海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「イスラエルとの武器取引を差し止められて、中国怒る」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2005年06月29日 | 中国の政治・経済・社会
6月27日、北京発:アメリカからの圧力で、イスラエルが論議の的となっているイスラエルと中国の間の武器取引を中止した後、ブッシュ政府の「口出し」と「外部干渉」を非難して、中国は今週月曜日に激しい苦情を出した。
イスラエルの決定は、レーダー配置を探し出すことのできる航空機の売り込みを停止した。それは中国が台湾と台湾を支える米軍に対して使われるかもしれない進んだ軍事技術を手に入れないようにするアメリカの作戦の結果であった。
作戦の一部として、ブッシュ政府はまたヨーロッパの国々が中国に対する武器輸出禁止を止めることに対しても圧力を加えた。イスラエル政府の決定は、2000年にファルコン初期警戒レーダー搭載機を中国に売るという10億ドルの取引を撤回したのに似ている。
イスラエル政府の撤回は、北京にいらだちを引き起こした。というのも、北京は、人民解放軍をハイテク時代へと進め台湾が形式的な独立宣言をするのを思いとどまらせる力を高めようと軍の近代化を推進したきたからである。
コンドリーザ・ライス国務長官が武器取引に反対するブッシュ政府の主張を議論するために、エルサレムを訪れたのと同時に、李肇星外相は、先週、エルサレムを訪問した。イスラエル高官との議論の内容は漏らされなかったが、彼は売り渡しの完遂するよう要求したと信じられている。
撤回の報告に対して反応しながら、李・中国外相は、イスラエルと中国との間の協力は、両国にとってだけでなく、中東の平和と安定の見込みにとっても良いと述べた。このような接触は、他の国(つまりアメリカを指す)を損なうものではないと外相は付け加えた。
中国の声明によれば、「それゆえ、他の国々はこれについて口を出すべきではない。われわれは、両国が二国間の結びつきを発展することによって、独立と主権の原理を支持し、第三者の干渉を乗り越えるべきだと信じる。」
問題となった取引には、ハーピー型の探索機のための改良部品が含まれている。イスラエルの航空機産業は、1990年代の中期と後期に、5000億ドルで、中国に三角翼の探索機を約100機売った。航続距離500キロのこの航空機が重要なわけは、それが中国のミサイルと航空機による潜在的攻撃に対して台湾を防衛するのに役立つ地対空ミサイルを誘導するのに使われるレーダーを破壊できるからである。
アメリカは、イスラエルが中国にアメリカのテクノロジーを組み入れない探索機を売ったときは、抗議しなかった。しかし、アメリカ政府高官は、2004年の新しい部品の取引を知ると、抗議した。これらの部品は、スペアとなる部品であるが、実際は、それらは探索機の航続距離を伸ばし、敵のレーダーに向かって進む能力を増進するための重要なグレード・アップとなるとアメリカ政府高官は述べた。高官によれば、この取引は、中国への軍事的販売を停止して欲しいというアメリカの要請を無視している。
イスラエルの新聞によって報じられたワシントンとの新しい合意においては、イスラエルは、このような議論を防ぐために、アメリカ国防省が、将来の武器販売を閲覧することを許すことを約束した。イスラエルの新聞『ハーレツ』によると、イスラエルの使節団が今週、ワシントンを訪れる際に同意の期限が決定される。この合意によると、昨年夏に、中国がイスラエルに送ったハーピーの付属品は、送り返されないだろう。『ハーレツ』紙の報道は、イスラエル政府は、取引から退き、部品を返さない代償を支払うと予測される。
[訳者の感想]中国の人民解放軍の近代化に対して、アメリカが最近は、神経をとがらせていることが分かります。恐らく中国が今春、軍の圧力で「反国家分裂法」を制定して台湾の独立を軍事力を使ってでも阻止すると宣言したことが原因になっていると思われます。
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「中国の挑戦」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年06月28日 | 中国の政治・経済・社会
15年前、日本の会社がせっせとかなりの量のアメリカ企業を買収していたとき、私はアメリカ人達にパニックに陥らないように要求した者の一人だった。それゆえ、あなた方は私が中国人も同じことをしているのだという慰めになる言葉を言うと期待しているかもしれない。だが、メイタグ社とユノコル社に対する入札が明らかにしているように、中国の挑戦は、日本の挑戦よりももっと深刻であるように思われる。
中国人の買い手がいくつかのアメリカの会社に対する支配を求めているという事実については、ショッキングなものは何もない。アメリカ人は常に挑戦されているという自然法則は存在しない。権力は財布のひもを握っている人の手に握られるのだ。輸出する以上に輸入しているアメリカ人は、何年も借金で生活しており、最近は中国がわれわれの借用証書の多くを買っていた。
これまで、中国人はアメリカの政府債券に投資した。しかし、これらの債券は高率のリターンも要求せず、その金がどう使われるかについてのコントロールも要求しない。中国がこれほど多くのアメリカ国債を手に入れる唯一の理由は、通貨投機家に対する防御のためであった。この点で、中国のドル保有額は非常に大きいので、ドルに対する投機的な攻撃のほうが人民元に対する投機的攻撃よりも遥かにありそうに見える。
そういうわけで、遅かれ早かれ、中国人がこれほど多くのドルを買うことを止めるだろうということは予言可能であった。彼らはアメリカの借用証書を買うことを止めるか、あるいは受動的な金融業者の役割で満足することを止め、所有者に付属する権力を要求するかどちらかである。さしあたり、中国人が彼らの人民元を安売りしないことでほっとしている。彼らは元をアメリカの会社を買うために使っているのだ。
けれども、中国の対アメリカ投資が15年前の日本の投資と違う理由が二つある。
一つの違いは、初期の徴候から判断すると、中国人は彼らの金を、日本人ほどひどく浪費しようとはしていない。
日本人は、当時、威信に関わる投資、つまり、ロックフェラー・センターや映画の撮影所を得ようとする傾向があった。それはアメリカ人の売り手に多額の金を移したが、その投資は、買い手にとって多くのリターンをもたらさなかった。その結果は、アメリカに対する補助金であった。
中国人は、日本人よりも抜け目がないように見える。メイタグは、アメリカのビジネスの歴史の一部であるけれども、中国の製造会社であるハイアールにとっては、威信のある買い物ではない。ハイアールの成長する製造能力に役立つブランド名と分配ネットワークを手に入れる道理に適ったやり方である。
これは、アメリカがその取引で損をするということを意味しない。メイタグの株主は、得をするだろう。そして会社は多分中国人の所有者の下では、解雇される労働者はより少ないだろう。さらに、取引は、日本人との場合の取引がしばしばそうであったほどは一方的ではないだろう。
日本人の投資とのもっと重要な違いは、中国は、日本とは違って、本当にアメリカの戦略的ライバルとして乏しい資源の競争者として現れつつあるように見える。それが先週の中国の申し出を、単なるビジネス上の命題以上のものにしている。
中国政府が70%以上の株を所有している「中国海洋石油会社」は、グローバルな広がりをもったエネルギー会社であるユノコル社のコントロールを手に入れようとしている。中国の申し出についてのレポートでは奇妙に無視されているが、ユノコル社には、ミャンマーの軍事政権からタリバンに到る厄介な場所で問題のある政権とビジネスをするという歴史がある。ユノコル社の到達範囲の一つの指標は、ザルマイ・カリルザードである。彼は18ヶ月間の合衆国の駐アフガニスタン大使であったが、最近駐イラク大使に任命された人物であり、しかも、ユノコル社のコンサルタントである。
換言すれば、ユノコル社は、中国政府がもし、一種の「大ばくち」を思い描いている場合、コントロールしたいと望むたぐいの会社である。その「大ばくち」において、大きな経済大国が石油と天然ガス備蓄へのアクセスをもとめて奪い合うのである。(ある会社を買う方が、石油生産国に侵入するより、遥かに安上がりである。)そういうわけで、ユノコル社買収の話は、最近の原油価格高騰と特別に共鳴している。)
