海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

スーダン政府、初めてダルフールにおける人権侵害の理由で捜査。(『ヴェルト』紙3月30日の記事より)

2005年03月30日 | 国際政治
スーダンは、ダルフール地方における人権侵害の理由により治安部隊のメンバーを逮捕した。
民間人の強姦と殺人及び放火を行ったという理由で警察、陸軍および他の治安部隊に属する15名を逮捕したとアリ・モハメッド・オスマン・ヤシン法務大臣は、公表した。彼らは直ちに裁判にかけられる予定である。水曜日に国連の安全保障委員会は、スーダン西部における戦争犯罪をハーグの国際裁判所で審理するというフランスが提出した決議案を可決した。ハルツームのスーダン政府は、スーダン人の戦争犯罪者を外国で断罪することを拒否している。
 黒人系住民に対するアラビア人系の襲撃や、反乱軍との戦闘において、昨年、ダルフール地方では、7万人が殺された。国連は、スーダン政府が反乱軍と戦わせるために、アラビア人のジャンジャウイード民兵を武装したと非難している。この民兵は、ダルフール地方の住民の暴行や広汎な略奪に対して責任があるそうである。スーダン政府は、確かに反乱軍に対する戦いのために、何人かの民兵に武器を渡したことを認めたが、ジャンジャウイードとの結びつきを否定し、彼らを強盗団と呼んでいる。
訳者の感想:今頃、戦争犯罪者を逮捕した理由は、ハーグの国際裁判所で裁判にかけられると、彼らの背後に政府のそそのかしがあったということがバレルので先手を打ったのではないかという気がする。
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脱北者の現状(『ヴェルト』紙、3月24日の記事より。)

2005年03月24日 | 国際政治
「青白い顔でお金も持たず、不確かな未来へ--朝鮮人は、毎日、中国へ逃亡している。そこで彼らは別の無法状態に陥っている。」と題するエドワード・コディ記者の記事。
 李シャンユさんは、5日間も極寒の中をさ迷って、やっと図門江を渡る逃避に成功した。李さんは、川まで連れて行って貰うために、北朝鮮の警備兵にお金を約束してあった。真夜中に彼女はこっそりと川を向こう岸へと渡った。中国側の警備兵は、寒さのために警備小屋から出てこなかった。こうして、もう一人の朝鮮人は、お金もなく、みすぼらしい身なりで、気づかれることなく、中国に着いたのだった。
 「私はすべてを一枚のカードに賭けました」と25才になる娘は、逃避の理由を説明した。「私たちは何かをやってみなければならなかったのです。」涙が彼女の頬を伝った。なぜなら、彼女は母を故郷に残して来なければならなかったからである。「私たちは、北朝鮮では生き続けることができません。」
 援助組織の言うところによると、毎日、10人くらいの朝鮮人が、空腹と圧政に耐えかねて、同じ決断をする。運の良かった人たちは、韓国に行ける。かなり多くの人は、北京にある外国の大使館に駆け込むか、隣国に助けを求める。かなり多くの人たちは中国の警察に捕まって、本国に送還される。しかし、多数の(推定20万人の)脱北者は、非合法の労働力として、中国国内に滞在している。不法入国者としての地位のために、彼らの多くは売春婦や犯罪者として、露命をつないでいる。
 1,280キロメートルある中国と北朝鮮との国境にやってくる脱北者の流れは、核兵器製造計画を断念するように北朝鮮に圧力を加えよと言うアメリカ政府の要請に対して、中国政府が逆らう理由を説明する。ワシントンと同様、北京も、北朝鮮が核兵器製造計画を中止することを望んでいる。しかし、同時に、中国は、隣国の崩壊しかけている共産主義体制を今より以上に不安定するようなことは何もしないように努力しているのだ。
 中国を観察している人たちは、ブッシュ政権が、それで北朝鮮の金正日総書記の支配が終わるのなら、混乱の時期を我慢するだろうと推測している。これに対して、中国は、隣国の体制が崩壊する場合、朝鮮人が国外に脱走するのを止めさせようとしている。同様に中国は、脱北者に対して亡命も認めず、いかなる法的承認も与えず、彼らを人身売買者や搾取者の獲物にしている。中国は繰り返し手入れを行い、捕らえられた脱北者を力ずくで北朝鮮に送還している。北朝鮮で彼らを待っているのは、逮捕あるいは処刑である。
 今年の人権報告で、アメリカ政府は中国を批判したが、その理由は、中国が国連の難民高等弁務官が中朝国境に立ち入ることを拒んだからである。北京の北東1000キロにある「ヤンビャン朝鮮族自治区」に住む多くの中国人は、朝鮮族であり、首都延吉の人口35万人のうち、20万人が朝鮮族である。
