海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「エジプトの若者の挫折した夢」と題するBBC NEWSの記事。

2009年08月11日 | 社会問題
 サミーは死んだ人たちと家を共有している。彼らは彼の台所のあたりに60人ほど埋められているが、彼はその誰も知らない。
 ちょっと不気味に聞こえるかもしれないが、この話はエジプト人にショックを与える点は何もない。実際、統計によれば、カイロに住む人の18人に一人は「死者の町」に住んでいる。彼らはなぜかと問うのを止めた。
 「死者の町」は、中世のカイロの端から始まって、マカッタム崖のふもとまで8キロ伸びており、四つの異なる墓地を包括しているのだ。いくつかの丸屋根は、近代エジプトの創始者だった「モハメッド・アリ」の家族廟のようなもっと有名な墓を目立たせている。内部には、彼の三人の息子の精緻な記念碑は、王冠やトルコ帽や忠誠の印で仕上げられている。だが、サミーの家のもっと地上的な囲いの内部では、廟は郊外のバンガローのように見える。中庭は、明るい色の干し物で飾られており、格子のついた窓にはカーテンが懸かっている。墓として作られたサミーの寝台の屋根にには、電線が垂れ下がっており、それで、電力が盗まれている。
「リング路沿いの空いたアパートよりも、この家のほうが大きいんだ」とサミーは自慢する。
 しかし、サミーの15才になる娘のサマーにとっては、この家は自慢にはならない。学校では、彼女は、「墓地不法占拠者」の子供だと烙印を押されている。
 「私たちはここに住んではいけないのよ。私たちは知的な教育ある家族よ。私の姉は工学部の学生だし、兄はアラビア語科の学生だし、私は医学大学へ行って勉強するつもりだわ。私は何時かここを出て、新しい家を買い、一生そこに生活していたかのような振りをするの。」
 どれほど多くの若い人たちが「死者の町」に住んでいるかについての統計はないが、カイロの人口の60%は、25才以下なのだ。
サマーは、典型的なアラブ人の若者であり、何かもっと良いものを求め、一生懸命働くけれども、彼らの過酷な現実の足かせを破ることが出来ない。
 彼らは「待ち状態」として知られている。つまり、これらの若者たちは、彼らの人生の最良の年月を仕事と給与と家を「待って」すごしているのだ。彼らが教室を出ると、70%の卒業生は非公式な分野に入らざるを得ない。彼らの多くは、家族をもてない。この町では、平均の結婚年齢は31才である。
 「これは、これらの人々にとって絶望的な状況です。だが、「死者の町」に住む人だけではありません。何十というスラムがあります。それはエジプトのいたるところにあります」と国家計画研究所のエコノミストであるイブラヒム・アル・イッサウイは言う。
「彼らは良い公的教育、保健サービス、雇用の機会などの基本的な必要を求めていますが、それらはここにはありません。特権的な僅かの人を除いて」と彼は付け加えた。(後略)
[訳者の感想]アラブの大国エジプトでさえ、青年たちに職業と家を与えることができないというのでは、テロに走る若者が後を絶たないのは当然だという気がします。
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「自動車王国の危機」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2008年12月27日 | 社会問題
自動車産業は、ドイツの輸出の原動力だ。現在、工場は操業停止状態。どこでも時間短縮。将来を考える時間。自動車で食べているか、自動車を利用している人々の出会い。労働者、経営委員会、市長、ディーラー、車を運転する人、危機後の時代のために製品に手を加えている開発者。
ジンデルフィンゲン市のメルツェデスの工場。メルツェデス社の屋上の大きな星印が道しるべになった。そこでは、3万6千人の労働者が働いている。流れ作業で仕事をしている4人の人に聞いた。
「われわれはEクラスの組み立てをやっている」とルイジ・ロッコは言う。彼はドイツにやってきた最初期の外国人労働者だ。Eクラスは、メルツェデスそのものである。ロッコの仕事は、車の最後の仕上げである。「私は37年間、ダイムラー社で働いて来た。こんなことは初めてだよ」とグレイの職工服を着た60才の労働者は言う。次の日、つまり、12月12日に、製造工程で働く2万8千人の従業員にとって、4週間の強制休暇が始まる。工場の管理部は、在庫を作る気はない。それは労働者にもわかっている。しかし、彼らはなんとなく、落ち着かない。なぜならば、「その後で、彼らの多くは、復活祭までは、操業短縮に入るからよ」とレークリンデ・シュルツ看護師は言う。55才の看護師は、16年前にダイムラー社で仕事をはじめた。彼女は自分のことはあまり心配していない。だが、息子が心配だ。彼も工場で働いている。家を買ったばかりだ。自己資産はあまりない。
