海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ドイツは生活の質では、遙かに後退した」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年11月13日 | 福祉と経済
ドイツにおける生活の質は、他の多くの豊かな国民経済におけるよりも遙かに劣っている。22カ国の裕福な国民経済との国際的比較において、ドイツの順位は18位である。この研究報告書の著者は、特に教育制度の欠陥がこれにたいして責任があるとしている。この研究報告は、フランクフルトにあるシンクタンク「社会的進歩のためのセンター」で作成され、ドイツ銀行によって支援された。
研究者によると、最高の生活の質を持っているのは、ノルウエーであり、その後に、スエーデン、フィンランド、日本、ニュージーランドが続いている。ドイツよりも生活の質が劣っているのは、デンマーク、米国、ベルギー、ポルトガルである。デンマークがこの表の中で最下位にある訳は、デンマーク人たちが特に環境に負荷を掛けているからである。
さまざまな国民経済における生活の質を測定するために、科学者たちは、福祉をできるだけ広範に測定するいわゆる「進歩指標」を開発した。そのために、指標の値は、経済的発展だけでなく、寿命期待、教育水準、ある国の個人や企業がどれほど環境に負荷を掛けているかを顧慮している。
一人頭の収入の点では、ドイツは22カ国中、第14位である。トップにあるのは、ノルウエー、米国、スエーデンであり、リストの末尾にあるのは、スペインとニュージーランドである。寿命期待でも、ドイツは13番目を占めている。これに対して、日本人たちの平均寿命は、82歳よりも上であって、このために、日本は22カ国中第一位を占めている。その後に来るのは、スイスとイタリアである。
特に教育制度ではドイツは順位が低い。ドイツでは、若い人たちの74%にしか職業教育や研究が提供されていないから、ドイツの位置は最後から二番目である。ドイツより劣っているのはスイスだけだ。トップを占めているのは、フィンランド、デンマーク、ニュージーランドで指標100が与えられている。生態学的要素においてのみ、ドイツは尊敬すべき第8位を占めている。ポルトガルは、環境に最も少ない影響しか与えていないが、これは同国が調査された国々よりも貧しい生である。
科学者たちの述べるところでは、調査された国々における生活は、過去十年間に改善された。最大の進歩をしたのは、韓国であって、この国は、強力に増大する収入と伸びた平均寿命によって、第22位から第7位にまで前進した。
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「CDUは、社民党に対して失業保険受給者を救おうとしている」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年03月08日 | 福祉と経済
「ハルツIV論争」で、SPDの副党首であるハンネローレ・クラフトは、長期失業者のための公共的な仕事を作るべきだという意見に賛成した。「これらの人たちは、たとえば、老人ホームで老人達に本を読んでやったり、スポーツクラブで助けたり、道路の清掃をすることができる」と昨年5月のノルトライン・ヴェストファーレン州の州議会選挙の際『シュピーゲル』誌に語った。
FDPは、グイド・ヴェスターヴェレが彼の要求のためにひどく批判された後で、この提案を歓迎し、失業保険受給者は、「雪かき」のような公共労働をする義務があると。これに対する厳しい批判は、CDUの社会派と「左翼党」からだされた。
クラフト女史は、『シュピーゲル』に、「私たちは今度こそ正直にならねばなりません。われわれの長期失業者の約4分の1は、一度も正規の労働についたことがないのです。彼らのためには、できるだけ速やかに、「公共の福祉に定位した労働市場が作り出されなければなりません。国家にとっては、より大きな費用はかからないはずです」と語った。
「大抵の長期失業者は、彼らがそれに対してシンボリックな報酬を得たとしても、意味のある仕事を喜ぶでしょう。」クラフトに対する支持は、SPDの連邦議会メンバーから寄せられた。「われわれは、労働媒介に対する障碍から最初の労働市場に対しては殆どチャンスがない人たちを見捨て、彼らに労働生活に対する参加を可能にしたいのだ」と会派の副委員長フベルツス・ハイルは『ケルン市新聞』に述べた。失業者本人とその子供や社会全体にとって、公共的労働活動を財政的に支援することは、永久的な失業状態よりはずっと良い。」(以下省略)