私次第であるとしたら、私ならユノコル社に対する中国の入札をブロックするだろう。だが、アメリカが現在のように中国に依存していなければ、その立場をとることは遥かに容易だろうが。つまり、われわれの債券を買うためにではなく、われわれの軍隊がイラクで動きが取れなくなっている現在、北朝鮮と交渉するのを助けるように中国に依存していなければの話である。
[訳者の感想]6月28日付け『ワシントン・ポスト』紙に掲載されたクルーグマンの論説です。中国政府がエネルギー資源を手に入れるためにどれほど努力しているかが良く分かります。また、アメリカが北朝鮮との交渉で中国に依存せざる得ない状態にあることも分かります。
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「イラクは、ますますベトナムに似てきた」という『ガーディアン』紙の記事。

2005年06月27日 | イラク問題
2003年にイラクの抵抗運動が始まった1年後、懐疑派は「これは新しいベトナムだろうか」と問うた。これらの事柄について尊大に語る人の多くは、「違う」と答えた。単純な歴史的比較はたいていの場合常に間違っている。イラクについて何らかメロドラマ的な判断を下すことは時期尚早であるように見える。
あれから更に一年経った今日、重要な相違は存在し続けている。イラクに対するアメリカのコミットメントは、ベトナムよりも遥かに少ない。従って、死傷者の数も少ない。インドシナで勝利を求めて戦った5年の間に、アメリカは、50万人の死傷者を出した。イラクでは、14万人の死傷者が出ただけである。リンドン・ジョンソン大統領のように戦争をエスカレートするよりは、ブッシュ大統領は、勝利とイラクから撤退を宣言しそうに見える。
けれどもいくつかの重要な点で、ベトナムとの比較は、避けがたくなった。第一に、ワシントンの目的、--つまり、イラクを統一ある国家として運営する目に見える地方政府や制度の樹立、--は、受け入れられる時間枠の中で達成することが可能であると信じることは難しい。
第二に、情報は、危機的な弱点を証明している。最近、あるアメリカ人司令官が、情報の異常な欠如を遺憾としているのを聞いた。「われわれは何十億ドルもCIAや英国のSISに費やしているのに、われわれは敵側が何をしているかについて殆ど何も知らない。われわれに必要なのは、テクノロジーよりもスパイだ。」
第三に、これが最も重要なのだが、アメリカ軍が反乱軍に対してどれほどの軍事的成功を収めても、彼らがイラク人の人心を勝ち得ている兆候はない。アメリカ軍についての普通のイラク人の経験は、良くて、自分たちとは異質だというものか、悪ければ恐ろしいというものだ。道路沿いに行進する武装兵と地方住民の間には共通の目標や、相互の同感や尊敬があるというヒントはない。
先月、BBC4は、イラクで戦っているアメリカ第8騎兵師団の一部隊についての異常に生々しいドキュメンタリーを放映した。それはベトナム戦争の記憶を呼び戻した。頭をそり上げ、びくびくしたり、時には涙ぐんだりしている、若い兵士は、彼らの肩に馬の頭の記章をつけていた。
第8騎兵師団の装甲車がパトロールに出かけるとき、乗員は、知られざる敵について、インドシナの密林を思い出すのと同じ困惑を吹き込まれているように見えた。これらの兵士のイラク観は、彼らが装甲車の狭い窓越しに目撃するもの、あるいは夜間には、彼らの暗視カメラによって決定されている。
「俺たちは奴らの命を守ろうとしているんだ」と腹を立てた将校がイラク人について言う。「だが、奴らはわれわれと親しくなって、われわれを手伝ったりしないのだ。」家宅捜査で通訳を介して地域住民に質問する兵隊達は、オハイオ州かワイオミング州かジョージア州かニュージャージー州の出身である。鉄兜をかぶり、サングラスをつけ、重装備と武器で身体を覆った兵士は、人間には全く見えない。彼らはダースヴェーダのロボット兵士に似ている。
「兵士防護」主義は、ソマリアやバルカン半島やベトナムやレバノンで、アメリカ軍を説得力のない平和維持部隊にした。彼らが助けようと戦っている人々の関心についての無神経も彼らをそうした。
このテレビ映画には、次のような印象的な場面があった。退屈していらいらした兵士が衝動的に犬に弾を撃ち込む。その飼い主が、家から飛び出してきて、一瞬、彼のペットの死体の上にかがむ。それから彼は彼はどうしようもないというふうに手を上に上げて立ち去るのだ。六ヶ月前に彼の忠誠心が何を命じていたにせよ、彼が今日からどちらの側に建つかは明らかである。
「これはインディアンの居住地域なのだ。われわれが敵に出会えば、われわれは武力で彼を圧倒するだろう」と将校に作戦の要領を伝える際に、連隊長が言った。連隊全員が、ラジオで彼の部下の一人がパトロール中に戦死したことを知った後で、連隊長は、「誰かが誰かの死をネットで言っているのを俺は聞きたくない」と言う。
「大抵のイラク人がアメリカ人と言葉を交わすのは、民事将校が、家族の誰かを殺したことに対する賠償金を支払いに来たときである」とイラクで数ヶ月過ごしたレポーターは最近言った。アメリカ軍は、イラク人が目覚めている間に、良いとか役に立つことは何ももたらさない。ただ、軍事作戦の音か、突然の死か、破壊しかもたらさない。
これらのすべてにおいて、ベトナム戦争との類似は、著しい。アメリカの司令官達は、増大する暴力的な反抗においては、これ以上柔軟な戦術は不可能だと言うだろう。自爆自動車やロケット攻撃や狙撃手は、アメリカ軍部隊が今やっている行動をせざるを得なくしている。もし彼らが徒歩で鉄兜を被らないで進むならば、彼らは命を失うだろう。
これは本当かもしれない。しかし、すべての反抗勢力の目的は、支配権力が民間人にこのような苦痛を与えるように挑発することである。これこそベトナムで劇的に起こったことであるし、イラクで起こりつつあることである。二年以上前にブッシュが「重要な戦闘作戦は終わった」と宣言して以来、1,600名のアメリカ人が戦死したが、その一人に付き20人のイラク人が死んだと推定されている。
アメリカ軍の戦争文化と火力がこれを不可避にしているが、アメリカ軍が今日直面している戦闘の種類にとっては、破滅的に間違った対応である。ブッシュが国内の圧力に直面すればするほど、彼の司令官達は、戦場でイラク人との人間的接触に曝される危険を冒すことに気が進まなくなるだろう。
アメリカでは、戦闘についての幻滅はまだ、ベトナム戦争中リンドン・ジョンソンを破滅させたほどの国民的な怒りにまでは発展していない。
しかし、国内における増大する厭戦気分と現地での進展の欠如は、明らかにブッシュ政権に反対するように作用する。イラク治安部隊が連合国からの引き継ぎをなし得るまでにまだ5年かかるだろうと専門家は示唆している。
イラクの元英国代表であったジェレミー・グリーンストック卿は、戦争直後のアメリカの政策の欠陥を治すことは困難と不可能の間のどこかにあると考えている。彼は多分正しい。この国をそれ自身の運命を決定させるように、この国から撤退する覚悟をきめるのに、ブッシュにはまだ数ヶ月が残されている。しかし、これはありそうな結末であると思われる。インドシナとイラクとの間の比較の顕著なアイロニーは、1975年のアメリカの敗北は、ベトナムの統一をもたらしたが、イラクでのアメリカの失敗は、この国の断片化を早めるだろうということである。
[訳者の感想]年末に新憲法もできず、新しい国会議員選挙もできなくなれば、アメリカがイラクから撤退することはかなり、ありそうなシナリオになってきたようです。

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「ラムズフェルド、議会で集中攻撃に遭う」と題する『ワシントン・ポスト』の6月24日の記事。

2005年06月24日 | イラク問題
イラクにおけるアメリカの戦略の成り行きについての議会での憂慮が沸騰し、昨日は、ラムズフェルド国防長官に対する痛烈な批判となった。
上院と下院における一日中の聴聞会の間、ラムスフェルドは、アメリカの作戦行動は揺らぎつつあるという主張を論駁し、イラクでの紛争は、生命やドルの損失に値するものであると主張した。彼はまた超党派の少数の議員グループによって支持されたアメリカ軍部隊を引き上げるためのタイムテーブルを設定するという考えを退けた。もっとも、彼は今年中の新しい憲法と国民議会選挙のタイムテーブルを守るようにイラク当局に圧力をかけることは好ましいと言ったけれども。
「われわれが負けたとか負けつつあるという人は間違っている」と彼は発言の初めに辛抱を訴えることによって、断言した。
国防長官のけんか腰の態度は、今日ブッシュ大統領と会談する予定の訪問中のジャファリ・イラク首相によっても受け継がれた。アメリカ軍の撤退の特定の期日を設定することは、「敵の中に入っていくようなものだ」と彼はブレア・ハウスでの『ワシントン・ポスト』紙の記者とのインタビューで述べた。