しかし、中国の国家統制システムでは、身分証明なしに正規の仕事に従事することは、不可能ではないにしても、困難であるように定められている。この結果、脱北した朝鮮女性は、中国では売春婦として生活することになる。援助機関の情報によると、多くの女性は、貧しい独身の農民に売られる。彼女たちは、法律の前では妻だとは見なされないから、これらの女性は、愛人として生活し、主人の意のままになるように強いられる。
男性の脱北者は、しばしば、中国東北地方の農家で働くことになり、そこでは彼らは食べ物と眠る場所のために過酷な労働をすることになる。他の人たちは、延吉あるいは図門の飲食店で働いている。皿洗いや野菜の皮むきとして彼らは一日に50円稼ぐ。ある脱北援助者によれば、「彼らはアメリカにいるメキシコ人のようなものだ。」かなり多くの脱北者に残されているのは、強盗をすることであり、それが漢民族のところでは朝鮮人に対する悪い評判を立てるもととなっている。
 役人や警察は、脱北者が犯罪を行わない限り、見て見ぬふりをする。しかし、2004年秋に、北京の韓国大使館に多数の亡命者が駆け込んだ際には、中国政府は命令を出し、脱北者の集団が捕らえられて、北朝鮮に送還された。
 李さんは、彼女が川を渡ったとき、この危険を意識していたと言う。2002年に彼女は一度中国へ逃げ出した。そのときは、彼女は人身売買者の手に落ち、ヘイロンジャンの農家に売られた。そこで彼女は、精神薄弱者の夫の愛人にされた。一年以上、彼女は、彼女がその家にいることが誰の目にも付かないように、家を出ることを許されなかった。ある日、彼女は脱走に成功し、ハルビンに行き、飲食店で皿洗いをした。3ヶ月そこで働いたが、警察に見つけられて、北朝鮮に送り返された。故郷では彼女は有罪とされて、強制労働所に入れられた。そこでは8ヶ月間、瓦を運ばなければならなかった。「でも、私はとても弱っていたので、瓦を担ぐことができなかったので、看守にいつも殴られました。」釈放された後、彼女は自宅に帰ったが、彼女を待っていたのは、ひどい困窮であった。父と姉妹は飢えており、母は重病であった。李さんは新たに危険を冒そうと誓った。ポケットに僅か5ドル入れて、彼女と71才の隣人の老婆は、図門で国境にたどり着いた。途中、5つのチェックポイントで賄賂を渡した。
「今度は中国に長くいるつもりはない」と彼女は言う。彼女が機嫌がよいわけは、今度は、援助組織が彼女を援助しているからである。彼女は、今度はどうしても韓国にたどり着こうと決心している。
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ダルフールの虐殺は、なぜアラブ世界では何の反響も呼び起こさないのか?

2005年03月20日 | 国際政治
「イスラム教徒の沈黙」と題する『ヴェルト』紙(3月19日号)の記事。
 ダルフールで最近起こっている破局は、多くの人によって、世界中で最も重大な人道上の危機であると見なされている。信じるに値するすべての報道は、殆ど250万人が既に死に、適切な処置が講じられない場合には、数ヶ月のうちにさらに数百万人が後を追うだろうと述べている。国連のアナン事務総長は、この事件を民間人に対する集団的虐殺であると述べた。
 これと対照的なのは、アラブ世界の際だった沈黙である。この謎を『ウオール・ストリート・ジャーナル』紙に寄せた論文の中で、カメル・ラビディは、次のように説明している。「アラブの人権擁護団体は、公的なメディアにアクセスすることができないので、あまり影響力がないのだ。」しかし、事実は、独立系のテレビ局やインターネットが存在しているのだから、公的メディアは今日アラブ人にとっては何の役割も果たしていないということである。今日、中東に大きな災いをもたらしている、二つの原理主義、すなわち、イスラム主義と汎アラブ主義を理解する場合にのみ、このアラブの沈黙を説明することができる。信頼できる情報を手に入れようとする人は、「アル・ジャジーラ」と「アル・アラビア」に頼らねばならないが、しかし、両者は、現在まで全く原理主義者によって支配されている。
 なぜ、これらの原理主義的勢力は、ダルフール地方における虐殺についての真実を大したことではないと考えようとするのだろうか。第一に確認しなければならないのは、もし、犠牲者が非イスラム教徒であったならば、その事件にモスレム世界ではだれも興味を示さなかっただろうということである。