「俺の親父は、おまえはダイムラーに入れたんだと言ったよ」とトーマス・ハルトマンは言う。当時、彼は18才だった。現在、彼は40才だ。「グローバル化は、専門労働者にとっては、大したことはなかった。」「俺たちがクライスラー社と一緒じゃなくて、良かったよ」とラマザン・ゼンチルチは割り込む。「さもなければ、オペルよりも悪かっただろうよ。」塗装工であるこの32才のの父親は、夜学で経営学を勉強している。今分かったことは、単に学習した職業でうまくやることに頼るわけには行かないということだ。
 最初に出会ったロッコは、下請け業者のところで、もう少しで仕事を失うところだった。以前は、彼はいつもクリスマス前後に2週間半の休暇を楽しんだ。今度はそうはいかない。「この先どうなるか、誰にも分からないわ」とレークリンデ・シュルツは言う。彼女は、仕事については不安はない。企業と労働組合の間の契約によれば、2011年までは解雇されない。「私たちが全金属産業労働組合(IG Metall)をもっているのは良いことよ。」
 春には新しいEクラスができる。通常、このようなモデル・チェンジの際には、生産は急速に向上する。予告された短時間労働は、執行部の慎重な計算によるものだ。「金融危機に対しては、彼らは何もできないだろう。だが、彼らがもっと節約できるエンジンの開発をずっと以前からはじめていたらよかったのに」とロッコは言った。(以下省略)
[訳者の感想]ドイツには「全金属産業労働組合」(イーゲー・メタル)という強力な組織があるので、労働者は、不況のときでも簡単には首を切られないようです。
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「ドイツの女性には前より多くの子供ができる」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年08月21日 | 社会問題
ウルズラ・フォン・デア・ライエン家庭相は、3月に次のように述べた。「2007年の出産率は1.2%を超えるというのに賭けてもいいわ。」連邦統計局は、2007年度の出産率が1.37%に達したと発表した。明らかに三月には、家庭相は出産促進政策に対する興奮を押さえられなかった。家庭省の内部的計算では出産率は、1.47に達すると思われていた。
だが、フォン・デア・ライエンは、負けた賭けのためにシャンパンで乾杯するだろう。なぜならば、この国を家庭に優しくしようとした家庭相は、2007年度の出産率が過去6年間の中で最高の値にまで増大したことを確認できるからだ。それと対応して、彼女は数字についてコメントした。「出産の増加をとても喜んでいます」とライエンは言った。そのわけは、彼女が人々は彼らが世の中に送りだしたよりも多くの子供を持ちたいと思っていると信じるからである。特に若い夫婦が次第に彼らが望む子供を作るということを彼女は喜んでいる。
子供をほしいという願望が、物質的な状況のために挫折しないということが、2007年の出産増加の年に発効した最大のプロジェクトの動機になった。その法律によると、2007年1月1日以後に子供が生まれた両親は、子供を世話する人が以前に稼いでいた金額の最大67パーセントを受け取る。
2007年には、前年より1万2千人多くの赤ん坊が生まれたが、この出産数の増加が本当に出産手当のせいであるかどうかは、これまで十分に研究されていない。考えられる他の理由は、文化的な変動や若い人たちに楽観的な未来の展望を可能にした失業数の減少であるかもしれない。しかし、統計からは、出産増加が出産手当と関係があるということを示唆している。出産率が一番増加したのは、33才から37才までの年齢の女性である。25才以下の女性では出産率は低下した。中年の女性が出産手当の利益をもっとも受ける。特に、出産以前にすでにきちんと稼いでいた人たちにとっては、収入に依存した国家の給付は、値打ちがある。これは、たいていは、中年の女性である。彼女たちが出産手当でやっと子供を作るように励まされたかどうかは、不明であるが。CDU会派の家族政策についてのスポークスマンであるヨハネス・ジングハンマーは、出産増加は、成功の目玉である出産手当が効を奏したということを確信している。(以下略)