しかし、共和民主両党の議員は、イラクでのいつまでも続く暴力行為を引き合いにだしながら、いつ終わるか分からないアメリカの関与についての増大する疑惑を表明した。最も手厳しい批判は、上院で出てきた。
昨日の最も劇的な対立においては、エドワード・M・ケネディ上院議員は、ラムズフェルドに向かって、「戦争は一見手に負えない泥沼になった」と言った。彼は、彼がアメリカの軍事作戦における酷い間違いと失敗と呼ぶものの長いリストを読み上げ、新たにラムズフェルドに辞任するようにという訴えで締めくくった。
「野球で言えば、スリー・ストライクで、君はもうアウトなのだ。君が辞めるべきときではないか?」
ラムズフェルドは、沈黙し、彼の考えと落ち着きを取り戻そうとしているように見えた。「それは一つの意見ですな」と言って、彼は「彼と一緒に座っている三人の四つ星の将軍の誰もわれわれが泥沼にはまっており、終わりが見えないというケネディの主張に賛成しないだろう」と付け加えた。ペルシャ湾におけるアメリカ軍の司令官ジョン・P・アビゼイド陸軍大将や、イラクの総司令官ジョージ・ケーシー大将や、統合参謀本部長のリチャード・B・マイヤーズも同じ意見であった。
ラムズフェルドは、また、彼が2度辞職を申し出たが、ブッシュ大統領がその申し出を受け入れなかったとも述べた。
しかし、民主党員と同様、共和党員も、イラクにおけるアメリカの介入に対する公的支持が少なくなっている事実にラムズフェルドの注意を向けさせようとした。
「私がここに来たのは、私が想像できる最も愛国的な国で、国民は疑い始めているということを言うためである」とリンゼイ・O・グラハム共和党議員は言った。
「アメリカの世論は、この努力から後退しつつあるのではないかと恐れる」と民主党議員のジョセフ・リーバーマンは言った。
「アメリカ人の間にそのような後退があるとすれば、アメリカ人はそういう風にし向けられているのだと感じる」とラムズフェルドは言った。これは好ましくない新聞の報道や政治的解説を明らかに指している。ラムズフェルドは、支持は回復するという自信を表明した。
次に、アビザイド司令官は、アメリカ軍は公衆の支持の低下を意識しているという懸念を表明した。
アビザイドはまた戦場のアメリカ軍の間の自信は今よりも高かったことはないのに、ワシントンの政治的気分は非常に違っているように見える。「自信の欠如がこれほど大きかったのは見たことがない」と彼は言った。
しかし、アビザイドは、ある政府高官(多分、チェイニー副大統領を指している。)によるもっと楽観的な描写とは対照的なイラク武装勢力の評価を提示した。抵抗は、依然として6ヶ月前と同じぐらい強いと言い、敵の戦士は、共同攻撃という形での襲撃のような「軍事的驚き」に仕掛けるのに十分な予備を持っていることを認めた。
ラムズフェルドと彼の軍事的権威者は、政治的経済的戦線におけるかなりの進歩の絵を提示しようと試みた。彼らはイラク治安部隊がより有能になり、イラクの世論調査が憲法に対するより多くの信頼を示していると述べた。
上院や下院の軍事委員会でも、アメリカ軍を引き上げるタイムテーブルを設定することには余り支持がない。しかし、カール・M・レヴィン議員は、「イラク人にアメリカ軍に対する期限をつけないという公約を与えることは、受け入れられない」と述べた。彼は「イラク当局に新憲法と議会選挙に対するスケジュールを守るように圧力をかけ、それに失敗すれば、アメリカは、イラクにおけるプレゼンスを考え直すと警告することを示唆した。
ラムズフェルドもスケジュールを守る必要には同意した。現行のイラクの法律の下での6ヶ月延長を行使することには反対した。
『ワシントン・ポスト』紙のインタビューの間、ジャファリは、アメリカ軍が帰国に近づきつつあると考えている指導者のようには見えなかった。彼は、武装勢力をやっつけるには、3つの条件がそろわなければならないと言った。
「何よりもまず、国境が非常に安全でなければなりません。第二に、イラクの治安部隊の規模が、テロリストに対して広範で、効果的な攻勢を遂行できるものでなければなりません。第三に、司法制度が、正義が遂行されるように活性化されなければなりません。」ジャファリは、第一次大戦後にドイツが米国や他の国から無視された後でドイツに何が起こったかを思い出すように忠告した。「私たちは過去を振り返り、歴史から教訓を学ばなければなりません」とジャファリは言った。
[訳者の感想]アメリカではイラク戦争をこれ以上続けることに対して、反対の意見がかなり強くなってきたことが分かります。自衛隊をいつ撤退させるのか、日本の国会でも議論するべきだと思います。
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「チェイニー副大統領は、どのように思い違いをしたか」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2005年06月22日 | イラク問題
ブッシュ大統領は、イラク戦争を始める前に、彼のイラク政策を駄目にする種を蒔いた。冒険を救うにはホワイトハウスからの未曾有の程度の正直と現実主義が必要であるだろうが、ホワイトハウスは、アメリカ国民に黙認するように頼んでいた企てがどれほど大きいかを決して認めようとしないのである。
大統領が不正直によって国を戦争へと導いたという意見は、行政府に対する最も致命的な批判ではない。最悪の可能性は、大統領と彼のアドバイザーが達が自分達自身のプロパガンダを信じたということなのだ。彼らはアメリカ国民を困難な闘争になることを覚悟させなかったわけは、彼らがそれを予期しなかったからである。
そうでないとしたら、大統領と彼の副官が一致して戦争の費用や必要な部隊の数を軽視し、スンニー派やシーア派やクルド人の間の緊張を克服する困難を軽視した事実をどのように説明したらよいだろうか。彼らは嘘をついていたのか。もっと論理的な説明は、彼らが何について語っているか知らなかったということである。
ホワイトハウスがアメリカ国民に来たるべき事態に対して覚悟させることに失敗したから、行政府は今国民の激しい反発に直面しているのだ。先週末、ブッシュは、「テロリスト達は、われわれ国民の強固な意志を弱めようとしている」と語った。しかし、ブッシュが苦情を述べている高まるもどかしさは、状態がどれほど酷くなりうるかを警告した人たちを行政府が解任した結果である。
「情報と事実とはイラク侵攻政策のために作り直された」という『ダウニング街メモ』の主張は、戦争反対者にとって元気を取り戻す点になった。しかし、別の最近暴露されたドキュメントは、もっとひどい。その中では、英国の高官は、「軍事作戦後の余波についてはワシントンでは殆ど議論されていない」と警告していた。英国人は、「アメリカの軍事計画は、イラクの戦後の占領が費用のかかる国家建設に導くかもしれないという事実については事実上何も言っていない」という事実を心配していた。
この主張を支えるもっとも破滅的なドキュメントは、秘密ではなく、依然として戦争前の議論のもっとも重要な所産である。それは2003年3月16日付けの「新聞を論破する」と題する文書の写しである。この中で、チェイニー副大統領は、今となっては、現実によって打ち倒された政府の楽天的な仮定に影響を与えた。
ティム・ラッサートは、「安定を維持するためにイラクに数年間何十万もの軍隊を置かなければならないか」と尋ねたのに対して、チェイニーは、「私はその意見に賛成しない」と答えた。しかし、彼はどれぐらいの数の軍隊が必要とされるかは言わずに、「軍事作戦が終わった後で何十万もの軍隊を必要とすると示唆することが正確であるとは私は思わない。それは過大表現だと思う。」
ラッサートが尋ねる。「あなたの分析が正しくないとしたら、そして、われわれが解放者としてではなく、征服者として扱われたら、また、イラク人達が抵抗し始めるとしたら、アメリカ人が重大なアメリカ兵の死傷者を伴う長く費用のかかる血みどろの戦闘をする覚悟があるとあなたは思うか。」
チェイニーは、そのどれも考慮しない。「私は戦争がそういう風に展開するとは思わないね。なぜなら、特にバグダッドでは、われわれが解放者として歓迎されると私は本当に持っているからだ。私は過去数ヶ月沢山のイラク人と話した。イラク国民についてわれわれが得る読みは、問題は存在せず、彼らは、サダム・フセインを取り除くたいと思っている。そして彼らは合衆国を解放者として歓迎するだろう。」
ラッサート:「クルド人やスンニー派やシーア派が民主主義で一致すると確信しているのか。」
