白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(158)「人情紙風船」 名作シネマクラッシック(2)

2016-11-11 07:45:27 | 映画
人情紙風船」名作シネマクラシック(2)



実は白状すると昨年の日本香堂でやり さらに今年の中日劇場で上演した「ゆうれい長屋は大騒ぎ」の脚本の導入部分はこの「人情紙風船」の頭の部分をそのまま使わせて貰った
長屋の奥の老浪人が竹光で自殺 それを同心が調べに来るシーンだ 貧乏長屋の雰囲気がそれだけで描けると思ったからだ 映画は新三が大家に金をださせてのお通夜と称する長屋の宴会に続く 三味線に法華太鼓もくりだしてのドンチャン騒ぎ ここに描かれる長屋衆の底抜けに明るく屈託のない市井の庶民のエネルギーが見て取れる これは「どん底」の影響があるのかも知れない 前進座は戦前の昔からこんな長屋の世話物はばっちりだ 皆イキイキしている

この映画は1937年(昭和12年)東宝の前身であるPLCが前進座と共同制作した作品
三村伸太郎の脚本で監督は山中貞雄、二十七歳
監督の中山貞雄はこの映画の封切日に赤紙が届き そのまま出征 翌年大陸で病死
といこうことはこれが遺作となった 彼は戦線の病院でずーっと「紙風船が遺作では寂しすぎる」と言っていたらしい

さてこの映画は河竹黙阿弥の世話物「梅雨小袖昔八丈」(つゆこそでむかしはちじょう)を原作としている その歌舞伎で有名な小悪党髪結新三(中村翫右衛門)の物語に加えて 対照的に同じ長屋の貧乏浪人海野又十郎(河原崎長十郎)夫婦の悲劇(この部分は前年公開されたフランス映画「ミモザ館」のアレンジだといわれる)を加えた物語

 我々は小悪党新三の小気味よい啖呵に酔い 一方で紙風船づくりの内職に精を出す女房の嫌味ごとに耐え切れず嘘をついてしまう情けない海野又十郎を見てため息をつく そして彼が新三のお駒かどわかしに加担し それによって家老が血相を変えたと聞いて気持ちよさそうに笑う姿を見ていたたまれなくなる 彼は新三から分け前を貰うがそれによって女房にあいそずかされ無理心中を強いられる そして新三も矢田五郎源七一味の手によって焔魔堂橋で・・・

なおやくざの子分役で出て好演していた市川莚司(国太郎の弟)は撮影時にはすでに兵役を終えていたが1943年再び応召 ニーギニア戦線に加わって兵士たちを鼓舞する劇団を作りその体験は戦後「南の島に雪がふる」に結実する 後の加東大介で戦後左傾していく劇団を兄、姉(沢村貞子)と共に前進座を退団 後黒沢映画のレギュラーとなる

長屋の大家(助高屋助蔵・五代目)のほか金魚屋(中村鶴蔵)按摩(坂東調右衛門)錠前屋(市川菊之助)夜泣き蕎麦屋(中村進五郎)は女房ともども長屋衆で好演
歌舞伎ではカッコいい弥太五郎源七(市川笑太郎)はこの映画では単なる街のならず者の親分である お駒と出来ている番頭の忠七は瀬川菊之丞
ゲスト女優として白子屋のお駒役で霧立のぼる 又十郎の女房役で山岸しづ江が出ている

ラストは幕開きとリンクするように夫婦の心中で終わる
溝に流れていく内職の紙風船が悲しい

しかしおそらくこの長屋の連中はまた大家に金を出させて(かつをは半分もらったよと金をせしめたことを皆知っている)新三とご浪人夫婦の「お通夜」をするに違いない
決して派手なところもなく大スターも出ていない 
弱冠27歳の監督が死ぬ間際に残した一粒の真珠のような名作といえよう


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