海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「善いタリバンと悪いタリバン」と題する『ツァイト』紙の記事。

2005年07月31日 | アフガン問題
アフガン人は、自分たちの国の民主的なプロセスが賞賛されるのを耳にすると笑うに違いない。アフガニスタンは、麻薬の陶酔に浸っている。数ヶ月前からは、かってのタリバンの権力者達が再び街頭に公然と姿を現している。彼らはアメリカ人にとっては「善いタリバン」だと思われている。
3月にコンドリーザ・ライス国務長官が私の国を訪問したとき、彼女は、ここで行われいる民主的プロセスをこの地域の他の国家にとって模範的であると賞賛した。
2004年10月1日付けのある記事では、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、民主主義の前進をまざまざと示すために、ジョージ・W・ブッシュとその政府がアフガンニスタンの有権者の数を1,050万人と数えることを不思議がっていた。「彼らは公衆が知らず、ジャーナリストが言及しない事実、つまり、選挙権者名簿に記載された人たちの総数を数えると有権者の数が過大であるということを信頼しているのだ」とこのアメリカの新聞は書いた。
カブールで密かに伝えられているヨーロッパ人からなる選挙委員会の最終報告を誰が知っているだろうか。委員会は、その報告書において、大統領選挙中の欺瞞や数多くの不規則性のいくつかの例を記録し、それに対して何もできないことを遺憾としている。
アフガン人たちは、今日。イラクで起こっていることを大きな関心を持って見守っている。彼らはアブグレイブ事件やグアンタナモ事件について情報を得ている。彼らはこの情報を、アメリカ人が作った監獄から漏れてくる情報と突き合わせている。今日、アフガニスタンでは何人が監獄に収容されているか。どれほど多くの人がそこで拷問され、虐待されているか。政府の役所も人権組織も、これらのアメリカ軍によってコントロールされている場所に立ち入る権利がない。この国の国民であるわれわれは断片的な情報しかもっていない。例えば、二人の人間が厳しい尋問のために死んだとか、バグラムの軍事拠点から結局無罪と分かって釈放された人物は、償いに100ドルもらったとかいう情報である。
アメリカの国務長官が「アメリカとイギリスにとって優先順位の一つは、この国の麻薬に対する戦いであると言っても、誰が信用するだろうか。なぜなら、アフガンはまさに麻薬の陶酔に浸っているからである。国連の報告によるとアフガンニスタンは、昨年、全世界の阿片の87%を生産した。公的な援助資金を上回る資金が阿片取引によってこの国に入ってきた。もっと悪いことに、数多くの役人やその一族が、--その中にはカルザイ大統領の弟もいるのだが、--直接この儲かる取引に巻き込まれている。
 だが、アフガン人には、アメリカ人の言葉を信じないもっと多くの理由がある。
例えば、米国の盾の下で、新しい政府が形成された瞬間から、タリバンの高位の権力者との秘密の対話がなされたというのは公然の秘密である。数ヶ月前から、確認されているのは、以前の大立者が全く公然とカブールの路上に姿を現しているということである。例えば、タリバン政権の外相であったワキル・アーメド・ムタワキルは、カブールのサッカー場での公開死刑を擁護して有名になったのだ。
あるいは、かっての防衛相ムラー・ダダラーやタリバンの秘密情報機関の責任者の一人であったムラー・カクサールや、「ロケット司令官」と呼ばれたムラー・ラケティなどなどである。彼らは皆私の国の悲劇に参加した。彼らの何人かは、現在、9月の大統領選挙に立候補している。
今日、われわれは、カルザイ政府とアメリカの行政官がアフガンに到着した際に行った滑稽な演説の意味をよりよく理解できる。その演説の中で彼らは「善いタリバン」と「悪いタリバン」とを区別すると言ったのだった。
こういう事情の下では、「善いタリバン」の権力への復帰を準備する際に、外国の軍事力がこの国で何を求めているのかとアフガン人たちは問う。これらの「善い人たち」は何のために「善い」と言うのだろうか。隣の国(イランを指すと思われる)へのあるかもしれない投入のためによいのかもしれない。彼らは引き続き国民にテロを加えてもよいのか。これが彼らの支配下で苦しんだ地域の人たちがなぜ武器を捨てるのを拒否するかの理由を説明する。
国連委員会が武装勢力は来るべき選挙に対する脅威となると警鐘を鳴らしながら、同時に「非武装化段階」を賞賛するとすれば、われわれは「治安」と「民主的安定」をどうのように喜んだらいいのか。
治安状態は、一年前から大きく悪化した。「悪いタリバン」は、再び、活発になっている。アフガンの東部や南部では、衝突の起こらない日は一日もない。戦争はまだ等分終わらない。占領者となったアメリカ解放軍に対しても戦争が行われている。タリバン以外の軍事勢力もどうように形成されている。グアンタナモのコーラン冒涜事件後のデモは、新しい展開の兆候である。国民の間にはフラストレーションが広がっている。「取り囲まれている」という感じをもつためには、カブールの市街を歩きさえすればいい。完全武装のアメリカ兵の存在は、見落とされない。いたるところに戦車や有刺鉄線があり、いくつかの道路は、民間人の通行を禁じられている。住民は監視され、コントロールされている。7月1日には東部のクナールで民間人が17人殺されるというひどい間違いがあった。兵士達は、処罰の自由を楽しんでいる。
この街は、貧民と乞食、お恵みを求める寡婦、若い移動露店商人、靴磨きが溢れている。
パキスタンの難民収容所から帰国した人たちは、少なくともふた冬前からまた救援テントで生活している。わずかの金持ちを除けば、この町で電気や水道の水を利用している人は誰もいない。失業と貧困にはつき物の麻薬依存者と売春婦が蔓延している。(以下省略)
[訳者の感想]日本では、最近、アフガニスタン関係の報道はめっきり減りました。この記事を書いているラティフ・ペドラム記者は。アフガン人のようです。アフガンの事情も余り希望が持てるものではなさそうです。アメリカの政策はここでもうまくいっていません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ウランに対する中国の欲望はカナダ人を憤激させる」と題する『ヴェルト』の記事。

2005年07月30日 | 中国の政治・経済・社会
小見出し:核エネルギー取引をめぐる激しい論戦--中国の将官の力の誇示は国際的供給者をたじろがせる。
7月30日、ヴァンクーヴァー発:中国は台湾紛争がエスカレートした場合、アメリカの都市を数百、原爆で抹殺するだろうという中国の陸軍大将チュウ・チェンフーの粗野な警告は、外交的には世界から取り除かれている。李肇星外相は、「いつであろうとどんな事情であろうと核による第一撃を意味しない」と言った。
だが、チュウ大将の言葉による力の誇示は、カナダとオーストラリアで議論を呼び、それは中国のエネルギー計画にとって致命的な結果をもたらすかもしれない。チュウ大将の警告は、世界中のウラン生産の三分の二を占める二つの国で、放射性物質を中国に供給ことに対して激しい批判を生ぜしめた。
中国の視察団は、昨年末以来、何回かカナダのウラン生産者を訪れ、供給について議論した。カナダは、世界で最大のウラン生産国である。中国が莫大な量のウランを必要とするわけは、それが2020年までに400億ドルを投じて原子力発電所の発電量を倍加したいからである。だが、ウランの埋蔵量は少なくなった。専門家達は、カナダ・アジア太平洋財団の報告によれば、2015年までに4万5千トンの供給不足を予想している。
2004年の年末、中国の投資家はカナダ中央のサスカチワン州のカメコ(Cameco)を訪問した。カメコは、全世界のウラン産出量の5分の1を生産している。会合の後、カナダのポール・マーティン首相は中国を訪問し、北京で、ウラン開発のための両国の協力を予定した協定に署名した。