チェイニー:「そこまでは一致するだろう。」そして副大統領は次のように結論する。「私は、この種の成功を達成できる見込みは、政治的立場からして、多分他のいかなる国に対してあるよりも、もっと良いだろうと思う。」
チェイニーは、政治的目的のために戦争のコストを誤魔化していたのだろうか。彼が自分の言ったことを信じていたということのほうがもっと可能性がありそうである。このことが示唆しているのは、政府はアメリカ国民を謝って導いたというよりは、むしろ自分自身を誤り導いたということである。
ネブラスカ州選出の共和党上院議員チャック・ヘーゲルは、最近号の「ユーエス・ニュース&ワールド・レポート」の中で、「ホワイトハウスは、完全に現実から切り離されている。彼らは事態の成り行くとおりにでっち上げているように見える。」
不幸なことに、過去の証拠は、ヘーゲル議員の辛辣な言い回しが、まさに正しいかもしれないということを示唆している。今なおイラク侵攻を高貴な使命だと見る人たちは、彼らの政策を戦争の批判者から護る必要はない。彼らは政策をその構築者から救う必要がある。
[訳者の感想]筆者は、E.J.ディオンヌ・Jrと言う人です。イラク戦争を始める前にブッシュ政府が戦争の結果がどういう事態になるかを極めて楽観的にしか見ておらず、こんな混乱が続くとは夢にも思っていなかったことが良く分かります。どうも政権担当者に想像力が大部不足していたのではないでしょうか。
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「普通でないたぐいの民主主義」と題する『ワシントン・ポスト』紙の6月20日の記事。

2005年06月21日 | 中国の政治・経済・社会
定州発:知り合いが5月19日の朝李・フチェンの小さなスナックの店に立ち寄って、思いがけず50ドル相当のお金を渡したとき、李・フチェンは、お好み焼きを作っていた。
そのお金は中国東部のこの農村の経済ではかなりの額だった。李は引き換えに何かが期待されていることを知っていた。取引の対象は、次の日の村の選挙での彼の家族の投票だった。
彼の友人は、「こういう風に投票してくれ」と言って、彼に候補者のリストを手渡した。その朝起こったことについての李の話は、地方の共産党幹部と彼らの村の新しい指導者を欲する農民達のグループの間の酷い争いの一部となった。李のお好み焼きの店での投票買収は、農民達の主張によれば、党の指導層と一致する人たちが定員7名の評議会に選ばれることを確実にするために何千ドルもが費やされたキャンペーンの中の一つのエピソードに過ぎない。
定州における暴動、北京の南320キロにあるジンアン市の郊外にある人口3,200人の村は、中国が経済的発展をその主な使命にする場合に、農民の間の支持を得ることが共産党にとってどれほど困難であるかを象徴している。対立は、また、政府が草の根の民主主義と表現しているが、地方の共産党支部や伝統的幹部がしばしばコントロールしている中国の農村の選挙の限界を劇的にしている。
選挙は、実験が1987年に始まって以来、70万の村で行われてきた。過去10年間に村は、いくつかの委員会を選挙した。だが、農民達は普通でない種類の民主主義について述べている。彼らの言うところによると、投票は、共産党書記のジン・ヤンシによって組織され、彼の手下の一人が投票箱を家から家へと運んでいき、村人に投票用紙を手渡して箱に入れさせるのである。
村の委員会が従順であることを確信しているので、ジンは、新しいビルを建てるために、定州の耕された土地を8百万平方メートルから160万平方メートルまで減らした。1990年代に、100家族の農民が土地を失い、代価としてたった1万円を得た。彼らの畑の代わりに、石切場と私立の高等学校が作られた。
彼自身の4800平方メートルの土地でトウモロコシや小麦を植えたチャンは、彼と他の農民のグループが2000年の夏に石切場へ行き、農地の喪失に抗議して壁を引き倒した。同時にチャンは、村の選挙が秘密の投票箱によって組織され新しい指導者が選ばれることを要求した。
「われわれは土地を護ることを望んだが、彼らは土地を発展させようとした。それがジンや彼の支持者達がわれわれを権力の中に入れようとしなかった理由だ」とチャンは言う。
ジンと彼の家族は何年も村を運営した。彼の従兄弟は、十年以上も党書記であり、ジンは彼の代理であった。ジンは、1996年に従兄弟が死ぬと、党書記になった。
チャン達のアジテーションによって、2002年4月の選挙では、投票所は、集会所に移された。郡の責任者は、「今度は、法律に定められた通り、投票は秘密である」と言った。しかし、チャンや他の村人は、誰も投票しないのに、投票箱は半分投票用紙で一杯だったとチャンは言う。抗議のため、村人達は手続きをボイコットし、選挙は無効であると宣言されねばならなかった。
2002年にジンは党書記を辞めさせられた。
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「豊かな北と貧困な南。」ティモシー・ガートン・アッシュの近著『自由な世界』より。

2005年06月19日 | 貧困問題と食糧問題
ティモシー・ガートン・アッシュは、現在、オックスフォードのアントニー・カレッジのヨーロッパ研究センターの所長で、スタンフォード大学のフーバー・インスチチューションのシニアフェロー。彼が最近出版した『自由な世界---西欧の危機はなぜわれわれの時代の機会を明らかにするか』と題する本の164ページから173ページまでで「南北問題」に触れた箇所をダイジェストすることにします。
世界を一つの都市だと考えると、21世紀の初めの西欧は、貧しい隣人達や酷いスラムに囲まれた金持ちのコミュニティである。60億人の世界人口の内、約10億人が豊かである。彼らは平均して一日70ドルの収入がある。もちろん、多くの人はそれ以下で、ある人達はそれ以上の収入がある。彼らは主にヨーロッパ、北アメリカ、日本や他の繁栄する国々に住んでいる。発展の地理学においては、自由の西欧は、豊かな「北」の国々である。(もっともオーストラリアは、南半球にあるけれども、「北」の一員である。)貧しい「南」の国々には、10億人の人たちが一日1ドル以下の収入で暮らしている。別の20億人の人達は、一日2ドル以下で暮らしている。国連の統計によれば、1999年から2001年までに8億4千万人の人たちが飢えている。これは、世界中で7人に1人が飢えているということを意味する。同じ時期に、アメリカ人の3分の1は、肥満という重大な健康問題に悩んでいる。南では、食べるものが十分にないために、女や子供が死にかけており、北では、食べ過ぎたために死にかけているのだ。
世界の三人の大富豪ビル・ゲイツ、ウオーレン・バフェット、ポール・アレンの1999年度の年収は、6億人の人口からなる世界でもっとも低開発国のGNP全体を越えている。年間の売り上げが5兆ドル以上の企業が代表されるダヴォスの2001年の世界経済フォーラムにおいて、ゴルドマン・サックスの会長ジョン・ソーントンは、世界のある部分が私的な冨を蓄積した仕方をよく考えると、彼は「殆ど一種の当惑」を感じると言った。「殆ど一種の・・」とは何という言い方だろうか。
 2001年9月11日、ニューヨークとワシントンに対するアルカイダの攻撃で3千人が殺された日に、世界中で予防可能な疾病で3万人の子供が死んだ。そして次の日、その次の次の日にも同じ数の子供が死んだ。2001年だけで推定2,200万人が予防可能な病気で死んだ。1千万人というのは、大ロンドンとM25道路内の郊外の人口に等しく、ミシガン州の人口に等しく、ハンガリーの人口に等しい。死んでゆく子供で一杯のロンドンを想像して頂きたい。次の年は、死んでゆく子供で一杯のミシガン州を、更に死んでいく子供で一杯のハンガリーを想像して頂きたい。
 世界の貧困国の人たちはビデオや映画やテレビで豊かな国々の人たちがどんな暮らしをしているかをかいま見ることができる。以前には、世界は経済成長から由来する世界中の貧困化と取り組むための資源を持っていなかった。記録された歴史の中で、世界の富者が世界の貧者よりもこれほど遥かに豊かであったことはなかった。1820年には、世界の5つの最も豊かな国と5つの最も貧乏な国との格差は、3対1であった。1913年には、11対1であった。1992年にはその比は、72対1になった。この急増するグローバルな不平等の主な原因は、西欧で産業革命とともに始まった前代未聞の経済発展である。
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「アメリカ軍、武装勢力に新たな攻勢」と題する『ヴェルト』紙の6月18日の記事

