海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「聖戦士のイデオロギー」と題する『ヴェルト』紙の論説。

2007年09月27日 | テロリズム
これらの聖戦士は、なぜわれわれを憎むのか。政治的イスラムの代表者であるこれらのイスラム原理主義者は、何を目指しているのか?
 ドイツでは、アメリカの帝国主義的な外交政策にすべての原因があるというおとぎ話が定着した。しかし、すべてのおとぎ話のように、そこには一粒の真理がある。けれども、後は全く虚構である。もっと悪いことには、イラクやアフガニスタンは、説明としては十分ではない。
1.原因と結果の取り違え。
 歴史を振り返ってみよう。1993年:ニューヨークの「世界貿易センター」への第一次攻撃。1998年:東アフリカの二つのアメリカ大使館への爆弾テロ。2000年:イエーメンに停泊中の駆逐艦「コール」へのテロ攻撃。2001年9月11日の航空機の自爆テロ。結果として3,300人が死に、何千人かが負傷した。その上、2000年12月のシュトラスブールの年の市見物人に対するテロ未遂事件。全部、2001年11月のアフガニスタン侵攻と2003年3月のイラク侵攻以前の事件だ。これらの事件が示しているのは、イスラム主義的テロが先ずあって、「テロに対する戦争」は、それに対する反作用である。かなり多くの人たちは、ここで原因と結果を取り違えている。
2.昔に戻る。
スンニー派のサラフィストから、テロ組織アルカイダに至るイスラム原理主義者のグループは、はっきりしたイデオロギーを持っている。彼らはイスラム教がスペインからインドまで世界の広い場所を支配していた過去へ戻りたいと思っているのだ。予言者ムハンマドとその世界を征服した後継者たちの「幸福な時代」へ戻ろうと思っている。今日のイスラム教の状態は、サウディ・アラビアのサラフィストたちにとっては、恥辱である。彼らは、予言者の時代に生きたいのだ。イスラム法を厳格に適用することによって、アラーは再び満足させられるべきだ。その報酬は、古い時代のように、輝きと栄光の復帰であるだろうとイスラム原理主義者たちは確信している。
それは、最近のドイツでのテロ攻撃とどう関係があるのか。西欧、特に米国とドイツは、サラフィストたちの邪魔をしている。彼らの長期的な目標は、カリフ国と呼ばれるイスラム主義的超大国である。一歩一歩、国々はイスラム教徒が多数を占める国々が引き入れられるべきだ、と彼らは考える。
3.イスラム超大国の創造
 「モスレム兄弟団」のように、かなり多くの人たちは、これを宣教によって実現しようとし、アルカイダのような連中は、テロで実現しようとしている。イスラム原理主義者たちから見ると、エジプトやパキスタンやヨルダンやサウディ・アラビアのような「非イスラム教的」国家は、西欧によって援助されている。アメリカ海兵隊やマクドナルドとともに西欧が退却すれば、これらの国々の政府は転覆できる。当然、民主主義や人権の輸出があきらめられれば、これらの国々の政府は転覆できる。イラクやアフガニスタンだけでなく、中近東やアジアの一部でもできる。
聖戦士は、はっきりしたイデオロギーをもっている。リヤド出身のオサマ・ビン・ラディン、カイロ出身のモハメド・アタ、リーズ出身のシディク・カーン、そして、ウルム出身のフリッツ・Gは、無計画な気違いでもなく、アメリカ外交政策の産物でもない。彼らは西欧がしたことのゆえにのみ、西欧を憎悪しているのではない。かれらは、西欧が具現しているもののために、西欧を憎悪してるのだ。このことを理解し、心地よい偏見から自分を解放することが、どうしても必要だ。悪いニュースは、イデオロギーは、効果的に禁じたり、閉じこめたり、爆撃したりできないということである。
けれども、自由民主主義は、過去一世紀、自己防衛ができたというのは、良い知らせである。
[訳者の感想]私はアメリカ政府が、パレスチナ問題を解決しなかったことが、今日のイスラム主義者を増やした原因だと思っています。ムハンマド時代に帰ろうというようなスローガンのために、自爆テロができるでしょうか?