 非信者がイスラム教に改宗するか、あるいは自分を「ジンミ」、第二級の市民として従属し、人頭税を支払うかするまで、非信者と戦うということは、イスラム教徒にとっては、常に宗教的な義務であった。この「ジンミ階級」という地位は、「聖書を持つ民族」、つまり、ユダヤ人とキリスト教徒に限られており、アニミストやヒンヅー教徒や他の異端者は、「ナジュス」(汚れた者)と見なされ、差別された。南スーダンのアニミスト達やバハイ教徒や他のイスラム教国のイスマイリア派の人たちは、それがどういうことであるかを現在経験している。
 しかし、ダルフール地方の事情は、これとも異なる。と言うわけは、非アラブ系のモスレムであるとしても、ここではモスレムに対する虐殺が行われているからである。理論的には、モスレムは、他のモスレムを殺してはならない。ここで最も引用される関係資料は、『コーラン』の中のある詩句である。そこには次のように書かれている。「信仰と信心だけが、アラブ人と非アラブ人を区別している。」このことは大部分、イスラム主義と汎アラビア主義の間にある歴史的敵意を説明している。後者は、アラブ系国民に関係しているのに対して、イスラム主義者達は、「ウンマ」、つまり「信仰の共同体」について語り、アラブ民族主義を「フィトナ」、つまり「兄弟同士の喧嘩」の一つの場合と見なしている。
 しかし、実際には、歴史は全く違ったように見える。奴隷制は、アラブ人達が非アラブ系のモスレム、特にアフリカ系のモスレムを征服する際の最も残酷な手段であった。奴隷制は、国際的圧力によって廃止されまで、サウディ・アラビアにおいては、20世紀の60年代まで広まっていた。
 にもかかわらず、「イスラム主義がダルフールの虐殺に責任がある」と仮定する根拠はない。「アル・ジャジーラ」や「アル・アラビア」が虐殺について報道したからと言って、両者を斟酌してやる必要はない。
彼らは、コフィ・アナン事務総長が虐殺について明瞭な言葉を述べた後に、「スーダンのハッサン・アル・ツラビが抗議のために断食を始めた」と述べた。この二つのテレビ局以外に、教養あるアラブ人は、BBCや通信社のアラビア語版などの国際的なメディアに対するアクセスを持っている。
 この特殊な場合における沈黙の主要な原因は、汎アラブ主義であるように見える。「汎アラブ主義」とは、50年前に軍事力によって権力についたファシズム的な運動である。ナセル主義は、エジプト、スーダン、アルジェリア、北イエーメン、リビアを虜にし、バース主義は、イラクとシリアを席捲した。これらの国々では、それによって、20世紀前半以来の初期の改革的近代主義的発展は窒息させられた。脅迫とテロによってリベラル派は、沈黙するように強いられるか、国外に追放された。
1967年の第二次中東戦争における汎アラブ主義の敗北や、経済的社会的約束を実現することができなかったにもかかわらず、アラブ人達は彼らの宣伝に乗りやすい。多くの場合に、アラブ政府は、反西欧的煽動が自分たちの無力から民衆の注意をそらせるだろうという希望によって支えられている。
 このアラブ民族主義の宣伝を妨害する唯一の道は、アラブ人のリベラルな運動を動員することである。これは今までは余りうまくいかなかった。その理由は、それが西欧の政府によって殆ど支持されなかったからである。それ故、アラブの大衆は、アラブ主義やイスラム主義の詐欺師達の人質であり続け、更にダルフールが続くかもしれない。(この記事の著者Abu Khawla氏は、アムネスティ・インターナショナルのチュニジア部の元部長である。)
訳者の感想:ダルフールの虐殺に対してアラブ人が沈黙している理由がイスラム原理主義にあるよりは、アラブ民族主義にあるというのは、余り西欧の論者が指摘しなかった視点だと思って訳しましたが、論者は、アラブ人のリベラリストだということが後のほうで分かりました。私などはアラブ民族主義の挫折が、イスラム原理主義を産み出したのであって、近代主義的であるという点では、むしろアラブ民族主義のほうがイスラム原理主義よりましではないかと思っていたのですが。
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ダルフール地方の虐殺はどうして放置されてきたのか?(『ツァイト』紙の記事より)

2005年03月13日 | 国際政治
 スーダンのダルフール地方で起こっている大量虐殺について日本では詳しい報道が余りないように思います。ドイツの週刊新聞『ツァイト』のインターネット版に昨年掲載された記事を訳してみました。
