神奈川県横浜には「山手外人墓地」、「根岸外人墓地」、「中華義荘」、「横浜英連邦戦没者墓地」の計4ヶ所の外国人墓地があり、その1つ、保土ヶ谷狩場にある英連邦戦死者墓地にいった。
この共同墓地は戦中、日本国内で亡くなった英連邦の 陸・海・空軍戦没者の墓地で、墓地内に一歩入って日本初の陸軍墓地、旧真田山陸軍墓地との違いに愕然とする。
この墓地の維持管理はイギリスに本部を置く英連邦戦死者墓地委員会が英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国、インド、パキスタンの諸国に代って行っているという。
墓地入口の記帳所に置いてある英連邦戦没者の墓委員会のパンフレットによると、1942年、シンガポール陥落後、日本軍は捕虜を日本に移送し始めたという。公文書では捕虜と俘虜という言葉を使用していて、日本陸軍では主に俘虜を使用しているが、文書上の使用区分は判らなかった。公文書館に陸軍俘虜情報局(昭和20年6月30日)による俘虜収容所別収容一覧が残っている。国内は函館、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の7か所、外地に2ヶ所、計9ヶ所の本所を置き、その下に分所、派遣所、分遣所を設置している。この資料では国内34709人、外地69346人、合計104055人の収容人員とあるが、他の資料、軍抑留者人員調査によると人員合計90527人となっているが、内地・外地収容者の正確な人数把握は資料の破毀隠滅もあり難しい。(俘虜情報局17年12月現在俘虜収容状況では12万7千5百71名)。東京俘虜収容所本所は当初、品川にあったが大森に移転し、昭和18年8月、品川の施設は東京俘虜収容所付属病院となった。東京本所は大森の埋立地で今、平和島競艇場として使用されている。平和島という地名の由来がこれで解った。横浜の俘虜収容所は東京本所の第二分所として中区の横浜野球場を利用したが、戦局の激しさが増した昭和19年5月にこの分所は閉鎖され、収容者は地方の収容所に移動させられている。横浜の英連邦戦死者墓地はイギリス区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、インド区、戦後区(戦後に死亡した者)の5ブロックに分かれていて、その国にゆかりの樹木が植えられているという事であったが、気が付かなかった。ほとんどの墓碑には日本の墓の家紋のように部隊章が刻まれていた。
インド区 戦後区
オーストラリア区 カナダ・ニュージーランド区
部隊章
Royal Engineers 王立工兵隊 Royal Army Service Corps 王立陸軍運送隊
Royal Air Force 王立空軍 Royal Artillery 王立砲兵隊
Royal Signals 王立通信隊 155 (Lanarkshire Yeomanry) Field Regiment 第155フィールド連隊
The Royal Regiment 第18 偵察連隊あとロイヤル装甲隊 The suffolk regimentサフォーク連隊
The middlesex regiment ミドルセックス連隊 The royal regiment
The royal ramy ordnance corps ロイヤル陸軍兵器隊 Craftsman R.E.M.E
Royal air forceロイヤル空軍 The argyll and sutherland highlanders サザーランドハイランダーズ連隊
The sherwood foresters シャーウッドフォレスタ連隊 H.m.s sultan 潜水艦
The royal scots ロイヤルスコッツ連隊 Volunteer defence corps 香港ボランテア防衛隊
Koninkrijk der nederlanden オランダ王国 The royal northumberland fusiliersノーサンバーランド連隊
Singapore royal engineers シンガポール陸軍工兵 Fireman s.s.aust
The bedfordshire and hertfordshire regimentハートフォードシャー連隊
Hong kong dockyard defence corps 香港ドックヤード防衛隊
The army dental corps 陸軍歯科隊 The cambridgeshier regiment ケンブリッジ連隊
Royal n.z. navy ニュージーランド海軍 Royal armoured corps 第三王立騎兵連隊
横濱外人墓地
参考
笹本妙子著「連合軍捕虜の墓碑銘」
アジア歴史資料センター