白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(194)イギリス日記 四日目

2017-01-29 09:14:48 | 日記
イギリス日記 四日目


1月21日
ブレックファースト
バスにてコッツウォルズ観光
バイブリー村へ(30k)
初めて朝から濃霧の中ひたすら牧場の間の道をワクワクしながら走り続けること30分
「イギリスで最も美しい村」(ウイリアム・モリス)と言われる村バイブリーに着いたころは温かくなってきたのか「残念ながら」霧は消えていた
このコッツウォルズ地方の建物ははちみつ色の石造りの家が並ぶ
何百年と守られてきた古い家 緑の綺麗な庭 小川に流れる水の音 川面で遊ぶ白い鳥
それらを見つめながら歩くだけでいい そんな村だった
出来れば霧も残っていてくれたら・・・

ボートン・オン・ザ・ウオーターへ(22k)
街の中心を流れるウインドラッシュ川の水が美しいことで有名で「コッツウォルズのベニス」とも言われるボートン・オン・ザ・ウオターはコッツウォルズで最も人気のある村といわれている 川に何本も掛かった低い石の橋 その舌を泳ぐ鴨の群 この村もそれらを眺めながら散策するのがふさわしい このあたりの地方はイギリス人が「老後最も住みたい村」というのが良く判る

ストラットフォードへ(42k)

ストラットフォード アポン エイボン観光

まずは郊外にあるシェークスピアの8歳年上の奥さんアンハサウエイの家
中心地に戻り シェークスピアの生家から自由散策
スタートは生家前にある「お気に召すまま」の道化像からスタート
シェークスピアセンターと生家が一緒になっている 父親は毛皮職人であった
エイボン川のほとりのハブにてビールとサンドウィッチとハンバーガーを注文 なんとパブの隅っこにはスロットマシンが置いてある これは以後何度か立ち寄った高速のサービスエリアにも必ずあったので珍しくもないということであろう
さてエイボン川の近くの公園にシェークスピアの銅像があり その周りに「ハムレット」「ヘンリー四世のハル王子」「フォルスタっフ」「マクベス夫人」の四つの名シーンの像があり その前で寸劇の真似事など・・・
川沿いを少し行くとロイヤルシェークスピア劇場が見える
ロイヤル・シェークスピア・カンパニー(RSC)が持っている劇場でこのカンパニーに過去関わった日本人は伊川東吾 RSCとの共同制作「ペールギュント」と「リア王」を演出した蜷川幸雄「ペールギュント」に主演した譲 晴彦「リア王」に出た真田広之がいる

伊川東吾 (1946~)俳優座養成所出身1969年演劇センター68・69に参加
黒テント公演で全国を回る 1983年イギリスに移住 1986年ストラットフォードアポンエイボンにあるスウォン・シアターの杮落し公演で日本役者として初めてRSCの劇団員となる 2006年ロンドンで劇団CHIZAを結成 イギリスを中心として世界各地で活躍している

ウイリアム・シェークスピア(1564~1616)
ストラトフォード・アポン・エイボンに生まれ 1585年頃ロンドンに進出 1592年には新進の劇作家として活躍した 1612年に引退するまでの20年間に四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」「夏の世の夢」など多くの傑作を残した 1613年引退して故郷ストラトフォードで晩年を過ごす 1616年52歳で没した

RSCのロビーにて休憩
現在上演している公演(夕方から)の宣伝映像を見ると舞台はグローブ座のように三方から見る形をしている

「お気に召すまま」の道化の像の前で娘とふざける
銅像には次のセリフが彫られていた
「愚かさって奴は まるでお天道さんのように地上の至る所を歩き廻る
おかげでそこらじゅうが明るくなるってわけさ」
もちろん英語で(笑)


観光後リバプールへ(214k)
ホテルにて夕食
クラウンプラザジョンレノンエアポート泊
旧空港の表玄関をそのままホテルにしたようで
裏には滑走路がそのままであるのには驚いた
遅いホテルでの夕食で外を見ると飛行機がポツンと一機止まっていた

さて明日はいよいよビートルズに会える

白鷺だより(193)イギリス日記 三日目

2017-01-28 16:43:09 | 日記
イギリス日記 三日目

1月20日
ブレックファーストのあと
8・00~バスにてバースへ(104k)

英語のBATHの語源となったと言われる町 バース
ロンドンから西へ150K 電車でバディントン駅から1時間30分
イギリスではロンドンに次いで観光客の多い町で1989年世界遺産に登録されている

まずはちょっと郊外のロイヤルクレセント
バースの温泉はなやかな頃(15世紀)当時の貴族たちのための長期逗留用集合住宅
日本流にいえば長湯治用の館だ
全体的に大きな三日月の形になっているのでクレセント(三日月)といわれる
この真ん中辺りはホテルになっていて泊まることが出来る(4万円~5万円)
少し小高い場所に立っているので屋上あたりから見るバースの眺めは最高だ