2005年06月18日 | イラク問題
バグダッド発:アメリカ軍は、イラクの西部のアンバル州で新たな攻勢を開始した。約1,000名のアメリカ海兵隊員とイラク軍兵士は、「槍作戦」に参加していると、軍報道官が伝えた。目標は、「反乱者と外国人とを狩り出すことであり、ケルベラ地域の支援を破壊することである。」シリア国境に接するアンバル州は、ヨルダン出身のテロリストであるアブ・ムサブ・ザルカウイの指揮の下にある武装勢力の牙城である。先週、土曜日、アメリカ軍は、カルバラ市の武装勢力の支援場所を空爆し、約40人の武装勢力を殺害した。
イラク北部では、18日早朝、自爆自動車が軍隊の車列に突っ込んだ。7名が負傷したが、そのうち2名は民間人である。バグダッド東方では、通行中の石油タンク車に攻撃があり、まだ数は分からないが通行人に犠牲者が出た。目撃者の報告によるとカマリヤ地区にあるシーア派のモスクの前で遠隔操作による爆弾が爆発した。
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「中国政府の検閲に協力していると非難されるマイクロソフト社」と題する記事。

2005年06月14日 | 中国の政治・経済・社会
 中国に本拠を置くマイクロソフトのインターネット・ポータルは、月曜日以来、「民主主義」、「自由」、「人権」という言葉を使用できないようにブロックされている。これは明らかに北京政府に妥協するための動きである。
 マイクロソフトの無料オンライン・ブログで使用することができない言葉には、「台湾独立」や「デモ」が含まれている。このような単語や政治的に激しい内容、ポルノ的な内容を含む単語を入力するブロッガーは、「この項目は、冒涜のような禁じられた言葉を含んではならない。この単語と違う単語を入れなさい」というメッセージを受け取る。
 マイクロソフトの北京支社の責任者は、コメントすることを拒否した。
中国のインターネット・サイトは、行動規範や自己検閲によって、政府が政治的に敏感であるとか、ポルノ的であるとか非合法であるとか見なしたどんな情報でも差し控えるように要求されている。
多くの中国のウエッブ・サイトにとっては、このような内容は、政府が好ましくないと考え、公表されることを望まない新しい話を含んでいる。
 3月に出された新しい規制は、すべての中国に本拠を置くウエッブサイトは、6月末までに政府によって登録されるか、インターネット警察によって閉鎖される。
 マイクロソフトは、MSNの中国ウエッブのポータルを立ち上げるために、「上海アライアンス・インベストメント」とジョイント・ベンチャーを形成した。
 だが、マイクロソフトは、中国の厳格なインターネット規則と妥協する唯一の会社ではない。
 最も人気のあるサーチエンジンであるヤフーとグーグルは、インターネットを検閲するために中国政府と協力していると批判されている。
 パリに本社がある「国境なきリポーター」は、「中国政府の検閲に対する要求に直接的間接的に屈した点で、ヤフーとフーグルの無責任な政策を非難する」と述べた。
 この団体はまたアメリカ政府に「グローバルなインターネットの自由法」を「世界で最も抑圧的な政府」における私的セクターの活動にも適用するように要求している。
 2003年6月に米国下院議会で可決された「グローバルなインターネットの自由法」は、世界中の政府によって課せられたオンライン検閲と戦うことを目的としている。
 中国市場を征服しようという努力したために、ヤフーとグーグルは、「表現の自由を直接に脅かす妥協をしている」と「国境なきリポーター」は述べている。
[訳者の感想]『シドニー・モーニング・ポスト』紙の6月14日の記事です。
これを読むと中国政府がインターネットで情報が広がるのに手を焼いているのが良く分かります。「反日デモをやっても構わないから、中国人にもっと自由を与えなさい」と日本人が言ったらどうでしょうか。
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「天安門事件の犠牲者の遺族が南京虐殺に対するダブルスタンダードを批判」

2005年06月14日 | 中国の政治・経済・社会
 『中国の人権』は、ディン・ジリンや1989年6月に殺されたり負傷したりした人達の家族が書いた「公開状」を受け取った。それは中国政府に南京大虐殺に関して日本政府に要求しているのと同じ説明責任と賠償に対する必要を認めるように要求している。
 家族達は、6月4日の天安門事件の16周年記念の準備として胡錦涛主席に宛てた「公開状」を送った。中国政府は、日中戦争中、日本軍が無辜の市民に対して用いたのと同じ種類の残虐さを非武装の市民に行使したと述べることによって、家族達は、中国政府が戦時の残虐行為に対する形式的な謝罪がないという理由で日本政府を繰り返し非難する際にダブル・スタンダードを用いていると非難した。家族達は、責任者に対して適切な行動をし、犠牲者とその家族に対して賠償することによって、天安門事件についての問題を解決し、それによって、「人民第一」と「調和のある社会」という政府の標語に一致した行動をするように、中国政府に要求している。「公開状」の全文は、「Chinese Press Release」に添付されている。
「6月4日の犠牲者の家族による公開状を支持する」と『中国の人権』の会長リュウ・チンは述べた。「中国は天安門事件のような苦痛を引き起こす問題を解決するまでは、調和のある社会を期待することはできない。この問題は、正義が満たされるまでは、公的意識に刺さったトゲでありつづけるだろう。」
[訳者の感想]『中国人権』というウエッブサイトは、どういう団体か分かりませんが、恐らく中国の外で活動している人権活動家の団体だと思われます。この記事が正しいとすると、中国政府にとって、天安門事件はいまだに弁明を迫られている問題であることは確かなようです。[Chinese Press Release]というサイトは、まだ見つけていません。
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「なぜ米国では中産階級が没落したか」という問題を論じるポール・クルーグマンの論説。

2005年06月12日 | アメリカ社会
『ニューヨーク・タイムズ』紙の6月10日の論説。
 私のようなベビー・ブーム世代は、比較的平等な社会で大きくなった。1960年代には、アメリカは、非常に僅かな人たちが金持ちの社会だった。多くのブルー・カラーの労働者は、稼いだ給与で、気持ちよく中産階級に属することができた。労働者の家族は、確実に生活水準を向上し、正当な程度の経済的安心感を期待することができた。
 しかし、「アメリカにおける階級」についての『ニューヨーク・タイムズ』の連載は、あれは別の国だったと言うことを思い出させる。私が育った中産階級社会は、もはや存在しない。
 労働者家庭は、過去30年間に殆ど進歩を見なかった。インフレ率を考慮しても、中流家庭の収入は、1947年と1973年の間に倍増した。しかし、1973年から2003年までの間に、それはたった22%しか増えなかった。しかも、その増加分の多くは、妻が労働力に加わるか、長時間労働したかの結果であって、賃金上昇のせいではない。
 その間に、経済的安心感は、過去のものとなった。1973年以来、アメリカの上位1%に属する家庭の平均収入は、倍増し、トップの0.1%に属する家庭の収入は、3倍に増えた。
 なぜこういうことが起こったのか。これについては、他日もっと言いたいことがあるが、今のところは、中産階級のアメリカは、偶然に生じたのではないということを指摘させて貰いたい。それは第二次大戦中に生じた「収入の大圧縮」と呼ばれたものによって作り出され、平等と強力な労働組合と累進課税を推し進める社会規範によって一世代の間維持されたのだ。1970年代以来、これらの持続的な勢力は、その力を失った。
 特に1980年代以来、アメリカ政府の政策は、労働家庭を犠牲にして、いつも金持ちを優遇した。現在のブッシュ政権の下では、この依怙贔屓は、極端に容赦のないものとなった。金持ちにひいきする減税から不幸な者を罰する破産に到るまで、殆どすべての国内政策は、強盗騎士時代への後戻りを加速することを目指しているように見える。
 これは気持ちの良い絵ではない。それが右翼の支持者が公衆に何が起こっているかを説明しようとする人を信頼できないようにしようと懸命に努力する理由なのだ。