2003年12月に、スーダン西部のダルフール地方で反乱が始まったとき、反乱の理由は、中央政府がこの地域を組織的に無視し、黒人を迫害したということであった。しかし、対立の原因はもっと複雑である。対立の根にあるのはアラブ系とアフリカ系の民族集団の間にある非常に古い対立である。その対立は、旱魃による食料危機や、牧草地帯や水資源や通行権や商業コントロールを巡って生じたものである。
 首都のカルツームの政権は、反乱を速やかに鎮圧しようとしたが、スーダン南部における内戦と並行して西部で第二の内戦をする余裕はなかった。兵隊が不足していたので、政府はアラブ系民兵を武装した。この中にジャンジャウイードと呼ばれるアラビア人の騎馬民兵がいた。彼らは馬またはラクダに乗って焦土作戦を展開した。目撃者によれば、彼らはいわば政府の委託で無差別な略奪、殺人、火付け、強姦を行っている。スーダン政府の空軍は、黒人の住む村々を爆撃することによって、略奪兵士に戦場を準備してやっている。
「私の村では、奴らは50人殺した。私の父、祖母、叔父、二人の兄弟が死んだ」とイドリス・アブ・ムーサは述べた。「奴らは黒人が一人も生き残らないようにしたいと思っているのだ。」この26才の農民は、隣国チャドに逃れた10万人の難民の一人だ。国連の推定によると、難民の数は100万人にのぼる。スーダンにいる難民救援機関のムケシュ・カピラは、ダルフールでの出来事を「世界で起こっている最大の人道上の災難」と称し、なぜ世界がこの悲劇に対して何もしようとしないのかと不思議がっている。
 その理由は簡単であると同時にシニカルである。つまり、その理由は、スーダン西部には安全保障上、経済上の意味がすこしもないからである。ダルフールは、「文化の争い」の一変形という意味さえ持たない。なぜなら、どちらもイスラム教徒であるからである。これに対して、スーダン南部での「民族解放戦線」との対立は報道する値打ちがあると思われていて、アメリカ政府も注目している。と言うわけは、単純化して言うと、スーダン南部では、アラビア系イスラム教徒がアフリカ系キリスト教徒に対して戦っており、アメリカの共和党の中の十字軍騎士達は、好んでキリスト教徒の迫害を口にしているからである。これに対して、ダルフール地方では、金も出なければ、戦略的な資源も何もない。現実の抗争では、加害者も被害者もどちらもイスラム教徒である。唯一の違いは肌の黒さの違いである。
 ドイツの自由民主党(FDP)のゲルハルト・バウムは、明らかに組織的に行われた虐殺をジェノサイド(大量虐殺)と述べるに至った。彼はスーダンをよく知っており、国連は彼を人権のための特別報告者としてスーダンに派遣した。バウムは、劇的な訴えにおいて、暴力行為を止め、人道的支援のために同地方を開放するように呼びかけた。イラクが燃えているのに、誰がダルフールのように神に見捨てられた地域の心配をするだろうか?スーダン人自身が全く無関心に振る舞っているではないか。何年間も、南部の平和交渉も西部の戦争も、一度も言及されることなく、進んでいる。
しかし、国内の沈黙は、外国が無為無策であることに免罪符を与えている。恐らくリンダ・メルヴェルンの悪意のある疑いが当たっているのかもしれない。このイギリスのジェノサイド研究者は、ルアンダを回想する際に、1948年のジェノサイド条約を思い出させ、「二度とアウシュヴィッツを繰り返してはならない」という世界的な誓いを思い出させた。「二度と起こさせないというけれども、ひょっとしたらそれはヨーロッパでは二度と起こさせない、という意味だったのではないか」と彼女は言っている。
訳者の感想:ダルフール問題で自衛隊を派遣することには日本でも反対が強いようだが、この件については
ヨーロッパだけでなく、アメリカがそもそも全く関心を示していないことが問題であるように思われる。ここではアラブ系遊牧民が、アフリカ系農民を虐殺するという構図ができあがっているように見える。
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福音派指導者が環境保護主義に回心?(『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事より。

2005年03月12日 | 国際政治
 影響力を持つ福音派教会の指導者の中心的グループがこれまで殆ど福音派の議事日程に入れなかった目的、つまり、地球温暖化と戦うという目的に対してかなりの政治的力を行使した。
