まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.生まれ変わったら何になりたいですか?

2016-06-29 14:46:05 | 哲学・倫理学ファック
相馬の看護学校の 「哲学」 は実習の関係でまるまる4週間空いてしまいました。

その間、看護教員養成講座や福大の 「倫理学概説」 でいただいた質問にばかり答えていましたが、

明日から相馬の看護学校の授業が再開されるので、

相馬でいただいていたご質問に久しぶりにお答えしてみたいと思います。

今回は 「生まれ変わったら何になりたいですか?」 という質問です。

この問い、すでにお答えしたことがあったような気がしていたんですが、

ブログ内検索してみたところ、ちょっとずつニュアンスの異なる質問にはお答えしていたものの、

ズバリこのままの問いには答えていなかったようです。

生まれ変わったら何になりたいか、ですか…。

ふーむ、まずは前提としてここ↓に書いたことを踏まえておいていただきたいと思います。

  「Q.人は死んだらどこへ行くのだと思いますか?」

要するに、例の5個の選択肢のうちの1番目 (=「A.何もなくなる」) を信じているわけです。

ですので 「B-c.別の人間や動物として現世に生まれ変わってくる」 とは信じられないのです。

なぜ輪廻転生を信じられないのかについてはこちら↓にもう少し詳しく書いておきました。

  「Q.人間は死んだらコオロギになると思いますか?」

というわけですので生まれ変わり自体を信じていないというのを前提に、

以下のお答えは読んでいただければと思います。

あと、何に生まれ変わりたいかではなく、もうちょっと限定してこんな質問もいただいたことがあります。

  「Q.生まれ変わるなら男と女どちら?」

ここで書いたのは、できれば女に生まれ変わりたいけれど、

ただ生まれ変わっちゃったら男と女を比べることができないので、

男のときの記憶を保ったまま女に生まれ変わりたい (入れ替わりたい) ということでした。

先のコオロギの記事でも似たようなことを問題にしていました。

コオロギに生まれ変わってきたときに前世の人間のときのことを覚えているのだろうか、と。

けっきょく生まれ変わり説 (輪廻転生説) の1番の問題はそこだと思うんです。

前世の記憶があるのかないのか?

もしも前世の記憶がないのだとしたら、たとえ生まれ変わってきたとしても、

生まれ変わってきたということがわからないわけですから、

主観的にはそれが初めての生ということになるわけです。

すると前世と現世を比べることができないので、何に生まれ変わってこようが関係ないですよね。

とにかく私としてはせっかく生まれ変わってくるのであれば前世と現世を比べてみたいんです。

男として生きることと女として生きることの違いを。

人間として生きることとコオロギとして生きることの違いを。

それを比べることができないのだとしたら、生まれ変わってみても何にも面白くないじゃないですか。

というわけで今回の質問には以下のようにお答えしたいと思います。


A.もしも生まれ変わったら、何でもいいので前世の記憶を保持している存在者になりたいです。


うーん、今回も哲学的な答えだったなあ。


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