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まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

久しぶりのディスプレイ交換

2015-12-05 11:17:29 | 幸せの倫理学
今年の1月末にこんなディスプレイにしているという記事を書きました。



お正月用のディスプレイにするのもめんどくさいので、

日本酒セットをいろいろ並べて擬似正月的な雰囲気にしてみたという記事です。

そもそもあのときも本格的なディスプレイとしてではなく、

とりあえずその場しのぎのディスプレイとしてあれを飾ってみたわけですが、

なんと、その後まったくあれを新しく陳列し直す余裕のないまま年末を迎えてしまいました。

いつもでしたら毎月とは言わないまでも、季節の変わり目ぐらいには替えていましたし、

雛祭りには雛飾り等、シーズンを感じさせるようなディスプレイにしていたんです、今までは。

ところがこの1年はずーっとプチうつ状態でしたから、

まったくこれを何とかするという気になりませんでした。

というわけで、ほぼ1年間ずっと日本酒セットのままここをほったらかしにしてきました。

しかしながら先日の大掃除で少しだけ生きる気力というか、

部屋の中を片づけたり飾ったりする心の余裕が出てきました。

そこで12月にも入ったことですし、思い切ってクリスマスディスプレイに替えることにしました。

クリスマスディスプレイは雛飾りに比べるとそんなに大変なことではないのですが、

それよりもほぼ1年間ずーっと飾りっぱなしだった日本酒セットを、

次にいつでも実用に供せるようにちゃんと中まで洗っておくことのほうが大変です。

逆に言うとそれが面倒くさいからこれまで飾り替えをやる気になれなかったのかもしれません。

今回は台所もキレイになったばかりでしたので、それに挑戦してみる気になったのでした。

やってみるとやはり大変なのは洗い物のほうで

ディスプレイの並べ替え自体はあっという間に終わりました。

こんな感じです。



例年、並べるものは同じですのでそんなに目新しい感じにはできません。

ま、クリスマスはこれにあとは部屋の中にクリスマスソングが流れていれば十分ではないでしょうか。

このいつもの階段箪笥だけでなく、一気に玄関もクリスマスにしておきました。



昨年いただいたクリスマスリースです。

このクリスマスリースをぶら下げる用の頂き物のハンティング・トロフィですが、

実際に玄関に飾ってみると思いのほか電池の消費量が激しいです。

LR44という小さいボタン型乾電池を3つも使うのに、

しかもドアの開閉時にしか点灯しないにもかかわらず、1ヶ月くらいで電池が切れてしまいます。

さすがに電力のムダということで、年明け早々電池が切れて以来そのまま放っておきましたが、

せっかくのクリスマスですので、今回1年ぶりに電池も替えて点灯させてみました。

やっぱりこいつが光っているとちょっと雰囲気が違いますね。

しばらくは自宅でもルンルンのクリスマス気分を楽しんでみたいと思います。

Q.自分が人に与えている印象はどんな感じだと思いますか?

2015-09-22 17:33:14 | 幸せの倫理学
こういう質問は初めていただいたような気がします。

これにお答えするのはけっこう難しいです。

というのも人によって私に対して抱く印象はだいぶ違っているだろうと思うからです。

ただ、今回の質問は初回の授業のときにいただいた質問ですので、

たぶん初対面の人に与えている印象のことを聞かれているのだろうと思います。

別の方からはもっと直截にこんな質問も頂戴していました。

「Q.初めて先生を見たとき怖そうと思ってしまいましたが、怖いと言われたことはありますか?」

そうなんですよ。

私、初対面の人に印象サイアクなんですよ。

別に初めて会う人にことさら厳しく接しているつもりもないし、

カッコつけてスカしてるわけでもないんですけどね。

というわけで今回のお答えは端的に次のようになります。


A.初対面の人にはよく 「怖そう」 とか 「冷たそう」 とか 「近寄りがたそう」 と言われます。


なんでそんなふうに思われるんでしょうか?

人見知りだからかなあ?

これは質問に対する答えではなかったんですが、以前にブログにこんなことを書いたことがあります。

自分は学生にとってタッチャブルな人間でありたいのだ、と。

アンタッチャブルが 「近づき難い」 という意味だとすると、

タッチャブルはその正反対で、「近づきやすい」、「手が届きやすい」 という意味になります。

で、たぶん私のことをよく知っている人は私のことをタッチャブルと思ってくれていると思います。

それを彷彿とさせるエピソードも以前にブログに書いたことがあります。

だからふだんの私はどちらかというと、近寄りやすい、

あまり尊敬できるところのない人間だと思うのです。

ぶっちゃけ体質で何でもざっくばらんに話をする、なんていうことも書いたことがありますしね。

ただ、その同じ記事に、だからこそ初対面の人相手のときは適切な距離を保とうと努力している、

とも書きました。

そこらへんの距離の取り方がまだ下手っぴなのかもしれませんね。

最初っから失礼を働いてはいけないという思いが行き過ぎて、

結果、「怖い」 とか 「冷たい」 とか 「近寄り難い」 という印象を与えているのかもしれません。

まあでもそれくらいでちょうどいいのかもしれませんね。

どっちみち少し付き合えばすぐに無礼講になってしまうわけですし、最初から馴れ馴れしいよりも、

初対面のときとのギャップがあるくらいのほうが相手に強烈な印象を残せるかもしれません。

もちろんそんなことを最初から狙っているわけではなく、あくまでもただの人見知りなのですが、

初対面で誰相手でも一気に距離を詰めてしまえるイタリア人タイプよりは、

若干の奥ゆかしさを感じさせる古風な日本人タイプでむしろよかったかもと思います。

看護学校の皆さんももうすでに私のことを怖そうだなんて思ってないでしょ?

