海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「見ろ、あれはビン・ラディンだ」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年10月29日 | テロリズム
ベルリン発:オサマ・ビン・ラディンは、ネッシーと共通点がある。確かに、アルカイダの創設者の存在は、基本的に疑われない。だが、このスコットランドの湖の怪物と同様、新たな映像は何人かの人たちには彼が存在することの証明だと評価されるが、他の人たちは、いかさまだと退けられる。
その理由は、オサマ・ビン・ラディンは、比較的しばしば登場しているが、彼の副官であるアイマン・アル・ザワヒリがもっぱらビデオによる告知という形で現れるのとは違っている。彼の良く響く声と現実の出来事に対する込み入った注釈とは、彼が生きている証拠だと見なされた。最後に登場したのは、2007年でその前は、2004年である。
動いている映像が不足してることによって、繰り返し、次のような憶測が生まれた。このサウジ・アラビア人は、非常に健康状態が悪いので、ビデオで撮影すると彼の絶望的な印象を残すだろうという憶測である。
今度の憶測は、オサマ・ビン・ラディンは、いわばお忍びで、実際のアルカイダのビデオの中に収められて密輸されたというものだ。
この問題となるビデオは、水曜日の早朝、これまでのやり方でインターネットを通じて放映された。アルカイダの宣伝部である「アル・サハブ」は、ウエッブサイトで、アルカイダのイデオローグであるアブ・ジャジャ・アル・リビの説教を公開した。このビデオの本物性を疑う理由はない。従って、アル・リビの説教の内容は、伝える値打ちがない。
約45分かかるビデオの終わり近く、厳密に言うと、43分29秒から43分40秒までの間に、アル・リビの説教を聞いている聴衆の中にオサマ・ビン・ラディンにそっくりの男が認識されるのだ。
というわけは、馬鹿げたことに、アル・サハブは、この男とすべての他の聴衆とをぼやけさせた。
私もこのビデオを見たが、この箇所の前で画面が切れた。ワシントン近郊にある「インターセンター」のアナリスト達は、別の意見だ。この研究所は、テロ告知の評価に特化されており、全世界の官庁を顧客にしている。
この研究所のアナリストにとって、画面に映る聴衆とビン・ラディンとの類似性は非常に驚くべきものなので、彼らは折り返しこの画面を公開した。(中略)
オサマ・ビン・ラディンがこの説教の際、出席していたということは、十分考えられる。勿論、アルカイダのナンバー3と同じ場所に滞在しているというのは、危険である。だが、オサマ・ビン・ラディンは、常に合理的だとは限らない。
もし、それが本当にオサマだとしたら、そうすることで彼は信奉者達に「見ろ。おれは生きている。だが、おれはいつも最前列にいるわけではない」言いたいのかもしれない。
この聴衆の一人がビン・ラディンであると検証されれば、それは情報機関にとっては、同様に興味深いだろう。どの場合、彼はまだ生きており、動く自由を楽しんでいることが分かるだろう。
世界中のアルカイダのファンが耳をそばだてている、ジハード・インターネットでは、ファンの間で議論され、「問題」が彼らのやり方で推し進められるだろう。だが、いわゆるビン・ラディン登場については、水曜日の午後まで、テーマになっていない。
この事情を、ビデオに出てくる人物がビン・ラディンではないということの証拠であると私は見なしている。
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「偽黒人ヴァルラフは、悪趣味で卑怯だ」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年10月23日 | 差別と格差
今度は白の上に黒く塗っている。ドイツの至る所で、ドイツ東部だけでなく、ケルンやグンマースバッハでも、日常的人種差別が巣くっている。ギュンター・ヴァルラフは、テストをした。顔を真っ黒に塗り、かつらをかぶり、ボタン穴にカメラを隠して。
