白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(394) 藤井薫著「楽屋の独裁者」

2021-10-22 07:04:52 | 松竹新喜劇
  藤井薫著「楽屋の独裁者」
 
 
 やっと探していた本が手に入った
 
まだ学生運動の後遺症が残り大学へ行かなくなってしばらく経った頃
籍だけ置いて卒論だけ書けば来春は卒業させるとのゼミの教授に声をかけてもらい 一年間の在籍費と食い扶持を得るため吹田にあった女が置いていった文化住宅を拠点に仕事を探すことにした
見付けた仕事は地下鉄の掃除で終電までに入場して最終が発車したらホームの掃除、線路の掃除(大量の小銭が落ちていた)、ゴミ箱のゴミ集め、そして最後にホームの水撒きをして終了、そのまま始発まで地下鉄の北端にある宿泊所で過ごすという極めて自分のペースでやれる、しかもかなりいいギャラであった 僕は朝まで集めた新聞紙や週刊誌を束にして(それを清掃会社が集めて現金化する) まとめたらその新聞や週刊誌をよんで朝の始発まで過ごした それから外に出てまず朝食を食べ帰って卒論を書いた 
その頃が僕が一番読書した時期だった
 
そのなかで大スポ(大阪スポーツ)に連載されていたのがこの「楽屋の独裁者」だ なによりヒットラーそっくりの天外がマンガっぽく描かれた挿絵が面白かった そして主人公と女優との濡れ場がエロっぽく描かれ(夕刊紙の連載には必要条件)ついつい読んでしまった
勿論、作者の藤井薫がどんな人物か、新喜劇という劇団もTVでチラっとみる程度で何も解らす読んだが後年この劇団と深く関わることになろうとは夢にも思ってない 
 
それから数十年経った
あの新聞連載の小説が本になっている事を知った
古本屋のネットで取り寄せて見ると例のマンガっぽい挿絵ではなく普通のイラストが何枚か入っていた
 
改めてジックリ読んで見るとタイトルから推察される作者を辞めさせた新喜劇への、いや天外への嫌みや攻撃ではなく 愛情をもって劇団を見、天外を観察していた作者が浮かんでくる
 
そして今でもそうであるが新喜劇文芸部のぬるま湯的存在を浮かび上がらせる
当時は星四郎が部長で平戸敬二と前狂言を分け合い新しい作者が現れると自らの利権を守ろうとする その挙げ句、主人公が自ら取ってきた五郎八主演のTVドラマの収録日に芝居の稽古をぶつけたりする (この時は天外に直訴し事なきを得る)
しかしこの両名の作品が現在使われることはめったにない
演じられるのは館直志(天外のペンネーム)と茂林寺文福(蘇我迺家十吾のペンネーム)ばかりだ
 
藤井が初めて名前が出た時のことをかいてある
僕もトップホット第一作の時 西宮北口駅の看板が作者の名前が出ていたことが記憶にあって 見に行ったことを思い出した
作・演出 吉村正人の文字が光っていた
 
名作「鼓」の出来上がる過程も面白く描かれている
次の日が初日という時に天外宅に文芸部が全員集まり出来上がるのを待つ ある者はガリ版切り(天外の字を読める人は数人)、ある者は印刷、製本係と分担でことさら天外が上がるのを待つ 
出来上がったらすぐに作業に入り手分けして劇場に運ぶ 舞台にはセットが組んてあり役者はそれを読みながら出入りを確認する
舞台稽古はそれだけだ
しかし本番には文芸部がプロンブにつく
これが文芸部の月一の大仕事だ
 
天外はかねがね言っていた
芝居は寛美という跡取りが出来た
しかし脚本はまだや
 
こんな仕事に甘んじていたら いい作者は生まれない
脚本の跡取りはいないと嘆いてみせる天外には果たして育てる気があったのか極めて疑問だ
 
主人公(作者)の恋人となる女優はおそらく当時人気のA .N.だ
最終的には作者と前後して新喜劇を辞めることになる
作者藤井薫はこの小説では触れられてはいないがオール読物の新人一幕物戯曲の募集に昭和35年、36年と連続で入選している
同じように入選した野口達ニや榎本滋民の大活躍に比べ不運な生涯だった
 
話はやがて日生劇場の事件となる
この真相は全くよく解らない ただ主人公は自分の作品をよろこんで天外に使ってもらったのであり それよりいい作品を書けばいいのだと決意していた
天外が一人で疑心暗鬼になり主人公が盗まれたと言いふらしていると思い込んでいたのだろう 丁度週刊朝日に連載していたエッセイにその思いを書いたのが拙かった 当然藤井薫の方が悪く思われるのは当たり前だ そのため一年間の謹慎処分を受け それがまもなく解ける昭和40年7月天外は南座の楽屋で倒れた処でこの小説は終わる
 
新喜劇はこの頃から変わってはいない
 
寛美は役者も残さなかった ましてや作者を育てることなど思ったことも無いだろう
 
相変わらず新喜劇は天外作品(館直志) ばかり上演している