ほんの数回の付き合いでそう思ってもらえるなら、それで十分じゃないかなと思うのでした。

これで一緒にお酒を飲んだりするとよりいっそうタッチャブルなことがわかってもらえるはずですが、

残念ながら未成年の皆さんとはまだご一緒することができません。

卒業してまだ私のことを覚えていたらお声がけください。

おっと、そういえば今日は卒業生と飲み会だった (看護学生ではなく福大生)。

こうやってシルバーウィークに東京で働いている卒業生に声をかけてもらえるというのが、

タッチャブルな証かもしれないけれど、せっかくだから今日は終始教授らしく、

政治や社会情勢などの難しい話とかして威厳をもって振る舞ってみようかな (笑)。

Q.1年の中で一番好きなイベントは何ですか?

2015-09-11 23:18:51 | 幸せの倫理学
こんな質問も初めていただきました。
1年の中で一番好きなイベントですか、うーん何でしょう?
子どもの頃だったら間違いなく誕生日でしたね。
特に私は長男だったのでそれは盛大なパーティを開いてもらっていました。
(実はこれには後に述べるような落とし穴があったのですが…)
しかし、さすがに大人になって親元を離れ、さらに福島で単身赴任生活を始めるようになってからは、
誕生日というのはそれほど特別なイベントではなくなりました。
やはり誕生日は、親や親戚の皆さんからたんまりとプレゼントをもらえるから楽しいのであって、
大人になってくるとこちらがあげるばっかりで、もはやプレゼントなんてもらえなくなるし、
そもそも本当に欲しい物は自分で買ってしまいますから、もらいたい物もなくなってくるのです。

誕生日じゃないとすると何が一番好きなイベントでしょうか?
高校から大学にかけての頃は、年末年始にやはり親戚たちが集まってきて、
大晦日から元旦にかけて麻雀大会が開かれたりして、それはけっこう楽しいイベントでした。
しかし、それも今は昔。
雀牌を握らなくなってからどれくらい経ったでしょうか?
私が福島に来てからはそんなイベントはまったくなくなってしまいました。
最近は年末年始の集まりも、親ではなく長男である私が主催者となりましたので、
あれやこれやと気疲れするばかりであまり楽しいイベントではなくなってしまいました。

うーん、そんなふうに考えると何が1年の中で一番好きなイベントなんでしょうか?
友人たちとの飲み会は楽しいイベントですが、それは1年のうちに何度も開催されますから、
一番好きと言えるようなものではありません。
忘年会とか歓送迎会が他と比べて特に楽しいということもありませんし…。
以前に 「てつがくカフェ@ふくしま」 の2次会のときが一番幸せだと書いたことがありますが、
あれも毎月開催されていますので、1年で一番ではないですね。
歳を取ってくるともう1年で一番みたいなのはなくなってしまうのかもしれませんね。
むしろ、「1年で一番楽しいイベントは何ですか?」 なんていう質問を思いつく君たちが羨ましいです。
それでもムリヤリ考えてこうお答えしておくことにしましょう。

A.この歳になるともう1年で一番楽しいと言えるようなイベントが特にあるわけではありませんが、
  子どもの頃の楽しい思い出をかき立ててくれるという意味で、
  クリスマス気分に浮かれている時期が1年で一番楽しいかもしれません。

先日のインデックスのなかで誕生日はいつですか?という質問に答えておきました。
12月28日と、本当に年も押しつまって生まれたわけです、私は。
おわかりの通り、クリスマスのすぐ近くです。
なので我が家では、クリスマスパーティと私のバースデイパーティとが同時開催されていました。
妹や弟のバースデイパーティよりもはるかに大規模に開催されていましたし、
妹や弟もクリスマスプレゼントをもらうのですが、
私のプレゼントはそれらとは比べものにならないくらい豪華な物でした。
ちっちゃいまーちゃんは、自分が長男だから特別扱いされているのだとずっと信じていましたが、
相当大きくなってから、それは誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが合体していたからにすぎず、
妹や弟は別々に2回もらっていたということに気づいてものすごいショックを受けたことがありました。
(自分が今までそれに気づいていなかったということが一番ショックでした。)

それはさておき、私にとっては誕生日とクリスマスは合体したものでしたから、
世間がクリスマス気分に盛り上がっていく頃というのは、
自分にとっての年間で最高のイベントが近づいてくる時期であり、
いやがおうでも心が浮き立ってしまっていました。
そして、大人になって自分の誕生日がそれほど待ち遠しくなくなったあとも、
12月に入って街中にクリスマスソングが流れている時期というのは、
特にクリスマス (あるいはイヴ) や誕生日のイベントが予定されていなくとも、
あいかわらずウキウキした気分になるのを禁じえません。
昨日紹介した 「My Favorite Things」 のシリーズでも、
苺のショートケーキよりも前の第5回目において 「クリスマス」 を取り上げています。
実は苺のショートケーキも、味そのものというよりは、
クリスマスの思い出と結びついているから好きなだけなのかもしれません。
ですので、今日の質問に対する答えはやはりクリスマスということになるでしょう。
(厳密にはクリスマスというイベントそのものが好きなのではなく、
 クリスマス気分が盛り上がっていく12月のあの時期の雰囲気が好きなだけですが…)
毎年クリスマスが近づいてくると、一人暮らしをしている我が家も、
室内にはこんなディスプレイをしたり、



