まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.人間とは一言で言うと何だと思いますか?

2010-10-11 18:53:59 | 人間文化論
看護学校の第2回目の授業では、「人間とは何か?」 について考えてもらいました。
まずは各自、他の動物と比して人間はどういう特徴をもっていると思うか、
バーッと書き出してもらいます。
続いて、5~6人のグループに分かれて、お互いの意見を持ち寄って、
そのなかで人間の特徴として最も重要なものはどれかを話し合ってもらいます。
グループで1つだけ選んでもらうのですが、
そのついでに、一番ユニークな答えがどれだったかも選んで発表してもらいます。

そういうワークを毎年やっているのですが、
先週のワークシートでは同じ問いを私自身に突き返されてしまいました。
冒頭の質問のような形で尋ねてくれた人もいれば、
もっとストレートに、
「Q.先生は人間の重要な特徴とユニークな特徴についてそれぞれどのように考えますか?」
と尋ねてくれた人もいました。
あのワークのあとに私の考えも一通りお話ししたつもりですが、
いろいろとダラダラ喋ってしまいましたので、
重要な特徴として1つだけ選べと言われると、たしかに困ってしまいますね。
それに、ユニークな特徴のほうに関しては、
あまり自分で考えたことはなかったかもしれません。
いい機会ですので考えてみることにしましょう。

私の話の中では、人間の特徴づけとして、

「森から出たサル」
    ↓
「脳が発達した動物」
    ↓
「本能の壊れた動物」

という順序でお話ししていきました。
その中でも 「本能の壊れた動物」 というのに一番力点を置いて説明したつもりです。
ですので、この 「本能の壊れた動物」 というのを、
人間の最も重要な特徴としてもいいかもしれません。
実際その他一切の特徴はすべてここから発生していると言っても過言ではないでしょう。
しかし、これを最終解答にしてしまうと、
ときどきワークシートでこんな感想を書いてくれる人がいるのですが、
「人間は本能が壊れてしまっているから、戦争をしたり環境破壊をしたり、
 愚かなことをたくさんしてしまうんでしょうね。
 なんだか悲しくなってしまいました。」
という印象を与えただけで終わってしまうかもしれません。
ですので、もうちょっと別の特徴を選ぶことにしましょう。

私の話は、本能が壊れたところで終わってしまうわけではありませんでした。
本能が壊れたまんまじゃ人類は生き残っていくことができません。
本能が壊れてしまった代わりに、
人間は本能の代替物として 「文化」 を自ら生み出しました。
「文化」 とは人類学的に言うと 「非遺伝的適応能力」 です。
本能が遺伝によって親から子へと伝えられるのに比して、
文化は遺伝によって伝えられるものではありません。
文化はDNAとは関係なく、人間が環境に適応するために、
脳を使って自分たちで生み出した生きるための力なのです。
私たち人間は、クモみたいに巣を作る本能を遺伝によって賦与されてはいません。
だから放っておくと誰も巣を作ることはできないのです。
大部分の人間は一生、自分で巣を作ることはしないし、作り方も知らないままでしょう。
しかし人間はその代わりに、家を作るという文化を築き上げました。
これは本能ではなく文化なので、遺伝的に決定されていません。
クモは自分の身体から出る糸を使ってクモの巣を作ることしかできませんが、
人間が作る家は、ワラで作ったり、木で作ったり、レンガで作ったりすることができますし、
いろいろな形や色や大きさのものを作ることができます。
本能が壊れている代わりに、人間には自由という無限の可能性が開かれているのです。
言葉も道具も制度も倫理も、すべては文化です。
人間が自分で自由に生み出したものです。
だから、人間の言葉も衣服もすべてのものが、ものすごい多様性に富んでいるのです。
したがって人間の一番重要な特徴としては、次のようにお答えしておくことにしましょう。

A.人間は、文化を自由に生み出し、文化を使って生きていく動物である。

どうしても一言で言えと言うならば、「文化的動物」 となるでしょうか。
でもそれだけだとちょっと伝わらないかもしれないので、少し長めですが、
やはり 「文化を自由に生み出し、文化を使って生きていく動物」 とさせてください。

それに対して、ユニークな特徴は何でしょうか?
本能が壊れていて自由な文化を作り出しているという意味では、
人間は本当にユニークな特徴をたくさん備えていますが、
やはり性的なことに関してはヘンな特徴がたくさんあります。
性行動と生殖 (子どもを生むこと) がちゃんと結びついていないというのは、
まさに本能が壊れている (本能がないわけではなく自然目的と乖離している) ことの証でしょう。
しかし、性のことに限定してしまうとちょっとつまらないので、
性も含めて人間のユニークさをこんなふうに表現してみたいと思います。

A.人間は、フェチな動物である。

フェチという言葉はご存知ですね。
「脚フェチ」 とか 「下着フェチ」 とかいう言い方で使いますね。
実はこの 「フェチ」 という言葉は由緒正しい概念で、
形容詞の 「フェティッシュ」 や名詞の 「フェティシズム」 から来ており、
あのマルクスも使っているれっきとした学術用語なのです。
「物神崇拝」 などと訳されることもありますが、ざっくり言うと、
本来の目的から逸脱してしまって、手段であったものが自己目的と化してしまうこと、
を意味する言葉です。
例えば、下着というのは性器を覆い隠すための手段にすぎなくて、
本来の目的はそれによって隠されている性器であるはずなのですが、
本来の目的に関心が向かわずに、たんなる手段にすぎなかったはずの下着そのものに、
性的関心が向けられてしまうのが 「下着フェチ」 です。
これは別に性的な事柄に限らず、
例えば、お金というのは必要な物と交換するための手段にすぎないはずなのに、
お金儲けそのものが自己目的と化してしまう場合なども、
フェティシズムになります (というかこっちが本家本元の用語法)。
フェチというとなんだか少数派の特殊な人々を指す言葉のように思っている人がいますが、
本能が壊れている動物としての人間はみな、多かれ少なかれ何らかの点でフェチなのです。
そういう目で人間を見てみると面白いですよ。
身の回りの人たちが何フェチかよーく観察してみましょう。
そしてもちろん、今まで気がつかなかったかもしれないけれど、
あなた自身も何らかのフェチのはずです。
自分は何にものすごーくこだわっているか、
それは本来の目的から逸脱してしまっているものではないか、
よーく考えてみてください。

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