白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(261)「世襲戦隊カゾクマンⅡ」を観て

2017-09-09 07:35:48 | 観劇
  世襲戦隊カゾクマンⅡ

 高畑淳子のみそぎ公演になるはずだったが藤山直美の病気休演で飛んでしまった田村孝裕の「ええから加減」(シアタークリエ)
直美を除いた役者は全てそのまま(赤井、田山 小松、三倉茉奈ら、南野陽子は参加)で「土佐堀川」に変更 脚本は小池倫子に代わったが演出は田村孝裕だ しかしどう見ても彼の得意分野ではなさそうだ・・まあ こういう形で引き受けてしまうと断れないか・・・

待望のシリーズ第二話! 新作書下ろし!
偏見に耐え いじめにも負けず嫁姑問題もなんのその
代々家業を継いできた とある一家の奮闘ものがたり
家族とは・・勇気とは・・・照れずに向き合うお茶の間劇


記録によるとこの「カゾクマン」は2014年12月に赤坂レッドシアターで12・19~12・28上演された(その前に何日かの地方公演があった)のだがそれ程評判にはならなかった(と思う)熱狂的な田村ファンとピンクの戦隊もののコスチュームを着ていっぺんに大ファンになってしまった熊谷真実ら出演者を除いては・・と言っても再演の声が全くなかったというわけでもなく なかなか再演出来なかったのはこのメンバーが一堂に揃うのは難しいらしくやっと揃ったというのが真実だ だから華々しく予告編をしていたⅢ部も三年後でしか出来ないらしい

正直言って僕は昔から戦隊ものにはさほど興味がなく やれゴレンジャーだ、仮面ライダーだ、ウルトラマンだと言われてもその違いが全く判らなかった そんな僕が今回の再演の「世襲戦隊カゾクマンⅡ」が兵庫県立芸術文化センターで公演すると聞いて 何とか真美さんのマネージャーに席を押さえて貰ったのは出演者のフェイスブックの巡業中の写真があまりにも楽しそうだったからであり そんな楽しい雰囲気がモロに舞台に出ている感がしたからである 今回も赤坂レッドシアターで幕を開けそのあと北海道・九州公演を経て千穐楽公演であった なんとか最後に間に合った

父(レッド)である山口良一 母(ピンク)である熊谷真実 長男(ブルー)である曽世海司 妹(イエロー)梨澤彗以子 その婿(グリーン)芋洗坂係長の佐久間一家は代々地球防衛の仕事を行っている 五人が合体してタタミ中心のカゾクマンロボとなって巨大化したミドラーと戦う しかし前回大活躍したと思われるグリーンも今回は動けない 年老いた両親も駄目 その上 新しく制定されたテロ対策法は別に彼らだけ闘うことではない 自衛隊も警察も動ける その施行前に我々の手でミドラーを倒さなければ・・・それを心配して助っ人として現れる「十条のおばちゃん」田中真弓さんは(僕はあまり知らなかったが)「ワンピース」の声優として有名で前回の予告編では主題歌を歌ったらしい
(声優・アニメ この世界も全くうとい僕である)
対する悪役であるミドラー(西山水木・なかなかの存在感である)の子分威厳溢れる「イゲン」や人情溢れる「男前男」もそれらしくていいのだがこのメンバーを再び結集するのは至難の業らしい 

パート1の稽古の演出の田村君が言ったそうな  
「これでつまらなかたら僕のせいなので皆さん、安心してやってください」・・・・カッコイイ!!

(8月25日15・30~ 兵庫芸術センター 阪急中ホールにて観劇)



    



白鷺だより(260)青井陽冶さんのこと

2017-09-05 15:22:15 | 人物
青井陽冶さんのこと

9月1日 青井陽冶が亡くなった 享年69歳 すい臓がんだった
5日築地本願寺で告別式
「その道の人」なので果たして最後を看取る男性はいたのだろうか 
喪主は妹さんだ・・・・
 
普通午後一時の打ち合わせと言えば食事を済ませてお茶を飲みながら始まる それが制作側の意図だと判断して東京に着いて直行で新宿に出て新コマの地下にあった洋食屋でメンチカツ定食を慌てて食べて新コマ楽屋口前のアマンドに向かった その日は梅コマで来年公演する第一回JACアクションミュージカル「ゆかいな海賊大冒険」の最初の打ち合わせだった ところが打ち合わせ時間ギリギリにやって来た脚本担当の青井陽冶は挨拶もそこそこにハンバーグ定食を注文した しかもサラダ付きなのでテーブル一杯広げて食べ始めた 我々は彼が食事を済むまで待たなければならなかった これが青井陽冶との初めての出会いだ 

ほぼ我々と同じ世代なのだが学生運動の洗礼を受けている感が全くなく 元四季のダンサー上がりの翻訳家という説明を聞いても良く分からない人だった
 
彼の「ゆかいな海賊大冒険」の脚本は失礼だがとても彼がオリジナルに描いたとは思えず、おそらくは そのころブロードウェイの片隅でヒッソリ上演されていたパイレーツもののパクリだろう容易に想像できる脚本である
この公演は応募者10000人(受験料10000円だからそれだけで1億)と言われたJACアクションスクールの養成所の卒業公演であり真田広之、志緒美悦子ら人気者が出ているとはいえ所詮学芸会に毛の生えた公演だった(この公演のことはブログ69「ゆかいな海賊大冒険」のこと参照)が僕が監修の深作欣二さんと息が合い仕切っていたので青井さんが何か意見を言った記憶が一切ない やがて「その道の人」だと判ってからは言葉を交わした事もない