自分自身を使ってやるテストは、彼にとっては、調査的ジャーナリズムの究極の形式である。「ハンス・エッサー」として、彼は『写真新聞』(センセーショナルな写真ばかり載っている俗っぽいドイツの夕刊新聞)の編集部に潜り込んだ。トルコ人「アリ」に化けて、彼は当時まだそう呼ばれていた「ガスト・アルバイター」(外国人労働者のこと)の生活条件や労働条件を探った。
今回は、彼はソマリア人「クワミ・オゴンノ」に化けて、一年以上もドイツ中を旅した。北から南へ、西から東へと、黒人なら、ドイツで何を体験するか知るために。縮れ毛で肩掛け鞄をもった黒人が、木イチゴを摘むために、彼らの仲間に入りたいと言ったときに、老人達のグループがどれほど困惑するかを見給え。
ケルンの介護犬訓練所でも、彼は歓迎されず、彼が仲間になれないように、いろいろないい訳をねつ造する。クワミは、沢山のドイツ人が、避けて通るドイツ的生活の様々な領域に入り込む。
クワミが狩猟試験をできるかどうか尋ねるローゼンハイムの公安局では、事態は、全くスキャンダラスに進行する。役人達は、びっくり仰天。クワミが身分を証明できないと分かると、彼は役所から放り出される。(中略)
ヴェルリッツァー公園のボート遊びのような幾つかの状況では、カメラ・チームが人々の間に紛れ込んでいる。自分たちが試験用のモルモットの役になっているということを知らない被験者にとっては、この「誰が黒人を不安がるか」というゲームから、逃げ出すことはできないのだ。(後略)
[訳者のコメント]「ヴァルラフ、またやったか」という感じですが、ドイツ人が普段触れたがらない人種差別が、いろいろな場面で暴露されているようです。「どっきりカメラ」よりは、悪質かもしれません。
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「体制に刺さった棘」と題する『ドイツの波』の記事。

2009年10月18日 | 中国の政治・経済・社会
ミュンヒェンの「芸術の家」のファサードは、展覧会の表看板になった。100メートルある正面には、9000個の白・赤・青・黄・緑で彩られたプラスチックのランドセルが掛けられている。ランドセルの色の配置で「7年間、あの子は、この世で幸せに生きていました」という文章が中国語で書かれている。これは、2008年に四川省の大地震で校舎が倒壊したために死んだ娘についてその母親が言った言葉だ。「校舎は崩壊し、数千人の人間が消えた。数千人の子供たちも死んだのに、政府は彼らの名前を公表しようとしない」と艾未未(アイ・ウェイウェイ)は言う。
漢字で書かれたこの文章は、ミュンヒェンの中心に告発者のように立っている。展覧会を見る前に、その文字は、中国の腐敗した政治家に注意を向けさせる。なぜならば、艾未未は、彼らが数千の学童の死に対して責任があると言っているのだ。校舎を建築する際、手抜き工事が行われたからこんなことになったのだと彼は信じている。だが、「この國にとっては、貧しい者の権利はどうでもいいのです」と彼は嘆く。
 艾未未の芸術は、中国における彼の政治的参加の表現だ。彼の作品は、現実の変化を糾弾している。そういうわけで、彼は6000年以上経っている新石器時代の壺に安っぽくどぎつい色の工業用ペンキを塗る。彼は築後数百年経っていたが、近代的な建物やショッピング・センターを建てるために取り壊された寺院の材木や机で仕事をしている。幾つかの作品では、彼は幅30センチある板で古代の木製の机の天板をぶち抜いている。こうして出来上がったオブジェは、がっしりしていると同時に同時に優雅だ。「文化大革命の間、非常に価値のあるものを壊した人は、良い毛沢東主義者でした。私たちは歴史的な作品に対して、今でも全く敬意を払わないのです」と艾未未は言う。伝統的な中国の美学から見ると、これらの作品は、古いものすべてを遠慮なく破壊する近代化の野蛮さを反映している。