 これらの支持者は、部分的には問題を分かりにくくすることに依存している。例えば、ミスリードするためにデータを整形したり、輪切りにしたり、選択的に提示したりすることに依存している。例えば、ブッシュの減税は、金持ちを優遇していること、特に相続遺産に基づいて、彼らの収入の多くを得ている人々を優遇していることは明白な事実である。けれども、大統領の今年の経済報告は、統計を用いてどうやって嘘をつくかの見事な例であるが、減税が「連邦の租税システムの全般的進歩性」を増大したと主張している。
 右翼的支持者達は、部分的に恐怖戦術に依存している。彼らは、不平等を制限しようとするすべての試みは、経済的誘因を弱め、われわれ皆を悲惨の共有に陥れるだろうと主張する。この主張は、第二次大戦後のアメリカ経済の成功の事実を無視している。この主張はまた、われわれが最近の企業スキャンダルから学んだ教訓を無視している。つまり、成功する人々にとって、巨大な冨が得られるという見込みは、高い業績に対する誘因ではなくて、詐欺をやろうとする誘因となるという教訓である。(訳者注:エンロン事件を指しています。)
 とりわけ、右翼的支持者は、罵倒することに懸命である。労働するアメリカ人を経済的リスクから護る年金制度のようなプログラムが金持ちに対する減税よりも優先されるべきだと示唆することは、「階級対立をあおること」であると彼らは主張する。不平等の増大について関心を示すことは、「嫉妬の政治」に携わることであると彼らは主張する。
 しかし、1970年以来の不平等の爆発について憂慮する本当の理由は、嫉妬とは無関係である。事実は、労働者家庭が経済成長を共有せず、増大する経済的不安に直面しているということである。そして、大抵の人々が中流階級であると考えられる社会は、冨と貧困との大きな極端が存在する社会よりは良い社会であると信じる十分な理由がある。
 不平等と経済的不安とを逆転することは容易ではないだろう。われわれが失った中産階級社会は、この国が不景気と戦争によって揺さぶられた後で生じた。だが、支持者に迎合して事態をより悪くする政治屋に対する注意しろと呼びかけることから、出発することは可能である。「嫉妬の政治」など気にするな。
「どん欲の政治」について何かをやってみようではないか。
[訳者の感想]少数の大富豪と多数の貧困家庭とを産み出しつつあるアメリカ社会に対する経済学者クルーグマンの批判は痛烈です。日本もまた、アメリカと同じ不平等社会になりつつあると思います。
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「アメリカは、イラクの武装勢力と接触」と題する『シドニー・モーニング・ヘラルド』の6月10日の記事。

2005年06月11日 | イラク問題
バグダッドのアメリカ大使館は、イラクの武装勢力と間接的な話し合いをすることによって、テロリストやアメリカ人やイラク人の血で汚れた手を持つ連中とは話し合わないという立場からずれつつある。
「彼らはわれわれを撃つのを止めるならば、われわれやイラク政府は交渉する用意がある」とアメリカの高官は水曜日に語った。
アメリカは、武器を置き、政治的プロセスに参加するようにイラクの武装勢力を説得することを望んでいる。しかし、武装勢力は、戦士のばらばらの集まりから成り立っていると考えられており、どれほど広い部分がアメリカとの接触に関わっているかは、明らかでなかった。
火曜日に、イラクの暫定政府の元の大臣の一人は、武装勢力の二つのグループの指導者が彼らの攻撃カyンペーンを終わらせるための条件を議論する用意があると語った。
イヤド・アラウイ元首相の下で電力相を務めたアイハム・アル・サマラは、「イラクにおけるイスラム軍」と「ムジャヒディン軍」だと判明したグループがアメリカ及びイラク政府と話し合いに入ることに気乗りであると述べた。
武装勢力と結びついている人物とアメリカの役人との間の会合のニュースは、今年初めから漏れ始めたが、アメリカ政府当局は詳細を述べることを拒んできた。
イラクという戦争に引き裂かれた地域にいるアメリカ軍の司令官達は、部族長と宗教指導者を通じて、長いことオリーブの枝と最終条件を送ってきた。国防省の役人は、これらの相互行為をインフォーマルで重要でないと述べた。
「それらの連中といくらか対話はあったが、交渉はやっていない」と役人は述べた。
この役人によって確証された話し合いは、スンニー派アラブの政治的宗教的人物を仲介者として使った、武装勢力とアメリカの外交官の間のもっと形式的な接触であるように思われた。
「モスレム聖職者協会」の指導者であるアブドル・サラーム・クバイシは、武装勢力に近い人物が取引する見込みについてアメリカ大使館に接近した場合を三回知っており、最も最近の接触は、4日前に行われたと言う。
何ヶ月間も、イラクの暫定的指導者達は、武装勢力の代表者達と接触し、彼らを政治的プロセスに乗せようとした。しかし、このような話し合いにアメリカ人が新たに加わるということは、交渉が実質的な結果を持つだろうとゲリラが確信するのを助けるかもしれない。
議論は、ゲリラの側に武器を捨てようという気があることを示しているかもしれない。
スンニー派アラブ人との宗派的な緊張を更に強めるある動きの中で、イラクの指導者は、水曜日に、バドル組織として知られるイランで訓練を受けたシーア派の私兵の存在を強く支持し、国を治安を回復する試みにおいてこの私兵の役割を賞賛すると述べた。
これは、イラク政府が公に宗派の切れ目に沿って作られた武装グループの後押しをした最初である。これは政府は国内のすべての私兵を解散させるべきだとするアメリカ高官の希望の拒否であった。
その間、水曜日に、スンニー派アラブ人の指導者達は、新し憲法の草案を起草する議会の委員会の代表の数を二倍にするように要求した。シーア派主導の議会が彼らの要求を入れない場合には、彼らは起草プロセスをボイコットすると脅している。
ボルゾウ・ダラガニ記者による記事。
[訳者の感想]「モスレム聖職者協会」のクバイシ師といえば、高遠さん達が3人の日本人が人質になったときに、仲介を買って出た人ですね。かなり、重要な人物のようです。シーア派の支持で成立したイラク政府が、結局、シーア派の私兵を持つに到ったということは、今後、宗派の対立をますます激しくなることを意味すると思います。しかも、同じシーア派には、マフディ軍を率いているサドル師のような反米強硬派もいるとすると、イランの混乱はますますひどくなるのではないでしょうか。
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中国の反体制派張戎女史の新著『毛沢東--この知られざる物語』の書評。

2005年06月10日 | 中国の政治・経済・社会
副題:中国人の反体制派で『ワイルド・スワン』の著者張戎は、ロンドンで毛沢東の新しい伝記を出版した。彼女は、英国人の最後の願望像を粉砕する。
20世紀の三人の人殺しは、役に立つ外国人の愚か者を利用した。ヒトラーの賛美者のなかには、特にイギリス人の貴族が目立つ。スターリンにあっては、特に崇拝する傾向があったのは、知識人だった。ジョージ・バーナード・ショー、アンドレ・ジイド、イニャツィオ・シローネ、アーサー・ケストラーなどである。
毛沢東だけは、今日まで、一般的な断罪から免れてきた。彼の等身大より遥かに大きな肖像画が今日も北京の天安門広場で町の入り口を飾っているのはそれと関係しているだろうか。そのことと、中国の指導部が日本に対して自分の過去を直視しろと説教するくせに、彼らが毛沢東の犯罪の痕跡を暴露することを頑固に拒否していることと関係があるのだろうか。
他ならぬキッシンジャー元国務長官は、1997年に「平等への努力」を毛沢東の最大の業績だと褒めそやした。もし、彼が「共同墓地の平等性」について語っていたら、この言明は真理に近かっただろうに。『中国の赤い星』(1936年)の著者エドガー・スノーは、毛沢東の中に「リンカーン」風の相貌を見いだすと信じた。1970年に、ジョン・レノンは、中国の独裁者が「良い仕事をしている」と考えた。
このようなグロテスクな追従は、英国では恐らく決定的に終わるだろう。というわけは、最近、ロンドンで、『毛沢東:この知られない物語』(Mao:The Unknown Story, Joanathan Cape, £25)というある暴露本のセンセーションが市場を席捲し始めたからである。著者は、張戎とジョン・ハリデイである。張戎は、文化革命の生き証人で生き残りであり、ハリデイは彼女の夫であり、歴史家である。ロシアの文書館から時代の証人とのインタービューや毛沢東の周辺にまで及ぶ10年間の驚嘆すべき史料の解明によって、二人の著者は、毛の恐怖の証拠を提示した。