中国からの第二の使節団が、最近、ヴァンクーヴァーにある「キャンアラスカ」という探査会社を訪問した。この会社は、カナダ西部のアサバスカ盆地で大きな採掘参加権をもっている。7月半ばには、カナダ西部のアルバータ州で中国の外交官がコゲマ資源会社の支配人と会った。これはフランスのアレヴァ・コンツェルンの鉱山会社である。
カナダの外交官と中国の高官とは、会談については黙っている。何十億ドルものウランをめぐるポーカー・ゲームは非常に敏感な問題である。この原料は、核エネルギーをめぐる議論のためだけでなく、核兵器と結びつきのために、微妙である。まさに、この点が、現在、カナダとオーストラリアにおいて、中国との可能なウラン取引に対する増大する抵抗を引き起こしているのだ。「中国軍部の核に基づく力の誇示は、ウラン供給が中国の核兵器計画に貢献するのではないかという心配を強めている」とカナダの環境組織グリーンピースの責任者デイビッド・マーティンは言った。「中国へのウラン売り渡しは、カナダを東アジアの地域的軍拡の共犯者にする」ことを彼は恐れているのだ。「チュウ大将の脅しは、核兵器を最初に投入しないという中国の約束に対する疑いを増大している」とカナダ教会の平和グループである「鋤の刃」の代表アーニー・レゲールは警告している。
カナダの最大のウラン顧客である米国では、政府はウランをめぐるポーカー・ゲームに対するいくつかのコメントで満足している。だが、舞台裏の興奮は大きいように見える。「ワシントンには、中国へのウラン供給について非常に怒っている人たちがいる」とニューヨークにあるエンパイア・ステート・カレッジの中国通トム・グランフェルドは言う。「カナダが中国に原子力発電所を2基売った後で、両国は協力協定を結んだのだから、中国へのウラン供給は全く合法的である」とカナダの政府代表は言っている。目下、オーストラリアは、ウランを中国に売っていない。しかし、今年、中国を訪問したジョン・ハワード首相は、オーストラリアからのウラン輸出が中国の核兵器の製造に利用されないように、中国と二国間協定を結ぶつもりである。オーストラリアは、中国に対する供給で2億4600万ドルにのぼるウラン輸出を2倍にしたいと思っている。この放射性物質は、5月には1ポンドあたり30ドルでこの23年間で最高の価格に達した。これは15ヶ月間で100パーセント上昇したことを意味している。
7月30日付けの『ヴェルト』紙に掲載されたマルクス・ゲルトナー記者の記事です。
[訳者の記事]中国で、軍人が主席や首相を差し置いて、重大な発言するようになってきたのは危険な兆候だと思います。文民統制が利かなくなっているでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フランスの家族の価値」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年07月30日 | 福祉と経済
アメリカ人には、おれ達は他の誰よりも何でもうまくやっていると思う傾向がある。この信念のせいでわれわれが他の人たちから学ぶことが難しいのだ。例えば、多くの人々がヨーロッパはヘルス・ケア政策についてわれわれに何か教えることができると考えることを拒否するのを私は経験した。結局、その人たちが言うには、ヨーロッパの経済がこれほど失敗であるときに、どうしてヨーロッパ人がヘルス・ケアをうまくやることができるのか。
だが、ある国が優れた健康保険制度を持ちながら問題の多い経済を持つことはありえないと信じる理由はないのだ。そもそもヨーロッパの経済はそんなにうまくいっていないのだろうか。
答えは、ノーである。アメリカ人は最近、これ見よがしに振舞っているが、米国とヨーロッパ、特にフランスの経済をつき合わせて比較すると、大きな違いが優先順位にあって、成果にはないことが分かる。労働時間と家族の時間との間で異なる取引をした二つの高度に生産的な社会について語っているのだ。そして、フランスの選択について言われるべきことは沢山ある。
第一に、フランス人が受ける手厳しい批判にもかかわらず、彼らの社会は「生産的」であると私が言ったら、あなた方は驚くかもしれない。けれども、OECD(経済協力開発機構)によれば、フランスの生産性--1労働時間あたりのGDP(国内総生産)は、実際、米国におけるそれよも少し高いのである。
フランスの一人頭のGDPが米国のそれよりも下であるというのは本当である。しかし、それはフランスの労働者達が家族と過ごす時間がより多いからなのである。
よろしい。確かに私はちょっと単純化しすぎた。フランス人がなぜわれわれよりも一人あたり少ない労働時間しか投入しないかについてはいくつかの原因がある。一つの原因は、フランス人のある人達は、働きたいのだが、働けない。アメリカの失業率よりも4%高くなる傾向があるフランスの失業率は、現実の問題である。もう一つの原因は、多くのフランスの市民は早く定年になる。しかし、フランスの常勤の労働者は、週あたりの労働時間が少なく、常勤のアメリカ人労働者よりももっと多くの休暇をとる。
需要なのは、フランス人がわれわれよりも収入が少ないのは、主として選択の問題であるということだ。この選択の帰結を見るために、フランスにおける典型的な中流家庭の状況はどのようにアメリカにおける中流家庭のそれと比べられるかと問うてみよう。
フランス人の家族は、確かに、より低い可処分所得を得ている。このことの結果、個人消費が少ない。車はより小さく、家はより小さく、あまり外食はしない。
だが、このより低い消費のレベルを埋め合わせるものがある。フランスの学校は、国中に良い学校を持っている。フランスの家族は、子供達を地域の良い学校へ入れるのに頭を悩ませる必要がない。フランスの家族は、優れたヘルスケアにアクセスすることを補償されているから、健康保険を失う心配をしたり、治療請求書で破産に追い込まれることを心配する必要がない。
ひょっとしたらもっと重要なことは、フランス人の家族は、彼らのより低い収入を遥かに多い時間一緒にすごすことで埋め合わせているということだ。常雇いのフランスの労働者は、一年間に有給休暇が平均約7週間とれる。アメリカでは、4週間より少ない。
それではどちらの社会がより良い選択をしたのだろうか。
ハーバード大学のアルベルト・アレシナとエドワード・グレーザー、ダートマス大学のブルース・ササドートか行った労働時間の国際比較について新しい研究を見ていた。この研究の要点は、文化の違いよりも、政府の規制の違いが、ヨーロッパの労働者はアメリカの労働者よりも少なくか働かないのかという理由を説明している点である。
しかし、この研究は、この場合に、政府の規制が、実際には、国民に控えめに低い収入の代わりに友人や家族とより多くの時間を過ごすという望ましい取引をすることを可能にしていることを示唆している。それはある個人が交渉するのが難しい取引である。この研究の著者達は、次のように述べている。「あなたの使用者から自分でもっと多くの休暇を勝ち取ることは難しい。そして、あなたの友人と同じ取引をして、一緒に休暇に出かけるkとはもっと難しい。」
彼らは、「潜在的収入は少ないのに、より少なく労働することがヨーロッパ人をより幸福にしている」というある統計上の証拠を提示している。
それは決定的な結果ではない。彼らが述べているように、問題全体は、「政治的に反論を呼ぶもの」である。しかし、私の観察では、その政治的反論のあるものは間違ったサインであるように見える。
アメリカの保守派は、フランスのような、ヨーロッパの福祉国家を軽蔑している。けれども彼らの多くは、「家族の価値」を強調しているのだ。フランスの経済政策について何を言うにせよ、彼らは制度としての家族を非常に支持しているように見える。リック・サントーラム上院議員よ、あなたはこれを読んでいますか?
