白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(392) 阪妻の「無法松の一生」

2021-10-08 09:22:42 | 映画
   阪妻の「無法松の一生」



NHKBSプレミアムで「無法松の一生」4Kデジタル版を観た
脚本のみが伊丹万作となっているのは伊丹が脚本を完成させた後病に伏したからである 代わりにメガフォンをとったのは稲垣浩であった
人力車夫が軍人の未亡人に恋心を抱く設定であったため内務省に睨まれ稲垣は泣く泣く削除した 稲垣の回想によると内務省の役人は映画に造詣が深い人でこの名作は切るには忍びない、今上映しなくてもまもなく戦争は終わると思う、、それまでこのまま置いておくことは出来ないものかともちかけたが制作費用を早く回収したい会社はそれを許さす、その旨を役人に言うと「私には切れない、君が切れ」と言われ泣く泣く10分43秒切った

阪妻は「江戸最後の日」(1941)で稲垣と仕事をした関係で主役を受けたが一旦断わっている が執拗な頼みに「命に賭けてもやるつもりか」と聞くと「そうだ」と答えたので「判った、私も命を張ろう」と快諾した
吉岡夫人役は難航した 水谷八重子から始まり入江たか子、小夜ふく子まで交渉したが仕事が重なったり妊娠したりで流れた 小夜ふく子が同じ宝塚出身で私にイメージが似た女優がいるのだけど、と連れてきたのが園井恵子だった

吉岡のボン役は子役時代は澤村アキオ、後の長門裕之である

1943年2月から8月まで掛かった
この8月1日 三男正和が生まれる

さてこの年の10月上映された映画は稲垣が「こんなにほめられていいのかしら」と思うくらい絶賛に次ぐ絶賛であった 興行成績も黒澤の「姿三四郎」を抜いて1位の「伊那の勘太郎」に次ぐ第2位となり 作品評価も「映画評論」の1943年度のベスト1になった

4Kデジタル版の映像は凄く見やすく 悪名高き阪妻のダミ声も無法松によくあっていて良かった
(無声映画の大スターだった彼だがトーキーとなって声をきいた客はあまりにも汚さに多くのファンが失望した)
有名な運動会のシーンや祇園太鼓の場面はともかく稲垣が涙を流して切った、無法松の未亡人への思いはフィルムの間からよく伝わってきた

稲垣はこの映画のカットしたことを悔しく思っていて戦後1958年三船敏郎で完全版を作った

僕はこの題材は梅コマの「村田英雄」版しか参加していない
阪妻の息子田村高広さんも劇化しているが観ていない

村田英雄の「無法松の一生」は稲垣監督の再映画を当て込んでリリースされたが思うようにヒットせず お蔵入りとなっていたが村田が同じ文芸路線の「王将」を大ヒットさせたため過去の同路線の「無法松」も売れ始めヒットした

園井恵子はこの一作で一躍スターの仲間入りをしたが2年後 移動演劇の公演で訪れた広島で原子爆弾に会い死亡した

山田洋次はフーテンの寅のイメージを無法松に求め 車寅次郎と名付けた