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「中年は今、現金がほしい」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2008年04月12日 | 社会問題
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 経済・社会の研究者であるマインハルト・ミーゲルは、将来、世代間に取り分の戦いが起こると予想している。連邦政府が決定した行過ぎた年金増額は、老齢化している社会の展開にとっての先駆けである。「これらは最初のツバメです」と「経済と社会研究所」(IWG)所長のミーゲルは『ヴェルト・オンライン』との会見で述べた。「われわれは老人共和国に至る途中なのです。」
 ドイツではますます少子化が進むと同時に、老齢化が増大している。将来、老人が選挙権者の多数を占めるだろう。「共和国が既にいま次の選挙をにらんで改革しなければ、このことは、私を悲観的な気分にしますね」とミーゲルは言った。というわけは、彼は年金生活者が自発的に比較的若い世代の負担可能性に配慮し、自分たちの要求を引き下げるとは予想していないからである。「中年の人口集団には時間の余裕はなく、現在、現金をほしがっている」と社会研究者は言う。
 子供を持たない人たちの割合が増えていることも、社会に巨大な影響を与えている。1965年生まれの女性の3分の1には、子供がいない。子供を産むという行動が変化しないと仮定すると、この年齢のグループには、将来も孫はいないだろう。「若年世代が老年世代の年金を支えるというこの世代間構造は、その場合にはもはや存在しません」とミーゲルは言う。「そえゆえ、社会のシステムにおいて、祖母とその孫の間の配分は、問題になりません。」
 ミーゲルの予言によると、現在成長している世代には、どんどん増大する税負担と支払い負担をする覚悟はできてないだろう。「若い世代は、負担を免れる手段や方法を見つけるでしょう。」この過程は、既に始まっている。普通の市民は、今日既に、過大な要求をされていると感じている。17年前から、すでに、市民は、彼らの実質所得が改善されていないと感じている。実質所得は、それ以来平均して約1,500ユーロ(24万円)にとどまっている。
 それゆえ、政治によって想定された年金保険や健康保険や介護保険の増額を国民が文句も言わずに引き受けると信じることは無理である。年金保険だけでも、2030年までに、現在の所得の19.9%から23%に増えると予想されている。その際、長期的予測は、経済的発展が持続的に増大することを前提している。だが、それは、グローバル化と厳しい競争から見て、決して確実ではないのだとミーゲルは言う。「だから、ドイツの社会システムは、非常にあやふやな磯の上に成り立っているのです。」(以下省略)
[訳者の感想]日本でも、年金が果たして貰えるのか、健康保険や介護保険の負担がますます増えるのではないかという漠然たる不安がありますが、ドイツでは元大統領や社会学者までがはっきりものを言っているなという気がします。今の日本政府にとてもこんな予測をする勇気はないでしょう。
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「高齢者の世話は誰がするのか」と題する『ロサンゼルス・タイムズ』紙の論説。

2005年12月11日 | 社会問題
高齢化の波はひたひたと押し寄せている。65才以上のアメリカ人は、現在人口の12%を占めているが、2030年には20%に達するだろう。この増大する数の高齢者の面倒を見る若い人たちの数が減るという事実にわれわれはどう対処しようとしているか?これは日曜日に始まるホワイトハウスの「高齢化会議」で答えられるべき重大な問題である。だが、それが答えられる兆候は少ない。
1961年にケネディ大統領がこのような会議を始めて以来、組織者は、よい考えを求めて国中の活動家や専門家に意見を求めた。それ以来、10年に一度開かれるすべての会議で、老齢化法の言葉を借りると、このようなアイデアは、「収入、住宅、健康、雇用、定年退職、コミュニティ・サービスの領域」での改善に集中してきた。
だが、ブッシュ大統領によって会議の立案に任命されたドーカス・ハーディが私に語ったところでは、「今度の会議は違います。」一つは、その指導的哲学は、個人の責任を強調し、連邦政府の行動を余り強調しない。彼女が会議から何が結果すると期待しているのか私は尋ねた。