 何年か前に松竹の稽古場で八重子さんと喋っているのと出くわしたが向こうもぼくを覚えていたのか軽く会釈を返した

八重子さんといえば よほど急死だとみえて今年の11月八重子さんの越路吹雪追悼の歌のステージ「愛の讃歌」の演出を担当していたという記事を見た

死亡記事をみると
ヒット作(机と椅子だけでセットが無しで出来る)「ラブレターズ」の翻訳・演出のみが紹介されているがやはり「その道」の代表作「真夜中のパーティー」「ベント」「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」ラ・カージュ・オ・ホール」「コーパス・クリスティ・聖骸」などの翻訳だろう 
ニューヨークではいざ知らずこの日本の演劇界では表立って扱われてない作品である

「ゆかいな海賊大冒険」のすぐ後に広くん(真田広之)がやった「リットルショップ・オブ。ホラーズ」の翻訳も手掛けている

僕たちが学生運動に没頭している1969年国際基督教大学を中退、「四季」養成所に入って「ウエストサイド物語」(1974)「ジーザス・クライス・スーパースター」(1973)に日本初演に参加している その後フリーの翻訳家として「劇書房」などで活躍
  
神田沙也加 川崎麻世、新納慎也らが追悼の言葉を述べている

これは青井陽冶のヒトとなりが良くわかる新納君のブログだ

「青井陽冶さん ありがとう!!
演出家で翻訳家の青井陽冶さんが亡くなられました
アンサンブルの一人に過ぎなかった僕を主役に抜擢してくれた人
この人が居なかったら今の僕は無かったと思う
「GODSPELL]は僕の役者人生のターニングポイントでもあるし今でもとてもとても大切な作品
その作品のオーディションで僕を選んでくれたのが青井陽冶さんです
それ以前に僕のミュージカルデビュー作「アラジン」を観てる人なんて 今の演劇界では青井さんくらいしかいないと思う
当初ミュージカルの世界に違和感を抱いていた僕に「ニューヨークにいくならRENTという作品を観て きっと好きだから」と
初演のレントを紹介してくれたのも青井さん
日本のミュージカル界にロックミュージカルや様々なジャンルのミュージカルを持ち込んだのも青井さんと言っても過言ではない
当時大きなグランドミュージカルが主流だった日本のミュージカル界にオフ・ブロードウェイ作品を多く持ち込んだりしたのも青井さんの功績無くては語れないだろう(以下略)」

間もなく築地本願寺で告別式が始まる・・・・合掌

 




 

白鷺だより(259)演技するスズメ

2017-09-03 12:57:20 | 思い出
                演技するスズメ

 先日(8・30日)宮城のkoboパーク球場で珍事が起った 楽天4対8で迎えた8回の表終了時に突然大雨が降り中断 雨が上がって試合再開となったが今度は鳥の大群がグランドを低空飛行 球場スタッフが火薬音を鳴らすなど鳥を外へ逃そうと手を尽くしたがうまくいかず 結局西武ナインが一旦ベンチへ下がり球場の照明を全て消すなどの処置をとり結局58分の中断で再開した この中断が試合の流れを変えた 試合は楽天オコエの活躍などでこの回同点に追いつき8対8の同点の引き分けで終わり楽天は3位転落を逃れた

このような「事件」は田舎の球場だけではない 大都会の球場でも過去にはある
 渡り鳥の襲来で58年後楽園球場 巨人~大洋戦で7分間中断 59年後楽園球場大毎~東映戦で9分 71年広島球場で広島~中日戦で9分 中断 
76年大阪球場で南海~太平洋戦で数十羽の鳥が旋回8分間中断となった


舞台でも同じようなことがあり この僕が実際経験した芝居は「雀」が主役となった

それは昭和54年梅田コマ、鶴田浩二主演の「北海物語」(ジャコ万と鉄)の第一場であった 
ニシン漁で賑わう北海道の漁師町の海岸である 
幹事室勤務であった僕がみていたら客が囁く声が次第に大きくなってきた 
舞台を見るとどこから入って来たのか 一羽のスズメが海岸をチョコチョコと走っているではないか
スズメは大きな出の音で万雷の拍手で座長が出てきても臆することなく極めて自然に動く その上いいところで囀りさえする 
その風景に溶け込んだ演技はとても自然でその名優ぶりに客の中には思わず拍手する人も出て来た 
しかしこの場はなんとか持ちこたえても これでは客は芝居に集中出来ない 
暗転まで待ってそのままBGを延ばせるだけ延ばして各パート(操作、ミキサー、照明)に連絡をして部屋の明かりを全部消させた
その頃の梅コマの幹事室は全てのキューが集中しており こういうことは簡単に出来たのである そしてFOして完全暗転の中 三階席の上にあるミキサー室のみ灯りを点けてそこへ追い込んで閉じ込める作戦である 
さあ事情が判った客席はこれに大喜び 最終的にスズメがミキサー室に入った時には大拍手 
完全に主役を食ったという感じだった

梅田コマではネコ、ネズミは日常茶飯事で舞台に登場した 
ネズミが増えたらその対策としてネコを飼う 劇場は食い物が豊富だし暖かい寝床もある 劇場は彼らの天国だ 
当時深夜コマの裏を歩いていたら建て替えで更地になった土地全体が蠢いている よく見てみたら地面一杯の大ネズミの大群だった 
一匹がチョットしたネコの大きさだ こいつらは少なくともその当時の僕たちよりはいいものを食っている 本気でそう思った

 そういえば道頓堀にやって来た阿波の狸は「あまりに舞台が面白そうだった」ので木の葉の金で客席に顔を出して見つかり叩き殺され中座の地下に祀られた 願わくば狸、いやネコでもいいから思わず舞台を見たくなる そんな芝居を作りたいものだ