 知識と記憶とをコントロールしようとすることは、独裁政の本質に属している。中国では、若い人たちは、1989年6月の民主化運動の弾圧(天安門事件のことを指している)について一度も聞いたことがない。1930年代のドイツにおけるナチの宣伝も、何を思いだしてよいか、何を思いだしてはならないかを定めていた。艾未未は、ミュンヒェンの「芸術の家」で、この統制を取り上げているが、彼はヒトラーがこの建物をドイツ芸術のために、--ヒトラーが頽廃していないと考えた芸術作品ために、--建てさせたということを示唆している。この建物の大きな中央ホールに、艾未未は、長さ35メートルのジュウタンを敷いた。最初はそれは目につかない。なぜなら、彼は、元の床タイルの色や木目を正確に再現しているからである。このジュウタンの上に、艾未未は、100本の木の根や木の部分を置いた。表面下にあるものは、彼の作品では上に向けられており、そこにあったものが、目立つようになっている。
 「私はこの体制と取り組まざるをえないのです。なぜなら、もし、私が何も言わなかったら、私は体制の一部になってしまいます。でも、私は北京に住んでいるから、芸術家として中国と政治的に対決しなければなりません。」それゆえ、彼は、おそらく再び中国に戻るだろう。なぜなら、彼は公然たる批判者、体制に突き刺さった棘でありたいからである。
[訳者のコメント]この記事を載せた「ドイツの波」というのは、海外向けの放送局です。ドイツ連邦外務省の管轄下にあるのではないかと思います。
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「英国エネルギー相、モスクワで偶然、親類を発見」と題するBBC.NEWSの記事。

2009年10月08日 | 人物
事件は、モスクワの人気のあるラジオ局「モスクワのエコー」の電話プログラムの最中に起こった。
若々しい顔をしたミリバンド氏が一酸化炭素排出と永久凍土の融解について答えようと用意していたところかなり年配の女性の声がやってきた。
「私はソフィア・ダヴィドヴナ・ミリバンドよ。私はあなたの親類なの。(ロシアで)生きているのは、私だけよ」と言った。
英国の大臣が呆然となったとき、ショウの司会者は、回線を切った。明らかに、いたずら電話だと思ったのだ。だが、それはいたずらではなかった。
ミリバンド大臣が彼の長い間行方不明だった親類に会おうと突進したとき、英国大使と招待された数十人の客達は、大使館の受付で足止めを食った。
ソフィア・ダヴィドヴナ・ミリバンドは、86才になる学者である。彼女はかっては、「モスクワ東洋学学校」でイランに関する指導的な専門家だった。
翻訳するやら、英国にいる彼の母親に電話をかけるやらした結果、彼の曾祖父の父親がミリバンド女史の祖父の兄弟だったことが判明した。
彼らはどちらも、ポーランドのワルシャワのユダヤ人街で生まれたのだ。
エドワード・ミリバンドの祖父は、1920年代にポーランドを出て、ベルギーに落ち着いたが、ヒットラーの軍隊が侵入してきたとき、彼は、再び自分の息子--つまりエドワードの父親--と一緒に、偽造した書類で英国に渡った。
ミリバンドの一族の他の人が東にモスクワまで逃れたことは、彼らには知られていなかった。
ソフィア・ダヴィドヴナは、ミリバンドにとても嬉しいと語ったそうだ。彼女には子供がなく、自分は最後のミリバンド一族だと思っていた。遙か離れた英国で、親類が二人も内閣に勤めているということは、(弟のデイビッド・ミリバンドは、英国の外務次官である)彼女も殆ど知らなかった。ミリバンド氏は、BBCのラジオの「午後4時のプログラム」に、「驚くべき女性だ」と述べた。
「私は、子供の時彼女の存在についてぼんやりとしか知らなかった。どうして知っていたかというと、コンピューターに「ミリバンド」という名前を入力すると、彼女の名前が出てきたんだ。」
私は子供の時から彼女についてはいささか驚嘆していた。でも、面と向かって会えるとは、すごいことだ。」