玄関ドアの外にはこんなものを吊り下げたりしてクリスマス気分を盛り上げています。



人前では慎むように心がけてはいますが、ふと気づくとクリスマスソングを口ずさんでいます。
もちろん、誰を招待したわけでもない室内ではクリスマスソングのCDが流れっぱなしですし…。
まだちょっと気が早いですが、でももうすっかり秋も深まってきましたし、
すぐに冬が来て、あとはクリスマスに向けてカウントダウンということになっていくのでしょう。
それでは皆さん、クリスマスへの思いを込めてご一緒にぃ
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white

ハッピーピーポー

2015-07-17 16:49:36 | 幸せの倫理学
国民のこれだけの反対の声のなか、国民の理解が進んでいないことを自認していたにもかかわらず、

けっきょく安保関連法案は衆院本会議でも強行採決されてしまいました。

ま、強行採決は今日に始まったことではありませんので、

2014年末の衆院選の選挙結果が出た時点でこうなることはわかっていました。

むしろまだ憲法が改悪されてしまってはいないということのほうが驚くべきことなのかもしれません。

なんにせよ 「茶色の朝」 がいよいよ 「暗黒の朝」 に移行しつつあるようです。


こういうときは面白ブログでも見て空元気を出そうと、

「うちの3姉妹」 なきあとの松本ぷりっつ先生の公式ブログ、

「おっぺけですけどいいでそべつに。」 を覗いてみました。

最新作の2本が秀逸だったのでシェアしておきたいと思います。


「ハッピーピーポー」

「で、長女の部活はというと。」


3姉妹の長女フーちゃん、あいかわらずぶっ飛んでいます (次女のスーちゃんも負けてはいない)。

幸せそうだあ。

これだけ暗いニュースばかりだと、

私もすべてを忘れてこんなふうに生きられたらなあと憧れてしまいます。

いやいや、いかんいかん。

ここで弱気になってる場合ではない。

そんなことしたらフーちゃんたち若い世代の幸せが丸ごと奪われてしまう。

私たち大人がここで踏ん張らなければ

Q-2.先生はどんな盲点の窓を指摘されたことがありますか?

2015-04-30 00:31:55 | 幸せの倫理学
先日の修正質問の後半部分です。
私が指摘された盲点の窓は何かというご質問でした。
長く生きているといろいろあるのですが、とりあえずパッと思いついたものだけ。
いいものと悪いものを1つずつ披露しましょう。
まずいいほうです。

これはうちの学生たちや、特にゼミ生には全員に勧めているのですが、
「ストレングス・ファインダー」 というものがあります。
皆さんも就活前にはぜひやってみることをオススメします。
『さあ、才能 (じぶん) に目覚めよう』 という本を買うと、ウェブサイトへのアクセスI Dが付いてきて、
ウェブ上でたくさんの質問に答えていくことによって自分の強みの上位5つを診断してもらえるのです。
まずは本を読み、34個ある強みのなかで自分の上位5つはどれかを予想してみてください。
うちの学生たちにもそういうふうにさせています。
そのあとでウェブ診断をしてみると、もちろん自分の予想通りのものもあるのですが、
まったく自分が予想していなかったものが上位5つのなかに入っているのです。
今までいろいろな学生にやってもらいましたが、予想通りだった人は1人もいません。
必ず予想外のものがランクインしてきます。
というのも、自分の強みというのは自分にとってはできて当たり前の力ですから、
ふだん自分ではとりたてて強みだとは意識できずにいるのです。
そんなのは誰でもできることだろうと勝手に思い込んでいて、
特に有り難いものとも思っていないのですが、
他の人から見るとそれはまさにあなたにしかできない強みなんですよ、ということがありうるのです。
まさに 「盲点の窓」 ですね。

私の場合は 「着想」 というのが第1位の強みで、それはまったく予想していなかったものでした。
着想、つまり、新しいアイディアを思いつく力ということですね。
これは本当に盲点の窓でした。
本を読んで 「着想」 のところを読んでいてもまったく自分のことと思っていなかったのです。
しかし、それをストレングス・ファインダーによって指摘されてみて、
それを意識して自分のことを振り返ってみると、
まさに自分は着想の人間であったということに気づくことができました。
このことに気づいてからは今まで以上に生きるのがラクになりました。
というわけで、まずはこういうふうにまとめておきましょう。

A-2-1.私のいいほうの盲点の窓は、着想が得意であるということです。

次に悪いほうの盲点の窓です。
これもいろいろあるのですが、たまたま13期生のある方からこんな質問をもらっていました。

Q-3.多動症ですか?

この質問、すごいですよね。
多動症だと思ったからこその質問であって、そう思わなかったらこんな質問思いつきませんよね。
こんな質問は初めていただきました。
これってなんとお答えしましょうか。
質問者の方がどんな意味合いでこの質問をしてくれたかにもよりますね。
とりあえず、マジレスしておきましょう。

A-3.ちゃんと診察を受けたことはありませんが、発達障害、行動障害のひとつとされる、
    いわゆるADHD (注意欠陥・多動性障害) ではないんじゃないかと思います。

そういう病的な意味での多動症ということであれば、たぶん違うんじゃないかなと思います。
ただ質問者の方は注意欠陥のほうには触れずに、多動症のことだけを尋ねていました。
それでいうと実は思い当たる節があります。
相馬の看護学校ではありませんが、白河の看護学校でこんな質問をいただいたことがあります。

Q.授業中よく歩いているけど、歩くの好きなんですか?