 これらの教会指導者、科学者、作家、国際援助団体の指導者は、地球温暖化が緊急の脅威であり、貧困の原因であり、キリスト教徒にとっての問題である訳は、聖書が神の創造を管理することをキリスト教徒に委任しているからである。
「全米福音派協会」(National Association of Evangelicals)の政治部副部長であるリッチ・シジック牧師は、「神が私たちにどのように地球を作るかお尋ねになるとは思わないが、神は創造されたものを私たちがどうするかはお尋ねになるだろうと思う」と言う。
 木曜日と金曜日にワシントンの連邦議会で二つの会合が開かれる予定である。そこでは、100人以上の福音派指導者が地球温暖化について議論するだろう。二つの会合は、非常に重大なので、コネティカット州選出の民主党上院議員ジョセフ・リーバーマンや地球温暖化をどうするかについて反対側に立っているブッシュ政府高官が演説するはずである。
 もし、福音派の指導者が明確な態度を取るならば、彼らは地球温暖化に対する政治的ダイナミックスを変えるだろうと人々は考えている。
 ブッシュ政府は、京都議定書に参加することを拒否し、二酸化炭素の排出量制限に反対している。
 この問題は、共和党が多数を占める議会では、これまで多くの牽引力を得ることができなかった。福音派キリスト教徒の圧倒的大多数は、共和党支持者であり、昨年、彼らの5人に4人がブッシュ大統領に投票したと推定されている。51の教会を傘下におさめる「全米福音派協会」の会長であるテッド・ハッガード牧師は、自分が地球温暖化について熱心になった訳は、スキューバ・ダイビングの経験とその際、珊瑚礁に対する上昇する海水の温度と汚染の影響を観察したからであると述べている。
「問題は、福音派は重要か、と言うことであり、答えは、上院議員もそう考えていると言うことだ」と彼は言う。「われわれは3,000万人(の福音派キリスト教徒)を代表しており、もし必要なら、われわれは彼らを動員できる。」
 昨年10月に、協会は、「国民の健康のために。市民的責任に対する呼びかけ」と言う声明を採択した際に、環境に対する広汎な弁護に道を開いた。この声明の中で、「綺麗な空気と綺麗な水と適切な資源は、公共の健康と市民の秩序にとって決定的であるから、政府にはその市民を環境汚染の影響から守る義務がある」と述べている。この声明に約100人の福音派指導者が署名した。
 しかし、気候の変化についてのもっと焦点を絞った声明が同様の反応を引き出すかどうかは確実ではない。しかしながら、近年、協会が新しい問題を提起するたびに、ワシントンは注意を払ってきた。例えば、スーダンにおける宗教的迫害や暴力、アフリカにおけるエイズや若い女性の性的売買などの問題である。
 シジック牧師のような福音派指導者は、ここ三年ぐらいの間に、環境問題に対するそれまでの沈黙を考え直すに到った。彼は「福音環境ネットワーク」のジム・ボール牧師に引っ張られて、オックスフォードで開かれた気候変動についての会議に出席した。講演者の中に、福音派の科学者ジョン・ホウトン卿がいた。彼は大気物理学の教授である。ホウトン卿は、参加した福音派指導者に「科学と信仰が気候変動はキリスト者の関心であるべきだということを証明している」と語った。シジック牧師は現在トヨタのハブリッド・カーを運転している。
 今週、ワシントンで開かれた会合では、ホウトン卿とデュポン社の環境マネージャーであるマック・マクファーランドが演説する。
 シジック牧師は、熱を閉じこめるガス(二酸化炭素)の規制に賛成する多くの福音派の一人だと述べている。「われわれは妊娠中絶のような行動上の罪に対する政府委託の禁止に対して反対しない。われわれは妊娠中絶を制限しようとしている。われわれが人命の聖性を守るために社会的手直しをするのならば、どうしてわれわれは環境を保護するためにいささかの手直ししていけないのか」と彼は言う。
 リーバーマン民主党上院議員は、「福音派などのより広い宗教的共同体からの支持は、道徳的責任感を感じるが、確かな政策上の反応をこれまで得られなかった議会のある人たちを動かすことができる」と付け加えた。
訳者の感想:すぐ前に訳した「エイズ予防のための注射針交換に反対」しているのは、福音派の保守主義者だと書いたのですが、彼らが環境保護に回ったというのはちょっと面白いと思いました。
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エイズ予防のための注射針交換にアメリカ政府が反対している。(「人権監視団」のリポートによる)