[訳者のコメント]クラフトの意見は批判されるような点はないと思うのですが、CDUは、失業者に簡単に仕事場が見つかると思っているのでしょうか。
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「バーレーン王国にとってのストレステスト」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年11月08日 | 福祉と経済
バーレーンをペルシャ湾岸の原油産出国のなかで特別の國にしている多くのファクターがある。早い時期に油田が発見された。1932年に、40キロメーター×20キロメーターの面積の島は、最初の原油輸出国となった。石油の生み出すドルは、200年前から支配している王家を金持ちにした。それまで、商業と真珠採取で生計を立てていた国家は、教育に投資した。隣国にバーレーンのノウハウを輸出するために、教師や専門的労働者は、数十年間、祖国を後にした。
けれども、1970年代に原油価格が上昇すると、バーレーンの支配者も金の誘惑の犠牲となった。「石油は恩恵であると同時に、呪いだった」とバーレーンの首長であるモハメッド・ビン・エッサ・カリファは言う。石油で稼いだドルで福祉国家は賄われた。
金はバーレーンが一度も成し遂げたことのない快適さへと導いた。その隣人と比べると、それは殆ど無一文だった。隣にあるサウディ・アラビアは、日量1千万トンの石油をくみ上げていたが、バーレーンでは、日量僅か、3万トンに過ぎなかった。25年間で埋蔵量の大部分が汲みだされた。
上層階級は、数十年間、豊かさを享受したが、国民は最低限の生活をしていた。1990年代後半まで、この状態に対する抗議は、小さく押さえられた。次に新しい国王が即位した。彼と共に、用心深い改革が行われたが、十分ではなかった。今日でも、規則的に、スンニー派支配層に対するシーア派住民の反抗が起こっている。
貧しいシーア派と金持ちのスンニー派。人口70万人のバーレーン社会には、憤激がプログラムされている。サルマン・ビン・ハマス・アル・カリフ王子は、それゆえ、1年前に、「2030年構想」を公表した。「バーレーンの経済的発展のための協会」によってそれを実行に移すことが意図されているこの計画は野心的だ。石油の富から世界的に競争能力のある業績社会へ」、「地域のパイオニアからグローバルな競争者へ」が、モットーである。私的経済が駆動力となるはずである。2030年には、この島国の家計の収入を二倍にするという目標に到達するはずである。
他の湾岸諸国のように、バーレーンは、高価な原油価格を利用して、仕事を創出し国民を国家のお布施に対する依存から解き放とうとしている。公式の失業率は、目下、3.8%であるが、専門家は、本当の数字はもっと大ききいと考えている。五カ年計画は、土着の住民の18万5千人に職を与え、外国人労働者をドラスチックに減らすはずである。大学卒業資格をもった3万5千人の土着の人たちを養成して、これまで外国人が占めていた職を彼らに与えようとしている。私的企業の中に仕事を見つけるために、更に15万人の高校卒業資格を持った土着の人たちを養成する予定だ。
特に金融産業は、バーレーンでは、将来有望であると考えられている。すでに現在、この島国は、この分野に属する400以上のサービス企業がここに拠点を置いている。銀行は、国民総生産の4分の1を占めている。
バーレーンが金融危機を上手く通り抜けたのは、イスラム的バンキングのせいである。つまり、イスラム法に基づく金融ビジネスのせいである。(後略)
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「さらなる援助組織に対する疑惑が持ち上がる」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年12月23日 | 福祉と経済