[訳者の感想]文末に出てくるリック・サントーラム上院議員は、恐らく保守派でEU諸国の福祉国家に対して批判をしたのだろうと推測されます。クルーグマン氏が名指しで、自分の意見を議員にぶつけているところが迫力満点ですね。日本人もアメリカ式の収入をできるだけ増やすことに懸命になるよりは、フランス式の生活の仕方を学ぶべきだと思います。日本の国会議員や政府閣僚もそういう未来像を描くべきだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エジプトには、相撲のファンがいる」と題する『アルジャジーラ』の記事。

2005年07月29日 | 日本文化
書き出し:サメル・サミル・アブデル・カリムは、自分は周囲から尊敬されたりしないが、相撲の世界の英雄達の等身大より大きな肖像画を見上げることは、彼に印象を与える。
両国国技館で、二人の体格の良いティーン・エイジャーが「第六回相撲世界選手権大会」で取り組んでいる。カリムの出番は終わった。彼は重量級で銅メダルを取ったところだ。
「僕は相撲は一年やっただけなので、今日の成績にとても喜んでいる」とカリムは言う。彼は18才で身長186センチ、体重は142キロある。
「相撲をやる前、僕は柔道を8年間やった。でも僕のコーチが一年前に相撲の世界ならお前は英雄になれると言ったんだ。それで相撲をやりだしたんだ」と彼は言う。彼が訓練していないときは、彼はエジプトのマンスーラ大学理学部の学生である。
1.競争
銅メダルまでの彼の道のりは、容易なものではなかった。145キロあるブルガリアの相撲選手や足技の速いハンガリア人と戦わなければならなかった。
「日本で競技をする機会を与えられたのは、本当にすばらしい。このことに対して、僕はコーチと家族に感謝している。相撲の本場にいることは、夢の実現だ」とカリムは言う。
エストニア、トンガ、ブラジル、香港、モーリシャスなどを含む18の国々から来た50人以上の相撲選手が7月初旬に選手権試合に参加した。
国技館では、相撲の試合が3場所行われる。現在、モンゴル出身の朝青龍が横綱であり、日本は彼に対抗できる日本人の相撲を見出そうと懸命である。
エジプト人のコーチ、アーメッド・モハメド・イブラヒム・カリファは、挑戦は自分の国から来ると信じている。
「チームのためにメダルを取ることはいいことだ。私が嬉しいわけは、これがわれわれがジュニア選手権で戦った二度目に過ぎないからだ。この少年達は一年間訓練しただけだ。その前には彼らは柔道をやるか他のレスリングをやっていた。」
彼が言うには、エジプトには、5千人の相撲選手がいて、30のクラブに分かれて、それが国の9つの地方に分かれている。
「このスポーツは、エジプトでは、ますます重要になり、われわれは未来の計画を持っている。われわれは相撲をやるアラブで唯一の国である。エジプトは、アフリカ大陸では最強のチームである」
国際相撲連盟の田中英俊氏は、競技者達が一生懸命にやっていると認めるが、彼らはまだ長い道を行かなければならないと言う。
「日本のジュニア・レベルと比べると、世界の他の選手はまだいろいろな道があるが、今日、ここで私は良い精神を見た。」更に彼はこのような国際トーナメントがこのスポーツの対面を高め、近い将来オリンピックの競技種目になると思うと付け加えた。
新米の香港も東京で戦っているが、ホン・パクト選手はわずか13才である。
「国技館は大きな建物で、僕は相撲の本家にいると感じる」とホン君は言う。
チームメイトのシュン・カミン(17)とヌグ・ツェシン(14)も国技館に強い印象を持った。
「競技場は、僕が期待したよりもずっと大きい。今年はメダルは取れなかったけれども、来年もまた競技をしたい。」
香港チームは賞を取らないで帰国したが、チームのマネージャーであるサムソン・マクは香港で相撲が始まった9年前以来本当に進歩したと言う。
「われわれは1991年にこのスポーツを始めたが、香港には男女子供をあわせると300人の相撲選手がいる。ジュニア選手権に出場したのは二度目だ」と「香港相撲協会」の会長であるマクは言う。
「彼らは家で一生懸命訓練をしているが相撲を学ぶ最善の道は、世界中から来た相撲選手と競争することであり、彼らの経験から学ぶことだ。」
「今日、彼らはとてもよくやった。将来、われわれがメダルを取るのに十分なだけうまくなると確信している。
次回のジュニア・トーナメントは、エソトニアで行われる。香港の選手ホンは、それまでに彼の技を向上させることを目指している。
「僕が土俵に上がるとき、僕は心の中で相手が豆腐のように柔らかいのだと考える」と彼は言う。
エジプトの相撲選手カリムは、エストニアでは出場しないだろう。なぜなら彼は大人の競技会に進むからである。彼が日本の古代のスポーツと取り組んでいるけれども、日本の食事に対しては好きになれなかった。
「日本はすばらしい国で、人々はとてもわれわれに対して親切だ。だけど、食べ物については自信がない。われわれはわれわれが食べられるものについてはいくらか問題があった。」
7月18日付けの『アルジャジーラ』に掲載されたジュリアン・ライアル記者の記事です。
7月始めに国技館でこのような相撲競技の世界選手権試合があったというのは私は知りませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北に移るトヨタ」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年07月27日 | 福祉と経済
現代アメリカの政治は、政府は問題であって、解決ではないというドクトリンによって支配されている。実際、このドクトリンが政治に移されると、たとえ国家の歳入の不足が基本的な公共サービスを低下させるとしても、金持ちに対する低い課税を最優先にすることになる。これが判断を間違っているということを悟るのにリベラルである必要はない。企業の指導者達は、良い公共サービスがビジネスにとっても良いということを全く良く理解している。だが、最近は、政治的環境が非常に両極化しているので、経営の最高幹部は、保守的なドグマに反対する発言を口外することを恐れている。
その代わりに、彼らは自分の足で投票するのだ。このことがわれわれをトヨタの選択の物語に連れて行く。
新しいトヨタの集中プラントを招致したいと望むいくつかの州の間には、ものすごい競争がある。いくつかの南部の諸州は、何十億ドルもの価値のある財政的インセンティヴを申し出ていると報道されている。
しかし、先月、トヨタは、ミニS.U.VのRAV4を生産する新しいプラントをカナダのオンタリオに置くことに決めた。あるアメリカの都市を選択する財政的刺激をどうして無視するのかを説明して、この会社は、オンタリオの労働力の質を挙げた。
何がトヨタに労働の質問題に敏感にさせたのか。多分、われわれはトロントに根拠地を置く「自動車部品製造者連合」の会長からの言葉を割り引いて聞かなければならない。彼は、南部諸州の教育レベルは非常に低いので、アラバマ州にある日本プラントのためのトレーナーは、何人かの無知な労働者にハイテク装置の使い方を説明するのに、絵を使わなければならないのだと言ったのである。
しかし、別の報告もある。そのあるものは、州の役人からのもので、それによると、アメリカ南部に工場を開いている日本の自動車会社は、労働力の訓練の貧弱なレベルに驚いているというものである。
ここにはアラバマ州知事にとって苦い皮肉がある。丁度、二年前、選挙民は、州の質の低い教育を改善することができるように、富裕層に対する州の最低課税を引き上げたいという請願を圧倒的に拒否した。増税反対者は、選挙民にそれが州の仕事に費いやされるということを確信させた。
だが、教育だけがトヨタがオンタリオを選んだ唯一の理由ではない。カナダのもう一つのセールス・ポイントは、その国民健康保険制度である。それは自動車製造業に米国での費用と比べて、保険手当の大きな額を節約させるのだ。
カナダの納税者は結局健康保険料を支払うことによってトヨタの移動に補助金を出しているのだと言いたいかもしれない。だが、それは正しくない。カナダの健康保険制度が、莫大な行政的費用を必要とするアメリカのそれよりも一人頭にすると遥かに低コストであるという事実は別にしても。事実、自動車の仕事が北に移動することによって傷つくのは、アメリカの納税者であって、カナダの納税者ではないのだ。
国際的競争の結果は、カナダの自動車のような産業により多くの仕事を与える。健康保険のような手当を与えない産業にはより僅かな仕事しか与えない。米国では、結果は逆である。手当のある産業には仕事が少なく、手当のない産業には、仕事が多い。