今回の質問者もこれと同じような意味で 「多動症ですか?」 と尋ねられたのかもしれません。
その質問に対する答えのなかにも書いたことがあるのですが、
私は大学院時代、中萬学院という神奈川県の学習塾で働いていました。
その研修のときに、私の模擬授業を参観した先生から、
「教壇でふらふら動き回りすぎ。こっちが気が散ってしかたない。ビシッと一箇所に立ってろ」
と注意されたことがあるのです。
私としてはまったく自分がふらふら動き回っているという自覚がなかったので、
これはまさに盲点の窓でした。
そういう意味ではたぶん私は多動症なんでしょう。
イスに座っているときはじっとしていることができるんですが、
立っているときはじっと静止していることができず、何かしら動き回ってしまっているようです。
これは見ているほうからしたらものすごく鬱陶しいんでしょうね。
というわけで、悪いほうの盲点の窓はこうなります。

A-2-2.私の悪いほうの盲点の窓は、授業中にじっと静止していられないということです。

そういえばこの質問者の方の前半の質問はこうでした。
「Q.他人から (ネガティブな) 盲点の窓を指摘されたら、それをどうとらえますか?」
この問いにはすでに一般論としてはお答えしたわけですが、
A-2-2の盲点の窓に関してどうしたかお答えしておきましょう。
まずは冷静に自分の行動を振り返ってみました。
するとたしかに自分は教壇でふらふらしているということがわかりました。
これは受講生からすると気になるだろうなあとも思いましたので、改善する努力をしました。
授業中は動くな、動くなと自分に言い聞かせ、できるかぎりじっとしているようにしました。
しかしながら、これはしばらく注意していれば直る類いのものではありませんでした。
ちょっと気を抜くとやっぱりまたふらふら動き回っているのです。
最初に指摘されてから30年、塾から大学や看護学校へと活動の場を変えたにも関わらず、
あいかわらず 「歩くのが好きか」 とか 「多動症か」 と言われているわけです。
事ここに至るともはや改善の努力によって何とかなるような問題ではないのでしょう。
というわけで今は、授業中にふらふら動き回るのは私の個性なのだ、と受け入れるようにしています。
受講生に迷惑をかけるので申しわけないという気持ちはありますが、
直そうとしたけど直らなかったんだもんしかたないじゃん、と開き直っています。

今どきの大学や専門学校の授業でこんなに板書を多用するのは珍しいだろうと思いますが、
それも実はこの盲点の窓と少し関係があります。
パワーポイントとかを見せる授業だとよけいにじっとしていなくてはなりませんが、
板書形式なら板書のためにあちこち動き回るのは許されます。
また、みんなにワークシートを書かせているあいだに、
私が机間巡視するフリをしながら教室中をふらふらしていてもそれはそんなに怒られないでしょう。
こんなふうに現在の授業スタイルは自分の弱点を理解した上で、
ふらふら動き回るのを正当化できるように作り上げてきたものなのです。
ネガティブな自分も受け入れ、それを他人にも許容してもらえるように何とか工夫する、
それが私の自分の盲点の窓への対処法です。
いかがでしょう、参考になりましたでしょうか。

Q.指摘された盲点の窓をどうとらえたらいいんですか?

2015-04-20 09:41:29 | 幸せの倫理学
先日、「Q.先生の盲点の窓は何ですか?」 という問いに対して、
盲点の窓は盲点なので自分にはわからない、というようなお答えをしたのですが、
それに対してその質問者の方から次のようなコメントをいただきました。

「先生講義でお世話になってます。
 先生の説明が下手ではなく、自分の質問が上手くありませんでした。すみません。
 先生の説明は講義でよくわかりました。
 改めて質問を訂正させてください。
 『自分が気づかない盲点の窓を他人から指摘された時、先生はそれについてどうとらえますか?
  特にそれが指摘されてあまりポジティブじゃない面を言われたら。
  よければどんな盲点の窓を指摘されたことがあるかも教えください。』
 講義の際、自分はグループのメンバーに指摘された盲点の窓が受け入れがたいものでした。
 しかし、指摘されているのだからそれを含め自分だと思うように努力します。
 お忙しいと思いますがお時間がありましたら回答をよろしお願いします。」

なるほど、そういう意味の質問でしたか。
私も問いを問い直す努力をせず、もらった質問を字義通りに受け止めて答えてしまっていました。
こちらこそたいへん失礼いたしました。
さて、質問は2つありましたね。

Q-1.他人から (ネガティブな) 盲点の窓を指摘されたら、それをどうとらえますか?
Q-2.先生はどんな盲点の窓を指摘されたことがありますか?

順番にお答えしていきましょう。
まず、盲点の窓は盲点だったわけですから、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、
指摘された当初はなかなか受け入れにくいでしょう。
とても自分のこととは思えないという場合が多いのではないでしょうか。
それがネガティブなことだった場合は、否認だけではおさまらず、
怒ったり鬱気味になったり、キューブラー・ロスの死の受容のような段階を踏んでいくかもしれません。
そこからどうやって受容していくか?