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 「ドイツ社会問題中央研究所」の前に置かれているプフングシュタットにある「国際児童援助」の寄付募集文は、言葉と写真の選択で高度に問題のある立場に置かれていると評価されると「研究所」は報告している。「潜在的な寄付者は、そのために、独自に事態に即して決断することを妨げられている」と所長のブルカルト・ヴィルケは言う。トリーアにある「監督サービス局」は、この組織に対して、ラインラント・プファルツ州での寄付金募集を禁止した。
 同様に「憲法擁護庁」の視野に入っているのは、アーヘンにある「移民のための人権協会」である。この組織は、イランの死刑執行や拷問に反対していると申し立てている。さらに、それはイランの監獄における勾留条件や、人権侵害についての情報も流していると言っている。「2007年度クリスマス・キャンペーン」は、女性の死刑囚の役に立っている。だが、「憲法擁護庁」の情報にようると、この組織は、「イラン国民抵抗委員会」(NWRI)にも寄付金を送っている。これは、公式にはドイツで登記されていない「イラン人民聖戦士」という組織の手先であって、これは、2002年以来、イラン国内で、多数のテロを行った。
「移民のための人権協会」の弁護士アルブレヒト・リューダースは、これらの非難に反論して、「協会は、政治的に独立しており、NWRIに寄付金を送っていないし、協力もしていない」と述べた。しかし、「社会問題中央研究所」がこの協会に対して警告する理由は、「憲法擁護庁」の報告だけではない。
 寄付金を過度に攻撃的に使っているという疑惑がもたれているのは、ニーダー・ザクセン州のトイストリンゲンにある「児童プロジェクト」という組織である。「中央研究所」は、この組織が少なくとも、昨年末まで積極的な電話攻勢で、寄付金を募集したと非難している。「中央研究所」には、沢山の苦情が寄せられている。それによると、「児童プロジェクト」は、電話でブラジルの児童に対する支援を要求し、強制的なやり方で銀行口座を聞き出そうとした。その後で、寄付者は文書でさらなる寄付金を要求された。この協会は、これらの非難に事実無根と反論している。
 「中央研究所」の非難は、「ユニセフ」にも向けられている。この国連の児童援助機関が推奨に値することを疑う根拠はない。だが、個々の場合には、間違った決定がなされている。援助機関は、それについては、透明性を高めるべきだと「中央研究所」は述べている。国連児童援助機関に対しては、寄付金の一部を外部の顧問への支払いに当てていると非難されている。この非難は現在検証中である。「もっと組織を合理的に運営すべきでしょう」と「中央研究所」のヴィルケ所長は言う。
[訳者の感想]日本でもインチキ募金が問題になりますが、ユニセフに「無駄な金を使うな」と忠告するのはさすがにドイツ人だなと思いました。
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「ドイツに二度と帰らない」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2006年08月30日 | 福祉と経済
ハンブルク発:かなり多くの読者の物語は、外国で百万長者になった皿洗いの伝説の現代版のように聞こえる。ある読者はメールに次のように書いている。「自分は最初タイでイカの販売店を開いた。後にはそこで不動産業者になった。」
もう一人の女性の読者は、ある夜、ロンドンにいかねばならないという夢を見た。そこで彼女は一度もイングランドに行ったことはないのに、荷物をまとめた。今日、彼女はいくつか夜間学校に通った後、相変わらずロンドンである欧州連合の機関に勤めている。ドイツにいたら彼女が経験したキャリアを、高校卒業証明書(アビトウーア)がなければできなかっただろうと思っている。
殆どすべての読者は、多くの国々では就職条件はドイツに比べてましであると強調している。ある、空調技師は、ドイツで身をすり減らす就職活動をした後、キャンピングカーでスイスに行って職探しをした。「私は12箇所で面接を受け、どこでも仕事を始めることできた。」
ある情報工学の専門家は、ドイツで7ヶ月、求職活動をしたがだめだった。そこで彼はインターネットの求職サイトである「モンスター・コム」に履歴書を送った。「短い時間の間に世界中からいろいろな就職口を見つけることができた。」アメリカで就職することに決めたが、「そこではドイツの2倍の給与がもらえる上、税金は一部しか払わなくていい」と彼は書いている。「一年後には、私は大きな庭とプールつきのちゃんとした家を手に入れることができた。」