「彼女は、一族の結びつきを作りだして、自分が最後のミリバンドではなく、英国に家族の分家がいるということを知る以外には、デイビッドや僕にはそれほど興味はなかったと思う。」
[訳者のコメント]おそらく、1989年以前には、イギリスに親戚が居ると言うことは、公言できなかっただろうと思います。
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「宣伝ビデオにドイツ人の聖戦コロニー」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2009年10月04日 | テロリズム
新たに、アフガニスタンとパキスタン国境から持ち出されたドイツ語を話すインターネットで公開された。その中に見られるのは、数名のドイツ語を話すイスラム主義者とウズベキスタンのイスラム運動の戦士であるが、その中には既に知られているボン出身のムニール・チョウカとヤシン・チョウカの兄弟がいる。
この宣伝ビデオから、初めて、ドイツ出身の聖戦士が浮かび上がった。彼らは自分たちを「アブ・アスカル」とか、「アブ・サフィヤー」と称しており、不信仰者に対するジハードに参加するように呼びかけている。
一時間ほどのビデオに示されているのは、主に、パキスタンとの国境での戦闘シーンと「国際イスラム同盟」(IMU)の訓練キャンプでの日常生活と「アブ・イブラヒム」ことヤシン・チョウカの比較的長い説教である。
このモロッコ系ドイツ人は、「聖戦」の長所を説明し、ドイツ在住のモスレムに対して、ジハードに参加するように要求している。「聖戦は、高い目標をもった奉仕者の神に対する奉仕だ」と彼は説明している。更に、「デモやパンフレットでは不信仰者の暴力を止められない」と言われている。
「アブ・サフィヤー」と名乗るもう一人の聖戦士は、ビデオのある場面で、「ジハードに生きることは、自由に生きることだ」と宣言し、「ジハードとその後に来るものが、私の心を捉えた」と言う。同様にドイツ出身の「神の戦士」である「アブ・アスカル」は、地面に座って、カラシュニコフ銃を抱え、手に黒い剣を持っている。彼と信仰の兄弟達は、宗教を勝利に導くために、ドイツと両親を捨てたと述べている。
宣伝ビデオの別の箇所では、「アブ・アスカル」は、一連のテログループの中には、ロシア、モロッコ、チュニジア、中国、欧州、ウズベキスタン出身の兄弟達がいると言明している。
「ウズベキスタン・イスラム運動」の訓練キャンプも、このビデオに現れる。そこでは、既に聖戦士の跡継ぎたちが訓練されている。明らかに、既に小さな子供も銃の取り扱いに通じており、イスラム主義的教育を受けている。子供達の間に何人かの金髪のヨーロッパ人に見える少年達がいるのが目に付く。
「ウズベキスタン・イスラム運動」の首領であるタヒル・ユルダシェフは、画面の中で、チョウカ兄弟の間に座っている。アメリカとパキスタンの秘密情報機関によると、ユルダシェフは、よく知られたアルカイダの同調者であって、8月末に米軍の空からの攻撃で殺されたそうだ。しかし、この推定の証拠はまだない。
プラーグのラジオ放送局「ラジオ・リバティ」には、最近、イスラム過激派のボディ・ガードが連絡してきて、ユルダシェフは、ワジリスタンでのロケット攻撃の後、負傷していると伝えた。ドイツ人イスラム主義者がその時間にユルダシェフのそばに滞在したいたかどうかは知られていない。
週刊誌『シュピーゲル』の報道によると、五月以来、ドイツ系イスラム主義者のグループがパキスタンで逮捕されているが、その中には、4才の女児がいた。彼女は逮捕されたとき、訓練キャンプ地へ行く途中だった。
ボン地域出身の聖戦士の募集者のなかには、チョウカ兄弟のリビア人義兄弟がいるそうだ。逮捕された男性のうち二人は、「聖戦に」赴こうとしていたと認めた。
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