それでは納税者に対するインパクトはどうだろうか。カナダでは、全くインパクトはない。なぜならば、すべてのカナダ国民は、どんな場合でも、政府が管掌する健康保険をもらえる。自動車の仕事が増えても政府の支出は増えない。
しかし、アメリカの納税者は、被害を受ける。なぜなら、一般公衆は、結局は、彼らの仕事によって保険をもらえない労働者のためのヘルスケアの費用の多くを支払うことになるからである。
これはおかしくはないだろうか。専門家達は、福祉国家はグローバル化によって失敗する運命にあり、国民健康保険のような計画は、支えることができなくなると言う。だが、カナダの一般的な健康保険制度は、国際競争をうまく扱っている。彼らの労働者の待遇を良くしている会社を罰しているのはわれわれシステムである。これが問題なのだ。
きっとある読者は、私が今言ったことに対して、カナダ人がそんなに頭が良いのなら、どうして彼らはわれわれよりリッチでないのかと答えるだろう。だが、アメリカの比較的な経済パーフォーマンスの問題は他日論じることにしよう。
今のところは、人々をまともにあつかうことは、いつかは、競争上の利点であるということを指摘させてほしい。アメリカでは、基本的な健康保険は特権である。カナダではそれは権利の一つである。自動車産業においては、すくなくとも、良い仕事は、北へ向かっている。
[訳者の感想]7月25日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された記事です。アメリカでは、「健康保険は、特権である」というのはわれわれ日本人には驚きですね。社会福祉の行き届いたところのほうが、企業も仕事がしやすいということだと思います。クルーグマンのこの論説は、社会保障切り捨て論に対する反論になっていると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「米国、北朝鮮と会談」と題する『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事。

2005年07月26日 | 北朝鮮問題
7月25日、北京発:アメリカと北朝鮮から来た交渉役は、今日、滅多にない私的会合を行った。これは北朝鮮の核危機について火曜日に開かれる六ヶ国の非武装会談に寄せられた高まる期待と重大な関心を裏書きしている。
クリストファー・ヒル・アメリカ代表は、彼の75分間に及ぶ北朝鮮代表との午後の会合を重要視していない。しかし、ヒル氏が二国間の会談を公的に認めたという事実だけでも、アメリカの新しい態度を示唆している。以前の会談では、アメリカは、北朝鮮とのいかなる私的議論も公的に認めることを拒否していた。
「われわれはただ親しくなり、われわれがどのように事態を見ているかを再吟味し、記録を比べようとしている」とヒルは、北朝鮮との会談に先立って記者団に語った。彼は会合を「ディスカッション」であると言い、実際の交渉は、北京西部の国営のゲストハウスにおける火曜日の形式的会談の開始とともに始まると述べた。
「われわれは非常に一生懸命仕事をして、何らかの進歩をすることを期待している」とヒル氏は付け加えた。
アナリスト達は、この一番新しいラウンドが、2002年10月に始まった核危機以来もっとも重大なものだと考えている。
北京における以前の三回の交渉は、行き詰まった。このラウンドは、北朝鮮が13ヶ月前にアメリカの「敵意」を非難して交渉のテーブルから立ち去って以来の会談である。
結果に対する圧力の強まったことによって、3日あるいは4日間行われた不完全な交渉という以前の形式は放棄される。ヒル氏は、自分は必要なら、北京に1ヶ月滞在するかもしれないと言明した。
最近数ヶ月間、アメリカは、北朝鮮に交渉の席に戻るように説得するためにいくつかの段階を取った。つまり北朝鮮に安全保障を与えること、北朝鮮が主権国家であると認めるという段階を取った。
かって北朝鮮を「悪の枢軸」に含めたブッシュ大統領は、最近ではアメリカは北朝鮮を攻撃しないと述べた。過去には北朝鮮の指導者金正日を見くびっていたブッシュは、最近の演説では彼の名前にミスターをつけて呼んだ。
北京人民大学の国際関係論担当のシ・インホン教授は、「米国は大きな貢献をした」と述べた。
しかし、他の多くのアナリスト達と同様、彼は200万キロワットの電力を供給することで北朝鮮のエネルギー不足を助けるという提案で会談へのきっかけを作った韓国の功績を評価した。
日曜日に北京で会談した韓国と北朝鮮の高官は、朝鮮半島から核兵器を取り除くという原則に同意した。
会談が成功するか、失敗するかは、九月の胡錦涛主席の最初のアメリカ訪問の際の米中関係に影響すると予測されている。
今年初め、中国は、北朝鮮に対する硬直した態度のゆえにアメリカを非難したが、ブッシュ政権は、北朝鮮がテーブルに復帰するように中国がもっと大きな圧力をかけるべきだ中国に注文をつけた。
「中国は、もし何も起こらなければ、アメリカはもっと強硬な路線をとるだろう」とシ氏は言う。
会談が駄目になると北朝鮮が核計画を強化し、それが東アジアに軍拡競争をもたらし、それによって日本が独自の核兵器を開発することを中国政府はもっとも心配していると、シ氏は言った。「それは中国にとっては悪夢だ。」
クリントン大統領の下で国家安全会議のアドバイザーを務めたケネス・リーバーソールは、会談は難しくなるだろうと予測している。一番うまくいっても、北朝鮮の非武装に到るロード・マップを作るための真剣な交渉をどうやってつづけるかについての合意だろう。
リーバーソール氏は、困難の責任はブッシュ政府の以前の強硬路線にあり、それが行き詰まりを生じて、北朝鮮に核計画を拡大する時間を与えたのだと述べた。彼によると、北朝鮮は、3,4年前には原爆一個か二個分の核物資を持っていたが、現在は原爆10個分の核物質を持っている。
「北朝鮮が10個の核兵器か、10個の核兵器のためのプルトニウムを持っている世界は、心配でたまらない」とリーバーソールは言った。
[訳者の感想]拉致問題も重要ですが、やはり、核問題を解決することを第一に考えるべきだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国、ドル・ペッグ制を止める」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年07月22日 | 中国の政治・経済・社会
人民元はもはやドルにペッグされないという中国人民銀行の木曜日の声明は、簡明ではあるが、情報を与えることが少ない、そう言ってよければ、不可解である。これは単に数ヶ月間、米国議会の保護主義的圧力からの息抜きを買おうと企てられた一片の芝居であるという見込みは十分ある。
にもかかわらず、それは世界経済をひっくり返すだろう、あるいはもっと正確に言えば、正しい方を上にするあるプロセスの開始である。つまり、中国がアメリカに与えてきたただ乗りにおいて、世界の最も豊かな経済がダイナミックではあるがまだ貧しい国から安い貸付金を得てきたのだが、そのただ乗りは、終わりに近づいているかもしれない。
問題は、資本がどの方向に流れているかである。
資本は、普通、成熟し、発達した経済からより発達していない経済へと流れる。例えば、19世紀におけるアメリカの成長は、既に工業化されていたイギリスからの投資によって資金をまかなった。
10年前、1997年から1998年にかけて世界の金融危機以前には、資本の動きは、歴史的パターンに当てはまるように見えた。なぜなら、資金は日本や西欧諸国からアジアやラテン・アメリカの「新興市場」へと流れたからである。しかし、今日では、事態は反対の方向に向いている。資本は、新興市場、特に中国からアメリカへと流れ出している。
この川下から川上への逆流は、私的セクターの決定の結果ではない。それは公的政策の結果である。中国の通貨を低く保つために、中国政府は、莫大な量のドルを買い入れ、米国債券の売上高に貢献した。
この政策がどれほど奇妙であるかを理解する一つの方法は、それと比較可能な政策が、われわれの経済の規模にマッチするように尺度を変えた場合、アメリカではどのように見えるかを考えることである。それは、まるで、昨年アメリカ政府が利息の安い日本債券に納税者の金を1兆ドル投資し、今年は、同じ仕方で1.5兆ドル投資するようなものである。
何人かのエコノミストは、この一見馬鹿げた政策に対して深い合理性があると考える。私は、それは中国政府が、1997年から1998年にかけての危機から自分を護ろうとしたときに落ち込んだ罠だと考える。中国経済がうまくいっているので、中国はそれを変えるのがいやなのだ。つまり、中国の指導者達は、成功に干渉したくないのである。