 毛の道を飾る7,000万人の死者についての証拠史料は、気が滅入る。800ページのこの本は、大量虐殺を目指し、洗脳と敵を追求する際のサディスティックなのぞき趣味や病的な乱交に到るまで、一人の血に飢えた自己中心主義者を暴露することのように読める。著者の証明するところでは、毛はマルクス主義者であるよりは、むしろ狂気に駆られたオポチュニストであった。
 著者が痕跡をたどったドキュメントの中には、中国共産党が創立される4年前、1917年に24才の毛沢東が書いた『自分自身に』と題する自伝的な文書がある。そこではダンディ風の反道徳主義が告知され、「私のような人間には、自己に対する義務しかない。私は、峡谷から上昇してくるハリケーンのように、力を崇拝する。・・・私は自分自身にしか責任を持たない。」
 「彼は殺人を好んだ」と著者達は書いている。1957年から1961年までの「大躍進」と称する強制的な工業化の間の中国農民の、(3,800万人と推定される)餓死者について、毛は、「彼らは土地の肥料になる」とうそぶいた。ヒトラーとスターリンの恐怖の方法に彼は「絶えざる脳のテロ」を付け加えた。これは自己批判し、自分自身の周囲の想像された悪行を暴露することによって、社会を神経症的に強迫に陥れるものであった。
 この本の本来のセンセーションは、1934年から35年にかけての大長征から始まる毛沢東の上に向かう道についての神話を一つ一つ下から解体する仕方にある。蒋介石が率いる国民党を前にしての紅軍の英雄的な退却戦、毛の卓越した戦略についての賛歌、これらは嘘とねつ造であることが暴露される。
 共産党の軍隊が通り抜けた省においては軍閥に期待したが故に、国民党が紅軍がロシア国境の方向に撤退をしやすくしただけでない。モスクワでは、ソヴィエトは、蒋介石の息子を人質に取っていたので、蒋介石は彼を取り戻すために、共産主義者を寛大に扱った。8万6千人の紅軍が延安では4千人に減ったのは、天候や荒れた土地のような自然の影響と並んで、毛の拙劣な指導と戦術的な無能力のせいであった。
だが、偉大な指導者は、大抵の時間をしばしば未成年の少女達が担ぐ駕籠に乗って運ばれた。しかし、担ぎ手の多くは、疲労困憊のために命を落とした。
 大長征の間の毛沢東神話にとって中心的なルディングの吊り橋を巡る戦闘は、実際は起こらなかった。退却する紅軍にとって、渡河は妨げられなかったし、ソヴィエト連邦が絶えず援助したお陰で、毛主席は、突破できた。北京政府が創立の象徴である毛についての真実を認めないのは不思議ではない。そんなことをすれば、政権が自己解体することになるからである。
 張戎は、14年前、文化大革命期の自分と家族の受難の時代に基づく彼女の自伝『ワイルド・スワン』で世界的成功を収めた。この新しい本で、彼女は歴史的次元への突破に成功した。この本が中国で出版されたら、1956年にフルシチョフが第20回党大会でスターリン批判を行ったときのように、地震が起きるだろう。53才の張戎は、既に『毛沢東:この知られない物語』の中国語訳に着手している。それは現代中国の最も重要な「地下出版」になるだろう。
6月10日付け『ヴェルト』紙に掲載された書評で、筆者はトーマス・キーリンガー。
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「イラクの外にいるが、戦闘に参加している」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2005年06月09日 | イラク問題
 シリアのアレッポ発:アメリカ軍がイラクに侵攻したとき、アブ・イブラヒムの家族は、シリア北部の共同住宅の中庭に集まった。10枚の折りたたまれた紙片がプラスティック製の袋の中に入っていた。彼らはくじを引いた。インクで印のついた紙を開いた5人がイラクへ行って、アメリカ軍と戦うことになった。後の5人はシリアに残った。アブ・イブラヒムが引いた紙には、インクの印はなかった。しかし、シリアに留まるということは、戦争と無関係であることを意味しない。2年以上、この4人の子供の父親である32才の男は、熱心に他の若いアラブ人がイラクへ行くのを手伝った。数百人のアメリカ兵と何千人ものイラク人を殺した武装勢力を育てた。
戦士の流入--大抵はシリア人だが、後には彼らが持ってくる現金によって、サウディ・アラビア人が好まれた--は、イラクの反対勢力の核心を支え、補充し、自爆攻撃をする人たちを供給した。アラブ諸国から引き込まれ、イスラム教の戦闘的解釈に養われたこれらの戦士は、自分たちは自分の信仰のビジョンのために戦っているのだと主張する。このことによって、彼らは、イラクのスンニー派アラブ人をこの国の新しい政府の支持者にしようとする努力の及ばないところに置かれているのだ。
 「私たちの兄弟は、イラクで、小さなグループに分かれて活動している。それぞれの地域で、人々は、宗教的指導者や部族長によって組織されて、アメリカ軍を攻撃している。私たちがシリアやイラクで兄弟に会う場合は、彼らを集めるのは、しばしば、私たちである。」
 反対勢力を支え、組織する場合のシリアの役割は、時間と共に変化している。イラク戦争の初期においては、戦士達はイラク行きのバスに群れ集まり、シリアの国境警備隊員は、国境のゲート越しに手を振った。だが、2004年の後半には、ブッシュ政権がシリアに圧力を加えた結果、シリアの治安部隊は、武装勢力の手助けをする人たちを逮捕した。しかし、アブ・イブラヒムを含めて多くの人たちは、数日の後には釈放された。それ以来、武装勢力の密輸人達は、こっそり仕事をしている。裏通りや中庭や公衆の広場やモスクで行われた一連のインタービューでは、アブ・イブラヒムは、明らかにアムン・ダウラと呼ばれる治安部隊のメンバーを伴っていた。昨年12月に、治安部隊は、彼のパスポートと身分証明書を没収した。彼の新しい身分証明書は、一枚のカードで、彼はそれを毎月彼の管理人に提示しなければならない。
 彼が述べた人間を密輸する組織の構造は、武装勢力におけるシリアの役割を詳細に研究しているアメリカ政府とイラク政府の評価と一致している。
 シリアで行われたインタービューは、イラク人武装勢力の説明を裏書きしている。それによるとアブ・カカという名前で知られているシリア人聖職者が、西欧に対するジハード(聖戦)を推奨したと言われている。2003年3月におけるアメリカ主導のイラク侵略以来、ジハードという概念は、多くの若いイスラム教徒、特に旅行する手段と資金を持った人たちの想像力に刺激的なインパクトを与えた。
 「アメリカ人は、イラクにいる武装勢力を何千人も殺せば、ジハードは終わると考えている。だが、彼らは彼らが直面している事態を知らない。周囲のイスラム諸国からのますます多くの若者達が目を覚まし、聖戦原理に従っている」とアブ・イブラヒムは、挑戦的に言う。(中略)
 「2001年9月11日は、素晴らしい日だった。アメリカが負けたのだ。われわれは、彼らがシリアかイラクを目標にするだろうということを知っていた。どちらかの国に何かが起こったら、われわれは戦うと誓った。」
 ニューヨークとペンタゴンの攻撃の2週間後、アブ・カカのグループは、アレッポの公衆の前でお祝いをするほど大胆だった。そこでは、ゲリラの戦闘訓練の模様を撮したビデオが上映された。後に、アブ・カカは、当局によって逮捕されたが、数時間後に釈放された。2002年までに反米祭りは、結婚式や集会に紛れて毎週、2回行われた。アブ・イブラヒムによれば、シリアの治安部隊や大統領の顧問も、「アラブは、ユダヤ人を打ち負かし、彼らを皆殺しにするだろう」という標語を掲げた反米祭りに出席していた。費用はサウディ・アラビアや他のアラブ諸国から供給された。
 アブ・カカを取り巻く青年達は、自分たちが驚くべき量の力を持っていることが分かった。彼らは、イスラム法を厳格に実行するように他の人々を強制することができる。たとえば、彼らは真夜中に行いが悪いと非難するために人の家に押し入ることができる。
「われわれはなぜ政府に逮捕されないのか」と部族長に聞いた際、部族長は、「それはわれわれが政府に対しては何も言わず、われわれの共通の敵であるアメリカとイスラエルに焦点を当てているからだ」と答えた。
 サダム・フセインの政府は、ボランティアを受け入れ、彼らに武器を与えて、彼らを「アラブ人のサダム・フェダイーン」と呼んだ。普通のイラク人はしばしば歓迎されず、家に帰れと言われた。あるシリア人は射殺されるか、アメリカ軍に引き渡された。
 イラクにいる協力者の依頼で、アブ・イブラヒムは、しばらく、戦士を送り込むことを止めた。「彼らはそこら中にシーア派やアメリカ人がいて、何もできないと言っていた。」
 しかし、2003年の夏には、武装勢力は組織され始めた。ボランティアを求める声が高まった。イラクとの国境をなしている大きな沙漠は、かっては商品を密輸するルートだったが、今度は、戦士を送るのに使われた。
