる1300キロの中距離ミサイルを持っている。
だが、イラン人たちは、信頼できる情報によると、そのミサイルの数は10発以下だと言われる。特に数年は、核弾頭や他の大量破壊兵器を取り付けることはできない。その誘導システムは大部分、テストされておらず、目標への正確さは不確かだ。
古臭くなった空軍は、殆ど機能しない。地上の作戦には、長距離輸送の能力が欠けている。特にイランとシリアの間の国際的国境の故に殆ど考えられない。イスラエルの敵であるアフマディネジャド大統領がそれを越えて活動したいと思っている赤いラインは、ガザにある。
イランがこの地域でなしうることを、ヒズボラがイラン製のロケットをイスラエルの軍艦めがけて打ち込んだときに示した。この地域では、イラン人は、武器庫を開発し、世界市場で買った。
彼らは、海面すれすれに飛行するミサイルと小型潜水艦をかなりの数持っている。それはロシアの「シュクワル」型ミサイルの真似である。
ペルシャ湾にいるアメリカ艦隊にとっては、これらの武器は危険であり、ホルムズ海峡を通る国際的な航行にとっては、使用されれば、致命的かもしれない。
これに対して、スンニー派のアラブ人がよく口にする地中海からペルシャ湾に到るイランの権力道具として「シーア派の弧」というのは、戦略上の詩に過ぎない。
シーア派は、レバノンでは人口の40%を占めるが、シリアでは、アサド大統領が属するアラウイ派に支配されている。できかかっている新生イラクやスンニー派の首長に支配されたバーレーン、サウディ・アラビアのハッサ地方では圧倒的にシーア派住民が多い。これらの民族集団のどれもテヘランによって命令される用意はできていない。
[訳者の感想]イスラエルの軍事的な優勢にたいして手も足も出ないイスラム諸国の不甲斐無さが暴露されていますが、シリアやイランも大したことはできないだろうというのがこの記事を書いたルドルフ・ヒメリ氏の判断だと思います。彼は「ドイツ・マーシャル基金」の研究員だそうです。
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「ヒズボラ、イスラエルに宣戦布告」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月15日 | 国際政治
ベイルート発:ヒズボラの指導者であるハッサン・ナスララーは、イスラエルに公然たる「宣戦布告」をした。このことをシーア派民兵の指導者は金曜日晩に記者会見で述べた。
イスラム過激派のヒズボラ(神の党)民兵の述べるところでは、レバノン領海に入ったイスラエル海軍の軍艦を砲撃した。ヒズボラ党首のハッサン・ナスララーは、彼の運動の放送でヒズボラは軍艦を撃破したと述べた。
イスラエル軍の裏付けはまだ取れていない。「イスラエル政府が公然たる戦争をしたいのなら、戦争をすることになるぞ」とナスララーは、演説で脅した。「われわれの国民を砲撃した軍艦は、その乗組員と一緒に炎上中である。」
 イスラエル空軍は、レバノンのヒズボラ関係者によると、ベイルートにあるヒズボラの司令部を破壊した。指導者ハッサン・ナスララーの事務所と住居に爆弾が命中したと民兵は伝えた。ナスララーと彼の家族は無事であった。他の人が被害を受けたかどうかは、目下不明である。
五回の爆発が、昨日夕方、ヒズボラの司令部があるベイルートのハレト・フレイク地区を揺さぶった。市街の上空には煙の雲が見える。
 レバノンの目標に対するイスラエルの新たな攻撃の際、少なくとも5人が死亡し、65人が負傷した。過激派のシーア派に属するヒズボラの民兵は再びイスラエル北部をカチューシャ・ロケットで砲撃した。紛争の拡大が国際的に憂慮されている。ニューヨークの国連安保理は、緊急理事会を開いた。
24時間以内に、イスラエル空軍機は、5回にわたってベイルート国際空港を攻撃した。その際、滑走路、燃料タンク、格納庫に命中した。ベイルート市南部のシーア派住民の居住地区やレバノン東部のパレスチナ過激派の陣地も空爆の標的とされた。午前中には、レバノンでは、重要な社会基盤が損害を蒙った。その中にはシリアのダマサカスへ行く道路、二つの発電所、いくつかの橋が含まれている。
ヒズボラの民兵は、新たにイスラエル北部に対してカチューシャ・ロケットと迫撃砲を発射した。その際、一ダースほどの人間が軽傷を負った。イスラエル軍当局の報道では、イスラエルとレバノン国境での敵対行動が二日前に始まって以来、少なくとも700発の砲弾が、イスラエル領内に着弾した。木曜日には、イスラエルの民間人二人が殺された。それどころかイスラエルのハイファ港もロケット攻撃を受けた。
[訳者の感想]小泉首相がパレスチナ訪問している最中にイスラエルとアラブ諸国との対立は激化して、この先、どのようにした収束させるのか見通しが立たないようです。発端はパレスチナのハマスがイスラエル兵士を誘拐したことにあるようですが。

 
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「21世紀の運命的問題とその分析」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年07月14日 | 国際政治
セント・ペテルスブルグにおけるG8諸国の政府首脳のサミットでは、特に、エネルギー確保が問題となる。どうしたら石油と天然ガスという有限な資源を平和的に配分することができるかという問題である。