しかし、中国のドル買いに対する圧力は増大しつつある。人民元の価値を下げておくことによって、中国は、貿易黒字を助長しており、それがアメリカやヨーロッパでは政治的反発を招いている。まだ貧乏な国である中国は、多くの資源を、より高い生活水準にではなく、基本的に役に立たないドルの山を積み上げるのに捧げているのである。
問題は、もし、中国が最後にこのような奇妙な振る舞いを止めようと決心したら、われわれに何が起こるかということである。
中国のドル買い騒ぎの終わりは、元の価値の上昇を招くだろう。それは恐らくまた他の主要通貨に対するドルの価値の下落を招くだろう。例えば、中国が同じ規模では買わなかったユーロの上昇を招くだろう。このことは、競争相手のコストを上げることによって、アメリカの製造業者を助けるだろう。
だが、もし、中国がアメリカ国債を買うのを止めるならば、国債の利率は、上昇するだろう。利率上昇がバブルをはじけさせるならば、これは不動産業者にとっては悪い、非常に悪いニュースとなるだろう。
長い目で見れば、中国のドル買いの終わりの経済的効果は、均衡を作り出すだろう。アメリカでは産業労働者はより多くなり、不動産業者はより少なくなるだろう。ミシガン州では、仕事が増え、フロリダ州では仕事は少なくなるだろう。雇用の全般的レベルは、大して影響されないままに残すだろう。しかし、ジョン・メイナード・ケインズが指摘したように、長期的に見れば、われわれは皆死ぬのである。
短期的には、ある人々は儲けるだろうが、他の人々は、損をするだろう。そして、私は、負け組のほうが圧倒的に勝ち組より多いのではないかと疑っている。
戦略的効果については、どうだろうか。現在、アメリカは、借金で暮らすスーパーパワーである。これはスペインを支配したフェリペ2世以来起こらなかったことである。中国がわれわれのクレジット・カードを持ち去ったら、われわれの成長に何が起こるだろうか。
この話は、まだ、その初期の段階にある。新しい政策の最初の日に、人民元はたった2%上昇した。目につく違いをもたらすには十分ではない。だが、近日中に中国のドル買いは、弱まるだろう。そしたら、われわれは興味ある時代に生きていることが分かるだろう。
[訳者の感想]7月22日付け『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたポール・クルーグマンの論説です。現代の一流の経済学者が書いた論説だけにかなり説得力があります。彼の予測がどの程度当たるか、興味津々です。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「欧米が石油を必要とするから」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2005年07月21日 | テロリズム
小見出し:ケン・リビングストン・ロンドン市長は、欧米の中近東政策がテロ攻撃にともに責任があるとした。
「われわれは石油が必要だから、80年間大部分アラビア人の領域に対して干渉してきた」と左翼政治家であるロンドン市長は、7月20日にBBC放送に語った。彼によると、欧米諸国は、この地域で、疑わしい政府を支持し、他の政府を転覆してきた。欧米の政府が第一次大戦後にアラブ世界に彼ら自身の政府を持つことを可能にしていたら、彼の見解では、「テロリズムの問題」は起こらなかっただろう。
彼は全生涯に欧米の政府が「自分たちの動力資源の貯蔵についてのコントロールを失うことを非常に恐れてきたのを見た。中東では、欧米の政府は常に介入してきた。そこから結果したのは、ダブル・スタンダードである。英国には、合衆国によるイスラエル支持やグアンタナモ収容所において明らかになった欧米の政策を拒否する若者が沢山いる。
ロンドン市長は確かに、自爆テロを断罪したが、「パレスティナ人がなぜこのような戦術をとるに到ったかは理解できる」と言った。「彼らは外国の占領下で選挙権もなく、自分たちの事柄について行政権もなく三世代に渡って労働権も持っていないのだ。こういったことが英国で起これば、われわれ自身が大量の自爆テロリストを産み出しただろうと私は思う。」
英国は、入国を拒否するか、入国を厳しく審査するために、過激派の国際的名簿を作ろうとしている。このことをクラーク内務相は、水曜日に下院で明らかにした。この名簿に取り上げられるのは、「受け入れられない」行動をする者、過激主義を説教したり、インターネットや他の公刊物でテロリスムを推進する者である。更にクラーク内務相は、英国はヨルダン国籍を持つ者を英国からヨルダンに追放することを可能にする協定をヨルダン政府と結んだと述べた。英国政府は、北アフリカ諸国とも類似の協定を結びたいと考えている。
この一連の協定は、将来、英国が他の国で煽動者やテロリストとして探されている人物を住まわせているという非難の根拠を絶つだろう。英国の伝統と国際的人権によれば、拷問や死刑がありそうな場合には、当該の人物は他の国に引き渡されない。この留保は、北アフリカや近東の大抵の国に対して、妥当する。だから、ロンドンには、自国内で手配車リストに載っている一連のアラブ系の活動家が煩わされないで滞在している。彼らは、確かにロンドンでも歓迎されないけれども、故郷に送り返されはしない。第三国も彼らを受け入れないだろう。拷問や死刑がなされる恐れがないことが確かめられた場合、英国の保護義務がなくなる。
ヨルダンの場合、ザルカウイに影響を与えた説教者アブ・カタダが国外退去させられる第一号かもしれない。彼は昨年法的手続きなしに収監され、昨年末以来、無期限の禁足処分を受けた。彼の説教が入ったカセットテープは、9.11の自爆テロの実行者が滞在していたハンブルクの住まいで発見された。もっとも、何ヶ月もの法廷審理を含む通常の国外退去の手続きは相変わらず有効である。
ロンドン警察は、7月7日の爆破テロ事件の犠牲者56人全員の身元が分かったと告知した。
[訳者の感想]ヨルダン人アブ・カタダが国外退去になった場合、引き受ける国はないように思います。最後の国外退去処分もかなり手間がかかるという点では、ドイツもイギリスと余り変わらないようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パキスタンがタリバン化しそうだ。」という『シュピーゲル』誌の記事。

2005年07月20日 | イスラム問題
小見出し:パキスタンの百万都市ペシャワールでは、議会はイスラム教宗教警察の投入を決議した。過激な聖職者の前進が進んでいる。批判者達は、かってのタリバン時代の隣国アフガニスタンと似た状況を恐れている。
ハンブルク発:州都ペシャワールの議会で、今週、場合によっては容易ならぬ予期せぬ出来事が起こった。世俗的な政党に所属する議員達は、いわゆる北西部州で宗教学者にとっぴな特権を認めるであろう法案のコピーを引き裂いた。その中には、宗教的風俗警察の設立案が含まれていた。
しかし、コピーの上にはコーランからの詩句と予言者ムハンマドの名前が書かれていたので、頑迷なイスラム主義者達は、反対者を「冒涜罪」で告訴するように要求した。これはパキスタンでは、死刑に値する罪である。
今回、議会で演じられた抗議は、北西部州では、将来、「ハスバ軍」(「釈明軍」というような意味)によって挫折させられるだろう。この種の宗教警察は、それほど遠くない時代に、タリバンの支配するアフガニスタンに存在した。そこでは、政権の手先は、市街の恐怖の的であった。
信仰監視者は、音楽カセットが見いだされた自動車を押収し、サッカー場においてさえお祈りの時間が厳守されているかうるさく監視した。女性は、袋のようなブルカを被らなければならなかった。拳一つ分の長さの髭を蓄えていない男性は、電気コードで殴られた。占い師や物乞いをする戦争寡婦も同様だった。
パキスタンにおける「ハスバ法」は、僧衣を着ていわゆる罪人達を追い回す聖職者達の独裁に等しいだろう。捕吏達の目についた者は、監獄と罰金で罰せられるはずである。
北西部州の世俗的政治家が恐れているように、この法律でもって、パキスタンのタリバン化が始まるだろう。特に女性達は、宗教的過激派の目標になるだろう。ペシャワールでは、キリスト教信者の女性達が、抗議のために鎖を体に巻いた。パキスタンの少数派の代弁者であるシャバツ・バッティは、聖職者達はもっと多くのことができるだろうと考えている。「この法律は、宗教的熱狂者を勇気づけ、あらゆる民主主義的制度をなくすだろう。」