まずは、冷静になって自分を振り返ってみる必要があるでしょう。
本当に自分にはそういうところがあるのかどうか、
ふだんの言動を意識してみるといいと思います。
そうするとたいていの場合は、あ、ホントだ、自分ってこうだったんだと納得できるだろうと思います。
意外と自分のことは自分ではよくわかっていなくて、
まわりのみんなのほうがわかってくれていたりするものです。
それに気がついたら、あとはポジティブなものならそれも自分として受け入れればいいでしょう。
ネガティブなものの場合は、改善できそうなら改善するように努力すればいいでしょうし、
改善できなさそうなら、どうせ自分はこういう人間ですよと開き直るしかありません。

冷静に自己分析してみてもまったく当てはまらないように思えるという場合もあるかもしれません。
こういうときは厄介です。
指摘してくれたのがじっくり話し合えそうな相手なら、どうしてどういう場合にそう思ったのか、
具体的に聞いてみるといいでしょう。
それを聞いてみて納得できればOKですし、
ひょっとするとこちらの思いと相手の受け止め方がズレていて、誤解が生じているのかもしれません。
じっくり話し合えば誤解を解くことができるかもしれません。
ただし人間関係というのは基本的に 「受け止め方のゲーム」 ですので、
誤解した相手が悪いと思うのではなく、誤解させた自分に非があるのであって、
誤解された自分もそれはそれで自分であると思ったほうがいいでしょう。
その後は誤解を生まないような言動を心がける必要があるでしょう。

相手がじっくり話し合える相手ではない場合は、指摘した本人ではなく、
自分の身近な人 (しかも遠慮なくズバッと言ってくれる人) に聞いてみるといいでしょう。
こんなことを言われたんだけど、自分には本当にそういうところがあるのかどうか、と。
すると、その通りだと言われるかもしれませんし、
全然そんなことないよと言ってくれるかもしれません。
前者の場合は、受け入れるか改善するかの努力をしていきます。
後者の場合はいちおう一安心ですが、その場合もそのように誤解される原因がなかったかどうか、
その相談相手と一緒に反省会をしてみたほうがいいかもしれません。

なお、今回の話は基本的に善意の第三者による意見であることを前提としています。
ごくまれに、あなたはこういう人だよとわざと事実と違うことを言うことによって、
相手にそう思い込ませて相手を支配しようとする邪悪な人がいますので、
そういう人には近づかないようにしましょう。
万一そういう人に何か言われてしまった場合には、けっして1人で思い悩んだりせず、
身近な信頼できる人に相談してみることをお勧めします。

というわけでQ-1に対する答えを簡潔にまとめるとこうなります。

A-1.盲点の窓を指摘されたら、自分を振り返ったり、誰かに聞くなどして、
    自分に本当にそういうところがあるのかないのかをまずは確かめます。
    それが改善したくて改善できることであれば改善の努力をします。
    それがいいことであったり改善しようのないことであれば、
    開き直ってそれも自分なんだと受け入れるようにします。
    誤解に基づくものであったなら今後は誤解されないよう言動を改めます。

うーん、こうやってまとめてみると、当たり障りのないどうでもいい答えだなあ。
しかしまあ、私はこうやっていますということで。
もう十分長くなってしまったのでQ-2はまたの機会にお答えします。

1歳児の歩き方

2015-01-25 23:09:27 | 幸せの倫理学
福島に帰って早々 「シネマ de てつがくカフェ」 があったりとか、

その後忙しくて休筆してしまっていたとかで、すっかりご報告するのを忘れていました。

新年2日の絶不調新年会の翌3日は木村方の新年会が開かれました。

こちらの新年会は一昨年の秋に生まれた義理の甥っ子が1歳と3ヶ月を迎え、

トコトコ歩き出すような状態になっていたので、子どもが主役の新年会となりました。

頂戴した年賀状にはこんな写真が使われていました。



今どきのベビー服にはこんなのがあるんですね。

スウェット地の羽織袴的な召し物です。

お正月気分満点です。

しかも、立つことを覚えたばかりの甥っ子がまるで見得を切っているかのような奇跡のショットです。

新年会にもこの恰好で来てくれました。



よだれかけをしなければならないのが玉に瑕ですが、お年玉の意味もわからないだろうに、

この恰好でポチ袋を両手に練り歩く姿は歌舞伎役者顔負けです。

さらにお年賀の品もしっかり抱えて、何やら気難しげに品定めをしていらっしゃいます。



さて、この方なんですが1歳3ヶ月とは思えないような威厳を備えていらっしゃるんです。

1歳の誕生日にはまだ立ち上がることもできなかったくせに、

ほんの3ヶ月のあいだに尋常ではない歩き方を覚えてしまいました。

こうです。



なんと後ろ手を組んで歩くんです。

もうどこへ行くにもこの調子です。



後ろ手組んだままどこまでもトコトコ歩いて行ってしまいます。



これって歩きにくくないんですか?

左右の足の動きに合わせて左右の腕を振って歩くというのが、

人類の自然な歩き方ではないんですか?

子どもというのはまずは自然な歩き方を身に付けるものじゃないんですか?



まったく子どもらしくないこの歩き姿に 「教授歩き」 という呼び名が付けられました。

この教授歩きを前から見てみるとこんな感じですが、



いかにも教授っぽい威厳に溢れているではありませんか。

センター試験中に机間巡視をしている教授の先生方の姿とピッタリ重なります。

いつの間にこんな歩き方覚えちゃったかなあ?