2005年03月11日 | 国際政治
「人権監視団」(Human Rights Watch)のホームページによる。
 アメリカ政府は、エイズの拡大を予防するための注射針交換を国連が支持しているのをやめるように圧力を加えている。
 エイズ拡大を防ごうとしている民間団体は、来週、ウイーンで開かれる国際的な政策集会で国連が断固たる態度を取るように要求している。
 「注射針交換について国連を黙らせることは、致命的な政策である」と「人権監視団」のエイズプログラム担当者のジョナサン・コーエンは言っている。国連の麻薬犯罪委員会の代表団に宛てた書簡において、彼は国連にアメリカ合衆国の圧力に屈しないように要求した。「アメリカは、うまくいくことが保証されているエイズ予防戦略を励ますべきであって、攻撃するべきではない。」
 アメリカは、注射針交換のために連邦政府の基金を使用することを禁じている世界で唯一の国であり、最近、国連に対してこのエイズ予防戦略の推進をやめるように圧力を加えている。米国国務省の次官との会合の後で、国連の麻薬犯罪局局長は、被害を少なくするために、麻薬使用者の健康を守るための針交換や他の処置を示唆する電子記録や印刷物をもっと注意深く調べることを約束した。麻薬犯罪局(UNODC)の年長のスタッフは、「被害減少や注射針交換についての言及は、UNODCの記録、公刊物、言明においては避けられるようにすべきだ」と言いう趣旨のe-mailを局員に送った。
 「麻薬犯罪局」は、目下、エイズに対する国連プログラムの中で議長を務めており、アメリカ政府が麻薬犯罪局に圧力を加えていることは明らかである。
 「この世界中で最も流行している伝染病は、麻薬注射によって広まっており、殺菌された針による注射こそエイズを押さえ込む最も重要でもっとも有効であることが証明された戦略である」と「開かれた社会研究所」のカシア・マリノウスカ=センプルッフは言っている。「アメリカ政府が最も良く研究され、最も効果的なエイズ予防の一つについて国連に沈黙を守れと強制しようとしているのは、不届き千万である。」
 麻薬注射の回し打ちが、中国、イラン、アフガニスタン、ネパール、バルト海沿岸諸国、中央アジア諸国、南アジア、南米におけるエイズの大部分の原因である。北アメリカよりも多いエイズ患者がいるロシアでは、伝染の80%は、麻薬使用の際の注射によるとされている。
 注射針の交換は、アメリカにおける指導的な科学者や公衆衛生関係者や医療機関やアメリカ医学会やアメリカ公衆衛生学会や国立科学アカデミーによって、エイズ予防の効果的手段であると認められている。世界保健機構(WHO)も針交換を推奨した。注射針交換の反対しているのは、うまくいくかどうか疑わしい性的禁欲のために性的に明白なエイズ予防キャンペーンに反対してい議会の保守派の議員である。
「性交であれ麻薬であれ、アメリカは、エイズに見舞われている国々に禁欲計画を輸出しようとしているのだ」とカナダのエイズ法的ネットワークの代表ジョーン・セートは言っている。「多くの政府が、この脅迫に抵抗しなければ、何百万人もの人たちがツケを払うことになる。」
訳者の感想:アメリカの保守派のピューリタン的道徳主義がこの事件の背景になっている。保守派のボールトンを国連大使に出したアメリカは、国連の正しい政策さえ止めさせる可能性が大きいと思う。日本政府はこの場合、国連の政策を支持するべきだと思うのだが、アメリカべったりの日本政府は国連の議場でそう主張するだろうか。
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スーダンの反乱軍が停戦委員会をボイコット。(『アル・ジャジーラ』英語版より。

2005年03月09日 | 国際政治
カタールにあるテレビ局『アル・ジャジーラ』のインターネット記事より。
 スーダンのダルフール地方で反政府活動をしている反乱軍は、同地域における「アフリカ連合」の活動に影響を及ぼす決定について相談を受けなかったという理由で、停戦委員会の活動をボイコットすると宣言した。
「先週、土曜日以来、われわれは停戦委員会の活動をボイコットしている」と同委員会で「正義と平等運動」(JEM)を代表しているアブダルラーマン・ファヅルは言った。JEMと「スーダン解放運動」(SLM)とはダルフール地方における二つの反乱軍である。両者は、スーダン政府と「アフリカ連合」と一緒に停戦委員会に加わっている。「われわれはすべての党派に対して相談することなくなされた決定に関して態度を保留する」とファヅルは述べた。