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「イラン、核計画の監視を許可」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年09月26日 | イスラム問題
イランのマームード・アフマディネジャド大統領は、自分の国の核計画を「国際原子力機関」(IAEA)に監視させると告知した。このテーマはこれで終わったとアフマディネジャド
は火曜日の夕方の国連総会の演説で述べた。イランは、「傲慢な勢力による法に反した政治的圧力を無視するだろう。」
 それゆえ、このテーマは原子力機関の通常の業務になった。アメリカ・中国・ロシア・フランス・英国・ドイツは、テヘランに年末までにイランの核計画についての情報に関する義務づけに従うように時間を与えていた。この義務に従わない場合には、さらなる制裁を加えると脅した。
演説の数時間前には、フランスのサルコジ大統領は、イランが核武装することに対して警告していた。これは、「中東地域と全世界の安定に対する受け入れがたいリスクである。」ドイツのアンゲラ・メルケル首相も、既にイランに対して核計画を巡る争いで警告に従わない場合には、より厳しい制裁を加えると警告していた。
[訳者の感想]あれほど、国連の監視団受け入れを拒否していたイランが突然態度を変えたようです。どういう理由があったのでしょうか。
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「アルカイダが、ビデオでイラク軍将校の射殺を流す」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年09月23日 | イラク問題
イラクのアルカイダに近い武装勢力は、イラク軍の誘拐された五人の将校を射殺するビデオを公開した。ビデオは、武装勢力が利用するインターネットのサイトに掲載された。その中では、覆面した男が、前もって目隠しをされた五人の将校の頭をピストルで撃つ場面が見られる。ビデオを作ったグループは、ビデオの犯行を「彼が自分の夢から覚めるように」というブッシュ大統領への宣告だと述べた。
将校たちは、アルカイダの別称とみられるいわゆる「イラクのイスラム国家」の反乱者によって、バクバ市内で誘拐されたと彼らは述べた。米軍はバクバを首都とするジアラ州でアルカイダや他の反政府勢力を攻撃していた。このビデオで、イスラム過激派は、アメリカ政府とイラクの首相が戦争に敗北しそうであることを証明していると述べた。「私は、警察官や兵士に、仕事を放棄するように忠告する」と将校の一人は射殺される前に画像の中で述べた。
 
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「ブラックウオーター事件、アメリカを痛撃」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年09月20日 | イラク問題
コンドリーザ・ライス国務長官は、イラクのアル・マリキ首相に、日曜日にバグダッド市内でブラックウオーター社が派遣した警護人と攻撃者の間の戦闘で犠牲となった8人の民間人の死に対して遺憾の意を伝えた。イラク内務省の報道官は、加害者はイラクの法廷に立たされるねばならないと述べた。その前に、マリキ首相は、シーア派の過激派指導者であるムクタダ・アル・サドルの圧力でブラックウオータ社からライセンスを取り上げていた。
1.民間の治安警備会社は、米国の軍事政策の一部
 イラクにおける外国人警護人の役割を巡って、激しい議論が起こっている。警護人の撤退は、単なる脅しなのかどうか。それはアメリカを痛撃するだろう。ブラックウオーターや他の治安警備会社は、軍事セクターを民間会社に移すという米国の軍事政策の一部である。
移譲のための法的基礎は、1985年にロナルド・レーガン元大統領によって、軍隊のロジスティックを「民間で強化する計画」で作成された。しかし、最初に大規模に、民間会社を軍事に投入したのはビル・クリントンだった。彼は、1992年に治安警備会社にソマリアでの国連軍のロジスティックを委託した。同じことは、1999年に東チモールで、2000年にハイチで起こった。それは異常なことではない。アメリカの国防長官は、しばしば、産業界の出身で、国防省の官僚は、非効率で有名である。そのためい、アメリカ大統領はしばしば、不愉快な質問を突きつけられる。
