白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(393) 「新・次郎長物語 海道一の男たち」

2021-10-21 17:38:13 | 思い出

     「新・次郎長物語 海道一の男たち」

 読売新聞月曜に連載している前米朝事務所社長の田中秀武さんの思い出話「生涯裏方」で懐かしい芝居を取り上げてくれた

1997年(平成9年)6月2日〜25日
南座
桂米朝芸能生活50周年記念 米朝一門公演
沢島正継 作・演出
「新次郎長物語 海道一の男たち」 だ

コマでよく助手の仕事をした沢島先生が演出ということもあり又トップホットシアターでよく遊んだ仲間が多い米朝一門の芝居なので、また仲のいい松竹の制作だったのでこちらから志願して参加させてもらった
沢島先生が東映映画で錦之助を使ってのお得意のジャンルなので安心出来る台本だ

企画の途中からの参加だったので米朝師匠が出演を最後まで拒否をしたことは全く知らなかった
結局テープで師匠のナレーションを入れるということで落ち着いたらしい
本来は実際も長生きしたらしい次郎長が老人姿で出て若き日の自分を振り返るとこれから始まり、ラストでまた出て来て50周年のお礼の辞を述べるはずだった
ナレーションですませるならそれも良しだ

米朝一門総出演がウリだったので枝雀、ざこば、南光、米団治‥などの弟子、孫弟子、ひ孫弟子など総勢50人 他に二代目桂すずめの三林京子、上岡龍太郎などのゲスト出演

米朝師匠はパンフレットの挨拶に
「まともにやれるはずはありませんがともかく一生懸命相務めます」と書いており
自分が出演しない経緯は全く触れてはいない

この公演には嫌な思い出がある
初日が開いてしばらくした頃、悪役黒駒の勝蔵に扮した上岡龍太郎が花道から出て来る前、子分に扮した雀々がすぐに現像出来るインスタントカメラを持って出て客と記念写真を撮りそれをプレゼントし始めた
雀々を問い詰めると「上岡さんの命令で逆らえない」という
すぐさま辞めさせると上岡が「お前もトップホットにいたんやろ、芸人の気持は判って呉れると思てたがな」というので「みんな苦手な芝居で一生懸命笑いを取ろうと頑張っるじゃないか、それをこんな簡単なことで笑いを取ろうなんて、これは芸人がやるシャレとは程遠いシロモノです、すぐさま辞めること」とタンカを切った
それ以降 舞台を観なかっので辞めたのか、続けたのかは知らない 注 その後米朝一門の若手(当時)と話すチャンスがあり聞いてみたらこのバカ行為は楽日まで続けられ益々エスカレートしていったそうな