昨日、木曜日に、この法律が州議会を通過した際、石器時代のイスラム主義者達は、「アラーは偉大なり」と叫んだ。イスラマバードの最高裁判所だけがこの法律の発効を阻止できる。しかし、58の宗教政党があるパキスタンでは、これは確実ではない。バザールのメッカであるペシャワールでは、彼らの中でもっとも過激な連中が多数派であり、彼らは、「ムタヒダ・マジリス・エ・アマル連合」(MMA)によって統合されている。
聖職者の連合は、北西部州とともに、アフガニスタンとの国境と2千万人を支配している。この地域は、部族地域とともにタリバンとアルカイダの外国人雇い兵に対して戦うアメリカ軍の前線である。テロの王様オサマ・ビン・ラディンは、この国境地帯の荒れた地方のどこかに身を潜めているとアメリカのテロリスト追跡者は推測している。(以下省略)
[訳者の感想]もともとタリバンをアフガニスタンに送り込んだのは、パキスタン軍であったということを読んだ記憶があります。イスラム原理主義は、むしろますます勢力を伸ばしているのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イラクでは内戦が起こるだろう」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年07月19日 | イラク問題
小見出し:シスタニ師の顧問は、シーア派に対する戦争について語っている。イギリスの国防相、撤退計画を認める。
イイスタンブール発:「何が現実に起こっているか、何が起こるかは、明らかだ。シーア派に対する戦争だ」と昨日イラク国民議会前で、ジャラル・アル・ディン・アル・サギル族長は言った。それは、三日間に170人の犠牲者を出したシーア派に向けられた一連のテロ攻撃の後の彼の結論だった。英国もイラクにおける増大する暴力行為に反応した。ジョン・リード国防相は、12ヶ月以内に英国と米国の部隊を一部撤退させる計画についての報道を認めた。
これまでシーア派の指導者達は、攻撃に対して反撃することを、修辞上であるにせよ、避けてきた。特に、僧職にある指導者アリ・シスタニ師の周辺では、「戦争」とか「内戦」という言葉は常に避けられてきた。
しかし、いまや、シスタニの周囲でも公然と戦争について語られている。アル・サギルは、国会議員であるだけでなく、シスタニ師の顧問である。アル・サギルよりももっと先走っていえるのは、国会議員のクダル・アル・クサイである。彼は、治安部隊がシーア派を護ることができないのであれば、シーア派の民兵が動員されなければならないだろうと言った。二つの最も大きなシーア派民兵は、「イラクにおけるイスラム革命最高評議会」の「バドル旅団」とラディカルな聖職者であるムクタダ・アル・サドルの率いる「マフディ軍」である。後者は、既に二度政府軍とアメリカ軍に対して蜂起した。サドル師の戦士達は、民兵の呼び戻しを実行した。彼らは、バグダッド北部のシーア派住民地区の広大な部分を確保している。そこでは何度も、殺されたスンニー派住民の死体が手足を縛られ、処刑された状態で見つかっている。シーア派に対して良からぬことをたくらんだという疑いをかけられた男達である。
レトリックが変わっただけでなく、現実も変わりつつある。バグダッドでシーア派が多数を占める政府が仕事を始めて以来、スンニー派住民に対する身の毛のよだつ攻撃がなされた。スンニー派の代表者達は、内務省に責任があり、特に、「狼旅団」にスンニー派の聖職者や民間人に対する復讐行為の責任があると主張している。
イラク南部では、その間、一つの自治運動がスピードを上げている。その代表者達は北部のクルド人と同様の自己決定権を要求している。クルド人達が、独自の議会と独自の治安部隊と独自のクルディスタンという地名持っているのと同じように、南部のシーア派ももはや「イラク人」と呼ばれることを望まず、「シュメール人」と呼んで貰いたいと思っている。数日前、バスラ州の知事は、石油収入からもっと多くの金を回すように要求した。さもなければ、独立運動はいくつかの帰結を引き出すだろうと彼は言った。
自治運動が強まることに対して、ロンドンの撤退計画は配慮している。先週イギリスの新聞が公表し、リード国防相によって裏書きされた文書によれば、次の12ヶ月以内に現在駐留している8千名の兵力は3千名に減らされるべきであり、このことをリード国防相は、直接的にコメントしようとはしなかった。しかし、彼は、英国と米国は、治安に対する責任をイラク軍に委ねることを認めた。「これは次の12ヶ月以内に始まるプロセスだと私は思う」と彼は述べた。その場合、地域で募集されたシーア派の治安部隊がコントロールし、急速に「シュメール軍」に姿を変えるだろう。現在既に、南部の大都市バスラは、名目的にしか政府に支配されていない。バグダッドは遠く、忠誠心が明らかでない民兵と地方の権力者が本来の権力を握っている。その背景では、隣国イランが影響力を行使している。
自治の議論は、8月半ばにできる予定の新憲法についての議論に影響している。クルド人達は、非常に緩やかな連邦制の枠の中で独立を維持したいと望んでおり、シーア派は、これらの権利をこれまで国の統一のために制限しようと思っていた。しかし、今や、彼らも南部の諸州に対して類似の権利を要求しているように思われる。
[訳者の感想]南部のシーア派の人たちが自分たちはイラク人ではなくて、「シュメール人」であると考えていると聞いて驚きました。西南戦争の時に、薩摩の人たちが自分たちは「日本人」ではなくて、「薩摩隼人」であると言ったとしたら、どうなったでしょうね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「訓練のためにバグダッドへ」と題するイスラム主義についてのインタービュー。

2005年07月18日 | テロリズム
7月17日付け『新チューリッヒ新聞』に掲載された政治学者アムル・ハムザウイに対するインタービューです。
--イスラム教はヨーロッパで生まれた若いモスレムに対してどのような魅力を持っていますか。
ハムザウイ:それは彼らにとっては、アイデンティティを作り出す要素です。その上、イスラム教は、この数年のうちにヨーロッパにいる多くの若者にとって政治的なファクターになりました。多くのことがこのイスラム教の政治化を促進しています。たとえば、2001年9月11日の出来事や、イラク戦争、トルコと欧州連合の間の関係、統合を巡る議論、映画監督のファン・ゴッホの暗殺などがそれです。
--犯人のタイプは、ヨーロッパの諸都市の角店にいる若いモスレムにとって典型的です。彼らは、あくせく働いている父親を手伝い、女性客といちゃついたり、ビデオを見たりします。いつの間にか、彼らは髭を蓄え、突然姿を消す。こういうことがどうして起こるのですか。
ハムザウイ:それを説明するのは難しいですね。かなり多くの場合、息子達の父親が宗教へ行く道を見つけ、息子を一緒に連れて行くのです。ヨーロッパに住むモスレムの間では、これはよく知られたパターンです。生涯の最後の三分の一に達すると、宗教が再発見されるのです。次に若者達のところでは、失業によって引き起こされる危機の瞬間があります。あるいは、彼らが少数派として暮らしている多数派の社会と折り合いをつけることができないために生じる危機の瞬間があります。更に、故郷に帰りたいという願望が加わります。そして、魅力的な隣にいる好感のもてる男を巡るグループ・ダイナミックスが加わります。
--そうすると、テロへの歩みは宗教にのみ関係があるのですか、それとも退屈から逃れることが問題なのですか。
ハムザウイ:「今にお前達に、目にもの見せてやる」という感情は、非常に重要です。世俗的に生活しているモスレムの親たちは、子供達に伝統文化や宗教をないがしろにしていると非難されます。世間が注目するような何かをしでかすという冒険の要素は非常に重要です。
--かなり多くの殺人者は、教育があります。パキスタンでダニエル・パール記者を殺した人物は、ロンドン経済大学の卒業生でした。カイロやベルリンやワシントンでのあなたの教育活動で、あなたは、ラディカルになっていつか姿を消す人たちに出会いましたか。
ハムザウイ:ええ、出会いますね。彼らは自然科学や社会科学の学生です。彼らはアメリカの政策に対してヨロッパの知識人と同様、批判的な議論をします。西欧にいるこのような学生は、カイロの学生よりももっとラディカルです。故郷から遠く離れているので、故郷は理想化されるのです。更に批判は、文化的に異なる人達をラディカルに断罪することになり、最後に、彼らはキリスト教とイスラム教徒との最終的戦争について語るのです。少数派であるこれらの人々のところでは、私は、彼らは救いようがないという感じを持ちます。彼らはテロの同調者であるか、テロ攻撃に参加することになるのです。しかし、多数派は、更に西欧に対する批判的議論を続けます。こういった若者は救われますが、西欧によって救われるのではありません。