 民間会社は、国防省の周辺で、膨大な合理化利益をかぎつけた。1996年には、キリスト教保守派の軍事専門家であるエリック・プリンスが治安ビジネスに手を染めた。彼は、ノース・カロライナ州に「ブラックウオーター治安警備会社」を設立した。イエーメンでのアルカイダによる駆逐艦「コール」の攻撃の後で、2000年にブラックウオーター社は、ビル・クリントンから船舶の警備を委託された。「黒いげんこつ」の旗印のもとで始まったこの企業は、ノース・カロライナ州で第二の雇用者に成り上がった。新しい本部は、6千平米あり、ドアの取っ手は、銃身でできている。ブラックウオーター社は、監視用の飛行船をテストし、地雷で破壊されやすいハムヴィー・ジープに替わる車を開発した。国防省は、この会社に米国民間人の警護を委託した。
2.私的治安警備会社の法的抜け穴
 ブラックウオーター社の条件は、民衆の口では「戦争の犬」と呼ばれている従業員の不逮捕特権である。彼らは民間人だが、投入された国の法に従わない。このことは、2004年にイラク政府に主権が渡された際に確証された。それが唯一の法的穴ではない。米軍とは違って、契約者は、議会に報告の義務がない。(後略)
[訳者の感想]民間会社が戦闘行為を許されるというのは、どうも理解できませんが、国家の特権を譲ってまで、軍事力の一部を民営化するという思想には、大きな問題がありそうです。民営化もここまで来るとすごいなと思います。
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「デモ隊と殴り合ってはいけない」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2007年09月11日 | 中国の政治・経済・社会
北京発:北京のオリンピック競技大会でデモをしたら、どうなるか。外国から来た活動家たちが撮影中のカメラの前で横断幕を振り回したり、デモやその他の抗議行動に移ったら、中国の治安当局は何をするだろうか。チベットのための自由や、法輪功のグループの迫害を非難したら、どのような反応が起こるか。
普通の時期だったら、人民中国では、政治的批判を街頭で表現すれば、素早く警察権力で終わらせられる。外国人の活動家を中国の公安がどう扱うかをあらかじめ示したのが、少し前に、チベットのためのデモ隊が万里の長城で抗議行動をした後、逮捕され、三日後に国外退去になったときである。
オリンピック競技中にはもっと自由を認めると北京政府は約束した。何かが期待されているということは、北京では知られている。オリンピック競技場には、「デモ・コーナー」も設けられるだろう。だが、活動家たちがどこか別の場所で注目を引こうとしたら、警察がどう振る舞うかは、秘密のままである。いずれにしても、オリンピック大会前あるいは中に市民が抗議行動を見た場合、彼らがどう振る舞うべきか今すでに知らされている。
「いろいろな価値観をもったいろいろな人たちがこの機会を利用して、彼らの意見を誇示することは避けがたい。かなり多くの意見は中国では歓迎されない」とオリンピック大会の準備について「新華社通信」の寄稿文は述べている。「このような行動に対しては断固として抵抗せよ。しかし、落ち着いて振る舞え。事故を直ちに警察、あるいは他の公的機関に通報せよ。」
乱闘になることに対してはっきりと警告している。「殴り合いになることは、最悪の選択である。」昨年も、タイ国で開かれた子供の水泳大会で台湾の金メダル選手が台湾の国旗を身にまとったとき、衝突が起こった。人民中国のスポーツ役員が国旗を奪った。
「暴力行為は、われわれに跳ね返り、われわれを不利な立場に置き、活動家を犠牲者に見せる。これこそこれらの人々が狙っていたことのだ」と書いたとき、中国の役所がスポーツ役員のこのような不作法な振る舞いを考えていたかどうかは明らかではない。
既に2万人の外国からのジャーナリストたちに、中国について良いことを報道するようにお達しがあった。そういうわけで、中国のピンポン競技の花形であるデン・ヤピンは、中国テレビで、自分の国の悪口を言わないように警告した。外国のレポーターが政治的意識を持たない単純な人たちと話をすると、こういったことは簡単に起こる。だが、西欧のジャーナリストたちは、中国を「色眼鏡」で見ているということを知らねばならない。だから、すべての中国人は、この時期、オリンピック競技会の宣伝役で中国の代表者だということを中国の市民にはっきりさせるなければならない、とデンは語った。(後略)