「健康なダイエットと運動です」と彼女は答えた。更に彼女は、「長期的なケア」に言及したが、すぐに「すべてが連邦政府や州政府の責任になるのではありません」と付け加えた。
今年の会議は他の点でも違っている。その組織化は今までで最も小さく、最も遅い。2004年の末まで、役人達は会議を開くかどうかで揺れていた。
「老齢化に関するカリフォルニア委員会」のメンバーであるマービン・シャクターによれば、「今回は、やり方は上意下達である。主催者は、「公聴会」を開いたが、彼らは話し手を選んでいて、われわれは聞き役だった。」
一つだけは確かである。つまり、テクノロジーに発言権があると言うことである。ワシントンのコンベンション・センターの1万平方フィートある「空想のパビリオン」には、33個のテクノロジーが展示され、その中でグランド・ケア・システムの「リラウエア」は、家庭の寝室にいる高齢者患者の日常の動きを報告することができる感知装置を展示している。
見学者は、人員が減らされた家庭看護のフロアーを歩き回る「パール」に出会うかもしれない。それは入居者に食事をし、飲み物を取り、薬を呑み、トイレに行くことを思い出させるロボットである。彼女は、テレビの天気予報やプログラムを教えてくれる。カーネギー・メロン大学とピッツバーグ大学の研究者によって開発された「パール」に資金を提供したのはインテル社である。カーネギー・メロン大学のロボット工学研究所によれば、「パール」のようなロボットは「社会的相互作用」を可能にする。
勿論、実生活では、ケアをするのは、人間である。高齢者が受けるケアの三分の一は、家族や友人によってただで提供される。その多くは、フルタイムの仕事を持つ40代から80代までの女性である。このような女性は、仕事を辞めることはできない。彼女たちが年を取っても、行政は、仕事を止めることを欲しない。ドーカス・ハーディがコメントした通り、「われわれは定年者がゴルフ・コースを歩くのを止めて仕事に戻ることを望んでいます。」だが、「お祖母さんの看護」と「政府から多くを期待するな」と「仕事をし続けよ」というレトリックの間に捕まって、これらの女性は、どこでもゴルフ・コースには近寄れない。
男性はどうか?彼らはもっと老人の世話をしている。ある研究によると、何らかの老人看護をしている男性の47%と女性の53%は、自分を第一次的な看護人であると述べている。
更に、女性は、より多く食事を与え、風呂に入れ、トイレに付き添うなどより長い時間を提供している。身体不自由な夫の看護をしている女性は、週に28時間、看護に従事している。身体障害の妻の看護をしている夫は、週に15時間を看護に当てている。身体が不自由な両親の面倒を見ている娘は、週に13時間を看護に当てている。息子は、10時間を当てている。
息子や娘、姪や甥達は彼らの愛の労働をしているのだ。だが、高齢者の多くは、ぎりぎりの生活をし、家庭のヘルス・ケアのための時間を州政府が短縮するのに直面している。ロサンゼルスのような都市では、輸送が問題である。看護の家庭に、看護者は、行ったり来たりしなければならない。ケア・ウアーカーの間の年間の転換率は、非利益の家庭看護では60%に達し、利益と引き替えの看護では100%に達している。これらの必要に対応する費用は、減税と戦費に消えている。だが、高齢者看護の第三シフトを会社における第一シフトや家庭における第二シフトと結びつけようとする戦っている人々にとっては、本当の英雄的な戦いは、家庭戦線にある。
「高齢者会議」で何が起こるか注目しよう。だが、これまでのところは、ブッシュ政府は、大波を乗り切るのに、小型ボートしか約束していない。確かにわれわれはボートをよく漕がねばならず、正しく食べ、体操をし、前もって計画しなければならない。だが、ボート漕ぐだけでは十分ではない。われわれは「空想のパビリオン」が老人と彼らを幸福にする無給にせよ有給にせよ、看護者のための公的政策を展示すること望んでいる。ロボット「パール」については、彼女をそれを作った工場に送り返そうではないか。
[訳者の感想]12月10日号に掲載されたアーリー・ホックシルドという人の論説記事です。
彼女はカリフォルニア大学バークレー校の社会学担当の教授です。小さい政府を目指して、社会保障を削減することに一生懸命なブッシュ政府に対する厳しい批判がなされています。恐らく小泉政府もおなじようなことを考えていると思います。私のような老人にとっては海の向こうの人ごとだとは思えません。
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