バース観光
この町はかって「高慢と偏見」を書いたジェーン・オースティンが住んでいた

15世紀ジョージ王朝時代の貴族たちによって整備された優美な街並みは今でも洗練された雰囲気を与えてくれる 街の建物は建築家ジョン・ウッド親子の手によって四角形(スクエア)三角形(クレセント)円形(サーカス)になったりとユニークな形のものが多い

バルトニー橋 橋の両側は商店になっていてフィレンツェのベッキオ橋に似ている

バース大聖堂の隣がローマンバス博物館だ(入場料15£) なんでも温泉の排水工事の時偶然ローマ時代の風呂の跡が完全な形で見つかったらしい(1880)

PUNP& ROOM アフターヌーンテイー
その博物館の中(外から入れる)にあるPUNP&ROOMは保養地だったころの社交場で現在では庶民の我々にも入れる ここでアフタヌーンティーを頼んでみた このアフタヌーンティーはシンガポールのラッフルホテルで食べようと思ったが余りにも高額すぎて諦めた代物で最初に行ったクレセントホテルのロビーで食べると68£もする おそるおそる値段を聞いてみると28£といわれ安心して注文する ピアノの生演奏を聴きながら英国紳士に連れられたレディやレディたちの会話が心地よく響く しかも ここの窓からローマ風呂の全貌が一望出来る (ちなみにローマンバス見物には15£かかる)また温泉のお湯を飲むことが出来る いかにもまずそうなので辞めたが・・・

ところで僕がトイレに立った時ひっくりかえったのだが その時近所の紳士諸君が一目散に駆け寄り助けてくれた もちろん店の従業員も助けてくれたが紳士たちの行動の方が早かった 支払いはテーブルのうえに幾らかのチップを入れて30£払った

レイコックへ(24k)

向かうバスの道路の両側はずーっと牧場になっていてヒツジが一杯いた
この辺りは昔から羊毛の産地でレイコック村も紡績で栄えていた ところが産業革命が起り紡績業は新たな自動織機を駆使するマンチェスターあたりに取って代わられこの村から若者は出て行き 残った老人たちには改築の金も意欲もなく 栄えた時代のままの姿が現在まで残ってしまって「18世紀で止まった村」となった 石材で拭いた屋根は石灰岩を使っているので水がたまると水を通してしまうため急勾配にでできているのが特徴である 近年ハリーポッターの映画のロケ地となりハリポタ信者にとっては言わば聖地となった
しかし僕はどちらかと言うと熱心な本の読者でもなく映画も洋画劇場あたりで流し見をするくらいで興味も殆どなく見てまわることになった
特にレイコック寺院は「秘密の部屋」を本格的にロケしたところだそうでいわば聖地だ

グロスターへ(89K)

グロスター大聖堂 
ここの回廊もハリポタロケ地で「賢者の石」の学校の場面をここで撮影したという

近くのカントリー風のリゾートホテル ホールマークホテル グロスター泊
明日はコッツウォルズ地方へ

そういえばイギリスについて以来三日間 雨にも霧にも合わない
これは運がいいのか悪いのか

白鷺だより(192)イギリス日記 二日目

2017-01-27 18:37:27 | 日記
イギリス日記 二日目
1月19日

イングリッシュブレックファースト
目玉焼き ベーコン ソーセージ ベイクドトマト マッシュルーム ベイクドビーンズ ハッシュブラウン(じゃがいも) ブラック・プデイング(血が入ったソーセージ) 
以上のメニューが毎日続くのでさすがに3日目からシリアルに牛乳をかけて食べた
 
7.45~バス出発 カンタベリーへ(110K)

カンタベリー物語
 14世紀 イングランドの詩人チョーサーによって書かれた物語
 カンタベリー大聖堂への巡礼の途中でたまたま同宿した色々な職種の人びとが旅の退屈しのぎに自分の知っている話を語っていく「枠物語」の形式をとっている 登場人物は宿屋の主人を入れて24名である

カンタベリー大聖堂
AC597年 修道士アウグステインはローマ法王グレゴリーよりイギリスへのキリスト教布教を命ぜられ渡英します アウグステインはカンタベリーに修道院を建立 司祭座につくとイングランド初代のカンタベリー大司祭となった(セント・アウグスティヌス修道院跡)
AC1170 大司教トマス・ベケットがこの大聖堂の中で暗殺され その後「ベケットの奇跡」と呼ばれる不思議なことが次々と起こり 大聖堂はヨーロッパで最も重要な聖地の一つとして多くの巡礼者を迎えることとなった

カンタベリー大聖堂はイギリス国教会総本山として今も活動を続ける教会で 毎日礼拝が行われている 

11.00 
 ランチ フィッシュ&チップス こんなうまくもないものを食べている人種だ

ライ村へバス移動(82K)

RYEドーヴァー海峡を挟んでもっともヨーロッパ(フランス・カレー)に近い村
港町として栄えるが関税が上がると密輸 海賊に拠点に
栄えた頃の建物のママ現在まで残る
昼過ぎ温かくなると村のあちこちから老人が湧き出て来る バス停で日向ぼっこ
ヨーロッパの美しい村30選に選ばれたというが それほど美しいとは思えない