 この問いに対する答えは、二一世紀の世界秩序を決定的に形作るだろう。その際、問題となるのは、工業国の石油と天然ガス依存に対する代替を再生可能なエネルギーや綺麗な石炭を開発することによって、促進し、エネルギー経済と資源の豊かな国との国際的なビジネス関係を促進することだけではない。先進国や開発途上国の社会や産業は、見渡せる時間内では、化石エネルギーに依存している。それゆえ、エネルギー生産とエネルギー輸送の安全は、外交上、安全保障上の問題である。地球上のエネルギー資源の70%は、アフリカや中東やロシアや中央アジアなどの不安定な国々にあり、大部分、ユーラシアの危機弧を経て西欧市場へと供給される。中国の外交政策と安全保障政策は優先的にその爆発的なエネルギー需要の確保に奉仕している。インドのエネルギー問題も急速である。世界最大の天然ガス保有量をもつロシアは、その近隣諸国であるウクライナとグルジャの安定化と世界への統合を妨げるために、エネルギー経済上の依存を政治的道具として利用している。イランは、ロシアに次ぐ世界第二の石油と天然ガス資源を所有している。中国・ロシア・中央アジア諸国の協力のための上海機構にインドとイランはオブザーバーとして出席しているが、それは西欧世界に対してエネルギー政策上の対抗策を築こうとしている。
 米国は、確かに世界最大のエネルギー消費国であるが、世界中の国民総生産額の25%を占めていて、海上経由の安全な輸送を保障している。したがって、米国は、世界の石油市場が機能するために不可欠の安全保障を行っている。米国は当面、機能している石油市場を軍事的に確保できる唯一の国である。
 グローバルなエネルギー確保に対するドイツの貢献は、さまざまな要素をもたなければならない。
第一に、エネルギー供給国を多様化することによって、わずかな供給国への依存度を減らさなければならない。ドイツは、ロシアに依存している天然ガス輸入量の40%を減らすために、政治的支援を通じて、カスピ海経由でカザフスタンとトルクメニスタンに到る直接的なエネルギー供給を得ることが大切である。それと並んで、アルジェリアとナイジェリアとのエネルギー関係が築かれるかれるかもしれない。地域社会資本への西欧諸国の投資と技術的ノウハウの伝達によって、エネルギー確保政策は、開発政策でもある。
第二に、市場経済法則によって機能するグローバルな石油と天然ガス市場を作り出すように努力すべきである。その限りでは、中国に販売市場を見出そうとするロシアの努力は、市場に対して公平な態度である。他方、ロシアの国営コンツェルン「ガスプロム」がドイツの配分ネットワークに参加するならば、ロシアもトランスネフトというロシアの国営の配分ネットに西欧が参加するのを許可しなければならない。
第三に、いろいろな籠を用いてエネルギー確保の外交政策的安全保障政策的含意を共同で解決するために、多国間方式がすべてのエネルギー生産国とエネルギー消費国が代表されるグローバルな提携関係として確立されなければならないだろう。
[訳者の感想]ペテルスブルグで開かれるG8のサミットでエネルギー問題のグローバルな解決が最重要課題とするイエルク・ヒンメルライヒ記者の記事です。ドイツのエネルギー政策を日本も学ぶべきではないでしょうか。
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ミーシュコフスカ著『ホロコーストの子供達の母』の書評。

2006年07月13日 | 差別と格差
オスカー・シンドラーは、1990年代にスティーヴン・スピールバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』で広く公衆に知られるようになった。このドイツ人企業家は、第二次大戦中に1300人のユダヤ人を「強制労働者」として自分の工場で「戦略物資」を生産させるという名目で、収容所送りになる前に救った。これまで殆ど知られていなかったのは、ワルシャワのゲットーから2500人のユダヤ人の子供を救い出したポーランド人の看護婦イレーナ・センドラーである。睡眠薬を飲ませて、袋や箱に詰められた子供達は、地下室や排水溝を通ってゲットーの外へと運ばれた。ソーシャル・ワーカーであったセンドラーが沢山の人的接触のお蔭で作成できた偽の証明書で子供達には別の身分証明書が作られた。彼らは養い親や僧院や孤児院に新しい家庭を見つけた。逮捕後、拷問を受けたにも関わらず彼女は庇護者の名前を明かさなかった。彼女は、戦後に家族とのつながりを容易にするために、子供達の正確なデータを隠した。
 イレーナ・センドラーによって救われた子供の一人に、1934年生まれで、現在、ポーランド科学アカデミーの文学研究所教授のミハイル・グロヴィンスキーがいる。イレーナ・センドラーが1989年以後に初めて公に認められた非常に有名な人物になったという事実は、グロヴィンスキーを最近の歴史、特に共産主義ポーランドにおける反ユダヤ主義の歴史の確認へと導いた。「英雄のリストには、単に左派に属していたが、共産主義というイデオロギー的ユートピアからはずっと離れていたこの女性の場所はなかったのです。」その上、「戦争直後の数年以来、ポーランド人民共和国では、何らかの仕方でユダヤ人とかかわりのある一切は、微妙で危険なテーマで、それについて人々は黙っているほうがよかったのです。」ミヒャエル・グロヴィンスキーは言う。「アンナ・ミーシュコフスカのこの著書は、驚嘆すべき、信じられぬほど勇気があり、犠牲を恐れない女性達だったイレーナ・センドラーとその助力者に対する賛美です。」
[訳者の感想]ユダヤ人の子供達をワルシャワのゲットーから救ったセンドラーの話は、はじめて聞きました。これは次のドイツ語版に対する書評です。センドラーという名前から彼女はドイツ人を先祖に持つポーランド人ではないかと思います。
Anna Mieszkowska:"Die Mutter der Holocaust-Kinder. Irena Sendler und die geretteten Kinder aus dem Warschauer Ghetto.”Aus dem Polnischen von Urszula Usakowska-Wolff und Manfred Wollff. Deutsche Verlags-Anstalt.München, 2006.319 S.,22,90Euro.
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