 ダルフール地方の反乱軍は、スーダン政府の無視に対して反乱を起こした。停戦以前に戦闘で殺された人の数は、7万人と推定され、200万人近くが家を失った。
 委員会の代表は、報告された停戦違反を調査したが、他の代表達は、チャドの首都ヌジャメナに定期的に会合している。
 JEMのもう一人の代表ミルガニ・アハマドは、スーダン政府軍と共同でパトロールを行っている「アフリカ連合」の軍隊及び警察の増員について何の相談も受けなかったのは遺憾であると言う。SLMの当局者からはコメントを貰うことができなかったが、最近、彼らも停戦委員会をボイコットすると述べた。
JEMの当局者は、彼らが連名の書簡において「アフリカ連合」に対して彼らの決定を通知したが、返答はまだないとのことである。
訳者注:「アフリカ連合」(Africa Union)というのは、もと「アフリカ統一機構」と言われた組織で、アフリカにある53ヶ国と地域が加盟している世界最大の地域機関。本部は、エチオピアの首都アジス・アベバにある。首脳会議が年2回開かれる。議長国は、現在、ナイジェリア。日本はAU平和基金にこれまで213万ドル(2億円)拠出している。(以上外務省ホームページの記述による。)
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6世紀のマヤ遺跡発掘さる。(『ストレイツ・タイムズ』紙記事より)

2005年03月08日 | 国連
シンガポールで発行されている『ストレイツ・タイムズ』紙の記事より。
ホンジュラス西部のコパン遺跡で作業中の考古学者が、紀元6世紀の遺跡から、69人分の遺体とこれまで未発見であった30件の建物や構造物を発掘した。
紀元250年から900年までマヤの首都として栄えたテグシガルパの西300キロにあるコパンは、現在のメキシコ、ベリーズ、グアテマラ、エル・サルバドル、ホンジュラスにまたがる巨大なマヤ帝国の一部であった。歴史家達は、この都市は、部分的には人口過剰になったために放棄されたと考えている。
ホンジュラスの考古学者達と協力している日本の考古学者ナカムラ・セイイチは、記者会見において、人体の遺物は550年頃、第十代マヤ王であったジャガー・ムーンの統治時代にコパンに住んでいた人たちのものであると語った。ナカムラ氏は、「私たちはヒスイ・石・貝殻・陶器などでできた壺や器や楽器を450個発掘した」と述べた。
彼はまた「人骨が埋葬されていた場所付近ではお供えが発見されたし、12才の子供の遺体の近くで発見された遺物は、コパンでこれまでに発見されたものの中で一番多かったということは、マヤ社会では子供は大切なメンバーであったことを意味している」と述べた。
考古学者達は、一番最近の発掘物を修復し、2007年には発掘地域を観光客のために公開したいと希望している。
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不幸な偶然か、それとも計画的暗殺か?スグレーナ記者の事件

2005年03月07日 | 国際政治
イラクの反政府組織に誘拐されていたイタリア人女性記者が解放されて、バグダッド空港に向かう途中、検問所でアメリカ兵に銃撃された事件について、ドイツの新聞『ツァイト』に掲載された記事。(スグレーナ女史は、『ツァイト』紙の特派員を兼ねていた。)
 ジュリアナ・スグレーナは、「自分を乗せた車列に対する銃撃は、アメリカ人の計画的な待ち伏せであった」とアメリカ軍に対して重大な非難の声を上げた。イタリアのテレビに対して、彼女は、「自分が攻撃の標的であったという可能性は否定できない」と述べた。誘拐者達は、彼女を解放する前に、「アメリカ人に気をつけろ」と警告した。その理由として、彼らは「お前が帰ることをアメリカ人達は望まないからだ」と言った。事件についての報告は矛盾している。アメリカ側の報道では、スグレーナを乗せた車がバグダッド空港に通じる道路上で検問所に向かって余りに速い速度で走っており、警告の信号を出したにもかかわらず、停車しなかったと言う。これに対して、スグレーナは、自動車は普通のスピードで走っており、射撃された時には運転手は、「俺たちはイタリア人だ」と繰り返し叫んだと言う。それ以前にアメリカ兵は何の警告も行わなかったと言う。
 更に、この悲劇的な事件がある検問所で起こったのか、それとも公道上で起こったのかという点も明らかでない。スグレーナによれば、事件は道路上で起こったと言う。彼女の車はパトロール中のアメリカ兵によって射撃されたと言う。このことは、他の生存者によっても裏書きされている。
