まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

島薗先生の思い出

2012-03-28 12:00:24 | 教育のエチカ
先日、福島大学で 「放射能災害と被曝リスク ~原発事故から一年、リスクはどう語られてきたか~」
というシンポジウムが開催されました。
週末は上京する予定だったため、参加できないと思っていましたが、
けっきょく風邪をひいてしまい上京できず、しかし思いのほか風邪は軽くすんだので、
急遽参加してみることにしたのです。
内容にも関心がありましたが、一番惹かれたのは島薗進先生が講師として呼ばれていたからです。

島薗先生は宗教学では有名な東大の教授でいらっしゃいます。
その先生がなぜ原発問題で呼ばれているのかと若干不思議でしたが、
もともと医学を目指していたこともあり、生命倫理という観点からこの問題に関心をもっていたのと、
被災地の寺院をはじめとする宗教界の皆さんとのつながりがあって、
原発問題に真剣に向き合い発言してきているうちに、こういうポジションになったとのことでした。
放射線問題に関する専門研究を自ら広く詳しくリサーチした上で、
学者として今何が言えるのか、何を言うべきかを丁寧に話してくださり、
たいへん勉強になりました。

が、私は原発問題とは別に、個人的に島薗先生にお会いしてみたいと思っていました。
できれば懇親会かなにかで直接お話ししてみたいと思っておりました。
というのも、私にとって島薗先生はある意味で恩師に当たるからです。
といっても私は先生の講義を1回お聴きしたことがあるだけです。
それは1980年代の初頭、私が東京外国語大学で学んでいたときでした。
私が2年生になって以降、島薗先生は外大に着任され、
一般教育だったか専門教育科目だったか忘れましたが、
島薗先生の 「宗教社会学」(だったような気がする) が初めて開講されることになったのです。
私はロシヤ語学科の学生としては激しい落ちこぼれ (当時すでに留年ずみ) でしたが、
自分の興味ある授業に関しては1回もサボらず打ち込む優等生でした。
自分が取りたいと思って主体的に取った授業はたぶん全部 「優」 だったと思います。
ただそういう授業があまりにも少なかったんですよね。
(それは大学のせいでも先生方のせいでもなく、まったく自分自身の問題でしたが…。)
で、島薗先生の 「宗教社会学」 はそういう数少ない科目のうちのひとつだったわけです。

その授業の中でレポートの課題が出されたことがありました。
たしか、「宗教社会学」 は通年科目だったので (というか当時の外語大の授業はすべて通年)、
夏休みの宿題かなにかで出されたんだろうと思います。
宗教に関する本をなんでもいいから一冊読んでレポートを書いてこいという課題でした。
それに対して私は、当時創価学会に入信していたので (爆弾発言ですか? これについてはそのうち)、
牧口常三郎 『価値論』 を読んでレポートを書くことに決めました。
牧口常三郎という人は創価学会の前身である創価教育学会を創設した人です。
その人の価値論ですから、ある種、創価学会の根幹的教義を含んでいるといってもいいでしょう。
それを熟読してレポートを書いたのです。

それまでほかにもレポート課題を出されたことはありましたが、
どれも自分にとってはあまり興味なく、いわゆる大学生らしくテキトーに書いていました。
しかし、このレポートは書くのがとても面白かったのを覚えています。
講義のなかで新宗教が生まれてきた背景とかを聞いていましたので、
その講義内容を思い出しながら本を読むことができ、
それを踏まえて自分なりに、本に書いてあることを分析できるような気がしたのです。
で、けっきょく、『価値論』 にはもともとの仏教に由来する思想と、
その一派としての日蓮正宗に由来する思想と、
牧口固有の、すなわち、創価学会固有の思想という三層が存在しており、
その3つは完全に一体のものとして融合はしておらず、
相互に矛盾を来しているのだが、牧口はその矛盾を看過している、
みたいな大レポートを書き上げました。
レポート用紙何枚以上という規定をはるかに超えて相当詳しく書いた覚えがあります。
今から思うと、これは私の人生の中で初めて書いた研究論文だったように思います。
もちろん学部の2年生だか3年生ですから素人に毛の生えたようなものだったでしょうが、
主観的には、卒論よりも先に書いた初めての論文 (たんなるレポートではない) だったのです。

さて、この夏休みのレポートはだいぶ経ってから返却されることになりました。
レポートを返却してくれる先生もそれほどいませんでしたので、
返ってくるということ自体が新鮮でした。
ひとりひとり名前を呼ばれて前に出て行き、島薗先生から直接手渡されます。
私も呼ばれて受け取ってみると、表紙に 「S」 と小さく朱書されています。
これってAよりもいいって意味なのかな? と怪訝そうにしていたところ、
先生からこんなふうに聞かれました。

「これ、本当に君が書いたの?」

こんなことを聞かれて本来なら憤慨すべきだったのかもしれませんが、
私はぼそぼそと 「ええ、まあ」 とか答えながら、
内心ものすごく歓喜にうちふるえていました。
大学の先生に、本当に自分で書いたのかって聞かれるってことは、
それが疑わしく思えるくらい、そのレポートは良い出来だったということではありませんか。
自分で書いた (しかもあれだけ苦労して書いた) ということを自分ははっきりと知っていますから、
先生がどこまで本気で疑っていようとこちらの知ったことではありません。
ただ、このレポートがそこまで評価されたんだということだけをポジティブに喜んでいました。
まだほんの一歩にすぎませんし、その後の道がはっきりしていたわけでもありませんが、
本を読み、自分の頭で考えて、文章を書くということの楽しさを知った最初の経験でした。

シンポジウムのあとの懇親会で島薗先生と直接お話しする機会を得て、
このときの話を先生にしてみました。
すると、先生はこうおっしゃいました。

「あれは学生に評判が悪いからやめましたよ。」

やはり先生はよくできたレポートを返却するときはいつもあの疑問文をつぶやいていたのでしょう。
そう言われて私みたいに素直に喜ぶのはたぶん少数派なのかもしれません。
受け止め方の問題ですね。
学生のやる気を引き出すためには、今だったらきっともうちょっと上手い伝え方があるのでしょう。
しかし、当時の私にとっては、島薗先生の 「これ、本当に君が書いたの?」 の一言は、
谷岡先生がのだめと千秋にやらせた連弾みたいな、
のちのちの人生を左右する大きな転換点だったのです。
たぶん先生はまったくご存じないかもしれませんが、私にとって島薗先生は恩師のひとりです。
先生、本当にありがとうございました。

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