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「ビン・ラディン、新しいビデオで同調者を募る」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2007年09月08日 | テロリズム
ベルリン発:ビン・ラディンの最新のビデオは、約30分の長さがあるとのことである。最初の英訳版は、金曜日遅くから出回り始めた。その翻訳によると、一年来沈黙してきたアルカイダの首領の語りかけには、具体的なテロの脅しは含まれていない。比較的最近職務に就いたフランス大統領サルコジやゴードン・ブラウン英国首相に言及しているから、演説は数週間以内に行われた可能性が高い。このビデオが本物だと仮定すると、彼はまだ生きている。
 演説は、いくつかの理由で普通でない。このことは、一方ではその内容に関わる。これまで、彼は一度も自分を一種のグローバルな反対政治家として演出したことはなかった。語りかけの大部分は、資本主義批判とグローバル化批判に向けられている。「おまえたちが、以前は僧職者・国王・封建領主の奴隷から解放されたように、今度はおまえたちは、資本主義的システムの誤りから解放されるべきだ」とある箇所でアルカイダの首領は述べている。
 他方では、演説の内容が告知された仕方が普通でない。木曜日の夜、アルカイダに近いアル・サハブ社が、首領の演説がまもなく放映されるだろうと予告した。だが、このテロ宣伝社がビデオを公開する前に、米国のメディアがビン・ラディンの話の中核部分を報道した。
 金曜日午後、米国政府が演説の予告編をもっていると報道された。政府がどうやってそのテープを入手したかは明らかではない。二つの経路が考えられる。秘密情報機関がテープを入手したか、テロについて研究している機関が入手したかどちらかである。
 以前の場合とは違って、オリジナルのテープを『シュピーゲル』誌は持っていない。この記事の引用は、米国のABCテレビが放映した英語版に基づいている。
 演説の中で、ビン・ラディンは、「米国の体面は、傷つけられた。われわれの間の戦争を終わらせるには、二つの可能性がある。一つは、聖戦士の戦闘行為を停止することであるが、これは彼らが義務を遂行している限り、実現しない。あるいは、アメリカ人たちが自分たちはイラクで負けたということを認めることだ。しかし、彼らはベトナム戦争での失敗やズガニスタンでのソビエトの失敗を繰り返したているかのよう見える」と述べている。
 もう一つの出口がある。アメリカ人たちは、「もう一つの正しい道を求めるべきだ。それは彼らがイスラム教に改宗することである。」ビン・ラディンは、イエスとマリアに言及しているコーランの箇所を引用する努力をしている。
 2006年に公開されたビデオと違って、今回は、彼はテロ攻撃をするぞと脅していない。その代わり、このテロリストの親玉は、左翼知識人のノアム・チョムスキーの著書について、考えを巡らしている。レバノン戦争やハマスとファタハの抗争や英国とドイツにおけるテロの試みについては一言も言及していない。
 興味のある箇所は、米国がイラクにおけるスンニー派とシーア派の対立を煽っていると述べている箇所である。この点では、彼は、このイラクの内戦を指導していて、2006年に死んだ「イラクにおけるアルカイダ」の指導者アブ・ムサブ・ザルカウイの路線に同調していない。
 この演説の目標は、自己の陣営に属しているが、イスラムの民間人に向けられたテロがあまりに過激であると考えているイスラム教徒である。彼は、聖戦士のモラルを強調して、これらの動揺している同調者を取り戻そうとしている。特に2005年秋にヨルダンでザルカウイの指揮下で起こった50人のモスレム殺害は、アルカイダの名声を大いに傷つけた。
 他方、この演説は、アメリカとグローバル化を批判している人々に向けられている。イスラム教のチェ・ゲヴァラのように、ビン・ラディンは、すべてを飲み込み、コントロール不可能な資本主義の反対モデルとして、政治的イスラム主義を置いている。これは、イスラム主義的過激派と非イスラム的過激派との将来の連盟を作り出そうとする試みである。
彼の演説で、ビン・ラディンは、彼が特にアルカイダのイデオロギー的指導者であるというイメージを固定しようとしている。彼はまるで自分が知識人であって、決して軍事的司令官ではないかのように語っている。(後略)
[訳者の感想]ビン・ラディンの新しいビデオから、彼の人物像や思想傾向に迫る試みだと言えます。筆者は、ヤシン・ムシャルバシュという人です。果たしてこれでイスラム教徒の間でアルカイダの同調者が増えるでしょうか?