--彼らを救うのは誰ですか。
ハムザウイ:彼らは一度暴力をはっきりと断罪するアラビア・イスラム圏からの議論を聞いたり、読んだり見たりしなければなりません。すべてのイスラムの宗教学者によって、これは間違った道であるとはっきり言うように促されます。アラビア・イスラム圏に勇気づけられる兆候があると思います。カタールとヨルダンでで行われた会議では、宗教指導者達や批判的な宗教学者達は、非常にはっきりと考えを表明しました。穏健でリベラルな学者達は、彼らの告知を広めねばなりませんし、インターネットを使って、テロに対して競争できなければなりません。
--それで西欧はどうしたらいいのですか。
ハムザウイ:確かに西欧は、ある役割を演じなければなりません。それはドイツやフランスや英国やアメリカで、何か大規模なことがなされなければなりません。しかし、西欧の社会が努力を強めても駄目でしょう。中近東の対立を克服するだけでは、戦闘的イスラム主義を食い止めることはできないでしょう。イラクからの撤退でテロが終わるだろうと信じるのは間違いです。そう主張する人たちは、テロリストに同意しているのですが、テロリスト達にとっては、イラクやパレスティナは口実に過ぎません。
--西欧ではイスラム主義に対する考え方は変わったでしょうか。
ハムザウイ:ロンドンでの自爆テロの後では、意見は分かれていませんが、それは当然のことです。最近、二年間に、穏健なイスラム主義とラディカルなイスラム主義との間の区別に対する理解が増大しました。
欧州連合が出したある声明で、穏健なイスラム主義との接触は、展開されるべきであると述べています。アメリカでは、ホワイト・ハウスや国務省の中に穏健派がいて、彼らは、民主主義的ルールを受け入れ、国民の間で人気があり、すでに幅広い抗議運動を指導できるイスラム主義者が存在すると言っています。
--イラクはヨーロッパを危険に曝すのにどのような役割を演じていますか。
ハムザウイ:ラディカルなイスラム主義者は、ヨルダン人のザルカウイを尊敬しています。この国は、ラディカルなイスラム主義テロリストの新しい養成所になりました。彼らがヨーロッパに帰ってきたら、アフガニスタンやボスニアからの帰国者よりも遥かに危険でしょう。彼らは明日の危険な過激派なのです。
[訳者の感想]なぜヨーロッパ育ちのイスラム教徒がテロに走るのか、ある程度は説明されていますが、まだ十分納得できる説明ではないと想います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「教師がテロ攻撃を指導した」と題する『オブザーバー』紙の記事。

2005年07月17日 | テロリズム
ロンドンの自爆テロ実行犯のモハマッド・シディック・カーンは、リーズから来た30才の補助教員だったが、彼はロンドンのテロ攻撃の指揮官であったことが明らかになった。彼は三つの大陸を結ぶアルカイダの工作員達と連絡があった。
昨日、カーンの家族が公的声明をするために名乗り出て、少なくとも55人を殺した恐ろしい邪悪な行為における彼の役割について彼らの驚きを表した。治安当局は、彼が英国で失敗に終わったテロ計画に関与していたことを確証した。アメリカの報道は、また、彼がパキスタンにおけるアルカイダ細胞と結びついた第二のテロ計画にも関係があると示唆した。カーンは、また、ニューヨークにいるアルカイダの兵員募集の容疑者と電話連絡を取っていたと信じられている。
警察の捜査がロンドンの3人のテロ実行犯の出身地であるリーズの中心にあるイスラム系の本屋に焦点を宛てるにつれて展開を見せた。15日に警察は破壊棒でビュード街のイクラ・学習センターのドアを打ち破った。このセンターは、オルドゲートで7人を殺したシェーザド・タンウィーアの自宅からコーナーを曲がったところにある。ロンドンで警察の尋問を受けている男であるナヴェード・フィアズがこの書店に関係していることが明らかになった。
『オブザーバー』紙は、4人のロンドン自爆テロの実行犯達の一人が、ベルマーシュ監獄に留置されているテロ容疑者と電話連絡を取っていたことを明らかにした。
昨日、カーンの家族は、犠牲者に対する同情を表したが、彼の友人や家族は自分たちは「うちひしがれている」と述べた。
彼らは、われわれの息子にこのような悪行を遂行するようにけしかけたテロ・ネットワークを暴露するために、何らかの情報を持つ人は捜査員に連絡を取って欲しいと望んだ。
警察を通じて発表された声明は、「カーンの家族は、無辜の犠牲者に対する彼らの心のそこからの同情を言い表したい。彼らの友人やこの恐ろしい邪悪な行為に傷ついている」と述べている。
「私たちは、息子を我が家の親切で家族の世話をする者として知っているので、私たちの息子がこのような残虐な行為を遂行するように洗脳されたことにうちひしがれています。」
昨夜、ジェルメーン・リンゼイの妻は、彼女の夫の秘密の生活を知ったときの彼女の打撃について語った。サマンサ・リュースウエイト(22才)は、「私は、彼がこのような恐ろしい活動に関わっているとは予測のも銅像もできなかった」と語った。
「私の世界全体が崩れました。私の思いは、この理解できない荒廃の犠牲者の家族とともにあります。彼は愛すべき夫であり父親でした。」
リンゼイの義理の妹は、彼がどんな姉妹でも兄に持ちたいと思うような良い兄だったと語った。しかし、ダナ・リードは、彼が土地のモスクに出席し初めてから、変わったと4チャンネルのニュースに話した。
二人の心の隔たりは広がり、リードは、彼の死をニュースで聞いた。彼の人が変わったにもかかわらず、彼女は、彼が残虐行為を行ったとは信じられなかったと付け加えた。「彼は変わったけれども、人々に対する愛においては彼は決して変わらなかったという証拠が欲しいのです」と彼女は言った。
[訳者あとがき]7月17日付けの『オブザーバー』紙の掲載された記事です。どうして英国で育ったパキスタン人がテロ実行犯になったのかという掘り下げがないので、不満の残る記事です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「過激派の憎悪は、英国とパキスタンとの絆にひびを入れ始めた」と題する記事。

2005年07月15日 | テロリズム
『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙7月15日号の記事です。筆者は、アーメド・ラシドという人です。
 過去数日間、パキスタンの首都ラホールのディナー・パーティや市場や新聞編集局では会話の話題はただ一つであった。それはロンドンの自爆テロがパキスタン人の仕業であるだという恐れと期待であった。
 大抵の人が確信していたのは、それは正しいだろうということであり、真実が明らかになったとき、彼らは携帯電話でニュースを広め、次のように繰り返した。「俺が言ったとおりだ。これは本当にケーキの上の糖衣になるだろうぜ。」
多くの人々は、Tシャツやスーフィ音楽やマンゴーと一緒に一握りのテロリストを輸出する国民と呼ばれると考えて憂鬱になった。
 火曜日までは英国におけるパキスタン人居住区域に対する右翼英国人の反発の恐れが新聞の見出しに踊っていた。その理由は、パキスタン人自身がつまり、イスラム原理主義か民主主義か、という独立後58年経っても彼らの国民の本性について意見が一致しないからである。
 ブラッドフォードやリーズに二世代の間、住んできた人たちもなお結婚やパーティや休日や宗教的お祭りのために帰国するのだ。
 ロンドンとパキスタンとの間の往復旅行は、夏には集団で行われる。
 スニーカーと最新流行のジーンズを履いた少年達が、休暇中、ラホールのショッピング・モールでヨクシャー訛りでしゃべっているのが耳に入る。
 ヨークシャーに住んでいるもっと保守的な両親達は、彼らのティーンエイジの息子達の学校休暇を手配し、数学期の間の勉強のために彼らをパキスタンに送る。彼らは宗教学校か宗教と無関係な学校に入学して、ウルドウ語とコーランを学び、友達を作る。寄宿制の宗教学校に入る少年達は、しばしば原理主義的な見解を教え込まれて、人が変わって、ヨークシャーに帰ってくる。そして、姉妹達にスカーフを被るように要求し、友達と規則正しく礼拝するようになる。
 自爆テロリストの内、1人か2人が最近パキスタンを訪れ、ひっとしたら過激派のグループと一緒に訓練を受けたということはすでに明らかである。
