白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(157)二つの「娘よ」

2016-11-09 14:28:40 | うた物語
 二つの「娘よ」

「夢であいましょう」の今月の歌で益田喜頓が歌った「娘よ」(1964年6月)
いつか僕にもこんな日が来るのだろうかと思っていたが未だに来やしない 娘よ頑張れ!
長くなるがこんな歌だ 
もちろん作詞 永六輔 作曲 中村八大

娘よ 話してやろう パパがママと
初めてくちづけした日のことを
夏休みのキャンプ場の夜だ
ホタル狩りにはまず目を閉じて
静かに開けろと教えておいて        
(セリフで)キスしちゃった

娘よ 話してやろう パパとママが
初めてケンカした日のことを
結婚して七年たって
パパはあったのさ 初恋の人に
二人で子供を自慢しあって
ママのやきもちさ

娘よ 教えてやろう パパとママが
初めて二人で 泣いた日のことを
おとといの お昼過ぎ
素敵な若者が お前を欲しいと
申し込んだぞ お前の恋人だ
あとで泣けてきた

娘よおめでとう パパもママも
あの野郎が とっても好きになったよ
(つぶやく)あん畜生が

「こんにちは赤ちゃん」が作曲の中村八大の長男誕生を祝って作られたように この曲も永の娘の千絵や麻里の嫁ぐ日のことをイメージして出来た曲だろう
ちなみに永六輔の奥さんは慶応ボーイの婚約者がいる新人女優だったが 売れっ子構成作家の永に「君は女優なんかなるより僕と一緒になるべきだ」と言われ続け結婚した

この曲は益田喜頓のいい味が出てその頃 ちょっと評判になったがヒットとは至らなかった

そして何年か後1984年(昭和59年)芦屋雁之助が初めて出した新曲のタイトルを聞いて「その題名の曲はすでにあるよ」とマネージャーのHに教えたのは同じ事務所の僕であった レコード会社もそんなことは百も承知で前作がさほどヒットしなかったのでこのタイトルで発売したのであった もちろんその時にはこの曲が単なる役者の余興であってよもやあっという間に歌謡番組を総なめして年末のレコード大賞特別賞を受賞し100万枚売り上げてしまうとは思いもしていなかったのである

雁之助版の「娘よ」で作詞の鳥井実が

嫁に行く日がこなけりゃいいと
男親なら 誰でも思う
早いもんだね 二十歳を過ぎて
今日はお前の 花嫁姿
贈る言葉はないけれど
風邪をひかずに 達者でくらせ


と切々と男親の気持ちを詩にしているが それを永六輔は
(つぶやく)あん畜生め   と一行で片づける
 
この二つの「娘よ」が共に喜劇役者なのがおかしい それも日本の東西を代表するコメディアンだ しかも二人ともに森繁久彌の大のお気に入りときている
雁之助が舞台稽古で吊ものが下りてきてケガをしたとき「お前たちはこんな名優をころすのか」と支配人を殴った話は前にも書いた 益田喜頓の時は「屋根の上のヴァイオリン弾き」の稽古中 牧師役の彼のワイヤレスマイクが故障してダラダラと付け直しに行ったミキサーを「いつまで先生に待たせるんだ」と殴ったことがある 長い舞台稽古に皆が疲れていたのだろう しかしその時まで我々は益田喜頓が「あきれたボーイズ」あがりの単なるコメディアンという認識しかなかった

さて この「娘よ」には同タイトルの曲がもう一つある
藤岡藤巻という「崖の上のポニョ」を歌った音楽ユニットの曲でこんな詩だ

娘よ 実は父さんは今好きな人がいる
その人はお前より多分年下だと思う
六本木という街で 先週出会ったんだ
その人が働いてる店で

といった具合にこの嫁も子供もいる中年男の恋物語を延々と歌いあげ店も六本木から歌舞伎町へと変わり そして最後に振られる
このユニットの名曲「息子よ」のカップリング曲だ YouTubeなどで聞いて下さい

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