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「イギリス軍、バスラから撤退、将軍たちは、アメリカの戦略を罵倒」と題する『シュピーゲル』誌の記事。

2007年09月03日 | イラク問題
ロンドン発:ゴードン・ブラウン首相は、彼の前任者だったトニー・ブレアと同様、イラクからの撤退計画の時間割を公表することを拒んだ。しかし、彼は、国会が夏休みから帰ると、撤退を10月に開始すると公表した。今年の初めには、バスラとその周辺に、まだ7千名のイギリス軍が駐留していた。
イラクにおける元イギリス軍総司令官だったマイク・ジャクソンは、自分の自伝の中で、イラク紛争における米国の戦略と政策を「知的破産」であり、「ばかげている」と述べた。アメリカは、民主主義的構造を建設する代わりに、軍事力にあまりに多くを賭けたと述べた。
イラク攻撃の直後にイギリス軍の総司令官であったティム・クロス大将も、「イラクに対するワシントンの戦略は、致命的に間違っていた」と述べた。『サンデー・タイムズ』紙とのインタービューでは、当時のラムズフェルド国防長官が、正しい警告を無視するか、退けたと述べた。
攻撃の作戦計画立案中に、クロス大将は、ラムズフェルドに、攻撃後の時期に対する詳細な計画ができていないということを指摘したが、ラムズフェルドは、全く聞き入れようとせず、イラクが半ば自動的に復旧され、短期間で民主的な国になると信じていた。ジャクソン大将もクロスと同意見であった。
1991年の「砂漠のネズミ」作戦で最高司令官だったパトリック・コーディングリー中将は、「プレス・アソシエーション」に対して、「クロス大将の批判は的を射ている」と述べた。問題は、彼や他の人たちがどうして自分の言うことに耳を貸すように説得できなかったのかということだ。」
これでもって、労働党政府が直接批判されることになる。英国政府の代表者たちがこの論争に首をつっこむのを差し控えている間に、野党の自由民主党の優れた代表者であるメンジース・キャンベルは、「将軍たちの言明は、絶対に正しい」と支持した。
保守党の国防大臣だったマーカム・リフキンは、BBCとのインタービューで、「根本的な批判点の一つは、ラムズフェルドが無能力だったことではなくて、彼の上司であるブッシュ大統領が国防省とラムズフェルドに国家の再建まで任せるという異常な決断をしたことだ」と述べた。
将軍たちの非難は、ロンドンの政府にとって具合の悪いときに起こった。デス・ブラウン国防相とデービッド・ミリバンド外相は、金曜日に『ワシントン・ポスト』の寄稿で、ワシントンとロンドンの間の緊張関係をごまかそうとしていた。
解放と安定化のためのこれまでの戦略は不十分だという英国のトップの軍人の批判は、米国政府の敵対者を援助するかもしれない。米国議会の民主党は、戦略の変更を要求している。
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「テロとの戦いは、文明の衝突か」と題する『ツァイト』紙の評論。

2007年09月02日 | テロリズム