ぼくだって彼の前でこんな歩き方した覚えはないし…。

なんだか将来が楽しみな1歳児です。

○○○にやさしいバースデイプレゼント

2014-12-28 13:06:51 | 幸せの倫理学
12月28日、誕生日を迎えました。

53歳です。

この歳になるともう誕生日がうれしいという感覚はありませんが、

健康を保ったままこの歳を迎えられたことに素直に感謝したいと思います。

実はある方から少し早めのバースデイプレゼントを頂いていました。

これです。



ティッシュペーパーの 「鼻セレブ」 は大ヒット商品ですが、こんな物も売っていたんですね。

知りませんでしたし、スーパーとかで見かけたこともありませんでした。

「鼻セレブ」 の姉妹商品だとするならば 「おしりセレブ」 ではなく、

もっとストレートに 「尻セレブ」 と命名すべきだったような気もしますが、

まあマーケティングのプロの人たちがちゃんと考えてマイルドな表現を選んだのでしょう。

これをくれた方はたまたま 「カワチ」 でこれを見つけて、

私のお尻の障害のことを思い出し、誕生日プレゼントにちょうどいいと買っておいてくれたそうです。

もちろんシャレで選んだのでしょうが、

私のお尻の穴のことまで思っていてくださるなんてたいへんありがたいことです。

たった4ロールしか入っていませんが、12ロール入りのものと同じくらいの値段がしたそうです。

さすがは 「セレブ」 です。

とてもじゃないけど自分では買えません。

「鼻セレブ」 も一度使ってみてものすごく気に入りましたが、

いつまで経ってもディスカウントされる気配がなかったのでその後は使えておりません。

他社の類似の商品に流れてしまっています。

これも自分で買うことはできないだろうなあ。

特別な日に (あるいは特別にお尻の状態が悪いときに) 大切に使わせていただきたいと思います。

さらにこんなオマケも付けてくださいました。



外出時携帯用の 「おしりセレブ」 です。

「シャワーがなくても、すっきりあそばせ」 だそうです。

素晴らしい!

外出時、シャワートイレが見当たらなくて本当に途方に暮れることがよくあるのです。

こちらは常に携帯して最悪の場合に備えたいと思います。

おしりにやさしいバースデイプレゼントをどうもありがとうございました

クリスマス・ディスプレイ2014

2014-11-28 14:50:50 | 幸せの倫理学
12月に入る前にディスプレイをクリスマス仕様に変更しました。

いよいよ私の大好きなシーズンの到来です



階段箪笥のディスプレイはまあ例年通りです。

今年は友人からクリスマスリースをプレゼントされたので、

それをどこに飾るかが一番の課題でした。

しかし、クリスマスリースといえばやはりここしかないでしょう。



うん、みごとです。

あのハンティング・トロフィがいい吊り下げ用フックになってくれました。

マグネット式ですがクリスマスリースの重みに負けることはありません。

こうして見てみるとシカではなくトナカイのように見えてくるではないですか。

いい仕事を与えられたな。

これから年内は家に帰ってくるたびにこのリースに迎えられるわけです。

家に帰るのが楽しくなるじゃないですか。

これ誰かに見せたいなあ。

久々にうちでパーティでもしようかな

『愛する人に東横インを』 見本誌完成!

2014-11-02 18:05:50 | 幸せの倫理学
一昨日の晩から発症した風邪、順調にプロセスを踏んでいて、

ノドの痛みは完全に治まりましたし、

サラサラダーダーの鼻水は粘り気のあるやつに変わってくれたので、

鼻づまり気味ではあるものの昨晩はようやく眠ることができました。

今後はセキとタンの時代に突入していくものと思われますが、

今日はまだ少しセキが出るくらいで何となく小康状態を保っていました。

この隙にと思って今日は一瞬だけ大学に出かけ、

それほど重大ではないけど急ぎの用事を足してきました。

そうしたら大学に宝島社からゆうメールが届いていました。

そうです。

あの 『愛する人に東横インをプレゼントしよう』 の見本誌が届けられていたのです。

ジャーン、これですっ



おおおっ、みごとに出来上がりました。

校正のときに全ページ見てはいましたが、やはり1冊の本として見ると感慨が違います。

写真では光の加減で背表紙が水色っぽく写っていますが、

実物の背表紙は白地ですので本屋さんで探すときにお間違えなく。

とても可愛らしい本です。

大きさは新書本より一回り大きいくらい。



私たちが岩波書店から出した 『高校倫理からの哲学』 のシリーズとほぼ同じか、

ほんのわずか小さくって厚さは3分の2くらい。



全174ページ。

写真やらマンガやら満載であっという間に読めてしまう感じの楽しげな本です。

ところがその最後に私の解説です。



「理解不能な他者に寄り添うとは」。

まじめかっ

まじめです。

私が書いた解説のキーワードは 「愛と尊敬」 ですが、この本を通読してみると、

本書全体を貫くテーマが 「愛と尊敬」 だったことがわかると思います。

どうです、読みたくなってきたでしょう。

11月7日 (木) 発売です

予約してでも買っちゃいたくなってきたでしょう。

税込み1,080円です。

「100パーセントの愛の物語」、ご堪能あれ

Q.どうしたら素直にありがとうと言えるようになりますか?

2014-10-11 13:54:35 | 幸せの倫理学
これは 「ありがたい話」 をした2回目の授業のときに頂いた質問です。
正確には次のように書かれていました。

「Q.ありがとうということが素直に言いたいのですが、シャイなのでハズカシイです。
   どうしたらいいでしょうか?」

今どきの若者とは思えないほどシャイな方ですね。
この質問に対しては2つの側面からお答えしてみることにしましょう。
ひとつは精神面です。
まずは人が自分にしてくれることを心底 「有り難い」 と思えるかどうかということです。
たとえほんのちょっとしたことであろうとも、人が自分のために何かしてくれるというのは、
自分にとっても相手にとってもまったく当たり前のことではないということ、
してくれないなんてことはいくらでもありうることだし、
相手は本当はそれをしたくないのかもしれない、
でもそこをムリしてがんばってやってくれたのかもしれない、
そんなふうに考えてみたことはあるでしょうか?
人間の社会のなかではほとんどたいていのことが文化として当たり前のことと定着していますが、
一度その当たり前という感覚を取っ払ってみましょう。
人は誰しも本能で何かの行動をするように定められているわけではありません。
特に人のために行うことは自然な行動ではありません。
なので、誰かがあなたのために何かしてくれたら、それは本当に有ることが難しいことなのです。
挨拶してくれるとか微笑んでくれるとか、そんなことですら当たり前のことではありません。
ましてや手伝ってくれたり助けてくれたり、一緒に何かをしてくれたら、
それは本当に有り難いことなのです。
そういう感謝の気持ちを心からもつことができたなら、
その行為に対して素直にありがとうと言えるようになるのではないでしょうか。