シーフォードへバス移動(61K)
道中ひつじの牧場が続く

シーフォードヘッド(石灰岩質のホワイトクリフ)
セブンシスターズ(切り立った白い崖の形が7人の乙女・修道女に見えるところから名付けられた)

バスにてサザンプトンへ(126k)

ダブルツリーバイヒルトンホテル サザンプトン泊ホテル食事                    二日目了

白鷺だより(191)イギリス日記(一日目)

2017-01-26 14:43:30 | 日記
イギリス日記 一日目

25年前の平成4年僕は一人でヒュースロー空港に降り立った
出来たばかりのシアタードラマシテイで翌年上演する「RETURNN TOFORBITONN PLANETTO」(「禁断の惑星への帰還」)の打ち合わせと下見の為だった
その頃ロンドンで大ヒットしていたこの作品はブロードウェイにも進出する話もきていた作品だがドラマシティ杮落し公演の「ミスター・アーサー」と同様「先物買い」のイメージであった 案の定さほどヒットもせず日本ミュージカル界にもなんの影響も与えずひっそりと終わった 

平成10年自由学園を卒業したばかりの娘のもと(18)が写真学校留学のためロンドンに一人で来た 卒業 帰国以来それから約20年その間ロンドン五輪の取材などで行ったことはあるが 今回は我々英語が苦手な二人の通訳兼カメラマンとしての参加である しかし本人はいわば「原点回帰」の為という意味合いが強いようである

1月18日
9・00~伊丹発
羽田のANAラウンジで娘とドッキング
一緒に行動するメンバーは6夫婦と単独男性と娘の15名

11・40~羽田発 飛行時間12時間半
機内食は2回 あとはひたすら映画鑑賞
同じビジネスシートには芝居の勉強か某有名男優のご子息が乗っていた

マダム・フローレンス 夢見るふたり」 メリル・ストリーブ ヒュー・グラント
1940年代ニューヨーク社交界のトップマダム・フローレンスは本人純粋なまでの音楽好きでそのために出費も惜しまず いつか自分もソプラノ歌手になる夢を持っているが自分が音痴であることを知らない 夫は彼女の夢を実現すべく腕のいいボイストレーナー兼ピアニストゴメス(サイモン・ヘルバーグ好演)を雇い小さなリサイタルを開く すべてのマスコミを買収したおかげで好評 気を良くしたマダムはこんどはカーネギーホールで開くと宣言・・・しかしこのマダムには音痴とは別の大きな秘密があった

「君の名は。」大ヒットした映画 こういう機会でしか見れないと思い見た 大ヒットの理由が判らない
 
「CAFE SOCIETY」ウディ・アレンの新作 1930年代のハリウッド内幕もの いつものユダヤ人の生活ぶりが克明に描かれる 大量の有名人が名前だけ出演するのもミソ
ハリウッド映画プロヂューサーのおじを訪ねて就職した主人公は夢破れ恋も破れ(なんとおじと三角関係)ニューヨークへ逃げ帰るがそこでカフェを開き成功する そしてハリウッドからやってきたおじとかっての恋人と再会するが・・・・

{Genius} 「ベストセラー 編集者バーキンスに捧ぐ」という邦題だった
1920~30年代有名だったトーマス・ウルフという作家と彼を作った編集人との葛藤を描いた作品で この編集人は「華麗なるギャスピー」やヘミングウェイの著作を世に出した男で トーマス・ウルフは「天使よ故郷を見よ」「時と川について」「汝再び故郷に帰れず」「くもの巣と岩」の四作品の長編小説のみ残した作家で日本では米文学を専攻した人しか知らない作家ではある 彼の愛人でパトロンだったアイリーン・バーンスタインは当時有名な演出家であった この三者が入り乱れての葛藤の映画である

[MISS STEAVENNS] 主人公は高校教師で演劇祭に参加する生徒を引率する話 主役のリリーレーヴもいいとは思えない 
この話は日本では受け入れられない

12時間半ひたすら食事と映画鑑賞とシートを並行までに倒しての睡眠でそんなに長さを感じないビジネス席であった

15;25 ロンドン着

このバカでかいヒュースロー空港に二度目の到着
今回は車椅子をお願いしたのでインド系の空港職員に押してもらってターミナルの拠点へ
そこから電動自動車に乗り換えて入国審査場まで一気に 他のみんなは歩いて一時間近く歩いて さらに入国審査も「FAST」の方へ並べる さて25年前は黒人の審査員に早口にまくしたてられ立往生したが 今回は一行全員での審査で簡単に
25年前は陰気で真っ暗な空港だったが今はオリンピックも通過して明るくなっていた

バスにて
クロイドン(CROYDON)ロンドン南東にある小さなベッドタウン 
クロイドンパークホテル泊

クロイドン駅前まで歩く コンビニを探索 
駅前の「サブウエイ」でサンドウィッチを買って(あまりにも大きくてハーフ)部屋で食べて寝る