 情報機関員のニコライ・カリパリは、事故現場で即死した。死因は、弾丸がこめかみを貫通したためである。彼に対しては、死後、勲章が授与され、国葬が行われる予定である。
 スグレーナの夫、ピエル・スコラーリは、アメリカに対して故意の殺害未遂だと主張している。「ジュリアナがアメリカ軍にとって危険になりうる情報を持っていたから、アメリカ軍は、彼女が生きて出てくることを望まなかったのだ。」
 56才のスグレーナがどうして解放されたかということの詳しい事情は、いまなお分からない。約1ヶ月前の誘拐の始めに、100万ドル(1億円)が身代金として要求された。イタリアのメディアでは、3月6日現在、600万ドル(6億円)が支払われたと言われている。イラク議会のキリスト教徒議員であるヨナダム・カンナによれば、100万ドルの身代金が支払われた。彼によると、誘拐したのは倒されたサダム・フセイン・イラク大統領の支持者である。
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コンゴ情勢(『ヴェルト』3月3日号記事より。)

2005年03月03日 | 国際政治
コンゴの内戦を止めるために国連軍が駐留するようになって、6年経つが、今週、国連の平和部隊は、コンゴの民兵50名以上を殺傷した。これは明らかに先週の金曜日パトロール中の国連軍のバングラデシュ兵9名が待ち伏せ攻撃によって殺されたことに対する報復である。コンゴ東部の民兵指揮官フロリベルト・ヌジャブがこの攻撃を背後で操ったという理由で逮捕されている。3人の民兵指揮官も首都キンシャサで逮捕された。中央アフリカの国コンゴには、16,000名の国連軍が駐留しているが、そのうち4,800名は、イツリ地方に駐留している。もともとコンゴ東部は、侵入したウガンダ軍とルアンダ軍が撤退した2002年以後は、内戦が終結し、平和が回復された。しかし、腐敗した地方政治家によって武器を供給されたレンドウ族とヘマ族との間では、繰り返し戦闘が行われている。鉱物資源が豊かなイツリ地方の居住権と地下資源を巡って争いが起こっている。1999年から2003年まで行われたコンゴ内戦では、死者は6万人にのぼり、50万人が居住地を追われた。ゴマに滞在しているユニセフ(国連児童緊急基金)のスポークスマンのウエデニングは、この状況を混乱の極みと言い、国連軍がいなければ、何千にもの人が民兵組織によって、暴行され、殺され、村を焼かれるだろうと警告している。ドイツ外務省のケルスティン・ミュラー次官は、今週、危機的な場所に赴いた。その際、彼はコンゴのカビラ大統領とルアンダのカガメ大統領に会う。
貧しいアジアの国バングラデシュから派遣された20人のブルーヘルメットに対する待ち伏せ攻撃は、彼らが規律正しく中立的であっただけに、ショックを与えた。彼らは、他の国連軍とこの地域で10万人の難民の世話をしていた。逮捕されたレンドウ族出身のフロリベルト・ヌジャブの率いる「国民統合戦線」がこの攻撃に責任があると見なされている。現在、コンゴ共和国では、200万人以上の難民が劣悪なテント生活を送っている。計画によれば、コンゴでは、間もなく選挙が行われる予定である。2003年に、あらゆる党派の政治家が選挙に同意したのである。
イギリスのブレア首相は、コンゴの情勢を「毎週不可避となる人間が作り出した津波」にたとえた。1998年からのコンゴの内戦の犠牲者の数は、300万人に達する。その半分が子供で、彼らは飢えと病気のために命を落とした。コンゴ国民でさえ、コンゴにおけるいつまでも続く悲惨さに対してよりもインド洋の津波の被害に対してより多くの同情が示されたことを当然だと考えている。首都キンシャサに住む職人のポンス・モンダーノは、「誰かが何かを恵んでくれても、いつも政府がそれを盗んでしまうのだ」と言う。政権のメンバーの腐敗と権力欲とは、筆舌に尽くしがたい。先週、キンシャサのある銀行から400万ドルが強奪され、銀行の頭取が行方不明となった。カビラ大統領自身が、彼の大臣達の贅沢旅行の苦情を言う始末である。
訳者の感想。アフリカのいくつかの国では政治家が簡単に腐敗し、ただ利権を求め、権力を行使することにだけ熱心だという状態がいつまでも続いている。いつになったら、彼らはもう少しましな政治ができるのだろうか。もう一度白人が統治したほうが今よりましだろうというヨーロッパ人の間にある意見にも根拠があるような気がする。
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