もうひとつは習慣的な問題です。
先ほどは心底感謝して心からありがとうと言いましょうという話でしたが、
今度はそんなに重たくしないで、軽い気持ちでどんどん使おうという話です。
特に友だちでも家族でもいいので、気軽に話しやすい人を選んで、
その人相手にどんな些細なことでもいいから何かにつけてありがとうと言うようにする作戦です。
「ども」 とか 「サンキュ」 とか 「おっ、ありがと」 みたいな軽いノリで、
ちょっとしたことに対して返すようにしてみましょう。
そうやって気安い人相手に軽~く感謝の言葉を口にする習慣を付けたところで、
ありがとうというのがハズカシイ相手にも言ってみるようにしましょう。
そもそもありがとうと言うのは恥ずかしいことではありませんし、
ありがとうと言われた人もそう言われて戸惑ったり照れたりすることはありませんから、
こちらが軽く口にしたらすんなり受け入れてくれるでしょう。
こんな感じでお互いの習慣にしてしまえば、気楽に言えるようになるのではないでしょうか。

どちらの方法がやりやすそうでしょうか。
好きなほうを選んで (あるいは両方をいっぺんに) 試してみてください。
この方法でダメならまた教えてください。
何か新しい手を考えてみることにいたします。

Q.自分ではペ・ヨンジュンと福山雅治に似てると思いますか?

2014-10-04 08:35:02 | 幸せの倫理学
A.どちらにもまったく似てるとは思いません。

この手の問題はブログ炎上の火種になりやすいので最初に断言しておくことにします。

この質問をした人はこんなふうに書いてくれていました。

「私は先生をペ・ヨンジュンと福山まさはるに似てると思いますが、ご自身は似てると思いますか?」

ペ・ヨンジュン問題については2度ほど書いたことがあります。

「Q.誰かに似ていると言われますか?」

「Q.先生はペ・ヨンジュンかリリー・フランキーに似てると言われたことがありますか?」

いずれも 「似ていると言われるか」 という質問でしたので、ありのままを答えておきました。

しかし、2つめの記事のコメント欄をご覧いただければおわかりのようにもう集中砲火です。

そして、その攻撃に対してお答えしておいたように、自分ではまったく似てるとは思いません。

たぶんペ・ヨンジュンが登場するまではメガネをかけた芸能人って、

脇役俳優かお笑い芸人くらいしかいなかったので、

メガネをかけているというだけで似ているかのような誤解が広がったのでしょう。

そして福山雅治ですが、こちらに関しては似ているなんて言われたのも今回が初めてです。

こんな質問は受けたことがあります。

「Q.福山雅治好きですか?」

私、カラオケの十八番が福山ですので、彼の曲はけっこう好きなのですが、

エロい歌い方が似てると言われたことはあっても、

外見に関して言及されたことはありませんでした。

福山に似てると言われると正直なところちょっと (どころでなく) 嬉しいですが、

いくらなんでもそれはムリがあるのではないでしょうか?

おそらくペ・ヨンジュン・ファンの騒ぎどころでなく、全国の福山ファンから苦情が殺到することでしょう。

ブログ炎上間違いなしだな。

繰り返し断言しておきますが、私は福山雅治にはまったく似てないと思います。

だってこのあいだはリリー・フランキーに似てるって言われたんですよ。

これで福山にも似てたら私一人で父になれちゃうじゃないですか (『そして父になる』)。

どれだけ否定しても、こういう質問を取り上げこういう記事を書いたというだけで、

たぶんまた炎上しちゃうんだろうなあとちょっとブルーになりますが、

似てると言ってもらえたことは嬉しかったです。

どうもありがとうございました

本多孝好 『at Home』 映画化決定!

2014-09-05 17:37:05 | 幸せの倫理学


大学生協の書籍購買部で本を見てたらこれを見つけてビックリしました。

なんと本多孝好の 『at Home』 が映画化されるそうですっ

と言われても、たぶんこの本そんなに有名じゃないと思うので、

フツーの皆さんはハァ?って感じかもしれませんが、ぼく的には大ニュースです。

ぼく自身、この本のこともこの作家さんのこともまったく知りませんでした。

私がよくこのブログの中で、血の繋がっていない親子もののお話が大好き、

と書いてるのを読んだ読者の方がこれいいですよと薦めてくれて初めて知りました。

読んでみたところみごとにどストライクでした。

4本の短編が収録されており、どれも擬似家族を扱った作品ばかりですが、

やはり巻頭を飾る表題作が群を抜いて秀逸です。

ちんけな空き巣の父親、ちんけな結婚詐欺師の母親、ちんけな偽造屋の長男、

母に代わって主婦役を務める中学生の長女、引きこもりゲーマー小学生の次男。

これだけでも十分に壊れた家族ですが、彼らはそれ以上の秘密を抱えているのです。

いいなあ。

とても好きな作品で、もう何度読み返したかわかりませんが、

しかしまさかこれが映画化されるとは思っていませんでした。

家族の物語ですし、そんなに派手な作品じゃないんですよ。

文庫本の4分の1の分量しかないから、それほど多くのエピソードが描かれてるわけじゃないし。

これをどうやって2時間の映画として見せるんだろう?

