海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「薄熙来スキャンダルは、中国の政治システムについて何を語っているか?」と題する論説。

2012年07月26日 | 中国の政治・経済・社会
 薄熙来事件は公式の解釈では、「薄熙来は法を破った、それ以上でもそれ以下でもない」というものだ。
しかし、公式説を除くと、すべての他解釈は、第18回党大会の助走となる権力闘争だという点では一致している。
 中国観察者たちは、中国の指導者の移行が、形式化され、制度化されているかどうかという点では意見が分かれていた。われわれが制度化をある過程をコントロールする公式的、または非公式的規則を打ち立てることだと理解するなら、新しい指導者を選抜する過程は、制度化されておらず、指導層自身がそれを変更するということが分かる。江沢民から胡錦濤への移動や現在の胡錦濤から習近平への移動は、派閥闘争で汚されている。江沢民は、胡錦濤に対して支配権を譲り、胡錦濤は10年も経って、習近平にそれを譲ろうとしている。この過程はもっと無秩序になる可能性があった。こう見ると、薄熙来の除去によって、集団指導はその存在への脅威を取り除いたと言えるかもしれない。
 しかし、薄熙来事件は、私の意見では、中国の政治システムにおける基本的な問題に光を当てるように思われる。それは現在の指導層の機構の中で取り組むにはあまりに困難な改革を必要としている。
 中国では去りつつある指導者たちが、登場する指導者を決定する。この方向は、常に妥協の結果である。私の意見では、薄熙来の性格や政策は、中国が現在直面している根本的問題に対してだけでなく、中国をどのように統治するかという問題に対して、決定的なアプローチを見たいと思っている人たちに訴えるものであった。だから、薄熙来の台頭は、中国の問題に対する現在の指導層の漸次的アプローチに挑戦するものであった。それだけでなく、それは集団指導という制度に対する挑戦であった。それゆえ、このエピソードは、単に指導をめぐる闘争以上のものを意味している。(中略)
胡錦濤は、9人の中央委員会によってなされた決定に従属していた。これは習近平になっても変わらないだろう。
 薄熙来のカリスマと彼が重慶で行った政策は、政治に対して次第にシニカルになった中国の公衆にアッピールした。彼のやり方は、9人の政治局常務委員のドライなテクノクラート的統治からの変更を約束していた。(中略)
 薄熙来事件は、あまりに個人的なイニシャティブは危険であり得るということを示した。改革がなければ、権力は常に抑圧によって維持される。もう一つの選択肢である体制内の改革と抑圧は、現指導部においては、推進力である。新しい指導部がどちらの道を取るかは全く不確実である。(終わり)
[訳者の感想]これは、コペンハーゲンにある「北欧アジア問題研究所」のサイトに書かれていた論説です。著者はクリスチャン・ゲーベルというドイツ人のようです。原文は英文です。薄熙来が中国の公衆の一部にとって大きなカリスマだったというのが果たしてどこまで事実なのか私には分かりませんが、ちょっと面白い論説なので訳してみました。
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「イスラム主義の波、断ち切れた」と題する『ニューヨーク・タイムズ』の記事。

2012年07月10日 | イスラム問題
今回は翻訳ではなくてダイジェストにしました。
 日曜日に行われたリビアの国会議員選挙では、「モスレム同胞団」の候補ではなくて、マームード・ジブリルを支持する連合政党の候補者数が最大多数をしめた。ジブリルを支持する政党の得票数が「モスレム同胞団」が支持する候補者数を上回ったということは、リビヤの政局の次の段階でもっと重要な声となるだろう。
 2週間前に始まった選挙運動では、リビアの選挙民のイデオロギー的路線は曖昧なままであった。多くの選挙民は、部族的・家族的・コミュニティ的結合に彼らの投票を導かせるという筋書きを承認した。イスラム主義者たちは、ジブリル氏の連合を「リベラル」あるいは「世俗的」であると描こうとした。
 他のアラブ諸国のイスラム主義に反対する人たちとは違って、ジブリル氏は、一度も、イスラム法の適用を要求する人々を過激派だとは呼ばなかった。イスラム主義者を含む他の党派と同様、ジブリル氏は、イスラム法を立法の主たる源泉にするが、唯一の源泉にはしないと主張した。ここには、「モスレム同胞団」のような新興の集団が何をしようとしているかを確信できないリビア選挙民の考え方が反映されている。彼らは「同胞団は、われわれよりももっとモスレムなのか?」と考えているのだ。
 ジブリル氏は、ピッツバーグ大学で政治学を学び、そこで教鞭を取った。リビア・テレビのインタービューで、彼は、友人や近所の人たちは、「彼は金曜日の礼拝には出席するし、お祈りをしている」というだろうと述べた。ジブリル支持の政党が多数を占めるだろうと予測される。
「リビア・モスレム同胞団」によって創設された政党の指導者であるヒシャム・クレスクシは、「ジブリル連合の支配は不幸だ、選挙結果には、落胆している」と述べた。緩いイスラム主義者の政党も、議員投票では多数を取れなかった。
 ジブリル氏の出身部族であるワルハラ族は、600万人の人口を持つリビアで、六分の一を占めている。部族のホームランドは、バニ・ワリドの西方であるが、多数の人々は、トリポリやベンガジのような大都市に住んでいる。(以下省略)
[訳者の感想]ジブリルは、カダフィ大佐時代の財務大臣だったようです。リビアの選挙民の意志がどこにあったのか、「モスレム同胞団」が一番組織力はあるようですが、やはり、イスラム主義者に対する反発が強いのでしょうか。とにかく、ジブリルは一応「中道派」と考えて良いようです。
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