誘惑的な求人は、当たらしふるさとでの非常に多くのカルチャー・ショックを埋め合わせる。米国に引っ越したある女性は、「ここではいくつかのことに慣れなければならない。たった1パックの卵を買うために車でスーパーマーケットへ出かける人や、酔っ払いが信号機の前で追突するから、必要な自動車保険を掛けなければならない。」
「特に初めから永遠の外国人としての地位に甘んじなければならない」と多くの人々は書いている。「われわれの金髪や、アクセントや身振りを見れば、われわれが外国人だと分かるのだ」とトリニダートに移住した読者は書いている。「しなければならない一番滑稽なことは、土地のしきたりに完全に服従しなければならないということだ。土地の人たちも、金髪のラスタファリなんかいないと言うことを知っている。」
彼らがどんな問題を抱えていても、帰国を考えているひとは、殆どいない。その代わりに、大抵の人たちが、もとの故郷に対して激しい憤懣を抱いている。「年金問題を考えてみなさい。ドイツでは私達の世代は、破産した年金制度と高齢者の貧困を目の前にしている」とスイスで広告業に従事しているある男性は言う。
 トリニダードへ移住した読者は、ドイツで彼が我慢できないのは、特につまらないことである。「例えば、仕事に出かける前に隣人がゴミ容器の前に立っていて、容器の満杯量が、清算のために測られるために、ゴミを押し付け回っているのを見る場合だ。」トリニダードにおける彼の新しい生活の最初の5年が過ぎようとしている現在、「結論として、どうしてもドイツに帰る必要がなければ、二度とドイツに戻らない。現在、朝、気温28度、南東からの微風と光り輝く青い空のあるトリニダードから挨拶を送る。これに付け加えるものは何もない。」
[訳者の感想]ドイツから出て行く人が増えているようです。日本人に比べると外国での生活に適応する能力は、ドイツ人のほうが優れているようです。
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「フランスの家族の価値」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年07月30日 | 福祉と経済
アメリカ人には、おれ達は他の誰よりも何でもうまくやっていると思う傾向がある。この信念のせいでわれわれが他の人たちから学ぶことが難しいのだ。例えば、多くの人々がヨーロッパはヘルス・ケア政策についてわれわれに何か教えることができると考えることを拒否するのを私は経験した。結局、その人たちが言うには、ヨーロッパの経済がこれほど失敗であるときに、どうしてヨーロッパ人がヘルス・ケアをうまくやることができるのか。
だが、ある国が優れた健康保険制度を持ちながら問題の多い経済を持つことはありえないと信じる理由はないのだ。そもそもヨーロッパの経済はそんなにうまくいっていないのだろうか。
答えは、ノーである。アメリカ人は最近、これ見よがしに振舞っているが、米国とヨーロッパ、特にフランスの経済をつき合わせて比較すると、大きな違いが優先順位にあって、成果にはないことが分かる。労働時間と家族の時間との間で異なる取引をした二つの高度に生産的な社会について語っているのだ。そして、フランスの選択について言われるべきことは沢山ある。
第一に、フランス人が受ける手厳しい批判にもかかわらず、彼らの社会は「生産的」であると私が言ったら、あなた方は驚くかもしれない。けれども、OECD(経済協力開発機構)によれば、フランスの生産性--1労働時間あたりのGDP(国内総生産)は、実際、米国におけるそれよも少し高いのである。
フランスの一人頭のGDPが米国のそれよりも下であるというのは本当である。しかし、それはフランスの労働者達が家族と過ごす時間がより多いからなのである。
よろしい。確かに私はちょっと単純化しすぎた。フランス人がなぜわれわれよりも一人あたり少ない労働時間しか投入しないかについてはいくつかの原因がある。一つの原因は、フランス人のある人達は、働きたいのだが、働けない。アメリカの失業率よりも4%高くなる傾向があるフランスの失業率は、現実の問題である。もう一つの原因は、多くのフランスの市民は早く定年になる。しかし、フランスの常勤の労働者は、週あたりの労働時間が少なく、常勤のアメリカ人労働者よりももっと多くの休暇をとる。
需要なのは、フランス人がわれわれよりも収入が少ないのは、主として選択の問題であるということだ。この選択の帰結を見るために、フランスにおける典型的な中流家庭の状況はどのようにアメリカにおける中流家庭のそれと比べられるかと問うてみよう。
フランス人の家族は、確かに、より低い可処分所得を得ている。このことの結果、個人消費が少ない。車はより小さく、家はより小さく、あまり外食はしない。
だが、このより低い消費のレベルを埋め合わせるものがある。フランスの学校は、国中に良い学校を持っている。フランスの家族は、子供達を地域の良い学校へ入れるのに頭を悩ませる必要がない。フランスの家族は、優れたヘルスケアにアクセスすることを補償されているから、健康保険を失う心配をしたり、治療請求書で破産に追い込まれることを心配する必要がない。
ひょっとしたらもっと重要なことは、フランス人の家族は、彼らのより低い収入を遥かに多い時間一緒にすごすことで埋め合わせているということだ。常雇いのフランスの労働者は、一年間に有給休暇が平均約7週間とれる。アメリカでは、4週間より少ない。
それではどちらの社会がより良い選択をしたのだろうか。
ハーバード大学のアルベルト・アレシナとエドワード・グレーザー、ダートマス大学のブルース・ササドートか行った労働時間の国際比較について新しい研究を見ていた。この研究の要点は、文化の違いよりも、政府の規制の違いが、ヨーロッパの労働者はアメリカの労働者よりも少なくか働かないのかという理由を説明している点である。
しかし、この研究は、この場合に、政府の規制が、実際には、国民に控えめに低い収入の代わりに友人や家族とより多くの時間を過ごすという望ましい取引をすることを可能にしていることを示唆している。それはある個人が交渉するのが難しい取引である。この研究の著者達は、次のように述べている。「あなたの使用者から自分でもっと多くの休暇を勝ち取ることは難しい。そして、あなたの友人と同じ取引をして、一緒に休暇に出かけるkとはもっと難しい。」
彼らは、「潜在的収入は少ないのに、より少なく労働することがヨーロッパ人をより幸福にしている」というある統計上の証拠を提示している。
それは決定的な結果ではない。彼らが述べているように、問題全体は、「政治的に反論を呼ぶもの」である。しかし、私の観察では、その政治的反論のあるものは間違ったサインであるように見える。
アメリカの保守派は、フランスのような、ヨーロッパの福祉国家を軽蔑している。けれども彼らの多くは、「家族の価値」を強調しているのだ。フランスの経済政策について何を言うにせよ、彼らは制度としての家族を非常に支持しているように見える。リック・サントーラム上院議員よ、あなたはこれを読んでいますか?
[訳者の感想]文末に出てくるリック・サントーラム上院議員は、恐らく保守派でEU諸国の福祉国家に対して批判をしたのだろうと推測されます。クルーグマン氏が名指しで、自分の意見を議員にぶつけているところが迫力満点ですね。日本人もアメリカ式の収入をできるだけ増やすことに懸命になるよりは、フランス式の生活の仕方を学ぶべきだと思います。日本の国会議員や政府閣僚もそういう未来像を描くべきだと思います。
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「北に移るトヨタ」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年07月27日 | 福祉と経済
現代アメリカの政治は、政府は問題であって、解決ではないというドクトリンによって支配されている。実際、このドクトリンが政治に移されると、たとえ国家の歳入の不足が基本的な公共サービスを低下させるとしても、金持ちに対する低い課税を最優先にすることになる。これが判断を間違っているということを悟るのにリベラルである必要はない。企業の指導者達は、良い公共サービスがビジネスにとっても良いということを全く良く理解している。だが、最近は、政治的環境が非常に両極化しているので、経営の最高幹部は、保守的なドグマに反対する発言を口外することを恐れている。
その代わりに、彼らは自分の足で投票するのだ。このことがわれわれをトヨタの選択の物語に連れて行く。