しかも竹野内豊が主演って?

お母さん役の松雪泰子はまあいい人選だなと思うんですが、

お父さんをそんなにカッコよくしてどうする? って感じです。

原作を読んだかぎりチビ・デブ・ハゲのお父さんを勝手に想像していました。

だって物語の冒頭、仕事から帰ってきて最初のセリフが 「あー、ちかれた、ちかれた」 ですよ。

竹野内豊にこのセリフ言わせる?

ぼくのイメージとしては、ちょっと歳取りすぎてるかもしれないけど、高橋克実みたいな人。

(お父さんは45歳、高橋克実は53歳、竹野内豊は43歳)

ふだんは情けないけど家族を守るためなら底力を発揮する人。

でもそれはアクション系のカッコよさというわけではない。

そういう人を竹野内豊でどう演じさせようというのでしょうか?

ホントに地味~なお話なんだけどなあ。

まあ、お手並み拝見といきたいと思います。

『ポテチ』 みたいな味のある映画になってくれるといいんだけどな。

(『ポテチ』 ってキリン絡みでしか取り上げてないけど、あれも血の繋がらない親子ものだよなあ)

来年公開予定だそうです。

楽しみというよりは不安や心配のほうが今のところ勝っているんですが、

(しかも小説読んでからの映画だし…

これは下馬評や当たり外れに関係なく劇場に見に行っちゃうだろうな。

私の不安を払拭してくれるような佳作に仕上がってくれますように。

本日、特別講義 「被災者支援から考える福島の今」

2014-07-14 06:21:27 | 幸せの倫理学
今日のイベントの告知を忘れていましたっ


「現代社会へのアプローチA」 特別講義
日時 : 7月14日 (月) 14:40~16:10 (4校時)
場所 : 福島大学 L4教室 
題目 : 「「心のケア」 をめぐるディスクール
       ~被災者支援から考える福島の今~」
講師 : 松田聡一郎
(精神保健福祉士、行政社会学部卒業生)
           ふくしま心のケアセンター 県中方部センター 専門員
           現在、郡山にて、被災者の支援活動に従事
参加自由
(もし大人数の場合、配布資料準備の都合がありますので、事前にお知らせ下さるとありがたいです)
問い合わせ : 加藤 (mkato@ads.fukushima-u.ac.jp)



講師の方、なんだかリッパな肩書きがついていますが、

よく見たら福大社交ダンス部創設者の松田君じゃありませんか。

卒業後いろんな経験を積んでいたけど今はそんなことをしていたんだね。

今日は1限から7限までパンパンに日程が詰まっているんだけど、

奇跡的に4限だけ空いてたから受講してみたいと思います。

どんな話を聞かせてもらえるのか楽しみにしています。

偉人の言葉 (その1)

2014-07-12 20:58:29 | 幸せの倫理学
そういえば中学校で講演会やったばっかりで (西袋中第一中)、

今もけっこう中学生が見てくれてると思うのに、

ここんとこノーブラの話スナックの話など、あまり教育的でない話ばかりでした。

そこで今日は中学生にも知っておいてほしい偉人の言葉を。

たぶんFacebookとかで出回ってるので知ってる人は知ってると思いますが、

Facebookだとすぐに失われてしまうので、ここに記録しておきたいと思います。


(以下、引用)

「おまえには無理だよ」
と言う人の言うことを聞いてはいけない。

もし自分が何かを成し遂げたかったら、
できなかったときに
他人のせいにしないで、
自分のせいにしなさい。

多くの人が、ぼくにも
「おまえには無理だよ」と言った。

なぜなら、
彼らは成功できなかったから、
途中であきらめてしまったから、
だから君にもその夢をあきらめてほしいんだ。

不幸な人は、
不幸な人を友だちにしたいんだ。

決してあきらめては駄目だ。

自分のまわりをエネルギーにあふれ、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。

自分のまわりを野心であふれ、
プラス思考の人で固めなさい。

近くに誰か憧れる人がいたら、
その人にアドバイスを求めなさい。

君の人生を考えることができるのは君だけだ。

君の夢が何であれ、
それに向かっていくんだ。

君は幸せになるために
生まれてきたんだから。

【マジック・ジョンソンの名言より】
 
(以上、引用おわり)


大人の言うことが何でも正しいと思ってはいけません。

たとえそれが自分の親や担任の先生でも。

信頼している友だちもひょっとするとあなたの足を引っ張ろうとしているかもしれません。

若いうちほどポジティブな言葉を言ってくれる人に耳を傾けたほうがいいと思います。

私の小学校のときの担任の先生は私たちに

「君も日本一になれる才能の持ち主だ」

と言い続けてくれました。

あなたのまわりにそんな人はいますか?

もしもいなかったらそういう本やブログを探しましょう。

とりあえず私のブログの 「幸せの倫理学」 のカテゴリーを読んでくれてもOKです。

そして大事なのは、あなた自身もまわりの人たちに対して、

ポジティブなことを言ってあげられる人間になることです。

やってみるとわかると思うけど、人間ってネガティブなことはいくらでも言えるけど、

ポジティブなこと言うのってけっこう難しいです。

自分自身がホントにポジティブな人間でないとポジティブなことって口にできないのです。

自分のまわりをポジティブな言葉で満たし、

自分の人生にポジティブに向き合える人間になって、

まわりの人にもポジティブな言葉をかけてあげられるようになってください。