 過去20年間に、少数の戦闘的な連中は、イスラム教やさまざまのイスラム宗派の名において、また「男の名誉」という勝手につけた概念を使って仲間の市民を殺したり、不具にしたりした。
 イスラムの名前を使ったこれらの殺人者達は、彼らの仲間の市民から嫌われ、外国に送り出された。そこではパキスタンの武装集団がカシミールやアフガニスタンや中央アジアやチェンチェンやかってのユーゴスラビアでは過激派によって支持されていた。
 パキスタンの過激派は、パキスタン軍と密接に結びついており、軍は彼らの中にインドを食い止めるための安上がりで自分たちの責任を問われない機会を見ている。さらに軍は彼らの中にパキスタンのイスラム的影響を海外で維持し、国内の市民的民主主義のチャンスを取りつぶす機会だと見なしている。
 多くのパキスタン人は、2001年9月11日の事件が軍にその不幸な政策を変え、イスラム法学者との同盟を終わらせる機会を与えるだろうと期待した。
 パキスタンのムシャラフ大統領の軍事政権は、アフガニスタンおよびインドと平和を結ぶことに成功し、武装集団を厳しく取り締まり、過激派に背を向けた。ムシャラフ大統領は、啓蒙的で穏健な政策を約束したが、余り実行されなかった。何千もの宗教学校は、いまなお、非イスラム教徒に対する憎悪をぶちまけており、武装集団の指導者は、なお国中で説教して回っている。ムシャラフ大統領は、9.11以来、アメリカとイギリスによって与えられている気前の良い援助をばらまいた。過激派は、繁栄し続けている。今月広く読まれている雑誌『ヘラルド』は、9.11の後で閉鎖されていた1ダースほどの軍事訓練キャンプが、今年5月、公に祝福されて再開されたと報告している。
 先月、カリフォルニアでテロの理由で逮捕された数名のパキスタン系アメリカ人は、このようなキャンプでの訓練を受けたことを認めた。ロンドンの自爆テロリスト達も、アルカイダよりもパキスタン・グループと接触した可能性がある。
 パキスタン人は、非難の目に曝されることにうんざりし、普通の生活を送りたいと思っている。彼らは故郷における暴力と海外での悪いイメージが終わることを望んでいる。しかし、いつそれが終わるかは、誰も予測できない。
[訳者の感想]筆者はパキスタンの国内事情に非常に詳しい人のようです。私はオサマ・ビン・ラディンが4年近く経っても捕まらないのは、どうもパキスタン軍に原因があるのではないかと疑っていましたが、ロンドンの自爆テロの背後にもパキスタンの過激派の影が見え隠れしているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザルカウイ、自爆攻撃について、師と衝突」と題する『シドニー・モーニング・ポスト』紙の記事。

2005年07月12日 | イラク問題
イラクにおけるアルカイダ指導者であるアブ・ムサブ・アル・ザルカウイは、イラクにおける自爆攻撃を批判されたことに対して、彼の精神的師を非難した。
アブ・モハメッド・アル・マクディシの通称で知られたイッサム・バラキは、先週、アル・ジャジーラ・テレビに対して、「イラクにおける無差別自爆攻撃は、正しくなく、シーア派を不信者であると宣言したり、ユダヤ人やキリスト教徒と同じだと言ったりするのは間違いだ」と述べた。
ザルカウイに指揮された「イラクにおけるアルカイダ聖戦組織」は、アメリカ軍やイラク政府軍やシーア派イスラム教徒に対するもっとも致命的な攻撃のいくつかを実行した。
「この批判は、私よりも聖戦を損なうものだ。聖戦の祝福は、目のある人なら誰にでも明らかである」とザルカウイの署名が書かれた声明は述べている。
「悪魔の足跡をたどるな、さもないとお前は滅びるぞ。我らの徳高き族長よ。神の敵の狡猾さに気をつけよ。戦士を分裂させるように誘惑されないように気をつけよ」とイスラム主義者のウェッブサイトに投書された声明は述べている。
ザルカウイは、自分はマクディシの信念のあるものには同意するが、「彼に盲目的に従わ」なかったと言う。スンニー派イスラム教徒の戦士は、聖戦のためにはそれはイスラム教によって許されると言って、過去に自爆攻撃において無辜のイスラム教徒を殺すことを弁護した。
ザルカウイは、アメリカ軍とイラクの高官によって、イラクにおける宗派間の内戦を挑発していると非難された。
先週、火曜日、ヨルダン政府は、テロ集団と接触しているという理由でマクディシを逮捕したが、彼はスンニー派の正統派に与していると言っている。彼が逮捕されたのは、六ヶ月の収監から解放された一週間後であった。
情報提供者は、マクディシがザルカウイの方法のいくつかは批判したが、ザルカウイとの関係を否定しなかったことに当局者が気分を害していると述べた。
イスラム学者達は、ザルカウイとマクディシがヨルダンの同じ監獄に入っていたとき、マクディシの教えがザルカウイに影響を及ぼしたと述べた。二人とも1999年に一般的恩赦によって、釈放されたが、マクディシは後に別の事件で再び拘留され、ザルカウイは、アフガニスタンに行った。
[訳者の感想]ザルカウイはもともとはただのならず者であったようですが、マクディシによって、彼はイスラム原理主義の思想の洗礼を受けたようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロンドン警視庁は、この男を捜している」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年07月10日 | テロリズム
ロンドンのテロには、ある顔がある。「警察は、私がどこにいるか、私の電話番号がどれか知っているよ」とモハメッド・アル・ガルブジは、一年前にイギリスの『ガーディアン』紙に語った。「私は森に隠れたりはしない。彼らが証拠を持っているというなら、それを出すべきだ。」だが、アル・ガルブジはそれを待ってはいなかった。数ヶ月前、この45才の男はロンドン北部にある彼の低所得者住宅を出て、地下に潜った。先週木曜日以来、警察はこの六人の子供の父親がロンドンの爆弾テロに関係していると言う疑いを持っている。警察は、このもともとよく知られた人物を世界中で追跡している。何年も前からこの商人は国際的イスラム主義テロの出張販売員であると疑われてきた。
モロッコに生まれたアル・ガルブジは、1974年に父について英国に来た。この島国がこのホテル業者の家族の新しい故郷になった。今日も、彼の4人の兄弟と3人の姉妹はイングランドに暮らしている。外国にいながら、若いアル・ガルブジの眼差しはモロッコ国王ハッサン2世の腐敗した政権に対して敏感になった。宗教的な人々は、独裁君主に対してもっとも強力に立ち向かった。ロンドンで、彼は憎悪の説教者アブ・カタダの下で学び、髭を蓄え、援助の荷物を届けると称して、しばしばパキスタンに旅行した。しかし、目撃者の報告によると、彼はアフガニスタンでアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンの訓練センターに入ったり出たりしていた。この報告に驚いて、英国の追跡者は彼の電話を盗聴した。
彼らが聴いた内容ではなくて通話の相手が危険を知らせた。去年5月に起こったマドリッドの爆弾攻撃の首謀者ジャマル・ツーガムがしばしばアル・ガルブジに電話をかけた。追跡者は、ヨーロッパ中のよく知られたイスラム主義者の横の連絡を再構成した。
まだアル・ガルブジは、安全だと感じていた。モロッコでは、彼は欠席のまま20年の懲役刑を宣告された。この英国籍の公民は、偽のパスポートと資金を出して、昨年のカサブランカのテロ攻撃の黒幕達を助けたと言われている。しかし、モロッコ政府からの間接証拠は、英国の司法当局を納得させなかった。引き渡しの要求に英国警察は応じなかった。いつの間にか、アル・ガルブジの足跡が見失われた。
その形跡を再び取り上げることが今やユーロ・ポールの最も重要な課題である。国際警察は、ロンドンの爆弾攻撃の背後にアルカイダのグループか、多くのそれと緩やかに結びついている細胞が隠れていると確信している。捜査当局は、駅や街の広場に設置された監視カメラから取られた何百時間もの映像に目を通している。その間に、毎日発見された死者の数は増え、現在52人となった。更に25人が相変わらず行方不明である。
[訳者の感想]7月10日付『ヴェルト』紙のヤン・リューベル記者の記事です。ヨーロッパの先進国では、明確な証拠がない限り容疑者を簡単に逮捕することができないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする