海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ニューヨークからカブールまで」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』の論説

2010年09月12日 | イスラム問題
2010年9月11日:2001年9月11日がわれわれの現在の一部であるということを思い出すために、コーランを焼却するという呼びかけは必要ではないだろう。彼の影響は、あのときも現在も、ニューヨークからカブールにまで及んでいる。崩壊した「世界貿易センター」のそばに計画された「モスレム・センター」の建設は、アメリカの世論を二分した。オバマ大統領は建設に賛成だと述べた。
このことは、アメリカ人が自分たちの国はかって宗教上の反対者の移住によって建国されたという記憶において誇りにしているあの無制限の宗教的自由の伝統に属している。しかし、宗教上の多元主義は、すべての宗教に対して寛容を要求するのだ。多元主義には、配慮と繊細な感情が必要だ。米国と西欧文明に宣戦を布告するために、アルカイダの「聖戦士」が数千人の人間を殺害した場所がこの観点かでは、モスクを建てるのに適した場所であるかということは疑ってもいい。
「9/11事件」が示したのは、宗教が一見世俗化された現代世界で相変わらず政治的勢力であるということだ。西欧にいてはそうではないが、イスラム教徒大多数を占める国々では。1979年にホメイニ師がイランに「イスラム共和国」を樹立したときに、人々はこのことを知っていたはずだった。だが、この革命は長い間、「近代への途上の一時的な袋小路」だと片付けられた。(以下略)
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「イスラムは文化としては没落するだろう」と題する『ヴェルト・オンライン』の記事。

2010年09月10日 | イスラム問題
ハマド・アブデル=サマドは、五人の子供の第三子としてカイロの近傍に生まれた。彼の父は、スンニー派のイマームである。四歳の時、15歳児から暴行を受けた。彼が11歳だったとき、彼はもう一度少年のグループから暴行を受けた。1995年に23歳で彼は潜在的な反ユダヤ主義者で西欧に対する懐疑家としてドイツにやってきた。
アウグスブルクでの政治学を勉強している間に、変換のプロセスが始まった。西欧を憎む者からリベラルなイスラム改革者への変貌と彼の問題の多い子供時代とをアブデル=サマドは、自伝的な書物『私の天国からの別れ』の中で手を加えた。それは彼を故郷におけるファトワに導き、警察の保護が必要になった。
彼はユネスコのために働き、エルフルトのイスラム学の講座や、ミュンヒェン大学における「ユダヤ史とユダヤ文化研究所」の仕事を与えた。彼の二番目の書物『イスラム世界の没落』、は、ドイツの本屋に現れた。(ドレーマー・クナウル社、18ユーロ)アブデル=サマドは、コニーと結婚しているが、彼女の母親は日本人で父親はデンマーク人である。彼らはミュンヒェンに住んでいる。
ハメド・アブデル=サマドは小声で思慮深く語る。
ヴェルト・オンライン:あなたは新著の中で、自分は信仰から知識へと改宗したと書いています。それではあなたは知ってはいるが、無信仰なのでしょうか?
アブデル=サマド:いいえ。私にとっては、個人的な信仰は話すできではない事柄です。本来、信仰はどんなカテゴリーにも当てはまりません。私はたいていのムスリムが今日解釈するようなある信仰から改宗しました。つまり、閉じられた建物としての絶対的真理としての信仰です。しかし、信仰は私にとっては、「常に探し求めること」を意味しています。
ヴェルト・オンライン:つまりそれは、どの個人も自分自身と信仰を取り決めるということであって、自分によって指名された権威から生じたのではないということですね。
アブデル・サマド:そのとおりです。出来合の答えや出来合の真理ではありません。私は信仰から知識へと改宗したのは、私の宗教・歴史・言語についてより多く経験し、それと批判的にたいけつしようと試みたからです。これこそ現在イスラムが非常に必要としているものなのです。(以下略)
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「テリー・ジョーンズは、ケルンの教会で「霊的悪用」を非難された

2010年09月09日 | イスラム問題
世界中が息をのんでいる。
9月11日にテリー・ジョーンズと彼の同僚は、フロリダ州ゲインズビルにある教会の敷地で数百冊の『コーラン』を焼こうと計画している。
ホワイトハウスは、この計画を断罪し、世界中のムスリム団体は、焚書が行われて場合、その帰結について警告した。しかし、この教会は計画を実行すると言い張っている。
当然、過激なイスラム嫌いたちは、自分たちの熟慮された挑発が暴力的な抗議と暴動を引き起こすことをよく知っている。しかし、彼らは自分たちには責任はないという。何人かの「コーラン」焼却者は、ブログに次のように書いている。「小さな町の小さな教会がその敷地内でコーランを何冊か焼却することは、われわれの抗議に対する報復として誰かが企てる暴力行為に対して責任はない。」
この行動の背後にいる男、テリー・ジェームズは、「ダヴ・ワールド・アウトリーチ・センター」の牧師だ。それは、福音派の過激な周辺のメンバーである50人の日曜集会に注意を引きつけようとしている教会だ。口ひげをたく蓄えた元ホテルの支配人であったジョーンズは、「イスラム教は悪魔の産物だ」と題する攻撃的な書物の著者でもある。(後略)
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「シリア、ムスリム保守派の影響を制限しようと動く」と題する『ニューヨーク・タイムズ』の記事

2010年09月04日 | イスラム問題
ダマスカス発:イスラム主義グループとの連帯を示そうとし、公的生活で宗教者により大きな役割を許そうとしてきたこの国は、最近、その路線を変更し、モスクや公立大学や慈善におけるイスラム保守派の影響を抑えようと動いている。
政府は、イマムたちに彼らの金曜日の説教の記録を提出するように求め、宗教学校を厳密に監視し始めた。影響のあるイスラム女性グループのメンバーは、説教したりイスラム法を教えるような活動を差し控えるように命じられた。この夏、ニカブやヴェールをかぶった千人以上の教師は、行政的義務に振り向けられた。
2008年に始まり、この夏、元気を得た取り締まりは、地域における過激派グループからの増大する脅威に直面して、シリアの伝統的な世俗主義を再肯定しようとするアサド大統領の努力であると役人たちは言う。
何年も保守派の台頭を許してきたシリアにとって、この政策は厳密な転向を意味している。そして、それは、海外ではハマスやヒズボラのような運動を支援しているのに、国内では政治的なイスラム主義者に反対するという一見矛盾した路線を政府にとらせている。(後略)
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