最初は、表題の後にまた遠慮がちに疑問符がつけられていた。その論文の表題は「文明の衝突か?」で、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが1993年の夏に雑誌『フォーリン・アフェアーズ』に発表したもので、一撃で、この著名な研究者を広い世間で有名にした。実際、このハーバード大学教授は、世界の置かれた状況を説明する鍵を見つけたように見えた。21世紀には、古い国家間の紛争は「文明の衝突」によって取って代わられるだろうと彼は主張した。彼の同僚のフランシス・フクヤマがまだ、うれしそうに、『歴史の終わり』と市場経済と自由主義の無血の勝利を叫んでいたのに、ハンチントンは、世界の歴史を紛争と戦闘と戦争という暗く仄めく光に浸したのだ。将来、七つか八つの文明が地球という闘牛場で互いに角を突き合うだろう。それは、西欧文明・儒教文明・日本文明・イスラム文明・ヒンヅー文明・スラブ文明・ラテン=アメリカ文明そしてたぶんアフリカ文明である。この大きな統一は、言語・歴史・宗教によって、根本的に区別され、互いに折り合わず、すべてアメリカの敵である。「残りはすべて反西欧である。」
ハンチントンの著書の反響は、圧倒的だったが、分かれていた。多くの人々は、彼を米国のオスヴァルト・シュペングラーだと歓迎した。彼は、黙示録の騎士を送り出し、覇権国家アメリカをその快楽主義的なまどろみから叩き起こしたのだ。他の人たちは、彼の中に根拠のない文明論で世界支配に対するアメリカの要求を石に刻むイデオロギー的な督励者を見た。ハンチントン自身は、迷わされることなく、彼の主張から分厚い本を作り出した。『文明の衝突』は、ドイツ語版では、後ろに疑問符がついていなかった。
この著作は、予想通りの反響を呼んだ。イスラム過激派のテロ、特に、9.11事件の後で、世間は、ハンチントンが正しく、「文明の衝突」が始まったのか、と自問した。奇妙なことに、この戦闘的な学者は、この自分を予言者だとは言いたがらない。ワールド・トレード・センターへのテロを彼は「文明の衝突」だとは考えず、「全世界の文明社会に対する下劣な野蛮人のテロ攻撃だ」と見なした。特に、ハンチントンは、イラク戦争をしないように強く警告した。その理由は、この戦争は西欧がそう簡単には片づけられない霊を呼び出すだろうということだった。「このような攻撃は、全く別種の戦争に導くだろう。それは現在、反テロの国際的連合を支持しているイスラム世界の住民と政府の大部分を憤激させるだろう。」
 だが、なぜ、突然、控えめな態度をとるのか、それは魔法の呪文に対する徒弟の不安なのか。ハンチントンが、その間に彼を誇らしげに引き合いに出したかなり多くの人たちよりも、利口になったということはあり得る。宗教は、しばしば、その助けをかりて、残酷な承認と配分をもとめる紛争を偽装する仮面にすぎないということを彼は理解したように見える。ひょっとしたら、ハンチントンは、原理主義が全く現代的な現象で、植民地化とともに成立したということを見抜いたのかもしれない。だから、イスラムの殺人者は中世から来たのでもなく、全く別の文明から来たのでもない。彼らは、現代の世界社会のど真ん中からやってくるのだ。このことがわれわれを一番深刻に脅かしているのだ。
 ハンチントンは、反テロ戦争を文明という地雷地帯に移してはならない、たとえば、悪に対する善の戦いだとか、闇に対する光の戦いだとか言ってはならないと言う。反テロ戦争を文明の戦いと考えてはならない。「文明社会に対するテロ組織の戦争をイスラムと西欧の間の文明の戦争にすることは、オサマ・ビン・ラディンの目標だ。もし、彼がそれに成功したら、それこそ大いなる災厄だ」とハンチントンは述べている。
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