海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「中国の恩恵の下の独裁」と題する『南ドイツ新聞』の記事。

2010年08月29日 | 北朝鮮問題
北朝鮮もいまツイッターをしている。最初の書き込みは、二週間前に現れた。[@uriminzoku]という名前のユーザーによって書かれたツイッターは、「我が民族」という愛国的ウエッブサイトの上のサービスは、今後もっと良く維持されると伝えた。もっとも、それはネット上の北朝鮮の現実とはいささか一致していない。最初のツイッターの一つでは、1997年に書かれた金正日の論文が扱われていた。
これに対してもっと新しいニュースは、もっと入手困難ある。そういうわけで、またもや、北朝鮮における王朝の交代についての憶測が飛び回っている。「愛する首領」は、現在、中国旅行中である。党首の後継者であるキム・ジョンウンも同行しているという噂だ。
無数の観察者は、数ヶ月間に二度目の中国訪問の理由は、平壌における後継者の準備にあるとみている。経済的に破綻している北朝鮮の唯一の強力な同盟国である中国は、計画された権力交代に反対している。北朝鮮の首都からは、このような憶測に対する答えは得られない。
その間、金正日は、2008年の脳梗塞からゆっくりと回復しつつある。それ以来、一連の出来事は、25歳か28歳と推定される金ジョンウンが世界史上最初の世襲共産主義王朝の三番目の支配者になったと伝えられている。金正日自身は、彼の父金日成から権力を譲られたように。
というわけは、金ジョンウンは父親が軍事施設を視察している際に、彼の父の傍らにいるのが目撃されたからである。金正日の義弟である張ソンテクの昇進は、キム・ジュニアの戴冠が内輪の指導層の権力を確立することで準備されなければならないというように解釈されるからである。韓国の「天安鑑の撃沈は、韓国の情報機関によって、キム・ジュニアの仕業だと見なされた。もちろんこのようなテーゼを裏書きする明確な事実は存在しない。(後略)
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「養成部隊、タリバンと激戦」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2010年08月15日 | アフガン問題
カブール発:アフガン軍を養成するための連邦軍のいわゆるパートナー・ミッションの開始と同時に、ドイツ軍兵士とアフガン軍兵士とは、クンヅス付近で激しい戦闘に巻き込まれた。タリバン軍は、土曜日の早朝、この混成部隊を何回も自動火器で攻撃した。その際、ISAFの防衛軍によると、三人のタリバン兵が殺傷された。
タリバン軍が、AK-47とロケット砲をもったドイツ兵とアフガン兵との混成部隊をいろいろな位置から攻撃した時、戦闘は現地時間、朝2時に始まった。ドイツ兵の火器によって、攻撃に対する反撃がおこなわれた。そのすぐ後で、混成部隊には、数十人の敵兵がある農家に隠れていたことがわかった。地域の警察署長カハール・ダレーによると、彼らはその間に逃亡していた。
少し後で、部隊は新たに攻撃を受けた。今度もタリバン軍は、自動小銃とロケットを発射した。アフガン人の陳述では、戦闘は激しく、2時間続いた。その後、タリバン軍の指揮官が殺された。アフガン軍とドイツ軍に負傷者はなかった。
地域の警察署長は、これは数週間以来もっとも激しい戦闘だったと述べた。「ドイツ兵がいなかったら、攻撃を撃退することはできなかっただろう」とマハヨディン署長は述べた。(以下省略)
[訳者の感想]この記事を読むと、駐アフガン・ドイツ軍の性格がかなり攻撃的になったことがわかります。
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「アフガニスタンで護衛がないと」と題する『ツァイト・オンライン』の記事。

2010年08月09日 | アフガン問題
 キリスト教系「国際救援ミッション」の医師たちは、彼らが何に頼っているかを知っていた。カブールからアフガニスタン北部のへの旅行に出る少し前に、イギリス人女性のカレン・ウーは、「アフガニスタンに橋を架ける」というブログの中で、次のように書き込んでいた。「トレックは、かんたんではない。徒歩と荷物を積んだ馬とで3週間はかかる。どんな乗り物もこの山だらけの地域に入ることはできない」とこの36歳のイギリス人は書いていた。この遠征は危険がなくはない。だが、もっとも治療を必要としている人間を治療することは、困難な使命を遂行する値打ちがある。
 先週末、カレン・ウーと他の九人の医師と看護婦と通訳がこの旅行から無事に帰らなかったことが告知された。彼らは帰途に襲われ、殺害された。
 「国際救援ミッション」によれば、水曜日の晩には、衛星を使った、このグループが生きている証拠があった。二日後、7人の男性と3人の女性と二人のアフガン人の遺体が見つかった。日曜日にそれらの遺体は、特定されるためにカブールへ輸送された。
 ドイツ連邦政府は、通訳としてチームに参加していたドイツ人女性の死を確認した。ザクセン州出身のこの女性は、35歳だったと外務省の広報官は述べた。「卑怯な殺人」だと断罪した政府は、それ以上の詳細を明らかにしなかった。
 警察の陳述では、犠牲者たちは、銃弾で穴だらけになった自動車の横に並べられていた。彼らは一列に並んで立たされ、射殺されたとバダクシャン州の警察署長アカ・ノール・キントスは述べた。
 アフガン人運転手が射殺されなかったわけは、彼が『コーラン』の章句を唱えたからである。(以下省略)
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「ドイツ連邦軍、タリバンの標的人物を提供する」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年08月01日 | アフガン問題
ハンブルク発:アフガニスタンにおける米軍特殊部隊のタリバン兵に対する狙い定めた殺害にドイツ連邦軍はどんな役割を演じているか?少なくとも、これまでよりは大きな役割を演じている。『シュピーゲル』誌の得た情報では、ドイツが北大西洋軍の追跡リストに加えさせた一人のタリバン軍司令官が、アメリカ軍特殊部隊によって、アフガニスタン北部で殺害された。
インターネットのサイト『ウイキ・リークス』の中で公表された秘密の「アフガニスタン報告」は、一週間前に、米軍部隊の作戦行動を暴露した。『シュピーゲル』と『ニューヨーク・タイムズ』と『ガーディアン』は、この報告書を前もって受け取り、分析し、それについて詳しく報道した。
連邦軍は、クンヅス地方で50名の部下を指揮していたタリバン軍司官のカリ・バシルをNATO軍の標的リストに加えさせていた。2009年11月、数日間かかる作戦で、彼はクンヅスの西北方で殺された。
2007年以来、ドイツ軍は、少なくとも、13人を殺害リストに加えた。二人は新しい示唆がないため、リストから消された。さらに31名のNATOの標的人物がリストに加えられた。
ドイツ軍がバシル殺害作戦に参加しなかった理由は、作戦前に米軍大佐が計画を紹介した際、担当のドイツ軍将軍が、高位のタリバン軍司令官が排除されるはずだという印象を持たなかったためである。(以下、省略)
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