新しいトヨタの集中プラントを招致したいと望むいくつかの州の間には、ものすごい競争がある。いくつかの南部の諸州は、何十億ドルもの価値のある財政的インセンティヴを申し出ていると報道されている。
しかし、先月、トヨタは、ミニS.U.VのRAV4を生産する新しいプラントをカナダのオンタリオに置くことに決めた。あるアメリカの都市を選択する財政的刺激をどうして無視するのかを説明して、この会社は、オンタリオの労働力の質を挙げた。
何がトヨタに労働の質問題に敏感にさせたのか。多分、われわれはトロントに根拠地を置く「自動車部品製造者連合」の会長からの言葉を割り引いて聞かなければならない。彼は、南部諸州の教育レベルは非常に低いので、アラバマ州にある日本プラントのためのトレーナーは、何人かの無知な労働者にハイテク装置の使い方を説明するのに、絵を使わなければならないのだと言ったのである。
しかし、別の報告もある。そのあるものは、州の役人からのもので、それによると、アメリカ南部に工場を開いている日本の自動車会社は、労働力の訓練の貧弱なレベルに驚いているというものである。
ここにはアラバマ州知事にとって苦い皮肉がある。丁度、二年前、選挙民は、州の質の低い教育を改善することができるように、富裕層に対する州の最低課税を引き上げたいという請願を圧倒的に拒否した。増税反対者は、選挙民にそれが州の仕事に費いやされるということを確信させた。
だが、教育だけがトヨタがオンタリオを選んだ唯一の理由ではない。カナダのもう一つのセールス・ポイントは、その国民健康保険制度である。それは自動車製造業に米国での費用と比べて、保険手当の大きな額を節約させるのだ。
カナダの納税者は結局健康保険料を支払うことによってトヨタの移動に補助金を出しているのだと言いたいかもしれない。だが、それは正しくない。カナダの健康保険制度が、莫大な行政的費用を必要とするアメリカのそれよりも一人頭にすると遥かに低コストであるという事実は別にしても。事実、自動車の仕事が北に移動することによって傷つくのは、アメリカの納税者であって、カナダの納税者ではないのだ。
国際的競争の結果は、カナダの自動車のような産業により多くの仕事を与える。健康保険のような手当を与えない産業にはより僅かな仕事しか与えない。米国では、結果は逆である。手当のある産業には仕事が少なく、手当のない産業には、仕事が多い。
それでは納税者に対するインパクトはどうだろうか。カナダでは、全くインパクトはない。なぜならば、すべてのカナダ国民は、どんな場合でも、政府が管掌する健康保険をもらえる。自動車の仕事が増えても政府の支出は増えない。
しかし、アメリカの納税者は、被害を受ける。なぜなら、一般公衆は、結局は、彼らの仕事によって保険をもらえない労働者のためのヘルスケアの費用の多くを支払うことになるからである。
これはおかしくはないだろうか。専門家達は、福祉国家はグローバル化によって失敗する運命にあり、国民健康保険のような計画は、支えることができなくなると言う。だが、カナダの一般的な健康保険制度は、国際競争をうまく扱っている。彼らの労働者の待遇を良くしている会社を罰しているのはわれわれシステムである。これが問題なのだ。
きっとある読者は、私が今言ったことに対して、カナダ人がそんなに頭が良いのなら、どうして彼らはわれわれよりリッチでないのかと答えるだろう。だが、アメリカの比較的な経済パーフォーマンスの問題は他日論じることにしよう。
今のところは、人々をまともにあつかうことは、いつかは、競争上の利点であるということを指摘させてほしい。アメリカでは、基本的な健康保険は特権である。カナダではそれは権利の一つである。自動車産業においては、すくなくとも、良い仕事は、北へ向かっている。
[訳者の感想]7月25日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された記事です。アメリカでは、「健康保険は、特権である」というのはわれわれ日本人には驚きですね。社会福祉の行き届いたところのほうが、企業も仕事がしやすいということだと思います。クルーグマンのこの論説は、社会保障切り捨て論に対する反論になっていると思います。
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