 「われわれは、イラク人の密輸組織のための特別の会合場所を持っていた。われわれに15人以下の戦士しかいない場合には、彼らはやってこない。われわれは国境を越えて、イラクの村へ入る。そこから、イラク人の仲介者がムジャヒディンを訓練キャンプへ連れて行くんだ。」
 シリア人の戦士は、既に2年間兵役に服しているので、大抵は、訓練はしなくていい。訓練が必要なのは、サウディ・アラビア人だ」とアブ・イブラヒムは言った。その後、戦士はイラク人が指揮する小さな部隊に参加する。彼らはアメリカ軍の輸送隊に対して地雷を仕掛けたり、急襲したりする。
 「一度アメリカ軍がシリアへ行くバスを爆撃したことがある。われわれは大騒ぎをして、それは商人で一杯だったと言ったが、実は乗っていたのは、イスラム戦士だった。」
 2004年夏、アブ・イブラヒムは、50人のボランティアと共にイラクへ行った。イラク社会では、彼は注意を引くことなく動くことができた。しかし、彼が米軍のファルージャ攻撃の後、シリアへ帰ったとき、50人の志願者のうち生き残ったのは、たった3人だった。
 「若者は一生懸命に戦っている。サウディ・アラビアの将校や、シリア人、イラク人がいる。だが、サダムのために戦った人はいない。たいていの場合、彼らを指揮しているのは、ザルカウイだ。」
 「六ヶ月前にはザルカウイとオサマ・ビン・ラディンとは意見が違っていた。オサマは、シーア派を殺すのは正しくないと考えていた。ザルカウイは、シーア派を殺した。アメリカ人と協力する者は、キリスト教徒だろうが、ユダヤ人だろうが、スンニー派やシーア派だろうが殺して構わない。これは聖戦なのだ。」
(以下省略)
[訳者の感想]ガイト・アブドル・アハドという署名のある長文の記事です。シリアが武装勢力の供給地になっており、シリア政府は、表面だけ抑えているが、実際は、ムジャヒディンがイラクへ入るのを抑えてはいないようです。シリア国民の中に反米、反イスラエル、反西欧の考え方がかなり浸透していることがわかりました。これを読んで、私は1930年代のスペイン内戦を思い出しました。ナチ・ドイツに後押しされたフランコ軍と戦うためにヨーロッパや、アメリカから社会主義者や、共産主義者が武器を持ってスペインにやってきたのでした。フランス人のアンドレ・マルローやアメリカ人のヘミングウエイもその一人でした。もっとも、彼らは社会主義的なスペイン政府をたすけるために戦って、結局フランコ将軍(後の大統領)のファシスト軍に敗北したのですが。

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「中国の(卑劣な)財政上の犯罪」と題する『ワシントン・ポスト』紙の論説。

2005年06月07日 | 中国の政治・経済・社会
反米主義をかき立てる一例として、中国の経済政策に対するアメリカ議会の現在の論調を考えて欲しい。
中国は、ドルペッグの故に、知的財産権の侵害の故に、アメリカ人に安価な衣類を供給するという悪しき習慣の故に、叩かれている。これらすべては、邪悪で有害で不公正であると考えられている。北京政府が通貨切り上げをしないならば、中国製商品に25%の関税を課すべきだとする法案を67人の上院議員が支持している。議会の圧力に屈して、ブッシュ政権は、最近、中国製衣料の輸入に割り当て量を課すると言明した。
これは馬鹿げている。中国の政治システムは、ひどく、その武力増強は、威嚇的である。しかし、中国の経済的パーフォーマンスは、邪悪でも、有害でもない。中国は、1981年から2001年までの間に、4億人に一日1ドル以上の所得を与えた。同じ時期に世界の残りの部分における貧困に対する実質上の進歩は、ゼロであった。そして、中国の成長は、不公平ではない。それどころか、中国は、合理的な観察者が予測したよりも、より良いグローバル経済上の市民になった。
1.中国は、国際的ルールにしたがって行動しないと言われる。しかし、WTOへのアクセスの条件に合わせるために、中国は、2,600件の法令や規制を廃止したり、修正したと『フォーリン・アッフェアーズ』の最近号で、ニール・H・ヒューズは述べている。規則遵守は続いている。中国は、2007年までに資本市場を外国の競争に開放するために、WTOとの約束を推し進めている。
2.中国は輸入を差別していると言われる。しかし、200年と2004年の間に、中国のアメリカからの輸入は、倍増した。フランス経済のほうが大きいのに、昨年、中国はフランスよりも60%も多くのアメリカ製商品を輸入した。
3.中国は、外国からの投資を差別していると言われる。だが、過去25年の間に、中国は、日本が1945年から2000年までの間にした10倍の外国からの投資を受け入れた。その結果、中国の輸出の半分以上は、外国の補助によってなされている。
4.にもかかわらず、中国は、アメリカの貿易赤字に大部分貢献していると言われる。実際、中国の昨年の収支勘定(貿易収入額プラス僅かの対外支払い額)の黒字は、ドイツの丁度半分である。もっとも、中国が急速に拡大しているというのは、本当であるけれども。
米国の貿易収支の赤字は、2004年度に6,660億ドルに達した。これを中国の黒字のせいにすることはできない。なぜなら、中国の黒字額は、560億ドルに過ぎないのだから。世界の不均衡貿易について心配する議会の議員は、この数字を壁に書くべきだろう。不均衡に対する中国の貢献は、アメリカの貿易赤字の12分の1であった。
5.今年初めの中国からの輸入の急激な増大の故に中国を叩いている。だが、この急激な増大が起こったのは、中国の輸出がそれ以前には保護貿易主義者によって抑えられていたからである。現在、ブッシュ政権は、再び割当制を課そうとしている。もし誰かが市場を不公平は仕方で歪めていると非難されるとしたら、それは中国であるよりはむしろ、米国である。
6.議会はまた、為替政策と米国の知的財産の侵害の故に、中国を叩いている。だが中国の安い人民元は、アメリカの財政赤字と同様、不均衡なグローバル経済に貢献している。しかし、中国も米国も、変化がそれ自身の利益に役立たなければ、変化しようとはしない。安い人民元は、中国にインフレの圧力を作り出す。だが、中国は、それが農村を離れ、あるいは、効率の悪い国営企業を離れる何百万人のために製造業を作り出す限りは、インフレを押さえ込んできた。
その上、たとえ、中国が人民元を実質的に切り上げた、--例えば、10%ないし15%--としても、そして他のアジアの諸国が追随したとしても、その結果は、米国の貿易収支赤字のかなりつましい減少であるだう。中国の為替政策は、重罪と言うよりはむしろ、経済上の不行跡である。
中国の知的所有権侵害は、Tシャツやブラジャーの輸出よりも米国にとって大きな脅威である。衣料品産業は、アメリカの財産にとっては、周辺的であるが、知的財産は、中心的である。しかし、ある程度の海賊行為は、発展途上国においては、風土病である。実際には、中国は、海賊行為を禁じる法律を書籍の上に明示している。
これらの喧嘩を視点に入れるならば、議会は、5年前の中国のWTO加入についての議論を思い出すべきだ。その当時、中国の詐欺行為は、WTOの議論において、不満の洪水を引き起こすだろうと予測された。本当のビッグ・ニュースは、そういったことが起こらなかったことである。より年期の入ったアジアの虎である韓国や日本と比べて、中国は、開かれた輸入に重きを置いた仕方で発展したのだ。中国はグローバル経済の規則によってプレイしようとしている。もっとも、その記録は、完全ではないけれども。
 そもそも誰が完全な記録を持つことができるだろうか。インフレと戦うサド的マネタリズムがグローバルな成長を妨げているヨーロッパ人も、農業保護主義の王様である日本も、アメリカ議会も完全な記録は持っていない。米国の財政赤字について、とんでもない農業補助金について、外国人に対して不正に操作された反ダンピング法について、議会は何をしようとしているのか?実際、中国がその問題についてしていることと同程度のことしかしていない。
[訳者の感想]中国がこれまでやってきた経済政策にかなり理解を示す論説だと思います。アメリカ政府の政策に対してはかなり批判的だと言えます。前出のポール・クルーグマンよりは、中国に味方していると言えるでしょう。タイトルの「卑劣な」(petty)という言葉が括弧に入れてあるのは、議会筋が使っている用語であって、この論説の筆者セバスチアン・マラビー自身は、そうは思っていないと考えます。
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